天衣ドルマスター 作:りりーまるれーん
それに原作12巻発売記念で更新です。
暦的には夏をむかえ、気温もすっかり上がってきて汗ばむような暑さの今日この頃。無事彼女の一門入りを果たし後顧の憂いを絶った俺は、小学校が夏休みに入ったこともあり、このところ彼女の仕上げに邁進していた。
明日の例会日から研修会の入会試験を受けさせるつもりでいる。そのために前もって関西将棋会館に出向いて弟子登録と試験申し込みも済ませた。試験は2回の例会で8対局行い、その棋力に見合ったクラスに編入することになる。来月には彼女も研修生だ。ちなみに澪ちゃんは一足早く先月には入会を決めていた。最下層のF2クラスからスタートしたとのこと。そこで今か今かと彼女を待ち構えているらしい。きっと友達といっしょに通いたいのだろう。
そんな澪ちゃんのためにというわけではないが天衣の指導は順調だった。棋風の染め上げは先月にはひとまず完了した。それにもともと定跡の研究は自ら進んでしていた彼女だ。だからここ一月で俺が施したのは真剣勝負の手管を教え込むことだけだった。
たいそうなことはしていない。新世界の場末の将棋道場で行われる『真剣』の場に彼女を放り込んだだけだ。『真剣』とは、ようは賭け将棋のことだ。そこではハメ手やボヤキ・挑発・空打ちの番外戦術など勝つためのあらゆる手練手管が用いられる。そういった将棋の闇を見せることで焦り、不安、動揺といった、人の負の心理を揺さぶる方法を教えようと思った。将棋を使って人の心を自由自在に操る術を。
そして天衣は俺の期待に予想通り、いや予想以上に応えてくれた。アンダーグラウンドで活躍する『真剣師』たちを相手に対局を繰り返し、ついにはそこに住まう野生の王を、『新世界の女豹』を撃破することに成功したのだ。
修行の成果は完璧なメンタルを手に入れただけではない。無限の創造力と、それを盤上に描くことのできる技術。才能という名の巨大な闇で盤上を覆い尽くし、だれも見知らぬ彼女だけの戦型を現出させてみせた。俺の直感は正しく、彼女は将棋の神に愛された少女だったのだ。
試験前日の今日は軽く指導対局をして調整だけするつもりでいる。そして俺は将棋盤の前で待ち惚けていた。彼女はちょっと用事があるといって少し前に外へ出ていたのだ。それもどうやら帰ってきたらしい。玄関が開くことがして「ただいま」という声が響く。彼女の声だ。
ぱたぱたとこちらに近づく足音。彼女を出迎えるため俺も立ち上がった。まもなくリビングへつながる扉が開いて彼女が顔を出した。すすっとこちらへ歩み寄り背伸びする。そのキス待ち顔に唇を落とした。帰宅時のキス。これもあの姉弟子襲来以来、彼女から求めてきて習慣化したことだった。
このお帰りのキスは彼女が自ら望んだことで、毎日のように繰り返しているというのに未だに慣れないらしい。キスの後には顔を赤らめて俯いていた。実に愛らしい彼女の頭を撫でり撫でりして、艶やかな髪の手触りを楽しんだ。と、そこで「はわわ」という見知らぬ声を聞いた。
声の出所へ視線を移す。彼女が入ってきたリビングへの扉。そこにもう一人、彼女と同じ年頃と思われる少女がいた。ショートヘアの活発そうな女の子。口を両手で押さえ、顔を真っ赤に染めている。見知らぬ女の子だ。天衣は「あ……」と呟くと、彼女のところへとてとてと小走りに寄った。「放置しちゃってごめん」とその女の子に謝っている。
「それはいいんだけど……天ちゃん。今キスしてた?」
やはりさっきの一幕を見られていたらしい。女の子らしい好奇心で彼女を追求している。彼女はそれに取り合わず女の子の紹介を始めた。女の子の名前は水越澪ちゃん。薄々気づいてはいたがやはり彼女のクラスメイトの棋友だった。
そして俺のことも澪ちゃんへ紹介してくれる。自分の将棋の師匠だと。澪ちゃんは俺の名前を聞いて目を丸くしていた。
「くじゅりゅー? もしかしてりゅ、竜王のくじゅりゅー先生ですか!?」
どうやら俺のことを知っていてくれたらしい。そうだと答えれば「ふわぁー!」と興奮して歓声を上げる。まあこの反応も当然だろう。竜王といえば将棋界の最高位だから。多少はね。それから彼女が強くなるはずだとひとり納得していた。このところ学校で対局しても歯が立たなくなっていたらしい。その急成長の理由を俺による指導と踏んだわけだ。
確かに、先に述べた新世界での実戦訓練で彼女は一つのブレークスルーを果たした。このところ二枚落ちの指導対局では俺も彼女に勝ち越せなくなっている。既にその棋力はアマ五段に達しているとみていい。いっぽうF2クラスの澪ちゃんはおそらくアマ二段レベル。彼女と平手では十局に一局勝てればいい方だろう。
とりあえず興奮している澪ちゃんを置いておいて彼女に事情を確認する。彼女はごめんなさいとまず勝手に澪ちゃんを連れてきたことを謝罪した上で説明してくれた。なんでも明日の例会から入会試験だと知った澪ちゃんが壮行試合ならぬ壮行対局をしようと言い出したらしい。
集合場所が関西将棋会館だったこともあり、てっきり会館の道場でやるものだと思っていた彼女だが澪ちゃんは顔を合わせるなり、彼女の家に来てみたいと言い出したらしい。何とか断ろうとした彼女だが結局押し切られてしまい、この状況になったとのこと。
説明を終え改めて謝ってきた彼女だが、まあ別にそのことはいいのだ。それより俺が気にしていたのは、なぜ彼女がただいまのキスをしてきたかということだ。澪ちゃんに見られる可能性があることはわかっていたはずだろう。そんなことも忘れるほどキスしたかった? 基本冷静に物事を考えられる彼女が? どうにも考えづらい。あとはわざと見せつけるつもりだった、という場合だがその場合はなぜそんなことを──という疑問が出てくる。
二人を眺めながら考えを巡らせる。ひとしきり興奮しきって落ち着いた澪ちゃんが、なぜ彼女の家に俺がいるのかという疑問を抱き、彼女が自分は俺の内弟子でここは俺の家なのだと答え、またもや澪ちゃんが大興奮に陥る。そんな様子を横目に、けれど俺の中で答えが出ることはなかった。結局その日は彼女と澪ちゃんを二面指しで指導して終わった。
翌日。その日も彼女の朝フェラで目を覚ました。試験当日くらいそんなことしなくてもいいのにと俺が言えば、これもルーチンだからやらないとかえって調子を崩すと、俺のミルクを飲んだ口で今度は牛のミルクを飲みながら彼女はそう答える。精飲をルーチンにしている棋士などJSに限らなくても彼女だけだろう。彼女はなんでもないことのように言ったが、俺はその内容の淫靡さにくらくらしてしまった。
服装、身だしなみを整え、彼女とともに関西将棋会館へ入った。研修会の例会会場となる五階の対局室へまっすぐ向かう。入室してみるとそこには40名ほどの研修会員が集まっていた。そのほとんどが小中学生で高校生や20代はちらほら。
知ってる顔は澪ちゃんだけか……と思ったら、部屋の隅に立っていた桂香さんがひらひらと手を振ってくれた。桂香さんは昨年のマイナビで好成績を収め女流棋士となっている。本来ならこの場にいるはずもなく、純粋に応援というか様子見に来てくれたのだろう。
桂香さんを見て思い至ったが、仮に姉弟子が春から三段リーグに上がっていなかったら今日この場に指導対局相手として居た可能性があった。この間の邂逅からして万が一対局することがあれば本気で彼女のことを潰しにかかっただろうから、昇段してくれていて本当に良かった。いずれその時が来るだろう事は覚悟しておかないといけないが。
そんなことを考えていると、ほどなく研修会幹事の久留野義経七段が現れ、出欠を取り始めた。そして最後に入会試験受験者──天衣のことを紹介した。末席に正座した彼女を皆が振り返る。それを彼女はツンと顎を上げた睥睨している。初めて来たどアウェーの場所だというのに超強気だ。久留野さんが彼女の師匠として俺の名を告げたところでザワッと研修会員の間に動揺が広がった。「ドラゴンキングの弟子!?」とざわついている。タイトルホルダーの弟子ということで強敵認定されたのだろう。
そしてほどなく彼女の試験が始まり──圧倒的な蹂躙劇を披露して4連勝を遂げた。
初戦の相手はF2ランクの小学生男子。久留野さんが相手を指名したとき彼女は一番下のクラスの相手と対局しなければいけないことに不満を覚えているようだった。同じくF2ランクに澪ちゃんがいたから口に出さなかったのだろうが。
この男の子を彼女は『後手番角頭歩』という驚きの序盤戦術で瞬殺し、初っ端からその才能の次元が違うことを見せつけた。そして第二局では女流志望のC2ランクの相手を香落ちというハンデをもらった上ではあるが、老獪な指し回しで封殺。第三局でこの関西研修会の有望株と言われていた同じくC2ランクの年上小学生男子を平手で粉砕。年下のそれも女子に完敗したのがショックだったのだろう。相手は泣きながら部屋を出て行ってしまった。
そして本日最後、第四局は久留野さん自身が彼女の対面に座った。自ら彼女の棋力を計らんとして。そして──彼が大駒二枚落とすのを見て俺は先に結果を悟った。対局はその通り、彼女が序盤で勝負を決して、そこから一歩も譲ることなく。久留野さんも結果が変わらないことを悟って中盤には投了した。
二回目の例会を待たず彼女は文句なしの合格。D1クラスからの編入となった。実力的にはC1クラスからでもいいのではないかと思ったが、それが久留野さんの判断。彼女と平手で指さねばならない同ランクの子たちはしばらくの間ご愁傷様だ。
久留野先生からは、「さすが竜王。とんでもない弟子を連れてくるね」と苦笑いされてしまった。確かに棋力だけ見れば、研修会どころか直接奨励会への入会を目指せるレベルだからな。
彼女の対局を見届けた桂香さんが引き攣った顔をして、彼女が1年早く生まれてなくてよかったと呟いていたのが印象的だった。確かに桂香さんがまだ研修会員だったころに彼女が入会していたら。あるいは去年のマイナビに参加していたら桂香さんの運命にも狂いがあったかもしれない。
あまりの強さに天衣を遠巻きにするばかりだった研修会員たちも、澪ちゃんが彼女に寄って感想戦を始めたところでわいわい集りだした。もう誰も彼女と話すことに躊躇していないし、彼女も自然にみんなを受け入れていた。将棋にはそんな力がある。
なにはともあれこれで彼女は研修会員となった。棋士としての道を歩み出したのだった。