エピローグの題名は六文字にするつもりだったのに、これ以上の題名が考え付かない。
「はいるぞ」
「おかえりなさい。リヴェリア」
魔石製品により完璧な快適さを保たれた部屋、そこのふかふかのベッドの布団にくるまれるように重ねた枕を背にしてアイズはいた。
「調子はどうだ? 何処違和感はないか」
「違和感はないよ。リヴェリア、さっき聞いたばっかりだからそう変わりはしないよ」
「妊婦というのは直ぐ変わるのだ。どれほど注意しても足りないなんてことはない」
「相変わらず大げさだなあ。リヴェリアは」
可愛くなった。
妊娠による激しい体調や体型の変化でどれだけ苦しくとも辛くとも笑顔を浮かべ、今もコロコロと顔を崩して笑うアイズを見てリヴェリアは思う。
『神々さえ嫉妬する美貌』『剣姫』表情が変わらないがゆえの硬質の美しさを称賛されていたアイズは居ない。妊娠に伴うさまざまな事象はアイズに深みを与え、愛されている自覚はアイズを内面から輝かせ、他者を愛する情愛はアイズに柔らかさと穏やかさを身に付けさせた。
僅かに体型がふっくらして髪を後ろに束ね、感情豊かな表情を出すようになり、拙くも言葉が長くなり砕けるようになった。剣ではなく家事道具を握るようになった手は、あれだけあった剣ダコが薄くなり、針で刺した傷や料理のちょっとした火傷などに変わった。殺す手から創る手に変わった。
母親になろうとしているのだ。
ただの女の子になったのだ。
ツン、かねてから望んでいたアイズの姿に、胸が一杯になり鼻の奥が刺激されたのをリヴェリアは自覚した。毎日アイズを見るたびに常に感じる情愛の衝動には慣れることが出来ない。
アイズに涙を見せないように短くも暖かな雑談をかわす。
元からウチのアイズ以上に可愛い娘など居なかったのに、さらに突き放したのだ。と自らの誤りを修正しながら。
「どうかな?」
雑談の終わりに、アイズは手ずから作った妊婦用の食事を運んできたリヴェリアに編んでいたおくるみを手渡す。
助けなどどれだけあっても足りない妊娠中。なのに我が儘を言わず、産まれてくる子とベルのために出来ることは無理せず進んで行うアイズの姿。
激しい鼓動、刺激される涙腺、溢れだす想いを制御してリヴェリアは評する。
「素晴らしい。腕を上げたな」
「そうかな」
「ああ。これならば店に並べられる」
元々手先が器用だったアイズだけあって、妊娠してからダンジョンと訓練の時間を家事能力を伸ばすことに費やしただけのことはあり、確かに良くできている。
あくまで素人にしては、だが
「本当?」
「ああ、本当だ。これほどの物にくるまれる赤ちゃんが羨ましいくらいだ」
そう言いながらアイズの頭を優しく撫でるリヴェリアには素の色しかない。リヴェリア・リヨス・アールヴというハイエルフの現在の価値観において『愛娘が孫のために作った品』以上の物など無いのだから当然だ。
それを受けるアイズも、スパルタ式のリヴェリアが撫でてくれるほどの出来だと表情を明るくして素直に信じ、更なる精進を誓う。
母が昔のままの母だと信じている娘と、自身が変わったことなど欠片も認識していない母。
周りが何とも言えない想いを抱くのを除けば何の問題もなかった。
リヴェリアはアイズが作ったおくるみを、アイズ制作物専用箪笥内赤子用の空間に丁寧にしまい込む。ベル用のインナーはまだ作っている途中だからしまわない。
「さあ、アイズ、食事にしよう」
優しくアイズの上半身に手で浮かしてから、柔らかな枕を少しずつ重ねてリヴェリアは簡易な座椅子をベッドに作り、アイズの前に簡易テーブルを備え付ける。
アイズに力ませることなくリラックスさせたまま素早く整えたその手際は慣れきっていた。
それから、アイズの前に並べる食事──無論、会話時間等を計算して今が適温になるようにしている。当たり前だ──その香りを嗅ぎながらアイズは苦笑した。
「リヴェリア、本当に大げさだよ。後期つわりも少なくなってきたし、昨日からのお腹の張りも腰痛もおさまってきたんだから少しは動けるんだよ」
「大げさなものか。お前は独りだけの体ではないんだ。安定し始めたとは言えあらゆることに細心の注意を払う必要がある。アミッドがそう言っていたから間違いない」
そうなんだと頷く娘に、後期つわりの度に呼ばれたアミッド嬢に「これから呼ぶときには追加料金を頂きます」宣言されてから、二桁近く呼んで払ったうえに「倍払うから出産して母子共々の無事が確認できるまで此処で寝起きしてくれ」とのたまい、ガレスとラウルに止められた母はそうだと返す。
そっか、そっかと笑いながら、食事を終える。リヴェリアに片づけをしてもらいながら、アイズは穏やかにお腹の赤ちゃんに語りかける。
「リヴェリアは物知りだねー」とか「お父さん早く帰ってきて欲しいねー」とか「こんなに元気だなんて、早く外を見てみたいのかな」とか「お母さんも早く会いたいよ」とかアイズが優しくお腹の赤子に語りかける言葉を聞くたびに、リヴェリアの涙腺は緩み崩壊しそうになる。
片づけ終わったリヴェリアが簡易テーブルに、二人分のお茶──もちろん、つわりを誘発しないものにした──を並べる。
「これを飲み終わったらマッサージだ。明日からヘスティアファミリアで過ごすのだから、むくみの対策をしなければな」
気品を保ちながらゆったりと座り、同時に語りかけるハイエルフ。
そんな彼女にアイズは話しかけた。
「そろそろ、ロキを許してあげて欲しいな。私もベルもとっくに許してるんだから」
「アレをか」
顔をしかめるリヴェリアを、やんわりとアイズが窘める。
「リヴェリア、口が悪いよ。赤ちゃんにも、もう聞こえるんだから」
「すまん……そうだな。ロキも断酒を継続中だということだし、ふぅ、そろそろ許すか」
「うん。良かった」
嬉しそうに微笑むアイズに、リヴェリアは優しく笑い返し、そっとアイズの腹に手を置く。小刻みな胎動に笑みがこぼれ自然と言葉になる。
「名前は決まったか」
そろそろ、こういうときに名前で呼びたいなあ。そんな願いを込めた言葉にアイズは首を振る。
「ううん……」
「子の名前は大切だ。ゆっくり考えなさい」
そうか、まだアイズのお腹に手を置いて「〇〇〇」とか呼べないのか。少しがっかりしたリヴェリアだが、直ぐにアイズに笑いかけた。
「うん……」
ベルが居ない此処で話すべきか。僅かに口ごもったアイズは何気なく手探りをして、自らの長いままの髪に触り、目を見開くとリヴェリアの頭部に目をやる。
『世話をするのに邪魔だ』と美しい長髪をバッサリとベリーショートにした──エルフ問わずオラリオの住人を阿鼻叫喚の地獄に叩き落したが、本人は『髪などいつでも長くできる。だが赤子は今だけだ』と気にも留めていない──リヴェリアの頭部をみて、アイズは目を細め頷いた。
そうだ。これは、自分が、自分とリヴェリアしかいない。この場でしか話せないことだ。
「これはベルと話して決めたんだけど、リヴェリアに赤ちゃんの名前を付けてほしいんだ」
「私に?」
カップを置いていて助かった。そうでなければ手元から落としていただろう。それほどの衝撃をリヴェリアは受けていた。
「うん。リヴェリアに私たちの子供の名前を決めて欲しいんだ」
「それは光栄だが、良いのか。クラネルと名前を考えると約束したのだろう」
アイズは透明な笑みを浮かべて想いを話し始めた。
「私ね。お母さんとお父さんって、初めからお母さんとお父さんなんだって思ってた」
「……」
「でも、違ったんだ。こうして、大きくなっていくお腹と一人の人が教えてくれた。お母さんもお父さんも成ろうとして成らなければ成れないんだって」
「……」
「誰だって、こんな風にお母さんのおなかを大きくして。生まれて。赤ちゃんになって。子供になって。大きくなって。誰かと出会って。愛し合って。結婚して。お父さんとお母さんになる……それから、育てていくの。その子が、誰かのお父さんやお母さんになるまで」
「アイズ……」
「リヴェリア」
真剣なアイズの眼差しに、リヴェリアは姿勢を正す。
「私を、私をお母さんになるまで、育ててくれたのは、リヴェリア、あなたでした」
「!!??」
「だから、私にお母さんを教えてくれた一人の人……もう一人のお母さんに、子供の名前を決めてほしい。そう願います」
「っ」
目を見開くリヴェリア。
そんな彼女を、アイズは今まで呼びたくても呼べなかった呼称で呼ぶ。
「お母さん、お願い」
受け入れられるかどうか僅かな恐怖と
「私とベルの子供の名前を、貴女が決めてください。貴女の孫の名前を貴女が決めてください」
無限の情愛を込めた笑顔でアイズは言った。
「ぁ……」
万感の想いに言葉がでない。気を抜けば表情が崩れてしまう。
「ああ、わかったよ」
胸に迫る情愛に耐えてリヴェリアは笑みを浮かべられた。泣き顔など娘には見せられないのだから。
「私が、名前を決めよう」
だが、無理だった。
「アイズ」
声が震えてしまうのは止められなかった。
そんな、リヴェリアにアイズは幸せそうに「ありがとう」と笑った後。
「それと……」
言葉を繋げた。
「ん?」
「クラネルだと、私もだよお母さん」
ごく、当たり前に、目の前の女性を母と呼んで繋げた。
「ああ……そうだな……」
ああ、私は、今笑えているだろうか。楽しそうに笑えているだろうか。それだけをリヴェリアは恐れる。それ以外は幸福に支配された女性は恐れる。
「お前の夫、だな」
「うん。よろしい」
クスクスと笑い合う二人。
「少し疲れた。お前の夫のベッドを借りるぞ」
アイズの横に置かれたベッド。何も出来なくとも傍に居て勇気づけてあげたいとのベルの希望により置かれたベッドにリヴェリアは向かう。
「うん。お母さんなら(強調)いいよ」
「ああ、では借りる。何かあったら呼び鈴を鳴らしなさい」
布団にくるまりアイズに背を向けた時が限界だった。溢れて止まらない涙を堪えられなかった。せめて嗚咽だけはこらえんと唇を噛み締めながら
万感の想いを抱いてリヴェリアは泣いた。
孫の名を考えに考えながら泣いた。
震える布団に、どこまでも愛しい眼差しを向けた娘は、隠していた編み途中のものを取り出し編み出す。
それは手織りのネックウォーマー。
己と子のために髪を切った母の首回りを暖めるための物。
優しい笑みを浮かべた娘は、お腹の子の祖母となる女性のために丁寧に確実に編み続けた。
というわけで、自分と子と夫のことで手一杯というか、ティーンエイジャーで孕んで体の日々の変化等で苦しんでいるのに笑顔を絶やさず自分と子供以外にも夫を気遣うだけで『偉業』と呼ぶしかないほどのことをしているアイズでした。
リヴェリア様はリヴェリア様です。この次の日、アイズを姉さん、ベルを兄さんと呼び、余韻を汚したレフィーヤを池に放り込みます。
しかし綺麗に終わった。ここで終わりにしたいくらいに終わった。
いかんいかん、少しヤル気を出さないと。
やる気を出すために。数ヶ月前、ベルとアイズの会話。
「ん~……ねえ、アイズ」
何事かを考え唸っていたベルがアイズの方を向き呼び掛け、アイズは縫い物の手を止め笑顔を浮かべて答えた。
「? 何、ベル」
「僕が浮気したら、アイズはどうする?」
「??? 浮気したの?」
声調に何の変化もなくアイズは聞いた
「してないけど、もししたらどうするかなって」
「する予定でもあるの?」
表情を笑顔のままにアイズは聞いた。
「予定もないけど、も「じゃあ──」し──」
慈愛の女神さえ裸足で逃げる満面の笑みを浮かべ、天使の調べのような優しく響く声色で、ベルの声を断ち切りながらアイズは聞いた。
「──どうして、そんな無意味で無駄な質問をするの?」
ふぅ、ヤル気が起きました。