――自分には、ギターしかないと思っていた。
どれだけ努力しても、どれだけ頑張っても。どれだけ時間を費やしても足りない。
『Roselia』として。全てを賭ける覚悟があっても、まだ足りない。
それなのに。
そのはずなのに――。
どうしてか、あの人の事を考えてしまう。
オカルトハンターなんて、バカバカしい仕事をしている人。
何処から来たのかもわからない、怪しい人。
やる気があるのかないのかわからない、反社会的で怠惰的でだらしがなくてダメな人のはずなのに。それなのに――自分は、妹の日菜も。助けられてしまった。
この世のものではない怪異から。
この世のものではない邪悪から。
命がけで。死んでもおかしくない怪我をしても「大丈夫」なんて、平気な顔で言われた。
どれだけ努力して。
どれだけ頑張って。
どれだけ時間を費やしてきたのかもわからない、努力の人。
……最近は、あの人のことばかりを考えてしまう。
「…………」
客観的に考えて。論理的思考に基づいて、氷川紗夜はそれを“恋”と暫定的に決定した。
――有り得ない。いやそんなはずがないと、何度も思い直す。考え直して最初から考え直す。しかし、結果は同じだった。どう考えてもおかしい。なにをどうしても、おかしいとしか思わない。
氷川紗夜は、頭を抱える。難しい顔で額に手を当てて、唸る。
絶対にこんなのはおかしいとしか思えない。有り得ないのだから。
「どうしたのー、紗夜? 怖い顔してるよ?」
「今井さん……」
同じバンドのメンバーである今井リサにも心配された。
「いえ、大したことではないのですが」
「そう? でもなんか、紗夜ってばいつになく真剣な顔で悩んでるみたいだからさ」
「……い、いつもどおりでは?」
「んー、そうかなぁ」
スタジオ練習に来て、ラウンジで休憩中の紗夜とリサがソファーに腰を下ろしていた。練習に付き合ってくれているとはいえ、今日は少々調子が出ない。
その原因が何かと考えたのが発端だった。
扉がノックされて、顔を覗かせたのは手土産を持ったライブハウス『CiRCLE』のアルバイト兼オカルトハンターであるエヌラス。
跳ねた黒髪に、赤い瞳。左目の刀傷、と人相は最悪の部類。少なくともまともではないことは見てわかる。
明らかな年下である女子高生に怒られてもヘラヘラと笑っていられる緊張感の無さ。背筋を伸ばして社会人の自覚を持って行動すべきだというのに――この人は、どうにもそういうものが頭にないらしい。
「おー、いたいた。練習お疲れ様、リサ、紗夜」
「こんにちは、エヌラスさん」
「……ど、どうも」
顔が見れなくて、ついそっぽを向いてしまう。
顔を見るだけで、声を聞くだけで何故か落ち着かない。
「どうしたの、それ」
「ん? ちょっと隣町まで用事で足を運んでたんだが、なんか限定販売とかで買ってきた。だからほれ、差し入れ」
「わ、美味しそー! ありがと! でもいいの?」
「あー、いいのいいの。お前らに買ってきたんだから、世話になってるし」
チーズスフレプリンを見て、リサが喜んでいた。ちょっと前から話題になっていて気になっていたらしい。
オカルトハンターであるエヌラスは素直に喜ぶ姿を見て少し嬉しそうだった。
つい、目が合ってしまう。それだけで一気に顔が熱くなるのがわかった。
「? どうしたの、紗夜。顔赤いけど」
「大丈夫か? 風邪だったら早めに帰ったほうがいいんじゃないか?」
「よ、余計なお世話です。先程の練習の熱が抜けていないだけで貴方に心配されなくても!」
つい、語気を荒げて反論してしまう。だというのに、この人は――。
「そうか。怒れるだけ元気あるなら大丈夫そうだな」
「~~~~」
なんで、そんな風に。なんでもない顔をしていられるのか。
つい最近だって、血だらけになっていたのに。
この前だって、死に目に遭ったばかりのはずだ。
『CiRCLE』の制服だって、長袖のインナーで頑なに肌を出そうとはしない。だけど、その服の下にどれだけの傷を抱えているのかも見てしまった。
日常と非日常を行き来しながら、それでも誰にも心配かけまいと振る舞っている。
無性に、心がざわつく。
今井さんと仲良くしている姿を見ていると、居ても立っても居られなくなる。
「――紗夜?」
「…………っ」
自分が、何をしているのかも、よくわからなくなってきてしまう。
まるで自分のだと主張するように、服の裾をつまむ紗夜を見て、エヌラスも驚いていた。リサはそれを見て、少しだけ寂しそうに笑う。顔を真っ赤にして俯く姿に、頬に指を当てながらこれ見よがしと。
「んー、ねぇ紗夜。アタシちょっと気になってることあるんだけど、いいかな?」
「なんですか?」
「――やっぱり風邪引いてるんじゃない? 顔もさっきより赤いしさ。そういうわけだから、エヌラスさん。紗夜のこと送っていってあげた方がいいと思うよ」
「えっ……あの、私は……」
「いーのいーの、気にしない。それにさ、ほら」
リサが不意に顔を近づけて耳打ちする。
(こうでもしないと、紗夜と二人きりにしてあげられないし?)
「……」
そういえば――この人の隣には、いつも他の誰かがいて。いつも誰かと話してて。
自分のことを本当に見てくれていただろうか? 自分ではなく、本当は日菜の方を――。
「ほら、紗夜。ぼーっとしてるし。アタシが荷物持ってくるから後はよろしくね」
「そういうことなら任せとけ。ちゃんと送っていく」
エヌラスが背を向けたところで、リサが紗夜にウインクをしてサインを送る。
がんばって、とでも言うように。
それがどこか後ろめたくも感じられて、小さく頷くことしかできなかった。
『CiRCLE』を後にして、エヌラスが紗夜を家まで送ろうとするが。陽の沈んだ街の中、袖をつまんでか細い声で呟く。
「……今日は、両親が遅くて。日菜も、帰ってきませんから……貴方の家まで、お願いします」
「…………いいのか?」
一度だけ確認をとってから――相手の承諾を得て、エヌラスは紗夜のギターケースを担ぎながら手を引いて歩いた。
マンションの自室まで辿り着くと、すぐに部屋の灯りを点ける。荷物をリビングに置いて、紗夜を座らせた。
さて、と。困ったことにエヌラスは料理が出来ない、まったくもってできない。食事のあては外食になるのだが、それも家に帰ってきてしまってから改めて出かけるという話になる。となると、出前くらいになるのだが何を頼むか。
気がつくとポストに投函されていたチラシを見ていくと、その中にデリバリーサービスのピザがあった。
「……ピザでいいか?」
「…………」
返事なし。背を正して、ソファーに座ったまま固まっている。ひとまず落ち着くまでは飲み物を用意したり、注文したりとやっておく。
隣に座っても、紗夜は何かするわけではなく、ただ俯いていた。膝に固く握った拳を置いて。
賑やかしにテレビでも点けようかと思い、リモコンに手を伸ばそうとして紗夜に止められた。
「あの――」
「ん? どうした」
「今は、その……日菜が出る、番組がやっているので」
ちゃんと番組も把握している辺り、律儀なものだ。だが、それ以上に今は自分を見てほしいのだとエヌラスは言外に察する。情緒不安定なところを見るに今はまだ混乱しているのだろう。
それが落ち着くまでは、変に刺激せずに隣で待つことにした。
出前のピザが到着し、ついでにオプションで色々追加しておいたのはいいが、配達員が苦笑いを浮かべている。
代金を支払い、エヌラスがテーブルの上に置いたのはピザが四枚。サイドで揚げ物の詰め合わせが二つ。明らかにパーティーでも開くような物量だ。それにはさすがの紗夜も目を丸くしている。
「さて、食うか」
「……これ、全部食べるんですか?」
「食わなきゃやってらんねーしな。この仕事。好きに食っていいぞ」
「そういうことなら……いただきます」
真っ先に手を伸ばしたのは、サイドのポテト。ケチャップをつけて食べる姿を見てから、エヌラスもピザを食べ始める。
紗夜はほとんどポテトを食べて、ピザを何切れか食べて満腹になった。残りは全部エヌラスが平らげる。
「出前ってほんと便利だなー」
「食べすぎです」
「そうか? まだ食えるけどな」
「食費だけで家が建ちそうですね」
呆れつつも感心しながら紗夜が口元を拭うと、エヌラスの指先もピザソースで汚れていることに気がついた。その指先を拭き取ろうとする手を止めて、固まる。
細かい傷だらけの指。刀を握り、銃を握りしめて戦うばかりの手――それを顔に引き寄せる。
「指、汚れてますよ」
「…………」
「――――」
しばし、指先を見つめてから紗夜がエヌラスの指を舐め取った。熱く、唾液で汚れる指先の感触に顔が熱くなる。
「……紗夜?」
「――自分でも、わからないんです。なんで、こんなことをしてしまうのか……誰かに、こんな風に心を乱されるなんて思いもしませんでしたから」
脳裏に浮かぶのは、日菜に振り回されるエヌラスの姿。この人の目には、自分が映っていないのではないかと不安に怯えてしまう。
もしかすると、こうして隣に置いてくれるのも本当は自分が日菜の姉だからかと――面影を重ねて見られているのかもしれないと、心のどこかで思ってしまう。
そう考えるだけで、胸の奥が痛くなる。張り裂けそうな気持ちになってしまう。こんなにも近くにいて、隣にいるはずなのに。
こみあげてくるものが堪えきれず、目から溢れ出してくる。
自分の中にある感情がわからない。どう吐き出せばいいのか、戸惑うばかりで押し寄せてくる波に耐えきれない。
泣き出しても、困らせるだけなのに。口にしたい言葉は沢山あるのに。
「ごめんなさい……どう、言葉にしたらいいのか……」
「落ち着くまで待ってるから、心配するな」
「――なんで、そんな風に優しくできるんですか。あの時も。命に関わらなければ、何をされていいとでも!?」
「俺はそういうやつだ。死に目に遭うと、どうしても頭のネジが外れていくんだ。だからお前たちといる時は比較的まともな“フリ”ができる」
その言葉が癇に障ったのか、紗夜が手を出してしまった。どうしても、許せなかったから。
どうあってもそんな風に命を蔑ろにしてきた、この人が許せなかった。
乾いた音が響き、それでもエヌラスは自分の頬が叩かれたことに何一つ顔色を変えない。
「もっと……自分のことを、大切にしてください……! だって、貴方はこれからも……」
「そうだな。俺がやらなきゃ、誰もできねぇ仕事だしな」
エヌラスが手を伸ばして、紗夜の頬を撫でる。髪を指先で弄ると、くすぐったそうな顔を見せていた。涙を指で拭うが、止む気配がない。
「どうしたんだ、今日は。随分と落ち着かないみたいだが」
「…………」
「ゆっくりでいい」
なだめるようにすると、今度は抱きついてくる。本当に、こんなことをしてくるような紗夜は見たことがない。それほどまでに、自分の気持ちに振り回されている証拠だ。
エヌラスは背中を優しく叩いて、抱きしめる。
腕に抱かれて、胸の中で小さく謝罪の声が聞こえてきた。
「……ごめんなさい」
「ん?」
「その、叩いたりしてしまって」
「気にしてない」
髪を梳くように、何度も撫でる。触れるたびに、身体を小さくすくませていた。
「……温かい、ですね」
「そりゃあな。俺も生きてるし。紗夜だって」
「……――」
「どうした?」
急になにかを思い出したように身体を離した紗夜が、顔を真っ赤にしている。
「あ、え……あの……!」
「?」
「――汗、かいたままでしたので……その、」
「ああ。心配するな、いい匂いしてるから」
「っ~~! ですから、貴方はどうしてそう……! ふざけているんですか」
「んー、そうだなー……」
頬に手を添えて、エヌラスが顔をぐいっと近づける。
血のように赤い瞳。切れ長の目を、鋭くさせて紗夜を見つめる。
「本気にしていいなら――俺はお前のことを取って食っちまうぞ?」
ここまですれば、流石に紗夜も引き下がると思っていた。だが、唇を固く閉じて、目を瞑り顔を差し出してくる。耳まで真っ赤にしながらも、それでも懸命に気持ちを伝えようとしていた。
どこまでも真面目で、不器用で。
まっすぐに。
心を絆される感覚にエヌラスは、魔術回路による精神防護壁を和らげる。ずっと押し殺していた感情を、ずっと閉ざしてきた心を――今だけ、見せることにした。それが自分なりに紗夜の気持ちに応えることができる唯一の手段だから。
「――紗夜。俺は、お前のことが好きだよ」
「ぁ……」
返事を聞く前に紗夜の唇を塞ぐ。
短い間重ねていた唇を離せば、今度は紗夜が首に手を回してしがみつきながら離そうとしない。しばらくそうしていたが、やがて息が続かなくなったのか少し息を乱れさせて顔を離した。
赤くなった頬に、潤んだ瞳が近い。鼻先が触れ、お互いの瞳に映った自分の顔が見えるほどに。
吐息も、熱くなった顔の熱も。
「私も……好き、です……迷惑じゃ、ありませんか?」
「お前の好意を断る理由なんて、俺にはねぇよ」
髪を撫でて、頬に触れて。額を合わせる。紗夜がそれに、薄く微笑んだ。
「――風呂、入るか」
その誘いに戸惑いながらも、少しだけ間を置いて頷く。
裸の付き合いに抵抗は特に感じなかった。というのも、氷川紗夜にとってエヌラスというのは命の恩人であり、かけがえのない人である。今の地球に居てもらわないと、困るからだ。
しかし、そんな建前と本音の入り混じった感情に加えて、初めての気持ちに何処まで許していいのかもわからない。だがエヌラスはそれに特にこれといった抵抗感はなかった。
なんというか――慣れている。
バスタオルを身体に巻いて、髪もタオルでまとめた紗夜が入り口で固まっている間に湯舟に張ったお湯の温度を確かめて、シャワーの熱さも確かめていた。滑り止めマットも準備して、シャンプーやボディソープも残量を確認している。その辺りはちゃんと管理しているらしい。
「紗夜、そこで立ってないで入ってきたらどうだ? 寒いだろ、そこ」
「…………し、失礼します」
ガチガチに緊張している紗夜がかしこまって浴室に入る。
バスチェアに腰を下ろして、背筋をピンと伸ばしてエヌラスに背中を向けていた。曇り止めガラスと向き合うと、自分の身体を見て途端に不安が押し寄せてくる。強くバスタオルを握りしめ、紗夜が身体を縮こまっていた。
「ん? どうしたんだ?」
「いえ、その……」
こうして、改めて自分の肉付きを目の当たりにすると――他と比べていささか女性の特徴的ではない、気がする。特に胸のあたりが。気にしたことなどなかったが、いざ気にしてしまうとどうしても引っ掛かる。
「私なんかで、いいんですか?」
「なんか、とか言うなよ」
「ですが……私よりも、日菜の方が……」
こればかりは努力してもどうしようもない。身体を掻き抱く紗夜に、エヌラスが呆れたため息を吐きながらシャワーの熱湯を浴びせた。驚く姿をよそにして、手にシャンプーを馴染ませるとタオルを解いて紗夜の髪を洗い始める。
「あの」
「俺は。お前の方がいい」
「――――」
「俺は、氷川紗夜が好きだ。それで不満か? それだけじゃ満足いかないのか? 納得いかないってのかお前は」
「違いますっ、私は――」
自分の心にどこか、後ろめたさを感じていた。
この気持ちは紛れもない自分のものなのに。
この人が見ているのは、本当は――自分にある、氷川日菜の面影なのではないかと。
似ているから。双子だから。その内面までは似ていなかったけれど、疎遠になったりもしたけれど――。
それでも、今でも。
自分は、時々日菜と比べられる境遇に変わりはなかった。
「わた、しは……」
「……俺も、昔は散々師匠と比べられた。魔術でも、何でもそうだ。おかげでこちとらコンプレックスの塊だっつーの。そんなの他人に言われるまでもなく、一番自分が理解しているってのに――だから、死ぬほど頑張った。寝る暇も惜しんで、四六時中特訓したし、訓練もした。修行で死にかけて、師匠に殺されかけて修行した」
「…………それで」
「それでも、追いつかなかった」
紗夜の髪を洗いながら、エヌラスは手でシャンプーを馴染ませていく。
今でも、嫌になる。今でも自分で比べてしまう。それほどまでに、
「追いつかないから――追い続けることにした。目指す背中が見えてるなら、絶対に見失うことはないからな」
「……、本当に貴方は強い人ですね」
普通なら、挫けて。折れて。屈して、諦めている。もう二度と歩き出せないくらいに。
だけどこの人は、這ってでも前に進む。自分の身体を引きずってでも、一歩でも前に歩いている。そんなのは全身の傷跡を見れば一目瞭然だ。それを口にすることはないし、努力の証なんてものは何処にもない。あるのはただ、戦う手段以外を削ぎ落とした結果。
やる気があるのかないのかわからない、反社会的で怠惰的でだらしがなくてダメな大人。
戦うこと以外、なんにも役に立てない人――哀れで可哀想な怪物。
「紗夜もな」
優しく髪を梳かされて。シャワーで洗い流される。
それからタオルに泡立てたボディソープを手にしたエヌラスの手を、紗夜が止めた。
「自分で洗うか?」
「……背中、流しますので。向こうを」
「ああ。なら、頼んだ」
無防備な背中を見て、そこにも傷跡が残っていることに目を逸らしたくなる。
「傷は痛みませんか?」
「背中の方までどうなってるか知らんが、特に違和感はないな。そのまま流してくれていい」
「わかりました」
紗夜がぎこちない手つきでエヌラスの背中を流していくが、不意に手が止まり、その代わりに柔らかい肌の感触が押しつけられる。それには流石に驚いて振り向いてしまった。
「あー……紗夜?」
「……あのっ――変、ですか?」
自分の中にある感情が、抑えきれない。どうしたら治まるのかもわからない。堪えきれないものをどう処理したらいいのか――。
振り返り、エヌラスが紗夜の頬を撫でる。小さく身体を竦めて、目を潤ませて見つめてくる顔を引き寄せ――唇を重ねた。
舌を入れると、驚きに目を見開く。ぎこちなくではあるが、それに応えようと紗夜が舌を伸ばしてきた。舌先が触れるだけで初めての感触に身体を強張らせている。
「ん、っ……ッ……!」
少しだけ長いキスの後に、顔を離す。息を止めていたからか、紗夜の呼吸が乱れていた。
熱い吐息を繰り返して息を整えていたが、舌先から伸びる銀糸に息を呑む。
「あ。の……?」
「……んー、あー……あ~もぉ~! ちくしょぉ~……!!」
エヌラスが小刻みに肩を震わせていた。紗夜が不安げに首を傾げる。
「ど、どうかしたのですか?」
「……お前が可愛すぎて俺の理性がヤバい」
「かわ……~~!」
「俺だってな、その……我慢してるんだからな?」
「――なんで我慢しているんですか?」
素朴な疑問に、珍しく、顔を赤くしながら目を逸らした。
粘膜接触が最も魔力回復などに最適だと聞いているし、それが必要ならば、今なら身体も任せてしまってもいいとさえ、思っている。
「少しくらいなら、その……我慢、しますけれど」
「……本当にいいのか」
「し、仕方ないでしょう? 必要なことですし……少なくとも、貴方にとって」
「…………そう、だが」
「――私では、やはり不満ですか?」
確かに胸は他に比べて控えめかもしれないが、それでも自分にできることなら協力は惜しまないつもりだ。居なくてはならない人なのだから。
エヌラスが静かに首を横に振る。本当に珍しく、耳まで赤くしながら。
「そういうことじゃないんだ」
「では、他になにか?」
「……できる限り配慮はするし、加減する」
――当然の話ではあるのだが。紗夜にとってはこれが初体験の事になる。
二人分の体重を支えるベッドが軋む。
身体を横たえて、手を繋ぐ。指先から伝わる体温を感じながら、紗夜は身体に巻いたタオルを手で押さえていた。部屋の灯りは点けておらず、暗い室内にぼんやりとした人影が見える。
指から、腕に。そのまま肩を撫でて、首を伝って頬に触れた手が指の腹で愛でる。自分の顔の形を覚えようとでもするように、エヌラスは手を伸ばしていた。それが、やけにくすぐったい。
熾烈で、過酷で、地獄のような日々を凌いできた人の手は傷だらけだった。
「……ん」
その手のひらに向けて、紗夜が頭を擦り寄せる。
魔術師の手は、驚くほど普通の人と変わらなかった。
息を吸い込む。息を吐き出す。肺に広がる自分のものではない匂いに満たされるたびに、安心感に包まれる。
「初めてだもんな……、相手の身体に慣れることから始めるか」
「……わかりました」
気を遣ってくれている。きっと、本当は今すぐにでも手を出したいに違いない。
そんな不器用な優しさが。
そんな不器用な気遣いが――どうしようもなく、胸を締めつける。
「――エヌラスさん」
「ん?」
身体を隠していたバスタオルを外して、紗夜がエヌラスに抱きついた。重なる心臓の鼓動も、体温も、胸の柔らかさも、腹筋の固さも全部抱きしめるように強く、強く――。自分の下腹部に当たる熱い感触に一気に顔が熱くなった。だが、離れるわけにはいかない紗夜は身体を擦り寄せる。
滑らかな素肌が触れ合う。未経験の恐怖感からか、少しだけ身体が震えていた。エヌラスはそんな紗夜の身体に手を回して優しく抱きしめると、背中を叩く。赤子をあやすように。
「……なにも、わかりませんけれど……よろしくお願いします」
「痛かったらちゃんと言えよ?」
キスを繰り返して、抱きしめた相手の温度を確かめる。息が止まるくらい、呼吸が乱れるくらいに長いキスと舌を絡みつかせていく。息苦しさに身悶えする紗夜の身体を抱き抱えながらエヌラスが下になる。
上体を起こして顔を離すと、熱に惚けた紗夜の顔があった。手を胸に這わせると、やはりそこは気にしているのか身体を強張らせる。
控えめに主張する柔らかな胸の蕾を指で撫でていくと、そのたびに紗夜が小さく声を押し殺していた。触れられたことも、触れたこともないのかもしれない。
「んっ……! ぅ……、んっ……~~」
「紗夜」
「ぁっ……、ん、なんです、か……?」
「……すげーかわいい」
口を手で抑えて必死に声を我慢する耳元で、何度も囁く。肩に頭を預けて、身体を駆ける甘い快感を堪えている。
胸から、脇に。そのまま細い腰まで手を触れるか触れないかの瀬戸際を保ちながらなぞっていくだけで紗夜が身悶えした。
太ももから、しなやかな内股の肉付きに触れると声が一層大きく漏れる。
「きゃっ……!? ぁ――こほん……ど、どうぞ……続けてください……」
「嫌な時は、ちゃんと嫌って言わないとイジワルするぞ」
「……嫌では、ありません。少し驚いただけです」
親指で内股を撫でで、窮鼠部をなぞっていく。身体に触れられることに少しずつ慣れてきたのか紗夜も息を大きく深く繰り返すようになっていた。それでも、プライベートゾーンに指が近づくと身体を緊張させる。自分で触れたことも、誰かに触れられたこともないのだろう。
割れ目には触れず、大陰唇を指先で優しくなぞるだけで紗夜の身体が震える。エヌラスはその初々しい反応を楽しみながら、少しずつ身体を解していく。
「――ぁ、の……?」
「どうした?」
「……まだ、ですか」
「しっかり慣らしておかないと、痛い思いするのは紗夜だからな。ちゃんと、ほれ」
「ひ、ゃ!」
割れ目に指を這わせる。それだけで紗夜の口から甘い声が出てきた。熱を持ち、湿り気を帯びてきた入り口から指を濡らして、中へ侵入させる。
指の第一関節まで沈ませると、入り口を丹念にほぐしていく。浅いところを弄られて、それでも身体に異物を受け入れる感触に紗夜は身体をよがらせていた。
「あっ……ん――! ふぅ――!」
堪えきれずにしがみついてくる背中を優しく叩きながら、エヌラスは徐々に濡れていく指先を止めようとはしない。
前戯にしっかりと時間を掛けて、指先に伝うほど愛液が溢れ出した頃にようやく指を二本にして再び触れ始めると紗夜の身体が跳ねた。今度は先程よりも強く侵入を拒むように肉壷が入り口を閉ざしている。それを少しずつ慣らすようにして、やはり指の第一関節まで挿入させた。
潤滑油代わりにしても、やはりそこから奥に侵入してくるのを拒んでいる。
「あぁ、っく……! ぅ、ん――! ~~~~ゃっ」
耳元で甘い声が囁かれるたびに、自分の中の理性が音を立てて瓦解していくのをつぶさに感じ取りながらも紗夜の事を考える。痛めないように、丹念に、丁寧に、じっくりと時間を掛けて――不意に紗夜が身体を身震いさせた。
「ぁつ、あ……! まっ……!」
「ん?」
「……私、ばかり」
「……いいんだよ、それで」
ちゅぷっ――。卑猥な水音と共に引き抜かれる指は、すっかり濡れている。それを紗夜に見せて糸を引かせると、これ以上無いほど顔を赤くしていた。
固く屹立した性器を入り口にあてがうと、身体を硬直させる。割れ目から垂れる愛液を塗りつけて、先端を侵入させようとすると紗夜が腰を引いて逃げようとしていた。
「ん――、ぁ……」
「こーら。紗夜、逃げるな」
「……はい」
「ん、よろしい。いい子だ」
何か言いたげにしながら、エヌラスの顔を見つめてくる。その視線に気づいて目を合わせると頬を綻ばせていた。
「なんだ?」
「いえ……いつもこんな風に優しければいいのに、と思っただけです」
「……優しくなんかない」
不意打ち気味に、先端を挿入させる。割れ目を押し広げながら、キツめの肉壷が男根を咥えこんでいった。溢れる愛液が太ももを伝って、シーツに垂れていく。
紗夜の苦しそうな息遣いに、エヌラスは動きを止める。
「んっ~~! ぁ、はぁ……はぁ、ぅ……!」
「ほら、言っただろ。優しくないって」
「……ふふっ」
「なんでそこで笑う?」
「……自然と、笑みがこぼれてしまって……、っ。多分、私は――嬉しいんだと、思います。ギターしかない私を、こんなにも大切に思ってくれる貴方と出会えて」
燃えるような恋をした。きっと、最初で最後だと分かっていながら。
それでも、胸の奥で燻ぶる思いが堪えきれない。いっそのこと、もう此処で燃え尽きてしまえばいいとさえ思う恋心に、紗夜は身体を委ねる。
こんな風に、本気で愛してくれる人に出会えることは無いのだから。
少しくらいの痛みは受け入れられる。
この人は、もっとずっと、痛くて辛い思いを堪えてきた。それでも、自分に対するこの優しさはきっと生来のものだ。
本当は、こんなにも優しくて、温かい人。
その全部を戦いの厳しさで塗りつぶしてしまった弱くて、強い人。
首に手を回して抱きつくと、紗夜は深く息を吸い込む。何処か爽やかな柑橘類の香りと、脳の奥にまで染み渡るような甘い匂い。ボディソープだけでなく、普段から服用している蜂蜜酒などの匂いが混じった独特な香りを吸い込むと、息が詰まるような苦しさが和らいだ。
「……大切に思ってなかったら、ここまでしてない」
「――――」
「遊びや冗談なんかで、俺は身体も命も預けない。だから――」
「きゃ――! ぁ、……!」
身体を抱きしめて、繋がったままエヌラスは紗夜を押し倒す。優しく腕に抱かれたまま見つめる顔は、いつもの気だるげな態度も剣呑な雰囲気もおくびにも出さなかった。その代わりに、宝物でも愛でるように、我が子を慈しむような優しい顔をしている。薄く、ぎこちない笑みを浮かべて。
「……だから、ちょっとだけイジワルさせてもらうぞ。紗夜」
「……――はい。お手柔らかに、お願いしますね?」
下腹部から徐々に挿入を果たされる熱い感覚に、息を吐き出す。緩やかな動きに、しっかりと息を合わせて呼吸を整える。窮屈で、だが満たされる熱さに背中を震わせた。自分の身体が、まるで相手のことをねだるように火照っているのがわかる。
怖い、と紗夜は思わなかった。
「ん、ぅ。ふぅ……あっ、ん! ハァ……!」
「初めてだから、やっぱキツイな……! 辛くないか?」
「だい、じょうぶですから……っ、もっと、好きに動いて――くっ、ぁあ!」
グッと、深くまで突き上げられて紗夜が嬌声を挙げる。奥まで満たす固く、熱い異物の感触に視線を下げれば、自分の身体とは信じられないほど熱く濡れた結合部が目に入った。足を広げて受け入れている姿を見て――秘部がエヌラスを咥えこんでいく。さすがに全部は飲み込みきれず、それでも十分に自分の体が相手を気持ちよくできているか紗夜は不安になった。
「はぁっ、あのっ……んっ、はぁ……気持ち、いいですか……?」
「当たり前のことを、っく……聞いてどうする……!」
何かを必死に堪えているエヌラスも少々辛そうな表情を見せている。腰の動きも緩やかなものから少しずつ激しさを増していた。だが、乱暴な動きではなく相手の身体を気遣うようにしている。打ちつけるよりも、押し込むような腰使いで紗夜の負担を軽減していた。
「もっ、と……!」
「いいのか?」
「……はい」
「そんなかわいいおねだりされたら、俺も我慢できなくなるだろが……! 紗夜、ちょっとだけ苦しいの我慢してくれるか」
「あ……! っ、ん。はい――」
薄く微笑んでエヌラスが紗夜の身体を引き寄せる。そのまま、少しずつ腰の動きを激しくしていく。短い嬌声と、腰を打ちつける音が部屋に響いた。
身体から引き抜かれる度に、切なくなる。押し込まれると、苦しさよりも愛おしさが勝る。気持ちいい、とはわからない。しかし、痛くないし、辛くもなかった。
優しくて。熱くて。心の隙間を満たしてくれるような充足感と、安心感で胸がいっぱいになる。
「っ、紗夜……!」
「ん……ぁっ!」
身体の中を、何か熱い感触が満たしてくるのがわかる。それが、義務教育の中で学んだ射精という行為であることはすぐに思い当たった。
息を切らして、紗夜が力なく身体を投げ出す。一連の性行為で、予想以上に体力を消耗してしまった。確かにこれは、とても大変だ。
身体から引き抜かれる陰茎が白く染まっているのを見て、紗夜はぼんやりとした頭であってもそれが自分の身体に挿入されていたモノだとわかった瞬間に声にならない声を押し殺す。
ティッシュで秘部もキレイに拭き取り、丸めるとゴミ箱に捨てる。それからエヌラスが身体を横にした。
「おつかれ。初めてで、大変だっただろ」
「……確かに。少し、疲れました」
「だろうな……ほら」
「――お、お邪魔します」
腕を広げる姿に、紗夜が身体を近づける。
「……温かいですね」
「ん……」
「……?」
「……こうして、誰かと一緒に寝てる時……だけは――俺も、安心できる…………」
「――――」
徐々に寝息を立て始めるエヌラスに、紗夜は手を回してしっかりと抱きしめた。
この人は、そこまで疲れている。誰かに支えてもらえないと立ち上がれないくらい。満足に眠れないほど。
頭を撫でて、髪を梳かす。
「……もっと、私達を頼ってくれていいんですよ」
胸板に頭を寄せてから、自分の下腹部に触れる固く熱い感触に驚いた。
眠っているが、それでも身体はまだ起きている。つまりは……、一度では満足できない様子。それでも紗夜の初体験ということもあり、我慢しているのだ。
そういうことだったのか、と思い当たると同時に――何をされるか考えるだけで紗夜は悶々とした気持ちに心を乱されて眠れなくなる。
翌日。
「紗夜、おはよー」
「えっ。あ、えっと――おはようございます、今井さん」
「昨日はあの後どうだった?」
「……昨日は、」
通学路でリサに声を掛けられて紗夜の足が止まった。
「昨日は、その……大変貴重な経験を、しました……」
「あはは、なにそれ。うん、まあそれはまた今度聞かせてもらうね」
「いえ、それはちょっと……なんと言えばいいか……と、とにかく失礼します!」
足早に立ち去る紗夜の背中を見送って、リサが首を傾げる。
「……まさかねぇ? いやー、あの紗夜がそんなはずないよねー」
もしそうなら。
もしも、そうだとしたら。
――恋のキューピッドも、悪くないかもしれない。面白そうだ。