※この作品はR-18です。

恋姫異天記~曹操伝~   作:KKS

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後半部分の流れを変更しました(22/04/17)


七 徐州政変

 事を起こす時が、いよいよやって来た。

 陶謙の周囲にも、桃香(とうか)を支持する者は少なからず存在する。現在の体制では、直面する危機を乗り切ることなどできるはずがない。そう感じている豪族たちは、それよりもずっと多いと言っていい。

 軍権の奪取は、正面から堂々と行うべきである。騙し討ちのようなかたちを取ったのでは、今後の戦においても統制の乱れを招くことになるだろう。そうした朱里(しゅり)の進言には、愛紗(あいしゃ)も賛同の意を示していた。

 早朝。桃香は麾下を集め、号令を発した。陶謙の住まう館まで粛々と進み、軍権の譲渡を迫る。無駄な戦闘は起こらないだろう、と朱里は目算をつけているようだった。自分たち劉備軍の総勢は、多く見積もって三千と五百。それでも、練度においては徐州随一の軍勢であることは間違いないのである。その劉備軍とわざわざぶつかろうという気概を持つ将兵が、陶謙の周りにどのくらいいるのか。いくら故郷のこととはいえ、朱里は離れていた徐州のことをよく知っている、と愛紗は感心することが多かった。

 軍勢の先頭に立ち、愛紗は馬をゆっくりと駈けさせていた。すぐ後ろにいる義妹(いもうと)の表情は少しかたい。自分たちのしていることは、叛乱となんら変わりがないのである。鈴々(りんりん)が、そのことを辛く感じていても不思議ではなかった。

 

「ねえ、愛紗」

「なんだ、鈴々?」

 

 努めて、優しい声色を出そうと思った。

 徐州簒奪。そして、それから後に待っているのは、曹操軍との闘いなのである。もし黄巾軍との戦を終えたあと、桃香が曹操との同行を選択していたら、鈴々にこんな思いをさせることもなかったのか。考えるのはやめよう、と愛紗は頭を左右に振った。曹操と別の道を歩んでいる自分たちにしか、できないことがある。今はそれを、全力でやるだけだった。

 

「鈴々たちは、お兄ちゃんをやっつけるために徐州を()るの? ……お姉ちゃんや朱里に訊こうと思ってたんだけど、返ってくる答えが怖くて訊けなかったのだ。けど、鈴々も覚悟を決めなくっちゃ。それが劉備軍の将軍としての、鈴々の役目だから」

「ふふ。強いのだな、おまえも」

「にゃ? そんなの、当たり前なのだ。愛紗は、違うのかー?」

「いいや、違わないさ。だが、桃香さまが目指しておられるのは、曹操軍の侵略を押し留めることで、あの方を討つことではない。それは、おまえも心しておくのだな、鈴々」

「うん。それなら、鈴々も納得なのだ。お兄ちゃんとは闘いたくないけど、今度ばっかりはやるしかないんだもん。だから、鈴々がんばれるよ」

「そうか……。頼もしいぞ、鈴々。自慢の義妹だよ、おまえは」

「はにゃ……? 愛紗、なにか言ったのだ?」

「ふっ。なんでもない、気にするな」

 

 不思議そうに首を捻る鈴々を尻目に、愛紗は馬腹を軽く蹴り上げた。

 堂々と大路を往く『劉』の一字の旗。民衆たちはそれを息を呑んで見上げ、動向を見守るばかりだった。

 

 

 陶謙の居所周辺を、劉備軍がかためている。

 思っていたように、相対しようという軍勢は出てこなかった。館の中から出てきた女が桃香に拝礼し、陶謙がそこにいることを伝えている。孫乾。侍女にしか見えないような格好をしているが、かなりの腕を持つ隠密だった。孫乾は早くから桃香が親しくしていたひとりであり、今回事を起こすにあたって真っ先に協力を要請した人物でもある。

 

「行こうか、愛紗ちゃん、朱里ちゃん。鈴々ちゃんと雛里(ひなり)ちゃんは、ここで待機。周囲の動きに、目を光らせておいて」

 

 桃香の指示が飛ぶ。館内部は、すでに孫乾の配下が抑えてしまっているのだろう。雰囲気こそひりついてはいるものの、抵抗を受けることはなかった。

 自身の居室で、陶謙は力なく項垂れているだけだった。まさか、自分たちに蜂起されるとは思いもしなかったのだろう。そこに連日感じていた心労が重なり、気力がほとんど抜けきってしまっている。

 陶謙の虚ろな瞳。向けられた桃香が、一歩踏み出した。

 

「城中を騒がせていることをお許しください、陶謙さま。ですが最早、私にはこうする以外の道はなかった。ご理解いただけるとは、思いませんが」

「恥知らずな真似をしてくれる。それで、なにが望みなのだ、劉備よ? よもや、儂の首を曹操に差し出そうとでも言うのか」

「私の望みはただひとつなんです、陶謙さま。徐州の軍権。それさえ譲っていただければ、ほかに望むものなどなにもありません。陶謙さまや、事件の当事者の首を今になって差し出したところで、曹操さんの怒りが収まることはないでしょう。ですから、私は闘います。そのための力だけが、今は欲しい」

「ちっ……。この老いぼれの首などには価値がない。つまり、おまえはそう言いたいのだな、劉備玄徳」

「どう受け取られようと構いません。ともかく、私に陶謙さまを害しようという意思がないのは事実です。それで、ご返答は」

 

 苦し紛れの嫌味を浴びせる陶謙だったが、桃香は臆せず跳ね除けてみせた。

 この状況で打てる手などありはしない。朱里の助言を受けて、調略すべき人物には折り合いをつけてあるのだ。綺麗事だけでは、できないことだってある。その事実を、桃香は噛み締めているところなのかもしれなかった。気丈に振る舞う桃香の姿。見つめている朱里は、なにを感じているのだろうか。

 項垂れていた陶謙が頭を上げた。

 

「わかった。おまえの言うことに従おう、劉備よ。徐州の采配など、好きにするがいい。その代わり、儂は郷里に帰らせてもらうぞ」

「ありがとうございます、陶謙さま。あなたの行方を、こちらから曹操さんに知らせることはありません。ですから、どうかお元気で」

「別れの言葉など必要ないわ。それよりも、旅に必要な人数と金くらい、用意してくれるのであろうな。おまえも、そこまでの恩知らずではあるまい、劉備」

「すぐに手配いたします。それまで、陶謙さまはこちらで自由にお過ごしください」

「ふん。おまえの手並み、遠くからとくと拝見させてもらおうではないか。もういい、さっさと()ね」

 

 不遜な態度が、むしろ見ていて痛々しいくらいだった。陶謙に残されたものは、なにもない。ただし、その心を最も苦しめていた部分だけは、これから桃香が肩代わりすることになるのか。

 陶謙の行方を曹操に教えることはないが、この先どうなろうと知ったことではない、というのが本音だった。この場では見逃すことで、桃香の気持ちは多少楽になる。もし陶謙と一緒に行きたい者がいれば、勝手に出ていけばいいという心境ですらあるのだ。

 居室に孫乾だけを残し、愛紗たちは外へ出た。吹き抜ける風。新鮮な空気を、桃香が胸いっぱいに吸い込んでいる。

 

「お疲れさまでした、桃香さん。これで、事態は一歩前に進んだと言っていいでしょう。ですが、大事なのはここからです。まずは、各地の豪族に桃香さんが権力を握られた事実を伝えましょう。その上で、抑えるべきだと判断した者は、力をもって抑えなくてはなりません」

「うん。わかってるよ、朱里ちゃん。だけど出来ることなら、話し合いで協力してもらえるようになるのが理想的かな。州内での不和は、なるべく少なくするべきだよね。ただでさえ、私は強引に権力を奪った悪者なんだし」

「悪者だなどと……。ご自身の行いを卑下する必要などありません、桃香さま。われらは、為すべきと思ったことを為したまでです。そこに、なんの後悔がありましょうや」

「私も、桃香さんのご意思にはなるべく沿うように動きたいと思います。そのあたりの協議は雛里ちゃんとしてありますので、今後はよくご相談いただければ」

「そっか。朱里ちゃんには、これからまた旅立ってもらわないといけないんだもんね。孫乾さんとは、もう打ち合わせは出来ているの?」

「はい、桃香さん。孫乾さんのような方が桃香さんに味方してくださり、幸運でした。私も、各地での時間の割き方には苦心していたところでしたので」

 

 曹操軍相手に、即席でまとまった徐州だけで抵抗するのには限度がある。そう考えていた朱里は、外部に味方を作りに行くつもりなのだという。

 朱里が旅に出ている間、軍師は雛里ひとりとなる。おどおどしたところが少し頼りなく見える少女だったが、自分たちに出来るのは、雛里を信じることだけだった。

 

「任せたよ、朱里ちゃん。ねっ、愛紗ちゃん。この前も提案したことだけど、やっぱり一度曹操さんに会ってきたらどうかな」

「ですが桃香さま。私や鈴々には、軍勢を再編し鍛え上げるという使命があるのです。朱里も、そうは思わないか?」

「えっと、私は桃香さんのお考えに賛同したいです。愛紗さんが曹操さまとの会談に向かわれれば、あちらの意識は必然的に愛紗さんに集中することになるでしょう。その間、私は兗州内での動きが取りやすくなりますから。曹操さまも、愛紗さんが会いたいとお願いになれば、気持ちに揺らぐ部分が出てくるかもしれません」

「むっ……。確かに、朱里の言うことにも一理あるが」

「なら、決まりだね。愛紗ちゃんと朱里ちゃんは兗州に。二人がしばらくいない分、私が徐州で頑張るから」

「承知いたしました。ご負担をかけることは心苦しいかぎりですが、兗州に行って参ります」

 

 曹操との会談が正式に決まれば、青州黄巾との戦後別れて以来の再開となる。あの時は、こんなことになるとは思いもしなかった。胸が締め付けられる。自分が会ったところで、どうにかなるものなのか。戦に向けた決意は、きっと揺るがない。自分も曹操も、闘う覚悟はとっくに決まっているのだ。

 様々な方向に、徐州は課題が山積していると言っていい。その山をどこから崩し、どう道筋をつけていくのか。小さな誤りが、取り返しのつかない結果を招くこともあると考えるべきだった。

 

「頑張ろうね、みんなで。私たちに必要なのは、負けないことなんだ。無理に勝とうとしなければ、道は開けるはずだよ。曹操さんの怒りが冷えきるまで、なんとか踏ん張ろう」

 

 桃香の言葉に、朱里と二人して強く頷いた。

 風に吹かれて、桃色の髪が靡いている。この地平の遙か先。そのどこかで、曹操は今も復仇の念を募らせているに違いなかった。その道だけは、自分たちが遮ってみせなければならない。それが、別々の道を歩んでいる自分たちの役目なのではないか、と愛紗は鮮明に感じている。

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