※この作品はR-18です。

恋姫異天記~曹操伝~   作:KKS

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四 江東の狂虎

 大通り。がやがやとどよめく民衆に対し、脇にどくようにと兵らが触れ回っている。流石に、対応が早かった。

 少し待っていると、目当ての人物の姿が迫ってきた。

 孫堅。当然の如く、最も前を駆けている。乗馬は、いかにも力強そうな見た目をしていた。後方を走る、麾下の兵たち。主君に遅れぬようにと、必死の形相をしている。敵軍とぶつかる以前から、戦は始まっているとでもいうのか。傍らの戯志才が、息を呑んでいる。

 とにかく、駆けに駆けさせる。それが、孫家による調練のやり方だった。限界を超えた疲労を普段から感じさせておけば、自ずと戦場においても変わらぬ振る舞いが出来るようになるのである。

 

「見てみろ、三人とも。わかるか、あれが孫堅殿だ」

「ううむ、なるほど。孫堅殿のことは遠く聞き及んでおりましたが、実際に見るとやはり凄まじいですな。ここからでも感じるあの闘気、生半可な者ではまず相手になりますまい。命が残れば、儲けもの。そうだとしても、股を濡らして帰るのが関の山でしょうな」

 

 わざとらしく、趙雲が肩をすくめてみせている。武人としての、感性が働いているのだろうか。曹操の目には、趙雲がどこか高揚すらしているように見えていた。

 自分の鑑定眼に、狂いはなかったはずだ。曹操は、そう確信を強めていた。可能であれば、春蘭に相手をさせて、実力を計ってみたいところだった。

 春蘭は、直情的でやりすぎるきらいがあるが、場合によってはそのくらいで丁度いいのである。手心を加えられて、やっと打ち合うことのできるような武人。曹操がいま必要としているのは、そういう類の人物ではなかった。

 孫堅の強さ。それは、以前からよく知っていた。

 太平道との闘いの折、曹操は孫堅と陣を共にしたことがあったのである。まさしく、餓狼の軍だった。世に出るきっかけを欲していたのは、孫堅も同じだったのである。

 とにかく、本人の強さが際立っていたのだ。剣を振るえば、数人の首がいとも簡単に飛んでしまう。戦場に出た孫堅が、血を浴びずに帰ってきたことは一度もなかった。

 表面だけで計れば、猪突猛進。しかし、実際はそうではないのである。孫堅のもとには、程普や黄蓋といった戦上手の将軍がいる。それら配下を巧みに指揮し、群がる黄巾党の兵を次々と蹴散らしていったのである。そのことは、いまでもはっきりと記憶していた。

 

「あれに見えるは、孫堅殿のご息女でしょうか。母親同様、勇猛そうな顔つきをされています。あのお方のことも、一刀殿はご存知なので?」

「ふふっ、さてな。しかし、孫家には美しい姉妹がいると聞いたことがある。その点については、どうやら間違いなさそうだ」

 

 威風を備えた馬上の姿は、母親の孫堅とよく似ていた。

 こうしてそばで見るのは初めてだったが、孫策という名だけは知っていた。恐らくだが、武人としての素質があるのだろう。他の姉妹については、曹操もまだよくわかっていなかった。

 日光の下で映える、褐色の肌。それを覆う着物の面積は、あまりにも小さかった。趙雲も大概刺激的な格好をしているが、孫策の格好はそれすらを上回っている。自分が孫家に近しい男であれば、手を尽くして親しくなろうとしたはずだ。そう思ってしまう程度には、器量の良い姿をしているのだ。

 

「おうおう。兄さんの表情が、さっきよりも輝いて見えるねえ。気を抜いたところをパクっと食われちまわないように、(りん)の嬢ちゃんも注意するんだぜー」

「こら、宝譿。いくらお兄さんが、本能丸出しな上に不審者すれすれの言動をしているからって、言っていいことと悪いことがあるのですよー? くふふっ。ですがまあ、(ふう)にも肉奴隷にされてしまうような未来が、見えたり見えなかったりー?」

 

 程立というのは、本当に不思議な少女である。いまもまた、頭の上の人形が話しているという体で、こちらをからかってきているのだ。

 人形の名は、『宝譿』というらしい。どういう原理なのかは不明だが、程立に合わせて表情がころころと変わっている気がしていた。

 

「肉奴隷か。くくっ、面白いことをいう。だが、そうだな……。そうしてみたいと思う女が、俺にもいないわけではないのかもしれん」

「おおう……? ほうほう……。んう……、んぐぅ……」

「一刀殿。誰が聞いているとも知れない場で、品のない話はお止めになったほうがよろしいかと。風も、寝ていないで起きなさい」

 

 戯志才の声。邪な妄想が、ぴしゃりと打ち消されていく。確かに、悪ノリが過ぎたのかもしれない。調子を狂わせてきた当の本人は、両目を閉じて沈黙してしまっていた。ぴくりと震える長いまつげが、可愛らしくもある。

 肉奴隷。程立に言われてぱっと思い浮かんだのは、漢の大将軍とその妹だった。

 増長しすぎた宦官と、権勢欲の甚だしい何進。

 その両者による権力闘争が、国を歪ませている要因のひとつだった。曹操が病と称して故郷に隠棲するようになったのも、それらのことが重なったせいなのである。

 内側からでは、もうこの国を立ち直らせることはできないだろう。太平道による叛乱は、崩壊のはじまりにすぎないとも曹操は思った。だから、一度外から状況を見極めようとしているのだ。

 何進の妹は、美貌を気に入られて帝の后になったほどなのである。宮中の男たちも、それを武器にして手玉に取っているのだ。

 単にひとりの女として見るのであれば、そそるのは当然だといえよう。妖艶さでは妹に劣るが、何進もまた色香の漂う身体つきをしているのである。あの気の強そうな顔の裏には、どんな性的嗜好が隠されているのだろうか。考えていると、収集がつかなくなりそうになる。

 目の上のこぶの如き姉妹を、力でねじ伏せ我が物としてみたい。そう思うのは、ある意味当然のことだといえるのかもしれない。

 そうして、思い浮かぶ女がもうひとり。顔を想起するだけで、あの甲高い笑い声が脳内に反響してしまう。とはいえ、別段その女自体に恨みがあるわけではなかった。その点が、()姉妹と袁紹とでは違う点なのである。

 興味本位、としか言い表しようがない。高慢な性分が、調教されることによってどう変化していくのか。ただ、そのことだけが気になっているのである。

 

「すまなかったな、戯志才殿。不快に思われたのであれば、謝罪しよう」

「いいえ、そこまでしていただくほどでは……。だいたい、いけないのは風なのですからね」

「おおっ。ちょこっと居眠りをしている間に、なにやら風向きがおかしな方向にー? けど稟ちゃんも、この手の話はお嫌いではないですよねえ。たとえば、こういうのはどうでしょうかー?」

「どうかしたのか、風。いきなり、わたしの手なんぞ握りおって。ほら一刀殿、孫堅殿が行ってしまわれますぞ」

 

 曹操たちの前を、軍勢が通過していく。

 手綱を握る孫堅。視界に入ったものを、射殺してしまいそうな目つきをしている。まさしく、猛将というに相応しい面構えだった。曹操が、ふっと顔をあげた。見られている。ほんの一瞬のことだったが、総身がざわめき立っていた。

 

「はい、そちらはもう充分に拝見できましたので。たとえ話の続きですが、(せい)ちゃんや風とはぐれて、稟ちゃんがお兄さんと二人っきりになったとします。そうしたら、どうなってしまいますかねー?」

「ど、どうなってしまうというのです。一刀殿は、確かに、その……」

 

 戯志才の様子が、なんとなくおかしかった。ちらちらと伺ってくる仕草が、もどかしい。それに、顔もなにやら赤らんでいる。

 

「そんなの、決まっているではありませんかー。ぐつぐつと煮えたぎった劣情を、お兄さんは稟ちゃんに抱きまくっています。気がついたときには、もう寝台のうえ。稟ちゃんは荒縄で縛られて、あられもない姿をさせられてしまっていることでしょう。あっ、路地裏でとかでないぶん、お兄さんは紳士なのだと思いますよ?」

 

 よからぬ妄想。程立は、それを粛々と語り続けている。

 話す姿が心底楽しそうなせいで、勝手に登場人物にされてしまったことを、すぐには咎められなかった。

 実際に、自分であればどうするのか。戯志才のような女ほど、正面切っての愛情表現に弱い節がある。攻め口は、きっとそのあたりにあるのだろう、などと考えてみる。その間にも、戯志才の顔全体にますます赤みがさしていた。理性の欠落しつつある面持ちも、また魅力的である。

 

「なあ、趙雲殿。この二人は、いつもこのようなことをして遊んでいるのか?」

「いつもというわけではありませんよ、流石に。しかし、風に反論なされぬということは、もしや本当に一刀殿は……?」

「からかってくれるなよ、趙雲殿。これでも俺は、相手を大切にするほうだ」

「ほほう、そうでしたか。……それはそれとして、もうそろそろ稟から距離を取られたほうがよろしいかと。一刀殿も、戦場以外で血に塗れたくはありますまい」

 

 そう言って、趙雲が手を引いてくる。どういう意味があるのか、見当もつかなかった。

 初めて触れる、指の感触。女らしく、やわらかだった。当の趙雲は、そのようなことを全く気にしていないのだと思う。近くに立って、さらにわかったことがある。槍を振るっているというのに、肌には目立った傷が一つもないのである。これは、かなりの使い手である証拠だと言えよう。

 趙雲が、やや不審げにこちらを見据えている。透き通るような、白い肌。いつしか、そこにも遠慮なく触れられる日が来るのだろうか。

 

「俺のものになるんだな、稟。ふふふー、嫌だ嫌だと拒絶しておきながらも、ここはもうぐっしょりだぜ?」

「あ、ああっ……。そんな、いけません一刀殿……ッ。わたしは、初めての身なのです。ですから、せめて優しく……!?」

 

 雑な声真似だな、と曹操は頬をかいた。

 そうしている間に、戯志才は鼻を押さえて、なにやら悶えはじめている。どうやら、会話による効果はてきめんだったらしい。

 ここまで来ると、なんとなく察しが付くようになってきた。よく観察してみれば、戯志才の足元には赤い点が落ちている。紛れもなく、鼻血である。興奮が過ぎて、鼻からこぼれ出てしまったのだろう。

 

「だ、だめっ、だめなのです……! うああっ、入ってくる……♡ かっ、一刀殿の、男らしくてごつごつとした太い指が……♡ やっ、かき混ぜないで……♡ あああっ……、くううぅううっ♡ んふうっ……、ぷはあっ……!?」

 

 戯志才の叫び声が鳴り響く。堪えていたものが、限界を超えてしまったのだろう。

 あまりにも、無残な光景である。周辺にいた民衆が、なにか事件でもあったのかと輪を作り始めている。戦場でも、滅多に見かけないくらいの見事な血溜まりだった。その中央に、倒れ伏した戯志才が沈んでいる。ぴくぴくと痙攣している身体をつつく程立。あれで戯志才は平気なのかと、曹操は趙雲に問いかけた。

 

「まあ、見ていなされ。稟のあれは、発作のようなものでしてな。時間が経てば、ひょっこり立ち上がりますゆえ」

「にわかには信じがたいことだな。それに、戯志才殿があれほどまでに妄想で乱れてしまうこともそうだ」

「幻滅しちゃいましたか、お兄さん? 本気で稟ちゃんを飼いならしたいのであれば、それはもうご主人様として頑張っていただかないと」

「そういう問題なのだろうか、これは。とはいえ、放っておくわけにもいくまい。このまま衆人の目につくところに置いておくのは、俺としては心が痛むのだよ」

 

 血溜まりに足を踏み入れ、戯志才の身体を引き起こす。

 いまだにうわ言を呟いているが、裏を返せば息があるという証拠だった。膝の裏と背中を腕で支え、ぐったりとした身体を抱きかかえる。着物にも赤い染みがついてしまうのだろうが、構ってはいられなかった。

 

「行くぞ、ふたりとも。どこかに、手頃な宿屋がないか探してもらいたい。孫堅殿の戦ぶりを見られないのは残念だが、しばらく休んでいくとしよう」

「くふふ。約得ですねえ、お兄さん。なかなかどうして、稟ちゃんも女らしく出るところは出ていますから」

「これ風、一刀殿は義心によって稟のことを助けてくださっているのだぞ。それを、面白おかしくからかう奴がいるか。ふむ……。しかしまあ、アレですな。このまま我らとはぐれる事態にでもなれば、まさしく先ほどの展開通りに……?」

「よいのか? そうまでして煽り立てるのであれば、こちらとしてもやる気を見せねばなるまい。そうだな、まずはこの、可憐な唇から」

 

 一度くらい、意趣返しをしてやってもいいはずだ。戯志才の、整った顔を覗き込んでみる。

 いくらか血生臭くなってはいるものの、ふっくらとした唇には惹かれるところがあった。顔を、さらに近づけてみる。血液の匂いが、ずっと強くなった。本能的に戦場を思い出したのか、身体が無性に熱くなっていく。

 

「あっ……、かず……んむ……ッ!?」

 

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。

 不意に目覚めた戯志才が、自らの意思で首を起こしたのである。ぶつかった、というにはあまりにも甘い感触だった。衝動的に、何度かついばんでしまったのかもしれない。口の中。ざらりとした、鉄に似た味が残っている。

 

「おおう。冗談のように見せかけて、ほんとうにやってしまうとは、お兄さんはかなりのやり手ですねえ。これには、風も一本取られたのですよ」

「いやはや、驚かされましたな。ふふっ……。して、どうでしたかな一刀殿。無理やりに奪った、うら若き乙女の唇のお味は」

 

 意地の悪い笑みである。それがふたつ並んで、こちらを見つめていた。

 戯志才は、再び気絶してしまったようである。夢の中での出来事。そのように感じてくれていれば、まだ良い方なのか。

 

「そのようなこと、言えるはずがなかろう。なれど、悪いものではなかった」

 

 こうした場合には、本音で返すのがもっとも手っ取り早いと曹操は思っていた。

 妙にはぐらかしでもすれば、いつまで経っても冷やかされ続けることだろう。その相手をするのは、自分なのである。いくらなんでも、その面倒だけは背負いたくなかった。

 ようやく発見した宿屋で一室を借り、戯志才を台に寝かしつけた。血で汚してしまう可能性があったから、主人には多めに金を握らせてある。

 曹操が、窓の外を見ている。すぐに発てば、夏侯姉妹との約束にも間に合うのかもしれない。戯志才が目を覚ますまでいてやりたい気持ちもあったが、自分が戻らなかった場合、春蘭(しゅんらん)がなにをしでかすかわかったものではないのである。心惜しいが、出立することを趙雲と程立に告げた。

 

「また会おうと言っていたと、戯志才殿にも伝えておいてもらえるか。それから、俺が詫びてもいたとな」

「行ってしまわれるのですねー、お兄さん。なんだか、あっという間に時間が過ぎてしまったような気がしています」

「ああ、まったくだよ。(しょう)県に来た際には、曹家の屋敷を訪ねてくれるといい。一刀の客だといえば、すぐにわかるはずだ。それではな、趙雲殿との再会も楽しみにしているぞ」

 

 戸を開き、外へと足を踏み出した。趙雲の声。別れを、惜しんでくれているようだった。

 このまま、趙雲らを故郷まで同道させるという選択肢もあったはずだ。だが、そうするのはなにか違うように思えたのだ。見聞を広めてなお、自分のもとを訪れてもらいたい。そんな願いが、あったのかもしれない。

 

「さて……。春蘭(しゅんらん)のやつに、これをどう説明したものか」

 

 血痕のべっとりと付着した着物。春蘭がこれをひと目でも見れば、血相を変えて心配するに違いない。

 どこかで、斬り合いでもしてきたのか。

 そう思われても、仕方のない見た目をしているのである。それに、帰郷の前に寄ろうと思っている場所がまだあるのだ。

 そこで、会うつもりをしている相手がいる。一見可愛らしいだけのようにも見えるが、自分に対する態度はほとんど嵐同然なのである。こんな汚れた格好で(まみ)えれば、どんな暴言が飛んでくるのかわかったものではなかった。

 喧騒に溢れていた城郭(まち)

 それも、すっかり落ち着きを取り戻していた。それだけ、孫堅が信頼されているということなのだろう。留守居の将にも、優秀な者がいるに違いなかった。

 身体を撫でる風は、どこか充足感すら運んできてくれているようだ。ふっと息を吐くと、曹操は馬上の人となった。

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