東方軍団を預かる指揮官として、桃香は徐州より出陣していた。
曹操麾下としての、最初で最後の大仕事。臨む気持ちとしては、そのくらいでいるのだ。これからも、小さな叛乱や外敵との諍いは続く。それは、国を大きくしていく上で避けては通れないことではある。その中で、命じられれば剣を握る覚悟はある。ただ、孫家との戦が、無為に長引くことはないと感じているだけに過ぎない。
孫堅に対し、曹操は特別な感情を抱いている。だからといって、互いに手を抜くような性格をしていない。それが厄介でもあり、とてつもなく人間らしい挙動のように思えてしまうのか。
自分だって、大好きなあの人に一度は刃を向けたことがある。麗羽や月にしても、紆余曲折ありながら、曹操と同じ道を歩くことを決めた。そのあたりが、乱世に生きる群雄の面倒くさい部分なのかと思うと、ちょっとおかしくなってくる。
「おや。いたく上機嫌ではございませぬか、劉備殿」
「わわっ……。ごめんなさい、趙雲さん。別に、気が抜けているわけじゃないんだけど」
「おっと。なにも、東方軍団の御大将を問い質そうというのではありませぬゆえ、平にご容赦を。軍監として同行している身なれども、私に気遣いなど無用。逆に、たまの酒盛りを見逃していただけると、助かるくらいです。はっはっはっ」
視線を前方に向けたまま、馬上の星が話しかけてくる。
今回の戦、愛紗は曹操の直属として動いているから、劉備軍としては戦力が減っていることになる。その埋め合わせとして、派遣されているのが星と香風だった。どちらも気難しい類の軍人ではないから、自分としても扱いが楽で助かっている。
「して、どうですかな。曹操軍の一翼として、天下を賭けた戦に向かわれる気分は」
「緊張は、ちょっとあるのかも。けど、不思議だね。これまでも、ご主人様と一緒に闘ったことはあるのに。この軍旗が、本当の意味で側にあるせいなのかも」
風に揺れる『曹』の一字の旗。自分たち、東方軍団を見守ってくれているようだった。
「しかしまあ、ご主人様ですか。劉備殿のような徳の将軍を味方にできたことは、わが主にとってまたとない僥倖ですな。あなたさえその気になれば、独立を貫く道も選べたはず。曹、孫、劉。三人の英傑、三つの国。さしずめ、三国時代の到来とでもいいましょうか」
「あははっ。私のこと、評価してもらえるのは嬉しいけど、それはさすがに言い過ぎじゃないかな」
通すべき筋は、徐州での戦で通した。守りたいのは、おのれの志ではなく国の未来なのだ。それに、太平を導けるだけの力と素質を、曹操は備えている。ここで冗談を飛ばしている星も、そう感じているからこそ旗揚げ当初から付き従っているのだろう。
「いやはや、後世の物書きは、さぞかし悔しがることでしょうな」
「だったら、そんなことを思う必要がなくなるくらい、ものすごく立派な国をつくればいいんだよ。あとは、うーん……。たまには、夫婦喧嘩をしてみるのはどうかな。くだらないことでも、大事にしてみたり。戦がなくなったら、みんな力のやり場を失うだろうし、そういうのも有りだったりして?」
「はははっ。かわいい顔をされているのに、肚の中はこれでなかなか……」
「ええっ、そんなぁ。私、ちょっと傷ついたかもしれないよ。趙雲さん、責任……取ってね?」
愉しいことなら、いくらでも考えられる。夢や希望もなしに、戦場に向かってなんになる、と桃香は思うからだ。
「でしたら、槍働きで存分に示してご覧に入れましょう。それで如何かな、劉備殿」
「うん。期待しているよ、趙雲さん。あとは、そろそろ斥候を」
「人数の選定でしたら、軍師殿とすでに。虎の娘は、かなり鼻が利くそうですからな。精鋭を中心に、張飛を将として出撃させるつもりです」
中途半端な部隊を派遣しても、孫策軍に捕捉される危険性がある。本能的な闘いを得意とする鈴々ならば、柔軟に対応することができるはずだ。
東方軍団の仕事は、孫策に荊州での決戦を邪魔させないこと。無理に揚州を切り取る必要はないし、曹操もそんなことは望んでいない。孫堅をどうにかしてしまえば、南方の勢力図は一気に塗り替わる。その確信があるから、こうして大兵力を動員しているのだ。
「いつの日か、今日の戦も思い出話に変わっていく。そうですな、劉備殿」
「だね、趙雲さん」
星からの問いに、桃香が短く返した。