「ハハハハハ…ハッ!」
次に目を覚ましたのは自室のベッドの上だった。飛び起きたせいで、思い切り転げ落ちてしまったが、何とか怪我は免れたようだ。が、ベッドから落ちた衝撃による痛みは半端ではなかった。その痛みで目を覚ました蓮は、おぼつかない足取りで冷蔵庫の前までくると、中から水の入ったペットボトルを取り出し、一気に飲み干す。
寝坊とも早起きとも言えない微妙な時間。予め貰っていた制服に着替えると、ベッドに腰を掛け、しばらくクロスワードパズルに勤しむ。それも飽きてきたころに、パズルの本を放り出すと代わりにカバンを拾い上げ、肩にかける。そして、自室の扉を開ける。すると、蓮の視界に赤髪で青い瞳の女の子が飛び込んでくる。
「うわぁっ」
一瞬目が合うと、その女の子は驚いてそのまま仰向けに、ドシンと大きな音をたてて倒れた。
「いててぇ…あ、あれ、誰…?」
倒れた赤髪の女の子は蓮をまじまじと見つめながら、首を傾げる。すると、どこからともなく現れた幼い少女が、倒れている彼女を飛び越え、逃走する。
「あ、こら待てー!」
逃亡した少女を見かけるや否や、さっきまで倒れていたのが嘘かのようにさっと立ち上がり、ブラシ片手に追跡する。そして、逃亡していた少女はロビーにあったソファに飛び込むと、頭を両手で庇いながら縮こまる。と、そこに追手である赤髪の女の子が飛び掛かり、馬乗り状態になった。
「こら!じっとしてなさい!」
「あ~、そんなに強くしたららめぇ!」
「らめぇって言うな!」
蓮は完全に蚊帳の外だった。彼はしばらく二人のキャットファイトを眺めた後、これではらちが明かないと自ら二人の前に歩み出る。そして、すっと手を伸ばし、顔に笑顔を貼り付ける。
「雨宮 蓮だ、よろしく」
馬乗りになっていた赤髪の少女と目が合う。
「あっ…もしかして転校生って君のこと?」
静かに頷く。すると、差し出された手に気が付いた彼女はあたふたと慌ててブラシを置き、素早く手を握る。
「ごめん…えーと雨宮 蓮?…へぇ、蓮くんか。私は周防 天音(すおう あまね)、よろしくね蓮くん!」
たゆんと揺れる豊満な彼女の胸に、蓮の視線は釘づけだった。杏の何倍だろうか…ここまで揺れるのを見たのは初めてだ。と、彼は息を呑む。
さっきまで天音に取り押さえられていた少女は、恥ずかしさからか、天音の後ろに隠れる。
「ほーら、“マキナ”。あんたも自己紹介しなさい」
天音がそう勧めるも、『マキナ』と呼ばれる少女は背後でブツブツと独り言を言うだけだった。そこで、蓮は再び手を差し出し、さっきのように笑顔を貼り付ける。
「マキナ…ちゃんかな?雨宮 蓮だ、これから仲良くしてくれ」
彼の“魅力”のお陰か、独り言を止めてそっと顔を出す。
「う…ど、どぅも…」
自己紹介はしたものの、声は小さい。彼の魅力を以ってしても、打ち解けるにはしばらく時間がかかりそうだと蓮はハァとため息をつく。
「他に何か話すことないの?」
天音がマキナに問いかける。しばらく「うー」と唸りながら考え込んでいたマキナは、やっとの思いで質問を絞り出す。
「好きな動物は…何ですか?」
「そう来たか」と蓮はメジャーかつ突拍子もない質問に拍子抜けするが、少しの間視線を宙に泳がせて考える。そして彼の中で出た最適解を、マキナに告げる。
「“猫”…かな?」
「そうなんだ…」
ふむふむ、と天音。更に彼女は付け加える。
「蓮くん猫好きそうな顔してるもんね。ていうか、猫に似てるかも…!」
「…それは“誉め言葉”として受け取っておく」
蓮は軽い“悪口”にハァとため息をつきつつ、二人に別れを告げる。そして一人教室へとあしを運ぶ。
教室の前まで来ると、何やら中から人の声が聞こえる。それも女の声だ。聞いた限りでは、誰かと話しているわけでも歌っているわけでもないことが分かる。けれど、聞こえてくるセリフは明らかに誰かに向けて発せられている…一体誰に?と、蓮は不安を募らせるも、自慢の“度胸”で教室の中を覗いてみた。
中には…金髪の少女が一人。単語帳を開きながら、発声練習をしているように見えた。
「あ~…“あたしの言うことが聞けないっての!?”…今のは良かった!」
謎のセリフを連発しては、自らそれを褒めたたえている。連はますます不安を募らせる。が、害のあるものではないと判断し、意を決して教室の中に足を踏み入れる。入ってすぐは、彼女も気が付いていなかったが、蓮が机にぶつかった音に気が付くと、その青い瞳で彼を捉える。
「う、うわえええあああ…」
連に驚いた彼女は机を押しのけて強引に後ずさる。
「ど、どなた…じゃなくて、誰よ、あんた!」
威勢がいいのか悪いのかパッとしない彼女を前に、蓮は眼鏡を中指で押し上げると自己紹介をする。
「雨宮 蓮だ。聞いてると思うけど、転入してきた。よろしく」
蓮は落ち着かない彼女に歩み寄ると、不思議そうな顔で尋ねる。
「演劇か何かの練習か?…それなら邪魔してすまない」
「え、演劇じゃないわよ!それに謝らないでよ、何だか私が悪いみたいじゃない…!」
すると、彼女はくるっと振り返って何やらぶつぶつと独り言を言う。しばらくそうやっていると、また蓮の方に向き直ってぎこちない様子で自己紹介をした。
「わ、私は松嶋 みちる(まつしま みちる)。このクラスで“委員長的なこと”をしてるわ!」
「は…?」
思わず声が漏れる。率直な疑問は蓮の脳内フィルターを華麗に通過し、そのまま言葉として飛び出た。
「『は…?』って何よ!なんか文句でもあんの!」
「いや、クラス委員的なって何だ的って…意味あるのか?」
「ちょ、ちょおおっと!それ以上言ったら承知しないわよ!」
(めんどくさそう…)と、蓮の防衛本能“的”な機能が働き、追及するのを止める。
「まあ、なんだ。とにかくよろしく、“みちる”」
「な、名前?」
「なんだ、気に入らないのか?」
「べ、別に!本当は“様”ってつけて敬わなきゃいけないのよ!」
「そうだったのか…失礼しました、“陛下”」
「よそよそしすぎるっ!…はぁ、あんたは特別に名前で呼んでもいいわ」
みちるは蓮の融通の利かなさにやれやれとため息を漏らす。「あんたもうちょっと柔軟になりなさいよね」と蓮に指摘する。彼はさっぱり訳が分かっていなかったが、何となく頷いておいた。
すると、教室の引き戸をガラガラと開ける音。どうやら、マキナ、天音、幸の三人が教室に来たようだ。三人はそれぞれ軽い挨拶と共に教室に入ってくる。そこで、みちるの姿を認めた幸が微笑む。
「おはようございます、“みちる様”」
「おわぁあああっ!ちょ、ちょっとー!」
みちるが顔を真っ赤にして、幸の元へ飛んで行く。そして、小声で幸に耳打ちする。
「い、今は“様”をつけなくていーから」
幸はそんなみちるの恥ずかしさなど露知らず、にっこりとほほ笑むと声のボリュームを変えずに話す。
「では、おはようございます“みちる”」
「や、やっぱ“様”つけて!」
そのやり取りを傍で見ていた蓮は、頭をボリボリと掻く。一方で、天音はクスクスと笑いを堪え、マキナだけ状況が理解できていないようだった。