ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
――とんでもないヘマをやらかした。
神経を灼熱させた怒りが冷めきってしまうと、馨は激しい後悔に襲われた。
膝枕の感触は柔らか。髪をすく指先は細く、傷んだ毛先まで癒されているような気がする。
――やってしまった。
悠希の前で実力行使することだけは避けたかった。でも、同じことがあれば、馨はやはり同じように実力行使するだろう。
――終わりかもしれない。
そう思うと馨は泣きたい気分になった。
すがり付いて泣きを入れたら、一度くらいは許してもらえるだろうか?
悠希が言った。
「カオル?」
いつも通り、セックスは目茶苦茶よかった。あれほどの怒りを押し流し、精神状態をフラットにしてしまう魔法を馨は知らない。
膝枕の感触を楽しみながら、固く目を閉じて馨は夢想する。
初めて名前を呼んで貰えた。
「カオル、寝たの?」
「ぁ、いや……そうじゃないけど……」
ばつが悪そうに応えを返す馨は、心配そうに見つめる悠希の中に小さな違和感を覚えた。
「今日は、いったいどうしたのさ」
舌打ちして、馨は目を逸らした。
「ちょっとムカついただけ」
ぶっきらぼうに言って、馨は内心で頭を抱える。
吉河が『動画』を使って悠希を脅すように言って来たことを話せば、分かりやすい事情の説明になるだろう。でもそうすれば。
「……そう」
思わしげに視線を伏せる悠希を見つめる。
事情を説明すれば必ず悠希は許すだろう。でもそれはどうしようもなく躊躇われた。
頭の中は、白と黒の馨が激しくやり取りしている。
黒のデビルカオルが言う。
――言っちまえ。むしろ感謝してくれるぜ!
白のエンジェルカオルが言う。
――口が裂けても言うな! これは『コッチ』で始末するんだ!!
馨の心は白と黒の間で揺れていて中途半端。そもそも、吉河をここに連れて来たのは過ちでしかない。それでも連れて来てしまったのは、きっと認められたかったから。
変わらない『何か』を変えたくて、カオルはこの愚挙に出たのだ。
――言っちまえ。むしろ感謝してくれるぜ!
その考えの方がしっくり来る。でも――それでも――
馨は口を噤んだ。
――馬鹿じゃねえの?
その内心の思いを、馨は鼻で笑って捩じ伏せた。
一方の悠希は……
「ぁ……」
「……?」
何故か、すごくやりづらそうに見える。
「……ぼくが、関係ある?」
「いや……?」
鋭い。口では平然と流したが、その勘のよさに馨の心臓が一つ跳ねる。
「……」
悠希は黙っていて、それでも指先は優しく馨の髪を梳きすかしている。長い睫毛は憂いに揺れていて――
――バレてる。
勿論、明確な理由までは分かってないだろう。しかし、馨が悠希の為にそうしたということだけは――バレているような気がする。
明確な何かが変わったことを理解して、馨はゴクリと息を飲む。同時に内心では冷たい汗を流した。
たまたまだ。今回は、偶然上手く行ってくれた。この場から悠希が逃げ出したとしても、何の不思議もなかった。何より――
危険すぎるカオルのこの激情が、悠希に向かっても何の不思議もない。
結果こそ良かったものの、カオルは慢心せず、更に覚悟を重くする。『ルール』が重くなる。
万が一にも悠希を傷付ける訳には行かない。
万が一にも悠希を傷付けてしまったら、カオルの恋は嘘になる。
最強、最悪の敵は、他ならぬ『新城馨』である。カオルがそれを痛切に思い知った出来事だった。
◇◇
◇◇
山あり谷あり。平淡な道ではないが、そこから先は順調だった。
学校以外でも会ってくれたし、家に来てもいいと許可も出た(!)。この恋に馨は山ほどのルールや条件を設定している。初フェラの最中、詰られるというトラウマものの艱難もあった。泣きが入ることも度々あったが、それでも順調と言えた。
馨はこの恋に忙しい。『動画』の方は、葛城瞳子と葉桐要に任せてある。
……瞳子は『男』に嫌な思い出がある。本人はなるべく意識しないようにしているようだが、抱いた嫌悪感は根深いものがある。清潔感があり、何処か少女めいた容姿の悠希に対しては安心できるのか好感を持っているようで、『動画』の存在には強い怒りを露にしていた。
馨は複雑だった。
瞳子には覗きの前科があり、悠希に並々ならぬ興味を持っていることも分かっている。油断ならない存在ではあったが、一方で信用できる。本当におかしなことで、馨自身にも説明は難しいのだが、瞳子の存在が悠希に深刻な害を及ぼすと考えられない。理屈ではない部分が囁きかけるのだ。
『悠希を傷付けない』という一点に於いて、馨と瞳子とは認識を共通している。
葉桐要に関しては今のところ判断を保留している。
吉河瑞季を学校に引き渡したまではいい。馨は吉河の死を痛切に願ってはいるが、実際に死なれては困る。流石に殺人は気が引けた。判断は適切だった。『動画』を見たのでなければ礼の一つでもしたかもしれない。
『動画』が馨のグループに投げ掛けた影響は少なくない。
吉河の惨状にビビっていたのが、皆憤慨して状況の説明を求めて馨に詰め寄って来る始末だ。
特に過疎が原因で田舎から出て来た神木栞の怒りは激しい。彼女の場合、田舎から出て来て高校に進んだのはいいが、入学当初は中々新生活に馴染めず、それが原因でクラスの女子グループからいじめを受けていた過去がある。その境遇から思うことがあるのだろう。涙すら浮かべて憤慨していた。
しかし、馨にとって悠希の過去は簡単に話してしまってよいものではない。
「べらべら喋っていいことじゃねーんだ。察してくれると助かる」
皆、納得したとは到底言い難い表情を浮かべたが、その返答は道理であった為、渋々とではあるが引き下がった。
『動画』を見てしまったのが葉桐要だけなら、馨は手っ取り早く暴力でカタを着けただろう。
援交の斡旋、窃盗、恐喝の示唆……要には色々と良くない噂がある。此方に絡む様子を見せないので放置しているが、それだけだ。クズにはクズのやり方がある。要に遠慮はいらない。やろうと思えばいつだってやれる。だが――
馨はこの恋に忙しい。
おそらく自分という女は、今以上に誰かを好きになることはない。悠希を逃してしまえば、これ以上に誰かを焦がれることもない。『動画』の出所を探り、ケリを着けるのは重要なことだったが、誰のために、どうしてそうするのかを思えば、必然的に動画の件は後回しになる。
暴力を背景に事の真相を探るより、この恋の成就こそが馨にとっての至上だ。『動画』の件にケリを着けるのは他の誰かでも構わないが、悠希と上手く行くのは馨自身でなければならない。
『動画』の件は瞳子と要に任せる。それで全然問題なかった。
◇◇
◇◇
「金だろ」
新城馨が無期停学の処分を受けたその翌日。体育館裏の人目を避けた暗がりで、何でもないことのように葉桐要は呟いた。
その日は何時もと違う集まり。
要を中心に二人の一年生。それから神木栞と赤瀬岬の計五人。
「……金?」
訝しむように神木が呟いて、その隣で煙草を燻らせていた赤瀬も同調するように頷いた。
要は続ける。
「きっと、どうしようもない事情があるんだよ。そうじゃなきゃ説明付かないだろ?」
「……カオルさんは、その辺の事情知って、それで逆援交してるってこと?」
言って、神木は首を傾げる。
煙草をもみ消しながら、続いて赤瀬が口を開いた。
「理屈としちゃ分かるけど無茶苦茶じゃん、それ」
要は大きな溜め息を吐き出した。
「……御影くんって、あれで結構な優等生だろ。仮に、お前らが振り向いて欲しければどうする?」
「そ、それは……」
と赤面して口ごもる神木に変わって赤瀬が自信満々で言った。
「好きだって告白すりゃいいじゃん。楽勝」
要は、とんでもない馬鹿を見るような目で赤瀬を見詰めた。
「御影くんに? 赤瀬は本気で言ってんの?」
「はん? 御影さんなら甘いモノで釣れるじゃん」
要は再び大きな溜め息を吐き出した。
「アレがそんなに簡単そうに見えるの?」
「え、違うの? そりゃ確かに取っ付きにくそうだけど。『よいこ』とか好きだし、餌付けの手間は掛かるかもしれないけど……そうは見えないっつか……」
疲れたように、要は小さく息を吐く。
「そんなんじゃ絶対ダメだと思ったから、カオルさんは無茶してんじゃないかって、そういう話だったんだけどな」
「……そうなの?」
と首を傾げる赤瀬の横で、神木は苦虫を噛み潰したような表情。
「御影さん、あたしらの名前知ってるかどうかすら怪しい……」
「え、マジ? 結構貢いでんだけど」
「少なくとも、あたしは名前呼ばれたことなんかない。岬のこともジュースくれる女くらいにしか思ってないと思う……」
「んなっ……」
絶句する赤瀬に、にやにやと要は笑いかけた。
「そういうことさ。御影くんはワタシらみたいなヤンキーは目に入らない」
そもそも、と要は言葉を継ぐ。
「赤瀬と神木は、御影くんをどうしたいの?」
「……!」
その言葉に激しく反応して、二人は舌打ちしながらそっぽを向いた。
その二人に要は言った。
「ワタシは――」
自他共に認めるロクデナシの要だが、ちょっとした『こだわり』がある。
「ワタシは、御影くんには静かにいて欲しいんだ。あの動画を見て、そう思った」
既に取り返しが付かないほど傷付いている。余計なことはせず、そっとしておいてやりたい。
この手の相手の信頼を得るには時間だ。とにかく時間を掛けること。それ以外にない。今は見つめるだけでいて、困っているようなら、さりげなく手を差し伸べる。
「御影くんのことは、そっとしておいてやりたいんだ。カオルさんのやり方は――」
要のそれとは真逆のやり方だ。相手の内情につけこんで、良心を押し売りしているように見えて気に入らない。いや――
要はそこで思慮深く考え込むように視線を伏せる。
(カオルさん、焦ってんのか……?)
だとすれば、この無茶なやり方に説明が付く。
現在、馨には強力なライバルがいて旗色はよくない。それは恐らく、一方的と言ってしまってもいい程度には。
要は喋っている途中で、つい熟考してしまったことに気付き、ふと視線を上げた。
「……?」
神木栞と赤瀬岬は、要が思ったよりずっと神妙な面持ちで話を聞いている。
俯き加減で赤瀬が言った。
「……確かに、御影さん少ししんどそうだよな……あんま笑わないし……」
神木栞が頷いた。
「葉桐に賛成。御影さんにはそういうの似合わない。あの人は、もうちょっとこう……田舎の、静かなトコにいて、暑苦しい夏の夜は浴衣なんか着て、縁側に座って、蚊取り線香焚いて……」
後半は独白の趣がある言葉に、赤瀬が噴き出した。
「妄想成分多すぎだろ!」
しかし一瞬後には真顔になって。
「でも……脳内再生率100%なんですけど……」
神木栞と赤瀬岬にとって、御影悠希はそういう存在だった。
色白で幸薄いイメージ。幼く見えるものの容姿は整っていて、何処かしら儚げ。強気な物言いは壮絶な過去を知った今なら、痛々しく映る。
美人薄命を地で行くタイプ。
野に咲く花だが、人の手入れが無ければ枯れてしまう。
ハッとした神木がその場を誤魔化すように咳払いした。
「と、とにかく! 今の状況は御影さんによくない! よくないんだよ!!」
要は笑った。
ちょっと気になる相手がいる。この時の彼女らは、その程度の気持ちしかなかったのだ。
◇◇
……
…………
………………
……………………
…………………………
それから三人の話し合いは二時間ほど続き、その内容を要が総括した。
「ん……じゃ、結論だすよ。
先ず――御影くんに手は出さない。……赤瀬は間違っても『買う』んじゃないよ」
「しねーっての。何であたしだけ……」
『買う』ことは最終的に悠希の助けにならない。今は、そっとしておく。――抜け駆けはしない。それは新城馨を敵に回さないということに繋がる。栞と岬には受け入れやすい結論。
――今は、まだ。
「ヤバそうになったら、何気に助け船出す」
栞が言って、それに岬と要が頷く。
要の予想通り、悠希が金目当てに馨と関係を持っていたとしたら、相手は馨だけに限らない。それは必ずトラブルの原因になる。その時は助ける。ついでに足を洗わせるのが交換条件になる。
馨とタイプは違うものの、要にはリーダーとしての資質があった。栞と岬の二人は、要に導かれるようにしてその結論に達した。
そして――
少し斜め下に視線を向けた要の瞳から光が消える。
「『動画』の件はカオルさんに許可されたから、今二人に調べさせてる。……カオルさん、何も教えてくれないから、出身中学から洗ってる。あの『女』も面割れてるし、この学校に居るようなら、その内見付かると思う。こっちは葛城がやる気見せてっから任せてる」
「トウコが何か掴んだら、情報回すわ。替わりに御影さんの情報あったら、お願い」
過去、御影悠希は虐待を受けていた。その詳細を知る……知りたい。それは三人の共通した思惑だった。
話し合いは続く。
「……ワタシは別のアプローチしてみる」
先ほどのような朗らかさは一切ない。ごくごく当然のように、要は言った。
「夏休みになったら、吉河っての拐うから」
要の言っていることは、『こっち』の世界では当然のことだ。特に驚いた様子もなく、栞と岬の二人も薄く笑って頷く。
「その時は、あたしらも行くから」
◇◇
葉桐要には、ちょっとした『こだわり』がある。
既に傷付いている者を攻撃するのは違う。持たない者から奪うのは違う。
だが――
馬鹿なヤツは騙しても構わない。奪っても構わない。生意気なら叩き潰しても構わないと思っている。
気分でないこの『こだわり』こそ、要が周囲に一目置かれる所以。二人の下級生が従う理由。要は歳の割に悪徳にまみれているけれど、それなりに『公正(フェア)』なのだ。
「……カナメさん、御影くんのこと気に入ってたからね」
「あの人、我慢するタイプが好きだから」
要に従う二人の下級生は、いつもと変わらない様子。
「多少ヒネてるけど、あれもカナメさんの好みだ」
「そういう子、笑わせる感じ?」
「そうそう。ああいう子って、本当いい顔して笑うの」
「……悪くない」
いくら装ってみたところで『普通』からはズれている。ズれてしまうから。だから、御影悠希は好ましい。
「私たちともシェアしてくれるかな?」
二人は示し合わせたように笑って。
「多分ね」
「だよね? 私たち――」
――運命共同体だもん。
◇◇
◇◇
学校内に於いて、一年生と二年生、三年生の関係は隔絶したものがある。
例えば、御影悠希が売春をやっているということは、三年生のヤンキーの間では公然とした秘密だった。年齢が違う。校舎が違う。受験や就職を控え、考え方が違う。ごく単純な上下関係。違いは色々あるけれど、『三年生』と他の学年とでは、様々な物事が隔絶した関係にある。
だからという訳じゃないけれど、その一報を受けたときの要の驚きは並のものではなかった。
「……御影くんが、やられた?」
何故? いや、それは少し分かる気がする。ハッキリ物を言い過ぎる御影悠希は間違いなくトラブル体質だ。しかし――
あんなに傷だらけなのに、何で、どうして、痛め付けることが出来たんだ?
ちょっとだけ気に入っている。でも感じた苛立ちは『ちょっとだけ』じゃない。冷酷だが決して残忍じゃない葉桐要の心境は――
「こいつは、胸糞だね……」
でも、馨と違って我を忘れるほどじゃない。
この時は、まだ。
◇◇
◇◇
……
…………
………………
……………………
…………………………
「ダメだ。ガード固くなってる。休み時間は深山っていう三年の女といるか、瞳子が張り付いてる」
「瞳子はカオルさんの差し金だよね。深山? 誰、ソイツ」
「剣女の副主将。地味で大人しそうだけど、時々すっげぇ目で回り見てるわ」
忌々しそうに言って、岬は床を踏み鳴らす。
「秋月のことやらないの?」
「御影さんが止めてるから、カオルさんはダメだ」
「そう……」
栞は空を見上げて嘆息する。
これが岬と栞の問題なら話は簡単だ。やるかやらないかの二択なら、二人は必ず『やる』方を選ぶ。結果は二の次のこと。
「……葉桐は?」
「御影さんに任せるって……」
人気を避けたいつもの校舎裏で、二人はやるせない面持ちで口を閉ざす。
――御影さんは、あたしらの回りにはいないタイプの人だね――
葛城瞳子の言葉。
やって、やられて、やり返したからやり返されて。悠希はそういった負の連鎖とは無縁の世界の住人だ。
(カオルさん、しんどいだろうな……)
御影悠希と新城馨は違いすぎる。だが、いつか。いつの日にか、その連鎖を抜け出して大人になったとき、その時は――
「放課後は……」
弱々しい栞の言葉に、岬は胸の前で大きくバッテンを書いて見せた。
「無理。カオルさん、学校まで迎えに来た。如月さんも一緒だったし……」
「なにそれ……ちょっとくらい……」
――分けてくれてもいいのに。