この何日か通っている工房に、朱里は足を運んでいた。
隣を歩く桔梗の姿を見上げる。闘志を孕んだ瞳。手足には力がみなぎっていて、若い世代の将軍と並んでも溌剌さに劣りはない。
燈とはまた違う、成熟した女の魅力。こうしてそばにいるだけでも、感じてしまえるのである。
曹操という人は、傑出した人物をほんとうによく惹きつける。相手がどこの勢力に属していようと関係ないことは、劉備軍や袁家の面々、それに旧董卓軍の吸収で実証済みなのだった。
「朱里よ。昨夜は、あの御方の寝所に招かれていたそうではないか。ふふふっ……。よろしくやっているようだな、小さい身で」
「わ、私だって、まだまだ成長中なんですから。それに一刀さまは、誰にでも等しく接してくださいます。だからこそ、私はその期待に全力で応えようと思う。あ、あちらの方にしても、それは同じで……」
「はははっ。いや、すまぬ。別段、おぬしをからかおうとしたわけではなかったのだ。気を悪くしたのであれば、このとおり」
そう言って、立ち止まった桔梗が腰を折った。
武人としての矜持はあっても、嫌な頑なさがあるのではなかった。性格はさっぱりとしていて、自分のような若輩でも忌憚なく意見することができる。
「な、なにも、そこまでしていただかなくても。頭を上げてください、桔梗さん」
「はははっ。こういうのは、思い切りが大事でな。これからも何卒よろしく頼むぞ、軍師殿?」
「こ、こちらこそです、桔梗さん。故障中とはいえ、豪天砲の機構を見せていただけたことには、ほんとうに感謝しているんです。真桜さんも、あれで研究がすごく捗ったそうですから」
「うむ。どうやら、そうらしい。こちらとしては、得物の修理を請け負ってもらえるのだから、相応の礼をしているだけに過ぎんのだがな。成都には、アレをいじくれる人間などおらん。ゆえに豪天砲が再度使えるようになれば、わしとしては御の字なのだ」
桔梗と会話をしていると、件の工房が見えてくる。
取り仕切る主の名は李典。武器の研究をするようになってからは懇意にしていて、真桜という真名で呼んでいる。
曹操麾下において、これだけの権限と資金を与えられている技術者などほかにはいない。突拍子もないことをしたりもするが、閃きをすぐさま実行できるだけでもひとつの才能といえるのだろう。
「おう。今日もやっているな、真桜」
「ああ、おはようさん。伝えてたとおり、ぼちぼちかたちになってきてるで。にひひっ……。豪天砲も、朱里のアレもなあ」
「はて。なにやら意味深な笑いだのお、真桜よ。さては朱里、わしに内緒でいかがわしい依頼でもしておるのか」
心臓が跳ね上がる。
まったくそちら方面の構想がないわけではないが、まだ外には一度も洩らしていないはずだ。
曹操の相手を、もっと上手くできるようになりたい。そんな気持ちから、アレのかたちを模した玩具があればいいと思うことが時々ある。真桜の技術力を加えれば、単純な造形だけにとどまらず、もっと動的な遊びができるような代物を製作できるのではないか。そんなこんなで密かに構想を記してはいるものの、それは秘中の秘として私的な棚に留めおいているのである。
「いやいや。なにもウチは、そんなつもりで言ったんやないんやで。そんなん、朱里の依頼っていうたらアレしかないに決まってるやんか、なあ?」
「そ、それというのはもちろん、連弩砲のことですよね? お願いですからそうだと言ってください、真桜さん」
「んあ? ほんまに朱里、なんでそんなに必死なん。まあ、大将との遊びで使いたいもんあるんやったら、いつでも言ってや。ウチかて、他人の玩具作ってる間にいい考えが浮かんでくるかもしれへんし」
「はわっ、ほ、ほんとに? ……って、そうじゃありません!? ん……、こほん。今日は試作品ができたと教えていただいたので、ぜひ桔梗さんと一緒に確認をですね……」
ここで焦るわけにはいかない。
動揺をしただけ、相手に主導権を渡すことになる。軍師として、曹操に忠誠を捧げる者として、恥ずべき姿を晒したくはなかった。
ぎりぎりのところで居住まいを正し、朱里は帽子を胸に抱えた。二人の眼がちょっと白い。あるいは、話の転換の仕方に無茶がありすぎたのか。
「くくっ。まあ、朱里の危ない思考の詳細はあとで聞くとしてだな。早速だが、真桜よ」
「はいな、桔梗の姐さん。射撃場の準備もしてあるさかい、ちゃちゃっとおっぱじめようやないか」
桔梗と真桜。二人が揃って歩いていると、正直その光景に圧倒されそうになる。
揺れに揺れる四つの塊。どちらも見事な実りっぷりで、外見上での母性では完敗していると言うほかなかった。とはいえ、曹操の趣味が別段そちらに振っているわけではないのが救いだった。事実、子を宿しているのは最近でも月や風のような自分に近しい体型の女性ばかりで、少し前には鈴々とも一夜を過ごしたというのだから、風向きとしてはむしろいいと言える。
それにしても、どのような食生活をしていれば、あれだけのものを身につけられるのだろうか。
胸は言うまでもなくものすごいが、後ろから見える臀部にもどこかそそられる雰囲気がある。元気な子を産んでくれそうというか、とにかくそういった感じがするのだ。
「どれ。久々に、一発かましてやるとするか」
「ば、爆発したりなんかしませんよね? 桔梗さん、試射はどうか慎重に」
「ああん? ウチの力作になに抜かしてくれてんねん、朱里。そりゃあ実験で、一度や二度はどかんとやらかすことはあってもやな……」
不安を誘う真桜の言葉を聞いたところで、桔梗が怯むはずがなかった。
むしろ、死地に率先して飛び込むことこそ武人の誉だと言わんばかりに、機構を改修した豪天砲を構え発射装置に指をかける。
「では、いざ参る」
凛々しいくらいの声の響き。射撃が行われるその瞬間を、朱里は息を呑んで待ち構えていた。
踏ん張るように桔梗が右足を後ろにやる。轟音。それと同時に、配置されていた的が木っ端微塵に吹き飛んだ。
桔梗は無事。豪天砲も、見た目は発射する前となんら変わりがない。となれば、試験はこれで成功なのだろうか。駆け寄る真桜を見ながら、朱里は安堵の息を洩らしている。
「おい、真桜よ」
「はいはい。なんでっしゃろ、姐さん」
「指を引いても、二発目が出ないのだが。これは、一体なにごとか」
「にへへっ。実を言うと、中身の絡繰はまだまだ突貫工事しただけの状態なんよ。せやから、ちょーっと冷ましてやらんと、なっ?」
「むむっ……。しかし、一度とは申せ元通りの射撃ができたのだから、良しとするほかありはせんか。礼を言うぞ、真桜」
「いやいや。ウチの面子にかけて、なにがなんでも元通りにしてみせるで、こいつを。んっ……。というか、それでは意味があらへんなあ。せっかく今になって改修してるんやし、元々以上の力を出せるようにならんと。いっそのこと、換装して炎でも撒き散らせるようにするのはどや?」
「不要だ、そんなものは。わしのかわいい豪天砲におかしな武装をつけてみろ。その時は、ただでは済まさんぞ?」
「あ、あはは……。またまた、そんなの冗談にきまってるやん。これでも職人として、元の造り手には敬意しか持ってないんやから」
さすがの真桜でも、豪天砲を完全な状態にするには時間が必要なようだった。だが、ある意味ではそれでよかったのかもしれないと朱里は思う。桔梗は個人的な好意を曹操に抱いてはいるが、益州に帰属していることには変わりないのである。
いざ戦がはじまれば、状況はどちらに転ぶかわかったものではない。
長安からの横槍があったとして、劉璋が日和るくらいであればなにも問題はない。だがもし、それ以上の事態に発展するともなれば、桔梗の武威が曹操の脅威になるようなことは避けねばならなかった。
「真桜さん謹製の連弩、私の要求したとおりに仕上がっているようですね」
「そっちはまあ、ある程度の威力があったらそれでいいからなあ。姐さんの武器みたいに、要求されるもんが高いとこっちも大変やで」
「私が、試してみても? 普通の兵士でも使えるものでなければ、意味がありませんので」
「んじゃ、矢弾はこっちに。装填して、あとはしゅばっと」
頼んでいた連弩砲の本体は、非力な自分でも構えられるくらいの軽さだった。
そこに携行式の弾倉を装着すると、それなりの重さになる。自分が実戦で使用するようなことはないのだろうが、製作を依頼した手前機構をしっかりと把握しておく必要がある。でなければ、現地での運用などまず無理だと朱里は考えていた。
「危なくはないのか、真桜。下手をして、足でも撃ったとなれば大事になる」
「せやなあ。ほんなら姐さん、ちょっくら指導の方お願いするわ。反動は、結構小さめにはしてあるんやけどな」
「おう、任された。ほら朱里、もっと腰を入れて構えんか。それでは、子犬ですら驚かせぬぞ」
背後から密着し、桔梗が最低限のことを指導してくれる。
百戦錬磨の武人なだけあって、その指摘は的確だった。丹田に力を入れ、下半身で土台を作ることを意識する。そうして低く構えると、照準のぶれはかなり小さくなったように思う。
「あっ、んっ……。こ、こんな感じでしょうか、桔梗さん」
「そうだ。賢いだけあって、軍師殿は意外と筋がいい。なかなか、鍛え甲斐がありそうではないか」
「あ、あはは……。どうか、お手柔らかに」
手足の位置を調整してもらう度に、やわらかな部位が身体のどこかに接触する。腕、背中。今度は、後頭部のあたりにまで。
いけない。邪な考えなど捨てるんだ、私。
意識を研ぎ澄ませ、朱里は前方にある的に集中を向けた。あとは引き金を引くだけで、弾倉に込められた複数の短い矢が飛び出すはずなのである。
「よし。このまま、発射してみるといい。安心せい、わしが支えておいてやる」
「はい。それでは、いきます」
指にぐっと力を入れる。
小気味のいい発射音。それと同時に、短矢が面となって標的に襲いかかった。
射程はそれほどでもないが、距離をとった撃ち合いに使用するつもりはないからそれでよかった。伏兵と絡めた強襲や、狙いの定めにくい森林での戦闘。連弩の活躍が想定されるのは、そういった場面のことなのである。
「おーう。いい感じやないの、こっちは」
「ええ、真桜さん。こちらの量産は、すぐにでも?」
「材料の発注だけはかけてあるで。朱里が大将の許可だけとってくれたら、ウチらはいつでも」
連弩の仕上がり具合には真桜も自信があるようで、調練の期間を含めると早急に取り掛かってもらうべきだった。
西方軍団の方針で、自分は麗羽に従い司馬懿の釣り出しに注力することになる。主力となるのは袁家の二枚看板と、馬騰、馬超親子による騎馬隊だった。
洛陽を制圧し、相手の動きを待って函谷関のあたりでの迎撃を当初は考えていた。函谷関はかつて秦が合従軍を破った地でもあり、その再来を狙ってみるのも悪くはないと思ったのである。
だが、馬家一門の騎馬隊と影響力を活かすのであれば、もう少し進んだ先の潼関付近での決戦が理想的なのではないか。とはいえ、そこは真直らとも詳細を詰めるべき部分で、自分の一存だけで決めるようなことではなかった。
「ほんなら朱里ぃ。こっからは、もそっと個人的な話でもしてみよかあ?」
「やましい妄想、大いに結構。くくっ……。一刀殿に対する軍師殿の劣情、余さず聞かせてもらおうではないか」
「あ、え……? ど、どうして、こんな流れになってしまうんでしょうか」
怪しげな気配が漂う。やけに愉しそうな二人から、逃げ通せる自信など少しもなかった。
もはや披露するしかないのか、分身一刀さまの構想を。
ちょっと涙目になりながら、朱里は腹をくくっている。
工房に流れる金属の焼けたような匂い。それだけが、自分を現実につなぎとめてくれているような気がしていた。