天衣ドルマスター 作:りりーまるれーん
なので八一には初戦は見るなと伝えています。存在を知らせないために。
ただあいちゃんの棋力が予想外だっただけで…
東京からの帰路。新幹線の中はとても気まずい時間だった。彼女は一言も発すことはなく、ただ無表情でまんじりとしていた。とてもではないが俺から声をかけられる様子ではない。仕方なくスマホで将棋関連のニュースを浚っていた。
マイナビ一斉予選の結果発表。それに絡んで雛鶴さんの情報も出てきた。大会関係者からリークがあったのか、どうやら耳の早い記者が名人に凸したらしい。ついさっきのことなのに爆速だ。ことが名人がらみとあっては無理もないが。
雛鶴あい。2011年10月7日生まれの8歳。日本一の名旅館とも言われる石川県和倉温泉の旅館『ひな鶴』を営む経営者夫妻の一人娘。ずいぶんなお嬢様だ。
5歳の時に『ひな鶴』で執り行われた竜王戦最終局を目の当たりにし、自らも将棋の道を志すようになる。将棋好きだった祖父の残した棋書をもとに詰将棋やネット将棋から取り組み始めた少女はけれど、わずか三ヶ月ほどで『将棋図巧』まで解いてしまい勉強に行き詰まってしまう。
これはちょっと信じられないエピソードだ。記者の盛りすぎじゃないのと思ってしまう。『図巧』はそれほど超難解な詰将棋集だ。プロ棋士ですら解くのに数ヶ月要するほどの。雛鶴さんが本格的に将棋にのめり込むまでにどの程度将棋の素養を持っていたのか分からないのでなんとも言えないが、いずれにしても本当に小学校にも入る前の時期に解いてしまったのだとしたら、それは明らかに異常な才能だ。
独学での修行に行き詰まった雛鶴さんは、家族から将棋の道へ進むことを反対されていたこともあり、外へ師匠を求め家を飛び出すことを考え始める。そして小学校入学直前、少女は将棋の神様の元へと飛び込んだ、と。
ひとまず俺たちとのあれこれが載ってなくて一安心。それにしても未就学児が親元の反対を振り切って飛び出すってのもすごいな。かなり押しが強い性格なのだろう。それは先の邂逅でも感じていた。まあ女の将棋指しはそんなのばっかりだけどね。彼女のことはおいといて。
幼女の突撃訪問を受けて初めは困惑していた名人は、けれどその熱意に押されてひとまず雛鶴さんの将棋をみてみることにしたらしい。そしてたちまちその才能を見抜いた名人。もともと女性棋士の台頭を期待していた彼は手元で預かることに決めたとのことだ。
もとは雛鶴さんが将棋の道へ進むことに反対していた両親も、名人が直々に足を運んで説得したことで、名人がそこまで期待をかけてくださるのであればと応じたらしい。さすが名人、将棋界以外からも信用が半端ない。仮にこれが俺だったらそう簡単にはいかなかっただろう。
なにはともあれこれで雛鶴さんは晴れて親からも認められもろもろの準備をして、小学一年生の夏休みから転校して内弟子生活をスタートさせた。負けん気が強いながらも素直な性格で名人の二人の娘に続く年の離れた末妹のような扱いでうまくやっているらしい。
弟子入りから今日まで、研修会や棋士間の研修会には出さず名人からの指導のみを受けていたらしい。大会の参加もマイナビが初とのこと。たしかにそうであればこれまで雛鶴さんの情報が外に漏れ出てこなかったのもわかる。文字通りの秘蔵っ子というわけだ。
そして弟子入りから約二年。ひとまず形になったということでどれか大会に出してみようと考えていたところ本人からマイナビに出たいという強い希望があり、今回のことになったとのこと。
記者からはチャレンジマッチと一斉予選でだいぶ将棋の内容に差があるがという鋭い質問も飛んだが、本人は初参加のチャレンジマッチでは緊張して実力を出し切れていなかったとさらっと躱していた。その真偽についてはお察しだが。
それから雛鶴さんの今後の方針についても触れられていた。名人によると雛鶴さんは奨励会ではなく、当面は女流棋士として活動させる方針とのこと。棋力向上や研究は自分でも面倒をみることができるので、将来的にはプロへの転向も考えるがまずは表舞台での実戦経験を積ませたいとのことだった。
将棋の神による手厚いサポート、なんとも贅沢な……。記事は彗星の如く現れた将棋界のシンデレラの活躍が今後待ち望まれると結ばれていた。
しかしこれは女流棋界は荒れるな。名人は雛鶴さんのマイナビにおける目標を女流資格が得られる本戦で1勝としているが謙遜が過ぎて逆に嫌みだ。彼女や祭神を破った手筋を見るに奨励会初段から二段程度の実力はある。おそらく月夜見坂さんや供御飯さんでは止められまい。
将棋に絶対はないとはいえ、ほぼ確実に女王戦の挑戦者は雛鶴さんになるだろう。さすがに姉弟子にはまだ及ばないとは思うが。逆に言えば、姉弟子が持つ女王と女流玉座以外はすぐにでもこのJS棋士にまとめて簒奪されかねないということだ。女流棋士たちとしては頼むから奨励会へ行ってくれというところだろう。
そんなことを考えているとやがて新幹線は新大阪のホームへと滑り込んだ。
アパートへ着くやいなや彼女はぱたぱたと寝室のほうへ消えていった。やはりまだ顔を合わせては居づらいらしい。俺の方でもなんと言葉をかけていいのか分からず。ひとまず冷蔵庫から飲み物でも出して落ち着くことにした。ダイニングの椅子に座って物思いに沈む。
どれくらいそうしていただろうか。不意に聞こえてきた彼女の怒声とも悲鳴ともつかぬ絶叫。そして何かが堅いものが壁に叩きつけられる音。慌てて寝室へと向かった。そこには息を荒げて肩を上下させる彼女と壁際にぽとりと落ちた液晶のひび割れたスマートフォンが。
ひとまず最悪の事態になっていたわけではなかったことにほっとした俺はそっと彼女の肩を抱いた。ものに当たるのはよくないなと諭す。もちろん彼女は分かっているのだろうけれど。彼女は唇を引き結んだままぼろぼろと涙をこぼしていた。
ここまで感情を露わにする彼女は初めて見た。両親や祖父を亡くした時にどうだったのかは知らないが少なくとも俺の手元に来てからはそうだ。誇り高い彼女は怒りは見せても、涙をみせることはなかった。
それだけ雛鶴さんへの敗北がこたえたということだろう。もちろん奨励会の例会で幾度と負けは経験している。けれど同性のそれも同年代への敗北は初めてだ。そのことにより自分への自信が揺らいでしまっている。
けれど俺は一切心配していなかった。彼女の才能が雛鶴さんに劣るとはまったく考えていない。もちろん根拠はある。普段の奨励会で、そして今回の大会でも、彼女にはある制限を設けている。
彼女の最大の武器である天衣無縫な序盤戦術の数々、そのすべての封印だ。彼女には三段リーグに入るまで既存の定跡形以外の採用を一切禁じている。どころか、相手が打診してきた戦型には基本応じるように言っていた。
もちろん彼女が生み出した革新的とも言える序盤戦術は俺との練習将棋や鏡洲さん、創多との研究会では存分に磨かせている。けれど例会では一度も使わせていない。それは三段リーグ突破の武器として秘匿しているということもあるが、それ以上に終盤の斬り合いを鍛えるためでもある。なぜなら彼女が序盤戦術を持ち出すと奨励会の級位者や低段者相手では斬り合い以前に将棋が終わってしまうからだ。それだけの威力がある。
そして彼女は武器を封じた状態で見事奨励会入品を果たした。正直俺の期待を遙かに上回るペースだ。早ければ来年にも三段リーグ入りする可能性がある。となれば三段リーグ入りしても1年くらいは封印を続け、自力をつけるのに当ててもいいかもしれない。それでも十分小学生のうちのプロ入りを目指せるはずだ。
話は逸れたが、彼女が全力を振るえる状況であれば、早々に将棋を終わらせる、あるいは序盤のうちに追いつけなくなるのほどの大差をつけるということは可能だっただろう。雛鶴あいという伏兵を見逃した俺のミスだ。そう彼女には伝えた。けれど彼女は肯んじない。俯いたまま握った拳を震わせている。
中盤だろうが終盤だろうが負けてはならない。その気持ちは分からなくはない。理想を高く持って己を磨き続けることは重要だろう。だが彼我を客観視して勝つための戦略を講じることも同じく重要だ。すべての才能で相手を上回れるなんてのは傲慢な考えだ。
彼女が序盤戦術の天才であるのと同様、雛鶴あいは終盤力は間違いなく鬼才なのだから。
それでも彼女は頑なだった。こうなっては俺も溜息をつくしかない。けれど彼女がぽつぽつと漏らした言葉に本音が漏れていた。
「どんなヤツ相手でも……今日だけは…………負けちゃダメだったのに。それを……よりにもよって……」
その言葉に俺は胸を衝かれていた。彼女が本当に憤っていたのは自分の才能の有無なんかじゃない。
ふと気になって打ち捨てられたままの彼女のスマートフォンを拾い上げた。彼女が感情を爆発させた原因は何だったのか。液晶の割れたスマートフォンはけれど問題なく動作した。パスコードを打ち込んでロックを解除する。そこに表示されたのはWebニュースのある記事。
『名人と竜王の弟子による代理戦争勃発か!? 竜王戦の前哨戦は名人側に軍配』
本文には名人が竜王戦の挑決まで駒を進めていること。そして仮に挑戦者が名人となった場合、それは名人にとってタイトル100期と残る一つの永世位をかけた大勝負となることが記されていた。けれど俺はその見出しだけですべて理解していた。
仮に彼女が一斉予選を突破していれば、初めて表舞台に出てきたニューヒロインの登場を師匠である俺の名前とともにメディアは報じていたことだろう。それは俺の名声を高める一助となり、まもなく始まる竜王戦に向けて俺の背を押すことになっていたはずだ。それを俺への誕生日プレゼントとしてくれるつもりだったのだろう。
けれど現実はまるで逆。世間の名人への期待を煽り、その偉業達成を望ませる結果となった。彼女は俺の誕生日にプレゼントどころか俺の足を引っ張ることをしてしまったと悔いているのだ。いつものお嬢様然とした姿を保てなくなるほど。
そう思うと俺は彼女のことが愛おしくて堪らなかった。同時に何とかしてその涙を拭ってやりたかった。けれどどんな慰めの言葉をかけても彼女が自分を許すことはないだろう。だから俺は一計を案じることにした。
原因が誕生日のプレゼントに関することならば、俺から別のものを所望すればいいのだ。
「天衣、俺欲しいものがあるんだけど」
切り出した俺に彼女は嗚咽を止めて、涙に濡れた瞳で見上げてくる。
そう。もともと今日彼女から貰おうと思っていたものがあるのだ。今こそ望みを果たすとき。
収穫祭だ。
次回、クズ竜ムーブ