・鬼滅の刃原作に関するネタバレあり。原作未読の方は閲覧注意。
・鬼滅の刃二次創作小説です。
・原作・キャラクターの性格・設定等改変の可能性大。一部キャラ崩壊注意。
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第伍拾捌話 日輪と美蝶は歓迎会の準備をする
東京府・蝶屋敷
時間帯:昼
天気:曇り
「えーっと……それでは早速歓迎会も兼ねてお茶会に出す、お料理作りを始めたいと思いますっ!」
「おおっ――!」
「お、おおっ……。」
「……」
「クスクス……。」
蜜璃の掛け声で、呼応する様に返事があった。尤も、はっきり呼応したのは炭治郎だけで、カナヲは控えめに呼応していた。そんなカナヲを見て、何も言わずしのぶとアオイは微笑ましそうに笑っていた。カナヲの当時の様子を知る二人からすれば、そうなるのは必定であった。
炭治郎達は蝶屋敷にある、厨房に集結していた。
厨房に居るのは炭治郎、しのぶ、アオイ、カナヲ、蜜璃の五人だ。そして厨房には料理に使用するであろう、小麦粉や卵、
「思ったけど、こんな風に皆で料理するなんて初めてかも。」
「そう言えば、そうね。」
「私、炭治郎と一緒に料理出来て嬉しい……」
「私も久しぶりに、炭治郎一緒に料理出来て嬉しい。」
しのぶ達は炭治郎を見ながら、一緒に料理が出来る事実に嬉しそうに笑っていた。
「俺も、しのぶさん達と一緒に料理出来て嬉しいですっ! 幸せですっ!」
炭治郎がしのぶ達の呟きを聞いて、そう言って同意した。当然の如く満面の笑みでそう言うので、しのぶ達の幸福度は只管に増幅する一方であった。
「……あれ? そう言えば……きよちゃん達はどうしたの?」
蜜璃はきよとすみとなほの三人が、蝶屋敷の厨房に居ない事に疑問を感じてしのぶ達に訊ねた。きよ達はアオイを補佐して料理も出来る料理上手であり、何より甘い物好きのすみ達が、この行事に参加していない事実が信じ難かった。
「ああ、なほ達でしたら……。」
『だっはははははははははっっ!!』
『きゃあああああぁぁぁっっっ~~~!!!♪』
蝶屋敷の厨房の外から、伊之助の大声ときよ達の歓声と更には車輪を走らせた時に鳴る音が聞こえて来た。
「……居ましたね。」
「うん……あれかな? 俺がひささんの御屋敷で譲って貰った人力車で、伊之助がすみちゃん達を乗せて走り回っているんだと思う。」
『……ああぁ~~っ。』
炭治郎の推測を聞いて、しのぶ達は納得した様子で声を上げた。
「伊之助君、大丈夫かしら……?」
「調子に乗らないと良いんですけど……。」
「まぁ、まぁ……伊之助はああ見えて気遣いが出来るから、大丈夫じゃないかな?」
伊之助の暴走を心配したしのぶ達だが、炭治郎がそう言うので一先ず放置する事にした。
そんな伊之助達以上に、自分達の方が重要だと考え直していた。しのぶ達にとって、炭治郎と過ごせる時間は掛け替えの無いものなのだから。
そんな幸福を再自覚していたしのぶ達であったが、此処でしのぶ達の幸福に罅が入る事態に突入する。
「お邪魔します。」
『!』
蝶屋敷の厨房に、炭治郎達とは違う声が聞こえて来た。炭治郎達は声が聞こえた出入口の方に向かって、ほぼ一斉に視線を向ける。
「あっ! 無一郎君っ!」
蝶屋敷の厨房に入室して来たのは、鬼殺隊の柱の一人である霞柱の無一郎だった。
「どうしたの? 何かあった?」
「ううん。何かあった訳じゃないよ。」
炭治郎がそう尋ねると、無一郎は頸を横に振って否定した。
「でしたら、部屋で大人しくして頂けますか? 今から私達は、料理をするのですから。」
その直後、しのぶが蝶屋敷の厨房から無一郎に退室を促した。表情は見惚れる程の笑顔であったが、その口調は暗に出て行けと言わんばかりであり、明らかに棘が見て取れた。
「それが部屋で居ても、暇で退屈なんだ。皆は皆で、
その無一郎だが、しのぶの様子にも何一つ動じない。何時ものスンとした表情をしながら、そう答えた。
「だからね、炭治郎。僕も君のお手伝いをしたいんだ。お料理なんて殆どした事が無いけど……僕も参加して良いかな?」
そして今度はウルウルと両眼で訴えながら、炭治郎にそう頼み込んだ。あまりの変わり身の速さに、しのぶ達は驚く外に無い。
「そんな真似っ「勿論良いよっ!」……っ!!」
しのぶは即座に拒絶しようとしたが、炭治郎が先に承諾してしまった。
「良かった。僕、頑張るねっ!……胡蝶さん達もよろしく。」
笑顔で炭治郎にそう言った後、再びスンとした表情でそう言った。そんな無一郎の態度に、蜜璃を除いてしのぶ達は青筋を浮かべる。
――何時もみたいに、空でもボーッと眺めていれば良いものをっ……っっ!
しのぶは苛立ちながら、表情には出さない様にしつつ無一郎を睨み付けた。アオイとカナヲもお邪魔虫だと言わんばかりに、ムスッとした表情を浮かべて無一郎を睨み付けた。
「それで甘露寺さん。今から何を作るんですか?」
そんなしのぶ達から注がれる殺意交じりの睨みなど無一郎はどこ吹く風と、蜜璃にこれから作る料理は何なのか尋ねた。
「ふふんっ! 無一郎君。それはね……皆が大好きパンケーキですっ!」
「おおおっ!」
蜜璃の宣言を聞いて、炭治郎は歓声を上げた。興奮しているのか、少し頬も赤く染まっている。
「……ふふっ。」
そんな炭治郎の姿を見て、愛おし気にしのぶ達が炭治郎を見詰める。先刻まで無一郎に向けていた、殺意交じりの視線とは雲泥の差がある。
「ごめん。パンケーキって何?」
『!』
無一郎は蜜璃が言うパンケーキの存在が分からず、思わず尋ねた。無一郎がパンケーキを知らなかった事実に炭治郎達は驚きながらも、まず炭治郎が説明を始めた。
「無一郎君。パンケーキって言うのはね……ああ、何て言えば良いんだろう?……そのっ、ふわふわしていて甘くて美味しいお菓子だよっ!」
説明下手な炭治郎にしては、非常に上手に説明出来た内容を聞いて無一郎は納得した。
「そのパンケーキってお菓子が、炭治郎は好きなの?」
「うんっ! 初めて食べた時はこの世にこんな柔らかくて美味しい食べ物があるんだって思って、感動しちゃった位だよっ!」
炭治郎は"煉瓦家"で初めてパンケーキを食べた時の感動を思い出して、胸がジーンとなるのを覚えた。
「ふふんっ♪ 材料なら沢山あるから、お寺みたいな高さのパンケーキだって作れちゃうわっ!」
蜜璃は蝶屋敷の厨房の机に並べられてある、パンケーキ作りに必要な大量の材料を見渡しながらそう言った。
「先ず第一に、注意事項がありますっ!……お菓子作りはだけじゃなくて料理全般にも言える事だけど、分量はちゃんと量ろうね。」
ビシッと人差し指を差しながら、炭治郎達に蜜璃は告げようとする。特にカナヲに対して、注意深くだ。
炭治郎達は蜜璃の忠告に対して、一度だけ深く頷いた同意した。それから炭治郎達は、パンケーキ作りを開始した。
蜜璃の指示に従い、炭治郎達が小麦粉と砂糖が入った器に卵と牛乳を入れて生地作りを始めた。
「あっと……卵割るの失敗しちゃった。」
『!』
炭治郎が卵を割った際、力加減を間違えて両手が少し卵で濡れた。炭治郎のそんな姿を見て、しのぶ達はビクッと反応する。
「あ、あははははっ……ごめんなさい。気を付けます……。」
炭治郎は少しシュンとしながら、頭を小さく下げて卵を割る事に失敗した事実を謝罪した。
「え~とっ、別に気にしなくても良いわよ……炭治郎君。大丈夫? やっぱり疲れてない?」
蜜璃が炭治郎を心配する様に、そう言って声を掛けた。しかし自身がその疲労の要因の一人である自覚があるのか、その尋ねる声は少し控え目の小声であった。
「炭治郎なら、そう言うよね。でも無理なんてしない方が良いよ……はむっ。」
炭治郎の失敗を見て無一郎は励ます様に声を掛けながら、炭治郎の左腕を掴むと左手の指を口に含んだ。
『!?』
そんな無一郎の行動を見て、しのぶ達は両眼を見開いて無一郎を見る。特に驚いていたのは、左手の指を口に咥えられた炭治郎だ。
「むっ、無一郎君っ!?」
「ちゅうちゅっ……食べ物は無駄にしたら罰が当たるからね。頂きます。ぺろぺろ……。」
無一郎はそう言うと、左手に残っている卵を舐め取り始めた。量が言う程無かったので、程無くして左手に付いていた卵は直ぐに全て舐め取られた。
「……時透君。君は一体、何をやっているんですか?」
しのぶは無一郎の行動を見て、青筋を浮かべながら笑顔で睨み付けた。常人ならば背筋が凍りそうだが、無一郎は歯牙にも掛けなかった。
「ちゅっ……見て分からないの? 炭治郎の手に付いてる卵を、舐め取ってあげてるんだよ。ぺろっ」
しのぶをチラッと横目で一度だけ視線を向けた後、無一郎は挑発する炭治郎の指を一舐めした。
『……っ。』
女性よりの美貌を持って居るだけに、無一郎の行動は些かの色気すら感じられた。その事実が、しのぶ達の神経を逆に逆撫でさせていた。
「ふっ……。」
青筋を浮かべるそんなしのぶ達を鼻で嗤いながら、無一郎は自然と今度は炭治郎の右手を舐めようと手を伸ばそうとした。
「駄目っ!」
『!』
カナヲはそんな無一郎を見て、奪う様に炭治郎の右腕を抱き抱えた。
「んふうぅっ❤……ちゅうぅぅっ!……ぺろぺろぺろっ。」
カナヲは周囲が眼中に無い様子で、炭治郎の右手に付いている卵を一心不乱に舐めていた。その様子を見ると余程、無一郎は炭治郎の左手を舐めたのが悔しかった様に見えた。
「栗花落さん……変わったね。」
「ぺろっ……負けないもん。ましてや、男の霞柱様になんて……。」
カナヲは炭治郎の右手に付いていた卵を舐め終えると、無一郎を睨み付けた。無一郎は炭治郎と出会って変わる前の無気力なカナヲの姿と比較して、現在の変貌振りに改めて驚いていた。
パンッ!
「はい、其処までっ!」
『!』
蝶屋敷の厨房で、乾いた音が鳴り響いた。蜜璃が手を叩いて注目を自分に集中させたのである。このままでは収拾が付かないと判断しての、素早い行動である。
「炭治郎君。両手をしっかり洗ってね。それまでは、何も触らないで。」
「……はい、すみません。」
普段は常人よりも温厚で寛容な性格をしている蜜璃であるが、料理に関しては常人よりも真剣で真面目である。真顔で炭治郎に両手を洗う様に命じると、炭治郎はその声色と匂いで察して直ぐに行動に移った。
「料理を再開するけど、良いよね?」
『……はいっ。』
蜜璃から普段は感じぬ凄みを察して、しのぶ達も流石に牽制を止めた。そんなしのぶ達を見て、蜜璃はほっとする。そうしている間に、炭治郎が両手を洗い終えて戻って来た。
その僅かな時間の間に、蜜璃の指導の下でしのぶ達は生地作りを終えていた。
「こほん……ちゃんと混ざったら、高い所からフライパンにゆっくり垂らして行ってね。そうすると、重さで勝手に綺麗にムラ無く広がって行くの。」
「はいっ! 分かりました!」
炭治郎がそう言って返事をすると、無一郎とアオイはなるべく高い位置からゆっくりと生地をフライパンの上に流し込んだ。
「後は、両面を適度に焼いたら完成っ!!」
そんな蜜璃の解説を聞きながら、炭治郎はパンケーキを焼く温度を真剣な表情で調整する。
「炭治郎って、火の扱い方が上手よね。ずっと前からそう思っていたけど……。」
「ふふん。俺は炭焼き職人の息子だからね。料理は火加減っ!」
炭治郎と料理経験があるアオイが感嘆しながらそう言うと、炭治郎はドヤ顔で勝ち誇った様な表情を浮かべた。
「流石ねっ! 今日は人数が多いから、ジャンジャン焼いて行きましょう~!」
『おおっ!』
蜜璃の掛け声に、炭治郎達は呼応した。そして間も無く、最初に焼いたパンケーキが完成した。
「良い焼き加減だわっ!……そうだ。此処は効率化の為にも、役割分担をしましょうっ!」
それから蜜璃は、炭治郎達に各自で指示を出し始めた。
「しのぶちゃんとアオイちゃんで、生地作りをお願い。炭治郎君と無一郎君で、パンケーキを焼いてねっ!」
「はいっ!」
「分かりました。甘露寺さん。」
炭治郎は元気良く返事をし、無一郎も嬉しそうな表情を浮かべて返答した。
「「……はい。」」
対照的にしのぶとアオイは少し悔し気にチラッと無一郎を睨み付けた後、直ぐに生地作りを始めた。後は、カナヲだけが残された。
「後は……私とカナヲちゃんは、付け合わせを用意しましょうっ!」
「付け合わせ……ですか?」
「うんっ! パンケーキはそのまま焼いても良いけど、
蜜璃は其処まで言うと、ある食材を並べてカナヲに見せた。
「これが私が作った蜂蜜に……私が
其処には自家製の蜂蜜以外に林檎、苺、桃、杏、葡萄、柿のジャムが用意されていた。
「わぁっ! 凄く甘くて良い匂いがしますっ! それに綺麗ですねっ!」
「うふふっ。そうでしょう? この柿のジャムは作るの、すっごく難しかったんだよ~~下手な作り方をすると味が渋かったり変色しちゃったりしたから。」
炭治郎の称賛の言葉を聞いて蜜璃は機嫌良さげに懐かしそうに、柿のジャムでの苦労話を少しだけ口にした。其処へカナヲが、蜜璃に尋ねる。
「恋……いえ、蜜璃様。其処まで用意したんでしたら、もう良いんじゃ……。」
「う~ん。折角だからね。餡子も用意したいと思っているの。それから一緒に、変わり種でみたらしタレも作りましょう。」
「えっ? あっ、はいっ。分かりました。」
カナヲは言われるがままに、蜜璃と共に餡子とみたらしタレを作り始めた。そうしている間に、炭治郎はふとある事を考えながら呟いた。
「そう言えば…………皆、上手く行っているのかな?……上手く行っていると良いなぁ。」
炭治郎はそう言い終えると、誰か対して祈る様に
♦︎
因みに何故炭治郎達が蝶屋敷に戻って料理を始めているかと言うと、それには理由がある。
『珠世さんと愈史郎君の為に、歓迎会をしませんか!』
蜜璃が産屋敷本邸での朝食会後に、炭治郎達にそう提案したのだ。後から来た珠世は不要だと辞退しようとしたが、蜜璃はより親密になる為にも開くべきだと頑なに進めた。
『良いんじゃないかな? 君達が交流を重ねるのは重要な事だ。蝶屋敷でやっておいで。』
耀哉の一言が鶴の一声となり、珠世と愈史郎の歓迎会が開催される事となった。
『……そうなってくれたの方が、
最後に呟いた耀哉の一言は、誰の耳にも入る事は無かった。しかしその言葉の意味は、特定の何人かが直接その身で感じる事になる。
♦︎
『ぎゃはははははっ!!! しっかり掴まっていろよ、チビ助共ッ!!……猪突猛進っ!! 伊之助号っ! 発進んんんんっっっっ!!!!』
『きゃああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!』
それは炭治郎達が蝶屋敷の厨房で集結して、パンケーキ作りを始める前に遡る。
「……」
伊之助が外で人力車を走らせ始める中、鬼殺隊の現柱でも筆頭格とされている岩柱の行冥が『隠』の後藤隊士の案内で蝶屋敷のある一室に向かって歩いていた。そして目的地であるその部屋に、間も無く行冥達は打擲する。
「……」
その部屋は襖越しでも分かる程に、静寂に包まれていた。
「岩柱様、この部屋になります……
「っ!……案内、感謝する。」
案内役の後藤隊士に行冥は礼を述べると、後藤隊士は一礼してからその部屋の前から足早に立ち去って行った。
「……入るぞ。」
行冥が襖越しに声を掛けてから、ゆっくりと襖を開ける。其処には一人の少女が座っていた。
その人物は十代前半の少女であり、身体を震わせながら座ったまま動こうとはしない。
「……っ。」
「…………沙代。」
「!」
行冥が声を掛けたのは何と自身が冤罪の濡れ衣を被せられる要因となった、沙代本人であった。
「……っ。」
沙代は行冥に声を掛けられて、益々顔を俯かせて身体を震わせた。
何故沙代がこの蝶屋敷に居るのかと言うと、耀哉が獪岳と慈悟郎を産屋敷本邸に召喚する時にまで遡る。
耀哉はあまねに頼んで、沙代
因みに沙代は近くで控えていた『隠』の下へ鎹烏が指令を届けたので、その『隠』は沙代を連れて蝶屋敷まで案内したのである。
「……」
行冥は何も言わない沙代に対して、同様に黙って室内へ入室した。
この沙代だが、『隠』から行冥と再会する事は事前に伝えている。『隠』も沙代を蝶屋敷に届ける前に、行冥についてきちんと伝えたのだ。鎹烏からの指令で、沙代の意志を踏み躙ってはならないときつく伝えられていたからである。
沙代も当初は怯えの表情を浮かべていたが、長い沈黙の末に覚悟を決めて行冥と再会すべく蝶屋敷へ訪問する事を承諾したのであった。
しかしやはり行冥本人を前にしては、沙代に恐怖や罪悪感から自身の覚悟に罅が入りそうになる。自身が至らぬ所為で行冥に冤罪を被せてしまったのだから、そう思うのも無理は無い話だ。
そしてそんな沙代の心情を、行冥が察せない筈は無かった。
「……君が怯える必要は無い。
「!!」
行冥の告白を聞いて、沙代は俯かせていた頭を漸く上げて行冥を見上げた。その瞬間、沙代の全身は優しく行冥に抱き締められた。
「辛かった事だろう。私が不甲斐無い所為で、君の小さな身体に要らぬ辛苦を味合わせてしまった……本当に、済まなかった。」
行冥は涙を流しながらそう言うと、沙代の頭を優しく撫でた。その大きな手は、微かに震えていた。
「……っ……~~~~っっ。」
行冥は何も悪くないと、沙代は言いたかった。しかし口が利かなくなってしまった現在の自分には、そう声に出して伝える事は出来なかった。
その為、沙代は全身で自身の想いを表現するしかなかった。沙代は全身の力で強く行冥に抱き着き、声を上げずに泣き始めた。
「……沙代っ。」
行冥にとって、それで十分だった。更に涙を流しながら、行冥は沙代の頭を優しく撫でる。
八年の月日を超えて、漸く二人のわだかまりが解けた瞬間であった。
♦︎
「「……」」
此処もまた、蝶屋敷にある和風な一室である。其処には二人の男性が、口を開かずに畳の上で向き合っていた。一人は実弥であり、もう一人は何と唯一血の繋がりがある実弟の玄弥であった。
「「…………」」
実弥は玄弥を睨み付けながら、だらしなく床に座っていた。対して玄弥は実兄である実弥とは対照的に、正座をして行儀良く座っている。
実は
「……」
玄弥は実弥に睨まれて、汗を隠す事が出来なかった。常人ならば失神していそうな重圧を浴びている玄弥であったが、それでも何とか耐えていた。
「「…………」」
未だに互いに一言も語らず、重苦しい空気が室内をしていた。しかしその息苦しい雰囲気を、ある人物が根こそぎ吹き飛ばす。
『ヤッフ――!!』
「「!」」
ガラガラと車輪の音を立てながら、伊之助が人力車を引っ張って走っていた。庭に繋がる障子は開きっぱなしなので、伊之助達の姿ははっきりと映っている。砂埃を立てながら爆走している伊之助は、そのまま不死川兄弟の視線を一度通り過ぎた。
伊之助が空気を呼まずに遊び回った為か、不死川兄弟に漂う息苦しい雰囲気が吹き飛ばされた。
「「…………」」
その代わり、何とも言えない微妙な空気に変化して不死川兄弟はどうすれば良いのか、却って分からなくなった。
『ヤッフ――!!』
不死川兄弟が困った様子で固まっていると、今度は伊之助が道を引き返して来た。そしてその時に、それは起きた。
ドゴッ!
「うおっ!?」
伊之助は地面に埋まっていた石かか何かに、人力車を引っ掛けて態勢を崩した。
「きゃああああっ!?」
『!?』
その際に人力車に乗っていた、すみが人力車から弾かれる様に吹き飛ばされた。悲鳴を上げながら、宙に浮かぶすみ。
「
「!!?」
きよが焦燥し切った表情を浮かべながら、宙に浮かぶすみを心配して声を上げた。このままでは、すみは地面に激突すると思われた。
「――」
その瞬間、一筋の風を吹いた様に感じた。
「えっ?」
するとすみは、何か包まれる様な感触を覚えた。その感触は力強く逞しい、されど確かな温かさを感じていた。
「大丈夫かぁ?」
「!!」
其処には室内で不機嫌に座っていた実弥が、瞬間移動とも言える速さですみを抱き抱えていたのだ。部屋とはある程度距離が離れていたと言うのに、一瞬にして移動したのは鬼殺隊の柱に相応しい動きであった。
――い、何時の間に……。
――はぇ……全く気付かなかったぞ……。
玄弥と伊之助は、実弥の動きに驚嘆しながら凝視していた。そんな二人の視線など気にもせず、実弥はすみを下ろした。
「気ぃ付けろよなぁ。」
実弥はそう言うと、そのまま部屋に戻って行った。すみは呆然としていたが、直ぐに去って行く実弥に頭を下げて見送った。
「……」
「……」
再び顔を合わせる不死川兄弟。すると意を決した玄弥が、漸くその重い口を開いた。
「兄貴。俺、俺……ずっと…………ずっと話したかった事があるんだ。」
玄弥はそう言ったのだが、肝心の話したい事が話さず再び俯いたまま口を閉ざした。此処から先は、玄弥も話すのは容易では無かったのである。
「はぁっ~~~~~~~っっ。」
「!」
すると実弥が徐に、意図的過ぎる程にわざとらしい溜息を零した。そんな実弥を見て、玄弥はビクッと身体を震わせた。しかし次の実弥の言動は、玄弥の予想を裏切るものであった。
「テメェは本当に……どうしようもねぇ
「!?」
玄弥は実弥の口から飛び出して来た、思わぬ単語を耳にして俯いたまま両眼を見開いた。そんな玄弥など気にも留めず、実弥は話し続ける。
「テメェはどっかで所帯を持って、家族を増やして老い耄れ爺になるまで、のうのうと生きてりゃあそれで良かったんだよ。」
「鬼になっちまったお袋にしてやれなかった分も……死んじまった弘や寿美達にしてやれなかった分も、お前が……玄弥が女房貰って作った子供を幸せにすりゃ、それで良かっただろうが。」
実弥は其処まで言うと、刹那の間だけ沈黙した。玄弥は気になって少しだけ顔を上げると、実弥の身体は僅かに震えていた。
「其処には絶対に俺が……俺が鬼なんか来させねぇから……。」
「っ!!…………ごめん兄ちゃん……ごめん……。」
実弥の玄弥へ思い遣りに満ちた言葉を聞いて、玄弥はただ涙を流しながら謝罪していた。
泣いている玄弥に向かって実弥が近付くと、優しく包み込む様に玄弥を抱き締めた。
「玄弥は頑張ったんだなぁ……流石は俺の自慢の弟だっ……。」
「~~~っっ……~~~~っっっ。」
玄弥の苦労を労う実弥に向かって、玄弥はしがみ付く様に抱き締め返して静かに泣いていた。腹部に感じる熱を持った液体の感触を感じながら、そんな玄弥を実弥は優しく背中を撫でていた。
♦︎
「「「…………」」」
また蝶屋敷のある一室では、三人の男性が沈黙したまま鎮座していた。
この面々で一番目立っているのは、雷で黒髪が金髪に変色した善逸である。その善逸以外に、見慣れぬ二人の人物があった。
一人は左頬の傷と右足が義足になっている、特徴的な小柄な老人であった。
この老人こそ嘗ての鳴柱であった、善逸の育手にして親代わりの桑島慈悟郎である。
因みにこの右足は、下弦の伍を倒す際に喪失した名誉の傷であった。この傷が下で、慈悟郎は柱を引退している。
もう一人は、善逸より年上の青少年であった。この青少年こそ行冥とも因縁深い、善逸の兄弟子の獪岳であった。
「「「…………」」」
奇しくも善逸達は三人揃って、朝の産屋敷本邸での出来事を思い出していた。
♦︎
東京府・産屋敷本邸
時間帯:朝
天気:曇り
『獪岳。君が八年前に起こした事件の事は、きちんと思い出してくれたかな?』』
現産屋敷家の当主であり産屋敷本邸の主人にして、鬼殺隊の頭目でもある耀哉が獪岳に向かってそう言った。その獪岳本人は、縄で縛られて拘束された状態で引き摺り出されていた。当然の話だが弟弟子の善逸と同様に雷模様が刀身に走る愛刀の日輪刀も、『隠』達の手によって没収されていた。
『っ?!……っ!?』
獪岳は初めて目にする主人に声を掛けられたが、その内容まで耳には明確に入っては来なかった。ただ只管に、脂汗を流して顔を俯かせていた。獪岳の脂汗が滴れて、中庭に落ちて行く。
まだ季節は春に入ったばかりであり、其処までの暑さはまだ来ていない。しかし獪岳の身体から出る汗の量は、まるで真夏の日差しの下に居るが如きものであった。
『獪岳……っ。』
そして其処には育手である、慈悟郎も居た。慈悟郎は拘束されている愛弟子の獪岳の存在に姿を痛めて、耀哉に嘆願しようとしたが事前に止められていたので何も出来なかった。
それ以前に慈悟郎自身も、唐突に召喚命令が来たので大急ぎで産屋敷本邸に向かったのだ。召喚される理由も分からないまま、当惑状態で着の身着のままで産屋敷本邸に召喚されていた。
『……っ。』
慈悟郎の隣に居る善逸だけは、苦しそうに顔を背けるだけで何も言わなかった。
『屑野郎がぁ……悲鳴嶼さんや他の奴等を犠牲にして良くもまぁ、今日までのうのうと生きて来られたもんだなぁ……。』
実弥が青筋を浮かべながら、獪岳に向かって罵倒する。その視線は明らかに軽蔑と憤怒の色が宿っている。今にも帯刀している日輪刀で、獪岳を斬り捨てかねない勢いだ。
『…………』
対照的に天元達は獪岳に対して何も言ったりはしないが、明らかに軽蔑の念を抱いて睨み付けていた。尤も、蜜璃はそうではなかったし、しのぶや無一郎は半分無関心であった。
『……』
何より、当事者である行冥は何も言わず反応せず沈黙を貫いていた。その行冥の様子が、却って不気味に映った。
『……っ。』
『うっ……っ。』
獪岳が罵倒されるのを聞いて、慈悟郎と善逸は顔を顰めるも反論する事が出来ず沈黙するしか無かった。しかし、実弥の次の一言で、二人は沈黙していられなくなる。
『でぇ?……この屑はどうすんだぁ?……取り敢えず、とっとと頸でも撥ねるか?』
『!!?』
実弥の些か乱暴とも言える処遇の提案を聞いて、炭治郎達は一斉に実弥に注目した。俯いていた獪岳も、更に焦燥した様子で顔を上げて実弥を凝視した。
『不死川は、この下衆を始末しろと言うのか?』
『あぁっ。命惜しさに、他の奴を平気で売る奴だからなぁ……後顧の憂いを断つ意味でも、此処で始末した方が良いんじゃねぇのかぁ? こいつぁこのままだと命惜しさに、鬼に堕ちるかもしれねぇからなぁ。』
『!!!』
実弥は日輪刀の柄に手を掛けながら、何時でも抜刀出来る様にそう言った。実弥の殺害予告とも解釈出来る発言を聞いて、炭治郎達の間に緊張が走る。
『……果たしてそれは、正当な処罰になるだろうか?』
『!』
しかし、其処へある人物の呟きが広間に響いた。その呟きを口にしたのは、義勇であった。義勇は、更に言葉を続ける。
『俺も別に、この男を庇いたい訳では無い。しかし犯した罪は、鬼殺隊に入隊する前のものだ……
『!』
義勇の一言で、斬首刑に傾きそうな雰囲気に停滞が生じた。その貴重な瞬間を逃さずに、今度は別の人物が声を上げた。
『どうか、どうか獪岳をお許し下さらぬかっ?』
『!!』
今まで沈痛の表情を浮かべていた慈悟郎が、懇願する様に声を上げてそう言った。
一斉に炭治郎達が慈悟郎に注目すると、慈悟郎は獪岳を庇う様に中庭に移動していた。慈悟郎は悲壮な覚悟を持った表情を浮かべているのが、炭治郎達にははっきりと見て取れた。
慈悟郎は更に、獪岳の助命の為に言葉を紡ぎ続ける。
『皆の為に鬼に殺されて死ねだなどと、獪岳に死ぬ事を強要し生きる事を放棄させる権利が此の世の誰にありましょう。』
『獪岳はただ生きたかった……生きたかっただけなのです。』
『それでも獪岳の行いに罪があると言うのであれば、此度の件はこの老いぼれの頸一つでどうか……どうか、お許し下さいませぬか。お許し頂けるならば、直ぐにこの場で腹を斬ってご覧に居れます。』
慈悟郎は其処まで言うと、頭を強く中庭の地面に叩き付けて土下座をした。両手も中庭に敷かれている敷石を掴んで握り締め、そのまま掌に強く爪を立てておりその覚悟が伺い知れた。
『……』
元鳴柱として威厳も相まって、強硬に獪岳の斬首刑を求めた実弥を筆頭に柱達は沈黙した。
『お、俺からもお願いしますっ!!』
『!!』
其処へ善逸も加わって、慈悟郎の隣で中庭に頭を叩き付けて土下座をした。善逸の唐突な行動に、炭治郎達は驚いた。そんな周囲の反応を他所に、善逸は言葉を続けた。
『もし獪岳が鬼殺隊を裏切ったり、皆が懸念する様な事をやった時は……その時は俺が獪岳を斬ってから、腹を斬ってお詫びしますっ!! だから今回だけは、獪岳を許してやって下さいっ!! お願いしますっ!!』
『!』
善逸は自身の覚悟を明確に口にして、最悪の場合は獪岳と一蓮托生になる覚悟で獪岳の助命を嘆願した。
『!?』
善逸にとって兄弟子に当たる獪岳は両眼が飛び出さんばかりに驚愕しながら、土下座状態の善逸を凝視していた。自分が嫌っておりかつ嫌われていると疑わない善逸からこうまでされて擁護されるとは、夢にも思わなかったからだ。
『勘違いすんなよ。』
『!』
『俺はあんたが嫌いだ。あんたも俺を嫌っているだろうしな。』
善逸は土下座を説いて顔を上げて獪岳を見ると、嫌なものでも目にする様に顔を顰めた。しかし直ぐに、真剣な表情を浮かべて真顔になった。
『でも尊敬している。心から……あんたは何時も努力を怠らなかったし、直向きだった。俺は何時もあんたの背中を見続けていたし、ずっと俺の目標なんだ。』
『!!?』
善逸から初めて聞く本音を耳にして、獪岳は驚愕しながら両眼を見開いた。
『ふむ……慈悟郎と善逸は、獪岳の為なら言葉通り命を懸けられる訳だね?』
『御意。』
『はいっ!』
最初に獪岳に訊いてから沈黙を貫いていた耀哉が、慈悟郎と善逸に確認した。耀哉にそう聞かれた二人は、即答して肯定した。
『分かった。……しかしこの一件は、当事者に委ねるのが一番だと私は思う。……どうする? 行冥?』
『!!』
耀哉が行冥に話を振って、炭治郎達は思い出した様に行冥を見た。何故なら当事者である筈の行冥が、一番に無口な態度を貫いて何も言おうとしなかったからだ。
寧ろ気配を殺す様に控えていたので、熊の如き巨躯の持ち主であるにも関わらず皆が行冥の存在すら忘れ掛けていた。
『はっ……獪岳。』
『!』
『……っ。』
行冥はその見えない両眼を、真っ直ぐ獪岳に向ける。炭治郎達は行冥と獪岳を見守る。そして獪岳の方は、思わず生唾を一塊飲み込んだ。獪岳の心境は例えるならば、死刑執行を待つ死刑囚の如き状況であった。
『……君の処遇を決定する前に、一つだけ訊こう。何故、皆で集めた金を盗もうとした?』
『!!』
行冥に訊ねられた質問の内容を聞いて、獪岳は両眼を見開いて驚いた。炭治郎達も驚いたが、直ぐに獪岳が何を言うのか気になった。実弥を始め一部の者達は、どの様な言い訳を並べるのかと嘲笑を含む笑みを浮かべていたが。
『……信じて貰え無いかもしれない。でも俺は、盗んだ心算なんてこれっぽっちも無かったんだ。』
産屋敷本邸に召喚されて、獪岳は初めてその重い口を開いて封印されていた過去を語り始めた。
『…………』
獪岳の言い分とも言える話の内容を要約すると、この様になる。
獪岳は翡翠の匂玉を後生大事に持って居たのだが、行冥に買い物を頼まれたある日に不良達に絡まれて買い物のお金と翡翠の勾玉を奪われて質屋に売り飛ばされた。
獪岳は質屋で奪われた翡翠の勾玉を見付けた時は、店主に事情を説明して返して貰おうとした。
しかしその翡翠の勾玉が自分の所有物である証拠は無く、如何なる手段であれ商品となっている以上は買い戻す他に方法が無かった。
行冥から貰った翡翠の勾玉は獪岳にとって唯一無二の宝物だったので、どうしても他人に購入されるのは避けたかった。獪岳は行冥に事情を説明しようとしたが、都合が悪い事にその時は行冥は不在であった。
焦燥していた獪岳は、後で事情を説明しようと無断で寺の貯金を拝借した。獪岳の素早い判断により、翡翠の勾玉は買い戻す事に成功した。
しかし不運な事にその時の様子を沙代に目撃されたらしく、獪岳の事情を知らない沙代はただ単に獪岳が金を盗んだ様にしか思えなかった。他の子供達も獪岳は金を盗んだと思い込み、行冥に無断で一方的に獪岳を寺から追い出した。
そして夜に追い出された獪岳は鬼と遭遇し、生き残りたいが為に行冥達を鬼に売り渡したと言う。
『…………そうか。』
獪岳の話を聞き終えた行冥は、それだけ言うと盲目の両眼から涙を流した。
『獪岳。』
『!』
行冥が再び、獪岳の名前を呼んだ。それと同時に、炭治郎達に緊張が走る。行冥が獪岳の言い分を聞いて、どの様に判決を下すのか気になったからだ。
『……っ。』
そして獪岳もまた、行冥が何を自分に言い渡すのかが気になった。しかし何処かで諦観があったのか、恐怖心から大粒の汗を流して頭を俯かせているだけだった。
その姿が、今から斬首される死刑囚が刑の執行を待っている様にも見えた。
しかし次の瞬間、炭治郎達は行冥から全く想定していなかった判決を、自身の耳目で知る事になる。
『君を私の継子に指名する。』
『!!!???』
行冥は何と次期柱の代名詞とも取れる柱の直弟子である、継子に獪岳を指名したのだ。炭治郎達は驚愕のあまり、声すら咄嗟に出ない。そしてそれは、獪岳も同様であった。
そんな炭治郎達を他所に、行冥は淡々と獪岳に話を続ける。
『君がした事は、許されない事だと周りは見るだろう。当事者である私も、そう思っていた……しかし慈悟郎殿が仰る様に、獪岳に生きる事を否定し犠牲を強いる権利は誰だろうと持ち合わせては居ない。』
『君が生きたかったと言う人間が持つ当たり前の願いを、誰が否定出来ようか……そして君は今やどの様な思惑を持とうと、鬼殺隊の鬼狩りとして罪無き命を守るべく今日まで戦って来た。その事実もまた、誰にも否定する事は出来ない。』
行冥は其処まで言うと、一呼吸置いてから獪岳に言い渡す様に告げた。
『獪岳。私の下で、更に強くなれ。柱になれる程に、強くなれ。一体でも多くの鬼を斬り、一人でも多く鬼の餌食になる人々を減らせ。それが君が歩める、唯一の償いの道だ。』
『!!!』
行冥が諭す様にそう言い終えると、炭治郎達は自然と獪岳に視線を向けた。獪岳が行冥の言葉を聞いて、何と反応し返答するか気になったからだ。
『……』
獪岳は変わらず、俯いた状態で汗を中庭に垂らしていた。しかし何人かは各々の五感で、異なる事実を察していた。汗以外の体液が、獪岳から流れ出ている事を気付いていた。
『……俺は今日まで生きて来て、自分より他人を優先した事なんて無い。全部、全部自分の為だ。』
獪岳はそう言うと、顔を上げて行冥を見た。その両眼からは、大粒の涙が流れ続けていた。
『それでもあんたが……先生がそう言ってくれるなら、望んでくれるなら……っっ!!』
獪岳は其処まで言い終えると、毅然とした真剣な眼差しを行冥に真っ直ぐ向ける。紙眼を装着していない行冥だが、それでも常人離れした残りの感覚でしっかりと獪岳の視線を感じていた。
『御意。俺は必ず、今よりも強くなって柱になります。』
獪岳はそう言って、行冥に頭を下げた。
行冥が獪岳を許した事で、獪岳の裁判は誰も死者を出す事無く無事に終了した。
♦︎
「「「……」」」
回想が終わり、沈黙していた善逸達の中で善逸と獪岳の育手である慈悟郎が漸く口を開いた。
「獪岳……お前の過去を知らなかった事を、これ程まで後悔した事は無い。済まなかった……。」
「慈悟郎先生……」
慈悟郎に初めて頭を下げられるのを見て、獪岳は驚きながら慈悟郎を見詰めていた。
それから慈悟郎は、頭を上げて今度は善逸を見た。
「善逸も、御館様方を前にして堂々と良く言ってくれた。」
「じっちゃん……。」
慈悟郎に褒められて、善逸は照れ臭そうに笑う。そんな善逸を見て一度微笑んだ後、慈悟郎は真剣な表情を浮かべて二人にはっきりと断言した。
「これだけは、忘れないでくれ……善逸と獪岳…………これから先、何があろうと……お前達は儂の誇りじゃっ。」
「「!!!」」
慈悟郎が泣きながらそう言うと、善逸と獪岳も遅れて涙を流した。
♦︎
「……話が終わった筈だったのに、まさかこんな事になるとか…………誰が想像出来たってんだよっ。」
獪岳は呆然とした様子で、蝶屋敷の大広間を見渡していた。その様子は明らかに疲弊しており、かつげんなりとした表情を浮かべていた。
後書き
お疲れ様です。大変お待たせ致しました。
佑季洋様(https://www.pixiv.net/users/11394230)のリクエスト「炭治郎愛され(炭しの蜜強め)でお食事会」……を少し内容を濃くしてみました。当然ですが、佑季洋様から許可は得ております。
拙作における記念すべきリクエスト一作目……なのですが、長くなったので前編と言う形になります。
後編の方ですが、5/5(木)に投稿予定です。無理だった場合、前日に変更を知らせます。
今後も更新を頑張りますので、どうか宜しくお願い致します。