大勢の人通り。道の左右には、色とりどりの店屋がひしめき合っている。
謁見の副産物として、屋敷から出歩く許可を得ることはできた。だからといって、露骨に他者と接触を計るわけにもいかないのである。自由を与えられた自分が、どういった動きを見せるのか。そのことを、董卓は観察しているに違いない。
大人しく従うか。それとも、叛心を見せるのか。まさしく、自分たちはふるいに掛けられている最中なのである。
「これだけの品揃えだ。
その手の話題に関しては、曹洪は親族の誰よりも敏感なのである。綺羅びやかな生地。趣向の凝らされた衣服。陳列されている品を見ているだけでも、それなりに楽しめてしまうのである。
これが物見遊山であれば、似合いそうなものを見繕って、曹洪や他の者への土産にしてやることもできたというのに。さらりとした絹に指で触れながら、曹操はそんなことを考えていた。
「ン……、あれはもしや」
燃えるような赤い髪と、褐色の肌。初めて会った時は雨のせいではっきりとわからなかったが、良い肉づきをしていることが今なら遠目にでも見て取れる。呂布。赤備えの騎馬隊は、どこにも連れていないようである。
これほどまでに、人は雰囲気を変えられるものなのか、と曹操は思った。呂布の軍団に与えられた任務は、洛陽全体の治安維持である。深紅の騎馬隊は民衆に畏怖の感情を植え付け、連日通りをわが物顔で闊歩している。一見気ままにしているようでも統率が取れており、その練度の高さには油断できないところがあった。
赤い塊。それが、牙を剥く瞬間がある。
董卓に歯向かう、不穏分子。それを見つけ次第狩る権限を、呂布の軍団は授けられていたのである。
聞いた限りでは、昨日も数人が大路で処刑されていたはずだ。呂布が方天戟を動かすと、面白いくらい簡単に人の首が飛ぶ。そんな女が、なぜ指を咥えて屋台などを見つめているのか。曹操には、さっぱりわからないことだった。
「呂布殿。かような場所で出会うとは、珍しいものだな」
「……ん?」
気がつくと、声をかけてしまっていた。極端な二面性を見せる呂布という人物に、興味を惹かれたせいかもしれない。
ふたつの大きな
「曹操だ。数日前に、宮中で顔を合わせたばかりだというに」
「……あ。確かに、そんなこともあった。今日は、仕事はお休み。だから、油断してた」
「たまには、休む日もなくてはな。羽根を伸ばしたいのは、皆同じだ」
呂布は、董卓の護衛を務めてもいる。武力では、恐らく董卓軍の中でも並ぶ者がいないのだろう。それに、忠誠心だって強いように思える。
「う……。んん……」
うめき声。それとよく似た音が、隣からはっきりと鳴っているのがわかった。呂布。見れば、腹を抑えてうつむいている。
「まさか、そんなになるまで腹を空かしていたというのか?」
一瞬自分の考えを疑いそうになったが、状況が全てそれを指し示しているのだ。もう一度、呂布を見る。その身体の内側に、どれだけ巨大な腹の虫を飼っているというのか。そう思ってしまう程度には、立派な音が耳に届いていたのだ。
「董卓殿から、金はもらっているのだろう? だったら、好きなものを買えばいいではないか」
「……お金、忘れた。だから、お財布もお腹も、いまはすっからかん」
可愛らしく左右に振られる頭。呂布はそう言って、さらに落ち込んでしまっている。どうしたものか、と曹操は首をひねった。
「よし、店に入るぞ。丁度あそこの肉まんを、食してみたいと考えていたところなのだよ。ひとりでは味気ないゆえ、付き合ってもらえないだろうか、呂布殿」
「……いいの?」
別に、恩義を売ろうとしているわけではない。猟犬ではなく、捨てられた仔犬のような眼差し。放っておけないと思わせるなにかを、呂布という女は持っている。ただ、それだけのことだ。
店内の席につくと、呂布は俄然元気になった。数種類ある肉まん。それを片っぱしから注文していくと、待つ傍ら闘志を漲らせているのだ。呂布にとって、食事と闘いは同じなのかもしれない。鋭くなっていく視線には、少し気圧されるものがある。
「……ほんとに、好きなだけ食べてもいい? ほんとに、ほんと?」
「疑わなくともいいだろうに。腹いっぱいになるまで、食っても構わないぞ」
「…………曹操、結構いい人」
長い間があったように思えるが、それなりには認めて貰えたのだろうか。
籠に盛られた大量の肉まん。それが視界に入ると、呂布の表情は輝きを増していく。見ているだけでも、胸焼けしてしまうくらいの量なのである。それが、細い身体の中に次々と飲み込まれていくのだ。
肉と、それに魚介を餡にしたもの。同じものを続けて口にしないあたり、呂布なりにこだわりがあるのだろう。一心不乱。その言葉がぴたりと当てはまる勢いで、呂布は肉まんを食べ進めていく。
「……曹操も、食べる?」
「そうだな。呂布殿の食べっぷりが凄まじすぎて忘れていたが、俺もひとついただこうか」
山盛りとなった肉まん。その隙間から顔を覗かせ、呂布は柔らかに笑った。
深紅の騎馬隊を率いているときとは、まるで違う表情なのである。どちらが、本当の呂布なのか。それは、曹操にはまだわからなかった。
「少し、訊ねてもいいか。答えるのが面倒であれば、無視してくれてもいい」
「……ん、……なに?」
「董卓殿とは、どのようなお人なのだ。近くにいる呂布殿であれば、それがわかるのではないかと思ってな」
白い塊に歯を立てる。すぐさま、口の中に旨味が拡がっていく。
肉といっても、数種類を混ぜ込んであるのだろう。なるほど、いい味をしている。時折感じる野菜の歯ごたえを楽しみながら、曹操は呂布の返事を待っていた。その間も、呂布によって肉まんは三つ四つと消えていく。
「……
「慕われているのだな、董卓殿は」
「…………ん。月は、ほんとはすっごく優しい。……だけど、優しいだけじゃ闘いには勝てない。……だから、……もぐっ」
肉まんにかじりつく呂布。その先は、胸にしまっておきたいのだろう。咀嚼した欠片とともに、言葉は飲み込まれていった。
呂布が真実を語っているのだとすれば、董卓は無理をして、暴君の振る舞いをしているのかもしれない。だとすれば、確実にどこかで齟齬が生まれる。そうなった時、天下は再び乱れに乱れることになるはずだ。そんな内輪の争いを、いつまでも続けていいわけがないのである。強靭な覇者。そのもとで、国は一つに纏まらなくてはならない。
漢。強大なようで、危うい土地でもあった。国の周辺には、
曹操も、そのことについては、師である橋玄からよく聞かされていた。国の根幹が弱れば、すなわち付け入る隙きを異民族に見せることにもなるのだ。蹂躙される未来。それだけは、避けなくてはならないはずだ。
「……曹操、もう食べない?」
「うん、そうだな。呂布殿が旨そうに食べているところを見ているだけで、俺は満足できてしまうのだよ」
「…………ん、もごっ。ちょっと、恥ずかしいかも」
「ははっ。散々見られてきたというのに、今更なことだな。やはり、呂布殿は面白いお方だ」
「……んっ、面白い? ……恋には、よくわからない」
「気にせずともよい。いいと思うまで、のんびり召し上がられよ」
「…………もぐっ。……うん、そうする」
顔をわずかに赤面させたまま、呂布は大きな口で肉まんを嚥下していく。武と忠義にすぐれた番犬。性質的には、夏侯惇と共通した部分があるのではないか、と曹操は思う。
そうして、湧き上がってくる考えがある。呂布のような将を、自身の麾下に置いてみたい。このことを夏侯淵に聞かせれば、一笑に付されてしまうのだろうか。それでも、いつか成し遂げられればいい。その時は、今ではなかった。
「曹操、じっと見てる。恋の顔に、なにかついてるの?」
「ついているといえば、ついているな。ほら、頬が汚れているぞ」
「…………あっ、んんっ」
頬についた食べ滓を取ってやり、自分の口に運んだ。それだけで羞恥の色を見せてしまうのだから、こうしている分には可愛らしいものだ。
そこからは、黙々と食べ続ける呂布の姿をじっと見守ることにした。話しかけられると、どうにも集中が途切れてしまうらしい。それでは、この間食は永遠に続くことになりかねない。
籠に残った最後のひとつを食べ終えると、呂布はちろりと指を舐めた。
店の親父には、すでに土産の分まで注文済みなのである。持って返って、みんなとも食べたい。呂布がそう語ったからには、土産には董卓の分までもが含まれているのだろうか。だとすると、ちょっと滑稽に思えてくる。
宮中の権力を、ほしいままにしている董卓。近く対峙しようとしている相手が食べる肉まんを、まさか自分が買ってやることになるとは、屋敷を出る時には考えもしなかったことだ。
「……ばいばい。肉まん、おいしかった」
「それはよかった。ではな、呂布殿」
大きな袋を片腕で支えて、呂布が小さく手を振っている。
あれだけ食べても普通に動けているのだから、驚異的としか言いようがない。それに、持っていた金もほとんど使わされてしまったのである。趙雲にこの顛末を話してやれば、きっと腹を抱えて笑うだろう。それでも、やけに気分はすっきりしているのだ。
「本当に、不思議な女だ」
身体を照らす夕日。曹操の足取りは、軽かった。