考えれば考えるほど、沼の深みにハマっていくような気がした。蓮はベッドから起き上がり部屋着に着替え、水道の蛇口をひねる。そして怪我をしていない左手で顔に水をかける。再び蛇口をひねって水を止め、おもむろに鏡に映った自分を眺める。まったく、まるでナルシストみたいじゃないかと、鏡の前から早々に引き揚げる。
――ちょっと散歩でもしよう。そう思い、蓮はドアを開け、寮の廊下に出る。すると、廊下で何やら幸がキョロキョロと辺りの様子を伺っているのに気が付く。
「幸、どうしたんだ?」
蓮がそう尋ねると、幸はこちらに気が付いたのか、足早に駆けよって来る。
「あ、雨宮さん。手先は器用なほうですか?」
唐突な質問に、蓮の頭上には疑問符が浮上する。が、質問にはすぐ答える。
「ああ、器用さには自信がある」
潜入道具の制作で鍛えた彼の“超魔術”とも言える“器用さ”を持っていることを、彼は自覚している。そして、並大抵ではない自身も持ち合わせていた。
「良かった!実は部屋のパソコンの調子がおかしくって…」
「任せろ」
蓮を連れた幸は、自分の部屋へと招き入れる。度々女性の部屋に訪れてきた蓮だが、幸の部屋の清潔さには驚かされる。が、それと共に彼は“些細な”違和感を覚える。――なんだか女の子物が少ない。というか、あまり部屋に個性というか“色”が感じられなかった。蓮は少々言葉にできない気味悪さを感じるが、今はパソコンの修理が先決だ。と、邪念を振り切る。
「このパソコンなのですが…」
幸の示す先には、テーブルの上に置かれたラップトップのパソコン。画面はしっかり映っているようだけど…。
「なぜか“ウイルスに感染しました”という警告が出るのです」
蓮はそれに心当たりがあることに、とても情けないと思った。彼自身もそれに何日悩まされたことか…というのはただの思い出。今はとにかく、彼女のパソコンから“邪魔な物”を取り除かなければ。
「よし、これでいいはずだ」
キーボードでカタカタと文字を打っていた蓮は画面から顔を上げると、後ろで心配そうに様子を伺っていた幸に微笑みかける。そして、幸がいかがわしいサイトを覗いていなかったことに一安心する。
「ありがとうございます!」
「礼はいいよ。また何か困ったことがあったら言って…」
「――あ、あの!」
颯爽と立ち去ろうとする蓮を、幸が引き留める。
「何か…何かお礼をさせていただけませんか?」
彼にとって、これは昼間の幸への無礼の“贖罪”でもあった。だから、何かしてもらうなどということは正直、また彼女に借りを作ってしまうのではと思っていた。
「いいよ、お礼に値することなんて…」
「いえ、それでもさせて下さい!…何でもいいので、何か要望があれば」
一体どうすれば断れるんだ…。と蓮は頭を抱える。そして、無理難題なお願いをすれば彼女も引き下がってくれるだろうと考えた。後に、彼自身それは安直な考えだったと後悔することも知らずに…。
蓮はニヤリと笑みを浮かべると、冗談半分に最近女性に会っていないから欲求不満である旨を伝える。頬を赤らめ、目を見開く幸を後に「やっぱりなんでもない。おやすみ」と言って部屋を去ろうとする。が、またもや幸の一声が彼を引き留める。
「い、いいですよ!」
「…え?」
しばらく膠着状態に入る。蓮は幸が何を言っているのか理解できない。一方で幸は、蓮の反応を待って何も喋らない。
「いいって…何が?」
「だから…その…私が雨宮さんのお相手になります」
これは大変なことを言ってしまったと、何も言わずにそそくさと立ち去ろうとする蓮の腕を、幸が引っ張る。蓮は思わず「わっ」と腑抜けた声を出してしまう。無理しなくていいと幸に言うと、彼女は無理はしてないと一歩も引かなかった。驚くことに、彼女の瞳は固い決意の色に満ちている。そんな奇想天外な状況でも、蓮は彼女の“異常性”に薄々気が付いていた。…頼まれたことに異様なほどに執着する彼女の姿勢。しかしそれとは相反するように、彼女の目に多少だが恐怖の色が滲む。
―― 一体何を恐れているんだ?
蓮の直感が、彼を断ってはいけないと諭す。そして、彼もまたその直感を信じる。
「分かった…それじゃあお願いするよ」
「かしこまりました…」
彼女のメイド設定は、このような場合でも一切乱れない。今、彼女のよそよそしさが何だか生々しく感じられる。普通の男子高校生なら飛んで喜ぶ状況だが、蓮はこの場に漂う拭いきれない違和感と彼女の異常性に一抹の恐怖を感じる。
――普通じゃない。
彼は背筋を冷たいものが通り抜ける感覚を覚える。そんな蓮を横目に、幸は淡々とメイド服を脱ぐ。そしてすべてが地面に脱ぎ捨てられた後、彼女のすべすべとした肌が顔を見せる。まだ膨らみきっていない発達途上な胸。それらすべてが、蓮の視線を釘づけにするのに十分だった。が、蓮の視線は未だに幸の目を捉えていた。
「本当に…いいんだな?」
「は、はい…それでは“お口”で…」
蓮は再び確認を取る。幸はそれに辛うじて頷くと、今度は膝立ちになり、蓮の股に顔を近づける。局部に急接近された蓮は思わず後ずさりしそうになるが、堪える。
「それでは…失礼します」
拍動を直に感じる。まるで心臓が頭の中にあるみたいだ。と、蓮は呼吸を荒げながら、下の様子を伺う。もはや、彼に自制心という歯止めは利かない。ただあるのは、一抹の不安とこれからの展開に向けられた好奇心、そして忘れかけていた“屋根裏のゴミ”という人格だけだった。