天衣ドルマスター 作:りりーまるれーん
お気に入り1,100件突破もありがとうございます。
「……ふいー」
やっぱり大きなお風呂はいいねぇ。日本の心だねぇ。開店直後の貸し切り状態の銭湯に浸かりながらそんなふうに現実から目を逸らしていた。ここは清滝師匠の家から歩いてすぐの場所にある古い銭湯。男湯には俺しかいない。
今日、俺たちは彼女の小学生名人獲得と奨励会入会の遅ればせながらの報告に師匠の家を訪れた。少々間は開いてしまっていたが、春先からイベント参加や指導対局が続いた師匠の都合がつくところがここしかなかったのだ。
もちろんメールや電話なんかで速報や祝福は交わしていたものの、やはりいつの時代になっても顔を合わせてというのは大事だと思う。師匠も孫弟子の活躍を心から喜んでくれて、記念にじゃないが彼女と練習対局までしていた。
彼女もとっておきの構想を披露して。師匠はその独創的な指し回しと、それが確かな大局観に基づくものであることを見抜き、感心しきりだった。才気煥発な若手をたくさん抱えて清滝一門は安泰だと、呵々と笑っていたものだ。
そこまではよかったのだ。そこまでは。
問題はそこにひょっこり姉弟子が現れたことだった。どうやら女王位を防衛を果たしたことの報告にきたらしかった。二期連続で四段昇格を逃した鬱憤か、あるいははたまた別の理由からか、姉弟子は女王戦挑戦者のクイーン山城桜花──供御飯さんを虐殺に次ぐ虐殺でストレート防衛を果たしていた。
すっかり油断していたよね。そりゃ姉弟子だって師匠の都合をはかっていただろうし、こうしてタイミングが被ることは予想されたことだ。むしろ師匠の予定を管理している桂香さんが気を利かせて敢えてこうした可能性もある。桂香さんは二人の確執を知らないのだから。
あのとき以来、関西将棋連盟会館でのニアミスは何度かあれども、こうして彼女と姉弟子がしっかり居合わせたのはこれが初めてだった。どうなることやらと思ったのだが……めっちゃ空気悪いの。案の定。
桂香さん特製お好み焼きで一門みんな昼食をともにしたのだが。姉弟子は俺と彼女を代わる代わる睨み付けていたし、彼女は彼女で笑顔を浮かべてはいたが終始無言で、決して姉弟子と目を合わせようとはしなかった。
そんな空気を感じ取っていたのだろう。食後、みんなで銭湯に行こうと桂香さんが提案した。女同士裸の付き合いで親睦を深めようというのだろう。正直、そんなことでどうにかなるとは思えない、むしろ悪化するイメージしかなかったが、内弟子時代から散々世話になった桂香さんには俺も姉弟子も逆らえない。俺や姉弟子が内弟子時代によく連れてきてもらった銭湯へ、用事があった師匠を除く全員で行くことになった。
そして今に至るわけだが、銭湯到着直後から早速一悶着あった。俺に続いて男湯の暖簾を潜ろうとした彼女を姉弟子が見咎めたのだ。
「ちょっとあんた。そっちは男湯でしょ」
何が問題なのかと心底不思議そうな彼女が、俺と一緒に風呂に入るのはいつものことだからと答えるが、それは姉弟子を激高させるだけ。その場は桂香さんが「初めて来たときは、八一君も私といっしょに女湯に入ったし」ととりなしてくれて事なきを得たが、彼女も姉弟子もより不穏な空気を纏ったような気もする。
この後の波乱を予感させる、実に胃に悪い幕開けだった。結局、彼女は桂香さんや姉弟子といっしょに女湯に入ることで落ち着き、俺は一人男湯に浸かっている。そうしていると彼女たちも浴室に入ってきたのか話し声が聞こえてきた。
『天衣ちゃんどうしたの? 家のお風呂と違うからシャワーの使い方とかが分からない?』
どうやら洗い場で彼女が固まっていたらしい。桂香さんが声をかけている。それに対して。
『えっと……家でもいつも八一先生に洗ってもらっていたので使い方がそもそも……』
おうふ。暴露される俺たちの私生活、というか俺の悪行。
『……あはは。まだ小学生だもんね。それくらい普通だよね』
一瞬の沈黙の後、桂香さんのフォロー。それは誰かに当ててというよりも自分に言い聞かせているようでもあった。
『……ハッ! お子さまね』
衝撃だったのか姉弟子の悪態もどこかキレがない。彼女に『七歳ですので』とあっさり返されて言葉に詰まっていた。やがてシャワーの音が聞こえ出す。どうやら桂香さんが彼女を洗っているらしい。
『わー。天衣ちゃんの髪の毛本当に綺麗ねー』
『……そうですか? きっと八一先生がいつも丁寧に洗ってくれているおかげですね』
『…………あはは。あいつめ。でもほんと綺麗。綺麗な子は銀子ちゃんで見慣れてたつもりだけど天衣ちゃんはそれともちょっと違う……小学生の子にこう表現するのが正しいのか分からないけど、なんか色っぽいっていうか』
まあ色事は散々仕込んでますからな。桂香さんの言うことはよく分かる。特に彼女が自分からあれこれを受け入れるようになってから、ときにはっとするほど艶っぽい雰囲気を放つようになった。小学生にあるまじき。それを桂香さんも感じ取ったのだろう。
『ふんっ。とんだ色ガキね』
俺たちの不適切な関係を知っている姉弟子はそう罵倒する。彼女の色気がどこから来るものか理解しているが故の嫌みだろう。それに対して天衣は『色ガキ……?』ととぼけてみせる。それがまた忌々しいのだろう。姉弟子が歯がみする音が聞こえてくるようだ。ただ一人実態を知らない桂香さんだけが、姉弟子を大人げないとたしなめていた。
『空先生こそお綺麗ですね。髪も肌も真っ白で
『……ちっ』
褒めているはずなのにどこかあげつらうような響き。姉弟子もそう感じているのだろう。盛大な舌打ちが聞こえてくる。
『ほんと二人ともうらやましい。おばちゃんもうついていけないわー』
『おばちゃんなんて。桂香さんこそ、抜群のプロポーションじゃないですか。私たちじゃ、いつまで経ってもとても敵いそうにないです』
『そう♪ ありがと♪』
『ちょっと。勝手に私まであんたと同じグループに入れないでよ』
『え?』
『おいこら。なんで普通に驚いた、今?』
『え。だって将来性を考えたらより危機にいるのは──』
『ぶちころすぞわれ?』
『まあまあ、銀子ちゃん。そんなに気にしなくても二人ともまだまだこれから成長するわよ』
『だから私は気にしてなんて──』
『そうでしょうか? 桂香さんはなにしてそんなにスタイル良くなったんですか?』
『そうねぇ』
『桂香さんはいろいろ経験豊富そうです。だからなんでしょうか?』
『ふふ。まあ人並み以上にはモテると思うし、それなりに経験もあるけどね』
『やっぱり。男の人に触られるとその……大きくなるって言いますよね』
『言うわね』
『じゃあ空先生は…………』
『おいこら。なんでそこで憐れみの目で私を見る?』
『ふふふ。まあきっとそれはただの迷信よ』
『そうなんですか。ちょっと残念です』
『残念?』
『ふんっ。……色ガキが』
俺は微妙な会話の連続に、いつことが桂香さんに露見しやしないかとはらはらし通しで、せっかくの銭湯だというのに心安まらない。完全に自業自得だが。とにかく早く時間よ過ぎ去れ、と願うしかなかった。こんなに心安まらない銭湯も初めてだったかもしれない。
◇◇◇
二人はこちらに手を振ると、その手を繋いで去って行った。彼らを背を最後まで見送ってから傍らの妹分に向き直る。
「もう銀子ちゃんったら。ずっとあんな態度とって。大人げないわよ」
「…………」
銀子ちゃんはむすっとした様子のまま、こちらを見ようともしない。あらら。これは本当に重症ね。
「そりゃあ、八一君の側に女の子が住むようになって面白くないのは分かるけどね」
「八一なんて関係ない」
はいはい。関係ない関係ない。
「相手はまだ小学生なんだから。そんな目くじら立てなくても」
「ただの小学生相手なら気にしてない」
やっぱり気にしてるんじゃない。素直じゃないのか逆に素直なのか。
「ただのって……将棋の実力のこと? 確かに棋力が尋常じゃないのは分かるし、銀子ちゃん並の出世スピードだけど」
「それもだけど、そういうことじゃなくて」
「将棋のことじゃない?」
「…………よくないでしょ。男女が一つ屋根の下だなんて。何か間違いがあるかもしれないし」
「いやいや。だから相手は小学生よ? そりゃ確かに小学生とは思えないくらい色気のある子だったけど……いくら何でもないでしょ」
いくらあいつがヤりたい盛りの年頃だからって、小学生に手を出すなんていくら何でも、ねぇ?
「普通の小学生女子はフェラチオなんて言葉しらないでしょ」
「え? 銀子ちゃん、今なんて? あ、ちょっと!?」
銀子ちゃんは何事か呟くと、私が呼び止めるのにも構わず、そのまま行ってしまった。銀子ちゃんの真意は分からなかったけれど随分とあいつたちのことを深刻に受け止めているのは分かった。さすがに銀子ちゃんの考えすぎだと思うんだけど──
ほ、ほんとに大丈夫なのよね?