※この作品はR-18です。

恋姫異天記~曹操伝~   作:KKS

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第五章 交わる天命
一 荊州より天下を眺む


 ついに、ここまできたという思いがある。

 袁術軍を掌握した孫堅は、返す刀で黄忠を中心とした敵軍を撃破し、江陵を陥落させていた。

 どこかに、今度は慎重を期するべきだ、という考えがなかったわけではない。それでも、孫策をはじめとする、孫家の面々は燃えに燃えていたのである。天すら焼き尽くさんとする喚声。それに突き動かされるように、孫堅はひたすら馬を駆けさせたのだった。

 江陵の城塔に、孫堅は登っていた。

 周囲には、だだっ広い原野が拡がっている。見下ろしていると、ちょっと胸が熱くなっていく気がしていた。ここにきて、荊州のほとんどを、自分は制するに至っているのだ。前回は、死の間際まで追い詰められた襄陽攻めも、あっけなく終わった。黄祖がこの世を去り、その後劉表軍の中心を担っていた黄忠は、江陵にて自軍に捕縛されていたのである。

 残っていた将など、もとより孫堅軍の相手になるとは思っていなかった。五万の軍勢で包囲してやっただけで、劉表は城から逃げ出してしまったのである。行方はまだつかめていなかったが、隠密たちを方々に放ち、その足取りを追わせているところだった。やがて、その消息はつかめるだろう。

 荊州南部に残党が残っているものの、そちらは自分の影響が色濃い土地でもあった。ゆえに、北部をしっかりと固めてしまえば、平定にはそれほど時間はかかるまい、と孫堅は踏んでいるのである。

 城塔に、上がってくる者の姿があった。孫策と、周瑜である。

 

「こちらでしたか、炎蓮(いぇんれん)さま。んっ……、風が心地いいくらいですね」

「もう、母さまったら、すぐひとりでどこかへ行ってしまうんだから。雷火(らいか)に見つかって、また怒られたって知らないわよ?」

 

 孫策の小言を笑い飛ばし、孫堅は視線を再び原野に向けた。

 腰には、孫家伝来の南海覇王を佩いている。

 どうせ、いつかは剣を継承しなければならない時がやってくる。だから、そのまま孫策に預けておいてもいいと思っていたのだが、帰参と同時に突き返されてしまったのだ。

 南海覇王を所持しているかぎり、自分は孫家の長としてあらなければならない。

 それは、意味を変えれば束縛とも取れるものだった。堂々としているように見えても、孫策にはまだ子供っぽいところがある。南海覇王を持たせておけば、自分がいきなり風のように消えることはない。剣の返却は、そうやって考えてのことなのかもしれなかった。

 

「おう、雪蓮(しぇれん)冥琳(めいりん)か。ククッ……。どうだ、よい景色であろう。ここから見えるすべてが、孫家の領土となったのだ。おまえたちも、少しは喜べ」

「それは、もちろん。ですが、いまはまだ道半ば。この国全土に孫家の武名を行き渡らせることが、炎蓮さまのお望みなのではありませんか?」

「冥琳の言う通りね。わたしたちは、荊州なんかじゃ止まらない。それに袁術ちゃんの旧領だって、抑え直す必要があるんでしょ? だったら、ここで悦に浸っている暇なんてないわよね、母さま」

「なんだ。ふたり揃って、オレに(ばあ)のような小言を言いにきたのか?」

「そうではありませんが、雷火殿は現在、文官を引き連れて各地を忙しく回られておりますでしょう? わたしはその出立の際に、炎蓮さまをきちんと補佐するよう、言付かっているのです」

「うふふ。残念だったわね、母さま。雷火がいなくなって、羽根を伸ばすつもりだったのでしょうけど、冥琳がしっかりお目付け役をしてくれるそうよ?」

「チッ、馬鹿を言え。目付けが必要なのは、オレではなくおまえのほうではないのか、雪蓮?」

「ふふん。こう見えて、わたしはきちんと仕事をこなしてきてるんだから。今朝だって、袁術軍出身の兵たちを、(さい)粋怜(すいれい)と思いっきり鍛えてやっていたのよ」

 

 軍団の再編成を、孫堅は急いでいた。

 包囲戦ならばまだいいが、袁術から奪った兵は練度が甘く、野戦で使うにはいかにも心許ないのである。体力の限界まで打ち込んだ調練が、兵らに最後のひと踏ん張りを生むと言っても過言ではないのだ。

 それに、元気があるうちは不満も出やすいものなのである。そんな反抗心すら叩き折り、孫家の軍律に染めきるのが、孫策らに与えられた使命なのだった。

 

「そういえば、黄忠の様子はどうなのですか、炎蓮さま? 劉表に義理立てして、なかなか首を縦に振ろうとしない、と聞いておりますが」

「うむ。あれは、なかなかの堅物よ。璃々(りり)といったか。小さな娘もいるゆえ、すぐに帰順させられると思っていたのだがな。荊州を円滑に治めるためにも、黄忠の力は是非とも欲しい。それに、あやつを斬ったところで、劉表が見つかるわけでもなかろう」

「だったら、頑張って説得しないといけないわね、母さま。時々、璃々ちゃんがシャオたちと遊んでいるのを見かけるけど、とっても素直で利発そうな子なのよ。そんな子を、ずっと人質みたいに扱うのは、さすがに心苦しいもの」

「わたしも、雪蓮に同意いたします。黄忠の帰順が成り、表舞台に復帰したとなれば、襄陽周辺の慰撫は迅速に進むことでしょう。そうなれば、さらなる兵員の確保も期待することができるというもの。われら孫家としては、いち早く揚州の制圧に向けて動き出したいところですから」

「わかっている。今日もこれから、黄忠のところへ出向くつもりだ。これは、あやつとの根比べのようなものなのかもしれん。しかし、それもぼちぼち終わりにせねばな」

 

 原野を見つめながら、孫堅はそうもらした。

 揚州を完全に奪ってしまえば、江水(長江)の水運を使えるようになる。そうすれば、兵員や糧食の輸送が、いまよりもずっと楽になるのだ。ただ、それで守りに入るべきではない、と孫堅は思っている。

 国の北部を狙うのであれば、騎馬隊をさらに増強する必要があるのだろう。牧場を各地に設け、自分たちで馬を生産することも、これからは考えるべきなのかもしれない。

 城塔から景色を眺めていると、そうしたことが次々と浮かんでくるのである。あの時死していれば、それもないことだった。そして、自分を救った華雄への信頼は揺るがぬものとなり、いまでは孫家に欠かすことのできない将となっている。

 拾った縁が、思いがけない力を出すことがあるものだ。ちょっとほほえんで、孫堅は城塔を後にした。ふたりは、もう少し景色を眺めているつもりなのだという。

 

「あっ。炎蓮さま、こちらにいらしたんですね。ご報告したいことがあって、ちょうどお探ししていたところなのです」

明命(みんめい)。おまえが報告にきたということは、北で動きでもあったか?」

 

 姿を見せた周泰を引き連れ、孫堅は大路を堂々と歩いていく。

 傍から見れば単身出歩いているようだったが、その実周囲には護衛が十人ほどついている。全員が、かなりの手練だった。

 

「曹操が、ついに青州黄巾軍を下しました。ほとんどは青州に帰されたのですが、五万ほどはそのまま残り、曹操の麾下に加わったようなのです。帰った者たちに関しても、なにか約定があるのかもしれません」

「ハハッ。ついにやりやがったな、曹操め。あいつがドでかい戦を制したとなりゃあ、こちらも悠長にはしていられまい。それから、劉表の追跡についてはどうなっている、明命?」

「はい。おおよその居所はつかめているのですが、まだ捕縛には至っていないというのが現状です。もし発見できた際には、斬り捨ててしまっても?」

「ああ、好きにしろ。劉表など、オレがわざわざ首を刎ねなければならん相手でもないのでな。むしろ、どこぞで野垂れ死んでくれたほうが、面倒がなくてよいくらいなのかもしれん」

「了解です、炎蓮さま。では、またなにかわかりましたら、参上するのです」

 

 雑踏の中に、周泰は消えていく。

 泰山で黄巾軍を一度打ち破った時点で、曹操の勝ちは決まっていたようなものなのだろう。それにしても、百万なのである。相手にすると考えただけでも、得も言われぬ感覚が、身体全体を駆け巡るようだった。

 兗州を奪った曹操が、次はどこに鋒先を向けるのか。徐州、あるいは豫州と考えるのが、妥当なのだろう。

 冀州の袁紹とは、微妙な距離感を保ったままのようにも見える。手を取り合っているわけではないが、戦になっているわけでもないのだ。

 曹操の立場に自分がいれば、徐州の攻略を優先するのかもしれない。陶謙は利己的な男で、人望があまりない。それに隠密からの報告で、なにやら徐州に調略の痕跡があるとも聞いている。

 

「黄忠への手土産に、酒でも買っていってやるとするか」

 

 歩いていると、酒瓶が眼についた。

 恐縮しきりの店主に銭を渡し、孫堅は上機嫌に去っていく。決して、自分が飲みたくなったからではない。誰が見ているわけでもないのに、孫堅は風の中につぶやいたのである。

 

 

 黄蓋の館に、黄忠は軟禁されていた。

 年頃も遠くなく、互いに弓を得意とする武人同士だから、話が合うこともあるのではないか、と孫堅は思ったのである。

 娘と会わせるのは、十日に一度というのが取り決めだった。寂しさが募れば、心が傾きやすくもなる。そうした狙いがあったが、黄忠はまだ麾下となるのを良しとしてはいない。

 次女の権と出会ったのは、黄忠のいる部屋に足を運んでいる途中でのことだった。

 

「なんだ。おまえもきていたのか、蓮華(れんふぁ)

「これは、母さま。璃々のこともありますし、なんとか孫家に力を貸してもらいたいと思ったのですが、やはり黄忠の説得は難しく」

「ハハッ、そう気に病むな。オレとて、何度失敗しているかわからんような相手なのだからな。それはそうと、外に出て見聞を広めたいという気持ちはあるか、蓮華?」

「見聞を、ですか? 孫家はいま、大事な局面を迎えているのです。そんな時に、遊んでいるつもりなどわたしには……」

「待て、蓮華。なにも、遊びに行けと言っているのではないのだぞ? 揚州獲得に力を割くのは当然として、北を睨むのであれば、これからは豫州にも手を伸ばしていく必要がある。それは、おまえも理解していよう」

「はい。豫州であれば、まずは汝南でしょうか。かの地は袁家の影響色濃く、叛逆も予想しておかなくてはなりませんし」

「うむ。汝南統治のためにも、軍勢を派遣しなければならんのだろうが、オレがいま荊州を動くわけにはいかんのでな。今後の展開を考えていく上で、荊州支配は確固たるものにしておかねばならぬ」

「では、汝南のことは姉さまに?」

「フッ、早まるでないわ。雪蓮は、揚州に向かわせるつもりだ。揚州は、袁術という圧力が消えたことで、太守どもが互いに牽制し合うようになっている。その隙をすかさずつけば、あやつであっても平らげることくらいできようて」

「それは、よきお考えですね。雪蓮姉さまであれば、どこへ向かおうと力を発揮されると思います。わたしにも、姉さまくらいの戦才があれば、もっと孫家に貢献することができるのですが」

 

 なにも戦が強いばかりが、才ではない。

 姉のような武人としての素質がなくとも、権には民衆を治める才能がある、と孫堅は見ているのである。早急に切り取ってしまう必要がある揚州はともかく、豫州は腰を据えての攻略が求められる土地でもあるのだ。

 

「ここまで話せば、もうわかったであろう、蓮華? 汝南、さらには豫州制圧を目指し、おまえには励んでもらうつもりだ」

「ほんとうなのですか、母さま? 豫州制圧。できるのでしょうか、わたしに」

「その程度のことを、案じてどうする。だがまあ、荊州のことが済みさせすれば、オレも後援として出ていくことが可能になるだろう。そうだな……。まずは、沛国の陳珪あたりと話をしてみることだ。万一、陳珪が孫家に転ぶようなことでもあれば、豫州の形勢は一気に傾くことになるであろうしな」

「陳珪殿、ですか。承知いたしました、母さま。期待に応えられるよう、努力する所存です」

「おう。頑張ってきな、蓮華。だが、無茶だけはするなよ? まずは、汝南をしかと手懐けることだ。孫家としちゃ、戦線が拡がりすぎると、苦しくなる一方だからな。しばらくは、守りに徹していればいい」

「はっ。早速、編成に取り掛かろうと思います。報告は、また改めて」

 

 言葉に緊張を滲ませる孫権。腹は、決まったようだった。

 生真面目な性分の中に、孫家の人間らしい燃え盛る本能を宿している。それがあるから、策や宿老たちも、権には一目置いているのだろう。

 豫州の先には、曹操のいる兗州がある。争奪戦となって曹操が出張ってくることがあれば、自分が相手をするしかない、と孫堅は考えているのだった。そして、その時は必ずやってくる。曹操こそが、孫家による天下平定の、最大の障壁となる。

 孫権と別れ、さらに奥へと進んでいく。黄忠の軟禁されている部屋は、館の奥まった部分にあった。

 護衛の兵をつけてあるものの、これまで黄忠が目立った動きをとったことはない。静かに毎日を過ごし、娘と会う日を愉しみに待っている。現状その繰り返しで、黄忠は生きていると言っていい。

 

「数日ぶりだな、黄忠」

「ああ、孫堅殿でしたか。今日は、来客が多くて退屈いたしませんわ」

「ククッ、言ってくれる。来る途中で、酒を買ってきた。どれ、べつに毒など入っておらんが、確認のためにオレも飲んでやろう」

「いえ、わたくしはそんな……」

「遠慮などいらん。いいから、付き合え」

 

 館についてから用意しておいた杯に、酒を注いでいく。

 酒が嫌いでないことは、黄蓋からの話で知っている。ただ、敗れた相手である自分と飲み交わすのが、いまいち釈然としないというだけなのだろう。

 中身を、一気に飲み干した。酔うにはほど遠い量なのである。勧めると、黄忠も渋々杯を呷った。

 

「何度も言っているが、孫家の力となれ、黄忠。劉表は、おまえが義理立てするような男ではない。負けるとわかった途端、城を捨てて逃げ出したような男なのだ」

「それは……。ですが、劉表さまがどんなお方であろうと、わたくしには引き立てていただいた恩があるのです。それを、すぐに捨てるなどと……。そうだ、璃々はどうしているのですか? ご迷惑を、おかけしていなければよいのですが」

「上手く、話をそらされてしまったな。璃々であれば、今日もオレの娘と仲良く遊んでいたそうだぞ? ククッ、強情な母とは、大違いではないか」

 

 さすがに、癇に障ったのだろう。ついでやった酒を、黄忠はやや乱暴な素振りで胃に流し込んでいく。

 子供とは、素直なものなのである。母の所属している軍が負けたことを、璃々は理解しているようだった。それは、自分たちが必要以上に危害を与えない、という点についても同様なのである。

 実の妹のように、尚香は璃々のことをかわいがっているようだった。そのことは、黄忠も度々聞かされているのだろう。でなければ、静かに日々を送ろうなどとは、考えられないはずだ。

 

「よく考えてみるのだな、黄忠。おまえが政に参加しさえすれば、荊州の民は安心して暮らしを営むことができるのだぞ? 黄忠将軍の評判は、このあたりではかなりのものでな。近頃その姿が見えないからと、不安がる者すら出てくる始末なのだ」

「民たちが、わたくしを……。そう、なのですね」

「それに、おまえのような優秀な武人をこんな館の一角で腐らせておいては、この孫堅の名が廃る。黄蓋も、同じ戦場でおまえと弓の腕を競ってみたい、と言っていたぞ?」

「孫堅殿……。そういえば焔耶(えんや)ちゃん、魏延はどうしているのでしょうか。以前、逃げ散った兵をまとめて抵抗しようとしている、と黄蓋殿からお聞きしていたのですが」

「魏延か。その者であれば、数日前にわれらに降ったばかりだな。経緯(いきさつ)はよく知らんが、なにやらまとわりつかれて迷惑している、と華雄のやつが先日もらしていた」

「魏延ちゃんが……。そう、だったのですね。けれど、ほんとうに無事でよかった。わたくしとは違って、あの子の人生はまだまだこれからなんですもの」

「なにも、おまえだって老け込むような歳ではなかろう、黄忠? それに、おまえの復帰を待ち望んでいるのは、民衆だけではなく璃々とて同じなのだ。その期待に、そろそろ応えてやれ」

 

 追うべき背中。それを、親である自分たちは見せ続けているべきなのだと思う。

 娘たちには、伝わっているのだろうか。伝えることが、できているのだろうか。世のことを考えれば、ちっぽけな願いだった。だが、自分たちのいる世界というのは、そんなちっぽけな願いが集まって、成り立っているのではないか。

 

「孫堅殿。もう一献、いただけますでしょうか?」

「フッ、いいだろう。おまえが望むのであれば、思う存分付き合ってやる」

 

 黄忠の口もとに、それまでなかった優雅な笑みが生まれている。

 酒。小気味のいい音とともに、杯の中に飛び込んでいった。曇り空に晴れ間がのぞくまで、あと少し。そう確信して、孫堅は黄忠と杯を合わせるのだった。

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