(震え)
初秋とはいえ、朝と夜はそろそろ冷え込む時期だ。
ちゅんちゅんと、周囲の森林から聞こえてくる小鳥の鳴き声と朝日で目が覚めた。
僕は京香が隣にいるのを確認してしまう。
さっき変な夢を見たせいだろう。
まだ冷え込んでいるせいだろう。僕は布団の中に再度潜り込み、ぼーっと僕の体温で温まった布団と京香の温もりを感じる。
すると、いつものように頭で勝手に考えごとを始めてしまう。
たまたま部屋に置いていた花井さんのギターが目に入った。
思わず花井さんが喋っていた、音楽とエピソードの話を思い出してしまう。
――音楽は結局エピソードなのだと。
『音の良し悪しなんざ、本当に理解できるやつなんていないのさ』、という花井さんの考え。
じゃあ本当に、音楽とはエピソード抜きに話せるものなのか?
――例えば、
例えば僕がクラシックが好きだったとして、昔の知らない作家の知らない曲を聞いたとして、その曲のメッセージを受け取ることができるのだろうか。
その純粋な音階の羅列、音という空気の振動を介して僕は本当にそのメッセージを受け取ることができるのか?
もしその曲が賛美歌だったらどうだ?
その作曲者の主張する神への愛、それは本当に理解できるのだろうか?無神教の僕は見抜けるのか?
さらにその作曲家に付き合わされて歌っている人が実は上手くてお金をもらっているから歌っている、みたいな人で信仰心がない人だったら、僕は本当に見抜けるのか?
いや、これは僕じゃなくてもいいのかもしれないけれども。
――僕には自信がない。
だからこそ、花井さんの言っていたことを思い出してしまう。
「結局はエピソードなのさ」
そのニヒルに笑い、音楽に対しての幻想が壊れ、絶望した花井さんを思い出す。
結局、僕にとって最初で最後だった花井さんのライブで聞いた『ぐらぐら』。
あの歌詞に、全ては幻想、まやかしに騙されてしまう、という意味合いの歌詞がある。
僕はあの歌詞の意味を『本当に受け取っている』のだろうか?
音楽というのは、演奏者と聴衆の二人がいて成立するのは明らかだが、聴衆は常に演奏者の意図を理解できるとは限らない。
これは音楽に対する花井さんの絶望の曲なのだろうか。
ただ、香坂さんや同じバンドメンバーの人はまた違う答えを出すのかもしれない。
そして僕の解釈は、僕の誤解なのかもしれない。
花井さんの意図が僕に上手く伝わらなかったのかもしれない。
メッセージ性はあっても誤解するものなのかもしれない。
――わからない。
僕にとってはあのライブは特別なものだ。
学校を辞める、なんてことは想像もしていなかったし、それだけのことをさせるエネルギーをあのライブ、ステージからは感じたんだ。
歌詞は実際は僕はライブで受け取っていたのかも衝撃のあまりわかっていないのかもしれないし、誤解しているのかもしれないが、実際にバンドの音色、演奏、ステージング、花井さんの特徴的な歌い方を含めて僕は衝撃を受けたのではないか?
――あのステージ、いまでも思い出すだけで鳥肌が立つ。
あのステージを思い出そうとするたびに、僕は気持ちがぐらぐらと揺れ動き、僕の中での冷静な議論を許さない。
いつも感情が熱くなってしまう。
あのライブと同様に僕にとっては花井さんは大切な人だった。
何より、この熱狂とエネルギー溢れる業界に引きずり込まれるきっかけを作ってくれた。
花井さんは何を見たんだろう。
そんなことを考えずに、プテラノドンの人たちみたいに勝手に絶望しやがって!許さないからな!って言っている方が健全なのだろう。
冷静に考えようとするが、煮沸されるかのように感情が興奮してくる。
――ああ、やっぱり僕はこの話題に関しては冷静に話せないんだなぁ……。
そう実感する。
そうこうして、思考の海にぐるぐると渦巻きながら浸っていると、その渦巻きは気づいたら止まっており、僕は気づいたら再度の眠りに落ちていた。