TSウサミミ女子は今日も愛される 作:らいじゅう
ウサギ獣人として生きてく中で、最初に後悔したのはきっとあの日だと思う。お母さんに前世の国について聞いた事だ。獣人なんてのが当たり前にいる世界。元いた世界の訳がない事は知っていたけれど、それでも向こうには両親がいて兄弟がいた。友人だっていた。好きな物が沢山あった。だから帰れなくても、何か一つでも分からないかと━━━━おいらはお母さんにそれを尋ねた。記憶の片隅にある向こうの世界の話。
そうして返ってきたのがあの目だった。
呆れたような、蔑むような。
暖かさのないそれ。
『何言ってるの、夢は寝てる時だけになさい』
切り捨てられるように吐かれた言葉に、それまで僅かにでも感じていた愛情は感じなかった。
そしてその時になってようやく気づいたのだ。おいらがそれまでどういう風に見られていたのか。前世の記憶から知らずのうちに行動や言動に滲み出ていたそれが、両親や他の家族にどう思われていたのか。おいらはその時になってようやく気づいた。
おいらだけがこの家族の中で異質なやつで、おいらだけがその平穏を乱してた邪魔なやつだったのだと。
それに気づいてからおいらはそれまで以上に言葉を選んだ。行動だって気を付けた。細心の注意を重ねた。
けれど、結局は変わらなかった。どれだけ気を付けても、頭の中に残るそれはおいらの言動から滲み出て、その度に顔をしかめられた。幼い兄弟は騙せても、両親や上の兄弟達、周囲の視線は変わらなかった。おいらは何処までいっても、この世界の人間にはなり得なかった。
だから、それは必然だったんだろう。
「━━━━━━おい、十五番。出ろ」
低い男の声に、おいらは立ち上がった。
言われた通り硬質な音と共に開いた牢の扉から外に出ると、ガタイの良い大男達に木製の手枷を、首には皮の首輪が付けられた。どれもしっかりと付けられていて外れる気配は少しもない。
男は装備を付け終えるとお尻を叩いてきた。
あまりの威力に悲鳴を上げると、下卑た笑い声と共にお尻がわし掴みにされる。その声に、その感触に。恥ずかしさと恐怖で体が震えて、知らずのうちに涙が滲んだ。泣き出したい気持ちになったけど、そんな声をあげたらどうなるかここに来るまでで嫌という程教えられた。口を閉じて耐えるしかない。
「いいけつじゃねぇか。噂じゃウサギ獣人の穴はいい具合だって聞くしよぉ。やっぱ、このまま売り飛ばすなんざ勿体ねぇなぁ。一発くらいやっとくかぁ」
「馬鹿止めとけよ。バレたらてめぇが殺されるだけじゃ済まねぇんだ。もう大々的な告知してんだからな。ウサギ獣人のクォートで、おまけに処女だってよ。今回のオークションだって、そいつ目当てが何人いんのか分からねぇ・・・・貴族連中に目付けられたら終いだぞ」
「わぁってるよ。ちっ、つまんねぇな。おら、早く歩け。お客様の前だ、粗相すんじゃねぇぞ」
頭を小突かれて歩き出したおいらの視界の中に、おいらと同じ様な人達が見えた。虚ろな目で呆然と立ち尽くす人。目を真っ赤にして声を圧し殺しながら泣く人。鞭で打たれながら怨嗟の言葉を吐き出す人。そこにいた皆は売約が決まったようで、首輪に数字が掛かれたプレートがぶら下がっている。枷のついた手を持ち上げて自分の首輪に触れると、皆と同じ様にプレートを引っ掻ける金具があった。今はまだ何もない。けれどこの後直ぐに、そこには誰かの番号が下がる。それでいよいよ、おいらは誰かの物になる。人じゃない。物だ。
そう思うと心臓が痛くなった。
お腹が締め付けられるようにきゅっとした。
涙がボロボロ溢れてきて、体が震えがもっと大きくなって、どうしようもなく吐き気が込み上げてきた。
それでもおいらは足を止まらせて貰えなくて、沢山の怨嗟が漂う暗がりを抜けて押し出されるようにそこへと出た。
一つの明かりに照らされた場所。
沢山の悪意に満ちた視線に晒される。
その場所へ。
『お待たせ致しました!!本日最後の大目玉!!ナンバー15番!!成人したて、処女のウサギ獣人だ!!この通り天然物のクォートタイプ!!灰の毛並みと垂れた耳はいまいちでしょうが、この通り見目は一級品!!何分処女なもので具合までは分かりませんが・・・・そこら辺は是非ともご購入頂いたお客様でお確かめを!では、入札を始めます!!まずは50万エラから━━━』
「━━━んっ」
柔らかい感触を感じながら、眩しさに目を開けるとおいらは真っ白なベッドの上で横になっていた。
重い頭を上げて周りを見ると、そこはアホみたいに高そうな調度品に囲まれた場所で、おいらのぼんやりしていた意識は直ぐに覚醒する。なんだってこんな場所に、と。
そうして慌てて起き上がると、手をついた場所がいやにヒンヤリしていた。恐る恐る視線をそこへ向ければ、おいらの頭がさっきまであった場所━━━正確にはおいらの口があった場所がぐっしょりと濡れている。寝相の悪さに覚えのあったので自分の口元に触れれば、やっぱり涎が垂れていた。
それに気づいた瞬間、どっと冷や汗が噴き上がる。
何せおいらが横になってたのは手触りが良すぎる純白のシーツ。幾らするのか想像もつかない高級品だ。前世ならいざ知らず、藁束にチクチクするシーツ掛けて寝てた今世のおいらが弁償出来る類いの物でないのだ。
だから慌てて拭こうとしたが、そこでまたぎょっとした。だって服もくそ高そうな物に変わっていたから。シーツと似た材質なのか、肌触りは良い・・・・というか良すぎた。気色悪い程に優しいのだ。これまでチクチクがデフォだったから余計にむず痒いものがあった。
脱ぐべきが脱がざるべきか悩んでると、不意にコンコンと何かが叩かれる音が聞こえた。思わず「ひょえっ!」と悲鳴を上げると「失礼致します」と女性の声が聞こえてきて、ガチャリと扉を開くような音が聞こえた。
急いで音の方向へと視線を向けた。
するとそこには開かれたドアと、廊下と思われる場所に佇む切れ長な目をした氷をイメージさせる美女の姿があった。女性の服装はシンプルなメイド服。如何にも『真面目ッッ!』みたいな雰囲気を漂わせるその人はおいらと目が合うと、押してきたらしい配膳台から手を離して身を正すと頭を下げてきた。釣られて頭を下げると「必要ありません」と言葉を掛けられて、おいらは背筋をピンとさせた。
「おはよう御座います、シルヴィお嬢様。お加減はどうでしょうか。昨夜は随分とお疲れの様子でしたが」
「おっ?お嬢、様?」
誰かいるのかと振り返ってみるけど、そこにはカーテンの掛かった窓があるだけ。周囲を確認してもそれらしき人物はいない。調度品は一杯だが。もう一度女の人を見ると氷のような眼差しがじっとおいらを見ていた。
「あの・・・・まさか、おいらの事じゃ」
「はい、そのつもりです。お嬢様」
メイドという響きに、おいらはベッドから転がり落ちてそのまま床に土下座した。奴隷に落ちたおいらより確実に上の人だ。記憶ははっきりしないけど、状況から考えて誰かに買われた筈。
それなら下手に出た方が良いに決まってる。
叩かれるのも、ご飯抜きにされるのも、おいらは御免なのだ。
「すみませんでしたぁ!!勝手に部屋のベッドで寝たうえ、ベッドを汚してすみませんでしたぁぁぁぁ!」
「シルヴィお嬢様、まだ寝惚けておいでですか?謝罪は必要ありません。寝覚めにこちらをお召し上がり下さいませ」
おいらの渾身の土下座をスルーしたメイドさんは配膳台で何か始めた。様子を窺ってると湯気の漂うティーカップを差し出された。鼻をつくのは紅茶の甘い香り。飲んで良いのかと目でメイドさんに確認を取ったらコクリと頷かれて、おいらはそれを受け取って口をつけた。
ふんわりとした甘さと温かさが口に広がる。甘い物なんてどれくらいぶりかな━━━なんて思ってたら、昨日もそんな事あった気がした。
それで思い出した。
おいらが買われたのはもう一週間も前だった事。
この部屋も調度品もご主人様から贈られた物だった事。
目の前のメイドさんがおいらの世話係をしてくれるヴィーナさんという人だった事を。
「・・・・あっ、ヴィーナさん。おはよう御座います」
「はい、おはよう御座います。思い出して頂きありがとう御座います。それと敬称は必要ありません。旦那様から言伝てを預かって参りました。シルヴィお嬢様の体調が宜しければ朝食に呼んで欲しい、との事です。如何なさいますか?」
「ええっ、ま、また?それは、呼ばれてるなら・・・行くけどさ・・・・お貴族様の朝食においらみたいな奴隷が行っていいの?なんか、その、失礼じゃないの?」
「我が家においては旦那様がお認めになっている以上、何も問題はありません。それで朝食はご出席される、という事で宜しいでしょうか?」
問題ないならと頷いて返すと、ヴィーナさんは手を叩いた。
すると廊下で控えていたらしいメイドさん達が一斉に部屋の中へと雪崩れ込んでくる。そして気がつけばドレスやら櫛やらを手にしたメイドさん達に囲まれていた。
前日のコルセットの苦しみと高級な物つけられた精神的苦痛を思い出して、気づけば体が勝手に震える。
「あ、あのぉ、ヴィーナさん、おいら別にこのままでも・・・・」
「ご心配なく。今日はコルセットは致しません。皆さん支度を始めなさい、時間がありませんよ」
「待って、待って!コルセットだけじゃなくて、あんまり高い服とかは怖いっ━━━━━━━みゃぁぁぁぁぁぁ!!」
抵抗する暇もなく、おいらは着替えさせられた。
またアホみたいに手触りの良い、やたらと装飾のついた高そうなキラキラドレスへと。
お腹がキリキリするぅぅぅ!
「やぁ、シルヴィ。昨日は良く眠れたかな?」
高そうなドレスをフリフリさせながらヴィーナさんに連れられて食堂へ行くと、ご主人様であるアルフリード・オードラント様が笑顔で出迎えてきた。
待たせてしまった事実に心臓がドキリと跳ね上がる。慌てて頭を下げようとしたが、それより早くご主人様から掌を翳されて、おいらは即固まる。
「気にしなくて良い。私が予定より早く来てしまっただけさ。それより君の声が聞きたいな。おはよう、シルヴィ」
「おっ、おはよう御座います・・・・」
おいらの言葉を聞いてニコリと人の良さそうな笑みを浮かべ、近くの執事に視線を向ける。無言で頷いた執事はご主人様の隣の席を引いて「どうぞ」とおいらを見てきた。
・・・・やっぱりおかしい気がする。皆当たり前みたいな顔してるけど、一週間ずっとこんなだけど、やっぱりおかしいと思うのだ。せめて対面だと思うのだ。
だってね、奴隷みたいな身分も定かじゃないやつとご飯とか普通ないよね?無礼極まりないよね?相当偉い人みたいだから、暗殺の心配とか考えておいらみたいなの近づけるべきじゃないし。あと個人的に胃がキリキリするからやだ。
意見したい所だけど、抵抗すると何があるか分からない。不興を買って鞭打ちとかは怖い。だけど、ご飯抜きはもっと辛い。辛過ぎて泣く自信がある。
だってね、ここのご飯すげー旨いんだもん。フワフワのパン出てくるんだよ?村だと硬い黒い塊だったパンが、真っ白のフワフワだよ?凄い。しかもバターもついてくるし、頼むとジャムまで来るんだよ。天国だよ。ここは。
なので、大人しくご主人様の隣へと座った。
するとご主人様は側にいた執事に朝食の準備をするように伝え、徐においらの垂れ耳を手にとって撫で始める。どうにもこのご主人様、おいらの垂れ耳がお気に召したようで暇があればこうしてくる。手つきは優しいから不快感はない。少し気持ちいい時もある。だけど、どっちかと言えばこそばゆいので、程々にして欲しいなぁーというのが本音だったりする。特に付け根辺りを擦られるとどうにも我慢し難いものがあるので、そこだけは止めて欲しい。
耳を撫でられながら待つ事少し。
良い匂いと共に料理がやってきた。
香ばしく芳しい香りが鼻をついて、涎が口の中に溢れていく。お腹までぐるぐると音を立てて歓迎してる始末だ。我ながらはしたない。まぁこれも、料理が美味しいせいだから仕方ないけど。
そしてテーブル一杯に並べられていく料理はどれも光って見えた。だって匂いだけで分かるのだ。どれも間違いなく高級品で、その上美味しいものだと。おいらの鼻は誤魔化せない。伊達に故郷にいた頃、少しでも美味しい草を食べたくて、草の根分けて鼻で探してた訳じゃないのだ。大抵そんなに変わらなかったけどな。
毎度の事ながら朝ご飯とは思えないボリュームの料理が並べ終わる。お肉料理だけで何種類もあり、他にも魚料理だったりサラダだったりスープだったり何でもある。パンも焼きたてのが山盛り。今朝は最初からジャムもバターも添えてある。おいらの手元にはこの世界ではお高いガラス製のグラスで水も用意された。
あっ、ご主人様のはワインだ。朝から飲酒しよる、このご主人様。
そんな料理を前に思わず涎を垂らしてると、控えていたヴィーナさんにナプキンを巻かれた。ご主人様の手前話すのもどうかと思い視線で感謝を伝えれば、同じ様に視線で返事を返される。多分どういたしまして、だとと思う・・・・あっ、いや、お気に為さらずだ。これは。
「━━━━旦那様、料理は以上となります。メニューの説明は如何しますか?」
「必要ない。ヴィーナ以外は食事が終わるまで下がっていろ」
「はっ、畏まりました。廊下で待機しておりますので、必要とあらばお呼び下さいませ」
そんな軽い会話を終えるとご主人様とおいらを置いてきぼりにしてヴィーナさん以外の全員がいそいそと部屋を出ていく。料理に後ろ髪が引かれまくるけど、この後の事を考えてたら残るのもちょっとなぁと思ったので、おいらも一緒に部屋を出て行こうとしたが・・・・何時の間にかおいらの腰に回されたご主人様の手によって強制的に止められる。
その豪腕たるや、こっちが本気で踏ん張ってもぴくりとも動かない。
最後の一人が部屋を出て行った瞬間、腰に回されていた手に力強く引かれ━━━━気がついたらご主人様の膝の上に座らされていた。側に立ってるヴィーナさんの視線が激しく突き刺さってきて、激しくいたたまれない。
「シルヴィ、遠慮はいらない。どれから食べたい?」
優しげな声に顔を上げると、その声に相応しい優しい笑みがそこにあった。笑みだけは。
「あの、そ、その、降ろして、欲しいんだけど」
「ん?何かな?あぁ、君は焼きたてのパンが好きだったね。ジャムも好んでいると聞いている。今日は色々と取り揃えた、好きな物を選ぶと良い」
「いや、あの、まずは降ろして欲しいんだって」
「すまない、それだけは出来ない」
なんでや!?それは簡単に出来るでしょ!?
何を持ってして出来ないと!?
わっつ!?
じっとご主人様の目を見てると、何故かご主人様が笑みが深くなった。と言っても威嚇するような物じゃない。どちらかというと、なんというか、ふにゃっとした。
「あぁ、怒った顔も愛らしいな。けれど、やはり私は君の笑った顔の方が好みだ。これで許してくれまいか?」
そう言ってご主人様はジャムとバターを塗り込んだパンを差し出してきた。焼きたての芳ばしさに、バターの芳醇な香りと甘さのある柑橘系の香りがお鼻にダブルアタックを仕掛けてくる。
食べても良いのかとご主人様を見ると頷いてくれたので、受け取って思い切り頬張った。
瞬間、フワフワとした柔らかな食感が、小麦の素朴な甘味と共に口に広がっていく。何度食べてもその感動は色褪せる事なく、おいらは思わず目を瞑った。
この世界にきてからいつも煎餅みたいなパンばかりだった。ドングリみたいなのが混じった固い、さして美味しくもないパンばっかりだった。それでもそれは贅沢品で、滅多に食べられる物じゃなかった。主食は何時だって草とか根だった。あまりに美味しい物に飢えていて、収穫前の小麦を摘まんだのは良い思いで。しこたま怒られたうえ、少しも美味しくなかったけど━━━━おっと話が逸れた。
しかし、このパンは柔らかかった。それまでの煎餅パンが嘘のように柔らかかった。いや、柔らか過ぎたと言っても良い。それこそ噛んでるのかすら怪しいくらいに、フワッとしてるのだ。不安になって二噛み、三噛みしてようやくパン食べてるやん!ってなるのだ。
その上だ、味もめちゃ旨なのだ。
青臭さなんて少しも残ってない。あるのは小麦の持つ純粋な甘さ、小麦独特の旨味だけ。これが美味しいのだ。焼いたお陰で芳ばしさも混じって堪らないのだ。
しかもこのパンはジャムとバターが塗られている。そう旨味は倍。いや、二つの旨味が混ざっているのだ。旨味のトリプルブローだ。最早これは味の暴力である。兵器である。
心の底から幸せという物を味わっていると、頭の上からクスっと笑い声が聞こえてきた。
視線をそこへと向ければ、嬉しそうな、蕩けるような笑みでこちらを見つめるご主人様の顔があった。向けられた何処か熱っぽい瞳に、ちょっと気恥ずかしくなる。具体的に被害を言うとパン食べづらい。
「なっ、何か・・・?」
「ふふ、毎日美味しそうに食べるなと思ってね。やはり君は笑っている方が素敵だ。おかわりいるかな?」
パンを頬張りながら首を横に振る。
ズバッと断りたい所だけど、それはちゃんと敬語が使えるようになってからにしようと思う。故郷では敬語なんて話せる人いなかったから、この国の敬語ってよく分からないんだよね。発音というか、単語というか。屋敷の皆の話し方を聞いて少しずつ勉強してるけど、身につくまでどれくらい掛かるのか。
「・・・・シルヴィ、無理して畏まった話し方をしなくて良い。使用人の皆と同じ様に、砕けた言葉で構わない。私ともお話してくれないかな?」
声色に嘘は感じない。
悪い人でもないのは薄々分かってはいる。
側にいてくれるヴィーナさんを始め使用人の人達とは話すこともあって、人伝だけどこの人の評判は聞いた。
けれど、おいらを買った以上、この人もあの場所にいた筈だ。もしかしたら理由があるのかも知れないけど、だとしてもおいらにはどうしても、この人があの連中とは違うと思えなかった。見つめられると体が震えるし、触られる時は心臓が跳ね上がる。悲鳴を上げてないのは・・・・そう言えば、不思議とあの時ほど怖いとは思った事がない気がする。びっくりはするけど。
改めてご主人様の目を見てみた。
相変わらず綺麗な顔の中で、二つの黄金の瞳は静かに輝いてる。その瞳に嫌な物は感じない。若干色気ついてる気がしないでもないけど、それは割と始めからだったし・・・・というか、女奴隷を買うってことはそういう目的以外ないだろうから良いんだけど。いや、良くないけどな。男と寝るとかきつい。
「どうかしたかな?」
「ううん・・・なんでもない、でふ」
まぁ、奴隷のおいらに選択権なんてないからあーだこーだ言ってもどうしようもないんだけど。
覚悟だけは決めておこう。
そう心の中で覚悟を決め直していたら、目の前に骨付き肉がゆっくり横切っていった。お肉に絡んでるのはガーリックソースだと思う。醤油っぽい調味料と合わせた物で、前々日食べた筈だ。しょっぱさと辛味が絶妙で、然り気無く掛かってるスパイスがこれまた食欲をそそるのだ。そのままでも良いけど、味が濃いからパンに挟んで食べると最高なんだ。勿論、その日には試した。ヤバかった。
「シルヴィもこれを食べるかい?」
掛かった声にうっかり頷くと、ご主人様がヴィーナさんに言ってその料理をおいらの側へと置かせた。感謝を込めて視線を送ると首を横に振られた。視線のみだけど『そんな事よりご主人様の相手をしろ』と言われてる気がする。気のせいだと思いたい。
そうこうしてる間に、ご主人様の手によって骨付き肉が切り分けられた。器用に骨からお肉が切り取られていき、何回か瞬きする間に完全に分離した。
ご主人様はその一つをフォークに刺して「シルヴィ」と呼んでくる。諦めて口を開けるとそっとお肉が入ってきた。ソースの掛かった柔らかなお肉は今日も美味しい。ちょっと今日の味付けは酸味が強い。それはそれで好きだから良いけど。
「そう言えば知ってるかな、シルヴィ。最近、王都内では脂身の多い西方風ステーキが流行っているそうだ。家畜を育てる所から手間が掛かっている為に出荷数自体が少なく、取り扱っている店は未だに数える程しかないそうだが・・・・大層な評判だと聞いた」
「西方風ステーキ・・・・!!」
「ふふっ、今度店の者に声を掛けておこう。楽しみにしていてくれ」
楽しそうにそう言うと、ご主人様は耳の付け根にキスを落としてきた。頭の天辺から爪先まで電気が走ったみたいにビリっとする。思わず耳の毛と尻尾の毛が逆立って━━━━不名誉なことにそこが湿った。何処とは言わないが。絶対言わないが。
テンションが下がってると、また耳の付け根にキスを落とされる。しかも一回だけじゃなき。ちゅっ、ちゅっと何回もしてくるのだ。その度にビリビリしたのがまた背筋を這いずるように降りてきて、勝手にお腹をきゅんとさせる。この種族に生まれてきて、メスとして生まれてきて、仕方ない事だけど・・・・やっぱり辛い。自分の性を改めて知って、恥ずかしさと悔しさで視界が歪む。
おいらが泣いてるのに気づくと、ご主人様は慌てた様子でキスを止めて涙をナプキンで拭ってきた。
手つきは変わらずに優しい。
「済まない、シルヴィ。君があまりにいとおしくてね」
「旦那様、程々にしないと嫌われてしまいますよ」
「分かっている。ああ、シルヴィ泣かないでくれ。君が悲しむと私はどうしたら良いか分からなくなる・・・・そうだ、じゃぁこうしよう。今から君の売買に関わった輩を皆殺しにしよう。それが良い、ヴィーナ今すぐ私の部下を呼び寄せてくれ」
皆殺しという単語に涙が引っ込んだ。
思わず二度見でご主人様を見ると、晴れやかな笑顔が返ってくる。とても皆殺しを宣言した人とは思えない程の晴れやかさだ。
「あっ、あの、みな、殺しって・・・・」
「言葉通りだ。皆、殺す、ということさ。心配しなくても良い。勿論君の故郷の者達は別だ。少し思う所もあるが、彼らも仕方なかったのだろう。何処に責があるのかとなれば領主だろうしな。皆殺しにするのは、君を不快にさせた例の連中だけだ。大丈夫、元より問題のある連中でな、良い機会だ報いはしかと受けさせるとしよう。楽には殺さんさ」
「やっ、やめろぉぉぉぉぉぉ!!あっ、いや、ぶっちゃけ、あいつらはどうなっても良いけど!!良いんだけど・・・・━━━━」
そこら辺は本当にどうでも良い。
確かにあの場にいたのは辛かった。
良い思い出では絶対にない。
でも、だからって復讐しようとは思わない。
だって痛いのは誰だって一緒だ。怖いのだって変わらない。辛かったら苦しくて、恐ろしかったら震えて、悲しくなったら泣きたくもなる。誰だって。
自分じゃなければ良いとは、おいらはどうしても思えない。
それに━━━━━
「・・・・ご主人様は、そういう事しちゃいやだ」
━━━━━おいらはこの人に、そうして欲しくないと思うから。優しい手つきで耳を撫でてくれて、笑顔を向けてくれる・・・この人に。
「・・・・そうか。それなら止めよう。何よりも君の頼みだ。穏便に済ませるよ。ヴィーナ、先程の言葉は忘れろ」
「畏まりました」
ヴィーナさんにそう伝えると、ご主人様はおいらを抱き上げた。驚いて目を丸くしてると「気が削がれた、下げて良い」とかなんとか言って歩き始める。勝手に。
おいらまだ食べ終わってないのにぃぃぃ!
「まっ、待って、ご主人様!おいら食べ終わってない!お魚料理、あれまだ食べてないやつ!」
「ん?そうか、それならまた今度用意させよう。それより漸く話してくれたな。それが良い。二人きりの時はいつもそうしてくれ」
「は!?今そういう話してないんだけど!?料理まだ食べ終わってないって━━━━━かぁぁぁ!!ご飯無駄にすると勿体ないお化けが出るんだからなぁぁぁ!!はぁぁぁ、キレた!おいらも我慢の限界だ!敬語なんて知ったことか!降ろせぇ!!朝食の続きする!!」
全力で抵抗するが全然抜け出せない。
悔しさで唸ってるとご主人様が笑い声をあげた。
腹が立ったので睨みつけてやったが、ご主人様はニコニコと平気な顔してる。
「アル、と呼んでくれ。シルヴィ。そうしたら朝食の続きをしよう」
「はぁ?何だよ、いきなりぃ・・・・」
「少々嫉妬している。君の関心が私にない事にね。だからあまり料理ばかり見つめられてしまうと・・・・このまま部屋に連れ込んで夜明けまで愛し尽くしてしまいそうだ」
「ひぇっ!?な、何でいきなり!?やだ、まだ心の準備が出来て・・・・いっ、行こうとするな!よ、呼べば良いんだろ!アル!はい、言った!言ったぞ!アルが呼べって言ったんだから、ご飯抜きとか駄目だぞ!鞭で叩くのも!」
「キスは構わないだろうか?」
「構わなくない!!」
◇━◇
私の嫁が可愛い。
プリプリと怒りながら朝食を頬張るシルヴィの姿は可愛いの一言に尽きた。テーブルに並ぶ料理皿を見る度にフワフワと揺れる垂れ耳の可愛いらしいこと。キラキラとした目で料理を選ぶ横顔も、見ているだけで顔が緩んでしまう。そしてそんなシルヴィを見ていると、こんなに可愛い生物が他にいるだろうか?という疑問と共に、いやいないだろうなと直ぐ結論が浮かぶ。
何処か呆れたような視線を送ってくるメイドの視線を無視して、私はシルヴィの頭を撫でながらワインを口にした。彼女との出会いを思い出しながら。
彼女を見つけたのは偶然だった。
その日とある事情で私は奴隷オークションへと参加した。この国では法に従った正当な方法であれば奴隷という存在を作る事も、その売買も到って当然の事として行われる。まぁ、だからと言って私自身これに関わるつもりもなければ、奴隷の購入など露程も考えた事はなかったが。事情がなければ訪れなかっただろう。
それは優しさや哀れみからではない。忌諱していた訳でもない。単純にそのシステムが非効率だと思っていたからだ。意思なき者など何の役に立つのか、と。
人とは意思の生き物だ。強い意思が、身の内から沸き上がる欲望が人を人足らしめる。しかし奴隷とはこれを失った連中ばかりだ。生気のない目でただ生きる、植物とさして変わらぬ愚物。勿論例外はあるだろうが、その大半はそう言った毒にも薬にもならない連中。そんな連中に価値があるのか?答えは否だ。
翼の折れた鳥が地を這う鼠に身を貪られるように、老いた名馬が新兵の弓矢に膝を折るように、どれ程能力があろうと意思なき人間の能力などたかが知れている。確かに使い道も考えればあろうが、この国にはそもそも人材が溢れている。人手が必要なら雇えば良い。魔獣もいれば魔法もある。労働力はこと足りている。態々奴隷を仕入れる理由もない。
愛玩奴隷にしてもそうだ。言われるがまま動く人間など人形とさして変わるまい。そんな物の相手をして喜んでいる連中の気もまた知れなかった。
故に、奴隷という存在にまったくといって良いほど興味がなかった。
だから、本当に偶然だった。
あの場所へと行ったことも。
彼女を見つけたのも。
喧しい司会の男の声で奴隷達が上がっていた壇上を眺めた。これが最後という事もあって、何が上がるのか僅かばかり興味があったのだ。
そうして壇上に立つ彼女を見て、一目で恋に落ちた。
ゆらりと揺れる耳が、涙の滲むルビーの瞳が、ライトに照らされたくすんだ銀の輝きが━━━いやきっと、彼女の何もかもが私の心を揺さぶったのだ。心臓が高鳴った。血が滾った。
父より公爵を継いでから初めて・・・・いや、この世に生まれ落ちて以来初めて、欲しいと思った。心の底から。
その瞬間だった、私は身の内に抑え込んでいた魔力が嵐の如く吹き荒れたのは。
一瞬で会場から音が消えた。歓声すら上がっていたその場所には静寂が支配した。僅かに響くのは何処からか抜けてくる風の音と、辛うじて意識を失わなかった隣にいた友人がひゅーひゅーと乾いた呼吸音を上げるのみ。
『お、おい、アル・・・お前っ、いきなりは止めろよぉ。心臓止まるかと思ったわ』
『黙れ、貴様の仕事を肩代わりしてやったのだ。貴様は貴様のやるべき事をさっさと済ませろ。私はもう行く』
『おい!待てってっ、たく!』
側にいた友人の声を無視して、私は静かになった会場を早足で進み彼女の元へと歩み寄った。魔力が当たらぬよう調整したつもりだったが、彼女もまた他の者と同じ様に地に伏せており心配だったのだ。
静かに呼吸する彼女を起こさぬよう怪我がないか確認すれば、倒れた拍子についたと思われるアザがある程度だった。あの時は胸を撫で下ろしたものだ。
尤も今となっては、もっとよく調べるべきだったった思うが。連れ帰ってから服の下の傷痕に気づいた時、連中をあいつに任せて帰った事をどれ程後悔したか。気づいてさえいれば、その場でシルヴィの怪我に関わっていた連中を一人残らず捻り潰してやったというのに。
「ふむ・・・・」
そこまで思い出して『そう言えば』と、ある事を思い出した。彼女を抱き上げて直ぐの事。男が一人、私に怒鳴り声をあげたのだ。身なりと顔と頭の悪い男で、吐瀉物で汚れた口元を拭いながら愚かにも彼女を侮辱する言葉を吐いた。
即座に魔力で捻り殺そうとしたが、そう言えばあの時も彼女が止めたのだった。
意識なんて無かろうに男の悲鳴を聞いた瞬間、彼女は男へと向けていた私の腕の袖を取った。それは止めるというには些か弱々しかった。か細い指は掴んだだけといった様子だった。
だが確かに、それが私を止めたのだ。
「ご主人様、食べないの?」
不意に可愛らしい声が聞こえた。
視線を落とせば上目遣いでこちらを見上げるシルヴィの愛らしい顔がそこにあった。手元にはもうじき食べきるであろうローストビーフの皿がある。
シルヴィは皿と私を交互に見ながら、手にしたフォークとナイフを迷わせる。気持ちとしては食べたいのだろうが、一口もつけてない私を気にして残そうともしてくれているのだろう。これが他の者であれば「私に残飯を食わせるつもりか?」と、遠回しに泣くまで言葉で責める所だが・・・・シルヴィは別だ。いじらしくて仕方ない。可愛い。どうしてこんなに愛らしいのか。食いしん坊シルヴィ、本当に可愛い。
「ご主人様ではなく、アルだと言っただろう?それと料理の事は気にしなくて良い。それはシルヴィの物だ。私はそうだな・・・・ヴィーナ、それを」
適当に選んだ皿をヴィーナに取り寄せさせ、これを食べると伝えればシルヴィは目を見開いた。どうしたのかと思えば目が料理皿と私とで行ったり来たりしている。
不思議に思ってるとヴィーナが口パクで「先程、シルヴィお嬢様が食べたい仰ってたお皿です」と伝えてくる。成る程。どうやらシルヴィは楽しみを最後に残して置く性格らしい。また一つ詳しくなってしまったか・・・ふぅ、どれだけ私を虜にすれば気が済むのか。まったく。
「━━━━ふむ、しかし、少し量が多いな。どうだろうか、シルヴィ。私と半分こしてくれないか」
その提案にシルヴィの耳がピクピクと動く。
「そ、そう?じゃ、じゃぁ仕方ないなぁ、半分はおいらが食べるよ。残すと勿体ないから。へへっ、アルは少食だなぁ~まったく~」
そう言ってシルヴィは口元をニマニマさせながら料理を取り分け始める。余程嬉しいのか私の腹に触れている小さな尻尾がフリフリと動いてる。少しこそばゆいが、それも喜びの現れだと思えば悪くはない。寧ろずっとこうして欲しい所だ。
しかし、そもそもこれは本人が気づいての事なのだろうか。だとしたら可愛らしい小悪魔だが・・・・いや、天然なのだろうな。シルヴィのことだ。間違いあるまい。
「ほら、取り分けておいたぞ。こっちがアルのな」
「ありがとう・・・・ん?シルヴィ、私の分はこちらで良いのか?」
教えられた皿は料理が多く残る方。
シルヴィの抱える皿は取り分けられた料理がちょこんと乗っているだけ。食べる事へ並々ならぬ執着を見せるシルヴィにしては珍しい事だ。
そう思って視線を落とすと赤い瞳が私を覗いていた。
「だって、これアル好きなんだろ?」
笑顔と共に向けられた僅かな疑いの気配すらない純粋過ぎる言葉に、私の胸が強く脈を打った。シルヴィは信じたのだ。先程の咄嗟の言い訳を。
なんと単純なことか。
あまりに危うい。危う過ぎる。
しかしそのシルヴィの危うさは可愛らしく、私の中の保護欲を激しく擽ってきた。
許されるなら一生籠の中に閉じ込めて、外出以外、ありとあらゆる手段を持って徹底的に甘やかし、私だけしか見ないように愛し尽くしてやりたくなる。
「・・・・っんん」
側に控えるヴィーナの咳払いに、私は零れそうになっていた魔力を抑え込む。何かを感じたのかシルヴィが首を傾げて私を見た。笑顔を返すと不思議そうな顔で食事へと戻ってくれる。
危ない。ようやくなつき始めてくれたシルヴィに警戒される所だった。拾ってきたばかりの子猫のように威嚇する姿も可愛いが、私としてはこちらの方が喜ばしい。
権力を使えば、私の腕力を持ってすれば。
シルヴィを捕まえておくのは簡単だ。
だが、それでは意味がない。
私は子供を産む人形が欲しい訳ではない。
私はシルヴィが欲しいのだ。
未だに己を奴隷だと勘違いしている。食事の事となると目の色を変える。こんな私を安じてくれる。膝の上で楽しそうに笑ってくれる。素直で純粋で、気弱で優しい・・・・このシルヴィが欲しいのだ。
だから、彼女の意思で居て貰わねば。
彼女をこれからどう甘やかそうか。どうやって私無しでいられないようにしようか。
胸踊る未来を想像しながら、私は彼女の取り分けた料理を口に運んでいった。塩辛さの強い筈の料理に甘さを感じたのはきっと気のせいではないだろう。