※この作品はR-18です。

恋姫異天記~曹操伝~   作:KKS

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六 劉備の決意

 帰ってきた桃香(とうか)は、やはり顔に疲労をにじませていた。

 結果の出ることのない議論を、日々延々と続けているのである。相手が出方を明確に決めてしまったのだから、もう交渉でどうにか出来る段階ではなくなっているのだ。

 雲霞の如き黄巾軍。それを打ち払った曹操軍の力は、徐州でも知られている。かつての脅威に対しても、陶謙は利を追うようなやり方しかできなかった。あの時、正面から堂々と自分たちの軍を派遣していれば、陶謙に対するいまの評価は多少違っていたのかもしれない、と愛紗(あいしゃ)は思う。

 桃香の帰りを待ちきれずに、朱里(しゅり)は眠ってしまっていた。旅の疲れ。それに、気持ちの面でも負担が少なくはなかったのではないか。知識はあっても、現実の戦をしたことがない。その朱里が、あの曹操を相手取り、徐州の主導権を握って闘えと桃香に進言してきたのである。生半可な覚悟で出来ることではない。朱里の友人である鳳統も、数日中には徐州に到着する手はずになっているらしい。小さな軍師たちの覚悟。桃香はそれを、どのように受け取るのか。

 確固とした立場を持たない劉備軍は、野営で過ごすことが多くなっていた。城中に滞在していれば、自分や鈴々(りんりん)にも面倒が降りかかってくることになるかもしれない。そのことを配慮して、桃香は劉備軍が外で過ごすことを取り決めてくれたのである。

 夜風の音。陣幕の揺らめき。手を擦り合わせながら、桃香が視線を向けてくる。話があることくらいお見通しだと、その眼が言っているかのようだった。

 朱里が提言してきたように、体制を整えるならば迅速に動くべきだった。腹をくくり、桃香の顔を見る。優しげなほほえみ。そのあたたかさだけが、いまは救いだった。

 

「桃香さま。豫州の陳珪殿のところにいた、諸葛亮を覚えておいでですか」

「うん、もちろん。あの時は急いでいたから無理だったけど、もう少しお話してみたかったと思うよ。……あの子も、きっと曹操さんのことが気になってるんだろうな」

「仰せの通りだと思います。その諸葛亮ですが、桃香さまにお伝えしたいことがあり、本日こちらに到着いたしました。先程までは起きて待っていたのですが、さすがに限界そうでしたので、私の一存で今夜はもう寝るようにと」

「えっ。諸葛亮ちゃんが、ここに来ているの? うん、そっか……。それで、愛紗ちゃんが代わりに伝言を?」

「はい。急ぎの案件ですので、まずは私の口からお聞きください。朝になったら、どうかあの子ともお会いくださいませ」

「わかったよ、愛紗ちゃん。それじゃ、心して聞かないとね。少し、座ろっか」

 

 桃香の対面に腰掛ける。

 優しげな雰囲気の中に、ちょっと緊張感のようなものが漂っている。動乱の気配ある徐州への来訪。その意味が決して小さくないことを、桃香がはっきりと理解しているからだった。

 膝の上でこぶしを握り込み、愛紗が言った。

 

「いまの状態のまま闘えば、徐州は確実に悲惨な結末を迎える。それが、諸葛亮の出した結論です。このことは、桃香さまもお感じになられているのではありませんか」

「そう、なのかもしれないね。だけど、私たちは逃げ出すわけにはいかないんだ。お父さんをあんな風に失って、一刀さんが辛いのはわかるよ。それでも、徐州すべてに武器を向けるのは間違ってる。そんなことをしていたら、いつまで経っても乱世なんて終わらないんだ」

「同意します、桃香さま。徐州はあの方の軍を迎え撃つためにも、一体となる必要があるのです。陶謙さまでは、その考えは実現できません。ですから、桃香さま」

 

 語気が自然と強まっていく。

 自分の言葉の意味を、桃香はわかっているはずだ。かたく結ばれた唇。それが、噛み締められているようだった。現実として、ほかにいい手段は思い当たらない。同様の考えを抱いているからこそ、桃香はすぐに言い返せないでいるのか。

 風がまた、陣幕を揺らしている。促されるように、桃香が口を開いた。

 

「辛いね、愛紗ちゃん。だけど、いまの困難を乗り越えられなきゃ、世界はもっと辛くなっていくだけなのかな」

「そんなことにはなりません。桃香さまが立ち、あの方の凶刃をお止めになる。私の青龍偃月刀も、力の限り振るってご覧に入れます。ですから、きっと大丈夫」

「強いんだね、愛紗ちゃんは。私には、戦場に出て闘う力なんてない。だから、いつも愛紗ちゃんや鈴々ちゃんに、無理をさせてしまっている」

「桃香さまが思っておられるほど、私は強くありませんよ。あなたという柱があるから、私は覚悟を持って闘える。鈴々だって、きっとそうです」

「えへへ、そうなのかな? だったら、私がまずは頑張らないといけないね。うん。覚悟、覚悟か……」

「申し訳ございません。桃香さまに、ご本意でないことを無理強いしたくはないのですが、今回ばかりは何卒ご容赦を」

「いいんだよ、そんな風に思わなくたって。ねっ……。愛紗ちゃんは、一刀さんのことが好き?」

「なっ……!? そ、それはいま答えなくてはならないことなのですか!?」

「ええー? 私は、すごく大事なことだと思ってるよ? 誰かを思う気持ちがあるほど、人は力を発揮できるんだもん。だから、どうなのかなって」

 

 唐突な質問だった。だが、桃香の言っていることは間違いではなかった。たぶん相手が曹操だから、自分は桃香のやり方にそぐわないような進言をしてでも、事態を解決したいと思えているのではないか。そしておそらく、桃香にもその気持ちは存在しているのだろう。

 張り詰めていた心。急激に揺れていく。こうやって不意を打ってくるところにも、また敵わないと思わせられるのだ。

 

「愛紗ちゃんが言わないんだったら、先に言っちゃうね? 私は、一刀さんのことが好き。大好きな人のためだから、全部を賭けて闘えるんだ。徐州を()った結果、恩知らずだって、自分勝手だって罵られてもいい。それで一刀さんのやろうとしていることを止められるのなら、私にとってはそれが正解なんだから」

「やっぱり、あなたには敵いません。けれども、私もあの方を好きでいたい。もう一度、優しいお声で真名を呼んでいただきたいのです。その気持ちに、偽りなんてありません。そのためならば、私は」

「そっか。うん、そうだよね。安心したよ、愛紗ちゃんが私と同じ気持ちでいてくれて」

「私も嬉しく思います。……ひとつ、お聞かせ願えますでしょうか、桃香さま」

「なにかな、愛紗ちゃん?」

 

 ついに、公にしてしまったという思いがある。それでも、気分はひどく晴れやかだった。

 桃香と同じ男を好きになった。そのことが、ちょっと誇らしくすら思えてくる。その上で、自分たちの行くべき道について質問しておくべきことがあった。

 

「徐州の奪取が叶えば、それは桃香さまにとって大きな力となりましょう。ご自身の天下。それを欲されるのであれば、利用しない手などありません。そのあたりのことを、如何お考えなのでしょうか」

 

 たぶん、返ってくる答えは決まっている。それを知って質問を投げかけているのだから、自分はある意味不忠者なのかもしれない、と愛紗は思っている。

 数拍の間だけ考え、桃香が言った。

 

「私にもっと大きくなって欲しくて、命をかけて闘ってくれている人がいる。死んでいった人たちだって、少なくはないの。その人たちに報いるためにも、私は天下への思いを捨てるわけにはいかないんだと思う。だけど、そこに拘っているばかりじゃ、変えられないことだってあるんだ。戦のない世の中。私に託された願いの叶え方は、ひとつじゃないはずだよ。だから、いまは精一杯、一刀さんと闘おう。闘って、私たちの思いをぶつけよう。それじゃ、だめかな?」

「いいえ、そのようなこと。私も、桃香さまのお考えに賛同いたします。鈴々や、みなもきっと納得してくれましょう」

「ほんとに? だったら、一安心だよ」

 

 力が抜けたように、桃香が机に突っ伏した。

 凛々しさなどどこにもない。しかし、それが桃香のいい部分なのだと愛紗には思えてくる。周囲に安堵をもたらし、やさしさで包み込むような器量。それが好きで、自分たちは桃香を義姉(あね)と慕っているのだ。

 少しだけ持ち上がった顔が、こちらを真っ直ぐに見つめている。その表情がまるで小動物のようで、愛紗は保護欲を掻き立てられて仕方がなかった。義姉であり、主君であり、さらにはよき友人でもあると言うべきなのか。不敬な感情ではあるが、桃香は笑って受け入れてくれるに違いなかった。

 

「あはは……。なんだか、いろいろ考えてるうちにお腹が空いてきちゃったのかも?」

「ふふっ。これは、気が利きませんでしたね。すぐになにか用意いたしますゆえ、少々お待ちを」

「はーい。お願いするね、愛紗ちゃん」

 

 桃香の間延びした声。

 心地よく思いながら、愛紗は小走りに駈けて行った。

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