※この作品はR-18です。

試製・転生請負トラッカー日月抄~撥ね殺すのがお仕事DEATH~【18禁版】   作:珍歩意地郎_四五四五

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“なごみ回”はもう少しだけ続きます。

しかし年明けから休日出勤の嵐という……。


第57話:アイツが中々帰らない

 『美月』……もとい、美香子を“紅いウサギ”に預け、一週間がたった。

 

 ──今日も、連絡はナシ、か……。

 

 毎日、携帯をのぞくが、画面は空しい。

 あの中年女医の約束とはうらはらに、なかなか彼女は帰ってこないのだ。

 退院したというメールや、現状をしらせる通話すらない。店でウェイターをしている『フクロウ』にも聞いてみるが“裏”のことなのでサッパリ情報が回ってこないという。

 もしや……また、ナニやら淫(みだ)らな改造施術をされているのでは……と、気が気ではないが、とりあえずあの中年女医とチーフレディの『麗華』を信じて待つほかはない。

 

 対して、オレの仕事の方は、すこぶる順調だった。

 月曜日の朝会で手柄をカッさらわれたことに“イタチ面(づら)”からイヤ味を言われるものの、返す刀で火、木と新たに割り振られた2件の転生処置をソッコーで成功させ、ヤツの鼻をあかしたのだ。

 

 一人は、40人が犠牲になりつつも“責任能力”の問題で無罪になった放火魔。

 もう一人は、ロンドンの一角で嘱託殺人を行ない、日本に逃げてきたロシア人。

 

 ラッキーだった。

 

 二件とも深夜に張りこみをしていたら、偶然にも目の前を通りかかる“棚ぼた処分”だ。

 いきなりセンサーに反応が現れた時のオレの焦りっぷりときたら。いま思い出しても恥ずかしい。

 

「もッ、目標!──目標でたぞ【ボニー】!捕獲ワイヤー射出ッ!」

『捕獲ワイヤー射出、サー』

 

 ワイヤーとは名ばかりな例の黒い触手。

 たちまちトラックの下部から奔(はし)りでるや、目標の足に、胴に、首に。

 ムチのごとく巻きつき、絡み、悲鳴ひとつあげる余裕も与えず強引にたぐり込む。

 

 そして……。

 

 ボリボリボリ……ゴリゴリゴリ。

 なんど聞いても慣れない、咀嚼音(そしゃくおん)めくイヤな音。そして振動。

 最後に(……ボフッ、)とゲップを想わせるような排気音ひとつ。

 

 転生先を示すビジョンも、今回は早かった。

 

 一人は熱風にまみれての釜焚き。

 どこかのボイラー施設だろうか?上半身裸で足首をクサリでつながれ、シャベルを使って石炭のような固形燃料を炉(ファーネス)にくべている。

 そしてもう一人は、豪雪地帯での獣飼いに転生していた。

 

「なんだココ?……まるでフィンランドみたいだな」

『前の転生者が送られた集熱地獄もそうですが、時間軸、世界軸、ともにわたくしたちの事象面とは不連続な“ねじれの位置”にある世界です』

「ふぅん……」

 

 粉雪が吹きこむ半ば壊れかけた、いかにも貧しい家。そこを根城に、見たことも無い三本角を持つ6本脚の獣を、粉雪舞い散るクソ寒そうな曇天の下、ボロをまとい何十頭も放牧するのは、いかにも辛(ツラ)そうだ。

 

「おまけにこの畜生、国際政治がらみだったらしいぜ」

『そういえば、インセンティブが不思議なほど高(たこ)ぅございましたねぇ……』

 

 なんでもSVR?(ロシア対外情報庁)とやらの関係だと、あとで聞いた。転生執行をすませ事業所に帰庫(かえ)ったとき、所長から「夜道には気をつけろよ?」なんで冗談まじりに言われたり。ンなものもっと早く言えと。怖(お)っかねぇ。

 

 そして金曜日の今日は、あらたに割り振られた目標が住む“ヤサ”(ねぐら)の下見と、執行場所の偵察・選定。そして[CLOSE]と札のかかる『BAR1918』の軽い監視で終わった。

 ドレッドの一味は、相変わらず姿を見せない。だが高飛(たかと)びの気配は無かった。それが証拠に店の窓に下がるブラインドの位置が、毎回変わっている……。

 

 トラックを営業所の地下大車庫にもどし、もろもろの手続きをへて退社。バス→電車と乗り継いで、あてがわれた分不相応なマンションに帰る……。

 ざっとこれが、ここ数日中の動きだ。まぁまぁ、順風というところか。

 

 大仰なエントランスホールをとおり、フロントのコンシェルジュに挨拶して、微妙な視線を背中に浴びつつエレベーター・ホールへ。ゲートを幾つもくぐり、マンションにあるまじき贅沢なポーチを通ってドアをあける。

 

 とたん、玄関の明るい光と料理の温かい匂い。

 生気のある雰囲気。陽気な、明るい人生の気配。

 離婚いらい、ひさしく肌に経験しなかった感覚だ。

 

「ただいまぁ……っと」

 

 これも久しぶりの習慣だった。  

 バラバラな帰宅時間となっているオレだが、とくに早く帰れたときは、かならずそう言うようにと、詩愛から特に念を押されている。

 

「──おかえりなさい」

 

 奥からパタパタ、スリッパを鳴らし現れるエプロン姿。

 満面の笑みは、向けられるこちらが面映ゆくなってしまうほど。

 

「よかった、きょうは早かったんですのね?」

「うん。仕事が──まぁまぁ上手くいって、ね」

「お疲れさま。お風呂わいてますよ?サッパリしてからゴハンにしましょうね」

 

 帰った部屋に誰かがいる事は、ものすごい違和感だった。正直いまでも、それは慣れない。

 なによりこのマンションの豪華すぎる内装がおちつかず、ちっとも“自分の部屋”に帰ってきた気がしないのだ。脱衣所で、ロココ文様の縁どりがある洗面台に自分の姿が映り込むのを見ると、金持ちの老人と年の差婚した若妻のもとに、コッソリ忍び込む間男の役回りになったような。

 

 ──このバスルームだって、そうさ……。

 

 金彩の入ったウェッジウッドのティーカップめくデカいバスタブ。

 女神が肩に担いだツボから水が出るデザインのシャワーヘッド。

 その他いちいち凝(こ)った趣味な意匠が、どうにも落ち着かない。

 

 バスルームから出ると、新品とみえる藍染めの浴衣と下着が用意されていた。

 脱衣かごに脱ぎ散らかした汗まみれのシャツや下着は、その脇でうなる洗濯機の中だろう。 そういえばオレの衣装ダンスの下着類は、いつのまにかパンツがいちいちイモのように丸められ、引き出しの中に整列してたっけ。

 

 頭をバスタオルでふきふきリビングに入ると、キッチンから出てきた詩愛が、

 

「あらァ♪よかった──サイズもピッタリですわね」

「わざわざ買ってくれたのか?かかった費用、出すよ」

「そんな。わたしからの、ささやかなプレゼントですわ」

 

 詩愛はウキウキした調子でアイランド型キッチンを回り込む。

 彼女はココから勤め先に通勤するようになって以来、たまに夕食の時間が合うと顔をほころばせ、対面型のキッチンをいそがしげに動き回り、いかにも楽しげなオーラを全身から出して夕飯の準備をしてくれる。その姿が、いかにもけ(・)な(・)げ(・)というか、何というか。

 

「お夕飯、もうすぐできるから……

      待ってて下さいね?……あなた」

 

 ──これだよ……。

 

 最近はドサクサにまぎれ、コチラを主人(アナタ)呼ばわりしてくるので、ますます気が抜けない。なにやら、だんだんと輪索(ワナ)が締まってくるような……。

 

「……なんです?ジロジロと、そんな」

 

 対面型キッチンなため、マジマジと彼女を見ているのがバレてしまい、

 

「わたしがお料理するのが、そんなにめずらしいですか」

「いやァ、その……」

 

 先日、『麗華』を相手にしたときの感覚がフイと通りすぎ、口を動かした。

 

「カワイイな、って」

「──まっ!」

 

 彼女は口のはしを強ばらせるや、ぐるり!しばらく包丁を握ったまま後ろを向く。

 しばらくそのまま。ややあってから、みょうにカタい顔でコチラにむきなおると、つっけんどんに、

 

「さいきん、マイケルさんお酒を飲みすぎですよ!?いくら仕事でお疲れとはいえ、すこし控えて頂かないと……」

「うぅ。唯一の楽しみなんだから、おおめに看てくれよぅ」

「……まぁイイですけど」

 

 そう言って、彼女は昭和のオヤジが晩酌をするような瓶ビールと簡単な酒肴(さかな)を、ダイニング・テーブルに座ったオレの目の前におき、

 

「わたしの幸せは!貴方の健康にかかってるンですからね?」

 

 そういうや、ツンとすまし台所作業にもどってコトつく鍋の具合をみたりする。

 しかし……そのくちびるの端に浮かびかかる“嬉し笑み”は、隠すべくもない。

 

 と、まぁ万事こんな調子なので、一時はココから“紅いウサギ”にバイト出勤していた『フクロウ』さえも変に遠慮してしまい、部屋に荷物を、そして玄関ポーチに折りたたみ自転車を置き去りにしたまま、どうやら店の男子寮からバイトに通っているらしい。

 この場に美香子でも居てくれたら「ご主人サマ」だの「メス奴隷」だのと頭パーなセリフを連発して、あやしげな“ニセ新婚”の雰囲気を蹴ちらし、シリアスになりかかる空気を和ませてくれるのだろうが……。

 

「はい、今日はお魚のムニエルですよ。DHAとか摂りませんと」

 

 メインディッシュがならび、広いダイニング・テーブルで晩メシとなる。

 場が持たないので“ターフェル・ムジーク”などを寮から持ってきたコンポで小さめにかけ

 https://www.youtube.com/watch?v=oo4l9B59bVE

 向かい合わせに食事をしていると、なんとなく詩愛が、

 

「テーブルに……お花がほしいですわね。こんど買ってきましょう」

「花瓶なんて、ウチにあるのか?」

 

 ──う。

 

 この億ションを“ウチ”なんて言ってしまった。

 しょせん借り物なのに、なにソノ気になってるんだオレは。

 だが彼女は、そんなことを気にかけるふうもなく、

 

「なんか美香子がお店からギリシャの風味な壺をもらってきましたわ?」

 

 詩愛はそういうやリビングからしばらく姿を消したが、やがて大ぶりな壺を抱えて戻ってきた。

 

「ほら──コレですわ」

 

 よく見れば古代ギリシャの赤絵式と見える見事な壺だ。

 精密に割れを修復した跡があり、その存在感たるや中々のシロモノ。

 アホな観光客をカモるための、現地のレプリカだろうか?仕上げも凝っている。

 だがこのアルカイック(古拙)な迫力は、どうだ?いくら精巧に模倣しても、ここまでは……。

 

「うぇ……これ、もしかしてホンモノじゃないの?」

「本物、って“お宝”ってコト?やだ。さっきお水入れて漏れないか確認しちゃいました」

「あの店はオソろしいほど金あるからなぁ」

「ときどき、勧誘のメールがありますわ?フロアレディにならないか、って」

「はぁ?誰から」

「採用担当とかいう部署からです。失礼しちゃうわ?水商売の婦(オンナ)になれだなンて!」

 

 そう言って、彼女は空になったオレのグラスにビールを注ぐ。

 

「あ──そうだ、思い出した」

「……なんです?」

「美香子のヤツ、オレのシャンパングラスをあの部屋に置きっぱにしたんだ。ホラ、あのヘンな置き手紙の文鎮代わりにしやがって。時間があったら、取りに行かなきゃ」

「まぁ!……あの娘ったら」

 

 フォークを置いて口を拭き、彼女もちょっと憤慨したように、

 

「わたしの手紙も、ゴミ箱に棄てたらしいですわ?ちゃんとマイケルさんに、この場所と部屋番号を書いておいたのに。“アナタ”ったら、電話にもメールにも出ないんですもの……」

 

 ──そう……。

 

 そのときは、ちょうど目標を待ち伏せしている最中だったのだ。

 転生処分実行中は、個人携帯など危なくてONにしておけない。

 オレからスコアを横取りしやがったドライバーは一体誰なのか。

 月曜の朝会で。地下車庫の整備員に。知り合いのドライバーに。

 それとなく当たってはみるが、いまだに情報は得られていない。

 ヒョッとすると、処分したのは本当にあの黒いトラックなのか。

 

「──イケルさん……アナタ……アナタ!」

 

 気がつけば、詩愛が呼んでいた。

 

「う。あぁ?」

「どうなさったの?そんなヘビみたいな、コワい顔なさって。イヤですよ?」

「あぁ……スマんスマん。ちょっと仕事でね」

「そうそう!コワイといえば」

 

 ポン、詩愛は手を合わせ、

 

「だいぶ前なんですけど、夜に引っ越し元のお部屋へお邪魔するとき、駅からずっと尾行(つけ)られたことがあったんです」

「……いつの話?」

「ですからだいぶ前ですわ?背中にハデな刺繍の入った、テカテカする薄手のジャンパー着て、夜道をずっと後ろから」

「偶然、ってコトは?」

「携帯を見るフリして思い切って立ち止まったら、向こうも立ち止まるんですのよ?」

「あぶないことするなぁ……早くオレ、私に言ってくれれば良かったのに」

「そのときはお留守でしたもの。お知らせする機会を失っちゃって……危ないから、もう来るなって言われるのもイヤだったし……」

 

 また妙な雰囲気になり、ダイニングテーブルをはさんで二人ともうつむいてしまう。

 オレは手酌(てじゃく)でコップにビールを注ごうとするが、もう空だった。

 

「あ、あたらしいのを持ってきますね?」

 

 巨大な冷蔵庫のほうに向かう彼女の背中にむかい、

 

「どんなヤツだった?」

「……暗くてよく分かりませんでしたわ?それに……もう怖くて思い出したくもないくらい」

「で、どうやって振り切ったんだ?」

「もとのお部屋の建物についたころは、居なくなってました」

 

 本当に尾行だったのかァ?と念を押したかったが、遠慮する。

 

「若いヤツ?それとも中年……」

「申したとおり派手なジャンパー着てましたから、たぶん若いヒトじゃないかしら。暗かったし、うつむいてて、顔はよく見えなかったの」

「それでよく背中の刺繍が見えたな?」

「立ち止まってふり向いたとき、むこうも街灯の下で背中を向けたから。きっと顔を見られるのがイヤだったのね……そうそう、思い出したわ?なんかこう、背が小さくてヒョロッとした印象でした……」

 

 ふぅぬ、とオレは腕組みをした。

 あの辺りでチカンが出た、なんてウワサは聞かなかった。

 まぁ、詩愛の顔つき、体つきでは、ストーカーが出てもおかしくはない。

 

「そのあとは携帯で会話するフリして歩いてましたけど、本当に怖かったんですのよ?」

 

 華奢な手で、危なっかしげにビールの栓が抜かれ、グラスに注がれる。

 顔を近づけたとき、フワッと彼女の匂い。

 陽気な泡がムクムクとたち、剣呑な夜道のイメージを祓(はら)った。

 

「でもホント、コッチに移ってきて良かったわ?」

 

 彼女はホッとしたように豪勢なダイニングをみわたして、

 

「駅からの路は明るいし“フラット・アプローチ(平坦)”だし。それに防犯対策がシッカリしてるから、変なヒトは入ってこないし。監視カメラや、ゲートもいっぱいあるから、コ(・)コ(・)は(・)要(・)塞(・)よ!?」

「はい伏線キマシター!」

「……え?」

「いやなに、コッチのはなし」

「ヤですねぇ……それになんといってもキッチンが電化じゃないことね!」

 

 フンス!と彼女はガッツポーズ。

 

「強火力のバーナーもあるので、炒めモノがはかどるわぁ……」

「きみ、料理上手いよなぁ……今日のムニエルや野菜スープだって、なかなかのモンだ。料理教室にでも通ったのかぃ?」

「お母さまに教えていただいたのも多いですけど、道場伍二郎(みちばごじろう)先生に教えて頂いたのも大きいですわ」

「げッ!まさかあの“和食の巨人”の?」

「お父さまが、先生のお店を新しくするときに、かなりの額を無利子で融資したとか」

 

 歳にしては異様に意思が堅固な、あの白髪の男。

 いったいどこまで“力”を持っているんだか。

 そう考えると、この超・豪華なマンションが、あらためてあの男のオリという気がする。

 どうにか逃げ出す方法はないかな、とオレは苦いビールをすすった。

 

 

 ****

 

 

 明くる日の午後。

 

 その日も、よく晴れた夏空だった。

 彼方では壮大な入道雲がムクムクと沸き立っている。

 天気予報は、突発的なゲリラ豪雨を予想していた。もうこの国は熱帯だぜ。

 

 オレはグラスを回収するため、仕事のあいまを見て今まで住んでいた寮に向かった。

 エレベーターのない、古いマンションの階段をヒーコラのぼり、ようやく元の部屋まで。

 高台から望む見なれた街の景色は、すでにどこかよそよそしい。一週間チョイしか留守にしていなかったが、心的には早くも懐かしさが漂っているのを、オレは自分のなかに発見する。

 

 古びた鉄製のドアを開けたとき、蒸されたような生活臭をともなう熱気が、ムワッと押し寄せてきた。そして勝手知ったる中に入ったときの、驚きのせ(・)ま(・)さ(・)!

 

 ──あれ……この部屋って、こんなに小さかったっけ。

 

 今まで住んでいた部屋が、なにかハムスターの檻(ケージ)めいた圧迫感でオレにせまってきた。

 ドアが、か(・)ま(・)ち(・)が。いちいち狭苦しいのが腹立たしい。

 あらためて今住む億ションのデカさを実感せざるを得ない。

 

 見捨てられた場所の空気を嗅ぎつつ、オレはリビングの床にグラスをさがす。

 しかし──見当たらない。

 

 ──おっかしいな……たしか手紙を取り上げて、グラスはそのままにしたはず。

 

 暑い。

 

 クーラーをかけようかとも思うが、すでに自分の部屋ではないので電気代が気になった。 

 とりあえずあちこちの窓を全開にして、風通しを良くするとだいぶマシに。

 廃品回収の軽トラが流すノンビリしたアナウンス。

 となりのギシアン部屋からと思われる風鈴の音。

 なにより、今を盛りとする蝉(セミ)の啼き声。

 

 思えばこの部屋には、NTR離婚して以来の悲憤(かなしみ)と怨嗟(うらみ)、転生業を始めたときの後悔、そしてなにより転生幇助とはいえ“人を殺した”恐怖が染みついているのだ。もっと早くに引っ越しすべきだったのかもしれない。

 

 ハクショッ!盛大にくしゃみをした。

 畜生、だれかウワサしてやがるな?『詩愛』か『フクロウ』か。ひょっとして『小男』かもしれない……などと考えていると、

 

 ピンポーン。

 

 安っぽい部屋のチャイムが鳴った。

 ヨーロッパの鐘が鳴るような、いまのマンションとは大違い。

 どうしようか、シカトしようかと考えてると、もう一度チャイムが。

 

 経年のため黄ばんだインターホンに向かい、しかたなく通話ボタンを押すと

 

「はい──どちらさま?」

『あのォ……603号室のものなんスけど』

 

 603号。

 なんだ、隣のギシアン若夫婦の部屋だ。

 なんだか声がハッキリしなくてききとりづらい。

 今住むマンションの映像つきインターホンとは雲泥の差だ。

 

「はい、ギシア……いやいや、何のご用で?」

『そのぅ……引っ越しをしたンスよね?』

「そうですが?」

『どこへ引っ越したが、教えてもらえマスか?』

 

 はぁ!?とオレの声が大きくなった。

 同時に、とうぜんのことながら警戒心がうまれる。

 なんでオレの引っ越し先を、このギシアン若夫婦が知りたがるんだ?

 

「……なんで、そんなことを聞くんです?」

『オレも聞かれたンすよ!ドコいったか調べとけ、って!』

 

 いきなり相手はキレた。

 なんだコイツ。こちらも少なからずイラッとする。

 玄関に隠しておいた戦闘用ナイフがあれば、脅かしてダマらせたんだが。

 なにやら傭兵魂がうごめく気配。自分のものでない闘争本能がメラメラと燃えて。

 

「聞かれたってェ?──だれにだよ」

『オレも知らねェよ!アンタがらみのヤツじゃないンかィ!あぁ!?』

 

 ガン!

 

 入り口のドアが蹴られた気配。

 カッ!と“俺”の頭に電気が奔った。

 体中の血管を怒りが逆流し、目がチカチカ。

 味方から誤射された時のように身体がゾワゾワする。

 

「上等だ、この野郎!ちょっとそこで待ってろギシアン野郎が!!」

 

 オレは足音も荒く玄関に向かうと戦闘を予想し、靴をはいてドアを蹴り開けた。

 

「──クソがぁ!」

 

 ドガン!と勢いよく開いたドアが、何かにぶつかり跳ねかえる。

 

 柔らかいものがコンクリの廊下に倒れる音。

 それにも関係なく、手前ェこの野郎!と外に出れば……。

 顔中に湿布や絆創膏を巻いた茶髪の男が、鼻を押さえてあおむけに倒れていた。

 

「貴様ァ!立てよ……このブタ野郎が!!」

 

 こちらの剣幕にビビッたのか、相手は仰向けのままあとずさる。

 

「毎晩、毎晩ギシアンしやがって──“俺”の引っ越し先がどうしたってェ!?」

「いやその……」

 

 相手は鼻の具合を気にしつつ立ち上がると、はじめの勢いはどこへやら、聞き取りづらいモガモガ声で

 

「聞かれたンすよ……ヘンな半グレみたいなヤツが来て……」

「あぁ!?それで」

「ドコいったか知らねェかって……俺が知るかよっ、てというと……」」

 

 そう言って、このギシアン野郎は自分の顔を示した。

 

「こんな風に……ボコボコにしやがって……」

 

 グスッと涙ぐむギシアン夫。

 俺の中の闘争本能が急速に冷えてゆき、代わって氷のような冷静さがもどってきた。

 

「……どんなヤツだった?」

「オレより若ェガキっスよ。スカジャン着てて」

 

 ──スカジャン?

 

 “背中にハデな刺繍の入ったペラペラのジャンパー着て──”

 

 詩愛は、確かそう言ってなかったか。まさか、同一人物?

 ギシアン男の腫れあがった顔を差し引いても、コイツは20代前半だろう。

 すると、相手は10代、か……?

 

「ほかに──特徴は?」

「ねぇっスよ。どこにも居るイキったガキで……」

「よォく思い出してみろ!」

「ねぇッス!金髪にソフト・モヒカンな頭してて……」

「ホラみろ!あるじゃねぇか。ほかには!」

「あ!アゴがちょっとヘンだったっス。すこし骨がひ(・)し(・)ゃ(・)げ(・)て(・)る(・)ような……」

 

 それ以上は、いくら脅してもスカしても、ギシアン夫からは聞き出せなかった。

 オレはノロノロと起き上がった相手に聞こえるような独り言で、 

 

「心当たりはネェなぁ……だいたい恨み買う覚えもねぇし……始末を付けたいところだが、引っ越したのは東北の方だからナァ……遠いから、ここにァおいそれと帰ってこれないし……こまったナァ(棒)」

「するってェと。もう、コッチにはもどって来ないんで?」

「たぶん……いや、そうなるだろうな。ザンネンだなぁ」

 

 湿布だらけな相手の顔に、ホッとしたような気配が浮かんだ。

 

「分かったっス。東北の方に引っ越して、もう戻ってこねぇなら、ガキも納得するッしョ」

「東北……そんなコト言ったか?コマッタナァ。このコトは、ナイショだぞ?」

「分かってるっス」

 

 そう言うと、このギシアン男はヘコヘコ頭を下げて、となりの部屋に戻っていく。

 やはりこの寮は、もうヤバ目らしい。さっさと引っ越して正解だった。

 偶然か否か、ちょうどのタイミングで災いを逃れたようである。

 たぶん詩愛にストーカーが付いていたんだろう。

 

 ──いや。まてよ……?

 

 部屋に戻ってカギをかけたオレは凝固した。

 本当に、そうなのか?

 

 頭のスミに、“スカジャン”と“金髪のソフト・モヒカン”という単語が、こびりついたように自己主張して離れない。

 いくら考えても閃かないのであきらめ、こっちもサッサと帰ろうと、開け放した窓をぜんぶ閉めて台所に回った時だった。

 なんと。流しの中に、探していたグラスが転がっているではないか。そのワキには、見覚えの無いナッツの空き袋。

 ジンワリ、いやな汗がにじみでる。

 

 ──誰か……入ったのか?

 

 あらためて辺りを見回す。

 部屋に入ったときは別段ヘンなところはなかった。

 これがタバコを吸うヤツが入ったなら、一発で分かるんだが。

 グラスには、飲み残しの跡がある。幽かな果実香……たぶんリンゴのシードル酒。

 

 オレはそのまま何もいじらずに、追い立てられるように部屋を出た。

 カギをまわし、この場所に永久に別れを告げる。なにげなく廊下のコンクリ柵から身を乗り出して下をのぞき込んだとき、先日のシーンが不意によみがえった。

 

 植え込みにいた黒いパーカーの人影。

 

 てっきりあの時は、下にすむ風俗嬢の下着を狙っているとばかり思っていたが。

 目当てがコチラとなるとハナシは別だ。目標は詩愛だろうか……それともオレか?

 いずれにせよ用心した方がいい。この手の連中は自意識が過剰で、なおかつ粘着質だ。

 

 トラックまで戻り、冷房の効いたキャビンによっこら、と登りこんでホッと一息。

 

「【ボニー】、異常は?」

『ありません。いかがなさいました?感情に乱れが見受けられますが』

「……気にしなくてイイ。周辺に不審人物は?」

『挙動の不明瞭な個体というイミなら、YESですわ』

 

 【SAI】が使えたイスラエル製の監視ポッドが【ボニー】に許可されていたら、と残念におもう。茂みに仕掛けたら、手がかりの画が撮れただろうに。

 

「オマエの監視ポッド使用許可まで、あとどれくらいかかる?」

『133日です』

「4ヶ月以上、か……」

 

 不便だ。

 BAR1918前に仕掛けた監視ポッドも使えない。

 ドレッド一味、結城のジジィ。黒い轢殺トラック。そして今回の一件……。

 

 ──チッ……。

 

 周辺が、ナニやらキナ臭くなってきやがった。 

 とにかく、用心するに超したことはない。

 オレはギアをクラッチを踏みつけてゴグッ、とギアを一速にいれる。

 

 

 

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