夜が来ないようにと願っていても、夜は来てしまう。毎度毎度、向こうから大手を振って。そうして、深く落とされていく。思考が鈍るほどの甘さに。引き締まった躯の『上』で――。
「あ……っ! ダメ、エンディスっ、動いたらっ……!」
この男にとっては、腕飾りが加わってからが本番だったようだ。そうとしか思えない。なにせ、首に腕を回したあとにこうして自由を奪われ、下から突き上げられているのだから。背中に爪を立てようが、声が渇れようが、離す気配がない。いまだって首筋や胸元を吸い上げては、何度目か解らないしるしを刻んでいる。色濃くなるしるしを。
「エンディス、エンディスっ、や……、嫌、もっ、濃くするのは……、やめて、ほし……。いっ、色が、紫に、なっていってる、から……」
「俺には紫に見えんな」
「や……、あ、ああっ……!」
見つめる先、浅いところを責めていた熱が奥へと穿たれ、リリアは躯を震わせる。願いも叶わず、ひゅっと息を漏らした唇も塞がれ、同時に責め立てられていく。頭を振ろうにも、有無を言わさない灰色の瞳がそれをさせない。拒絶をすればきっと、もっと酷く抱かれるであろうことが想像できたからだ。
くぐもる声だというのに、熱は引かずに溜まっていく一方である。脈打つ熱に乱されていく間に唇が離されれば、リリアはエンディスの首筋に顔を押しつけながらしがみついた。「ふぅうぅ!」と堪えるような声を漏らし、爪先を丸めて。
「リリア」
「エン、ディス、お願い……、少しでいいから、休ませてくれ」
余韻に浸る躯を掻き抱かれ、リリアは涙に濡れた顔のまま「ん……」と息を吐いた。熱の籠る息を。
「そんなに物欲しそうな顔をしているというのに、休みたいとは笑わせてくれる」
口端を上げながら自由を奪う腕飾りの魔法を解いたエンディスは、熱を埋めたままリリアをベッドへ誘っていく。「ひっ……!」と悲鳴にも似た嬌声とともに躯が仰け反る姿に、埋め込んだ熱が暴走をしかけた。いつものことながら、リリアの色香はすさまじい。
シーツを握りしめようとした手を取って恭しく口づければ、「……エンディス……」と涙声で小さく名前を呼ばれる。ここまでしてようやく、腕を払う気を失わせることに成功するのだ。強情さは夜も変わらない。
「愛してやまないのはお前だけだ」
名前を呼ばれる度に狂おしいぐらいに溢れる愛が、今日も理性を飛ばしていく。欠片もなく。加えて、恍惚とした顔を見せられれば、やめたくともやめられなくなる。もっとほしいと、求めてしまうのだ。リリアの負担になると解っていても、色香と可愛さには勝てなかった。自身に理性が戻るのは、侍従が飛び込む朝方になる。
「……エンディス様」
今日という日も、呆れたみっつの顔を見ることから始まるようだ。
□
「リリア様、お顔の色が優れないようですが、いかがなさいましたか?」
「……ああ……、寝かせてくれないからな……」
洗濯室と兼用である家事室で洗濯物を畳むリリアは、かけられた声にうんざりした顔になる。隣に立つマルカは心配そうな顔をしていたのだが、「まあ、けど、大丈夫だよ」との声にさらに表情を固くさせた。リリアの顔からしても、大丈夫には見えないからだ。
「しかし――」
人差し指がマルカの唇に添わされる。「寝かせてくれないだけだから」と小さく笑う姿に「……そうですか」と不承不承返した。畳み途中のシャツに皺を寄せながらも。
陵辱もつらいが、連日連夜の酔いごとも躯に応える。現に赤いしるしは減りはしないし、解放されるのは朝方であるので、睡眠時間に支障をきたしている。しかし、なんのかんのしつつも、こうして自由にさせてくれるのもあの男なのだ。
眠い目を擦りながら、振り分けられた洗濯物を半ばまで畳んだとき、リリアは「うん」と決意する。一度寝ようと。襲う眠気に勝てそうもなく、このままでは寝落ちにしかならない。
「ちょっと枕取ってくるな」
「枕ならわたしが――」
「大丈夫、自分で取りに行けるから。マルカはここにいてくれ。ふたりともいなくなったりしたら、ユーイとジルノが探しにくるだろ?」
眠気のためにふらふらとした足取りであるが、寝室から枕を抱えることに成功したようだ。外に繋がるドアから中庭に赴き、軽く埃を払ったベンチに横になり、夢に旅立ってどれくらいの時間が経っただろうか。「おい」とどこか怒りを滲ませた声がすぐそばから聞こえてくる。揺り動かされながら。
「外で寝るな」
「……エンディスが、寝かせてくれないから、だろ……」
声で誰かを判断したリリアは不満そうな声を返すが、その返答は「解った、そこまで言うのなら控えてやる」というどこか呆れを滲ませたような言葉だった。誰のせいでこうなったのかを問いただしたい衝動に駆られるが、眠気によりすぐさま萎んでいってしまう。いいことなのか悪いことなのかは解らないが、とにかくいまは眠たいに尽きる。
「だからな、リリア、よく聞け。俺以外に寝顔を晒すな」
「ユーイたちにしか、晒してないだろ……」
身勝手かつ言い含めるような声音に対し、ようやく薄目を開けたリリアは手を払うが、逆にその手を取られてしまった。どうやら目線を合わせるために屈んでいたようで、肩から垂れる髪が頬をくすぐっている。
「俺以外にと言っているだろ」
「お前のせいだって、言ってるの」
煩わしいと言いたげにふたたび手を払って背もたれ側に寝返りを打ったのはいいが、突如の浮遊感にリリアは「なに……?」と呟いた。強い眠気は驚きさえも掻き消すらしい。もちろん、驚きはしたが、口から漏れたのは淡々とした声だった。
「嫌と言っても運ぶぞ」
「好きにしたらいい……。エンディス、枕……、オレの枕、は、忘れるなよ」
「ああ」
横抱きにしたリリアは、無意識下で顔を擦りつけるようにしていた。おそらくは温もりに対してだろうが、頬が緩んでしまうのが解る。いつもは
マルカによって腹の上へとそっと乗せられた枕をそのままに、寝室まで運んだリリアを起こさないように慎重にベッドに置いて、掛け布団をかけてやれば一仕事は終わりを告げた。運ぶ間に寝息を立てられてしまったが、寝顔が見られたのでなんら文句もない。
「残りの洗濯物は俺が片づけておくから、心配するな」
頭を撫でる手を離すと、エンディスは踵を返して部屋をあとにする。しばらくは寝かせてやろう。それが、ここ連日の罪滅ぼしである。
□
「――起きたのか?」
目を覚ましたリリアが「ほわっ!?」と勢いよく起き上がれば、縁に座って本を読んでいたらしい顔が上げられた。ベッドの脇に置かれたサイドテーブルにあるランプだけが
「エンディス、ひとつ聞くけどな、
「いや、まだだ」
「はあっ!? まだって、なんだよそれ! なんで食わないんだよ!」
「リリアが寝ているからだろ」
「オレに転嫁すんな! ああもうっ、汗を流してくるからちょっと待ってろっ」
「準備なら俺がしておくぞ」
「なら、頼んだ!」
本を閉じて膝に置いたエンディスに軽く手を上げ、クローゼットに仕舞われた専用のローチェスト――整理タンスからタオル、肌着、着替えの三種類を取り出したリリアは部屋から飛び出して遅い入浴を済ませた。躯の方はきちんと拭いてはいるが、髪の方は軽く水分を拭っただけだ。あとは魔法で乾かせばいい。切り傷や擦り傷などの比較的小さい傷、そして髪を乾かすぐらいならリリアの魔力でも十二分であるのだから。
明るさを取り戻した部屋のなか、長い廊下のお蔭か少し冷えてしまった髪をタオルと魔法で乾かすとともに中央寄りに置かれたソファーの前、ローテーブルに並べられた夕食を眺めて目を丸くさせるのは当然であろう。チキンサンドと野菜くずのスープなのだから。一般的にチキンサンドと言えば、薄切りにして棒状に切った鶏肉と野菜に特性ソースをかけてパン――サンド系には食べごたえが十分な厚手のものが使われている――で挟んだものだが、それには文句はない。寄宿舎時代にもエンディスがよく作ってくれたものだ。作り方は少し違っており、鶏肉と野菜をソースで和えている。曰く、ソースが均等に混じるようにということらしい。だから味が濃くてうまいのかと納得したのが懐かしくあるが、いまはそれどころではない。
リリアは野菜くずのスープに頭を抱えていた。調理で出た欠片を煮込んだそれは使用人が口をつけるものだ。同じ調理人が手がけているので見た目以外に変わりはないのだが、王族と使用人が同じものを食べるわけにはいかないだろう。
「どうしてこれを持ってきたんだよ……」
「俺がかまわないからだ」
「オレがかまうんですけど! 使用人と同じものを食べる王族がいてたまるかよ! そんな王族がいたら寝首を取られるしかないっつの! だいたいな、口に合うわけないだろうが! 作り直してもらわないとっ」
おおかた、慌てる調理人を諌めたのだろうが、納得できるものではない。使用人はあくまでも使用人なのだ。立場を弁えるべき存在でもある。自分がそうであるように。この男のいる空間が特別なだけなのだから。
「リリア」と踵を返そうとするその腕を取ったエンディスは、自身の腕のなかへと閉じ込めてしまう。「なにすんだ! 離せ」と身じろぐリリアを「かまわないと言っている。この時間だ、作り直すのも手間になるだろう」と言い渡すが、当のリリアはいまだに渋い顔をしていた。「けどな」となにか言いたげな唇を手のひらで遮りつつ、「冷める前に食うのが礼儀だ」と手を離す。
一拍置いて嘆息を吐いたリリアは、「解ったよ、エンディスがいいならいいよ。食い慣れなくて腹壊してもオレは知らないけどな」とソファーにエンディスを導いていく。顔はまだ渋いが、無理矢理に飲み込んだのだろう。
「呆れるよ、本当に。お前のわがまま癖は直ってないんだな」
「誰がわがままだ。リリアの方がよほどだろうよ。俺はリリアと同じものでかまわないんだからな」
いやだから、と続けたい衝動は空腹に消されていった。どこの世界に使用人と同じものを食べる王子がいるのか教えてほしい。目の前にいるという現実は置いておいて。気がいいのは王子本人だけだというのに。周りの空気が重いことに気がついていないのなら、大したものだろう。悪い意味で。エンディスは空気の読めないバカ王子ではないはずなのだが、怪しいものになっていっている。
なぜ夕食を済ませなかったのかと、そればかりを考えながら黙々と夕食を口に運ぶリリアだが、「リリア、味はどうだ?」とふいにかけられた声に隣を見据えた。隣同士というのも、エンディスだから可能なことだ。
「うまいよ」
「そうか」
「そっちこそ、口に合うのか?」
「心配しなくとも大丈夫だ。問題なのは見た目だけで、味は変わらないしな。それに、こういうものは寄宿舎時代にもあっただろう?」
「言われればそうだったな。だから嫌悪はないと言いたいわけね」
「そういうことだ」
水を入れたグラスを片手にするエンディスはそれを
「ほら」と渡されたグラスをふたたび傾ける傍ら、エンディスは「肝心なことを伝えていなかったな」と思い出したように口を開いた。水差しをトレーに戻したのちになんなのかと首を傾げるリリアを眺めたあと、口端が上げられる。
「明日から――いや、日付が変わったのだから今日からだな。ダンスの特訓をしてもらう」
「は……? ダンスって、なんのダンスだ?」
「夜会に決まっているだろう」
「それとオレがなんの関係があるんだってことだよ」
訝しむリリアに「繋がりがなさそうに見えても、関係はある」と断言したエンディスは続けていく。
「この季節になると、叔母上からの招待状が届くんだ」
「ああ……、つまり、練習につき合えということか」
「当然だ。付き従うとは、そういう意味合いも含んでいる」
「なるほど。なら、ユーイたちも覚えたんだ?」
リリアは納得したようにひとり頷いているが、「ああ」と返したエンディスの表情は固い。覚えさせたのは事実であるのだが、ここにきてユーイたちの名が出るとは思わない。リリアの口から、自分以外の名が出るのはどうも気に入らなかった。「そうかー」とリリアだけは大きく頷いている。変わった空気に気づきもしないまま。
「解った。そういうことなら頑張って覚えるわ。でもな、小さなころから練習しているエンディスたちとは違っていまから覚えるんだから、下手でも笑うなよ?」
「笑うわけがないだろ」
「どうだか」
話を切り上げて夕食を再開するまでに、温かかったスープはすっかりぬるくなっていたようだ。飲みやすいのでこれはこれで問題はなかったが。
□
夜食もとい夕食を終えたあと、身繕いを整えて就寝し、朝を迎えた。ともにしたベッドにエンディスの姿はなかったが、いつものことだとリリアはまた顔を洗うことから始める。
エンディスが寝室兼私室に顔を出したのは、メイド服に着替えたあとであった。「来い」と腕を引かれて到着した場所は広間であり、開けたドアの先には三姉妹が佇んでいたようだ。ぐるりと見渡せば、壁際にはイスが何個か並べて置いてあり、中央寄りの位置には背の低いテーブルがあった。その上には立派な蓄音機が置かれており、どうやら準備が整っているらしい。イスは休憩用であろう。エンディスは「始めるぞ」と部屋の中央にリリアを導いていく。リリアはもう一度辺りを見渡したのち、「あれ?」と首を傾げた。
「講師はいないんだな」
「俺がいるなら講師は必要ない」
きっぱりと言い切ったエンディスに対して「そうか」と呆れたような目を向けるリリアである。向けられた方はさして気にする様子もなく、距離のあるユーイに向けて手を招いた。
「俺が女役をやる。リリアはよく見ておけ」
隣に立つユーイにそう告げるやいなや、恭しく手を取り、踊り始める。ジルノの手によりかけられた曲に合わせて。
ユーイは始めこそ緊張しているのか固い表情であったが、時間が経つにつれてエンディスともども優しげな表情になっていた。
――こんな顔もするのか。驚くと同時に胸がつきりと痛くなるのが不思議だ。だが、思い当たる節はある。自分に見せる表情とあまりにも違うからだろう。押し倒されたあとのことはあまり思い出したくはないのだが、甘さに流されているばかりでほとんど顔が見れないにしても、ベッドのなかでさえも眉間に皺を刻んでいることが多いというのに。羨ましい限りだ。この顔は甘すぎるのだから。自分ではないユーイだからこそだろうか。ユーイだから、優しくするのだろうか――。
「リリア」
「あ……、なに?」
「見ていないな?」
「そんなことはない、だろ?」
かけられた声にリリアは我に返るが、淀む思考はそのままだった。斜め後ろに立つユーイは心配そうに覗き込んでいる。エンディスに視線を戻せば、咎めるように「リリア」と口を開いた。見ているようでいて見ていないことが解るのはどうしてだろう。
「ごめんなさい。ちょっと考え事してたんだ」
「俺以外の誰を考える必要があるのか解らんな」
「あ……、わっ!? エンディスっ!」
機嫌を損ねられると分が悪いと正直に謝った結果、左手首を掴まれてしまう。眉間に皺を寄せた顔で。しかも、思いの外強く掴まれたらしい。骨が軋む感覚に「痛いって!」との抗議をしたが、聞き入れてはもらえずに背後に立たれてしまった。首筋が粟立つのは抱きしめられたお蔭だろうか。ベッドのなかだと錯覚してしまったというのか。
「な、なにをする気なんだよ、お前は……っ」
「見る気がないのなら実践しかないだろう。ユーイはそのまま男役を続けろ。ああ、いや、手を取る必要はない」
固唾を飲んだリリアの問いに返る言葉は、思いもよらないものだ。伸ばされたユーイの手は言葉通り寸前で下ろされ、「少し離れろ」との言葉にも一歩下がる。
「はえ?」と間抜けな声が出るのも道理であろう。『実践とはなんだ?』『この男はなにを言っているのだろうか?』と、一瞬だけだったが頭が真っ白になったのだから。「エンディス?」と震えた声とともに肩越しに振り返ったリリアの瞳は不安で揺れている。
「俺が後ろから指示を出す。動きを覚えろ、いいな」
その囁きに、リリアは「お、おおおう!」と裏返った声を出した。ふっと笑みを浮かべたエンディスは腹に回した手を解き、リリアの指に自身の指先を伸ばしていく。指先同士が触れた瞬間、リリアは肩を竦めたが、気づかないふりをしつつ強引に指先を重ねた。
「始めるぞ」
「よ、よし、こいっ!」
「なんだそれは」
「気合いを入れ直してるんだよ」
はーと短い息を吐いて緊張を解かした先、ふたたび「よしっ」と気合いを入れ直す。背後の気配に負けないように――。
夜会に合わせたゆったりとした曲がかかるとすぐに、エンディスはリリアを操った。指示を出すと言いつつも、一方的に引っ張られているだけだ。右へ左へ、果ては前へ後ろへ。ぐるぐる回る視界にもかかわらず、ユーイはきちんとついてくる。これが教えられた結果なのだろう。
曲が終わるとエンディスはリリアを離したが、離された本人は青い顔をして壁に凭れている。口元に手を添えて。
「うぇえ……」
「吐きそうか?」
「そこまでは、いってないから、大丈夫……。ちょっと気持ち悪く、なっただけだし……」
「そうか」
隣に並ぶ必要があるのかいまいち解らないが、左隣に立つエンディスは前に向き直った。
「休んだあとはまた特訓に戻るぞ」
「りょーかい」
「次からは飲み物を用意しよう。喉が乾くだろう?」
「ああ、まあ、少し」
その会話だけで、マルカとジルノのふたりは「では、用意させていただきますね」と部屋をあとにする。少しして戻ってきたが、マルカの手には水差しと人数分のグラスが乗せられたトレー、ジルノの手には中央に鎮座しているであろう大きさのテーブルがあった。曰く、『客間用のを拝借してきました』らしい。
「そうか。邪魔にならないよう端に置いておけ」
顎で示された先、イスの横へと置かれれば、特訓が再開された。振動のお蔭か、水差しのなかの氷が高い音を上げる。小さくも涼しげに。季節的には涼しいはずだというのに、最近は暑い日が続いていたのだ。昼から夜にかけての気温差があまりないという日が。王族が快適に過ごせるようにと王城全体に魔法がかけられているので、この城にいる限りは季節は関係ないかもしれない。
「――逆だ」
「え、あ……」
首筋から熱くなる躯を冷やすいい案はないかと考えていたリリアであるが、踊りながらでは考えがうまく纏まらず、結局「ごめん」と謝罪を口にした。
「ユーイ、少し前――……、そうだな、三ステップ前から頼む」
「はい」
「やり直しだ」
「はい……」
嫌みたらしい言い方にリリアは思考を切り替え、踊りに専念することにする。ただでさえ初めてのことなのだから、覚えなくては特訓になるまい。ふたつ同時になにかをすることは難しいと、痛いほどに感じた。
□
特訓を始めてから月の半分ほどが過ぎたが、エンディスは変わらずにリリアを求めている。深夜という闇のなかで。
くたくたになったとしても、治癒魔法という万能薬で疲労を消し去るのだから質が悪い。何度も「やめろ」「嫌だ」と抗議をしようが、「俺がすることは俺が決める」の一点張りである。そして抗議をした暁には、必要以上に甘さを植えつけられるのだ。背後から覆い被さる獣となって。
「あ、あ……っ! や、だっ! や……!」
「嫌なわりに食らいついて離さないと、何度言ったら解るんだ」
腰使いがいっそう激しくなると、腕飾りが淡い光を放つ。それは魔法の発動を成しており、シーツを握りしめる両手首がひとつになった。反動でシーツが軽く持ち上げられ、皺が深まるのもかまわないようである。
「あ、んっ! そこ、も、や……っ!」
「リリアはここが弱いのか?」
「ひっ、あ、あっ……! しらなっ、い! ん、ん……、あん!」
囁きに必死に頭を振ってはいるが、弱いところを擦る度に躯が跳ねるらしい。エンディスはエンディスで、今日は理性を保つようにと
□
一通りの形になってきたと胸を張るようになったのは、残りの月が過ぎて新たな月に差し掛かったころである。いつからか特訓は朝だけになっており、昼からは身の回りの世話に勤しむのが日課になっていた。もちろん、洗濯を終えればユーイたちと復習を欠かしていないのだが、磨かれた床と自然に晒された土や芝生、石畳では感覚が違う。晴れた空の下で踊ることは気持ちがよかったが。
「ここは逆の足が出そうになるんだよなー」
「自分の動きだけではなく相手の動きも覚えれば、自然と躯が動くようになりますよ」
「えー、いまさら言われてもなあ」
「いまからでも間に合いますから」と返されたが、果たしてそうだろうかと考えてしまう。ここまで来るのに月を越してしまったというのに、相手の動きも覚えることができるのだろうか。自分より物覚えがいいユーイたちだからこそ、できた芸当ではないだろうか。自分より秀でているから、彼女たちはエンディスに信頼されている。だから『頼む』とのひとことがあるのだ。返して自分は、信頼されていないからひどいことをされるのだろう。忙しさに溜まった憂さを晴らすのにちょうどいいと。
歴然とした差に気がつけば、胸がつきつきと痛み出す。顔を伏せれば、「リリア様?」と心配そうな声が届いた。耳の近くで。ユーイのことだ、顔を覗き込もうとしているのだろう。だが、いまはこの顔を見せるわけにはいかない。
悔しさに涙が浮かんだ顔なんて、見せられない。
「なにをしている?」
「――っ!?」
背後から声をかけられては驚くほかないだろう。弾かれたように顔を上げた――上げてしまったリリアは、次いで、片腕で涙を拭った。それこそ乱暴に。目の当たりにしたユーイはエンディスとリリアを交互に見遣る。エンディスはいまだに眉間に皺を寄せたままであるが、動こうとはしていない。どうやらことのなりゆきを見ているようだ。
慌てながらも「どうされましたか?」と口を開こうとしたユーイだが、リリアの方から「ちょっと疲れたから、休むな」と小さく笑って肩から手を外した。そこでようやく、エンディスはリリアを引き寄せる。距離を取れとでも言いたげに。
――ああ、そうか。エンディスの行動原理はそういうことか。
『そう』だと納得したリリアは、もう一度小さく笑んだ。今度は自嘲するかのように。
それほどまでに近づいてほしくないというのか。触れてほしくないと言いたいのか。――大切だから。守りたいから。
自分は『身代わり』なのだ。大切なユーイを壊すことなく守るための代わりにしかすぎない。自身を女にしてまでも代わりがほしかったのだろう。それほどまてに欲したのだ。身勝手な男は、恋だけには奥手だったようである。
「なにがあった? ユーイたちがお前を泣かすとは思わないが――、泣かされたか?」
「違うよ……。あくびしただけだから。ほら、大あくびするところなんて見たくないだろ? はしたないし」
涙が浮かんだ理由としては適当であろう。そくざに誤魔化せる自分に驚くと同時に胸を撫で下ろす。これならなにも言われまいとして。しかし、肩越しに振り返るのはおそるおそるだ。やはりと言うべきか、納得していない顔があったが、この男のこういう顔はいつものことだ。これが自分が見る顔。自分に見せる顔。これ以外になにを見るというのか解らない。
「俺はそうは思わん」
「お前が思わなくても、気分が悪くなる人もいるの。解ったら離せよ」
「解らんから離せん」
「ああ……、そうですか」
このわからず屋めと言いたげに深い溜め息を吐いた一瞬のちに、「俺の問いに答えることができたら離してやる」と囁かれた。考えを読むのはやめてほしいが、培った友情は簡単に消えるものではないらしい。
「と、問いって、なんだよ?」
「なにをしていた?」
「ダンスの復習だけど……?」
「必要があるのか?」
「と言われましても、必要だとしか答えられませんが」
そこで舌を打つ必要こそあるのだろうか――。間近で聞こえた舌打ちにリリアは訝しげな顔になり、エンディスの方は「あるわけないだろう」と否定の言葉を吐き捨てる。
「そんなわけあるか」と返そうと口を開く前より早く、「俺以外との復習は必要ない。あるわけがない。認めることはできん」と続けられた言葉には、唖然とするしかない。ユーイたちとの復習は空いた時間を煩わすのはいかがなものかと考えた末なのだから。
「いや、お前忙しいだろうが」
「忙しいのは兄上だ! 俺は、手を貸しているだけであって、それが終わればたいていは暇なんだ」
慌てる声のあとに咳を払うのは落ち着こうとしているからであろう。
エンディス本人は『暇だ』と言っているが、そういうものなのだろうか。端から見ていると忙しなく動き回っているというのに。
「――そういうもんなの?」
「そういうものだ。解ったのなら、これからは俺を呼べ」
「おー、解った解った、解りました」
「そうか」
不機嫌そうな声は理解を示したとたんに和らぎ、腹に回した手も離れていく。が、すぐさま指先に触れてきた。
「――さっそくだが、復習を始めるぞ」
「……暇なのか」
「そうだが、なにも問題はないだろう」
呆れたリリアだが、目の前にある困ったように笑う顔に身を任せることにした。いままで見なかった顔に免じて。
少々戸惑ってしまった自分に目を瞑りつつも。
□
もはや対面形式――夜会のように向き合って踊る――となった特訓と復習を重ね、エンディスたちのように完璧とまではいかないもののお墨付きをいただいたのは月の終わりの週の始めである。
――『なぜ自分が身代わりなのか』という疑問は尽きないが、答えは決まっていた。ユーイと仲がいいから。それに尽きる。そういう経緯から自身が選ばれたのだ。契約書や腕飾りで縛りつけてでも役割を果たせということなのだろう。
だから自分は、まっとうしなければならない。気づかないうちに胸が痛もうが、どんなことがあろうが、用済みだと言われるまで。
「リリア、目を閉じるな」
「な、で……、も、それ、嫌、なのにっ」
「嫌という顔ではないな」
「あ……っ! ん、んぅ……!」
塞がれた唇も、なかを穿つ熱も、ときおり困ったように笑う顔も、日を追うごとになぜだか優しく感じる。だが、それは自分に向けられたものではない。その都度立場を認識しなければ、縋りつきそうになる。
どうして『身代わり』だと気づいてしまったのか。どうして芽生えた思いに気づいてしまったのか。
叶わないのなら、いっそ壊してほしい。なにも解らなくなるまで。そうすれば胸が痛むことも、あふれる思いに泣きそうになることも、ふたりにじれったくなることもなくなるのに。なくなればいいのに。
それでも、友人同士なのだから恋を応援してやりたいとも思うのだ。なにか手助けをしてやりたいと。そう思うのに、邪魔をしてくる。蓋をしたい感情が、囁いてくる。『本当に?』と、何度も何度も。応援をしたら、手助けをしたら、どうなるだろう。
両思いになったら、仲睦まじい姿を見ていられるだろうか。思いを閉じ込めることができるだろうか。そんな考えが過ってしまうのだ。女々しいほどに。
恋をしたことがないわけではないというのに、ここまで苦しむとは思わなかった。淡い片思いが一番楽だったと身を持って知ってしまった。こんなに焦がれる恋をしたことなんてなかったから。
腕のなかで果てた自分を見下ろす瞳は、どんな色をしているだろうか。滲む視界では解らない。いや、解らない方が身のためかもしれない。きっと、冷めた目で見下ろしているのだから。
――抱いた自分と焦がれる相手の隔たりに気がついて。
どんな感情かは解らないが、渦巻くそれに躯の芯から冷えていくことだろう。自分がそうであるように。
戻れない時間はこうして過ぎていく。
明日も、変わらずに。