リハビリ回コラボネタやりがち。
背丈ほどの旗を背負って、自分は街道を旅しているようだった。後方を歩く女性のことが妙に気になるのは、どうしてなのだろうか。旅の仲間だったら、もっと近くにくればいいのに。そんなことを考えている間も、朱里を乗せた馬は前に進む。
意識が、まどろみかけている。一度手を離してしまえば、この光景にはもう届かなくなってしまう。そんな感覚にとらわれ、朱里はどうにか眼を開けていようとした。
隣を歩いてくれている、あの人の雰囲気。それが、少しだけ違っているのではないか。これが夢だと思うようになったのは、その違和感に気づいたせいだったのかもしれない。あの人、曹操孟徳は、言わば夢幻の狭間に生きているようにすら思えてくる。それは間違いなく、出陣の前に起きた騒動のせいだといっていい。
北郷と名乗っていた、曹操に瓜二つの青年。夢に出てきているあの人は、その北郷一刀と同じ格好をしていて、いつものように優しくほほえみかけてくれている。
「はふ……。目的地には、まだ到着しないんでしょうか、一刀さん」
「寝ぼけているのか? 野営地を出る前、つぎの街まであと二日はかかりそうだと話していたのはおまえの方ではないか、朱里」
「あれ、そうなんですか。えへへ、ごめんなさい……。なんだか、その時のことをよく覚えていなくて」
ほとんど無意識に口が動く。自分は夢の中で曹操のことを『一刀さん』と呼んでいて、やはり親しい付き合いをしているようだった。
ふと、腰の武器に眼を奪われた。流浪の道士から託されたという、倚天の剣。観察してみたかぎり、そこにあるのはまったく同じものだった。夢の中の出来事に、整合性を求めるべきではない。それでも、どこかつながりを感じずにはいられなかったのだ。
「少し、休んでおくとしようか。思春は、先を急ぎたがっているのだろうが」
「んぅ……。すみません、一刀さま」
「さま? ははっ。どうした、いきなり畏まった呼び方をして」
夢の中の曹操が笑う。自分にとっての当たり前が、この人にとってはそうでない。そのことが、ちょっと寂しく思えてくる。
両脇を抱えられて馬を降りる。絶影に同乗させてもらった経験はあっても、ここまで世話を焼いてもらったことはない。自分は曹操の軍師で、一度は敵に回ったことのあるような人間だった。それだけに、背伸びだけは懸命にする。たとえ不要だと思われていても、自分にも通したい意地はあるのだ。
夢の中のあの人が、野営の支度をする。ここでの自分は、どんな旅路を歩んできたのだろうか。ぼんやりする頭で、そんなことを考える。
本格的な旗揚げをする以前は、曹操も夏侯の二人を連れてよく旅をしていたのだという。風や稟、それに星との出逢いは旅先でのことらしいし、時間ができたらもっと思い出話を聞いてみたくなる。
おそらく思春というのは、後ろからついてきているあの女性のことなのだろう。気圧されるくらいの眼つきをしているが、一緒に旅をしているくらいなのだ。そこには自分の知らないきっかけがあり、かたく結ばれた縁があるに違いない。
また、意識が遠くなる。このあたりが限界なのか。心配をしてくれているのか、追いついてすぐに思春と呼ばれた女性が顔をのぞきこんでくる。額に触れる指。その力加減だけでも、夢での自分が思春と懇意であることがうかがい知れる。
「まったく。夜更かしでもしていたのか、この痴れ者め。むっ……。まさか、一刀?」
「どうして、そこで私に疑いの眼を向ける。断じて、無茶なことはさせていないぞ」
「それはつまり、ほどほどの無理はさせていると言っているようなものではないか。あ、相手をしてほしければ、んっ……。私だって、別にその……」
眠気のせいでうまく声がでない。
愉しそうなかけ合いをする二人。その様子を、自分は座って見ていることしかできなかった。あの人のことだから、どんな世界にいようと多数の女性とのつながりがあるのではないか。そこには妙な信頼感があり、あの人のもつ特性だと思うと納得すらしてしまえる。
「……さん。もう、しっかりなさいな、朱里さん。荒廃したかつての都とはいえ、わたくしたちは洛陽に入城するのですから。背中だけは、しゃきっとしてもらわないと、困りますわよ。ほら、危ないですから眼を醒ましなさい」
あらぬ方向からの声。突然だったが、明確に聴こえてくる。その声に急速に意識を引き戻され、朱里は上半身をふるわせた。
かわりに、別の景色が一気に開けていく。両手にある手綱の感触。馬の背で揺られているのは夢の中と一緒だが、隣りにいるのはあの人ではない。
具足で身をかためた兵士たち。周辺を埋め尽くす袁家の軍旗。そこには当然、『曹』の一字の旗の姿も多く見られている。
「はわっ……。す、すみません、麗羽さん。問題はありませんから、どうか進軍はこのまま」
「ええ、もちろんですわ。というか朱里さん。毎日遅くまで起きていらして、それが原因でお疲れなんでしょう? 一刀さんに尽くしたいというお気持ちはありがたいですけれど、それであなたが倒れてしまっては元も子もありませんわよ」
「お気遣いありがとうございます、麗羽さん。ですが長安……司馬懿との戦、あまり手間をかけてはいられませんから。早急にこれを討ち、荊州を攻める本隊と合流する。私たちの目的を果たすためにも、いまだけは」
「んー。だったら、あたしたちのこともちゃんと頼れっての。……そりゃあまあ、朱里みたいに賢くはないけどさ、あたしも母さまも」
そばにいるのは、麗羽だけではない。ちょっと照れくさそうに鼻の頭を指でこすり、翠が自分のことを気にかけてくれている。
胸の奥がじんと熱くなる。そんないい雰囲気を破壊したのは、翠の母である常磐だった。器用に馬を寄せ、娘の頬を拳で何度も小突く。その様子は母娘でじゃれているようでもあり、なんだか羨ましくなってくる。
「ああん? はねっ返りの家出娘が、口だけは達者になりやがって。帰ったら婿殿に言いつけてやろうか、この野郎」
「うわわ。や、やめといたほうがいいんじゃないかなあ、おば様? ほら、麗羽さんの機嫌が、あんまり悪くなる前にさあ……」
蒲公英はそう言ったが、このくらいのことで麗羽が腹を立てるとは思わない。
曹操に似て器量は大きく、人を惹きつけるようなところがある。袁家令嬢の威光は曹家の兵にも浸透してきていて、進軍も滞りなく行われていた。直属の麾下である斗詩と猪々子の二人は洛陽内に先行していて、今頃は各所の制圧を進めているはずである。
かつて、あの月が決意をもって焼き払った地。当時はその行いに強く憤慨したことだが、荒れ果てた場所でこそ大輪を咲かせる花がある。そこまで見通していたのかは自分の知るところではないが、暴君董卓は群雄たちに道を開いた。そして現在、あらゆる困難を打ち払ってきた曹操と孫堅の二人が、覇者の座をかけた闘いに臨んでいる。
「あはは……。今後は西での戦になりますから、翠さんたちのことはもちろん頼りにしていますよ。なので、そちらで力を発揮していただくためにも、いまは楽にしていてもらえればいいかな、と」
「おう。敵をぶん殴るのだけは得意だからな、きっちり仕事はこなしてみせるさ。へへっ。下準備は軍師殿に任せるしかないけど、あとは寝ていてくれても構わないんだぜ? 麗羽殿にも、馬家の本気の戦を見せるいい機会だ。なあ、母さま?」
「浮かれるなよ、馬鹿娘。突撃して孤立したとしても、助けてなどやらんからな」
「うふふ。お疲れの朱里さんとは違って、元気が有り余っているようですわね、馬家のみなさんは」
示し合わせたような母娘の口喧嘩だった。軽くからかう麗羽には余裕があり、長安の軍勢とぶつかることに対する気負いはみられない。
これならば勝てる、という確信があった。
いつかあの夢のように、みんなと穏やかな日々を迎えるためにも。洛陽の城門を通り抜けていく軍勢。表情を引き締める麗羽に続き、朱里は馬を駆けさせた。