※この作品はR-18です。

恋姫異天記~曹操伝~   作:KKS

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十 忠義と愛と

 原野に人垣ができている。

 総勢六万の曹操軍。そこに冀州からの援兵を加えると、九万にまで達することになる。孫堅が豫州攻めに動員しているのは、五万から七万といったところなのか。そうなっているのは、揚州、ひいては徐州にまで戦力を割いているからに他ならなかった。

 孫策軍が州境を侵し、徐州軍との闘いをはじめた。知らされているのはそこまでで、戦の行方はまだわかっていなかった。しかし、劉備の苦戦はまぬがれないのではないかと思う。自分という明確な脅威が相手だったから、徐州はぶれることなくまとまることができていたのだ。

 孫策は硬軟の態度を使い分け、豪族たちに揺さぶりをかけようとするはずだ。そして、その軍勢の中にはかつて徐州牧だった陶謙がいる。憎たらしい男だった。おめおめと生き延び、孫家の威を借り権力者の地位に返り咲こうとしているのか。考えただけでも虫酸が走る。あの年寄りの首だけは、いつまでもつなげておくわけにはいかなかった。

 自分の前に引き立て、首を刎ね飛ばすのが理想ではある。

 方法は選ばないつもりだった。だが、孫家による守りはかなり強固であり、奪取、あるいは暗殺に踏み切れていないのが実情だった。天命などというものが自分についているのなら、どうして陶謙のような者を生かしておくのか。募るものが、ないわけではなかった。

 田豊の姿が徐々に見えてくる。周辺を空けるように、曹操は護衛に命じた。

 

「感謝しているぞ、田豊。おまえの尽力があったから、俺は麗羽(れいは)のことを真っ直ぐ見られるようになったのだろう」

「私と荀彧殿は、ちょっとしたきっかけづくりをしたに過ぎません。お二人に、もともと惹かれ合う部分があったから、今回のような結果となったのでしょう。ええと、それでなのですが」

 

 田豊が、なにかに迷っているような素振りを見せている。

 

「どうかしたのか?」

「いえ。その、大したことではないのですが、なんとお呼びすればいいのかな、と。麗羽さまは、曹操殿をわが君と思いお仕えするように、と書簡で仰せでしたので。あっ、私のことはもちろん真名で呼んでくださってかまいません。……以前に、一度お預けしていることですし」

 

 胸の前で合わせた指。ちょっと赤くなりながら話す田豊が、一段とかわいく思えてくる。

 

真直(まあち)の好きなように呼んでくれていい。俺の真名も、ここで改めて許そう」

「あ、ありがたき幸せですっ! われら袁家も一丸となり、主さまの覇業をお支えすることをお誓いしたく……」

 

 主さま。勢いで口にしたのだろうが、真直の誠意は十分に伝わっていた。

 最後の最後で詰まる言葉。ちょっと具合が悪そうに腹をおさえる真直の視線の先には、腕組みをした桂花(けいふぁ)が立っていた。

 

「……ったく、舞い上がってる場合じゃないでしょうが。でも、よく来てくれたわね、田豊。それと、いきなり息子の世話を押し付けてしまってごめんなさい」

「い、いいえ! 危地において袁家を頼ってくださったこと、密かにうれしく思っていましたから。そうだ、早くご子息をお連れしないとですよね。典韋さんと、一緒におられますので」

 

 真直が慌てて群衆の中に消えていった。

 久しぶりの再開が、愉しみなのだろう。ちょっとそわそわしている桂花の肩を、曹操は小さくたたいた。戦にでれば、またしばらく離れ離れになるしかなくなる。だが、たとえ短い時間であったとしても、顔を見ておきたいというのが親の情なのだった。

 

 

 沛国入りの直前。先行させている馬超軍からの知らせに、曹操は関心を寄せていた。あの関羽が、すぐ近くにまでやってきている。それも、自分と会いたいと懇願しているようだった。

 孫策との戦の最中に、もっとも力のある将軍を離脱させてまで、やるべきことがある。よほどの苦境に、徐州軍が陥っているとしか思えなかった。

 自分の中での折り合いは、それなりについている。あとは、劉備がどう判断するかでしかない、と曹操は考えていた。

 

「関羽と会うのね、一刀。劉備が完全に潰されてしまえば、孫策を止めておく壁が失われてしまう。それだけは、阻止する必要があるか」

「むずかしく考える必要はないのではないか、桂花。俺と劉備軍。一度は袂を分かったが、根本では結ばれているなにかがあった。複雑に思わなければ、物事は案外すんなりと解決してしまえる気がしているのだよ」

「そっ。あんたがそれでいいなら、私に異論はないわ。使える駒が、増えるに越したことはないもの」

「意地の悪い言い方をする。そのうち、昂に怖がられても俺は庇ってやれないぞ?」

「うっさい。会うなら、さっさと行ってきなさいよ。時間は、かぎられているんだから」

「わかっている。それではな、桂花」

 

 わざとらしく肩を怒らせる桂花を残し、曹操は関羽の待つ幕舎へと向かった。

 軍勢は連れておらず、付随しているのは数人の護衛だけのようだった。付き添ってきた(すい)に二人で話すことを伝え、中に入った。

 憔悴しているが、覇気はまだ消えていない。関羽の凛々しい視線。自然に受け止め、曹操は対面するように置かれている胡床のひとつに座った。

 

「まあ座れ。強いか、孫策は」

「はっ。揚州兵を糾合した孫策軍は、かなりの勢いを持っています。言い訳にしかなりませんが、万全の状態で迎え撃てなかったことが悔しくてなりません。現在、劉備さまは下邳城で、敵軍の攻撃を耐え忍んでおられます。しかし、それだっていつまでも続けられるようなものではありません。手当は、早急に必要です」

 

 敵軍のつけ込む隙。それを生んだ一因に、自分は間違いなくなっているのだろう。

 俯き、横を向いたまま関羽は答えている。眼を見て話せないのは、敗戦による恥じらいのためなのか。勝敗は、兵家の常ともいう。それに、生きているかぎり挽回の機会はいつでもあるのだ。

 

「援軍を頼めるような立場でないことは承知しています。ですが、どうかそこを曲げて劉備さまを助けていただきたい。私の願いはそれだけなのです、曹操殿」

 

 立ち上がり、関羽が勢いよく頭を下げた。

 垂れ下がる黒髪。自分から色よい返事をもらえるまで、そうしているつもりなのではないか、と曹操は思っている。追い詰められた状況にあっても、最大限の誠意を示さなければならない。そして、関羽を派遣することでしか、それが達成できないことを劉備は知っているのだ。

 

「救援はしてやってもいい。孫策が徐州全土を制圧すれば、こちらまで危うくなるのでな。ただし、対価は高くつくぞ」

「かまいません。姉上から、条件はすべて曹操殿にお任せするよう仰せつかっておりますので」

「ははっ。そうか、桃香(とうか)らしいと言ってしまえば、それまでになるが」

 

 劉備とは、あえて呼ばなかった。

 なにか感じるものがあったのだろう。頭を上げた関羽。その表情は、かすかに和らいでいる気がしていた。

 

「よいのだな、愛紗(あいしゃ)?」

「信じておりますから、あなたさまのことを。われらの今後を委ねられるお方がいるとしたら、それは一刀殿ただおひとりなのでしょう」

「いいだろう。おまえたちの信に応えるためにも、全力を尽くすことを約束する。すぐに軍議を開く。同行してくれるな、愛紗」

「御意に。豫州での戦があるというのに、負担をおかけして申し訳ありません。御恩に報いるためにも、力のかぎり青龍偃月刀をふるう所存です。なんなりと、お申しつけを」

「簡単なことではないだろうが、少し肩の力が抜いておけ。堅苦しいのはおまえの美点だが、たまには楽をすればいい」

「そ、そうでしょうか? 自分では、気にしたこともありませんでした。姉上がお優しい分、私が厳しく目配りしておかねば軍規が乱れる、と常々思っていたものですから」

「あれで、桃香はしっかり者だ。戦の采配も下手ではない。この前の戦でも、俺はその事実を直に味わい知っている」

「やると決めたら、やってしまえるお方なのです。わかっているはずなのですが、どうしてもお守りせねばと思ってしまう。それが、桃香さまの魅力なのでしょうね」

「ははっ。その分では、まだまだ姉離れはできそうにもないな」

 

 桃香と愛紗。三人で手をつないだ時のことを、曹操は思い出していた。

 紡いだ絆が、乱世を乗り越える原動力となることがあるのか。そのことを、実感せずにはいられなかった。これまで、様々な縁に助けられて自分は道を進んできたのだ。拾い、曹家当主にまでしてくれた養父。そこからはじまった縁が、ついには桃香にまでつながっている。

 

「で、でしたら、その……。二人でいる時は、甘えてもよろしいのでしょうか、兄上に……?」

 

 姉離れができていない、と言われたことが気になっているのだろうか。それはいいが、まさか自分に甘えることで均衡をとろうとするとは思わなかった。

 座ったまま、愛紗に手招きをした。戸惑いがある。しかし、嫌がっている気配はなかった。脚に抱きつくような格好となり、愛紗が膝におずおずと頭を預けてくる。

 やわらかな黒髪。ゆっくりと撫で、曹操はつとめて穏やかな声色で語りかけた。

 

「疲れただろう。ずっとしてやるわけにもいかないが、少しだけでも休んでいくがいい」

「ふふっ、ありがとうございます……。この世に、こんなにも心地のいい場所があることを知りませんでした。さすがですね、兄上は」

「いつかは、俺も愛紗の膝で眠りたいな。気持ちがよすぎて、起きるのが嫌になってしまうかもしれないが」

「いいですよ、それでも。兄上が満足されるまで、お付き合いいたします」

 

 自然な触れ合い。膝の上に置いた手に、愛紗が指で触れてくる。

 

「ははっ。くすぐったいぞ、愛紗?」

「すみません。ですが、兄上とこうしていられるのがうれしくて」

「嫌なのではない。愛紗がかわいいから、つい意地悪をしたくなるのだ」

 

 一度眼を閉じ、膝の上で愛紗が深呼吸をする。

 それで、気持ちが整ったのだろう。眼を開けた時には、武人としての凛々しさがはっきりと表に出ていた。

 

「満足できたのか?」

「はい、とても。兄上のおかげで、元気がでてきたように思います。ふふっ、これは桃香さまにも教えて差しあげないと」

「その意気だ。関羽雲長の武働き、期待している」

 

 完全に離れてしまう前に、もう一度だけ髪に指で触れてみる。

 ほほえむ愛紗。厳しいだけよりも、ずっといい顔をするようになったと曹操は思っている。

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