久々に嗅ぐ海の匂い。季節相応の暖かさを含む潮風。
船から倉庫に荷を積み上げる人足を遠目に職人街へ足を運び、ある一つの織物屋の扉の前で足を止める。
はて、なんと言って入ったものか。どうするか少し迷いつつも、私はノックなしに扉を開けて一言。
「ただいま、母さん」
「あら、出ていったと思ったら急に帰ってきて。
そんな立派なピカピカをぶら下げるのに、もう冒険者は飽きたのかい?」
一、二ヶ月ぶりになる故郷の地を踏んだ私は実家へ帰省した。
「遠くに行くって言ってたのに、もう帰ってきたの。お姉さんたちはどうしたんだ」
「私一人で先に帰ってきたよ。すぐ出てかなきゃいけない用事があるけど……諸々に顔を出すなら、ついでに顔も見ようと思って」
子どもたちが冒険を終え、沢山の銅貨銀貨を手に初めてのお買い物へ夢中になっている最中。
私は一日かけて念願の中位呪文“
一息におよそ1000キロメートル、馬車で一ヶ月かかる道のりをひとっ飛びする呪文だが、失敗して目的地が「ズレ」ることがある。
海沿いの故郷から少しズレると最悪 海にドボンとなりかねないことから、安全策を取るために今は私一人で飛んできたのだ。
折角帰ってきたのだから各所に顔を見せたいが、しかしあまり時間もない。
なので話が短く済み、あわよくば慣れた寝床で眠れれば良いなと思って実家に顔を出したのだが。
「この街で一泊しなきゃいけないし、一日くらい泊めてよ」
「ふん、ただでは飯を食わせてやんないよ。どうせなら働きな」
「ええ、今ちょっと夜ふかし出来ないんだけど……」
とはいえ一応独り立ちした私をタダで泊める気もないようで。家族間のことなので金で解決とも言いがたい。
私は渋々と“
「明かり代が浮くね。それに久々だってのに、手が早いじゃないか。冒険者は糸紡ぎの仕事もするのかい?」
「糸は紡がないけど、呪文を紡いでいたよ。それに魔法の
「あんたは昔から絵を描くのが好きだったからねえ」
私が取得した
そのため
また旅の途中にも針と糸を持ち歩いて服や袋をちょくちょく縫っていたし、呪文を唱える指先の動きだって指先の細かい動きの練習になる。
知識はともかく、その腕前は母に引けを取らないだろう。
「絵というか、魔法の練習だったよ。あの時はまだ紙も買えなかったし、呪文書も
だからものに書いて、それで呪文の練習をして、ようやく覚えた魔法で小遣い稼ぎして、それでやっと初めて羊皮紙を手に入れて。
ゼロからここまで魔法の腕前をあげるのは大変だったよ」
カラカラと机に積もる毛糸の一部を巻いたところで、私は2つ目の呪文を紡いで椅子を立つ。
私の手から離れた糸車は、しかしカラカラとひとりでに回りだして糸を紡ぎ続ける。“
勝手に回り続ける糸車を後ろ手に指で指し、母に声をかける。
「机にある材料の分は
「あんた、そんなことも出来たのかい。最初っからやりゃあ良かったじゃない」
「サボってないし、腕前も上げたことを少しは見せたくて」
“見えざる職人”は複雑な作業である〈製作〉を長時間取り掛かってくれる中位の呪文だ。技術力は術者のそれに
だが魔法を知らない母がそれを理解するわけもないので、最初だけは自分の手で作業するポーズを見せた。
この透明な職人は材料がある限り、あと十日は放っておいても働き続けるだろう。同じ糸紡ぎの仕事に限るが。
「私の寝床はまだあるよね? 顔出しに回ってくるけど、今日はこの街で過ごさなきゃいけないしまた帰ってくるよ」
「たった数月でなくなったりしないよ。でもそのうち無くなるかもしれないね」
「……家族が増えるの?」
「今度も
私の父は、母が金で抱いた男娼……顔のいい船乗りだったと聞いている。
この港町に寄港して立ち寄っただけの船乗りで、母が孕んだことを知る前にさっさと出ていってしまったそうだ。
なので会ったことはないし、別に探そうとも思わない。
「母さんもどっかの家に嫁げばいいのに」
「こんな糸紡ぎしか出来ないおばさん、今更誰も貰ってくれやしないよ。
何より、あんたにこそかけるべき言葉でしょう。早すぎるとは思うけど、男は出来たのかい?」
「彼女は出来たよ」
「このバカ娘。変だ変だと思ってたけど泣かせてくれるねえ。孫を抱けるのか心配で仕方ない」
「おっ死ぬ前には見せてあげるよ」
孫はいつか出来るだろう、産むのは私じゃないけど。
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実家に顔を出し、そのまま宿泊した翌日。“瞬間移動”呪文を補充した私は懐かしの火山島へ飛ぶ。
かつて鑑定商売で小銭を稼いだ酒場を訪れ、その中に顔見知りの
「久しぶりじゃないかリリン。随分と良い防具をつけてるね、大陸で名が売れたのかい?」
「お久しぶりです、イレニアさん。名を売る前に身の振り方を考える必要ができまして。
相談に乗ってほしいことがあるのですが、よろしいですか?」
懐かしい顔を見て挨拶を交わすが、こちらには時間がないので早々と本題に入らせてもらう。
「身の振り方というと、どこぞに就職したのかい?」
「いえ、立場を作る前に弟子のような……生徒が出来ました。宿屋暮らしなのもあって、彼らが育つまで保護しきれる自信がなく。
そこでふと、島を離れる前に
世間話を打ち切った私にイレニアさんは渋い顔をするも、しかし黙って私に話の続きを促す。
「私の生徒は偏った才能の持ち主で、悪質ではないものの一癖ある術者たちです。冒険者にこそなれど、私以上に紹介しづらく。
ならず者や傭兵に
「ふんふん、なるほど。
つまり、あいつらにお前さんの生徒を加えられないかって言いたいんだね?」
「はい。詳しくは当人らを連れてからになりますが……
イレニアさん、彼らのことも面倒見てやってはくれませんか」
「ふぅ……」
相談というか、お願いを伝えられたイレニアさんは困った息を吐く。お願いするのは少し率直すぎたろうか?
言いくるめは得意でないし、回りくどく誤魔化したのがバレれば逆に心象を悪くすると思ってのストレートだったが。
「その子たちを受け入れたとしたら、リリン、あんたはどうするんだい」
「私があの子たちの面倒を見る土壌を作るには、最低でも権力者の目に留まるだけの実力が必要です。
“
「その土壌づくりがまた1、2年かかるって話だと困るんだが……あんたを見るにその心配はなさそうだね。
いいよ、話は通しておこうじゃない。で、その子たちはどこにいるんだい?」
“
強い呪いだけは解呪できないものの、生物そのものを変質させる
この呪文が唱えられる癒し手は、それはもう某ブラック・ジャックのようなもの。たとえ悪の神格を崇める神官で宗教的なリスクがあろうとも、天秤に掛けて擁護する価値を持つ。
下手な交渉ではあったが、一度パーティを組み気心知れたこともあってかイレニアさんは仲介を受け合ってくれた。
「“瞬間移動”で来る際、ここらの海上に出る恐れがあったので北の方、旅先の雪原の都市に置いてきています。
小遣いで豪遊するのに2、3日は夢中になってるでしょうが、放っておくと勝手に
相談が良い結果になれば、ここに連れてくる準備を始めるつもりでした」
「いや、それなら逆がいい。私たちがそっちに連れて行くさ。
海に出るのが怖いってんなら、陸地に飛んだ方がいい。3、4人は連れていけるのだろう?」
「え、良いんですか? 山や洞窟を超えた
温かいこの火山島と違って、森エルフの方々には寒いはずですが……」
「うちらは全員、“
雪の地形には慣れないけど、あたしらはみな
あと目先の問題は、うちらの稼ぎどころがあるかって話だよ」
「それはありがたいことです。雪国といっても山や森林はありますし、獣肉を持って帰る
ではこの話を通したら準備次第、明日にでもあちらに向かいましょう」
その後、急な話を持ちかけたにも関わらず、イレニアさんを含め森エルフの一団は雪国行きを承諾してくれた。
エルフにしては原始的な性質の強い森エルフであるが、同時に人間らしい俗世的な、そして自由な冒険を求める欲求を強く有している。なので島から出て、遠く離れた異なる環境の雪国に行けると聞いて、みな沸き立っていた。あまりに目を輝かせるものだから、むしろ言い出した私の方が引いた。
しかしただで受けてやるのも面白くないと、私は彼らの日帰り狩猟ツアーに引きずりだされることとなった。
当日で狩猟を済ませるためにと急ぎ早足で市外のジャングルに連れ出され、発見した
とはいえオーガに毛が生えた程度、
その晩に意外と美味しい梟熊の肉のシチューを皆で食べながら、そういえば前の冒険ではこいつを見て急いで逃げたこともあったななどとイレニアさんらと談笑し、その翌日。
森エルフらに見張りを任せ、たっぷり寝てまた“
これで術者と戦士に目と耳が加わり、人数と力量は不揃いながらもバランスの良いパーティが出来ただろうと思って、子どもたちに引き合わせたのだが……
「リリン! 誰だこの気持ち悪いオークは!」
「あーら、エルフなーんて連れてきて。困るわねーリリンちゃーん」
あ、そっちの説明してなかった。
リリン 人間の女性、ゲシュタルト・アーキヴィスト8Lvメタフィジカル・スペルシェイパー1Lv/ファクトタム3Lvソードセイジ3Lvカメレオン3Lv
エンゴング ハーフオークの女性、ファイター1Lvバーバリアン5Lv
子どもA(男の子) 人間のヒューマンパラゴン2Lvタントリスト1Lv
子どもB(男の子) 人間のヒューマンパラゴン2Lvイマージスト1Lv
子どもC(女の子) 人間のヒューマンパラゴン2Lvタントリスト1Lv
イレニア ウッドエルフの女性、レンジャー5Lv
ウッドエルフの戦士団 レンジャー2Lvくらい
・“
移動先を少なくとも一度は見たことがある必要があり、またきちんとイメージできるほど記憶してなければ目的地が「ズレ」る危険もある、アストラル界(次元界と次元界をつなぐ宇宙的空間)を一瞬通らねばならない心配などあるが、一ヶ月もかかるような距離さえ一瞬にして移動するメリットはこの呪文レベルでしか得られない。
より高位の“
通常は
・今のリリンが“
これは日本でいうと東京から沖縄間の長さにあたり、この世界の一国の首都からお隣の国の首都へ“瞬間移動”するには十分な範囲である。
この飛距離は術者のレベルによって100マイルずつ伸びる。