※この作品はR-18です。

恋姫異天記~曹操伝~   作:KKS

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十四 風雲急を告ぐ

 徐州の戦況はどうなっているのだろうか。茶を一口すすると、わずかにぼんやりとしていた意識が明瞭になってくる。曹操不在の鄄城。急な呼び出しがかかることもなく、静かな夜だった。こんな夜は、考え事をするのにちょうどいい。指で軽く眉間を揉むと、桂花(けいふぁ)は小さく息を吐いた。

 徐州に兵を入れ、彭城に向けて南下する。桂花が得ている情報は、そこまでだった。緒戦は、何事もなく順調に進むはずだ。徐州全土に兵を行き渡らせる余裕など、劉備にあるはずがない。関羽、張飛に精鋭を預け、要所で曹操軍を食い止める。相手方の大まかな戦略は、そうなってくると桂花は読んでいた。

 机に拡げた絵図を睨む。東に劉備。北に袁紹。そして、南には孫堅が勢力を構えている。孫堅に関しては、二日前に間者からの報告が上がってきたばかりだった。軍を催し、出陣の準備を整えている。狙いは、考えるまでもなく豫州なのだろう。豫州南部には、既に孫堅の娘が楔を打ち込んでいる。それだけに、橋頭堡は出来上がっていると言ってよかった。加えて、揚州制圧に出かけている、孫策の行動も気がかりになってくる。

 孫堅が仕掛けてくれば、迎撃に出る必要がある。豫州は自領でこそないが、中心人物である陳珪は曹操に対しかなり協力的である。それに、かの地は自分たちの故郷でもあるのだ。長く帰っていないが、思い出は多くある。曹操に連れ出され、馬の背中に揺られた日々。今でも、あの頃のことは鮮烈に記憶されている。

 絵図の北方。袁家の領土である冀州を、桂花は指でつんと叩いた。袁紹。あの女に渡りをつけたのは、ある種の賭けである。

 袁紹が曹操を意識しているのは、わかりきっていることだ。董卓の抑えていた洛陽を脱した時。それに対抗しようと連合軍を結成した時。袁紹が大きな動きを見せる時、常に曹操からの働きかけが存在していたのである。

 曹と袁。二つの家が結束することがあれば、天下への道が一気に開けてくる。袁紹の配下たちも、曹操には好意的な姿勢を見せている。あとは、へそ曲がりな君主が、どれだけ気持ちを素直に出せるかだ。そして、曹操にしてもそれは同じなのである。

 袁紹への働きかけ。もし裏目に出たとしても、それでいいと桂花は割り切っていた。周囲に敵が増えただけ、曹操が平静さを取り戻すきっかけとなるに違いないからだ。徐州にだけに向けられた意識も、苦境に陥れば柔軟に変化せざるを得なくなるのではないか。田豊からの返書はまだ届いていないが、できるのは結果を待つことだけなのである。

 徐州を焼きたいのなら、焼けばいい。だが、その先に目指すべき覇者の座はあるのか。曹操の道を正したい。そんな、大それた思いがあるわけではなかった。主君に仕える軍師として、相応しい振る舞いではないという自覚もある。

 自分と曹操との勝負。どこかに、そう感じている部分があるのかもしれない。大人しくしているばかりが忠義ではない。たまには、昔のように手を噛んでやるのもいいのではないか。自分たちは、そうやってここまで進んできた、という思いもある。だから、曹操からどのように思われようと、桂花は己のやりたいようにやるだけだった。

 

「程昱さまがお見えです。お通ししても、よろしいでしょうか」

 

 侍女からの声がかかる。珍しい時間の来訪だと思いつつ、桂花はすぐに通すように伝えた。

 

「ほうほう。遅くまで頑張っているのですねえ、桂花ちゃんは」

「どうしたのよ、(ふう)。まさか、こんな夜更けにこそこそ(おとな)っておいて、遊びに来ただけだなんて言わないでしょうね?」

 

 風の表情から、読み取れることはあまりなかった。いつものように飄々としていて、掴みどころがない。曹操も、そうした部分を信頼して、風に留守居役を任せているのである。

 眠たげだった風の右眼。まぶたが少しだけ持ち上がり、翡翠色の瞳がこちらを見つめている。

 やはり、自分に知らせたいなにかがあるのか。桂花はちょっとだけ身構えて、風が言葉を発するのを待っていた。

 

「ふむ。なんと言いますか、桂花ちゃんにはお城を抜けることをおすすめしたいと思いまして。それも、なるべく今すぐに」

「なっ……。城を抜けろ、ですって?」

 

 予想を遥かに越える不穏な内容に、目眩がしそうになる。

 かと言って、風が冗談でこんな話をしに来るはずがない。その口調は冷え冷えとしていて、かなり真面目なものだった。

 

「訊きたいことが山ほどあるのはわかります。ですが、なるべくお急ぎを。先に沙和(さわ)ちゃんと流琉(るる)ちゃんには話をつけてありますので、いつでも出られる準備は出来ているものかと」

「気に食わないわね。それで、あなたはどうするつもりなのよ、風」

 

 会話の流れから考えて、どうやら風自身はこの城に残るつもりのようである。

 変事。それも、かなりの大事が起きるのではないか。それでも城に残るということは、風はそれに関与しているのか。他にも、上がっていない名前がある。(れん)たち呂布軍。だが、あの恋がここに来て野心を抱いたとは思えない。(ゆえ)にしても、曹操とはかなり親密な仲になっているのである。しかも、月にとって親友以上の存在である(えい)は、徐州攻めに同行している最中だった。

 

「むむむ。さすがに今は、食わず嫌いをしている場合ではないのですよ、桂花ちゃん。明日になれば、こうやってお話をしている余裕もなくなってしまうことでしょう。桂花ちゃんひとりだけならまだしも、お子さまがいることを考えますと」

「そっ……。本気なのね、風。あいつに、なにか伝えたい事は?」

「おおっ。風としたことが、そこまで考えが及んでいなかったのですよ。んんー、そうですねえ」

 

 口に人さし指を当て、風が伝言を考えはじめている。

 自分とは違ったかたちで、曹操の行動に対抗しようとしている勢力がいるようだった。だが、兵力の乏しい呂布軍だけでは、やれることなど知れている。だとすれば、その背後にはもっと大きな誰かが存在していて当然なのである。

 張邈(ちょうばく)。この兗州で曹操の地位を脅かすほどの影響力を持っているのは、あの男だけだった。派手さこそないものの、侮れない力を有している。古くからの友人。それだけに、曹操も張邈のことは信頼しているようだった。孫堅に対する備えも、張邈がかなりの部分を担っている。その動き次第では、徐州攻めどころか兗州の保持自体が危うくなってくるのかもしれない。張邈にどこまでの意図があるにせよ、まずい状況になると考えて間違いはないはずだった。

 

「細々としたことを考えるのは面倒ですので、ここはひとつだけ。あの方には、こちらのことはお任せください、と伝えておいてもらえれば」

「ほんと、勝手なんだから。私にも、ちょっとは相談しなさいよね」

「おおう。その言葉、そっくりそのまま桂花ちゃんにお返ししてもー? あっ、そうだ。もうひとつだけ、伝言を追加してもよろしいでしょうか」

 

 袁紹に対する働きかけのことを、風は言っているのだろうか。

 ぼんやりとした口調からは、全てを計ることなどできなかった。ただ、風が曹操のために動いていることだけは、桂花にも容易に理解できる。

 

「恋ちゃんのこと、できれば叱らないであげてください。風の口から言えるのは、それだけなのですよ」

「確かに、任されたわ。しばらく寂しくなるわね、風」

「はい、それはもう。さっ、早く行っちゃってください、桂花ちゃん」

 

 急かされるように、桂花は母と息子を伴って街を出た。

 暗闇の中。原野に、いくつかの灯りが見えている。沙和と流琉は、それぞれ百人の兵を連れているようだった。難しい判断ではあるが、戦場(いくさば)に同行させるわけにもいかず、昂は母に預けるしかないと桂花は覚悟していた。しばしの別れ。重い雰囲気に置かれていても眠っているわが子を見て、これは将来大物になるのではないか、と桂花は密かに思っている。

 

「流琉。母さまと昂のこと、頼んだわよ」

「承知いたしました、桂花さん。お二人の護衛、私にお任せください。冀州に着いたら、田豊さんを頼ればいいんですね?」

「ええ。田豊なら、悪いようにはしないはずよ。母さまも、向こうにいた時に面識があるようだから」

 

 眠ったままのわが子の顔に触れ、桂花は別れを惜しんでいた。

 冀州には田豊だけでなく、移り住んだ一族もいる。逃げ込んだ後の、不安はなかった。

 

「帰るのですね、桂花。戦場に、一刀殿のところに」

「そうね、母さま。私の闘うべき場所は、結局あいつの側にしかないみたいなのよ。だから、この子のことをお願い」

 

 穏やかな笑み。我儘をぶつけているのに、文句ひとつ言わずに受け止めてくれている。母の大きさというものを、桂花は改めて強く実感していた。

 自分もいつの日か、母のような存在になれるのだろうか。まだ、確固たる自信はなかった。それでも、歩み続けることでしか得られないなにかがあるのだろう。

 夜道。沙和の先導に従い、粛々と進んでいく。この道の先のどこかで、曹操は闘っているのか。戦場の発する熱。それはまだ、遠く離れた場所にある。

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