※この作品はR-18です。

恋姫異天記~曹操伝~   作:KKS

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九 孫堅の挑発

 杯を満たしていた酒を、一度にあおる。少し肌寒さを感じるくらいの夜だった。篝火の弾ける音。陣屋のなかで、それだけが聞こえている。

 濡れた唇。ゆったりとした動作で指でぬぐうと、孫堅は閉じていた眼を開けた。

 日が昇っているうちは、調練に調練を重ねていた。城には、しばらく帰ってはいない。陣営の場所も、数日に一度変えている。すべては、戦のためだった。

 黄蓋を筆頭に、将軍たちは意欲をもって調練にあたっていた。

 連合軍に参加したとき、兵力は二万程度だった。あれから民政を充実させ、長沙一帯は完全に安定しつつある。統治の成果によって、兵力は三万をこえてきているのである。じきに、四万にも到達するはずだった。

 自分が城に戻らないのを、張昭は苦々しく思っていることだろう。しかし、いまは新兵を鍛え上げることが先決だった。それに、張昭が眼を光らせているかぎり、民政が揺れることなどまずありえないのだ。次女である孫権も、そちらの方面で力を発揮しつつあった。視野が広く、他者の意見をよく聞くことができる。孫権に期待をかけているのは、張昭も同様なのである。いずれ孫権には、文官たちの長として、孫家の中枢を担ってもらいたい。張昭は、そう考えていると見て間違いなかった。

 戦の才にかけては、孫策が頭一つ以上抜けていた。感覚だけで物事を見てしまうきらいがあったが、経験を積めばそれも変わっていくことだろう。なにより、孫策には、周瑜という切れ者の友人がついている。

 杯を手に持ったまま、孫堅が口を開いた。卓の向かいにいる周瑜が、ちょっと姿勢を正している。

 

冥琳(めいりん)。荊州の外の動きは、どうなっている」

「はっ。冀州では、袁紹が州牧の座についたようです。版図の拡大を狙っているのでしょうが、どちらに兵を向けることになるのか、まだ見当がつきません。袁紹は、気分屋なのだと思います。あの御仁の考えひとつで、行き先は変わっていくことでしょう」

「袁紹がどのような方策をとろうが、ぶつかることになれば叩き潰すだけだ。袁家の女と、オレはどうにも馬が合わなくてな」

炎蓮(いぇんれん)さまらしいお言葉です。ですが、そう思っているのは、多分袁術も同じなのではないでしょうか。あの者も、間違いなく荊州をうかがっているはずです。こちらとしては、足元をすくわれないようにしておかなければなりません」

 

 周瑜がかすかに笑う。

 南陽にいる袁術とは、同盟関係が続いている。自分の北進に合わせて袁術が襄陽をつけば、それで劉表は身動きがとれなくなってしまう。袁術は、袁紹の躍進を阻みたいと考えているはずだ。そのためには、国の南部を抑えてしまう必要があるのだ。

 しかし、袁術に堂々と軍を興すような勇壮さがないことを、孫堅は知っていた。それを如実に示す内容の文も、数度届いている。袁術が、襄陽攻めを催促してきているのである。

 まず、孫堅軍を劉表軍と闘わせ、弱ったところに大軍を押し出して荊州の制圧を狙う。そうすれば、袁術軍の被害は最小限で済むのである。袁術の懐刀である張勳が、考えそうなことだった。

 ならば、その狙いに乗ってやるまでだった。袁術の思惑通りに劉表を攻め、襄陽を素早く奪い取る。劉表さえ斬ってしまえば、荊州は自然と自分に従うことになるだろう。そのとき、袁術にもいくらか甘い汁を吸わせてやればいい。

 袁術には、しばらく北の盾となってもらうつもりだった。その間に揚州に勢力を伸ばし、地盤を確たるものにする。揚州を押さえれば、徐州への道が開けてくるのだ。そうなれば、北への進軍路がいくつか見えてくる。袁術との決着など、そうなってから着ければいい。孫堅は、獰猛そうに歯をのぞかせた。

 

「袁術よりも、いま気にしなければならんのは劉表のほうだ。陸遜はどうしている、冥琳」

「連日、郡境で調練を盛んにやっているようです。ご心配には及びません。あれはのんびりとしているように見えますが、仕事はしっかりとこなしますよ」

 

 周瑜が、自分の杯に口をつけた。以前よりも、余裕がでてきたように思う。孫策の存在が、周瑜によい影響を与えているのだろうか。

 孫家の飛躍。そのためにも、若手将校を育成していく必要があった。陸遜には、劉表軍に遠慮することなく、調練をやってくるように伝えてある。それだけ言っておけば十分だと、周瑜から聞かされていたのである。孫堅は、戦の口実を欲していた。そう考えていたときに、周瑜が陸遜を使うよう進言してきたのだ。

 のんびりとしている陸遜よりも、ほかに適任者がいるのではないか。そんな意見も当初あがってきたが、周瑜が選定したことだからと孫堅は取り合わなかった。

 

「郡境の警備にあたっている魏延という将は、かなり焦れてきているそうです。相手がなんと言ってこようが、陸遜であればのらりくらりとかわすことができますから。それで、余計に鬱憤をつのらせているのでしょう」

「フッ、意地の悪いことをするじゃねえか。そんな策ばかりとっていると、冥琳もいつか雷火(らいか)(ばあ)のようになってしまうかもしれんぞ?」

「お戯れを。雷火さまが後方にいてくださるからこそ、われらは安心して戦ができるのです。炎蓮さまも、内心では感謝しておられるのではありませんか?」

「おっ? 随分と婆の肩を持つじゃねえか、冥琳。さては、出てくるまえになにか言い含められてきたな」

「ふふっ。べつに、そうではありませんよ」

 

 周瑜が、空いた杯に酒をそそいでくる。篝火に薄っすら照らされて、褐色の肌が美しく色づいていた。

 雷火。張昭の真名である。呉郡にいた頃からの古参であり、口やかましさにおいては孫家随一といえるような人物だった。たとえ相手が主君であろうとも、自分の意見を曲げることなくぶつけることができる。そんな張昭だからこそ、不正のない民政を行えるのだろう。文官たちの母のごとき存在でもあり、周瑜もその薫陶を大いに受けているのである。

 

「曹操殿が、(えん)州東郡に領地を得られた模様です。こちらの動きも、炎蓮さまは気になっておられるのでは?」

 

 話題を変えるように、周瑜が言った。袁紹らの名をぞんざいに呼んでいた周瑜であったが、曹操にだけは敬称をつけている。

 汜水関での闘いは、苦しいものだった。

 兵糧が尽きれば、軍はたちまち機能しなくなってしまう。わかってはいたが、そのことを痛感させられた一戦だった。

 あの折のことを、周瑜も脳裏に刻みつけているのだろう。それだけに、迷わず救援を送ってくれた曹操に対して、悪くない感情を抱いてしまうのは、むしろ当然だと言うべきなのである。

 特に周瑜は、直接その陣までおもむいて、交渉をしてきたという経緯があるのだ。直接尋ねたことはないが、権も似たような思いを抱いているのかもしれない。

 意識くらい、存分にすればいいと孫堅は思っていた。

 年頃も近しい男なのである。周瑜、それに孫策にとっても、競争するに相応しい相手がどこかにいるというのは、歓迎すべきことだった。

 杯をかたむけながら、孫堅は曹操の姿を思い浮かべていた。

 荒々しい息づかい。一夜の出来事だったが、互いの肌を焦がしあったのだ。長らく満たされていなかった部分。曹操の熱さは、そこまで満たしてくれたという思いがある。命の力強さとでもいうのか。そういったものを、曹操からは強く感じることができたのである。

 

「ククッ……。あれはなかなかによい男だったぞ、冥琳。董卓に叩きのめされたばかりだというのに、オレの(めす)をきっちり疼かせてきやがった。もし出会ったのがガキの頃であれば、オレは曹操の魔羅に屈服させられていたかもしれん。寝てみてわかったが、そのくらいの度量を持ち合わせている男だった。それだけに、残念なことだな。孫家の麾下であれば、思うさま可愛がってやれたというに。そうだ、おまえや雪蓮(しぇれん)も、あの場に呼んでやるべきだったか? 女同士で遊んでいるだけでは、わからぬこともあろう」

「なっ……!? さ、さすがに、そればかりはご勘弁を」

「ハハハッ。可愛い顔をしやがって、雪蓮が夢中になるのも当然だな」

 

 声をあげて、孫堅は笑った。

 空になった杯。差し出すと、周瑜は慌てたように新しい酒をそそぐのだった。

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