「な、何も飲まなくてもいいのに…」
幸は未知の味に顔をしかめる。しばらく口の中のソレとの闘いを繰り広げた後、ごくんと勢いよく飲み込んだ。ぷはっと息を吐いた幸は、涙目で連に微笑みかける。
「ティッシュの節約です」
ティッシュくらい使えばいいのに。と、冷静になった蓮は再び幸の顔をまじまじと見つめる。それに気が付いた幸は、頬を赤くして顔を逸らす。
「そ、その。今日のことは皆さんには秘密に…」
蓮はこくりと頷く。もちろんだ。こんな痴態が知れ渡れば、“不純異性交遊”とかなんとかそう言う名目で停学、最悪の場合“退学処分”もあり得るのだ。既に、例の傷害事件で彼は一年過ごした学校を退学している。無論暴行事件の容疑者など学校に置いておけるはずもない。彼もそれは分かっていた。地元での自分に貼られたレッテルは最悪。いくらあの事件が“冤罪”だったとは言え、人々の意見はコロコロと変わらない。
「もちろん。当たり前だ」
「良かった…それじゃあ、おやすみなさい、雨宮さん」
ズボンのチャックを上げると、未だに裸の幸に向き直る。まだ何かあるのかと不思議そうな顔の幸に近づく。
「すまない、しばらくその唇借りるよ」
そう言って片手を幸の顎に添えると、ぐいと顔を近づけ、唇を重ねる。その一瞬、部屋の時間が完全に停止したように思えた。彼女は目を閉じ、受け入れる。一切拒否反応を示さない彼女を弄ぶように、蓮は唇を深く絡ませる。一瞬だが、長い。一日よりも遥かに長く感じられるその時間は、やがて終わりを告げる。離れた唇が糸を引いて、互いのそれを名残惜しむ。
「な、なんのつもりですか…?」
蓮はにやりと笑みを浮かべる。月の明かりが窓から差し込み、不気味に彼の顔を照らし出す。片側は月に照らされ、穏やかな表情の蓮。もう一方は…影を帯び、不気味に口角を吊り上げた“悪魔”の不敵な笑み。果たして、彼女は“雨宮 蓮”に惹かれたのか、“悪魔”の誘惑に踊らされているのか。それは彼女にも、当人にも分からない。ただ、幸が蓮に対して特殊な感情を抱き始めていたのは間違いなかった。
「秘密を共有する“親友”への挨拶だよ。ただそれだけ」
それだけ言うと蓮は部屋を後にする。残ったのは…複雑な感情に溺れる幸と、男女の残り香だけだった。
部屋を出た蓮はあることに気が付く。それまで一切感じ取れなかったが、外に出たことではっきりと分かる。彼はそのまま自室へは戻らずに下駄箱に向かうと、靴に履き替え寮を出る。夜間の外出禁止令は特にないので、外に出ると校舎を目指して歩き始める。
校舎の扉をピッキングし堂々と中に入る。そしてひたすら階段を上がり、屋上の扉を開けて外に出る。そこは校舎の屋上。普通だったら施錠されて夜は出ることができないが、パレスでのピッキング経験を活かして扉の鍵を開錠した。
蓮は屋上の手すりの傍まで寄ると、両手をポケットに突っ込み、空を仰ぎ見る。一面黒が広がる中に、雲がうっすらと浮かぶ。その中に他の何とも混ざらない異色を放つ…自分の色を持った“月”が浮かんでいる。
「月って…まるで“人”みたいだ」
突如、独り言を始める。その顔は先ほど幸に見せた“悪魔”の表情にそっくりだった。
「見せるのはいつも同じ面。裏側は絶対に見せない…誰にも。いつも光が当たるのは表の顔だけ」
「…でも裏側は見たくない、きっと知ったら“後悔”するから」
彼は振り返る。
――「そう思わないか?