※この作品はR-18です。

恋姫異天記~曹操伝~   作:KKS

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八 趙雲の来訪

 曹操が郷里に帰ってきてから、二ヶ月ほどが経過していた。

 照りつけるような日差し。夏侯惇が、門柱に背中を預けて空を眺めていた。特にすることがなければ、こうして番をするのが日課となっていたのだ。その時も、夏侯惇は退屈そうにあくびを噛み殺していた。

 蝶の羽のごとき紋様。それがあしらわれた白い袖を翻し、少女は曹家の屋敷前で足を止めた。曹操が揚州にて出会った、趙雲その人である。

 真紅の穂先が、天を向いている。槍の石突きで地面をこつんと叩くと、趙雲は門番をしている夏侯惇に声をかけた。

 

「たのもう。曹家の屋敷はここだと聞いてやってきたのだが、一刀殿はこちらにご在宅であろうか」

「なんだと? 貴様、誰に用があるのかもう一度言ってみろ」

 

 夏侯惇の右の頬が、ぴくりと跳ねる。その手はすでに、立てかけてあった剣の柄に伸びている。だが、その程度のことで怯む趙雲ではなかった。だいたい、曹家の屋敷を訪ねろとはいわれているが、操という名は教えられていないのである。小首をかしげながら、趙雲は再び夏侯惇に用件を伝える。

 

「わたしは、一刀殿に誘われてこの(しょう)県までやってきたのだ。ここの主人が一刀殿でないのであれば、はっきりとそう申されればよかろう」

「ぐっ、貴様ぁ!」

 

 爆発する怒り。夏侯惇にとって、曹操は敬愛すべき主君であり、心身を捧げると誓った恋人なのである。

 その曹操の真名を、誰とも知れない女が軽々しく呼んでいるのだ。到底許せるものではないと、夏侯惇は目くじらを立てて怒っている。

 

「貴様、誰に許可をとって曹操さまの真名を呼んでいる。三つ数える間に非礼を詫びれば、命くらいは助けてやろう。だが、事と次第によっては、貴様を斬る」

「ほほう、曹操殿とな。なるほど、やはり稟たちの言っていた通りだったか。くくっ……。それにしてもまあ、一刀殿も変わったお人だ。あのように、出会ったばかりのわれらに真名を預けてくださるとは」

 

 我関せず。趙雲が、指で下顎を撫でている。

 怒りによって闘気を滲ませている夏侯惇のことなど、まるで目に入っていないようだった。

 

「おい、覚悟はできているのであろうな、白いの。曹家ご当主の真名を汚したこと、あの世でたっぷりと後悔するがいい」

「ふっ、面白い。一刀殿は、どうやら猪を飼われるのがご趣味のようだ。どれ、手慰みにこの趙子龍がしつけてやるとしようか」

 

 ほとばしる殺気。剣を握った夏侯惇が、突進を開始している。

 槍を横に構えると、趙雲は不敵に笑みを洩らした。久方ぶりに、まともな相手と闘うことができそうなのである。それに、曹操臣下の力を計るという意味でも、これはうってつけの場面だった。

 

「趙雲と申したか。貴様さては、先ほどからずっとわたしのことを馬鹿にしているな!」

「はははっ。猪ではあっても、そのくらいのことは理解できるようだな。しかし、この剣圧だけは大したものだ。貴殿、名をなんと申す」

 

 重々しい一撃。それを受け止めながら、趙雲は感心したようにうなずいている。大陸広しといえども、夏侯惇ほどの武人を見つけることは、そう簡単なことではなかった。単純明快なだけに読みやすさはあったが、手に伝わってくる痺れには末恐ろしいものがあるのだ。

 怒りによって単調さが増していても、こうなのである。まともに対峙することがあれば、かなりの苦戦を強いられることになるだろう。表情を真剣なものに変化させていきながら、趙雲はそう感じていた。

 

「わが名は夏侯惇だ、覚えておけ。ただし、短い付き合いにはなるだろうがなあ!」

「夏侯惇か、しかと記憶しておこう。そちらが力押しでくるのであれば、これはどうだ」

 

 肉迫しつつあった剣を身体から逸らし、趙雲は高々と飛び上がった。見上げる夏侯惇。思わず、顔をしかめさせた。

 一瞬のことだ。趙雲の姿は太陽の日差しと重なり、夏侯惇の視界から消える。その性格からして、敵を翻弄することに趙雲は長けていた。

 

「でえぇえええええいっ!」

「ちいっ、やってくれるな。口先だけの女かとも思ったが、そうではないようだ」

 

 空中からの刺突を防ぎ、夏侯惇は楽しげに言葉をもらしている。

 曹操のもとには、夏侯淵という弓の使い手はいても、剣で鳴らす者は夏侯惇を除いてほかにいなかった。曹仁はまだまだ隙が多いし、曹純でも打ち合うには相手が不足していたのだ。それに、太平道との闘い以来、まともに戦をすることもなくなっている。夏侯惇からしてみても、趙雲との仕合はいい退屈しのぎになっていた。

 

「くはははっ! 楽しませてくれるではないか、趙雲。いいぞ、もっとこい!」

「そちらもやるではないか、夏侯惇よ。よき相手と巡り会えて、わたしも武人としての血が沸き立っているようだ」

 

 満足そうに笑う趙雲。青い髪が、風に吹かれて舞っている。

 得物を向け合うふたり。蹄が地面を鳴らす音が聞こえてきたのは、そのときだった。

 

「なにがあったのだ、姉者。それに、その者は」

「おお、秋蘭(しゅうらん)。いや、この趙雲とか申す輩が、勝手に殿の真名をだな……。むっ、いかん。思い出したら、また腹が立ってきたぞ」

 

 夏侯淵には、趙雲という名に聞き覚えがあった。

 どこかで、揚州で打ち解けた知り合いが、訪ねて来ることがあるかもしれない。曹操から、そう言われていたのだ。もちろん、そのことは夏侯惇も一度は耳にしているはずである。

 

「やあ、久しいな趙雲殿」

「これは、一刀殿。約定通り、趙子龍まかりこしましたぞ」

「その様子では、春蘭(しゅんらん)が無礼を働いてしまったようだな。しかと反省させておくゆえ、どうか許してやってほしい」

 

 下馬をして、曹操が謝罪の言葉を口にする。趙雲は、気にしていないと朗らかに笑った。

 ちょうど、曹操は夏侯淵を連れて街まで出かけていたのである。ふたりの闘いを直に見られなかったことは残念だったが、過程くらいは夏侯惇の表情を見ればだいたいの想像がつく。

 

「この女、ほんとうに殿のお知り合いだったのですか? てっきり、口からでまかせを言っているものかと……」

「だから、最初からそう言っているであろうに。一刀殿、こやつに門番をさせるのは、今後お止めになったほうがよろしいかと。相手をしたのがわたしでなければ、何度首が飛んでいたかわかりませぬ」

「いや、申し訳ないことをしたものだ。その代わりと言ってはなんだが、もてなしは存分にさせてもらおう。こちらへ、趙雲殿」

 

 ため息をつきながら、趙雲は首元を手で押さえてみせている。

 親しげに会話をする曹操と趙雲。がっくりと項垂れる夏侯惇の背中を、夏侯淵はそっと撫でてやったのである。

 

 

 屋敷の客間に趙雲を通すと、曹操は気になっていたことを尋ねはじめた。

 共に旅をしていた、あのふたりの姿が見えないのである。どちらも、印象に残る女だった。特に、戯志才とは場当たり的とはいえ、口づけを交わしてもいる。

 

「そういえば、戯志才殿と程立殿はどうしているのだ。ないとは思うが、仲違いでも?」

「ふっ、そうではありませんよ。(りん)(ふう)とは、荊州を回ったあたりで別れたのです。われながら情けない話なのですが、旅銀が底を尽きてしまいましてな」

「旅銀が? なるほど、それでは豫州まで来るのにも、苦労をしたのではないか」

「ええ、まったくです。金がなくては、好きに酒を飲むことすら叶いませんからな。ですから、今日は遠慮なく飲ませていただこうかと思っておりまする」

 

 趙雲が、杯をかたむけるような仕草をしている。よほど、酒が恋しくて仕方がないのだろう。

 揚州を過ぎ、荊州まで足を運んでいたのだという。荊州を治めているのは、漢室ともつながりの深い劉表である。領主としてはいい線をいっているが、戦乱の世を闘い抜けるような男ではない、と曹操は踏んでいた。

 

「ああ、是非ともそうしてくれ。それに、趙雲殿がいつ来てもいいようにと、メンマだって用意をしてあるのだよ。柳琳(るーりん)、頼めるか」

「はい、一刀さん。すぐに、お持ちいたしますね」

 

 控えていた柳琳が、廊下の奥に消えていった。

 趙雲の、涼し気な色をした髪。意識していなければ、つい触れたくなってしまう。つい勝手に上がりそうになる右腕を、曹操はぐっと抑えた。

 

(せい)です、一刀殿」

「いいのか、そう簡単に真名で呼ばせてしまっても?」

「ははっ、おかしなことを申されるお方だ。一刀というのは、やはり真名だそうではありませんか。いやはや、なんとなくそのような気はしていたのですが」

「一刀と呼ばれる方が性に合っているのだよ、俺は。まあいい、せっかく許してくれるというのだ。星殿、と呼ばせてもらうことにしよう」

「星でよろしいですよ、一刀殿。ふふっ……。黄巾討伐で名を馳せた曹操殿に、いつまでも気を使わせていたのでは、わたしとしても恐縮してしまいますゆえ」

「暴動を起こした民との闘いで手柄をあげたところで、どうにもならんのだよ、この世は。しかし、俺は遠慮をしない質なのでな。では、そうさせてもらうぞ、星よ」

 

 星が首肯する。曹操は、確かな手応えを感じていた。

 旅銀がないというのは真実なのだろうが、恐らくそれは表向きの理由なのだろう。槍働きに自信があるのであれば、一時的に士官することはそう難しくないはずなのだ。どこの領主も、つぎなる叛乱に備えて、陣容を厚くしておきたいと思っているからである。

 

「一刀さん、お酒をお持ちいたしました」

「飲み過ぎには注意してくださいまし、お兄さま」

「なんだ、栄華(えいか)も手伝ってくれていたのか。しかし、今日は特別な日なのだよ。細かいことは気にせず、酒くらい好きなように飲ませてもらうぞ。そうだ、栄華も星に挨拶をしておけ。俺の勘が正しければ、長い付き合いになる」

「はあ……? なんだかよくわかりませんが、お兄さまから言われずとも、挨拶くらいできますもの。こほん……、わたくしは曹洪です。趙雲さん、でしたわね?」

「うむ。趙雲だ、字は子龍と申す。ふっ、親族とはいえども、このような美少女たちに囲まれた生活。一刀殿も、男としてさぞかし大変でしょうな」

 

 にやりと笑う星。その言葉の意味がわかってしまったのだろう。柳琳は、顔を真赤にしてうつむいてしまっている。

 

「ははっ、なんのことかわからんな。よければ、無知な俺に教授してくれまいか、星」

「なっ……、ううむ……。一刀殿が望まれるのであれば、いや……しかし」

「かか、一刀さんっ! わたし、メンマ以外のおつまみを取ってきます! ねっ、栄華ちゃんも来てくれないかしら!」

「ちょっと、柳琳!? あまり、引っ張らないでくださいまし! ああっ、服の袖が伸びてしまいますわ!」

 

 星の反応を、曹操はうかがっていた。

 どちらに関しても、自分の予測は外れていないはずである。柳琳の持ってきた杯に酒を注ぎ、飲み干してみる。暑い時期に適した、キレのある酒だった。再び酒で杯を満たして、今度は星に飲むように勧めてみる。これは、あのときの返礼でもあった。

 

「うまい酒だぞ。星も、飲んでみるがいい。メンマにも、よく合いそうだ」

「ええ、いただきましょう。んっ、んくっ……」

 

 ただ酒を飲んでいるだけだというのに、画になる女だった。

 かすかに朱色に染まった頬。自分が飲んだ杯だということを、意識してくれているのだろうか。先に飲んでみせたのは、危険がないことを知らせるためなのである。これが春蘭などであれば、喜んで口をつけているはずだ。

 

「なるほど、いい味をしておりますな。それでは、こちらもいただくとしましょう」

 

 商人に言って、材料を揚州から取り寄せて作った逸品なのである。柳琳と試作を重ねながら完成させたものだから、味に間違いはないはずだった。これも、空いた時間がある今だからこそできたことだといえよう。

 星は、出されたメンマをじっくりと咀嚼をしているようだった。その様子を、酒を飲みながら曹操は眺めている。

 

「これは、かなりのものですな。どこかで買われたのであれば、ぜひとも教えていただきたいものです」

「おお、そうだろう? これはな、柳琳……曹純と俺でこしらえたものなのだよ」

「ほう、一刀殿が手ずから。と、いうことは……」

「ふっ、そうだ。このメンマがまた食べたいというのであれば、お前はこの曹家に身を寄せるほかないのだよ。ふふっ……。どうする、星」

「むむむ……。メンマを人質に取るとは、一刀殿もなかなか阿漕な真似をなさいますな。むうぅ、これは難題だ……」

 

 星は、わざとらしく顔をしかめさせている。

 こちらの意図していることは、充分に伝わっているはずだ。ここまで来たからには、もう逃したくはなかった。感触は、悪くない。あとは、返答を待つのみだった。

 

「わかりました、わたしの負けです。趙子龍、いまこの時より、曹操殿を主君として仰ぐことにいたしましょう。まったく、うまく絡め取られてしまったものです」

「うん、よくぞ決心してくれた。お前の槍の腕、頼らせてもらうぞ、星」

 

 隣り合って椅子に座り、主従としての酒を初めて酌み交わした。旨い酒。それが、より旨く感じられた。

 メンマをかじる星は、やはり心の底から幸せそうなのである。なにか強い達成感を覚えながら、曹操は杯を口に運んでいる。

 

「いつか、大きなことをなされるのではないか。(あるじ)の顔を見ていると、わたしにはそう思えてならないのですよ。この期待、どうか裏切らないでくださいませ」

「ははっ、そうかな。しかし、常々そうありたいとは考えている。俺は、宦官の家の出だ。そんな男が国を平らかにし、新たなる秩序を作り上げる。それが現実となれば、これほど痛快なことはなかろう、星よ?」

「ふっ、さすがにたいそうな夢をお持ちだ。されど、そうでなくては、臣下として支え甲斐がないというもの」

 

 少し、酔いが回ってきているのだろうか。出てくる言葉にも、自然と熱がこもってしまう。曹操は、いつもより饒舌になっていた。

 曹操の話を聞いても、星に驚いたような様子はなかった。ただ酒で唇を湿らせ、上機嫌にメンマをほうばっているのだ。

 話したいことは、いくらでもあった。星には、実際に各地を見聞してきた経験がある。領主の評判に、土地の様子。曹操が放蕩をしていたのにも、その辺りに理由があるのだ。

 ふと、曹操が外を見た。

 暗闇があたりを覆っている。室内には、いつからか明かりが灯されているようだった。話に夢中になっていたから、誰かが火を持ってきてくれたことにも、気づかなかったのだろう。

 

「ふむ、そろそろよい時間なのかもしれませんな。それと主、わたしにも、部屋くらいはいただけるのでしょうな? まさか、ご自分から誘われた女に、(うまや)で寝ろとは仰せにはなりますまい」

「空き部屋が、いくつかある。星には、そこを使ってもらうつもりだ」

「なるほど、ではそちらに案内をしていただけますかな。……っと、主」

 

 急に立ち上がったせいか、酔いの回った足元がわずかにふらついてしまう。すかさず、星が腕で支えてくれたようだった。

 飲酒したあとの臭気のなかに、ふわりと女らしい香りが混じっている。曹操の内側に眠った情欲。それが、突き動かされていった。

 星を壁に押しやり、唇を合わせた。戸惑った瞳が、必死に抗議の視線を送ってきている。構わず、何度か唇を吸い上げた。跳ね飛ばそうと思えば、いくらでもできるはずだ。春蘭とまともにやり合えるような武人。それが、星なのである。

 

「ほかに想い人がいるのであれば、陳謝しよう。俺も、惚れた女を無理に寝取ろうとは思わんのでな」

「ほ、惚れた……? いえ。べつに、操を立てねばならぬような相手がいるわけではないのです。ただほんとうに、いきなりだったものですから、その……」

「そうか。だったら……んっ」

「んくっ、あるじぃ……。あっ、こんな、んむぅ、ちゅぱっ……♡」

 

 嫌でなければ、このまま閨に来てほしい。抱きしめながら、星にそう耳打ちをした。

 涼し気な色の髪。それをそっと撫で付けながら、曹操はゆっくりと唇を離していく。熱でも、あるのではないか。そう思ってしまうくらい、星の顔は赤くなっている。

 星の頭が、小さく縦に揺れている。あまりにも、いじらしい動きである。

 今夜は、まともに眠れはしないのだろう。曹操の着物の前は、期待によって早くも大きなふくらみをみせていた。

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