――夜闇を裂くようにして、空を駆ける一筋の流星があった。怪鳥のように翼を広げ、鋭角的な旋回を繰り返しながら綺羅綺羅と結晶を撒きながら恐ろしい速度で地球を駆け巡る。
此処は日本上空、関東地方。その日、偶然空を見上げた人々はソレを謎の大怪鳥として記憶したが、それも記憶の片隅に追いやっていく。
風の神性・イタクァ。それはエヌラスの左手の魔術刻印に封神させられているはずであり、まかり間違っても日本の夜空を縦横無尽に駆け巡っていいものではない。
冬が終わり、春の中。夏を目前に控えた日本を襲うのは季節外れの寒波。それこそはイタクァが放つ無邪気で無慈悲な自然災害。だが恐ろしいのは、それを敵意も害意も殺意もなく、ただ移動しているというだけで振り撒くという脅威だ。攻撃の意思無く、それをばらまかれてはオカルトハンターとしては手の打ちようがない。
爆音。音速の壁を突破して衝撃波を残しながら大型自動二輪車のアクセルを全開にして追従する。――本来、オートバイというのは空を走らないものだが。
「ぬ、う、ぅ、ぅぅおおおおおりゃあああああっ!!! ぜっっってぇ逃がすなハンティングホラァァァアアアアッ!!!!」
風防代わりの防御魔術を一重では足りず、二重に展開するもそれで間に合わず三重展開して瘴気を孕んだ風を防いでいるがそれでもまだ足りない。
魔術化合物を多分に含んだ燃焼剤によるニトロブーストでもギリギリ突き放されないのを維持するのが精一杯だ。ハンティングホラーの臓腑が悲鳴をあげているのが分かる。だが、それでもアレを逃がすわけにはいかない。
先行するイタクァが顔を上げてこちらを盗み見る、一瞬だが速度を落とした。
主を視認したのか、なんとか追いつきそうだとエヌラスが安堵したしたその次の瞬間――。
更に加速した。爆音、閃光――置き去りにされる大寒波。真正面から吹雪に直面して、エヌラスとハンティングホラーは魔性の暴風に進路を阻まれて制御を失った。
まずい、と思った時には既に遅く。
離さまいと掴んでいたハンドルから指が滑り、エヌラスはあわや、日本の遥か上空に投げ出されることとなった。
「――ドちくしょうがぁあああああぁあぁぁぁぁ!!!!」
絶叫が木霊する。唯一の飛行手段であるハンティングホラーもオーバーヒートを起こして自制を失っているのか、あらぬ方角へと吹き飛んでいった。
……事の経緯は、数時間前まで遡る。
いつものオカルトハンターに精を出していた。ところが、今夜は少しばかり相手が悪かった。この場合の悪かった、というのは、相性が悪かったという意味合いで。
日本の妖怪というのを甘く見ていた。相手は土地柄の相性もあって、苦戦を強いられたエヌラスだったが辛くもこれを撃破――したまではよかったのだが。
あろうことか。
その日本妖怪、時期外れの雪女。病的なまでに白く、髪も白く、透き通るほど肌も白く、着物も帯も白一色。
まんまと炎の神性・クトゥグアの熱に焼き尽くされるかに見せかけて目敏く風の神性・イタクァの冷気に乗り移って制御を奪った。
そのまま憑依された形で飛び去ったのを追跡――と、いうのが超高高度、成層圏内ギリギリの鬼ごっこから突き落とされたエヌラスの経緯である。
ぐんぐん地表が近づいてくるが、こういう時は焦ってはならない。大丈夫だ、大丈夫。慣れてるし、この程度で魔術の制御を失う程度なら生き残ってない。だいたい師匠の修行という名目の公開処刑は自由落下運動すら許してくれないのだ。特訓という名目の拷問でさえもあの人は生存不可能ちょっとギリギリアウトグレーゾーン辺りを掠める程度の品目を朝のフレンチくらいの気軽さで叩き出してくる。思い出したらちょっと泣きたくなった。
奇跡的なことに、知っている街のちょっと近くだ。どうやらとんでもない速度であちこち飛んではいたものの、ぐるぐると日本近海を回っていたらしい。それはこの際、どうでもいい。
着地をどうするかだ――!
「ええい、どうにでもなりやがれ!! 背に腹は代えられねぇんだバァァァカッ!!!」
野太刀を担ぎ上げて、超電磁抜刀術で落下の衝撃を相殺――!! しようかと思ったがよくよく考えてみれば、ハンティングホラーの空間魔術であらゆる呪法兵装を展開している手前、その恩恵が得られない状況下におかれると、急激に戦闘能力が下がる。
右肩の虚空を掴む手に、柄を握った感覚がなかった。……つまりは、そういうことである。
「無いよっ!!! 剣ないよぉぉおおおおっ!!!? マジかぁああああっ!!」
現実、リアル、どっこいこれが現実。無慈悲。非情である。③。
エヌラスは歯を食い縛り、これから自分が経験するであろう未曾有の衝撃に備えてショック体勢を整える。
まず全力で防御陣を展開。次に、全身の魔術回路をフル稼働させて帯電状態を維持する。うおぉん、今の俺は人間電子レンジだ。とかふざけている場合ではない。
電磁加速蹴撃の応用。ここまで大掛かりな変化はさせたことないが、それでもやらなければギャグのように地面に埋まることになる。いや多分それでも死なないと思うが、死ぬほど痛いと思うので笑って済ませるギャグ時空の人間は偉大だと思う。
“紫電”
――以上の三点を持ってして、成層圏内からの自由落下運動からの生存を可能な確率にまで引き上げることを最優先とする。
銀鍵守護器官が悲鳴を上げるほど出力を上昇させ、魔術の制御に全神経を集中。
高度四百メートル――落下地点予測ポイント、河川敷。
サイバネコートを磁気で制御してコウモリの羽のように広げて空気抵抗を大きくする。
無人の河川敷に向かって、エヌラスが隕石よろしく、帯電状態で着地――もとい、落下した。
「ぬ、ぅおおおあああぁぁぁっ!!!
盛大な土煙と、ちょっとした地響きを鳴らしてクレーターを作りながら無事に着地成功。はたして本当に着地と呼んでいい代物なのかはともかくとして。
クレーターから這い出して、両足を擦りながらエヌラスはその場から逃げるように立ち去る。
――後日。当然ながらニュースにもなったし騒ぎにもなった。
花咲川女子学園でも話題になっている。
そんな中、寝不足と筋肉痛と瞬間的に酷使した魔術回路による不調を身体から訴えられているエヌラスはほぼ寝起きのような状態で学校へ来ていた。最早その時点で気づくものは気づく。
ああ、この人またなんかやったんだな、と。
「エ ヌ ラ ス さ ん? お話があります。よろしいですか?」
「ひぇ……」
笑顔で“圧”を掛けてくる氷川紗夜から逃げ出そうにも膝が笑っている。なんなら階段を駆け下りることも駆け上がることも今は困難だ。というか、走れない。
どえらい説教された。ちょっと心が折れ砕けるような凄まじい紗夜の説教にエヌラスは本日の霊能学は中止にする。というかそもそも働ける体調じゃなかった。
なんで俺、学校きたんだろう。そんなことを思いながら、放課後の図書室に逃げ込んだ。もう嫌だ。鬱だ。しばらく紗夜の顔も見たくない。
心身ともに疲弊したエヌラスが図書室で本を読んで英気を養いながら、自己再生に魔力を割いていると静かに扉が開けられる。
顔を見せたのは、花咲川女子学園生徒会長の白金燐子だった。おずおずと、小動物のように周囲を気にかけながら図書室へ入ってくる。
「あの……」
「……なんだ」
できれば、今は一人にしてほしい。ハンティングホラーは戻ってきてないし、こちとら昼夜問わず気を張って人間のため頑張ってるというのにその上叱られてはたまったものではない。もう嫌だ、滅べ人類。明日には大雪だろうな関東地方、あっはっは。大丈夫だ、永久凍土になっても東京だったらなんとかやってける。リビングデッドの巣窟になるだろうけど。考えてみたら地元だわそれ。派遣されて死に目に遭ったこともある。
「今日の霊能学の授業、中止って聞いて……」
「課外授業だから成績に繋がるわけじゃないし。あと俺が無理。今日は無理。ホントやめて。勘弁して。立ってるのも辛いし、走れない」
「えっ……だ、大丈夫……なんですか……?」
「燐子……お前の気遣いは、本当に嬉しい、マジで心に沁みる。でもな、あのな、大丈夫じゃないからな? 俺、今相当ガタがきてるからな? 大丈夫じゃないよ」
「あ……あの、ごめんなさい……!」
「いいよ、謝らなくて。こっちこそごめんな……それで、何か用事か……?」
「すごく調子が悪いみたいなので……なにか、あったのかと思って……心配、で」
「…………あんまり話したくないが、燐子ならいいか」
「いいんですか……?」
エヌラスは、燐子を信用して事の顛末を話す。
今、日本を襲っている大寒波が自分の責任であること。愛犬とはぐれていること。現状、打開できる策を持ち合わせていないこと。身体が満足に動かせる状態じゃないこと。
それらを全て話すと、燐子が目を伏せていた。
加えて。紗夜にしこたまこっぴどく叱られて今は顔を合わせたくないことも。
「でも、氷川さんはエヌラスさんのことを気にかけて……」
「それならそれで普通に「大丈夫なんですか」の一言でいいんだよ。俺だってこれが精一杯なんだ。譲歩と妥協と配慮に配慮を重ねて人が頑張ってるのに、それを無下にされるような言い方されたら俺でも傷つくんだよ。だからちょっと今は紗夜の顔を見たくない。あそこまで言われたらな……ちょっと、本気で無理。へこむ」
(よっぽどひどく怒られたのかな……)
机にうなだれるエヌラスを見て、一連の話を聞いて燐子が図書室の中を見渡した。
やがて、空いている隣の椅子に座るとひどく落ち込んでため息をつくエヌラスに手を伸ばす。
指に触れて、視線を向けると自分の胸元で手を固く握っていた。精一杯の勇気を出して。
「あ、の――元気、出してください。わたしも……なにか、手伝えることはないですか?」
「…………そうは言われても、な」
あるには。ある。ソレさえできれば、向かうところ敵なしな方法が。何だったら瞬殺できる。特にイタクァはなぶり殺しにしてもいい。というかする。今決めた。
「燐子。手伝える範囲は、どれくらいまでだ?」
「え……?」
「どっから、どこまで。手伝いの許容範囲内? 例えば、俺の代わりに飲み物買ったりとか、身の回りの世話とか……そういうの、あるだろ。ちゃんと聞いておきたい」
「……なにか、できます……か?」
力になりたい。だが、何をしたらいいのかわからない。献身的な言葉と態度の中に、曖昧な意思があった。こうなると、こちらが下手に尋ねるよりもあらかじめ決めておいた方が話が早い。
「正直な話、人間一人手伝ったところでどうにもならない。相手が相手だからな……」
「…………」
「燐子が悪いわけじゃない。誰が手伝っても結果は同じなんだ、が――ひとつだけ、方法が無いわけじゃない」
「ほんと、ですか……?」
「……あー、ただし。物凄く勇気がいる行為なんだが…………俺も説明するとすげぇ馬鹿らしくなって死にたくなるくらいに」
なぜ自分はこんな体質に生まれてしまったのか。
「えっと……」
「単刀直入に言うと……俺は異性と性的な行為に及ぶことで真価を発揮できる。なにも身体目当てってわけじゃないからな?」
「――――」
顔を真赤にしながら、燐子が小さく頷く。
「というのもちゃんとした理由がある。まぁ神様に近い力振り回すわけだから、信仰が必要になる。自分の命と身体を互いに預けることで、精神的な結びつきを得る。これを原動力としてその力を振るえるようになる……ってことなんだが。まぁ一種の儀式的なものだと思ってくれ」
「――――は、い…………」
「……一応言っておくと、俺から相手に魔力供給という形で恩恵が得られる。かなり性的な話をすると、そういう専門家がいるくらいには」
淫魔とかその手の類がわかりやすい。異性を籠絡して自分の生命力と魔力に変換して力を貯蓄する。吸血鬼も似たようなものだ。
「えっと……、エナジードレイン、とか。そういうことです、か……?」
「……たまに思うんだが。燐子って知識豊富だな。どっから学んでんだ、その魔術の知識」
「ゲームで、よく出てくるので……」
「なるほど……? ちょっと気になるな」
「よかったら、教えてあげますけれど……えっと、それで……その――」
まぁ協力は無理だろうなと、エヌラスは途方に暮れる。本当に最悪の手段として、自分が権能全開にすれば向かうところ敵なしなのだが、これをやると日本が消滅しかねないので却下。
指先を合わせながら、蚊の鳴くような声で燐子が何か呟いている。
セクハラで訴えられても何も申し開くことはないので、死にたい。
「……一回だけ。なら…………」
「――――――」
……おーっとこれはちょっとお兄さん予想外過ぎて思わず息が止まったぞー?
「燐子。無理しなくていいからな……」
「そ、そんなことありません……!」
嘘やん。だってめっちゃ顔赤くして今にも泣きそうだもの。やめてそそられちゃう。
しかし、事は急を要する。できれば今夜にでも片付けたいところだ。
「でも、あの……わたしからも。ひとつだけ、お願いしてもいいですか……?」
「そこまでしてくれるんだったら俺にできる限りで何でもしてやるよ……」
「じゃあ――魔術、教えてくれますか……?」
「ちくしょう俺はいつもこうだ……!」
どうしてこう裏目に出るのか。何でもすると言った手前、断れるはずがない。
「はぁ、わかった……教えるから」
「――! ありがとう、ございます……!」
「その前に。ほら」
エヌラスはマンションの合鍵を燐子に渡した。手にしてから、顔を真っ赤にして何度も顔と交互に見比べている。
「心の準備ができたら、家に来てくれ。場所はわかるよな」
「……はい」
「んじゃ、待ってる。できれば、あんまり遅くならないうちにな。女の子が一人で出歩くのは危ないし」
途中まで読みかけていた本を閉じて、エヌラスは痺れるような痛みを訴える両足の筋肉を動員して立ち上がる。背筋から足のつま先に掛けて魔術回路が不調をきたしていた。
まともに動くのと言えば、左腕ぐらいだ。本当に、勘弁してほしい。
図書室を後にしても、燐子はしばし掌の鍵をジッと見つめたまま動かなかった。
その様子を気にかけながら歩いていたからか、エヌラスが階段から落ちる。ちょっと立ち上がれそうにないくらい心に傷を負いかねなかったが、持ち前の反骨精神で立ち上がった。ぜってぇあのクソ害獣ぶちのめしてやる。
脂汗を流しながらも、なんとかマンションにたどり着き、最上階までエレベータで移動しようかと思っていたら点検作業中。階段を使って涙目になりながらも、なんとか自室に辿り着くと、エヌラスは玄関に倒れ込む。
仰向けになって、ポケットに入れて常備していたドラッグシガーを吸引する。アンプル剤として携行している非常用
燐子が来るまでに部屋の片付けくらいはしておこうとエヌラスは、もはや倉庫あるいは武器庫と化していた寝室を整理する。
夕日が沈み、街が暗く染まる。それでも人々の生活の営みは途絶えること無く、夜闇を照らしていた。まるで闇夜の恐怖を誤魔化すように。
ベランダに出て、本日四本目のドラッグシガーを服用して燐子を待っていると、玄関のチャイムが鳴らされる。過度な吸引の甲斐あってか、魔術回路そのものの不調は強引ながらも快復していた。多少魔力酔を起こしながらも、玄関の扉を開ける。
そこには、私服姿の燐子がバッグを手にして立っていた。
「あの、こんばんは……」
「こんばんは……せっかく鍵渡したんだから、勝手に入ってきてよかったんだが。まぁいいか、上がってくれ。大したもてなしはできないが」
「気にしないでください。それに、その……わたしも、そんなに大したことは……」
いやかなり大層なことをするんだけど? 下手すれば日本の明日を左右するくらいには。そこのところご理解いただいてますか白金燐子さん?
軽い目眩を覚えて、エヌラスが目頭を押さえる。少しばかり、余計に服用し過ぎたかもしれない。外で吸引していたから室内にそこまで匂いが充満することはないと思っていたが、燐子が鼻を小さく鳴らして匂いを嗅いでいた。
「……アロマ、ですか? なんだか、爽やかな香りがします」
「あー。いや、ちょっとな……あんまり深く吸い込まない方がいい。酔うかもしれないし」
「お酒ですか……?」
人によっては、酒よりもよっぽど酷いことになる。
「魔術のお薬。だから、残り香でも酔ったりする場合がある。さっきまでちょっと回路調整するのに服用してたんだ」
「――そ、そうなんですね……」
燐子を部屋に上げて、まずは軽く魔術の座学から――――と、思っていたのだが、何やら様子がおかしい。
足元がおぼつかず、どこか呼吸が荒い。身体を自然と寄りかからせてくる。
腰を下ろしたエヌラスに押しつけるような形で頭を預けた燐子はどこか虚ろな目をしていた。その原因は言わずもがな。過度に服用していたドラッグシガーの残り香が付着した衣類の匂いを嗅いだからだ。とはいえここまで効果が出るのが早いとなると、燐子にはそういった素質があるのかもしれない。魔術師としての感性、と言えば聞こえはいいが。つまり“感じやすい”ということだ。
エヌラスは極力そのことには触れずに、自然体を装って基礎知識から教えていく。だが、熱っぽい視線を向けてくる燐子からの返事はどこか曖昧だ。
「――と、いうのが。魔術を扱う上での基本だ」
「…………」
「……聞いてた?」
「え……?」
咄嗟に声を掛けられて、きょとんとした顔を見せる。瑞々しい唇を小さく突き出して、紅潮した頬と潤んだ瞳を向けてきていた。なにかをせがむように。身体が自然とそう動いているかのように、燐子は目を覗き込んでくる。
話を聞いていたのか、聞いていなかったのか。そんなことはどうでもいいのか、少しずつ顔を近づけてくる。エヌラスは顔を近づけてくる燐子の顎に指を添えて、持ち上げた。
「ぁ――っ」
「…………」
軽く診察してみる。左眼に魔力を通して、作用している状況を確認――結論。燐子は、酔っている。とはいえ、軽度の魔力中毒は問題になることは決して多くない。すぐに治る程度だ。問題なのは、それがどう作用してこうなったのかわからないが、燐子が積極的なことだ。
幸いにもショック療法が有効なので、エヌラスは燐子の顎を持ち上げたまま唇を重ねる。
「ん、むぅ――!?」
「…………」
効果の程は、如何か。ゆっくりと離れると、顔を真っ赤にしたまま目を潤ませて……もう一度唇を差し出してくる。今度は先程よりも長めにしてみる。
再び重なる唇に、舌先を使って口内に潜り込ませてみた。普段の燐子なら、驚いて嫌がり、すぐに離れるだろうと思ってのことだ。だが、それを当然のように受け入れて苦しそうにしながらも舌に吸い付いてくる。これは、よっぽど酷い酔い方をしているようだ。
しかし、それならそれで話が早い。
「んー……」
「ッ……ん……」
燐子の頬に手を添えて、エヌラスは逃げられないように固定する。さすがに抵抗されるかと思っていたが、これも無抵抗のままに受け入れていた。されるがまま、舌を絡みつかせる。唾液を流し込まれても、喉を小さく鳴らして飲み込んでいく燐子の従順な姿に軽く顔を離した。
銀糸が二人の舌先を結び、やがて解ける。口を閉ざして、まるで味わうように口の中で咀嚼すると、喉を鳴らして飲み込む。大きく口を開けた燐子が吐息をこぼす。
「ん……ふあ……」
「――――」
今の燐子は、どこまで許されるだろう。背徳的な感情もあるが、好奇心もある。エヌラスは頬から指先で首をなぞり、肩に手を置いた。そのまま腕に触れて、手を繋ぐ。
「…………」
ぽー、と。どこか夢心地で触れ合う指先を見つめる燐子。エヌラスはその手の感覚を確かめるように柔肌を撫でていた。
白くて、細くて、長い指。柔らかく、小さい。自分の手に比べたらずいぶんとかわいらしいものだ。そしてそこから視線を外せば、小動物のような性格からは想像もつかない凶悪なまでに豊満なスタイル。
私服姿であっても、その主張は揺るぎなく。当人がコンプレックスと抱えていたとしても否応なく押し出される胸に向けて、エヌラスが軽く手を伸ばした。服の生地の上からでもわかる、弾力とハリと、サイズ。ブラのワイヤーの固さもあってか、だいぶキツめに押さえているようだ。
「あ……」
「……さすがに、こっちは嫌か」
「――どう、ぞ」
小さく声をもらして、身体が反応する。しかし、すぐに手を後ろに回して俯きながらも胸を押し出していた。相当、酷い形で作用しているらしい。とはいえ、この魔力酔を治療する手立ては自分から離れて新鮮な空気を吸い込むことくらいだが――燐子から離れようとすると、一定距離を保って近づいてくる。軽く身を引いてみると、四つん這いになって近寄ってきていた。
熱に浮かされたような視線と、表情。小さく突き出された唇に、潤んだ瞳で自分のことを求めてきている様は、まるで煩悩を直接殴られるような衝撃に目眩すら覚えてしまう。
エヌラスが息を吸い込み、一度だけ大きく吐き出した。
燐子の腰を掴んで持ち上げると、抱き寄せる。背中に手を回して、胸の鼓動が伝わるくらいに強く。
早鐘を打つ心音に、燐子もエヌラスに精一杯の力でぎゅっとしがみついていた。頭を寄せて、息を大きく吸い込んでいる。
それでは逆効果なのだが言っても聞かないだろう。
長く、艶のある日本人然とした黒髪に隠れた耳に小さく吐息を吹きかける。それに驚いて背筋を震わせる燐子の反応は、まるっきり小動物が震える仕草と同じだ。
「……続きは、ベッドでな」
「――――」
こくり、と燐子が小さく頷く。エヌラスはそれを確認してから、抱き抱えたまま寝室まで付き添った。
カーテンの隙間から、月明かりが漏れている。ベッドに押し倒されて、仰向けに寝転がる燐子は風邪でも引いているように赤くなっていた。緊張しているのか、身体を強張らせている。それも無理はない話だが、それでも懸命にシーツを掴むことで不安を紛らわせていた。
唇も固く結び、足をキツく閉じて、目尻に涙を溜めているが、それでも白金燐子はボタンを外していくエヌラスの手を止めようとはしない。じっと、その手元を見つめている。
スカートを脱がせて、胸元を開くと白い肌が晒された。時期外れの寒波によって冷えた室内には些か辛い薄着に、身震いしている。
「…………」
「あの、そんなに……じっくり、見ないでください」
「あんまりにも燐子の肌が綺麗なものだから、つい、な……」
「ん、っ……!」
手をお腹に当てて、ゆっくりと素肌を撫でていく。くすぐったそうに身をよじる燐子の声と悩ましい動きで逃れようとしていたが、足でシーツにシワを作るだけだ。
足の間に身体を挟み込ませて閉じられないようにする。エヌラスはそのまま身体を撫でて徐々に慣らしていく。しかしそれがくすぐったくてたまらないのか、燐子の口元が緩んでいた。
「っふ、ふふ……、んっ……!」
エヌラスの指が胸とブラ紐の間に入り込み、そのまま肩紐をずらしていく。緩やかに解かれていく胸の窮屈感に、燐子が息を呑んでいた。
「……脱がせるぞ、燐子」
「ぁ――、はい……おねがい、します……ん、は……!」
黒のブラジャーをホックを外して脱がせると、窮屈そうにしていた胸がこぼれ落ちるように露わになる。よほどキツくしていたのか、燐子がその解放感に息を吐いてリラックスしていた。
呼吸のたびに揺れる胸を押さえるようにエヌラスが手を伸ばす。
確かな重量感に、軽く指を押し込めばしっかりと押し返してくるハリの強さ。胸全体を優しく手のひら全体で愛撫していくと、マッサージでも受けているかのように燐子が甘く悩ましい声を時折口腔からこぼしていた。
「ふぁ……ん。くすぐっ、た……エヌラス、さん……おっぱいばっか、いや、です……」
「……そうか? 燐子、嫌がってるように見えないんだけど」
「だ、だって――きもち、よくって……くすぐったくて、せつなく……なっちゃいます……」
「胸触るのは駄目か?」
「~~っ、だめ、じゃ……ないです……もっと、して……ください」
撫でるたびに。少し指先に力を加えるたび、胸に沈み込む。それをしっかりと押し返してくる弾力の心地よさは指に密着して包んでくる。シルクのような肌の細やかさは手触りも抜群で、指の腹で胸を揉むだけでも興奮が隠しきれない。
乳輪を指先でつまみ、軽く擦り合わせる。刺激されたことのない先端からくる痒さに燐子が声を押し殺していた。
「んっ……! ぁ。ん、ぅ……!」
「燐子の胸、大きくて柔らかくて癖になりそうだ。このまま一晩中でも揉んでてもいいか」
「やっ、あぁ……。そんなこと、されたら……わたし、変になっちゃ……! んぅ!」
不意打ち気味に先端をつまむと燐子の口から甘い声が漏れ出す。落ち着きのない腰に、エヌラスは顔を近づけて再び唇を重ねた。胸をいじめるのも程々に、こちらも我慢できそうにない。
舌先同士を触れ合わせて、優しく身体を抱きしめる。すると、燐子も抱き返してきた。
「すぐ済ませるからな……」
「…………あ、の」
「ん?」
「……すぐ、じゃ。なくても……、もっと、こうしていたいです……」
「――俺も。燐子とずっとこうしていたいのは山々なんだ」
だが。
相手が相手だ。こうして優しさと温もりのまどろみに落ちて、溺れている間にも逃げ出した神獣は日本を脅威に晒している。
今夜だけ。一晩限りだ。白金燐子の献身で、あの神性を撃ち落とす。
とはいえ――それでも、初体験となる相手に極力配慮はして然るべき。初めてが苦痛ばかりではあまりに可哀想だ。
エヌラスが手を燐子の下腹部から、股間に忍ばせると黒い下着はすっかり熱く濡れている。どうやら魔力酔の作用がソチラにも作用していたようだ。
「ぁ――! あの、そこ……ッ!」
「……濡れてる」
「~~~~! も、もらして……ない、ですよ……!?」
「わかってる。でも、そうだな……燐子の恥ずかしいところ、もっと見てみたいな」
「や、あっ。だめ、です……そんな、んひゃ……そこ、さわっちゃ……」
下着をずらして指で燐子の陰部を弄る。指をしっかりと濡らしてから、入り口を舐めるように愛撫していく。全体をほぐしていくと、燐子が強くしがみついてくる。よほど恥ずかしいのか、耳まで赤くなっていた。
「駄目、って言ってる割に、燐子……全然嫌がらないな」
「だ、って……んっ。あっ。ふ……。おなか、くすぐったく、なって……っ。ん、~~!」
燐子が身体を小刻みに痙攣させる。入り口から挿入させていたエヌラスの指がキツく絞り込まれた。だが、痛みはなく、むしろ密着してくる肉の熱さと柔らかさは快楽の壺のように締めつけてきている。
「ここ、切ない?」
エヌラスが下腹部をトントン、と。優しくノックする。その刺激に敏感な反応を見せて、何度も頷いていた。
「じゃあ、どうしてほしいかちゃんと言えるか?」
もちろんわかってて聞いている。だが、あまりにも燐子の反応が初々しくて、かわいらしくて堪らない。ちょっとだけイジワルがしたくなるのも無理のない話だ。
「あ……、の――エヌラス、さん……」
「ん?」
「――わ、わたしのここ……エヌラスさんで……いっぱいに、してください……っ」
精一杯頑張った、白金燐子の“おねだり”にエヌラスの理性が決壊寸前になる。
よもやよもや、ここまでの破壊力で来るとは完全に想定外だったからだ。
それでも自分は大人である、という自制心でエヌラスは自分の野生を静める。
「ん、よく言えたな。いい子いい子」
「ぁふ……なでなで、嬉しい……♪」
「じゃあ。燐子、一回だけだからな。もし俺が二回目とか続行しそうになったら精一杯抵抗してくれ。ビンタしてでも」
「…………はい」
「……ちょっと、そこで、残念そうな顔をされると俺の理性がなくなるから、ほんと、だめだから……な? 燐子、たのむ」
「わ、わかりました……」
胸いっぱいに燐子の匂いを嗅いで、エヌラスは裸体をさらけ出す。
傷跡だらけの身体を見て、それでも目を細めて優しく手を伸ばしてくる燐子の下着を脱がせると我慢しきれないと主張する反り立つ陰茎を下腹部にあてがう。
「……お、おっきい……です……」
「これから、燐子の中に挿れてめちゃくちゃにしてやる」
「め、めちゃくちゃ……に……されちゃうんですか?」
「~~~~……!」
本当に。もう。そういうことを言わないでくれ。俺の理性が滅茶苦茶になる。
下腹部をなぞり、それから秘部に先端をあてがう。しっかりと、愛液を塗りたくって濡らしてからゆっくりと焦らすと挿入していく。
「あついの……はいって……! ぅ……んんっ!」
「燐子」
「んぇ……ん、ちゅ……!」
口内に指を滑り込ませて、唇をなぞる。惚けた表情で指先にしゃぶりつく燐子が、エヌラスの顔色を窺っていた。頬を撫でながら腰を沈ませていくと、少しだけ苦しそうな顔を見せる。その苦しさを紛らわせるように指に舌を絡みつかせて吸いついていた。
「ふ、ぅ……んっ、はぁ……ちゅぱっ、ちゅ……っ、あ……!」
「もうちょっと――いけそうだな」
「? ん、ひぅ――ぅ!」
奥まで深く突き上げられて燐子の身体が未体験の感覚に跳ねる。しばらくその体勢を維持してエヌラスは息が落ち着くのを待っていた。最初は苦しみに喘いでいた燐子が徐々にその感覚に慣れてきたのか、息を深く、長くして自分の下腹部に視線を向ける。
少しだけ膨らんだお腹に、手を当てて撫でた。指を押し込めば、内側にある固い感触をよりしっかりと感じる。
「あ――。ん、ぁ。んー、ふぅ……はぁ……! おっき、くて……おなか、あついです……こんな、感じなんですね……」
「……動いても、大丈夫か?」
「はい……あの……」
「ん?」
「……わたしで、よければ……たくさんきもちよくなってください……ね?」
顔を赤らめながら不安そうにしているが、こうして繋がっているだけでも十分過ぎるほどに気持ちいい。しかし、燐子はそれでは物足りなさそうに腰が落ちつかない様子だ。このまま何もせずにいたら自分から動き出しそうだが、エヌラスはゆっくりと腰を引いてから動き始める。
膣から引き抜かれる陰茎の感触に腰を震わせ、再び押し上げられる下腹部に燐子の口から吐息がもれる。
「んっ! ぁ……!」
突き上げる度に、燐子の息が乱れる都度、零れ落ちそうなほど豊かな胸が揺れていた。ゆっくりと深く、浅いところを掻き出すような動きの変化に合わせて燐子の反応もまた変わってくる。
「ん、ぁぁ……! そこ、くすぐった……。エヌラス、さん……もっと――」
熱く潤ませた目でねだってくる姿には、思わず息が荒くなるほど夢中になって肢体を味わう。
ピアノの鍵盤を爪弾く指先に頬を当てて手の匂いを嗅ぐ。息を吸い込み、手のひらに舌を這わせるとくすぐったさに頬を綻ばせていた。
肉の擦れる音。跳ねる水音が室内に響く。息を乱れさせながら熱く繋がる二人の夜が過ぎていく。強く抱き合いながら腰を動かすエヌラスと燐子は、互いの瞳に映る自分の顔を見ながら、どちらともなく舌を伸ばして口内へもぐりこませる。
身体が火照り、汗ばむ。呼吸が苦しい。息をする度に相手の匂いが肺を満たしてくる。まるで全身を犯されるような粘膜同士の繋がりに、思考が拭い去られていく。
エヌラスも腰を打ちつけて、その度に締めつけてくる膣内の精液を搾り取ろうとする淫靡な震えに必死に射精を堪えていた。一分一秒でも長く、こうして繋がっていたいという肉欲と。少しでも早く怪異を退治しなければならないという焦燥感がせめぎあっている。だが目の前で無防備に寝転がっている極上の肢体に病みつきになりそうだった。
それでも、今夜限り。一回だけの過ち。条件付き。それを解っていて、エヌラスは達しそうになると燐子の身体を弄ぶ。
焦らされる絶頂に何度も軽く達しそうになりながら、未体験の快楽に心身を委ねていた燐子の思考はエヌラスのことでいっぱいだった。もっと、ずっと――叶うなら、一生そばにいたい。
「~~~~っ! あの、まだ……ですか――! わたし、もぅ……だめ、です……! きもちいいの、いっぱいで、もう……あたま、まっしろに、なっちゃ、ぁッ!」
「一回だけって約束だから、ちょっとでも長くこうしていたくて、な! ごめんな、イジワルして。本当は、っ。すぐにでもイキそうなんだが……! 燐子がかわいくて、たまらない。もっとこうして可愛がっていたくなる」
「ん、ッ~~! そんな、こといわないで……くださっ――!」
「本当に、今夜だけっていうのが勿体ないくらいだ」
「――じゃ、あ……エヌラスさん」
「んー?」
息を荒くしながら、燐子が耳元でささやく。
「恋人、同士なら……こうしても、おかしくない……ですよね――わたしと、ずっと……いてくれませんか……そしたら、もっとおなかいっぱいになれます、よ……?」
「……身体目当てで相手を選ぶような事はしたくない。でも、それは本当に魅力的な提案だ」
「じゃあ……あの――、好きに……してください。もっと……めちゃくちゃに、してくれるんですよね……?」
「~~~~!」
これまで我慢していた性欲が、自分の中で湧き上がるのがわかる。そんなエヌラスに意思を汲み取って、燐子と繋がっていた陰茎が一層固くなった。もう、射精を我慢するのも限界に近い。
「燐子――今夜は、これで終わりにするぞ……!」
「ん、ひゃっ……! エヌラス、さ――!」
「そんな、いやらしいことをおねだりしてくるなんて思わなかった。今度は、もっとすごいの教えてやるからな……!」
「は、あ! ん。ぁ! エヌラスさ――激し、ぃ!」
何度も奥まで突き込みながら、根本までせり上がってきていた熱い情欲をありったけ燐子の中で吐き出す。勢いよく中に注ぎ込まれる感覚に、背中を反らしながら射精を受け入れて身体を小刻みに痙攣させていた。
シーツを掴み、身体をよがらせていた燐子だが、やがて糸が切れた人形のように力なく肢体をベッドに投げ出す。快感の余韻に浸っているのか息が荒い。エヌラスが頬に触れて、自分に向き直させると顔を近づけて唇を奪う。それに合わせて、舌を伸ばして絡めてくるが、やはりどこか動きが緩やかだった。
射精が治まってから引き抜こうとするエヌラスに、燐子が小さく静止の声を上げる。
「やっ、あ……! ま、って……くださ……」
「どうした?」
「――あ、の……このまま、抜かなかったら……まだ、一回――だけ、ですから……」
「…………」
「だから、その……――もっと、きもちいいの。おしえて、ください……」
引き抜こうとしていた陰茎が衰えることはなく、再度、燐子の膣を深く突き上げていく。熱く滑る精液と愛液が混じった秘部は先程までよりも滑らかに挿入を受け入れた。溢れ出す混合液がシーツにシミを広げていく。そうでなくても、愛液ですっかり湿っていた。
燐子の身体を抱き寄せて、エヌラスは正面から向かい合う形で抱きかかえる対面座位となり、腰に手を添える。首に手を回して頬を擦り寄せてくる燐子の耳元で呟く。
「一回だけ、って言っただろ……?」
「ぁ、でも……あの……ごめんなさ……!」
「――いやらしいこと言って、ごめんなさい。だろ?」
「~~、い……いやらしいこと、言って……ごめんなさい、エヌラスさん……」
「……いい子過ぎるだろ」
背中を優しく叩き、頭を撫でてから短い間隔で肉壷を何度もかき回す。それから動きを止めて燐子のお尻を撫でて動くように促す。ぎこちなく腰を浮かせて、やがてゆっくりと沈ませていくと腰を動かし始めた。射精したばかりでまだ収まりきらない情欲が再燃する。
「ぁ……また、おっきくなって……!」
「ほら、燐子……がんばれ」
「んっ。はい……きもちよく、しますね……」
慣れない動きではあるが、それでも初々しい頑張りにエヌラスも動きを合わせて腰を動かしていた。やがて腰が抜けたようにへたれると、奥まで一気に突き上げられてしがみついてくる。その中で二度目の射精を受け入れて、今度こそ燐子は完全に脱力しきっていた。
汗ばんだ身体が夜の空気で冷える前に、エヌラスはすぐに秘部から陰茎を引き抜くと大量のティッシュで掃除を始める。まるで赤子のようにされるがままの燐子は、身体を綺麗にされてから二人でひとつの毛布にくるまった。
今は、誰かの温もりに浸っていたい。ぴったりと身体をくっつけると、間もなくして充実感のある眠気に襲われて燐子が寝息を立て始めた。エヌラスもそれを引き剥がせるほど鬼ではない。
外をカーテンの隙間から見れば、時期外れの雪が降り積もり始めていた。明日の朝には銀景色が広がっていることだろう。
一夜限りの異常気象も、明日には終いだ。だが今は、その寒さがありがたい。
こうして腕に抱いた相手の温もりが、より感じられるから。誰かと寄り添うことがこんなにも温かいなんて、久しぶりに思い出せた。それこそ、溺れてしまいそうなほど。
「……ん、…………エヌラス、さん……」
「……おやすみ」
幸せそうに微笑み、抱きついてくる燐子の頬を撫でる。顔にかかる髪を手で除けながら愛でるように。
――こんな風に、恋人と夜を明かしていたあの頃が。ひどく、とおく、懐かしい。
後日。燐子たってのお願いで。
エヌラスは風の神性・イタクァ追撃戦に同行させることになった。
瞬殺する勢いでやるので絶対に面白みなんてものはない、ということを念頭に置いた上で尋ねると「それでもいい」と言ってくれた。
現在、異常気象の中心点となっているのは太平洋沖。最前線の低気圧は未曾有の発達を遂げており、このままでは関東地方から日本全土が大寒波に襲われると予想されていた。
ハンティングホラーに二人で騎乗して遥か上空、雲の上からそれを見れば、まるで竜の巣だ。竜巻にも似た氷嵐の渦の中心にソレは存在している。
白銀の翼竜は、細身の体躯ではあるが遥かに巨大な神性生物だ。その頭頂部に立つのは、冷気を取り込んで力を取り戻した日本妖怪・雪女。エヌラスの顔を見るなり、小馬鹿にしたような笑みを見せていた。
「よし、速攻で消し飛ばす」
「で、でも――」
「“空”ごと落とす。一撃だ。燐子、ハンティングホラーから絶対に離れるなよ」
ハンドルから手を離して、エヌラスが燃料タンクの上に立つ。拳を握ると、その中から淡い光が漏れ出した。温かくて、眩しい光。神々しさすら覚える――事実、それは神の権能の片鱗だ。
聖句を一言呟く。たったそれだけで、力が解放される。
それは、会敵からわずか一分未満の出来事ではあったが――白金燐子は、神話にあるようなお伽噺の出来事を目の当たりにして記憶に焼き付ける。
『誰かと思えば、あの時の小僧ではないか。ふふ、また熱く優しく抱きしめてやるゆえ――ちこうよれ?』
「――
イタクァが頭を持ち上げる。そして、翼を広げて周囲に渦巻く氷塊を叩きつけようとする。だが、既にこの時エヌラスは既に自分自身に設けていた制限を解除していた。
それが、何を意味するか。相手がなにもない海上に君臨していたことが幸いしている。
要するに、全力出してもぶっ壊れるものがないという状況は。
エヌラスという人物には、最高の戦闘条件である。この上ないほどに。
「魔剣“燕返し”――
光速の電磁抜刀、その極限まで高めた反発力によって放たれる居合。一式がそれだ。そこから二式・三式とある。しかし、魔剣。そう、これは超常の抜刀。
倫理も論理もかなぐり捨てた、外道抜刀。殺すためだけに、磨き上げた殺人剣だ。
一撃で頭頂部に立つ雪女の腰から上が消し飛んだ。次いで、返し刃がイタクァの翼を刈り取り三発目が逆側の翼を切り飛ばした。その、切り返しを基点に“展開”される三重の“迅雷”がイタクァを囲い込み――“蒸発”させる。
そして、野太刀を振り上げたエヌラスは太平洋に停滞していた低気圧ごと叩き割った。それはさながら、神の雷槌のように。怒りの審判であった。
「一分一秒でもテメェらと同じ空気なんか吸っていられるかバーカ、消し飛べ」
吐き捨てるようにして、エヌラスはハンティングホラーの後部座席に座り込んでいる燐子に向けて手を伸ばす。
なに一つとして面白みも見所もないような文字通りの瞬殺。全力を出せば、この通りではあるが――振るう力は甚大な被害をもたらす。神話の再演でもあるかのように。
「さっさとここから帰るか。寒いし。だがその前に、燐子」
「――は、はい……!」
「ちょっとだけ、特別に夜空でデートだ。ほら行くぞ」
燐子を引き寄せて、エヌラスはしっかりと抱き抱える。それから、背部の銀の刃を積み重ねたような機械的な翼を広げると夜空を飛び始めた。
――腕に抱えられて眺めた夜景は、幻想的で。まるで自分が日常から切り離されたようで。
満天の星空に、大きな月に照らされて映る青い世界は、見たことがないくらいに綺麗で言葉を失ってしまった。
空気の薄さも苦にならないのは、エヌラスが魔術で防御しているからだとすぐにわかる。
魔術の基礎知識と理論も、今なら少しだけ感覚で掴めた。世界はこんなにも未知で満ち足りている。澄んだ空気も、冷えた指先も、ガスのように漂う魔力の残滓も。
一生の思い出に残る燐光を放っていた。
「――綺麗、ですね」
「そうだな」
「いつも、こんな景色を見ていたんですか?」
「んー、気にかけてる暇ねーからなー。あんまりじっくりと見たことはなかったな」
「ふふ……じゃあ。わたしが、エヌラスさんの初めて……奪っちゃいましたね……」
「そうかもな。寒くないか?」
「はい。大丈夫です……あと……」
「む?」
「……氷川さんと、ちゃんと仲直りしてくださいね」
「あー…………はい。がんばります……」
「はい。……それで、えっと……あの――」
「まだあるのか?」
「ご、ごめんなさい……あの……今夜も、がんばります、から……いいです、か?」
「……“お勉強”熱心だな燐子」
「~~~~」
恥ずかしいのを精一杯我慢して口に出してくれただけ、信頼されているということだろう。
エヌラスは、今夜も白金燐子の期待に応えることにした。
日本の夜は長いのだ。時間はこれから沢山あるし、作っていく。
それでも足りないくらい長い時間を、ともに過ごすのだから。