※この作品はR-18です。

恋姫異天記~曹操伝~   作:KKS

27 / 183
六 虎牢関

 (うまや)の中。いつもとは違い、手にしているのは方天画戟ではなかった。藁束。新しく作ったものを、呂布は握っている。厩内に人は自分だけであり、しんと静まり返っている。時々、馬の洩らす声が聞こえるくらいだった。

 愛馬と戯れながら、藁束で身体を擦っていく。従者を連れてはいるが、馬の世話だけは自分でやった。董卓がくれた馬だから、というのもある。だが、それだけではないのだ。この馬のことを、呂布はいたく気に入っていた。

 大きな馬体を、丹念に擦っていく。

 没頭していると、やがて腹が空いてくる。厩で飯を食い、そのまま眠ることもあった。穏やかな時の流れ。そういったものが、嫌いではないのだ。

 擦られるのが良かったのか、馬が全身を揺さぶっている。それを見て、呂布も小さく笑った。

 

赤兎(せきと)、もうちょっとだけ我慢」

 

 声をかけ、作業を続けていく。

 赤兎。それが、呂布の馬の名前だった。知性を感じさせる瞳が、じっと見つめてくる。どこまで言葉を解しているのかはわからないが、通じ合える部分があるのだ。人馬一体。相性がいいのだろう、と董卓は言っていた。

 確かに、何かを感じさせる馬だった。抜身の剣。そのくらいの孤高さを、赤兎は持って生まれているのかもしれない。自分も、孤独に過ごしていたことがある。通じ合えると感じているのは、そのためなのか。強すぎる力。それは、ときに忌み嫌われる。

 故郷を出て、呂布は幾日も原野をさまよい歩いた。助けてくれる者など、どこにもいない。頼りになるのは、自分の腕だけだった。

 水を追い、動物の足跡を追う。毎日が、その繰り返しだった。生きるための闘い。ずっと前から、呂布の闘いは始まっていたのだ。

 なにか、目指しているものがあるわけではなかった。それでも、ただ東へ足を動かし続けた。人が住んでいる土地へ行けば、食料が手に入ると思ったからだ。

 董卓に出会ったのは、多分その頃だったように思う。家族。その温かみを初めて教えてくれたのも、董卓だった。

 

「こんなとこにおったんか、(れん)。今日は軍議があるって、ねねから訊いてなかったんか?」

「……ん、忘れてた。でも、大丈夫。戦が始まれば、恋は闘う。結局、敵を倒せばそれで勝ち。ねっ、赤兎」

「って、そこで馬に同意を求めんなや! まっ、そういうことにしといたるか。細かいこと訊きたかったら、ねねにお願いしてみればいいわ。にしても、恋はほんまに赤兎が好きやなあ。その気持は、わからんでもないけど」

 

 虎牢関の守備。それが、呂布に与えられた任務だった。

 訛り言葉を操る張遼は、騎馬隊の扱いに長けている。呂布も、その力は認めていた。

 ねねというのは、呂布の従者である陳宮のことである。経験が浅いため戦闘はさせられないが、頭はよく働く少女だった。

 どことなく、自分に似ていると思ったのかもしれない。陳宮も、ひとりだった。ひとりでいるのは、寂しいものである。そのことを、呂布はよく知っていたのだ。

 呂布が差し伸べた手を、陳宮は強く握り返した。従者として付き従うようになったのは、それからなのである。

 軍議。確かに、陳宮がそんなことを言っていた。今日も、虎牢関の防御について張遼と議論していたのだろう。

 深く考えるのは、得意ではなかった。感じたままに動く。自分には、それが合っているのだ。

 

「赤兎は、(ゆえ)がくれた馬だから。それに、すごくがんばって走ってくれる。他の馬とは、そこがぜんぜん違う」

「つうか恋、屋敷で飼ってる犬の名前も、赤兎とちがうんか? それって、どう考えてもややこしいと思うんやけど」

「あっちは、セキト。馬のほうは、赤兎馬って名前がある。間違えたら、(しあ)でもセキトに怒られる」

「わかるかい! しかも赤兎馬っていうけど、結局いつも略して呼んでしもうてるし……」

 

 張遼の苦言を意に介さず、呂布は赤兎の首筋を撫でている。やさしげな手つき。こうして撫でてやっている時、赤兎はいつも静かに受け入れてくれていた。静寂を漂わせている赤兎も、戦場では暴風に変わる。

 燃えるような赤い体毛。美しく、どこか気高さすら漂わせているのだ。汗血馬。西域では、そう呼ぶようだった。

 

「くくっ。そのうち、わんこのほうが拗ねてしまうかもしれへんで?」

「……家に帰ったら、ちゃんと遊んであげるようにする。ああ見えて、セキトは結構かしこい。恋が帰るのを、いつも待っててくれる」

 

 屋敷に帰ったとき、一番最初に飛び込んでくるのはセキトだった。ほかにも動物を養ってはいるが、やはり特別な存在なのである。

 愛らしく尻尾を振る姿。戦場で尖った心を、なだらかにしてくれているようでもあった。

 そのせいもあって、呂布は馬にもセキトという名を付けたいと言い出したのである。董卓も、初めは別の名前にすることを提案してきた。それでも、呂布の心は変わらなかったのである。

 赤兎馬。馬の名をどうしてもセキトにしたいといったら、董卓が字を考えてくれたのだ。

 駆ける時、赤兎は跳ねるように地面を蹴り進む。どこまでも、駆けてしまえるのではないか。そう思えてしまうくらい、足は軽やかなのである。いい名前を貰った、と呂布は喜んだ。セキトと赤兎。どちらも、呂布にとって欠かすことのできない家族になっている。

 

「恋殿、それに霞もここでしたか」

「ねね、どうかした?」

 

 小さな体躯。それを懸命に駆けさせて、陳宮がやって来た。

 よほど急いで走ってきたのか、額には汗が浮いている。よほど暑いのか、帽子は取って小脇に抱えていた。

 

「その様子だと、連合軍が動いたようやな。いよいよ、か」

「はい、霞の言う通りなのです。出てきたのは孫堅、兵力は約二万といったところでしょうか。狙っているのは、恐らく汜水関ではないかと」

「汜水関か。華雄のやつが、変に勇まんかったらええんやけど。救援に行けんこともないけど、こっちの留守襲われたら元も子もないしなあ」

 

 汜水関には、華雄が入っていた。

 融通は利かないが、剛毅ではある。それに、董卓軍の中では、呂布、張遼に続く武器の使い手でもあった。

 涼州から付いてきた将軍たちは、勇敢だが野心を持っているきらいがあった。掛け値なしに信用していいのは、張遼と華雄、それに董卓の側に仕えている賈駆くらいなのである。

 だから、激しくぶつかり合うことが予想される汜水関と虎牢関には、呂布たちを派遣するしかなかったともいえる。董卓は洛陽にいて、常に周囲に睨みを効かせておく必要があるのだ。

 

「恋の仕事は、虎牢関を守ること。ここに恋たちがいれば、敵も簡単には動けない。そしたら、華雄も助かる」

「うーん、せやなあ。ねね、一応汜水関に使者飛ばして、華雄に釘刺しとき。下手に打って出て、火傷させられんようにってな」

「了解ですぞ。じきに、虎牢関にも敵が攻め込んでくることになるはずです。防備を、さらに万全にしておかなければ」

「よろしく、ねね。恋は、ちょっと見て回ってくる。いこう、赤兎」

 

 手綱を曳き、赤兎と共に空の下にでた。

 虎牢関の守備兵は、まだ落ち着きを見せている。近くでは直属の部下たちが、それぞれの馬の世話を行っていた。

 騎馬隊の力を活かすには、野戦をするしかない。敵が来れば、まず関の外で一戦交えるつもりだった。始めから籠もるばかりでは、士気が下がっていく一方だからという理由もある。

 方天画戟を手に、呂布は馬上の人となった。特に命令をしてやらなくとも、赤兎はゆっくりと歩きだしてくれる。

 いつか、赤兎と旅に出てみたいと思うことがあった。

 穏やかな青空。そのもとで陽光を受けながら、原野をただ駆け抜けてみたい。そこには、闘いもなにもないのだ。

 赤兎と自分。あるのは、それだけだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。