※この作品はR-18です。

恋姫異天記~曹操伝~   作:KKS

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十六 武人の誇り

 具足の重みが、心身ともに引き締めてくれているようだった。沛国の治所から軍を進め、麗羽(れいは)は譙に本陣を敷いていた。孫堅が、陳国あたりにまで出てきている。緊張は、確かに高まっていた。

 幕舎で、拡げた地図を麗羽が睨んでいる。曹操とまたすぐに会えなくなったのは寂しいが、豫州戦線を任されたのは信頼されている証拠でもあるのだ。

 このあたりで、一度ぶつかっておくべきなのかもしれない。いつまでも守りの姿勢でいたのでは、兵たちにも厭戦気分が生じかねなかった。

 曹操が残していった軍勢を合わせて、自軍は五万を越えている。すべてを動かすと大事になりすぎるし、少なすぎては孫堅への圧力にはなり得ない。その塩梅を決めようと、麗羽は軍師たちを招聘していた。

 

「お待たせいたしました、麗羽さま。桂花(けいふぁ)殿も、すぐに参られます」

「ええ、真直(まあち)さん。空いている席に、適当に座ってくれて構いませんわよ」

 

 真直の来訪から、ほとんど時間を空けずに桂花がやってきた。

 徐州への兵糧輸送の手筈は整っているようで、あとを陳珪に託して前線にまで出てきている。曹操の意図。それをもっとも汲んでいるのが、この軍師なのだと麗羽は思った。

 桂花は立ったまま、卓に拡げてある地図に眼を落とす。闘いに向けた姿勢。本人は否定したがりそうだが、曹操から受けてきた薫陶が自然とそうさせるのではないか。倣って立ち上がり、真直と一緒になって覗き込んだ。

 

「正面から陳国に向かうのは、避けるべきでしょうね。汝南を窺うと見せて、迎撃に出てきた孫堅の部隊を叩く。騎馬隊を中心に、機動力のある兵を中心に選定するのがいいんじゃないかしら」

「さすがに、桂花殿ですね。呂布殿に馬超殿、それから顔良の部隊を攻撃には当てましょうか。麗羽さまには本陣に残っていただき、万一への備えとして夏侯惇殿に歩兵を伴って出ていただく。そのあたりが、妥当な線でしょうか」

「そうね。孫堅の配下のほうだって、本格的な戦に焦れてきているはず。動きを見せれば、間違いなく食いついてくることでしょうよ」

 

 軍師二人の決断に澱みはない。

 幕舎に到着するまでに、自分なりの結論を持って作戦を考えてきているのだ。懐刀、そして妻女として、曹操を支えてきた桂花に対する信頼は厚かった。

 

「趙雲さんがいないのが、残念でなりませんわね。あの方がいてくれたら、馬超さんを安心して奇襲部隊に回せますのに」

「だったらその役目、張遼に任せてみてはどうかしら。呂布軍は、大将ひとりでも十分成り立つもの。軽騎兵を二千ほど与えれば、いい働きをしてくれると思うわよ」

「ふむ。桂花さんが推薦されるのなら、間違いありませんわね。留守番をしているのは面白くありませんが、わたくしが動くと目立ちすぎるから仕方がありませんか」

 

 陣立ての内容が矢継ぎ早に決まっていく。

 動くのは、全部で二万ほどになるのか。呂布という存在が圧倒的すぎるだけで、張遼にも十全すぎる軍才がある。用兵の素早さだけで言えば、軍全体でも随一だと曹操が話していたことを麗羽は思い出している。

 

「本来、総大将はどしって構えていただいていれば、それでいいのです。主さまは果敢な戦をなされますが、裏を返せばそれは危うさにもつながります。ですから、その分麗羽さまが落ち着いた振る舞いをされて、ちょうどいいのではないでしょうか」

「確かに、真直さんのおっしゃる通りなのかもしれませんわね。みながみな、あの方になる必要はないのです。守るべき場所を守る。それも、妻としての役割のように思えてきましたわ」

 

 迷うことはないと思った。

 曹操の代わりをするのではなく、自分は自分であればいいのだ。具足を鳴らし、麗羽が言い放つ。

 

「出撃は明日の朝。もし孫堅軍が乗ってこなかった場合、深入りは不要といたしましょう。将軍のみなさんをすぐに集めなさい、真直。詳細は、わたくしから直に話します」

「はっ。それでは、行って参ります」

 

 駈け出していく真直の後ろ姿。見つめながら、麗羽は満足気に微笑している。

 

 

 軍旗。風に揺れている。

 馴染んできた『曹』の一字の旗を見上げて、(れん)は集中力を高めていた。

 (しあ)は別働隊を率いることになっているから、今回は自分ひとりで指揮をする必要がある。今後は、そうしたことが当たり前になってくるのかもしれない。呂布軍という括りで、霞を縛り付けておくのはちょっと勿体ないような気がしていたのだ。個別の部隊が与えられるのであれば、それが一番いいような気がしてくる。恋としても、息の合った霞が独立してくれているほうが闘いやすくなるのだ。

 

「んっ……。そろそろ、ちんきゅ?」

「はい、呂布殿。馬超軍からも、出撃の通達が来ております。こちらも、はじめましょうか」

「わかった。みんな、行こう」

 

 深紅の騎馬隊が動き出す。

 赤兎以外の馬と戦場をともにするのは、かなり久しぶりなことである。腿で馬体を締め上げ、駈けるように命じた。

 全身で風を切る。(すい)が予備に連れてきている軍馬だから、脚の強さは悪くなかった。これなら、遠慮することなく闘える。方天画戟を握りしめ、恋は前方に顔を向けた。

 

「敵は、まだ見えない」

 

 事前に立てられた作戦に従って、まずは汝南に進路をとった。

 五百の呂布軍。それと並ぶように、三千の馬超軍が土煙をあげている。騎馬と歩兵で混成された顔良の部隊六千はその後方にいて、遅れないように必死についてくる。

 孫堅軍は、まだ出て来ないのか。斥候をしきりに飛ばしている。半分遭遇戦のような状況を目指しているのだから、戦況の調査は欠かすべきではなかった。ねねも参謀としての振る舞いが板についてきて、戦場にいても落ち着いた表情を見せるようになっている。

 曹操との戦さ。そこからの帰順を経て、なにか胸に期する思いがあるのかもしれない。曹操への八つ当たりに近い悪口も、近頃は鳴りを潜めていた。

 真っ直ぐ駈けていた馬超軍が、右に逸れるような動きになっている。孫堅軍の存在を掴んだに違いない。同じように、恋は手綱を操り馬首を北に傾けていた。

 

「わかりましたぞ、呂布殿。迎撃に出てきたのは、甘寧率いる歩兵八千。それから、相手にはあの華雄もいるそうです。三千の騎兵。相手にとって不足はありませんな」

「いつかは、闘うことになると思ってた。敵が華雄だからって、遠慮はしなくていい。向こうも、全力でくるつもりだと思うから」

「はい。どちらにも、手心がないことをわからせてやりましょう。それが、戦というものなのですから」

「んっ……、それでいい。伏兵には、気をつけておいて。ちんきゅーの眼、たよりにしてるから」

 

 乾いた風を断ち割り、騎馬隊が進んでいく。ぶつかるまで、あと数里といったところなのか。

 『華』の旗。原野の向こう側からあらわれる。翠には、甘寧の抑えを依頼してあった。かき回したところで、顔良の率いる歩兵を突撃させる。戦の流れとしては、それが理想的だった。

 

「来る。ちょっと離れていて、ちんきゅー。恋の近くにいると、たぶん危なくなると思うから」

「承知です、呂布殿。乱戦になったら、指揮は私にお任せくださいなのです」

 

 頷き、先頭に躍り出た。自分がそうであるように、孫堅といることで華雄もあの頃とは変わっているはずだと思った。

 確かめるには、一度闘ってみるしかない。武人としての血。湧き立つ感覚が、ないわけではなかった。

 華雄の率いる騎馬隊が、尖った錐のように陣形を変える。突撃し、こちらの勢いを殺した後で、包み込もうとしてくるのかもしれない。

 ぶつかる直前に進路を変え、とにかく正面から当たることを避けた。徹底した調練を施した精鋭でなければできない動き。敵軍に対し斜めに切り込む深紅の軍勢。その切っ先に、恋はなっている。

 

「どけ。おまえたちじゃ、相手にならない」

 

 出会い頭にひとりを馬上から跳ね飛ばし、恋は突進していった。

 華雄はどこにいる。空間ごと斬り裂くように、方天画戟が走る。自分との闘い。華雄も、間違いなく望んでいると恋は思っていた。

 

「はははっ! 見つけたぞ、呂布奉先。華雄の姐御が相手をするまでもない。この私が、おまえを潰してやるっ!」

「……? 知らないやつ。邪魔だから、どいてもらう」

 

 巨大な鈍器のようなものを担いだ女。華雄の名を出したということは、それなりに近しい立場にあるのだろうか。

 発している闘気はそれなりだが、無邪気なだけでおそろしさはなかった。武力では自分に到底及ばない曹操でも、剣を持って向き合えば気圧されるなにかがある。戦場での強さというのは、単純なものではないのだ。

 単騎で駈け出し、恋は方天画戟を横に倒した。女は馬を止め、迎撃の態勢をとっている。かまわず、勢いのまま乗り入れた。無骨な鉄の塊。難なく跳ね除け、駈け抜けた。馬首を返す。女の顔には、焦りが生まれている。次の一撃で終わらせる。そのつもりで、恋は馬体を腿で締め上げた。

 

「死ね」

「あっ、うわあああっ……!?」

 

 恐怖によって青ざめる表情。感情を殺し、方天画戟を突き出す。

 仕留めた。そのはずなのに、手応えがまるで無い。

 見れば、女は馬から転げ落ち、尻もちをついていたのだ。標的のいなくなった空間。穂先は、そこを突いただけだった。運がいいやつ。しかし、それは生き残る上でかなり大事な要素になってくる。

 生き残れば、それだけ自分を鍛え上げる時間ができる。あるいは、戦から離れることだってできなくはない。そのすべてが、可能性なのである。否定する気持ちなど、恋には少しもなかった。

 一騎の影。割り込んできたかと思うと、鋭い一撃が見舞われる。長らく見ていなかった顔。ちょっとうれしくなっている自分がいることに、恋は気がついていた。

 

「ちっ。どいていろ、魏延。呂布は、おまえが闘って相手になるような女ではないと言っただろう。首と胴がまだつながっていることに、感謝するのだな。普通なら、さっきの攻撃で死んでいた」

「あ、ああ、姐御っ」

「死にたいのなら、あとで私が殺してやる。そうでなければ、さっさとどこかへ行け」

「ぐっ……! しょ、承知」

 

 戦斧をかまえ、華雄が殺気を飛ばしてくる。言葉は厳しいが、どこか嫌いきれていない部分がある。そうした雰囲気を、恋は敏感に感じ取っていた。

 周囲の兵が、なんとなく自分たちから距離をとっている。邪魔をするべきではない。あるいは、巻き込まれて死ぬことを避けようとしているのか。

 そのどちらでもいいと思った。華雄の眼。自分を見据えている。本気の眼だった。気を抜けば、死があちらから迎えに来る。方天画戟を握る手に、力がこもった。

 

「いくぞ、呂布」

「こい、華雄」

 

 同時に、馬を駈けさせた。

 火花が激しく飛ぶ。華雄の攻撃は、鋭く重い。董卓軍にいた頃よりも、ずっと速くなっていると言っていい。

 自分の攻撃が、通りそうで通らない。乗っているのが赤兎ではないから。そんなことを、言い訳にはしたくなかった。

 

「華雄。前より、かなり強くなってる」

「当然だ。おまえたちと別れてから、遊んでいたわけではないのでな。私は私で、手の焼ける女に苦労させられた」

「ふふっ。たくさんしんどい思いをすると、ご飯がもっとおいしくなる。恋たちにも、いろんなことがあった」

「変わらないな、おまえは。いや、そうではないか」

 

 数歩分距離を空ける。息を思いっきり吸い込み、馬を走らせる。打ち合う。華雄の気迫は、凄まじかった。

 それでも、敗けられない。自分の闘い。それはすでに、自分のものだけではなくなっているからだ。

 

「はははっ! それでこそ、呂布奉先ではないか。いいぞ、もっとだ。もっとこい!」

「華雄と闘ってると、胸がどきどきする。まだまだ、恋の力を見せてやる」

 

 方天画戟を握る腕が熱い。きっと、華雄も同じように感じていることだろう。

 命のやり取り。その中でしか、わかり合えないものがある。悲しいとは思わなかった。これが自分たちなりの再会の仕方。生涯を捧げるべき主君を見つけた、武人の生。

 粟立つ肌。様々なことを、華雄との闘いが思い起こさせてくれている。吹き抜ける風。叫びが、原野に轟いた。

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