第八区にあるこの屋敷はつまるところ、そういう意味で使用されている。気に入った者はその場で犯し、そしてこの屋敷に連れてきて浸る。老若男女関係なく。もちろんそれを目的としていない者もいたが、そうした場合は従者や近衛兵にさせているようだ。
王族とその関係者のみが関わり、リリアたち第八区にいる者には知りようがないが、嬲られようが犯されようが死人以外は魔術士によりその記憶が消されている。きちんと治癒魔法で回復させてから。
そもそも逃げ惑う者を切ることでストレスが解消されるようで、死人など滅多に出ない。そして出た場合には、弔うことを忘れなかった。
そうするのは、恐怖を植えつける以外はない。恐怖で支配すれば暴動などを抑え込めるだろうという考えからだ。第八区の人間にしてみれば迷惑極まりないが、なんにせよ犠牲はつきものであろう。
ほかの王族がどうであれ、エンディスがここに来る意味はただひとつしかなかった。リリアの姿を見る以外にほかならない。ほかの者を切ることも、ましてや犯すことにも興味がないのだ。
リリアを抱きしめて時間を過ごし、体力が戻ってきたエンディスは布団から抜け出て着替えを済ませた。侍従が傍に寄ることをあまり好まないために、大概はひとりでなんでもこなす。
柔らかな寝息を立てるリリアを一瞥し、胸ポケットへと入れていた携帯端末で別の部屋に待機する侍従を呼び出した。待つこと数秒で足音が聞こえ、ドアが開く。
「お目覚めですか、エンディス様」
「おはようございます」
「なんのご用でしょうか?」
メイド服に身を包んだ三人の女はすぐさま横一列に並び、エンディスの言葉を待った。
「ユーイ、マルカ、ジルノ。リリアの着替えを手伝え」
「はい」
三人ともにエンディスに付き従っているが、それはリリアの侍従になるべくして鍛える必要があったからだ。リリアを手にいれたいま、三人は明日にでもリリアの侍従となることが考慮されていた。エンディスはエンディスでほかに侍従がいるので、なんら困ることもない。
四人がかりでする着替えは楽に終わり、ベッドの縁に腰をかけたエンディスは、布団の上で無防備に横たえられたリリアの髪を弄っている。肩出しのデザインのシャツはそれだけで情欲を湧き上がらせていくようだ。スカートから覗く足も無論で。
「エンディス様……、お言葉ですが、もう少しリリア様のことをお考えください」
リリアの躯には背中を中心として鬱血の痕がみられた。腕にある赤い痕も、涙に濡れた顔もこの男の犠牲の上である。
「言われなくとも考えている」
ユーイの言葉に眉を寄せるエンディスは顔を逸らした。機嫌を害したように。しかしそれは一瞬で、次には立ち上がってリリアを抱き上げる。
「城に戻るぞ」
「あ、は、はい!」
「マルカとジルノはここを片づけてから来い」
ふたりを一瞥して部屋を出るが、あとにはリリアのナイフと湿ったタオル、乱れたベッドに散らかる服――行為のあとだと解る痕跡が残された。
□
「リリアが起きたらすぐに呼べ。俺は執務室にいる」
「はい」
寝室のベッドにリリアを寝かせたエンディスは、そのまま踵を返した。結わえられた艶めく髪が踊る後ろ姿が消えるまで、ユーイは微動だにせずその場に佇む。静かに閉まるドアに安堵の息を漏らし、寝息を立てるリリアを眺めた。
エンディスがリリアに固執する理由はなんなのか。知りたいと思うが、一介の侍従の自分では知ることは難しいであろう。
馬車に揺られて城へと帰省すれば、エンディスが贔屓にする魔術士が待っていた。ミスロク・ハバーテと名乗るその男は、エンディスやリリアと同級生のようで親しくしているらしい。本人が言うには。
『少し体力を戻すから』
『ああ、頼む』
抱えられたままのリリアに、すぐさま治癒魔法が施される。温かな光がリリアを包むが、数秒後には闇に溶けていくように消えていく。
『あんまり泣かすと、嫌われるよ?』
『ミスロク、その助言は意味がないぞ。俺はもう嫌われているからな』
『確かに』との言葉とともに噴き出すミスロクであるが、エンディスに睨まれれば『じゃあ、僕は戻るよ!』と慌てて退散していった。高名な魔術士も、王子には勝てないようだ。
『ユーイ、行くぞ』
『はい、エンディス様』
リリアを抱えたままなのは、暗に誰も触れるなと言いたいようである。ユーイが『代わりましょうか?』と申し出ても、『大丈夫だ』としか返ってこない。寝室のベッドに寝かせるまで、長い廊下もエンディスのみがリリアを抱えていた。
そうしてリリアが目覚めたのは、エンディスが寝室をあとにした数分後である。
「――ここ、は……?」
見慣れない天井、もとい、天蓋に目を瞬くリリアは顔を動かした。見慣れないが見たことがあるここは――。そうだと理解したリリアは勢いよく起き上がる。が、いたるところから鈍痛が走り、躯を丸めてしまった。
「いってぇ……、くそっ、あいつヤりすぎだっつの」
「リリア様、おはようございます」
「え……? え、えっ!? ユーイっ!? なんでここにっ……? あ、アルバイトって、そういうことか! ――うおおおー、痛ぇ……」
「躯に障るから、落ち着いて」
目を丸めて声を張るリリアは走る痛みにうぐぐと布団の上へと躯を埋め、ユーイ・ジスカロはその背中を擦った。エンディスやリリア、ミスロクと同じ年であるユーイには二歳年の離れた双子の妹がおり、名をマルカとジルノという。双子といっても見分けはつくのでなんら問題はない。すなわち、侍従たるユーイ、マルカ、ジルノは姉妹である。ひょんなことから姉妹ごと侍従にされたわけだ。ユーイたちとリリアは囲われた第八区でともに生きてきた。近所で暮らしていたので仲がよい。その仲を理由にして。
「ユーイ、は、エンディスになにかされてないか……?」
「なにもされてないよ。エンディス様は私たちに興味はないから。侍従としては、よく怒られたりしてるんだけどね」
「そうなんだ」
「すぐになんだけれど、起きたら呼びに行くように仰せつかっているの」
安堵するリリアに「だから動いてはダメよ?」と念を押すユーイはドアの前でも振り返り、「動かないでね」とのひとことを忘れない。そうは言われても、リリアとしてはここにいたくはないわけだ。たとえ、寝かされていたとしても。
しんと静まる寝室でリリアが出した結論は『逃亡』である。多少なりとも魔法が使えるのであれば、逃げるに越したことはないとして。
ベッドから抜け出して豪勢なドアから顔を覗かせるが、そこに近衛兵の姿はなかった。用心が足りないのではないのかと心配になるが、これはこれ以上ないほどに好機であろう。
自分が心配しようがしまいが、この王城は問題ない。そう考えを改めつつ走る城内にも兵の姿はなく、門にたどり着くのにそう時間はかからなかった。そうしてまた走り始めるが、足は自然と第八区に向かっている。
□
「ユーイ、これはどういうことだ?」
もぬけの殻のベッドに眉を寄せたまま、エンディスはユーイを見た。しわくちゃのままの布団に開口するが、裏を返せばそれほどまでに急いでいたということか。片づけようとした先、触れたシーツの温もりに劣情を湧き上がらせていく。だがリリアがいないこのときに、それはなんら意味をなさないものだ。
ユーイは顔面蒼白で「わ、解りません」と答えたが、自身を憎むリリアの考えからして逃走でも図ったのであろう。エンディスは「逃げたか」とだけ呟き、踵を返した。ユーイの腕を引きながら。
「ええええ、エンディス様っ!?」
「お前の失態だが、挽回の機会をやろう」
「え……?」
半泣き状態のユーイは目を丸め、前を向いたままのエンディスは「馬を出す」と連絡をしている。
「まったく、世話の焼ける奴だ」
「リリア」と溢すその顔は、怒りに歪むことはない。
□
「あ゛~……、もう無理」
肩で息をするリリアはその場に座り込んだ。足下がふらつき、これ以上は走れない。幸いにも家の近くであるが、人目につかない荒れた細い道を走ってきたので、肌が露出した部分は枝や葉で切り傷ができている。常時痛みが走るが、下腹部の痛みとない交ぜになりどこからくる痛みなのか解らないでいた。
夢中で走っている間に白む空に、『今日はいつなんだ』とぼんやりと思う。連れて来られたのは一日前であるのだが、自分はいつまで抱かれていつまで寝ていたというのだろうか。考えようにも、鈍る思考にその気もなくなっていくのだからしかたがないだろう。
「これもあいつが悪いんだ」
壁に背中を預けてうずくまるリリアに駆ける音が聞こえてくる。数匹の馬の鳴き声とともに。
「な、なんだ……?」
顔を上げたはいいが、動いてしまえば捕まってしまうだろう。リリアはじっと堪えていたが、近衛兵の慌ただしい声に物陰からそっと窺うことにした。
ランプの明かりに照らされる普段着であろう後ろ姿と近衛兵に囲まれた家族の姿に息を飲む。十三になる一番下の妹はうさぎのぬいぐるみを抱きしめたまま震えていた。父と母が庇うように立ち塞がっているが、いったいなにをしようとしているのだろうか。
「いたか?」
「いえ……。なかにはいないようですね」
「そうか。なら、ユーイ、お前の出番だ」
「は、はいっ」
緊張しているのか、近づくユーイの動きは固い。恐怖に青くなる家族のその顔に我慢できず、リリアは走り出した。「――待て!」とエンディスに抱きつこうと手を伸ばすが前のめりになり、足がもつれて派手に転けてしまう。しかしすぐさま起き上がり、振り返って眉を顰めるエンディスに「待って」とふたたび手を伸ばした。打ちつけた躯の痛みに負けじと。
距離を詰めるように歩み寄って差し出されたその手を反射的に払えば、「リリア」と引き寄せられて腰に手を添えられる。と同時に、強引に重ねられた唇を引き剥がそうと腕を突っぱねるが、痛みが走り引っ込めてしまった。服を握りしめるのに精一杯だ。
見せつけるように貪り続けた男を睨み上げ、唇を噛みしめる。息が上がりそれ以上はどうにもならない。「噛むな」と舐められ、しかたなしに言うことを聞いてやる。ここで逆らえば意味がないのだから。
「な、にしようと、してた……?」
「ただの自白剤だ」
しれっと溢される言葉に、リリアは息を飲んだ。「俺は薬物は好まないが、お前の居場所を知るためにはやむを得ん」と続く言葉に対し、リリアの顔はどんどん青くなる。自分のせいで起こり得た最悪の事態を回避したこと、そしてユーイと家族のほっとした顔に涙腺が崩壊していく。
「お、お願っ……、か、家族には、なにもしないで……、お願い、だから」
「それはお前次第だな。それよりも、大事なことがあるだろう。お前はいったいどこを通ってきたんだ?」
胸のなかで泣きじゃくりながら紡げば、ふたたび唇が重ねられる。涙を舐め取る舌にすんと鼻を鳴らし、自身でも涙を拭い始めた。
「人目につかないところ、を、走ってきた」
「そうか。帰るぞ」
荷物のように担ぎ上げられたリリアの躯は硬直し、「なにするんだ」と紡ぐ声も固い。「こうでもしないと逃げるからな」と揶揄する言葉に、今度は「お前が悪いんだろ!」と声を張り上げた。
「――お前次第だと言ったばかりだが」
「エンディスが悪いっ」
「ダメだよ、リリ姉」と注意する妹の声にはっとし、リリアは家族を見据えた。未だ兵に囲われた家族の行く末は、自分の言動ひとつで変わってしまうのだ。リリアにとっても家族にとっても恐怖でしかない。見上げる灰色の瞳は細められるが、それがリリアのなかの恐怖を増殖させていく。
「……ごめん。ちゃんとするな」
――ちゃんと守るから。
震えた唇が溢した言葉が、逆にエンディスを奮い立たせていく。最愛の家族が映るこの瞳に、自身を映さなければならないと。
馬に乗せられるが、暴れる力もなくなったいまは、ただただ背中を預けるしかない。駆け出すその振動が下腹部の鈍痛を呼び覚まし、リリアは眉を寄せていく。
城に着いてからはベッドに運ばれるまで大人しくしていたが、覆い被さるエンディスから顔を逸らしていた。
「八区までよく走れたな」
「逃げないと、なにをされるのか解らないからな」
「逃げたあとのことを考えた発言なら、大したものだ」
「っ……」
口端を上げたエンディスにリリアは視線を向ける。撫で上げられる頬がいやに熱く、思わず手を払ってしまう。
「お前が俺に従うのなら、家族にはなにもしないと誓おう」
「本当にか……?」
「逃げずに従うのならな。それよりも、傷を治すぞ」
「――おいっ!」
そっと触れた肩に唇を寄せたエンディスを引き剥がそうとするが、「喚くな」と眉を顰める。無理を言うなと言いたげなリリアのその視線を意に介さず、エンディスは切り傷に舌を這わせた。
「そっ……! そんなことしなくてもいいだろ」
「俺がなにをするかは俺が決める。従わないのなら――」
「そんなことは解ってるよ! けどっ、傷なんて放っておけば治るものだろっ……! それにオレは」
「お前が嫌いだ」と紡ぐその顔は歪んでいる。嫌われていることは自覚していたが、はっきり紡がれると心に刺さるようだ。それでも、リリア以外を求める気はない。
「リリア」
「あっ、こら……、どこに手をやって……っ」
「裂傷だらけがうるさいぞ。こんなに傷をつけて、痕が残ったらどうするつもりだ?」
肩に這う舌とふとももを撫でる手が、燻る熱を呼び覚ますようだ。広がる甘い痺れに抗うために、リリアは声を上げた。
「うるせえなっ! 痕が残ったっていいだろ。オレの躯はオレのものだっ」
「リリア、その前提は間違っているぞ。お前は俺のものだ。お前の肌に傷をつけていいのも俺だけで、お前が自分自身を傷つけるのは認めない」
「ふざけんな! ――ちょっ……、歯を立てるなっての!」
「いいか、リリア。お前は俺のものだ」
壊れたかのように『俺のものだ』と紡ぐエンディスは、当然のようにその熱をリリアに埋め込んでいく。力で押さえつけられ、素肌を晒すしかないリリアは、広がる鬱血痕に目眩を覚えた。見える範囲でさえ、数えるのも億劫になるほどだ。
頭上で固定された手首に唇が落とされれば、必然的に深くを突かれることになり声が出てしまう。ループタイの端をベッドの先端に通してまで拘束したのはこのためか。
「二度と逃げないと誓え。従うと頷け」
「誰が……、するかっ」
「さんざん抱かれてもまだ抗う元気があるのか。お前がそういう態度のままなら、俺にも考えがあるぞ。――リリア」
抜かれていった昂りが根元まで一気に埋まり、リリアは「か、は……っ」と一瞬喉を詰まらせる。と同時に、躯が弓なりになるのは、その快楽を刻み込まれたからだ。陵辱の果てに。
「やっ……、それ、や……だ、やだぁっ……!」
「さっさと誓って頷け」
「あっ、あ……ぅ、や……、おかしくなるっ、やだ……、やだっ、しない、しないっ」
頭を振るリリアの唇を塞ぎ、舌を捩じ込んでいく。数分口内を味わいながら、深い抽送を繰り返した。離した舌先から細い糸が切れたのち、誘うように唇から溢れる。エンディスはそこに舌を這わせながら深く追い詰めていく。
「ひ……っ、あ、あっ……! い、や……! やだっ、や……っ」
「自業自得だ」
結合部を見せつけるように躯をくの字に曲げられた瞬間、リリアは「あ、あ――!」と爪先を丸める。が、強い力で腰を引かれ、「ああんっ!」という嬌声とともにふたたび背中を反らした。駆け巡る快楽に溺れるなか、エンディスの冷たい声が響く。
「誰がイっていいと言った?」
「あ、んっ! や……ごめ、なさっ……! い、や……、あ、あ……っ! エンディス……っ、エンディスぅ……、ゆして……ゆ、してぇ」
「許しを乞う前に、誓って頷け」
深くまで埋まる昂りがリリアの思考を鈍らせていく。家族のために――家族を守るために、しなければならないこと。それは――。
「守る、からぁ! ちゃんと、守る、よ……、みんな、のこと、守るからぁ!」
そう叫んだリリアは、与えられる快楽に飲み込まれていった。
□
「おはようございます」と響く声に、目を開ける。が、カーテンを開けたであろう窓から差し込む光の眩しさにリリアはそれを細めた。
「……あ、さ……?」
「リリア様、体調はいかがですか?」
「ユーイ……、っ! う、ぅ!」
「無理をなさらないでください」
起き上がろうとしたようだが、布団のなかで丸まってしまったリリアの背中を擦るユーイは、「いま水を用意しますからね」とローテーブルにある水差しに手を伸ばした。
「エンディスは……?」
「エンディス様は執務室に――……あ、エンディス様、いけませんっ」
ユーイの慌てた声のあと、無理矢理布団を剥がされて腕を取られる。「リリア、起きろ」との声とともに。たとえ声を聞かなくとも、こんな風に不遜な態度をとるのはエンディスしかないだろう。
「黙れ強姦魔」
「そうか。そんなに犯されたいのか」
「そんなわけあるかっ!」
叫ぶ最中、触れて離れていった唇が「署名しろ」と動く。
「署名……?」
唇を拭いながら意味が解らないと首を傾げたのち、顔の前に突きつけられた契約書に目を丸めたリリアは「なんだこれ」とまじまじと見据える。
「今日はおとなしくしていろ」
「言われるまでもないわ」
「リリア様、口が悪いですよ」
ふんと鼻を鳴らすリリアをユーイがたしなめるが、態度だけは変えられない。長年の友情が染みついているのもあるが、女にされたからといっても心まで変わる気はないという表れなのだ。エンディスが理解しているかは不明だが。
「これがオレなんで、直すとかは無理。というよりさあ、ユーイこそ畏まる必要なんかないだろ。なんかくすぐったいんだけど」
「いいえ。リリア様はエンディス様の――」
「ユーイ、その話はいい」
「なに……? オレはエンディスのなんだって?」
「それよりも、早く署名しろ」
「なんだよ、話してくれてもいいだろ。オレはお前のお蔭で身も心もボロボロなんだからなっ」
不満げな顔で睨む先、「リリア」と伸ばされた手が腕を掴み、引き寄せられた。強い力で。
「痛いっつの!」
「早くしろ。待つのはもううんざりだ」
「お前なんか嫌いだ」
「そうか」と睨むリリアの顎を掴むと、ふたたび唇を重ねる。引き剥がそうとすれば躯を反転され、背中から覆い被さる形となった。纏められた髪が頬をくすぐる。
「退けよ!」
「署名の手伝いだ」
ペンを握らせてきた手が重なり、署名欄へと導いていく。堪えようにも力の差は変えようがなく、難なく署名欄の真上へと運ばれてしまったようだ。
「いらねえよ! さっさと退け!」
眼下にある契約書には『リリア・エアリー(以下Aとする)はエンディス・クロージス(以下Bとする)の愛人となる』こと、『AはBのもとから二度と逃げない』こと、『AがBのもとから逃げた場合は家族を捕らえる』こと、『AはBに従う』こと、『AとBの間で結ばれる内容は増減する場合がある』ことなどが書かれている。頭が湧いているとしか思えない内容にリリアは震えだした。怒りで。
「なにが愛人だ! 誰が従うか! ふざけるのも大概にしろや!」
叫んで、その後の痛みに悶絶する。「ぐ、うぅ~~……」と丸まった背中から離れていくエンディスに睨みを利かせるが、事もなげに腹に手を回されて引き起こされた。
「無理をするな」
「無理をさせてるのは、お前だからな。他でもないお前なの」
「リリアが抗うからだ」
「抵抗するに決まってるだろ」
「リリア様」と手渡されたコップを口に運び、はあと一息つけば、「ん?」といまさら気がついた。裂傷を負った肩も足も痛くない。
「お前が治したのか?」
「なにをだ?」
「傷だよ、傷」
「当然だ。俺以外に誰がいる」
ふんと鼻を鳴らしたエンディスは剥き出しの肩を撫でる。いやらしく這う指にリリアは眉を顰め「やめろ」と手を払った。
「ミスロクがいるだろ」
「わざわざ触れさせるわけがないだろう。リリアは俺のものだからな」
「違うっつの」
「もう離せ」と腕を剥がそうとするが、対するエンディスは「無理な話だ」と顔を背けた。
「解った。署名するから離れろ。内容には目を瞑ってやるから感謝しろよ」
「リリアが話しの解る人間でありがたいよ」
声から察するに愉快げに目を細めたであろうエンディスにリリアは舌を打つ。自身の名前を殴り書きし、契約書を押しつけて布団に潜り直した。これ見よがしに。
「さっさと戻れよ。これ以上顔を見たくない」
契約書なら隙を見て破り捨てればいい。リリアはそう考え、いまは諦めたふりをする。
「
「お前なんか大嫌いだ!」
口端を上げたその顔に枕を投げつけて、リリアは布団ごと丸まった。はらはら涙を流しながら。
エンディスは笑いを噛み殺しながらも枕を拾い上げ、ユーイに手渡して部屋をあとにする。
閉まったドアからは音は聞こえはしないが、その実、エンディスはドアに凭れながら大笑いしていた。なんて可愛らしいんだと。
容姿に無頓着なリリアは知らない。自身の可憐さを。先にかけて緩やかな波状になっている柔らかな茶髪は指通りがよく、円らな茶色の瞳はどこか憂いを帯びているが、強い光が宿っている。小さな鼻の下にはぷっくりとした唇が備わり、まるでキスをせがんでいるように見えてしまう。なにもしていなくとも。抱きしめればすっぽりと収まる低い背も相まって、とても愛らしい。元が男だとは思えないほどに。
そうしたのは自身であるからこそ、リリアは憎しみを抱いたのだ。友情を壊した自分だからこそ。
愛を育て上げたいが、憎しみを向けられるのも悪くはない。その間は、リリアの瞳に自分だけが映るのだから――。
ひとしきり笑ったエンディスは、目尻に浮かぶ涙を拭うと執務室へと歩き出した。
あふれる思いを胸にして。