※この作品はR-18です。

恋姫異天記~曹操伝~   作:KKS

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二十二 謀略蠢く

 定陶にある城塔。そこから、広々とした原野を(れん)は見つめていた。

 徐州の民衆を意味もなく殺せば、曹操の目指す覇者への道に影を落とすことになる。悩んでいた時にちょうど現れた諸葛亮も、自分と似たような苦しみを抱えているような気がしたのだ。だから、手を貸してもいいと思った。曹操と闘い、別離してでもやるべきだと思った。自分にできるのは殺すことだけだった。その力が必要なのであれば、いくらでも振るってやる。一陣の風。ずっとそばにあればいいと思っていたぬくもりは、今は遥か遠く離れている。

 粛清を急いだ結果、優しかった(ゆえ)の心は蝕まれ、それは肉体にまで影響を与えた。大事な人の、あんな姿は二度と見たくない。そう考えていたのは、自分だけではなかった。月の穏やかな笑顔が眼に浮かぶ。できれば、こんな戦には巻き込みたくなかった。

 

「恋さんや(しあ)さんだけに、重責を担わせるわけにはいきません。恋さん、そして一刀さまに、私は命を救われている。その恩を返す機会が、きっと今なんです。だから、お願い恋さん。私も、一緒に行かせてください」

 

 月の決意を蔑ろにはできなかった。

 それに、巻き込んではいけないと思う反面、月の存在は自分にとって心強くもある。(ふう)が同調すると言いだしたのは意外だったが、なにか考えがあるのだろう、と霞が教えてくれている。

 徐州での戦は、どうなったのだろうか。曹操と直接刃を交えてきた霞は、相変わらず無茶をする男だ、と笑って話していた。

 霞とのやり取りの中で、恋は確信していた。曹操は間もなく立ち直り、兗州に軍を反転させてくる。その時、自分たちはどう振る舞うべきなのか。真っ先に降伏して、どうにかなるような問題ではない。そして、たぶん曹操もそんなやり方を望んでいないのではないか。誇りを失った帰参を、誰か認めるというのか。ましてや、相手はあの曹操なのである。

 闘いの最中、自分たちは絆を深めてきた。城壁に立つ深紅の呂旗が眼に入る。闘志。捨てた時、自分は自分でなくなるのだろう。通り抜ける風。今度は、寒さを感じなかった。

 

「恋ちゃん、少しよろしいですか?」

「風? んっ……、いい匂いがする」

 

 のんびりとした声。風が両手で抱えている袋からは、食欲を刺激するような匂いが漂っている。

 

「はい、どうぞー。恋ちゃんと話をするのに手ぶらで来るのもなにかと思いまして、肉まんを買ってきたのですよ」

「……いただきます。あむっ、はぐっ」

「おうおう。何度見ても飽きない、いい食いっぷりだねえ」

 

 弾力のある白い皮。噛み切ると、心惹かれる茶色い中身が姿を見せている。

 三つほど瞬時に平らげ、恋は一息ついている。曹操に買ってもらった洛陽の肉まんの味。今となっても、かすかに記憶されている。あの時は、とびっきり腹が減っていたのだ。

 好きなだけ食べていい、と曹操は自分に言ってくれた。味方ではない。むしろ、敵に近かった自分にである。嬉しかった。一食の恩義は、是が非でも返さなくてはならない。だから、簡単に討ち取れる曹操を見逃したこともある。

 

「あっ、お水もありますから、いつでも言ってくださいねー。それで、張邈さんのことですが……」

「張邈は、悪いやつじゃない。あいつも、一刀に無理な戦をしてほしくなくて、立ち上がった。月も、そう言っている」

 

 ゆったりと肉まんを食していた風の声が、少し鋭くなる。

 張邈も、自分たちのように曹操を制止したくて軍を興した。ただ、それだけのはずだった。

 

「ですが、張邈さんは気づいてしまったようですねえ。あの方が旗印となれば、兗州の豪族がこんなにも多く駈けつける。しかも、今はあの呂布奉先の軍勢までもが味方についているんですから」

「それは違う。恋は、張邈に味方したくて闘ってるんじゃない」

「はい。しかし張邈さんからしてみれば、それも違った見方ができてしまいます。ほんとうに、罪なお方なのですよ、一刀さんは。一刀さんの動きひとつが、なにもかも壊してしまう。だからこそ、新たなものを作り上げることもできるのでしょうが」

 

 うっすらと目蓋を開けたまま、風は肉まんにかじりついている。

 月は、なんとか張邈を曹操の側に戻そうとしているようだった。それが張邈のためであり、ひいては曹操の利になると思っているからだ。

 静かに、恋は皮の端を食い破った。自分たちの作った渦は、想像以上に大きくなってしまっている。止めるためには、どうするべきなのか。曹操は、どうやって止めるつもりでいるのか。

 ぼんやりとしているはずの風の相貌が、ちょっとおそろしく思えてくる。(えい)やねねにはない策謀の周到さ。それを持ち合わせているのが、風という軍師なのか。

 

「くふふー。ではでは、風はこのあたりで退散するとしましょうか。残りは、恋ちゃんが食べちゃってください。あっ、お代はつけでいいですからねー」

 

 さらりと背筋の凍るようなことを言い残し、風は城塔から去っていった。

 決めてきたはずの覚悟。それでも、まだ甘い部分があったのかもしれない。無性に、赤兎と原野を走りたくなっている。肉まんの袋。片手で揺らしながら、恋は厩舎に向かった。

 

 

 汝南に敷いた陣中で、炎蓮(いぇんれん)蓮華(れんふぁ)とともに間者からの報告を受けていた。

 (さい)粋怜(すいれい)の率いる部隊が、潁川の制圧を半ばほど終えている。潁川を抑えれば、洛陽への道が開けるのだ。焼け落ち荒廃していようと、洛陽はこの国にとって特別なものなのである。復興し、帝を迎えることが叶えば、天下の流れは確実に孫家に向くことになる。

 

「曹操と劉備の闘いに、袁紹が割って入ったようですね。あの御仁、なにを考えているのやら。私には計りかねます、母さま」

「チッ……、だからおまえは青いんだよ。人の感情の動き、興味を示すもの。そのあたりにも、もっと気を配れ。しかし、ここで最も大事なのはやつらのぶつかった結果だ、蓮華」

「はい。曹操と袁紹の合流、これはわれらにとっても看過できるような事態ではありません。兗州が乱れているとはいえ、曹操は豫州にも兵を入れてくることでしょう。この汝南と関係の深い袁紹が出てくることも、十分に考えられます」

「あの曹操のことだ。まずは張邈の野郎をぶっ潰し、全力を傾けられるようになってから豫州に出てくることだろう。汝南の豪族どもを、きっちりと締め上げておけ。場合によっては脅してもいい。そのあたりは、おまえに全て任せる」

「承知いたしました、母さま」

 

 強引だったが、袁紹にしては冴えた手を使ったと炎蓮は受け取っている。

 曹操への強い思いがそうさせたのか。あるいは、ほかの誰かによる手引があったのか。どちらにせよ、曹操は自身に対する脅威のひとつだった袁家を、丸ごと呑み込むことに成功している。

 冀州は豊かな土地だった。黄巾の乱の途中逃げ込んだ者も多く、人口は増している。糧食と兵。その両方を、曹操は労することなく手に入れたような格好だった。

 

「そういえば、姉さまの当たっている方面はどうなっているのでしょうか。先の徐州牧である、陶謙殿の捜索にも人数を割いていると、明命(みんめい)が話しておりましたが」

 

 顎を指で撫で、炎蓮はかずかに笑みを見せた。

 

「ああ、それに関しても上手くいっているようだ。先日、雪蓮(しぇれん)のやつからジジイを確保したという書簡が届いていてな。ハッ、劉備には災難なことだが、これが乱世というやつよ。曹操が退いて一休みできると思っているのかもしれんが、そうはいかねえな」

「雪蓮姉さまが徐州を()れば、孫家は一気に北への足がかりを得ることになる。曹操も、徐州を気にしている余裕などありませんし、こちらにとっていい流れが来ているように思えます」

「だが、そうした時ほど気を引き締めておけ。戦とは生き物だ。なにがどう作用するか、わからん場合も少なくはない」

 

 立ち上がり、炎蓮は南海覇王を腰に佩いた。

 馬に跨ると、護衛の兵が整然と集まってくる。もう少し、本陣を前に動かすつもりだった。その視察を、自ら兵を率いてするつもりなのである。

 

「私も連れて行け、孫堅。陣にいるだけでは、腕が錆びついてしまいかねん」

「勝手にしやがれ。だが、とっとと準備しねえと置いていくぞ」

 

 華雄に笑って言い放ち、炎蓮は馬を駈けさせた。

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