※この作品はR-18です。

試製・転生請負トラッカー日月抄~撥ね殺すのがお仕事DEATH~【18禁版】   作:珍歩意地郎_四五四五

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いつのまにか!100万字突破です!(マジ卍……古。

これで折り返しですかねぇ……あとは陰惨な疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)となります。
しかし!こと珍歩の作品に関しては、最後は大団円で終わりますので、
精鋭読者の皆様におかれましては、どうかラストまでお付き合い頂きたく。

※携帯でお読み頂いている方は、画面を横モードにしていただくと嬉しいです。


第52話:たのしい我が家

 * * *

 

 明くる日の土曜。

 

 不安な夢から覚めてみると、仮眠室にはオレ一人となっていた。

 地下室特有の重苦しい空気をすかして時計を見れば、もう0900を回っている。

 動くのがおっくうだったが、盛大に鳴った腹にあと押しされ、オレは毛布をはねのけた。

 二段ベッドから降りるとき、うっかり携帯をおとしてしまう。あぶねぇ!と仮眠室のスリッパから靴に履きかえながら、待ち伏せのために切っておいた電源を入れてみると、メールと不在着信の嵐。

 

 そのほとんどが美香子。次いで詩愛。

 どういうワケか童貞の『フクロウ』からも二件入っていた。

 仮眠室よこの洗面台には束でアメニティーが備え付けられている。

 むかし、会社員時代フロアに泊まり込んだ時を思い出し、なんとなく憂鬱に。

 それでも封をやぶって箱からラフに洗面具を振りだすと、顔を洗い、歯を磨いてヒゲをそり、どうにかサッパリして1日を始める気持ちとなる。

 

 ホントは風呂にも入りたいんだがな……。

 

 事業所の大浴場は、どういうわけか長いこと閉鎖されていた。

 ヌルヌルしたシャワールームで寝汗を流そうかと思ったが、それならもうしばらく我慢してスーパー銭湯に行った方が精神衛生上、よさそうだった。

 

 オレは1Fまで上がると社屋を出て、バス停へとむかう。

 あいにくの曇り空で、蒸し暑い空気に首もとのベタつきが増した。

 携帯の予報を呼び出してみれば、どうも夜は突発的な雨がふるらしい。

 また美香子から着信。なにかハナシがメンド臭くなりそうなのでシカトする。

 

 と──背後からクラクション。

 

 ビクリ!はね上がって振りかえれば、見覚えのあるトラックがモーター音を殺して背後をとっているのだった。悔しい反面、お見事というほかはない。ちょっと転生処置されるターゲットを味わった気分。

 ひそかに「キル・マーク」を兼ねる正面の模様で、だれのトラックか分かった。かつての重サンとも親しく、オレが“おサル”のジョージに撃たれた時にも助けてくれた、ペテルブルグ産の転生屋だ。

 

 車外に装備された防水スピーカーから、

 

『よぅ、マイケル──上がりかィ』

「フィヨードルさん……ヤだなぁ、脅かしッこナシですよ」

 

 ヘッヘッヘ、と古びたスピーカーから笑いが漏れる。

 

『寮に帰(けぇ)るンか?』

「いえ、とりあえずインター近くのスーパー銭湯へ……」

『ちょうど良い──乗りねェ。送ってってやるヨ』

 

 【ボニー】よりよっぽど流(・)ち(・)ょ(・)う(・)な日本語で(もっともヤツの場合は多少演技クサくはあったが)“歴殺”の勇者フィヨードルが自分のトラックにさそう。

 

「やりィ、ありがたい!」

 

 助手席のドアをあけ「ウンセ!」と乗りこむ。

 とたん、タバコと何日も着替えていない体の脂の臭いが襲ってきた。

 エアコンはヤニ臭い空気をふきだし、どことなくホコリっぽさすら感じる。

 

 ──おぇっぷ。これ……肺病になるんじゃ?

 

 おまけに、運転席まわり以外のキャビン・エリアはモノが散乱して目も当てられない。

 コンビニ総菜パンの包装ビニールやタバコの空き箱。助手席に座るのさえ、競馬新聞と週間マンガ誌の束ををどけなくてはならないありさま。

 

「クセェだろ──え?」

 

 こちらの表情を読んだのか、初老──とは言わないまでも“後期中年”男のフィヨードルは、どこかオーソン・ウェルズに似たヒゲづらをニヤリとさせた。

 

『ホラ、ご覧なさい』

 

 柔らかい女の声が、とがめるようにして、

 

『だからいつも整理をしておきなさいと、言ってるじゃありませんか』

「【ミツコ】、お前ぇはしばらくダマってろ」

 

 フィヨードルはコンソールを操作してAIを沈黙させる。

 

「だがョ?この臭さも、一種の戦法なんだ」

 

 助手席のドアをしめると、さすがにオレはウィンドーを少し下げて空気を入れた。

 

「──戦法?」

 

 フィヨードルは水中花が握りとなっているシフトノブを動かした。

 ゴクン!とギアが噛みあい、トラックはゆっくりと動き出す。

 レースの日よけ。革巻きハンドル。天井のシャンデリア。

 そう──まるでキャビンの中は一昔前のデコトラだ。

 バック・モニターから下がる水晶の数珠がウザい。

 

「……戦法って、どんなヤツなんです?」

 

 フフン、とヒゲ面のしたり顔。

 

「警察がナ?このトラックを怪しんで運転席にのぼったとするだろ?」

「はぁ」

「したっけ(そうすると)、この臭いに帰(けぇ)辟易して、とおり一遍の捜査で終わる。長年の修羅場をくぐった経験のタマものサ」

「ふぅぬ……そんなもんスか」

「ところでそっちァ、ウワサじゃ最近、調子イイようじゃねェか」

「……なんの話です?」

「トボけんナ。連続して3人屠(ほふ)ったってェ?」

「あぁ、その件ですか」

 

 いまだ!とオレは精一杯のさりげなさを装いつつ、あえてゆっくりとした口調で

 

「昨夜の張り込みで4人目をネラったんですが……ほかのトラックに出し抜かれましたよ」

「出し抜かれた……ダレだぃ?横取りしたヤツぁ」

「それが分かれば苦労しません。センターに問い合わせても社内規定がどうとかで」

「プ!バカだなぁ。そんなコトで問い合わせたのか」

 

 フィヨードルはお局サマと同じような反応で、

 

「センターは、俺もレッカー手配するくらいしか使わねぇよ──あんな役立たず部署」

 

 会話が逸れかかるの察したオレは、あわてて話題を引きもどして、

 

「ほら。幾晩もネバったすえ横合いからカッ浚(さら)われ「転生処置終了」じゃ、やってられませんて」

「それ、ホントにウチのトラックなのかァ?」

 

 うさんくさげなフィヨードル。

 ムッとしたオレは、声をいくぶん高めて、

 

「センターは処置をしたドライバーの管轄すら、教えてもらえませんでした」

「ワぁったよ……まぁ、べつに違法ってワケじゃねぇからなぁ。ただチィッとばかり、仁義を欠くってだけで」

「に、したってですよ?挨拶のひとことぐらい、あってもイイはずです!」

 

 まぁな、とフィヨードルはシフトノブを動かし、入りの悪そうな4速に。ウィンド・ウォッシャー液とワイパーを使い、土曜の午前中にしては微妙な混み具合となっている産業道路の光景を拭う。

 

「でも、昨日の今日だろォ?まだ時間がそれほど経ってねぇ。それに……」

「それに?」

「殺ったのは、例の“黒いヤツ”かもしれねぇ……」

 

 ──あ……。

 

 言われてみれば、確かに。

 あの豪雨の夜が、鮮やかによみがえる。

 雨をすかし、ジッとこちらを伺うような気配。

 雷光の中、まるで黒いヒョウのようにうずくまっていたトラック。

 今にして思えば、あれはひと思いにオレも処分しようかという視線だったようにも。

 

 ──いや……やはり違うな。

 

 考えてみれば、ヤツは転生スコアまで横取りはしなかった。

 逆にこちらに加算したところをみると、やはり協会の一部勢力なんだろう。

 

「あの、ですね──」

 

 オレは紫電のイメージが色濃くのこる、あの雷雨の深夜をフィヨードルに話して聞かせた。

 

 見慣れないラジエター・グリル……。

 昭和チックな、二連の丸目ライト……。

 使い込んだ感じがする金属のボデー……。

 

 聞き終わった歴殺の勇者はAIを復帰させると、運転をまかせ、腕組みで考える風。

 ややあって、このウクライナ生まれのレスラー体型な男は汚いヒゲ面をしかめ、

 

「やっぱり得体(えたい)がしれねぇな……オレたちとは別の行動系が存在するってワケか」

「黒いトラックは六道ビル──“第三会館”の勢力かも?」

 

 よく知ってるな、と言わんばかりの目がこちらを向いた。

 タバコ臭いため息を相手は漏らして、

 

「……ありえるぜ。実際オレたち古参グループも、転生協会の全体図は知らねぇコトが多い」

「そういえば。重サンって……いまどうなっているのかな」

「ナンだぁ?シゲの野郎のコトなんか聞いて、どうすンだよ」

「いや。第三会館で思い出しただけ。ヘタ打ったドライバーは、どうなるのかなと」

「さぁて──なァ」

 

 フィヨードルはトラックの運行をAIから取りもどし、

 

「リタイヤしたドライバーは退職金と年金の割り増しをもらって引退するが、ヘマをしたヤツぁ……それなりの手当しかもらえンだろなァ」

「フィヨードルさんは、将来設計とかあるの?」

「フン……いまどき退職金と年金だけじゃ心もとねェし。工事現場で誘導の赤灯でも振るハメになるのかな」

 

 まさに、そのとき。

 

 陥没した路面を舗装するため車線が規制され、渋滞する車列は一本に合流する。

 合流部分でLEDの赤灯を振っているのは、ブカブカの制服を着たジィさんだった。

 蒸し暑い曇天のもと、乾いた目つきで車列を誘導するソレは、日に焼けたミイラのような印象で……。

 

 

「……」

 

 ヒンヤリとしたキャビンのなかを、しばらく沈黙が支配する。

 そのとき、二人の歴殺屋にとって思うところはたぶん同じだったろう。

 疲れた手つきで誘導灯をふる老人と、フロントガラスごしに見下ろすオレだち。

 おそらくは、互いに自分の行く末を、未来を、そこに重ね合わせていたに違いない。

 それが証拠に、フィヨードルは薄くなった己(おのれ)の頭をボリボリと掻いてから短く息をつき、

 

「……将来のこたァ、お前ぇも考えといたほうがイイぞ?」

「将来、ですって?」

「副業するとか。女ァ見つけて、家庭つくるとか」

「家庭ねぇ。そういうフィヨードルさんは、どうなんです?」

「おれかァ?おれァ……もうダメさ」

 

 規制がおわり、車線がひろがったおり、いきなり前に割りこんできた落ち葉マークの軽自動車に、景気よくホーンを浴びせつつ、

 

「故郷(クニ)のドタバタで、親類も女房も、みィんな亡くし了(ちま)った。いまさらドウコウするつもりァねェよ。ありがてェコトに、この国は平和だし、ここで静かに死んでくサ……ケドお前ぇはちがう。マダマダ“これから”の人間だ。老いこむにァ、チトはやい」

「そんな。オr……わたしだって、もうヤキが回ってますよ」

「バカいえ!」

 

 フィヨードルは大きくハンドルを切り、直進車をやりすごしつつ交差点を右折しながら、

 

「年齢がヒトを老いこませるンじゃねぇ。『理想を喪(うしな)ったとき、初めてヒトは老いるのである』……だっけか。もう忘れた」

「だれの言葉です、ソレ」

「ん~~ピカソ、だったか?これでもピーチェル(サンクトベテルブルグ)の美術大学に在籍(いた)んだぜ?油絵を描いてた」

 

 ──へぇっ!?

 

 オレはヒゲ面な横顔をマジマジと見る。

 とてもとても。そんな気配は感じなかった。

 

 さっきいきなり北海道弁が出たことから、どうせ親族を無くして自棄(ヤケ)になり、ペテルブルグでワルさをして警察に追われたあげくウラジヴォストークまで逃のびて、そこでマフィアのコネでも使い“荒ごと”を兼ねる中古車マフィア業にでもなったと思ってた。しまいにはそこも足がつき、北海道まで“高飛び”してこの職に紛れこんだ……と踏んだのだが。

 

「……それが、なんでこんなトコに?」

「言ったろ?この平和ボケした国に居たんじゃ想像もつかねぇコトが、イロイロあったんだ」

 

 やっぱり犯罪か?と思いつつ、まさか真正面からは聞けないので、

 

「そのぅ……画のモチーフは、何でした?」

「前衛だよ。主流からハズれてたから、教授(ジジィ)たちからは嫌われてたな……っと、着いたゼ」

 

 見れば、『湯』とあるデカデカとした看板のよこに、歴殺トラックは横付けとなっていた。

 残念。このロシアの“美術家くずれ”のハナシを、もっと聞きたかったのに。

 

 助手席のドアをあけると、ムワッとした熱い空気が襲ってきた。

 オレは『新ロシア・アヴァンギャルド』の旗手になりそこねた男を振りかえり、

 

「こんど、ペテルブルグ時代のハナシを聞きたいな」

「あぁ。機会があったらな」

 

 “後期中年”男はソッ気ない。

 あきらかに話す気などない姿勢だ。

 

「あ、それと──」

「ナンだぃ、まだナンかあンのかィ?」

「オr……わたしの獲物を横取りしたヤツのこと、何か分かったら教えてくれるとうれしい」

 

 ワぁった、と今度は実のある返事を相手は返す。

 

「それはコッチも興味ある。コリンズたちにも聞いといてやるよ。そんなコトよりも、だ」

 

 オレが歩道に降り、助手席のドアを閉めようとしたとき、フィヨードルは、

 

「よぉマイケル。お前ぇは、ハヤいとこ家庭を持ちな?おれのようにナっちゃぁ、イケねぇぜ?」

「家庭……ねぇ」

「帰る場所があるってのは、イイもんだゼ?」

「──考えときますよ」

 

 そう言って、オレは重いドアを閉める。

 

 フィヨードルのトラックは、一昔前のガソリン・ジェネレータのにおいを残し、一度ハデに身ぶるいすると、騒々しくスーパー銭湯の前の車道を遠ざかっていった。

 

 

  * * *

 

 ──家庭……ねェ。

 

 AMとはいえ土曜日のせいか、スーパー銭湯はそこそこ混んでいた。

 

 冷水風呂から子供の嬌声。

 年金暮らしのジジィが唸(うな)る、アヒルが絞め殺されるような詩吟(しぎん)。

 そんな騒がしい中でも、オレの耳には、あの言葉が耳について離れない。

 

 『おれのようになっちゃイケねぇぜ』

 

 温度が高めの風呂に浸かっていていると、失敗した昔の結婚生活が思いだされる。

 思い出したくもない、奇声を上げたくなるような記憶が堂々巡りに。

 オレは立ち上がると「かけ水」もせず冷水風呂に飛び込んだ。

 

『帰る場所があるってのは、イイもんだ……』

 

 フィヨードルの声は、どこまでも追いかけてきた。

 帰る場所。喪った自分の寮。

 そう。これからオレは「ナゾの地図」をたよりに“帰る場所”を探しに行かねばならない。

 

 ──せっかく仕事がひとくぎりついたのに……

 

 銭湯を出て。

 休日の人出でにぎわう電車に乗り。

 ターミナル駅のコンコースを行き交う雑踏にまぎれた。

 さらに路線を乗りかえ、申請用の運賃を確認しつつ目的の駅につく。

 先ほどより外はいっそう蒸し暑く、上空の雲は、さらにアヤしくなっていた。

 呼びだした携帯の天気予報は「曇り」マークで、雨が降るのは夜半となっていたが。

 

 オレは美香子の便箋を手に、いまにも雨が降りそうな街を歩きだす。

 携帯に地図をうかべると、駅の反対側は商業施設があるらしい。だが、こちら側の出口はおもに住宅街らしく、ぜんたいに静かな雰囲気となっていた。

 

 ──えぇと……なんだって?

 

 駅前から延びる、一方通行の道を逆行してゆくと……。

 なるホド。前かごに空き缶が満載となったサビだらけの放置自転車。

 その「ト」の字型分かれ路を右に。しばらくゆくと、たしかに赤ポストが。

 今ではほとんど見なくなった、鋳物製のなつかしい“郵〒便”となったタイプだ。

 

 ──そして、つぎが難物だぞオイ……。

 

 ナンだよ“地域ネコ”って。

 顔半分に黒ブチのある、不機嫌な顔をした白ネコ。

 オレはあたりを見回すが、そんなものどこにも居やしない。

 だいたい可動目標を目印にするってナンなの?バカなの?死ぬの?

 と、ワケのわからん地図をひねくり、あれこれイライラ考えていたときだ。

 

 ポツリ、とインクをにじませて便箋にしずくが。

 

 えっ!と見上げる額に、またポツリ。

 たちまち雨脚は強まり、あたりの緑と土を香らせ驟雨(しゅうう)となる。

 

 ──うわわわっ!

 

 たまらず細い横道を走りだした。

 バタバタと何人か、影のような人とすれちがう。

 みな天気予報を信じ、傘を持たず手ぶらで外出たらしい。

 さらに、この季節にしては冷たい風まで吹き、雨は横なぐりとなる。

 空き缶が騒々しく路を走ってゆき、何かのチラシが宙を舞ってふきつけた。

 

 たまらず、三叉路に建っていた廃屋らしいガレージの下に駆け込むと──いたァ!

 

 雨の当たらないブロック塀のうえに、イラストとそっくりな、顔半面が黒ブチの白ネコが。

 風がつよくなり、塀の上にも飛沫(しぶ)いてくると、ネコはヒラリ、首に巻かれた鈴をチリリと鳴らし飛び降りて、オレの足もとで一声。きわめて小さく、慎ましやかに啼(な)いた。

 

 ──なるほど……地域ネコだ。

 

 人慣れしているナァと、こちらが片膝立ちにしゃがみ込む。

 すると、濡れていない太ももに飛びのぼり、頭をむやみにスリつける仕草。

 となると……この三叉路が、目的地への最後の分岐のようだ。

 イラストに描かれたボロ屋敷めいたものは、これらしい。

 

 みょうにツヤツヤと毛並みの良い身体をなで、ゴロゴロと彼女(雌ネコだった)の喉をならしているウチに雨脚は弱まってくる。冷たい突風も収まり、あれほどドンヨリとしていた雲に切れ間が出はじめ、そこから陽が射してきた。温度もふたたびグングンとあがり、濡れたアスファルトから立ち昇る湿気ともあいまって、もと以上の蒸し暑さに。

 

 白ネコは、サッサとオレの膝をおり、ウンと背のび。

 振り向いてミャン♪と小さく一声、置き土産(みやげ)に。

 次いで鈴を鳴らし、どこへともなく消える。

 それを見送り、立ち上がったとき。

 

 ──お……っと。

 

 一瞬、オレの視界がフラついた。

 つづいて妙な脱力感が雨上がりの空から。

 あのネコめ。見かけよりずいぶん重かったらしい。

 オレは廃屋をでると、早くも陽光がまぶしい路を歩き出す。

 

 多少クシャクシャになった花柄の便箋をたよりに三叉路を左へ少しばかり歩くと、鉄のフェンスがつづく路となった。そのむこう側は一面に芝の植わった公園。よくみれば、それは高級マンションの敷地で、贅沢にも占有のスペースらしい。東屋で雨宿りしていた人々が、なごやかに談笑しながら陽の当たる芝生へと出てきた──みんないい服を着てやがる。

 

 ──ッち……ブルジョワが。

 

 ねたみ半分な横目でにらみつつ歩いてゆくと、そのマンションの正面エントランスで地図は終わっていた。

 見上げれば、専有面積の大きそうな低層マンションが雲間からもれる光の斜線を背景にそびえている。

 

 ──マジ……かよ。

 

 ブルジョワがと毒づいた舌の根も乾かぬうちに、まさか自分がそこの住人?

 イヤイヤイヤ。ホントにそうなのか?と、オレは自分を引きしめる。

 

 あまりにハナシが美味すぎた。

 かりにそうだとしても、まず部屋の番号が分からない。

 

 両開き自動ドアのエントランスに恐るおそる入ってみれば、そこは大理石をふんだんに使った天井の高い空間。床に埋め込まれた真鍮の文様や、壁際に置かれた大きな生け花。

 黒い大理石(なめいし)で造られた長いフロント・デスクには、首にパピヨン結びでスカーフを巻いて紺のスーツを着た中年婦人のコンシェルジュが、六道ビルの受付を思わせるうわべだけの笑みでニコやかに。

 そして、営業スマイルを保ったまま、

 

「失礼ですが──お部屋番号を、お伺いしても宜(よろ)しいですか?」

「あ?あぁ、すいません、ちょっと待って」

 

 不審者と思われるのもシャクなので、しかたなくオレは美香子からの着信履歴におりかえす。

 

『ご主人サマぁ!』

 

 相変わらずのクソでか声が、携帯の奥からやってきた。

 とたんにコワばる中年婦人の笑み。

 

『ドコドコ!どこにいますのォ~?美月のオマンコは、もう濡れヌr──』

 

 ピッ。

 オレは携帯を切った。

 

 そして一転、チベットスナギツネのような顔つきになったオバさんコンシェルジュの冷ややかな視線に背中を射られながら広いエントランスの片すみに行くと、コソコソ電話をかけなおす。

 

『ひどぉ~い、なんで切るんですのォ?』

「バッ、馬鹿ッ!人が居たんだヒトが!!」

『いがいと世間体、気にするンですねェ?いまドコですのォ~~?』

「オマエの!このワケ分からんクソ地図たよりに歩いてきたら、やたら高級そうなマンションに辿りついちまったぞ!なんだコレ!」

 

 エッ!エッ!ウソぉ~?と美香子のおどろく声。

 

『じゃ、もう下にいるんですのォ?』

「うッ……じゃ、ヤッパこのマンションで正解なワケか」

『えぇぇぇ。くる途中で連絡入れてもらうように、ワザとわかりにくくしたのにぃ』

「なにぃー!?」

 

 まさか。

 こいつ、そんな小狡(ズル)い知恵を。

 

『まだお迎えの準備が出来てないンですのよぉ?』

「どうでもイイが……なんじゃい、そのクソむかつくしゃべり方は」

『え。だってお店で「もっと品よく話せ」ってチーフから“指導”が入ったんだモン』

(……美ぃチャ~ン、どなたとお話してるのぉ~?)

 

 受話側の奥で、詩愛らしき声が遠くからきこえた。

 

『るッ、サイわねぇ!ダレだってイイでしょ!?』

「ホラ、言ってるそばから!品よく品よく!」

『やぁん……だってぇ……』

「わたしの荷物は、みんなそこにあるんだな?」

『うん……段ボールから、まだ出してないけど』

「わかった。とりあえず部屋番号だ。番号を教えてくれ」

『じゃぁ、10分後に電話するね?』

「え、ちょっ──」

 

 終話のサイン。

 

 ……まじかぁ。

 オレはエントランス前に据えられた等身大オーナメントの天使と顔を見合わせた。

 見事な翼。優雅なローブのひだ。「……大変そうですね」と同情するような微笑。

 腕の時計を見て、10分たっても連絡は無かった。もうお昼だ。

 東屋で雨宿りをしていた“ファミパ”(ファミリー・パーティー)階級のハイソな連中が、談笑しながら帰ってきた。

 

 ご婦人方の高そうなブラウス。

 蝶ネクタイやサスペンダー・半ズボンの男児たち。

 避暑地向けの軽やかなサマー・ドレスをひらめかせる女児たち。

 ベンガルらしき大型ネコを抱えた男は、白いスーツなんか着てやがる。

 一瞬、19世紀は植民地時代のコート・ダジュールに迷い込んだかと思うほど。

 

 集団は、入り口(エントランス)に立つオレをうさんくさげに、それでも礼儀正しく会釈をして通り過ぎる。

 

 これは仕方がない。

 

 いま着ているジャケットは、リーマン時代のサマースーツを流用したモノだ。

 営業マンの夏用スーツなんて、2~3シーズンで使い捨てにするものだし、おまけに連夜の待ち伏せでヨレヨレになっている。自分たちのテリトリーに、異物がはいってきたと認識されても、文句は言えなかった。

 

 一団がヒソヒソと通りすぎ、エレベーターに乗って姿を消す。

 しばらく経ったころ。大きなフランス窓から外を見ていたオレの背後で、またエレベータの開く気配。エントランスにカツカツとヒールの音が響いた。フロントの婦人コンシェルジュが実に愛想のいい声で、

 

「あぁ──鷺ノ内さま!ごきげんよう。これからお出かけですか?」

 

 ふり向くと詩愛が、白いブラウスに裾の広がった黒いスカート。胸もとにエンジのネクタイを締め、複雑な表情(かお)をして磨かれた大理石の床をカツカツと歩いてくるところだった。

 シルク、またはサテンの煌(キラ)めきを魅(み)せるブラウスは、胸もとにプリーツが幾条も奔(はし)り、彼女の胸の大きさを強調して。そう──これは童貞を殺すブラウスだ。

 

 ──童貞なんか悪いコトした……? 

 

 と思うまもなく、詩愛はオレのほうに歩み寄り、

 

「あぁ、マイケルさん……このたびは何と言ったらいいか」

 

 受付の婦人コンシェルジュの顔が、こんどはワオキツネザルのような驚き顔に変化する。

 

「……鷺ノ内さま!その方、貴女のお知り合いで?」

「えぇ。私の部屋の、もう一人の主ですわ」

 

 あいかわらずコンシェルジュの用心深そうな顔つきが解けないので、オレはリーマン時代を思い出しながら折り目ただしく一礼してみせる。

 

「どうも。こんな作業着の格好で驚かせてしまい、汗顔の至りに存じます……」

 

 こちらのトーンと物腰に、ようやく相手も警戒を解いたものか、営業スマイルがもどってきた。

 

「まぁ。鷺の内さんのお知り合いとは存じ上げなかったものですから……たいへん失礼致しました」

「さ──いきましょ」

 

 詩愛はオレをうながし、やはりコンシェルジュに一礼して、口を開け待っていたエレベータに乗り込むと「閉」のボタンを押し、カードキーを認証口にかざした。

 かろやかに扉が閉まるのを待ってから彼女は、

 

「ほんとうに……このたびは何ていったらよろしいのやら……」

「いや、驚きましたよ」

 

 オレもさすがに不満をこめて、

 

「寮に帰ったら、部屋の中がカラっぽじゃないですか」

「父のしわざですわ……」

 

 エレベータのなかで彼女は「はぁッ」とため息をついた。

 白光沢のブラウスが身じろぎをしたとき、彼女の髪の香りが、かすかに。

 

「いちど『こうだ!』と決めたら、テコでも言うこと聞かないんですよ?」

「失礼ながら。お母さま、昔からご苦労なさったのでは?」

「……母は、それこそ昔かたぎのヒトですから。もう慣れたそうです。ほんとうにゴメンなさい。巻き込むような形になってしまって……」

 

 まぁまぁ、とオレは取りなすように、

 

「唯一こまったのは、ここに来るまでの道でしたね。まるで暗号のような地図でしたから」

「えぇっ!?」

 

 詩愛は目を丸くした。

 

「わたし。扉の内側に住所と部屋番号を書いたメモを貼っておきましたが……」

 

 オレは可能な限り、記憶をたどってみる。

 いや、そんなモノは見当たらなかったぞ?

 

「見かけなかったなぁ……代わりに美月、いや美香子クンのこんなメモが」

 

 オレはポケットからシワになった便箋を取り出し、彼女に見せた。

 

「……あのコだわ」

 

 詩愛のつぶやきで、そうかと遅ればせながら合点がいく。

 時間稼ぎに暗号めいたメモを残したのだ。“正解”が扉に貼ってあったのでは、その目的が果たせない。

 

 Gも揺れも感じないエレベーターは12回──つまり最上階のランプを点け、緩やかにひらいた。

 

 模造の石畳敷きとなった広い通路が、目の前に延々とひろがる。

 だが各部屋の入り口は、アルコーブ奥にあるのか、直接にはうかがえない。

 その代わりには、専用門扉(プライベートポーチ)の柵らしき鍛鉄細工の黒いゲートが、等間隔で並んでいる。

 壁には、ヨーロッパの街灯を思わせるホヤのついた照明。広い、静謐(せいひつ)ともいえる無音の空間。

 

 通路をすすみ、よその家の前を通ったとき。うむむとオレはうなった。

 

 ──なんちう……ゼイタクな作りだよ……。

 

 ヨーロッパの城を思わせるたいそうな格子をすかして奥をうかがえば、そこは優に8畳はあろうかというスペース。ほんとうの玄関扉は、その柵を開いて“小さな前庭”といっても良いポーチの奥にある。しかも大型家具の搬入に便利なよう、玄関の扉は両開きとなっているのだ。オレは恐るおそる、

 

「これ……賃貸?」

「さぁ。わたしも詳しくはは聞いてませんの」

 

 さすがお嬢様。こんなところにノホホンとしてこだわらない。

 これ、分譲だとしたら1億や2億の物件じゃないぞ。

 賃貸だとしたら、月にいくら取られるやら。

 

 いちばん奥まった場所まで歩き、柵の掛けがねを外し、ポーチに入った。

 床には人工芝と飛び石が模してあり、そこを詩愛は先にすすむ。

 

「さ──コチラになります……」

 

 彼女がカードをかざして縦長のドア・バーを引きあけようとしたとき。

 ガチャリ!開いたドアは、内側からかけられたチェーン・ロックで止まった。

 

「ま。あのコったらチェーンなんかかけて。ナニやってるのよもぅ……」

 

 詩愛は扉に付いている獅子が輪を咥えたドアノッカーを鳴らした。

 細く開かれたドアのすきまからからチャイムの音がもれる。

 しもじものマンションにある「ピンポーン」ではない。

 なにやら緩やかな鐘めいた、しずかな響きだ。

 

 ハぁ~ィ!と奥からドタドタ元気にに走り寄る足おと。

 やがてチェーンが外れ、扉の片側が細くひらいた。

 詩愛が玄関の中をのぞきこみ、

 

「美(み)ぃ~ちゃん、チェーンなんか掛けてナニやってるの?」

「え?だって、ぶっそ~な世の中だモン。よォ~じん、しないと」

 

 そして、ふふっと妙なふくみ笑いをもらし、

 

「ご主人サマ、いる?」

「マイケルさんなら居るわよォ、ココに。それになぁに?その格好」

 

 扉がおそるおそる開かれ、小動物のように顔をのぞかせる美香子。

 どういうワケか、営業用とみえる豊かな金髪ウィッグすがた。

 なぜか彼女は、オレのステンカラー・コートを着ている。

 ふいにその顔はニマリ、『美月』の面差しに変わった。

 

「さ!入って、はいってぇ~♪」

「美ぃちゃんナンなの?あの便箋は」

 

「マイケルさん困ってたじゃないの──私のメモは?」

「どっか行っちゃった」

「あのねぇ!」

 

 手を引かれて入った玄関にもウッとなる。

 

 大理石の三和土(たたき)。

 そこにはブーツ・キーパーに下げられた美香子のロング。

 品の良い黒のフェラガモやシャネルの靴は、詩愛のものだろう。

 デカいウォークイン・クローゼットに、何足入るんだよという靴箱。

 ドタ靴を脱ぐのがはすかしくなる。まてよ?靴下に穴は開いてなかったよな……?

 

 リビングに案内されたオレは(……うげぇ)と絶句する。 

 とにかく調度品がスゴかった。いちいち挙げてゆくのが面倒になるほど。

 

「どうしたの?コレ。ここの備品?」

「それが……」

 

 困惑顔で詩愛が美香子を見た。

 

「すこし前までは、マイケルさんのお荷物だけだったんですよ?それが、わたしが仕事から帰ってきたら、いきなりこんな御殿みたいになってて……」

「美つ……美香子、どーしたんだコレ」

「お店から借りた」

 

 シレっと美香子は言ってのける。

 

「お店って……美ぃちゃん。まさかあの?」

 

 サロメにレズられた記憶を思い出したのか、詩愛の眉がひそめられる。

 

「そ。『紅いウサギ』(お店)のお抱えコーディネーターさんに中を見てもらって、必要な家具を倉庫にあった予備品から持ってきてもらったの。そんなコトより──」

 

 来てきて、と美香子はオレの手を引っ張った。

 

「美ぃチャンたら……」

 

 背後で詩愛のあきれ声。

 コトコトと足音をたて、オレの手を引き歩いてゆく。

 なんだ?と見れば、彼女はピンクのトウ・シューズを履いている。

 引っ張られるまま間取りの奥に行くと、美香子は一つの部屋の扉をあけた。

 

「見て!ココがアタシたちの──愛の巣よッ!」

 

 ふり向いたときに顔にかかったウェーブの金髪を払い、勝利宣言めく声音で。

 そしてフンス!とコートをまとう姿のまま、腰に手をあてて。

 

 おそらく……。

 

 こんどはオレが、チベットスナギツネの顔になっていたに違いない。

 重々しい遮光カーテンの閉められた広い寝室の中央には、キングサイズのデカいダブルベッド。

 しかも大仰な天蓋(やね)と重々しい釣帳(カーテン)のついた豪勢なものだった。

 

 ──ふぇぇぇ……。

 

 おまけに紫で統一された高価(たか)そうな寝具は、どこかエロティックな艶(ツヤ)と照りを魅せて。

 ベッドの両サイドに立てられるコッタポールスタンドや、片すみの化粧机。

 模様の細かいペルシャ絨毯と、古めかしい什器などが、おとぎ話の挿絵めいて。 

 

 目の前の巨大なベッドに威圧されていると、背後で衣(きぬ)ずれの気配。

 ややあって、すこし照れたような甘え声が、

 

「ご主人サマぁ……どうぞご覧に……なってぇ?」

 

 ふり向いて眼をむいた。

 

 シミ一つない、じゅうぶん発育した裸体(はだか)。

 そこに幾重にも巻かれた、幅広なピンクのリボン。

 まるでマンガに出てくるアブない服のように、彼女の胴をめぐって。

 おそらく強制的にエロボディ改造されたのだろうが、いまは全体が整った印象。

 乳首と“おまた”は際どく覆われるが、股間から下がるリング・ピアスは隠しきれていない。

 さすがに彼女も恥ずかしいのか、紅潮した面に上目づかいで媚びるような視線。

 目を細め、やや肥大化したくちびるの上側を、これ見よがしに舐めて。

 豊胸された胸を覆(おおう)うリボンをズラせば乳首の飾り輪(ピアス)。

 細腰を、豊尻を。淫らに、扇情的にくねらせ、

 

 コロコロ♪……コロコロコロ♪

 

 不思議な電子音が、彼女の腹部からこもった音で淫猥(みだら)な寝室に響きわたる。

 継いで、やおら後ろを向き「失礼します」と尻たぶを開いて突き出せば、

 ピンク色をした肛門には、太いプラグ。その尾部にはアナル・ジュエリー。

 やがてそのプラグが『ブブブブブ!』と、くねりながら振動をはじめる。

 左右の小陰唇に並ぶリング・ピアスの列から、ツツ……と糸を引く輝き……。

 

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