試製・転生請負トラッカー日月抄~撥ね殺すのがお仕事DEATH~【18禁版】 作:珍歩意地郎_四五四五
* * *
いま見たものが信じられなかった。
相手から受けた、あからさまに敵意ある視線。
そしてオレの9mm弾が命中した場所にある、醜いアザ。
――あれは……夢の中のハナシじゃないのか?
いやいや、そんなバカな。と無理やり否定しても、いま見た現実の前に圧倒される。
すこしでも21世紀の日本とのつながりを持とうと手の中の携帯画面をみるが、通話はとっくに切れて、いつものメニュー画面が。
なぜだか分からないが、非常にイヤな気配。この正体不明な危機感は――何だろう。
「なぁ?
自身の声が、ずいぶん遠くにに聞こえた。
カウンターの向こうで携帯の画面に見入っていた黒人が顔をあげて、
「
「あぁ、いやスマん。おまえ……親父さんか
「軍に?――軍人だった、ってコト?」
「外人部隊、武装警備員、なんでもイイ。アフリカで銃を持って暴れたコトないか?」
ハン、と大きな肩がまたもすくめられ、
「ありがたいコトに無いネ。自分、
「おまえの母国、たしか選抜徴兵制だろ?2年間」
「ウオノメあればミズゴケね。パパ、ウマい具合シタヨ」
「魚ごころあれば水ごころ、だよ」
う~ぬ、とオレはカウンターにもどり、ヨッコラセ高いイスによじのぼる。
そして夢の中では第二中隊に所属していた大男を、しげしげと見やった。
――どうみても、ンダウ伍長……だよな?
イスラムのためあまり酒を飲まなかった、対車両戦闘のエキスパート。
平和主義者というワリには、オレの名誉のためにケンカをしてくれたっけ。
それもアレは全部、疲れた脳が引きおこした、ただの夢にすぎないんだろうか。
オカルトチックな気配に酔いもさめかかる。
現実とともに、また孤独感たちが忍び寄る気配。
あわてず騒がず、オレは追加のウィスキー・ソーダを注文。
また携帯が鳴った。
新たに注がれたウィスキーを眺めながら、手さぐりで携帯画面をスライドさせ耳に当てる。
「美香子か?スマんかった。ちょっと取り込んでてな。オマエの同級生の巫女さん、退院はいつごろに――」
『なんの話だ?』
一発で酔いが醒めた。
『神社だ?自宅待機で、まさかボケちまったんじゃあるまいな?』
転生協会・所長
革張りのソファーを自重で鳴らしてふんぞり返る巨大な身体が目に浮かぶ。
「い、いえ。そんなコト……ヤだなぁ所長」
朝会。轢殺予算。
必要経費の申請。
行動予定と日報。
【SAI】のドック入り以来、忘れていたイヤな単語。
奔流のように押し寄せて、だれきった神経を乱打する。
『明日、検査の終わった車体を引きわたす。定時に出勤。
テスト用の目標データ。
つまり哀れなソイツを使って、轢殺の具合を確かめろということだ。
こんどはどんなヤツを轢き殺すのやら。
『どうしたマイキー。1~2週間の休暇で、マジにボケちまったんじゃあるまいな?』
「い、いえ。大丈夫であります、サー!」
『サーだぁ?……おぃ、マイケル。マイケルだよな?本気で大丈夫か』
いけねぇ。
傭兵の夢のクセがでちまった。
あの威圧感が、ヤバい上官を思い出させるのだ。
「問題ありません、サ……所長」
『ホントかぁ?』
所長のうさんくさそうな声。
『そういやさっきヘンな応答したな。まさか自宅待機をイイことに、女子高校生を相手にしてコスプレごっこでもしてるんじゃなかろうな!?』
「まさか。わたしが女性にモテるワケないでしょ?知り合いの子が入院してたんですよ」
『……ならイイが。
「まかして下さいよ、所長。キッチリ
『タノんだぞ?』
最後まで疑わしそうな口調のまま、所長はそう言うと通話を切った。
――ヤレヤレ、糞ッ!あぶねぇあぶねぇ……。
オレはジーミの酒場を眺めわたす。
先ほどまで、アレほど傭兵たちの気配で満ちあふれていた空間だった。
それが今の通話一本で、チンピラに荒らされた、ただの半壊酒場にしか見えなくなる。
薄暗い照明に、壊れかけの什器。
うら寂しい雰囲気と、荒涼たる気配。
オレは腕の時計を見た。
明日にそなえ、そろそろ幻想から覚めて、現実に帰還しなければならない。
ジーミに(釣りはいいよ)と万札をわたし、酒場の安出来な扉をキシませて外に出た。
滅菌パックされたような気配は、まちがいなく現代の空気だった。
アフリカ傭兵戦時代の、あの猥雑な、そして生き生きとした雰囲気ではない。
街中をあるけば、裸電球の代わりに冷たい印象のLED。
DC-3の代わりに空をゆくジェット機やデカいヘリコプター。
真っ黒い排ガスをと騒音を振りまいて走る車は絶滅し、みな幽霊のように静かだ。
女性がまとうのは華やかな原色の服ではなく、これから通夜かよ?疑うような、くすんだ色合い。
脳にチップでも埋められているような無機質な群衆のながれが、秩序だてて動いてゆく。
今年は空梅雨らしい。
どこかの大臣が辞任したそうだ。
新製品であるれかえるCMとほほ笑むタレント。
あふれかえる情報。生の触れあいのない、デジタルな世界。
また、胸の中を寂しさが吹き抜けてゆく。
あれほど血を騒がせた世界とおさらばとは。
明日から、またクソつまらん仕事のはじまりだ。
ペコペコし、ヒヤヒヤし、おりにふれて
――だが、生きていかにゃ。そのためには、稼がなきゃならん。
寮のある駅で電車を降り、吸い殻ひとつ落ちてない夜道をトボトボと歩きながらオレは独り、力み返った。
――あの業務統括のクソ下卑たツラも、お局サマのツンケンした態度にもガマンして。
――すこし酒も控えて現実的になるか。そのぶん貯金すりゃ、結構な額になンだろ。
――年金なんて、どうせアテにならないからなぁ……老後にそなえて……。
まてよ?まさかオレは長生きするつもりなのか?と眉をしかめる。
――あれほど【太く・短く】がモットーだったこのオレが?
心が弱っているんだ、と自分を冷静に分析。
でもまぁ酒を控えるのはイイかもしれない。会社の産業医に、γーGDPのことで毎回ネチネチ言われるのはたまらん……。
そんな哀しい覚悟をしたときだった。
街灯がワビしく照らす行く手のY字路に、なにか黒い影がヒラリと舞った。
ポリ袋が風になびいたか、と近づくと、ゴミ袋に二つの輝点が金色に灯る。
――やぁ、還ってきたようだね……。
頭の中にそんな声がした。
すぐさま思い当たる。
――いつも変わらずに、ご挨拶だねぇ……。
夢の中の黒ネコ。
それが今夜は現実に出てきている。
アフリカの夢といい、コイツといい、いったいどうなっちまったんだ?
――どうもこうもないよ!今夜はキミに文句を言いに出てきたのサ。
相手の声が、すこし険悪になる。
そして、ピンと立てた自分の尻尾をすこし揺らしてみせ、
――見てよ!コレ。
「うん。見たよ?」
――もっと良く!
めずらしくブチきれ気味な相手に押され、オレは目を凝らす。
「……あ」
この黒ネコ。一丁前にネコマタよろしく尻尾が2本だったが、その一方がずいぶんと短くなっている。
――やっと気づいた?
「どーしたんだソレ。トラックにでも轢かれたのか?」
――よくそんなコトが言えるね!?
「マテ。なにそんなに怒ってる?」
――キミにテッポーで撃たれたんじゃないか!!
黒ネコの姿が、一瞬霧化する。
次いでその形状は、立ち上がったヒグマのようにブワッと巨大化した。
だがこの突然の出来事にも関わらず、オレはすこしも驚かないまま冷静に相手を観察する。
そして自分でも、なぜこんなに冷静でいられるのか不思議だねと考える第三者的な自分がいて。
相手は、そんなオレに対し、
――よくも!ボクの大事な尻尾を撃ち切ってくれたね!?
「何のハナシだよ!」
こちらも負けじとブチぎれた。
なにせ明日から、またイヤな仕事のはじまりなのだ。
やはり、心の底では鬱屈しているらしい。あの所長の腰巾着のネズミ
「オレは知らんぞ、そんな!だいたい何なんだオマエは!いつもいつも!!」
金色の瞳が、オレをジッと見据えた。
胸の中を、なにか冷たい手でなでられるような感覚。
ややあって、ヒグマのようになった黒ネコは、そのサイズでかわいらしく小首を傾げ、
――そっか……記憶を消されちゃってるんだね。じゃァ、いまのキミに言っても仕方ないか
「記憶?なんのことだ!」
――エグイことするねぇ、この世界の
「ナニが!あ……おもいだしたぞ。黒の
――さ、さぁね?サテ、ボクはもう行かないと……
「まてコラ!ハナシは――」
「うるせェぞ!」
いきなり頭上から声が降ってきた。
振り返って見上げると、近くの安アパートの二階窓からタンクトップのハゲ親父が身を乗り出しコチラを見下ろしている。
「さっきから見てりゃ、ひとりでナニ騒いでやがんだ!」
「ひとり……独りだって!?見てろよ、ホラ!」
Y字路の方に向き直ると、さっきまで
寂しい街灯が路を寂しく照らす、見慣れた日常の光景。
「なぁ!?」
二階の窓を見上げ、ハラの突き出た親父に叫んだ。
「オレぁ、最初ッから……ひとりだったか!?」
オヤジは手に持った缶ビールらしき500缶をバカにしたようにゆらし、
「ンだよ!こっちァフロ上がりに涼んでりゃ、テメェがノコノコやってきてデカい声で!」
「ネコ、ネコは居なかったか!?」
「猫ォ!?」
「黒ネコだ!いきなりクマみたいにデカくなって……こーんな」
身ぶりで大きさを示しはじめると、このオヤジはピシャリと手荒くサッシの窓を閉めた。
たぶん、ヤク中のたわごとか、アブない人間と思われたんだろう。
このままボゥッと突っ立ってると警察を呼ばれメンドウなことになりかねない。
気分を切り替えて、サッサと自分の寮へ向かう。
だが、歩きながら意外な収穫にまんざらでもなかった。
――ふむ……。
あのオヤジは、オレが最初から独りだったといった。
ならば黒ネコは、オレだけにしか見えないことになる。
しかし、幻影ではない。お守りを焼く“物理攻撃”も出来るうえ、最悪の場合は結界を張った神社に落雷を落とすことが出来るほどのパワーをもっているワケだ。
寮への近道である急な階段を上りながら考える。
アフリカでの傭兵戦。
王国の特殊騎士団。
やはり、単なる「夢」として片付けるには、少しばかり問題がある。
それぞれ現代と何らかのつながりがあるのかもしれない。
等閑視するには危険な気がした。なにより、撃たれた場所の痕を見せた酒場の女。してみると向こうも、アフリカでの記憶があるのか……。
コンクリートの湿気った臭いのする借り上げ寮マンションの階段をのぼり、自分の部屋の前まできてポケットの鍵をさぐる。
ふと、背後をみれば、高台から見る都市の灯が、みょうに見慣れない光景に見えた。
まるで帰ってきた世界が、もといた事象面と微妙に異なっているような気配にも。
――まてよ……?
そのとき、ふと気付いた。
あの酒場の女が、アフリカの戦乱を記憶している……と、いうことは……。
部屋の中から足音がちかづき、ガチャリ、とひとりでに扉が開いて考えが断ち切られた。
ドアのほうを向いたオレが驚く間もなく、
「――おかえりなさい」
中から現れたのは、オフィス用ブラウスの上からエプロンをした詩愛のすがた。
うれしそうな、そしてすこし照れたような表情。
だがこちらの顔色をうかがい、すぐに彼女は困ったような色合をうかべ、
「ゴメンなさいね?お帰りをお待ちしている間、お夕飯を作っていたのですけれど、ご迷惑でした?」
「いや……そんなことは、ない」
予想外の光景は、オレにある種の胸の痛みを運んできた。
薄化粧をした女の香り。それを越して奥から漂う味噌汁の匂い。
それにつられてか、ナイスなタイミングでオレの腹が盛大に鳴る。
「まぁ、たいへん!」
「いや、その。実をいうとイロイロあってな。晩メシはマダなんだ」
「――良かった」
相手の顔に浮かんでいた緊張が、ホッと溶けるのが見えた。
「お迎えしたとき、コワい顔なさるんですもの。出過ぎたまねをしてしまったかと……」
「いや――なに」
扉の中に入って靴を脱ぐ。
いつもは荒んだ雰囲気の部屋だったが、彼女や美香子が居つくようになったせいか、なんとなく艶かしく、それでいて柔らかく、暖かい気配がして、こちらまで何となく面映さを感じてしまう。
「昔を思い出したのサ。結婚していた当時も、もと妻がやっぱりエプロン姿で出迎えてくれたもんだ」
「奥様もヒドい方ですねぇ……さ、手と顔を洗って。うがいして下さいな」
「うぅ……」
すっかり女房気取りの詩愛に押されぎみな格好で洗面台にむかう。
「今日はすこし、お話したいことがあったモノですから……」
ふぇ?と顔を洗いながらマヌケな声が出る。
「何のハナシだ?」
だが、相手は答えない。心なしか不穏な雲行き。
顔を拭きながらダイニングにいくと、テーブルの上に用意が出来ていた。
「お味噌汁、いま温め直してますから……」
「スマんな。んで?ハナシって」
彼女は台所仕事に忙しいフリをして、またも返事をしない。
テーブルに着くと、エビと野菜の炒め物にアボカドのサラダ。その他、独身男の食卓には上がらない、彩りも豊かな小洒落た品が並んでいる。
かわいらしい金魚型の箸置きは、彼女が持参したモノだろうか。
麦と一緒に炊かれたご飯も、あなたの健康に気をつけてますよアピール。
キッチンに向かって作業する彼女の背中をテーブルからみていると、過ぎ去った日の思い出が浮かんでくる。
ネクタイをゆるめ、足もとで騒ぎまわる娘をあしらいながら、夫婦の他愛ない語らい。
しかし――どうしたことか。
構ってもらおうと足もとにじゃれついてくるその娘の印象は、日本での元妻が産んだ娘ではなく、オレが特殊騎士団の団長をやっていた異世界夢の妻、エルフ族のシーアとの間にもうけたサフィーだった。
「パパ見てみて~♪」
お気に入りの人形に着せた新しい服を自慢するわが娘。
陵辱されたあげく、尻から口まで串刺しにされた小さな姿……。
そんなイメージを打ち消そうと、オレはエビの炒め物に箸を伸ばして。
「はぃおまちどぉさま。熱いから気をつけて」
「美味いな、コレ」
実際、
ソースに何か隠し味があるようで、複雑な奥深さ。
日本の味である熱い味噌汁をすすると、5月動乱による惨劇の記憶がうすれてゆく。
「ココに来る途中のスーパーに寄ったら、お刺身がみんな売り切れてて。こんなものでゴメんなさいね?」
そういや朝、カレーだ刺身だと、そんな話をしていたな。もうずいぶん昔のように思える。
会話をしたのは第37話か。中国出張の前、8月15日だよ……長かったナァ。
「どうなさったの?ボンヤリして」
「い、いやナニ。冗談ぬきで有り難いよ。今日はイロイロあったんだ……」
「お仕事ご苦労様。おビールは?」
「う……もらおうか、な」
ますます照れくさい。
手にしたコップに黄金色の泡が注がれる。
細く白い手がにぎる缶ビール。ふと『紅いウサギ』を思い出した。
“美月”となった美香子は、うまく
「美香子のヤツは、まだ帰ってこないのかな」
「どうでしょう?今日は早番ですから、じきに帰ってくるとは思いますが……」
詩愛もダイニング・テーブルの向かいに座りながら、
「ホントにイヤになってしまいますわ?あの娘、明日も学校があるというのに。どうやら授業中寝てばかりみたいですわよ?」
「先生、なんとも言わないのか」
「登校拒否生徒が出てきただけで御の字なんですって。ヘタにキビしくして、また不登校なんてことになると、学校の体面にも関わるとか」
野沢菜漬けと一緒に麦ゴハンをかきこみながら(……フーム)と考えざるをえない。
そもそも高校生が、あんなヤバイ店でバイトをするのがおかしいのだ。
――ちょうどイイ。“小男”との面談もある……。
足を洗わせる頃合いかもしれない。ヘタに稼いで金銭感覚を破綻させると、もう取り返しがつかない。あとは身体を売る女に、まっさかさまだ。
「あの店の親分に、彼女を
「まぁ!お願いできまして?」
「動くのが遅すぎたぐらいだ。キミんとこのオヤジさんたち、何も言ってないのか?」
「実は……そのことなんですけど」
詩愛は、なにやら口ごもって顔を紅くする。
「うん?」
「父が……」
「う。あの怖っかないオヤジさんがどうした」
「父が、その。ここよりもっと広い部屋をマイケルさんに提供するっていうんです」
「広い部屋をオレに?なんでまた」
「そのぅ……」
なぜか詩愛は頬をそめて、
「
「……はぁ!?」
オイオイオイ、とさすがに驚いた。
「いや、オヤジさんがオレ――ワタシを信頼してくれるのは嬉しいが、赤の他人の男だぜ?」
「その……」
また彼女はしばらく沈黙したのち、モヂモヂと身体を艶かしくよじって、
「ワタシも、一緒に住むなら大丈夫だろうって」
「……はぁ!?」
* * *
記憶に残らない、なにかイヤな夢を見て目が覚めた。
ロウソクの灯る
ベッドを
おっと……また傭兵時代のクセが出ちまった。
早朝は、精鋭部隊のゴールデン・タイムだ。
優秀な男たちが、払暁の作戦遂行中に死ぬ時間でもある。
フランス人が、ベルギー人が、外人部隊が、チャド傭兵が、グルカ兵が。
トイレに起き出し、ふとベッドルームをのぞけば、いつのまにか帰ってきたらしい“美月”が姉と身を寄せ合うようにして、狭いシングルベッドで規則正しい寝息をたてていた。
部屋に充満する女の匂い。
以前の饐えたウィスキーや古本の臭いなど、かき消されてしまっている。
――やれやれ。
これでまた朝のドタバタ騒ぎがあるかと思うと、勤務明け初日からHPを削られそうだ。
オレはコッソリ着替えをすませ、ひげを剃って身だしなみを整えると、女どもに占領された自分の
もう時節がら、完全に夜が明けきっていた。
新聞配達の原付が騒々しく駆け抜けてゆく。
定年退職したらしいご主人とその妻が、そろいのジャージ姿で早足に通り過ぎた。
人なれした鳩が、抜け目無くあしもとをウロつきまわって。
ヨボヨボのコーギーを気づかいながら、老婦人が散歩をさせている。
駅は、すでに早番の労働者らしき男たちのツマらなそうな顔であふれていた。
飲み会で終電に乗り遅れたらしい若者たちの一団が、うずくまったひとりを介抱して。
中央コンコースの中にある早朝から営業のコーヒー店で、オレは携帯のニュース記事を見ながら時間をツブしつつ考える。
――結婚かァ……。
あの怖っかない詩愛のオヤジが言わんとすることは、つまりソレなんだろう。
ずいぶん買いかぶられたものだ、とオレはエスプレッソを啜りながら眉をしかめた。
こちとら信頼してた妻をNTRれ、いまだ女性には不信感のある人生に疲れた後期青年なのに。
――あの清楚な詩愛も、一皮ムケば、どうなることか。
そんな、ねじくれた考えが浮かんでは消える。
まずい。ホンキで世の中を斜めに見始めている。でも仕方ないよな。
1時間ほど時間をツブして早朝の会社に出てみると、まだ時間が早いとみえて清掃担当のオバちゃんがガランとしたオフィス・フロアで掃除機を鳴らしているだけだった。
久々の空気に頭の中で業務の手順が自動的にはしりはじめるようだった。
そんなおり。
フロア奥の廊下にならぶ一室の扉が音を立てて開くと、OLの制服を着た一人が姿をあらわし、高いヒールを見事に履きこなして尻を振り立て去ってゆく。
久しぶりの顔。
所長の出張につき合わされっぱなしとウワサのベリショっ
あのデブの“お手がついた”とウワサされる彼女だったが、果たしてどうだろう。
なにやらスタイルも良くなり、背筋も伸び、髪などはプラチナ・ブロンドに染めている。
協会本部が時たま実施すると言われる、秘書課の長期・宿泊研修にでも参加したんだろうか。
「リサっち――リサちゃん!」
ちょっかい半分、オレは思い切って声をかけた。
だが、広いフロアに反響する掃除機の音にジャマされてか彼女はコチラに気づかず、まるで頭に本を載せているかのような体幹をぶらさぬ動きで奥の通路に消えてゆく。
後を追おうとしたとき。
リサの出てきた部屋から、ドライバーたちの天敵である業務統括のネズミ
――ゲッ!……朝っぱらから。
一瞬、そうひるむが、驚いたことにそれは相手も同じだったらしい。オレの姿を見て急にキョドりだす。
「マママっ、マイケルくぅん!どうしたのかね、こんな朝早くから」
「今日、オレのトラックの引きわたしですよ。
「あ……今日だったか」
ネズミ面はいつもの調子を取りもどし、
「オマエのトラックの頭脳は特別品だからな。ずいぶんと時間がかかっちまった」
「ほかの連中のは?みんな終わってるんですか」
「そうだ。とっくに“
「そんな!ドック入りしてた期間の割引は?」
「あるわけないだろう、そんなモン」
ネズミ面のニヤニヤが戻ってきた。
こうして轢殺トラッカーをいたぶるのだ――実にイヤらしい。
「ま、ガンバりたまえよ?いい備品を受領しとるんだ。それに見合った転生実績を残さねば、昇級は望めんぞ――あぁン?」
チッ!とオレは腹のなかで舌打ちした。
なにが「あぁン?」だクソぼけが。ワルサーが腰にあったら撃っちまうトコだぜ。
「そういや……」
オレはわざと相手の底意地がワルそうな目をマトモに見返して、
「庶務のあの
とたん、ネズミ面のキョドりが戻ってきた。
「ハッ?なんのコトかね」
「いや、さっき一緒にいたでしょ?庶務の6番」
「覚えがないな」
「ホラ。髪をベリーショートにした、口の達者な元気娘ですよ」
「知らんぞ?そんな」
「でも、さっき――」
「知らんと言ったら知らん。そうだ髪の色は?ちゃんと日本人の色だったかね?」
そういや、出てきた娘はプラチナ・ブロンドったな。でも髪型は理沙嬢だったが。
ソレ見ろ、とイタチ面はオレの顔を読んで胸をそらし、
「ダレもおりゃァせん。私はこの部屋で一人っきりだった。みんなの査定をしていたのだ。マイケル君!君もガンバらんと次のボーナスは――期待できんぞ?」
手にしたクリップ・ボードで馴れ馴れしくオレの肩をポンとたたき、この所長の腰ぎんちゃくは鼻歌まじりに通路の奥へ去って行く。
――どう考えてもオカしい。
フロアの自販機コーナーに行くと、オレは早くもこの日2杯目のエスプレッソを手にした。
あれは、そうやら“庶務6”こと理沙嬢であることは、間違いなさそうだ。
でもなぜネズミ面は、それを隠すんだろう……?
自分が業務に復帰することを軽く紹介された朝会のあと、仲間のドライバーたちと一緒に地下の大車庫に向かいつつ、オレは長い休暇のことをイジられる。
「もう来ねぇンじゃねぇかってウワサしてたトコだぜ」
「考えてみりゃ、給料がイイとはいえ、ロクなしごとじゃねぇモンなァ?」
「オメェ、もとはリーマンだったんだべ?因果なハナシだな。ま、みんなヒトのコタ言えねぇが」
と、そんな中一人が、
「おまえー、パパ活とか
一瞬、
ナニよソレ!とさっそく食いついてきたのは朱美だ。
「どういうコトよ!マイケル?」
「いやね?こいつ、夕方にセーラー服の女子高生と腕組んで歩いてたのを見たってヤツがいるんで」
ほぉ!と一団の空気。
「あれ?俺はキレイ目のOLと一緒だったって聞いたぞ!――オッパイの大きい……」
ほぉぉ!!とさらに一団の空気。
「うゎ。ヤリチンかよ……コイツ」
「ダマってりゃ、見かけはいいもんなぁ?」
「この前の労災で、だいぶ懐がうるおってるとか」
「俺なら女にゃつかわねぇ。お馬チャンに全部ぶっ込むぜ!」
「ダァホ。お前ェはそうだろうよ。このまえのダービーで懲りたンちゃうんか」
……などと勝手なことを言い合う轢殺トラッカーたちに
「オレがそんなコトやるわけないだろ!」
と、怒り半分。誤解をとくのに一苦労。
説明が終わるころには朱美の顔色も元にもどり、
なァんだ、ツマんね!という一団の空気。
おまけにとどめには「ツカえねぇなぁ!」というベテランの一言までもらってしまう。
広大な地下駐車場について、ドライバーたちは管理部からキーを受け、それぞれ自分のトラックに散ってゆくのを横目に見ながら、オレも久しぶりに【SAI】のところへ向かう。
だが……。
久しぶりに見たトラックは、どこか雰囲気が違っていた。
塗装も同じ、小さなヘコみも同じ。ステップのすり減り具合もそのまま。
――しかし何か違う……それもヤバい方に。
広い青空。頬を灼く太陽。
装輪装甲車で
ラルゴの死に様が、目の前にありありと浮かぶ。
乾いた血。
吸血バエ。
銃声と着弾音。
ガレキをどけたとき、下に仕掛けられていた対戦車地雷で大音響とともに空中高く散歩する1個分隊の肉片。
ステップに足をかけようとしてオレはためらった。しかしすぐに頭をふって考えを変える。
――アホか……ココは21世紀の日本だぞ?
まさかB級シネマよろしく、キーをヒネったらドカンでもないだろう。
意を決してドアをあけ、身体が覚えていた動作で運転席に乗りこんだ。
嗅ぎなれた空気。
ハンドルの感覚。
各ペダルと補機。
バケットシート。
悔しいが、しっくりと馴染む。
もうオレは心底“轢殺屋”なのかもしれない。
周囲のトラックが身震いして主機をまわし発進を始めた。
あちこちでウィンカーやパッシング。ホーンが威勢良く鳴らされる。
――畜生め……。
オレもキーをひねり、轢殺トラックの強大かつ複雑な電装に火をいれる。
二次ジェネレータのタービン的な起動音が高まってゆく。
なにせ消費電力が暴力的だからな。
メーターに光がもどった。
フン、とオレは嗤い、
「よぅ、【SAI】。オレが居ないあいだ、悪いコトしてなかったか」
だが、返ってきた答えは、予想外なものだった。
『轢殺運行管理者**・コードネーム“マイケル”確認・シマシタ』
「おぃおぃ、こんだァ何の映画観たんだよ。ヘンなロボット物かァ?」
『
「……【SAI】?」
『心拍数――規定内。血中アルコール濃度――規定内。瞳孔反応・ホカ、各種バイタル・正常値。管理権・ヲ・ドライバー側・ニ・譲渡・シマス』
「……【SAI】、オレは休み明けの出社でゲンナリしてるんだよ。さっさとオッ始めようぜ!」
『命令・ヲ・確認・シマシタ・転生補助活動・ヲ・開始・シマス』
車体を揺るがせ主機が始動した。
――マズい!【SAI】がおかしい!!
ゾッとしながら、オレはキーをひねって無理やり主機を止めた。
そして天井にある非常ボタンのカバーを外し、力一杯に押しながら叫ぶ。
「緊急・緊急・緊急!――『コード001』発生!繰り返す!『コード001』だ!」