春夏秋冬、その様々な季節の中でも立香が好きなのは春。そして春から夏にかけて訪れる梅雨の季節だった。
雨と言う人が生きていく上で欠かせないものに何故か心を惹かれる立香だが、それを自覚してからまだ日は浅かった。
「お帰りなさい、先輩。虞美人さんも……あれ?」
シミュレータを終え、立香を出迎えてくれたのは我らが後輩、マシュ・キリエライト。そんな彼女の素っ頓狂な声が管制室に響く。驚いたのはマシュだけでなく、周りの職員も同様で、皆同じ一点を見つめる。その視線の先には…
「…ほら、ヒナ先輩。やっぱり皆びっくりしてるじゃないですか。だからもう少し丁寧にって言ったのに…。」
「五月蝿いわね、どうしようと私の勝手でしょ。大体なんであそこで様子見なのよ、もう少し早く終わる選択をしなさいよね。」
「囲まれたのは確かに俺のミスですけど、敵三体を相手するのに強行突破する必要ありました?そこまで強くなかったですし、各個撃破もいけましたよ、あれ。」
「早く帰りたかった以外にある?あんなの一々相手なんてしてられないわよ。態々シミュレータに付き合ったって言うのに。」
そんな、痴話喧嘩の様な会話が響く。誰と誰の会話なのかは、最早言わずもがな。…彼女の方はいつ振りか、また背丈が縮んでる様で。
「えっと…兎に角お帰りなさい、お二人とも。お疲れ様です。今日はこれで予定が終わりと聞きましたので、ゆっくり休んでくださいね。」
「有難う、マシュ。悪いけどそうさせて貰うよ。また食堂にでも顔出すからさ。」
「はいっ、お待ちしてます!虞美人さんも、どうかごゆっくり。」
「ありがと、マシュ。…そんな心配そうな目で見なくても平気よ。…またね。」
小さい子を相手する様に、膝に手を当てて目線を落としていたマシュ。それに対してあっさりとしつつも、立香にはあまり見せない優しい態度で答える虞美人。軽く微笑みつつ、そのまますたすたと管制室を後にする。…背丈が小さい分、いつもより歩数が多めで。
「ああ、もう…!それじゃまたね、マシュ。」
立香もそう告げては彼女の後を追って管制室を後にする。そんな立香の背を小さく手を振りながらマシュは見送って居た。
部屋に戻るなり、立香のベッドはいの一番に虞美人に占領される。とは言っても、今の小さな体では半分も埋まってないのだが。
「…そう言えば先輩、聖杯戦争の後もサーヴァントを使い魔として現界させ続ける魔術師も居るらしいんですけど、どう思います?」
ベッドに腰掛けた立香が思い付きでそう述べてから、部屋に静寂が流れる。然し数十秒後、立香のベッドで横になったままの虞美人は気怠そうに答えて。
「何よ急に。そんなのソイツの勝手じゃない。……お前の事だから、私にもそうさせたいって言うんでしょ。魔術師どころか魔術使いですら無い癖に。」
「そ、んなこと…無いと言ったら嘘になりますけど。…やっぱりほら、そう言うのって互いの同意が必要だと思いますし、先輩はどう思うのかなーって思って。」
起き上がってはぺたん、と座り直す虞美人。慣れた手付きで三つ編みを解いては髪を下ろして。
「嫌よ、面倒だし。」
「はは…ですよね。」
帰ってきた即答の返事に枯れた笑顔で応えることしか出来ない立香。そんな立香を横目に、虞美人はひとつ咳払いをしては。
「でも…そうね、でもお前が相応の対価をくれると言うのなら付き合ってあげなくも無いわ。…ま、初めから期待してないけど。」
手で髪を梳かして整えつつ、虞美人は答える。再び帰ってきた返答は、前向きとは言えないかもしれないが、立香にとっては思ったよりまともな答えだったのか、少し嬉しそうになり。
「…じゃ、全部が終わったらお願いしちゃおうかな、俺。」
立香がそう呟いた直後、彼女がピクリと反応する。立香の方を向きいてはキッ、と目を合わせて。
「言っとくけど、私がお前の使い魔なんじゃなくて、お前が私の眷属になるのよ。その辺、キッチリしておきなさい。間違えたら許さないんだから。」
「…思ったより大分ノリノリですね、先輩。」
そこまでしてからはっ、と我に帰る虞美人。再び視線を落として態とらしく髪を整え始めて。
「全部お前の所為よ、この魔力すっからかんの駄マスター。」
「俺が素人なのは認めますけど……嗚呼、魔力といえば。夜のって、ちょっとは足しになってますか?」
カルデアのデータベースにひっそりと載ってた、性行為による魔力供給。血や汗といった体液による魔力供給に似た物であり、決して効率が良いとは言えない物の事で。本来はパスを繋ぐだけで簡潔にできる為不要とされているが、それを繋ぐために使用されることもあるとか。
無論、カルデアにおいては電力による供給が賄われている為に、今現在これらは必要ないのだが。
「はぁ?身体を重ねてるだけでしょ。魔力関係ないじゃない、あんなの。お前がしたいって言うから私は…」
「え…?俺、確かに見たんですけど。本来の魔力供給はパスで繋げるものだけれど、こう言う方法もある、って。」
「……魔力を感じなかったと言えば嘘になるけれど、それ本気?私を抱きたいだけの口実じゃないわよね?」
「誰かに聞けばバレるような嘘はつきませんよ。…本当に知らなかったんです?」
「…どのみち、私はマナを吸収出来るんだから必要ないのよ、魔力供給なんて。」
外方を向いてはふん、と鼻を鳴らしながら誤魔化す虞美人。この様子ではどうやら本当に知らなかったようで。
「…じゃあこれまでのは単にシてただけって事ですね。なんか、その方が興奮はしますけど。」
「何よ、悪い?お前みたいな餓鬼にはぴったりでしょ。」
立香の腕を抓りつつ、開き直って小さな声で呟いた虞美人は、その手を離すと再びベッドで仰向けになって
「夢見てないで、今お前に出来る事を頑張りなさい。その努力と成果くらいは見ててあげるから。」
「……なら頑張るよ、俺。先輩が見ててくれるなら尚更。」
思わず降りかかった彼女からの優しい言葉に数秒戸惑う立香。だが直ぐに笑顔で彼女の方へと向き直り、真っ直ぐに答えて。
「生意気言って。…横になるから邪魔しないでよね。」
「もうですか?…分かりました。じゃあもう少し外に居ますから。おやすみなさい、先輩。」
時刻は20時。横になった虞美人を少し見つめてはそのまま部屋を後にする立香。何故だか擽ったい空気が流れてるような気がして、思わず部屋を飛び出したと言うようで。
「…全部終わってから、か。私はただ、項羽様に……」
彼女の小さな言の葉は、暗い部屋に溶け込んで。
「俺が先輩に出来ること、か…。」
部屋の外の立香の呟きもまた、静寂な廊下へと消えていき、その足は空腹を紛らわそうと同時に、頭の中を巡る考えを誤魔化そうと食堂へと向かった。
*
部屋に戻った立香を出迎えたのは、虞美人の小さな寝息。立香からして見慣れた光景とも言えるそれは、今でも全く緊張しない訳ではなく。
彼女に背を向け、同じベッドに横になる。起こさない様、静かに忍び入って。
だがそれも、基本的に失敗に終わる。
「ん……戻ったのね、立香。」
寝ぼけ眼で目を擦りながら虞美人が呟く。対する立香もドギマギしつつ答えて。
「…はい、ただいま、ヒナ先輩。」
「丁度良かったわ、そこ座りなさい。」
「…今からですか?」
「そうよ、早く。」
時刻は日付が変わってほんの少し頃。急かされた立香はそのまま起き上がってベッドに腰掛けて。
「…ん、良い子ね。じっとしてなさい。」
座り込んだ立香に、後ろから右首筋へと吸い付く虞美人。前からの時と言い、彼女自身が首を右に捻る癖があるらしく、立香の左右の首筋の跡は対照的になっており。
「…んく、」
身体中が熱く火照る。その熱が首から外へ流れ出てる様な感覚。背中には何時もより小さめな双丘の感覚が確かに当たっており、それもまた身体を加熱させて。
(後ろは後ろで嫌いじゃないけど、前からの方があったかくて好きだな…)
既に暖かいを超えて熱い体のまま考えていた立香。思考まで麻痺しているらしい。虞美人はその日の気分で前後を変える為、立香の気持ちなどお構いなしなのでどうしようもないのだが。
静寂が時を加速させ、時間があっという間に経って行く。少量ずつとはいえ、やはり血を抜いた後は少し気怠げになる立香。彼女が牙を抜くと同時にベッドに横になって。
「…身体が熱い。」
「勝手に火照って発情してるのはお前でしょ。」
「発情って……、今はそんな元気ないです、俺。」
「見ればわかるわよ。…明日も私に捧げる為に早く休みなさい。」
「まるでパワハラ上司ですね。…おやすみなさい、ヒナ先輩。」
「ええ、おやすみ。……立香。」
数分もしないうちに寝息を立てる立香。そんな様子を口端から垂れる血を拭いつつ横で眺める虞美人。見下す瞳は、何を思うのか。
*
翌朝、立香が目を覚ますと彼女の姿はそこにはなかった。前からこうして朝から姿が見えない日はあったが、実のところ数は少なくとても珍しい。
しかして立香のする事は変わらない。いつも通りに支度をして朝食を摂りに行こうと部屋を出ようとした矢先。
「あら、起きてたの。丁度良かったわ、少し付き合いなさい。」
「…えっ?急に何を…」
扉が開き、普段と同じ背丈の虞美人が居た。問い掛けるよりも先に手を引かれ、されるがままについて行く立香。彼女の揺れる三つ編みの行き先は一体どこなのやら。
「そこ、座って。少し待ってなさい。」
「良いですけど、いきなり食堂で何を…?」
「朝食、まだでしょ。持ってくるから黙って食べなさい。」
そう告げては調理場へと消える彼女。展開についていけない立香は頭上に疑問符を浮かべるばかり。
だがそうも言ってられず、目の前に虞美人の運んできた料理が出される。
「早く食べる。そして感想。」
「えっと…じゃあお言葉に甘えて。いただきます。」
目の前に出されたのはコンソメ風スープにご飯と酢豚と言われる料理。更には胡麻団子まである。
あれ?これってもしかして、と立香の頭に一つの思考が過ぎるが、それは後。今はただ目の前の料理を平らげる事に集中し。…にしても朝からこれは少しキツイ気がするが。
「…この味付け、俺は好きですよ。とても美味しいです。他の英霊にも負けてないんじゃないですか?」
「……そう、分かったわ。」
「で、なんで急にこんなの作ったんです?」
と、ここで先ほどからの疑問を質問にして投げかける。これを作ったのは誰かという事。鋭いメスを入れるべく、思い切ってカマを掛けてみたが。
「そんなの決まってるでしょ、項羽様への捧げ……なんで分かったのよ。」
どうやら良くあるパターンの一つらしい。見事に引っ掛かった虞美人はじとっとした目で立香を見つめ続けて。
「初めて食べる味付けでしたし、ヒナ先輩の頬に何か拭った跡があったからですよ、流石に分かりやすいです。」
「……ふん。何よ、探偵気取りしちゃって。いいからさっさと食べなさい。お前には試作品で十分だわ、光栄に思いなさい。」
「有難う御座います。…じゃ、遠慮なく。」
ツンとした表情のまま、立香に告げる虞美人。だが何処か不安が残ってるのか、度々立香の顔色を伺いながら。
量にやや苦戦しつつもなんとか平らげた立香は、対面に座る彼女の様子を見て。
「…量はあれでしたけど、美味しかったですよ、ヒナ先輩。…先輩?」
「え…ああ、そう。分かったわ。」
「ぼーっとしてましたね。不安ですか?」
「…お前には分からない、気持ちの問題だからな。」
乙女と言うか、可愛らしいと言うか。この人の本質の一つを見た気がするような立香。彼女を励まそうと笑顔で続けて。
「大丈夫ですって。俺が保証しますから。頼りないかもしれませんけれど、カルデアでも有数の美味さでしたから!」
「…そこまで言うなら、信じてやろうじゃない。…その、ありがと。」
彼女の告げた小さな感謝の言葉と、確かに咲いた小さな一輪の花。まともに受け取ったのは初めてかも知れない立香に、それは大きすぎるもので。
「……俺、洗い物しときますから。ヒナ先輩、先に戻ってて下さい。それじゃ。」
「あっ…おい!」
食器類を纏めてシンクへ持っていく立香。彼女の様子を伺う余裕もないほどに、その心は高揚しているらしく。カルデアでは数日間、耳まで真っ赤になったまま皿洗いをすると言うマスターの謎の姿が噂となり続けた。
*
その夜。何となく顔を合わせ辛かった立香は何かと理由をつけて部屋に戻らず、あれ以降虞美人とも顔を合わせてなかった。彼女の小さな笑顔がフラッシュバックする度に、何故だか気分が高揚する。夜迦をしてる時ですら、こんなにも想った事はなかったのに。
「………覚悟決めるか。」
意を決して部屋へ踏み出す立香。
「…ただいま、先輩。」
「…ふん、遅かったわね。この私を随分と待たせるだなんて、偉くなったわね。」
部屋では虞美人が不機嫌そうに横になっていた。然し立香はバツが悪そうに答える事しか出来ずに。
「う……、それは、その…。…そんな事より、明日レイシフト入ったんで、お願いしますね。」
「…何よ、また働かせる気?…全く、仕方ないわね。…で、良い加減目くらい合わせたら?」
立香の方をじっと見つめつつ、告げる虞美人。指摘された立香は恐る恐る虞美人の方に目を向けるが。
「…何よ、一人で勝手に動揺しちゃって。私何かしたかしら。」
それについては口が裂けても言えない立香。我ながら下らない事だと分かっている。今更彼女の微笑みにやられるだなんて。
「…とにかく、確かに言いましたから、俺。明日お願いしますね。」
「今夜は無しなのかしら。」
「血なら明日にして下さい。…時間増やして良いですから。」
虞美人が横になるベッドに同じく身体を横にする立香。彼女に背を向けつつ、小さな声で答え続けて。
「ふぅん…絶対じゃないとは言え、これはこれで勘に触るわ。明日、覚えときなさいよ。」
「うっ…簡単に言うんじゃなかったな…。…おやすみなさい、ヒナ先輩。」
「…ふんっ。…おやすみ、」
同じく背を向けて横になる虞美人。もう何日も続くこの日常に、立香は彼女に割り当てられた部屋の事を考えつつ、眠りについた。
*
『ゴメン!こっちのミスで帰還用プログラムの構築が遅れてるみたい!もう安全だとは思うけど、一応気をつけて近くで待機してて!』
予定されていた任務を終えた立香へ舞い込んできた、通信越しのダヴィンチちゃんの声。
新宿の様な現代日本に近い地域へのレイシフトに少し心が弾んで居た立香は、二つ返事で了承し、ホテルと思わしき建物の中へと身を潜めることにした。窓から夜景の見える部屋の中、部屋にあったソファにふたり腰掛けて。
「ヒナ先輩は、雨って嫌いですか?」
「嫌いじゃないわよ。人間が出歩く数も減るし、静かな雨音は好きだもの。」
「へぇ…同じだ。俺も雨音は好きです。読書とか捗りますよね。」
「…なんか癪ね。」
「子供の頃、雨の日の学校とか好きだったんです。通学は大変でしたけど。…教室とか体育館から見る雨が、大好きで。」
「何よそれ、私が知らない事ばかり。」
そんな二人の会話は、激しい雨の音と美しい夜景に呑まれる。遠くから聞こえる雷鳴は、窓を打ち付ける雨音と共に気分を高揚させて。
「それにしても、ちょっと強いですね、雨。これじゃ外にも出られそうにないや。」
「身を潜めるのにはうってつけでしょ。疲れたし、もう戦闘したくないから有難いくらいよ。」
「はは…確かに。俺も今回は疲れちゃいました。…はしゃぎ過ぎたのかも。」
雨音と言う名の静寂が二人を包む。時折鳴る雷の音は、二人の間に程良い緊張感を流して。
「…貴女が、」
そう言いかけて言葉を詰まらせる立香。堪らず虞美人も小さく問い掛け返して。
「……何よ。」
「…貴女が、項羽…さんの理解者なら、貴女の理解者は何処に居るのかな、って。」
躊躇いを捨て、思い切って呟く立香。雨音に高揚させられ、口が滑ったかの様に。
「…、要らないわよ、そんなの。理解される事が良い事とは限らないし。そもそも居る訳ないでしょ、私に。」
数秒、息を飲んでから答えた虞美人。それは、永き時を経ても想いを貫き通した、とても彼女らしい返答だった。
「ほんの少し、貴女の事を知って、勝手に得意気になって。結局自己嫌悪にまで陥って。それでも、俺の想いは何も変わらなくて。…俺、馬鹿ですね。」
「今更かしら。私からしたら良い迷惑なんだけれど。ヒトの癖にグイグイ来て。変な事ばかり囁いて。好き放題してくれちゃって。…それに付き合う私も、ホントバカね。」
溜息混じりに、彼女から言葉が出てくる。どれも正しく、所謂正論と言うやつだった。
「…だから、もっと貴女の事を知りたいって、そう思ったんです。…項羽…さんには負けるかもしれないけれど、貴女の事をもっと知りたい、と。」
「項羽様に勝てる訳ないでしょ、お前程度が。」
「まあ…そうですけど。それでも、諦めきれないって言うか…。」
冷淡な口調で返された言葉に、みっともなくとも縋り付く立香。然し虞美人も呆れた様に。
「……今更隠し事も何もないんだし。これだけ一緒に過ごしてたら少しは分かるでしょ。私がどう言う"モノ"なのか。お前とは違うんだと。」
「…でも惚れちゃったんだから仕方ないじゃないですか。大体今まで無かったんですか?こう言う迫られる的な…。」
「人間なんて、私の事を知れば皆離れていったわよ。近寄ってきたのは私を"知ろう"とした哀れな奴ばかり。…最後は勝手に朽ち果てる癖に。」
「…見る目ないって言うか、何て言うか。こんな美人で面倒見も良くて根っこは優しい人、早々居ないと思うんだけどな、俺…。」
「うっさい、適当な事並べるな。それにそれはお前の観点でしょ。普通は恐るのよ。」
「それに、スタイルも良」
彼女の両手がそれ以上言わせまいと、立香の両頬を捕らえる。言葉を発せられなくなった立香は大人しくする事で解放してもらい。
「…とにかく、貴女が項羽の理解者なら、俺は貴女の理解者になりたいんです。…、なってみせますから。」
「馬鹿ね、お前も。…もう包み隠す必要もないし、そもそも全部知られてるし。…好きになさい。」
思わず頬が緩む立香とは対照的に、虞美人は関心を他所に窓から夜景を眺め続ける。雨は激しさを増す一方だ。
「…ひとつ、約束したいんです。」
「……録でもない事なら却下よ。」
「まさか。…いつか、先輩と花を見に行きたいなって。」
まだ終わらない旅の途中。それでも、一歩ずつ未来へ進む立香にとって、小さな未来への約束は生きる糧と言っても過言でなく。
「花?そんなのいつでも見られるでしょ。現にこうしてレイシフトでもしたら…、」
「そうじゃなくて。全部終わったら、本物の花を。」
「全部終わったらって…それこそ私が残り続ける理由なんてないのよ。そもそも花って何よ。」
一息飲む立香。
「桜と、雛芥子です。」
「…茶化してるの?」
「本気ですよ。綺麗な青空と花はとっても綺麗に写るんですから。」
「だからって、よりにもよってソレ?」
「だからこそですよ。貴女の名を冠した花が、こんなにも美しいんだって、知って欲しいからです。」
真っ直ぐな瞳で吐露する立香。あまりにも真っ直ぐな瞳に、虞美人も思わず
「…はいはい、覚えてたらね。」
興味を他所に移したような、素っ気ない返事だが、確かにそう答えてくれた。
それと同時に、彼女の手はその"興味"の対象である立香の首筋へと伸びて。
「…ヒナ先輩、今じゃないとダメですか?」
「こっちは昨日からおあずけなのよ、少しは配慮しなさい。」
「だからって、今じゃなくても…。」
「いいから、はやく。」
上着の上の方だけ解放し、首筋を露わにする立香。虞美人に狙いを定められたがその寸前。強引に唇を塞いで舌を絡めて。
「んぅ……ッ、」
小さな吐息が溢れる。それでも執拗に彼女の舌を逃すまいと絡め続けた。軈て唇が自然に離れては息を整えつつ虞美人が問い掛けて。
「ッ……、急になによ。」
「…料金みたいなものです。俺だっておあずけしてるんですから、これくらいは貰わないと。」
「……隠れる建物なんて沢山あるのに、態々"こんなとこ"選んだ時点で魂胆が見え透いてるのよ、馬鹿。」
「うぐ…それを言われると弱いと言うか…。」
「…ふん、変態。」
そうして再び狙いを定められ、虞美人の牙は立香の首筋へと立てられる。身体が熱くなる事を承知で受け入れた立香はぎゅっと彼女を抱き返しつつ堪えて。
暗い雨の夜は、興奮を加速させる一方だった。
*
「…ただいま。」
そうして、何とか無事にマイルームへと戻った立香たちだったが、立香はそのまま倒れ込む様にしてベッドへ横になる。
「…疲れた。」
「だらしないわね…もう少しシャキッとしたらどうなの。アメリカ大陸横断云々が聞いて呆れるわ。」
「別ベクトルで体力使ったんですから無理ですよ…。あんな暗いところで…興奮だってしますよ。」
「だからってお前は3回も…このバカ。いつ敵に見つかるかも分からない状況で…」
そんな立香の横に腰掛けて呆れ口調で淡々と述べる虞美人。
「それもスリルと言うか、背徳感と言うか…そんな奴ですよ。…ってか、ヒナ先輩だって拒否しなかった癖に…。」
枕に顔を埋めながら立香は呟く。彼に流されてしまったと言う事実に抗えない虞美人は口を悪くして誤魔化すように呟く。
「煩い、…休みたいなら早く休みなさい。明日もあるんでしょ。」
「…むぐ、そうします。」
少し顔を上げて呟く立香。左手で自らの隣をぽんぽん、と複数回軽く叩き、察しろと言わんばかりに彼女を呼んで。
「……いつでも言う事聞くと思ったら大間違いよ、分かってる?」
「勿論ですよ。ありがと、ヒナ先輩。…あの、夢の、様な事は、もう二度と……」
渋々と立香の隣で横になる虞美人。
そんな彼女の腕にに甘え縋る様に捕まり、抱きついたまま寝息を立て始める立香。
「…鬱陶しいわね。」
左腕を立香に抱かれ、身動きが取れない状態で放った虞美人の一言。然し彼女がそれを振り解く事はなく。普段は決して見せない様な穏やかな表情で立香を見つめて。
「……愚かで、馬鹿で、お人好しで、それで…優しいんだから、お前は。」
彼の頬をそっとひと撫でしては、先日の会話を思い出す虞美人。サーヴァントは夢を見ないのに、その夢は紐付けられた者が見る。
遠に忘れたと思っていた記憶を呼び覚まされる。
醜く憎い過去の記憶。それでもかのマスターはそれ受け入れ、あろう事か自分の為に涙を流した。
ヒトをヒトと一括りするのを初めて躊躇った。彼と過ごす内に変わって行く自分に、初めは恐怖した。それでも今は受け入れられている。
嗚呼、人間もまだ捨てたものじゃないのだ、と。そう思った。
その日の彼女の意識は、そこで途切れた。
*
「…で、なんでまた今日も。」
「ダヴィンチちゃん曰く、"再調査"とのことですから。」
昨日と同じ、闇夜の中の曇天の大都市に二人は居た。尤も、虞美人の方はかなり不満気だが。
「なんでまた私なのよ…面倒だってのに。」
「…って言いつつ、付いて来てくれるヒナ先輩が俺は好きですよ。」
ゲシッ、と一蹴。当てられた背中を摩る立香。昨晩と同じソファに腰かけたまま、時は流れる。
「…無駄なサイクルを過ごして、嫌にならないの?」
「ヒナ先輩と一緒なら、なんだって。」
呆れた様子で、外を眺める虞美人。軈て振り続けていた大雨は上がり、街は静寂に包まれる。
「ほら、帰るわよ。雨も上がったし、これなら合流地点に行けるでしょ。」
「そうですね、また降り出さないうちに帰らないと。」
窓から外の様子を確認し、建物の外に出る。先ほどまで居た部屋が建物の高い位置にあった為、エネミーに見つからないように気を張り詰めながら階段を下る。
「あまり気配がしませんね、これなら心配ないかも。」
「…昨日も言ったけど、よくこんな状況で欲情出来るわね、この変態。」
「だからそれは……、まあ良いや。事実だし。」
「万年欲情するだなんて、どうなってるのかしらね、お前は。」
「いつも言ってますけど、ヒナ先輩だからですって。」
その返答を聞いては、呆れた様子で建物を後にしスタスタと先を進む虞美人。立香も慌ててその後を追い掛ける。
「離れたら危ないですよ。…特に俺が。」
「少しは危ない目に遭うと良いわ、良いお灸になるわよ。」
「嫌ですよ。ヒナ先輩に少しでも多く、少しでも近くに居たいんですから。」
「…言葉も出ないわ、お前相手に魅了の魔術を行使した覚えはないのだけれど。」
横に並び、ポイントへと向かう二人。立香がそっとと虞美人の手を握ると、彼女も抵抗せず手を繋ぐ。
抵抗する気すら起きないのか、不快ではないから繋いだままなのか、それは彼女にしか分からない。
「そんなものなくても、ゾッコンですし。」
「よく言えるわね、そんな台詞。」
「愛には忠実ですから、俺。」
ドヤ顔で答える立香を他所に、虞美人は真っ直ぐも前を向いたまま、微かに微笑んで。
「そこまで言うなら信じてあげるわ。私を裏切ったら高く付くから、覚えておきなさい。」
「…はい、覚えておきますね。」
繋いだ手をギュッと握り、言葉を返す立香。それを聞いた虞美人は何処か満足気な表情になって。
そうして合流ポイントに到着するなり、繋いだ手を管制室の人々(主にダヴィンチちゃん)に揶揄われたりしたが、何故だか虞美人は終始穏やかな表情だったらしく。
「…真っ直ぐなところ、嫌いじゃないもの。…直接言うと調子乗りそうだから言わないけれど。」
閲覧有難う御座います、時間を開けすぎて皆様に忘れ去られた悠穹です。
社会人生活、舐めてました。趣味の時間がないです。特に自分は接客業なので流行りの感染症も関係なく連日働いております。寧ろ客足が増えております。
感染症と言えば、ここ最近また数が増えており、怯える日々が続きますが皆様はどうお過ごしでしょうか?何卒お体に気をつけて、ご自愛くださいね。
今後も作品投稿は(ペースが落ちるのは目に見えてますが)続けたいと思ってます。
感想等、励みになりますのでお気軽に。
お返事も極力返していこうと思いますので、また宜しく御願いします。