リリや春姫みたいに物分かりの良い女の子は少数派というか、アイズってヒロインの中で一番そういう情緒が発達していない気がします。
「…………………………」
ベルによって女の色を濃くしていたアイズの乙女の顔はもう何処にもない。
有るのは、普段の無表情が表情豊かと受け取られるほどの完全な虚無。
他者が見れば戦慄するほどの一つの意思のみに占められた表情。
かつてならば、諦観に支配されそのまま動けなくなっていただろう。
ベルと戦った後のように、懊悩に支配されて部屋のベッドの上で蹲っていただろう。
しかし、今のアイズは違う。アイズの側には希求し続けた存在がいて、手を伸ばしながら走り続けていてくれていたことを知ったのだ。
今もその手をつかんでいる。掴んでくれている。傍に居てくれている。
何より──
今もアイズを助けてくれた。敢然と未知の敵と戦って勝利し、死力を尽くしてアイズを助けてくれた。守ってくれた。
その上、最後の力を振り絞って、アイズの無事を確かめて優しい笑顔を浮かべながら頬を優しく撫でて、アイズを笑顔にしてくれた。
今のベルはアイズの英雄以外の何者でもない。
だから、アイズの内心には諦観などどこにもない。
あるのは、希求していた存在を他者に渡したくない想いと。
希求していた存在が他の女の子の手まで掴んでいる事実だけがある。
ギリィ
知らず知らずの内に、奥歯を噛みしめたアイズの頬が膨れた。
ミシミシと音を立てて風が渦巻き空気が固まっていく。
「……ベ、ベルは──」
あまりに強い感情に支配されそうになるが、なけなしの理性をかき集めて、唇を動かし声をだす。
「き、きっと、私みたいに……わ、忘れて……た、から……」
つっかえた声が躍る。
自分の心から必死で目を逸らす。このまま感情に支配されれば取り返しがつかないことをするという確信があったから。
──そうだね。ベルは覚えていて黙ってたりはしない。でも、それがどうかしたの?
内心の幼女は冷静だった。鬼気迫るほどに冷静だった。
だから、その言葉を受け入れられる。飲み込めてしまう。
「っ!」
飲み込んだ途端、支配されまいとした激情が心を塗りつぶす。体から冷気が漂う。
勿論、アイズの冷静な部分は客観的に見てベルは最善を尽くし続けたことを理解して納得している。
理解して納得していないのはアイズの激情、女の情念だ。
わかっている。ベルも同じだ。ベルも忘れていたのだ。アイズと同じで忘れていたのだ。
今も忘れているだけだ。
何より、覚えていなくとも。
例え、もし、ひょっとして、覚えていて、黙っていたとしても……
ベルはひたむきに強くなってくれた。
私の英雄になるためにひたむきに強くなってくれた!
英雄になってくれた!
指輪の誓いを守ってくれた!
プロポーズしてくれた!
だから──
「笑顔で、笑顔で受けないと」
だから、責めてはいけない。責められない! 責めたくないっ!!
感情が消えた表情のアイズの中で道理を弁える冷静な場所が泣き叫ぶように発する。
だが、止まらない。止められない。止めたくない。
燃え盛る激情は、酷いと喚いたり嘆いたりする領域はとっくに通りすぎた。
内心の軋みを表すように、荒涼とした砂漠のような渇いた声で内心の幼女に問う。
「……覚えてたの?」
忘れていた自分と違って、内心の私は覚えていたのかと問う。私はあなたで、あなたは私なのに。夢のような尊い約束を独り占めしていたのかと詰問する。いや、わかっている。内心の私の在り方ならば覚えているのはわかっている。
でも、問わずにはいられない。
何故自分に言わなかったと。
──ううん。忘れてたよ。少し前まで忘れてた。
「……少し前に思い出してたんだ」
ふざけるな。何で直ぐに言わなかったんだ。ぎゅっとベルを抱き締め髪に頬を擦り付けながら答えを待つ。
──うん。ベルと二人っきりになった時に思い出したんだ。まるで女神さまが何かしてくれたみたいに。
「そう……」
今も腕の中に居るベルの温もりのお陰で、少しだけアイズは落ち着いた。未成熟なしなやかな裸体で、ベルの成長途中の裸体を締め付けるように抱きしめて少し落ち着いた。
──女神様が祝福してくれたおかげで思い出せたんだ。あの、素敵な優しい思い出を。優しい女神さまのおかげで思い出せたんだよ
「……そうなんだ」
なおも太陽も凍り付きそうな声のアイズと違って、内心の幼い私は声が弾んでいる。
ベルとの誓いを、何よりも尊い宝物を、ほんの少しの時間とはいえ、心の奥底にしまい込んで堪能していた
──うん。だから、ベルに助けてってお願いしようって言ったんだ。ベルは絶対に助けてくれるから。
私は言葉を切って唇を綻ばせて無垢な信頼の笑みを浮かべた。
ベルに対する信頼が信仰にさえ到達した透き通った
何よりも尊い宝物を明かすように手を組む。
──ベルは、私の英雄だから。約束して何度も守ってくれた英雄。ずっと探してた、私の英雄。大好きな
返答に意識が灼熱して無数の疑問が浮かぶ。
だが、声に出たのは一つの問いだけだった。
「……なのに、あの時、竜女とベルを庇ったの?」
──あの時、二人を傷つけたくないのに剣を振るうなんてことして間違ったのは私だし、何より
「何より?」
──どんな理由があっても、全てを無くした日の誓いがあっても、ベルとだけは戦わない。絶交したくない。
自分より鬼気迫る声で答える
悔恨する。あの時、アイズは
素直だから自分たちの誓いを破った。竜女を庇ったのがベル以外なら、
そして、また一歩、戻れない道を進み、闇のナニカと成り果てていただろう。
「ああ、そっか……私は、あそこでも、ベルに助けられてたんだ」
──うん。例え、ベルがあの時私の〇〇じゃなくても、助けてくれた。守ってくれたんだよ。
そうだ。例え、ベルがあの時、
それだけで全てを認められる。
自分も素直になろう。心の裡でさえ認めたくなくて伏せてしまったことを認めよう。
わかってる。わかっている。わかっていたっ。ベルが無力な女の子を見捨てるはずが無いって。
――うん。そうだね。それに嬉しかったよね
そうだ。心のどこかで嬉しかった。ベルが竜女の子を助けてくれるような人で良かったと思ってた。
だって、わたしも普通の人とは違うから。知られると嫌われると思って、皆に隠してたから。
――怪物だよ。ベルが助けたのは
そうだ。怪物だ。私なんかより皆に忌避される存在だ。なのにベルは手を伸ばした。手を伸ばしてくれるのだと分かった。だから嬉しかった。私を忌避なんて絶対にしないって分かったから。
でも……だからこそ
――それでも、ね
「それでも……あの時、でも、私の手を、掴んで欲しかった……ううん。普段から私のそばに居てほしかった。
他の女の子を助ける時間を私と一緒に過ごして欲しかったのは、わがまま、かな……ベル」
身勝手な想い。だが、まぎれもない想いを、女としての想いをアイズは声に出し、自らの想いを認めた。
認めると同時にアイズの中で扉が開くような音がした。
アイズの周りに風が吹く。
意思のこもった風は、触れ合ったままの裸体を覆い隠していた衣服を吹き飛ばし、ベルにかけていた衣服を優しくそよいで最初から無かったように彼方へ飛ばす。
例えベルに意識があっても気付かなかっただろう。密着したままそれを成したのは、驚嘆すべき微細な技巧。
ついさっきまでのアイズには出来なかったことが、今なら呼吸のように自然と出来る。
風の流れに意識を傾ければ、世界が一変する。視界が広がり解像度が上がるだけではない。そんな視野を持ちながら、同時に俯瞰したように死角さえも無くなる視界が無理なく同居する。
アイズという個を保ちながら、風という存在を自身の延長として捉える。
覚醒したと言って良いほどの成長。だが、そんなことは気にする必要もなく当たり前のことだ、と言わんばかりにアイズは表情を変えない。
もっと大事な、比べ物にならないほど大事で大切な者から目も体も逸らさない。
「……」
表情の無い輝くような美しい裸体。
静かな、何処までも静かな眼差しでベルの顔を見下ろす。
「……………………」
──……………………
長い沈黙の時間。少しずつ濃密な気配がアイズを包む。
復讐の黒い炎ではない。そんな生温いものはアイズの一つの意思に塗り潰された。
あるのは何処までも純粋で透き通った一途な想い。
純粋すぎて何色にも染まらず、逆に塗り潰す真っ白な色で心を染め上げたアイズのドロリとした想い。
──女の想い。
「ふぅぅぅ」
大きな深呼吸の後、唇が開く。想いを吐き出そうとする。
止めようとしても止められない。
止めるつもりもない。
もう、止めたりはしない。
これを口にしたら戻れないと分かっていても。
「くすっ」
アイズは笑った。
何年もの時間を経て久しぶりに声に出して笑った。
華やかとさえ評することが出来るほどに満面で笑った。
溢れる思いのままに唇を曲げてやった。
「うん……」
自分の想いを一人の人間にぶつけるために唇を曲げてやった。
「そうだね……」
今まで、約束を、誓いを、何よりも大切なことを忘れていた己に想いをぶつけ嘲笑うために、澄みきった瞳で微笑んだ。
「どうでも良いよ……」
──約束してくれたのが、先でも、後でも、過去でも、未来でも、覚えていても、覚えてなくともね。
誓ってくれたのが、前か後か、何てどうでもいいことを気にしたんだろう。本当にどうでもいいのに。
「たった一つに比べれば、一緒だよ……」
──だよね。
心に楔となって打ち抜いたこと。
認めたくなかったこと。
否、今でさえ認めたくない、一つのことと比べれば、何もかもどうでも良い。
淡々とした声で互いを補いながら声を出す。
「約束してくれたのに──」
──誓ってくれたのに──
あの子より私の方がずっと前から待っていたのに!
私のために強くなってくれたのに!
約束と誓いの通りに、何度も私を守ってくれたのに!
指輪にまで誓ってくれたのに!
指輪に誓った誓いを守ってくれたのに!
ティオネが憧れていた指輪の誓いをしてくれたのに!
ギリッ
プロポーズしてくれたのにっ!
泣いちゃうくらい嬉しくて、受けたのにっ!
どうして!
あの時!
あ・の・と・き
「「ベルは──」」
私と自分の声が重なる。私と自分の声とは思えない低い声が喉奥から漏れる。
内心の嵐を全く感じさせない穏やかな声だった。地獄の底から響くような声だった。
痛苦でもなく、悲哀でもなく、羨望でもない、胸の奥で感じたことがないドロドロとした粘着質の激情が湧き出して心だけでなく全身を埋めつくす。
全身がジクリと痛むような不快感から逃れようと、助けを求めるように掴んだままのベルの手を握り締める。
自分の英雄の手を。
「「ベルはあの時──」」
他の誰かの、ウィーネという少女以外にも誰かの英雄となった手を。
ベルの手にかけたアイズの手から力が抜ける。でも、離しはしない。決して離さない。英雄を待ち続け、擦り切れた、憧憬の躯に。ただの少女となったアイズに、手を差し伸べようとして握りしめてくれたベルの手を今度こそ離さない。
あの時のように、竜の少女を抱きしめさせずに、自分の手を掴ませる。
「「あの時――」」
胸の奥から名前の知らない幾つもの感情があふれ出して全身を包み。
全てが一つになりある感情に支配され言葉として出ていく。
「「ベルはあの時私の英雄じゃなかった」」
好きな人は、他の誰かを優先した。
「「あの子の、他の女の子の英雄だった」」
好きな人が、他の誰かに奪われた。
「「……そうだったよね」」
ベルの腿にしなやかな脚を、ベルの背中にたおやかな腕を巻き付けたまま離さなかった全裸のアイズが、腕を外してそっとベルの頬を撫でる。親が赤子にするように、何処までも優しく愛おしげに。
「「ね……」」
華やかな、ロキファミリアの年長者が望んだ年頃の笑みを浮かべながら
「「……ベル」」
認めたことでアイズの中で嵐が吹き荒れる。そのまま全てを吹き飛ばしたくなるが、その必要はない。
今はその必要はない。
手でゆっくりとベルの柔らかな髪と精悍になった顔を愛しげに撫で、輝くような肢体を引き締まった体に擦り付けながら、アイズは思う。
たった一つのことでアイズは赦せた。納得できた。
何故なら――
「「……………………でも、でもね。良いよ。良いんだよ。ベル」」
長い沈黙の後、言葉が自然と出る。柔らかく優しいと誰もが思う声が。
「「だって、今此処には他に誰もいないから」」
誰もが慄き震えあがるような声が。
「「居るのは私とベルだけだから」」
誰も居ない、アイズとベルしか居ない空間に響き渡る。
「「だから……良いんだよ」」
それだけで全てを納得できた。
それだけで全てを認めて受け入れることが出来た。
「全部……全部、良いんだよ。ベル」
道理も倫理も理性も立場も、全てを己の情念より下にする1人の≪女≫となった、弾むような声を響き渡らせた。
ざぁああああぁぁっ……
ダンジョンが悲鳴のように地面を階層を揺らす。あまりに異質で危険な存在を察知し、何をすれば良いのか分からず、ただ揺らすしかできないように。
悲鳴をあげ、叫び続け、安全地域など知ったことかと恐るべき異物を排除すべきモンスターを
ドンッ
うるさいと言わんばかりの一撃。凝縮した台風に匹敵する風の極撃を受け、排出しようとしたモンスターごと沈黙した。
──そして
底知れない晴れやかな美しい笑みを浮かべて静かに佇む全裸の少女とその下で意識を失う全裸の少年の、鼓動と呼吸の音だけを残して。
幼女+天然=女。
アイズが色々な意味で一歩前進しました。
同時刻、遥か彼方で。
旦那との時間を盗んだ盗人を見つけ出して凌遅刑にして代わりに詰め物をして生かしたまま旦那に見せようとしている優しい女神様が、盗人を吐かない旦那を追っかけながら誰なのか調べてる最中に魔道具使って呪ってみたところ、何故かシンパシーを感じて戸惑っています。