「それで、どうだリリルカ」
職人としての誇りに満ちた声。このファミリアにいた時に聞けなかったことを残念に思いながらリリは甕に入った透明な酒の匂いを嗅ぐ。
「凄いですね。香しい香りなのに鼻にも口内にも残らずに過ぎ去っていきます。匂いだけでは度数が低い飲みやすいお酒。そうとしか思えません。でも、飲めば」
「ああ、第一級冒険者どころか神さえ酔わせられる。香りだけで神を酔わせると判断させたディオニソスをこれで越えた」
満足気に何度も頷くソーマ。リリはソーマに向き直り姿勢を正す。
「ありがとうございますソーマ様」
「気にするな。リリルカの資金が無ければ決して完成できなかった物だ」
あの大金を何処でなどと、ソーマは聞かない。だって、どうでも良いし。
「リリルカ、分かっていると思うが」
「もちろんわかっています。これはすでに『武器』です。戦場でしか使わないことをもう一度誓います」
「そんなに大仰にするな。お前の言葉に嘘が無いと分かったからこそ作った。お前たちだけで使え」
「むろんです。私たちだけで使います。最大の強敵に使うという言、決して違えません」
「…………それほどの敵か」
「我々の最大の敵です。どのような相手なのかは詳しく言えず申し訳ないです」
「構わない。リリルカに頼られるのは悪い気がしなかった」
「ふふっ」
可愛らしく笑うリリを見たソーマは、以前から気にしていたことを聞く。
「しかし」
「? 何です、ソーマ様」
「ギルドから酒を作っていいという許可が降りるとは思わなかった」
「もっと禁止が長引くと?」
「ああ」
「ソーマファミリアが、神酒を麻薬のように使って構成員を酷使していたのは間違いありませんが。その主犯は前団長です。体制が変わり問題ないと判断されれば、解かれるのは当たり前ですよ……まあ、ソーマファミリア製の酒が市場に回らなくなったから、アホみたいに値段が高騰しているという裏もあるんですが」
「そうなのか」
「ええ、あちこちの商会が買い占めているので、ほとんどの人が飲めてません。飲ませろ買わせろとの突き上げが激しいらしいです」
「そうか。なら、酒造ファミリアとしての未来は明るいか」
「こういった」
ソーマの合格点を得られようと酒を懸命に造っている眷属を想い安堵するソーマに、そう言いながら、リリは作って貰った神酒を指さす。
「武器となったり麻薬となりえる酒をちゃんと届け出ればですが」
「問題ない。監査するギルド員はあと数刻もすれば来る」
「どなたですか?」
自分たちの企みが上手くいっているのか。リリは質問として聞いた。
「ギルドの班長のチュール嬢だ」
「良かった。あの方なら信頼できますね」
完璧に合法で公の機関を味方にしたリリはソーマと笑いあう。
リリには、何一つとして嘘はなかった。
「しかし、眷属が造り私が利き酒して合格に至った酒を、等級付けしてファミリアの刻印を刻んで販売するとは、上手く考えたな」
「色々なファミリアのパクリですけどね。上手い遣り方はアレンジして真似すべきですし」
「そういうものか」
「そういうものです。言っておきますがソーマ様のは」
「嘗てのような過度に酔わせてしまう酒は、今回のようなことが無ければ造らない。それに、私が造ったものは、基本的に団員の見本とするとチャンドラが言っていた。少量ずつ飲めば酔うことは無いだろう、そうして過度に酔わないモノだと分かれば皆で楽しく飲もうと言っていた」
「流石はチャンドラ様ですね」
「ああ……私は酒を造れて楽しく飲まれればそれで良かったのだ、な」
「ソーマ様」
「すまなかったな。リリルカ」
「リリはソーマ様の腕を見込んで依頼しただけですよ。こちらこそありがとうございます」
嘘などつく必要はない。
強大な敵を酔わせる為に神酒を必要としていること、その為にソーマに酒造を依頼する必要があること、これから商業ファミリアとしてやっていこうとするソーマファミリアをギルドが好意的に見ていること、全て事実だ。
リリ達がしたことは、ソーマファミリアに酒を依頼できるように状況を整えただけだ。
ソーマと笑い合いながらリリはあの日を思い出す。
あの日。ベルとアイズが結婚して、二人を祝福した日。
笑顔のリリは、必死で笑顔を浮かべたリリは、ヘスティアと二人きりで話したのだ。
どういう経緯でそういうことになったのかは、飲み過ぎていて覚えていないが。あの日、最後に彼女と話したこと、誓ったことだけは覚えている。
「ヘスティア様はヘスティア様は、ベル様を愛してないんですか!?」
酒臭いリリの言葉に、ヘスティアは穏やかに返した。
「愛しているよ。一人の女として愛している」
「なら、どうして、そうやって」
「愛しているからこそ、ベルくんには幸せになってほしいんだ」
「!!!???」
同じ男を愛する目の前の女神の慈愛にリリは息を飲んだ。
「そりゃあ、僕がベルくんの一番でないのは辛いさ。かなしいさ。悔しいさ。ウガーって泣きたい。ってか泣いた。みっともなく泣いた。でも……」
「でも?」
「それ以上にね。ベルくんが幸せになろうとするのが嬉しくってボクまで幸せになっちゃた」
そんな性分なんだよなあ、ボクって本当に駄目だあ。昔っから変われないんだよと笑う女神を、駄目だという者が居たらリリは絶対にそいつを許せない。
目の前には慈愛の化身が居た。温かくて優しくていつでも傍にあって、誰よりも大きな慈愛の存在が居た。怪物にさえも慈愛を与え暖める存在が居た。
「リリルカ」
「!?」
優しく微笑みながら、初めて名を呼んだ大きな慈愛の存在に、リリは飲まれる。
「でも、君は違う。君はボクじゃない。君は神じゃない。君は人だ。命に限りある人だ。ボクみたいに受け入れて許す必要はない。これでいい、自分は変わらずにベル君を支え続けるんだ。何て決めなくて良い」
「……何を、言ってるんですか。リリは──」
「これでも、神だからね。リリルカが自分が幸せにならなくとも、ベルくんを支え続けようと決意しているのを知っている。無償の愛を捧げているのを知っている。その上で、言わせてもらう」
「何が、ですか?」
「ぶっちゃけさあ、ベルくんとアイズくんを見てると──」
「見ていると」
「モヤっとしないかい」
「します。モヤっとします。イラっとします。イチャイチャしやがって思います。だって、少し前も──」
「ベル」
ぽんぽん。
人気の無いヘスティアファミリア中庭で、アイズは正座をして自分の太股を軽く叩いてベルを呼んだ。
慣れ親しんでいるのだろう。何の疑問も浮かべること無くベルはゆっくりと横になり、頭をアイズの膝に乗せる。
通りすがりで見かけたリリに気付かずに。
「あったかいね。ベル」
「うん。あったかくて、なんだか落ち着くね。アイズ」
後頭部には芯に弾力がある柔らかなアイズの太もも。側頭部にはフヨンと柔らかに弾ける感触。アイズは屈んで胸を当てるのが好きだなあ、僕も好きだけど、とベルは安らぐ。
女性らしさを増した分、清涼な匂いから変わったどこか甘い匂い。ベルは目を細めて全身から力を抜く。
「ベルの髪、モフモフでサラサラだね?」
「そうかな」
「何か特別なことしてるの?」
「ううん。普通に洗ってるだけだけど……どうしたのアイズ」
「ずるい」
「何が?」
ぷくぅと膨れたアイズの顔をみながらベルは笑いかける。
「私も色々としてるのに、ベルみたいにモフモフでサラサラにならないんだよ。だからずるっ……きゃっ、ベルっ」
「アイズの髪の方が良い匂いでサラサラだよ。嗅いでると安らぐんだ……」
言葉通りに、安らいだ表情でアイズの髪で顔を覆うベル。
「もう」
すぅすぅと嗅ぎながら規則正しく胸を動かしている内に、浅い眠りに落ちかけるベル。
そんなベルに、くすりとアイズは笑うと、何処までも愛おしく優しくベルの頭を撫でていった。
しばらくして。
ベルがアイズの柔らかな乳房に顔を押し付ける形になるように寝返りを打ちそうになると。
「ふぁゃん……!」
アイズが可愛らしく声を上げたために、ベルは浅い眠りから覚めた。
「どうしたの? 何時もみたいにおっぱいに顔埋めたらダメだった?」
「ううん。好きにして良いんだけど。今のは……ちょっと、足が痺れちゃって驚いたんだ……ごめんね、起こしちゃって」
恥ずかしげに笑うアイズを見て、ベルは微笑むと頭を浮かせた。
顔を柔らかなアイズの乳房に埋もれさせるために。
「本当に、大きくなったね」
「ふふっ、誰のせいかな……ぁんっ!? ……っ」
二回り大きくなった乳房に一度顔を埋められながら、後頭部で痺れた脚を擦られたアイズは、快感のあまり嬌声に近いうめき声をあげた。
誰かに聞かれていないかと慌ててキョロキョロするアイズの頭に、優しく手を添えたベルは正座した自分の膝を指し示す。
ばぁっと満面に笑みを浮かべるアイズ。
「はい、いらっしゃい」
「うん。いらっしゃいました」
今度はアイズが横になって、ベルの膝に頭をのせる。
流れるような動作は慣れきったものだと示していた。
鍛え上げられた弾力ある硬さ。女性には身に付かない硬さを後頭部で味わうアイズは、後頭部だけだと満足できなくなった。
「えいっ」
と、幼女のような声を上げたアイズはベルの腹に抱きつくように顔を寄せる。
ぎゅうっとベルの腹に顔を埋める。アイズは見たことがないのに、豊穣の麦畑を連想させる豊かな大地の匂いに、ベルの汗の匂いが混じった独特の匂いがした。アイズの好きな安らぐ匂い。
すりすりと柔らかな笑みを浮かべたアイズは、ベルの腹筋に頬を擦り付けながら全身の力を抜いた。そんな彼女に柔らかな笑みを浮かべたベルが、自分もして貰ったように優しくアイズの頭を撫でる。
あまりの心地よさに、直ぐに眠りに落ちかけるアイズ。
何処までも穏やかな二人だけの時間。
膝枕をして優しく愛しく頭を撫でる男と、安心しきった童女の笑みを浮かべる女の時間。
ゆっくりと、時間さえも周りから隔絶したような二人の時間が流れるのだった。
一部始終を見ていたリリを除いて。
「──なぁにが足がしびれたですか。わざとらしいっ。あなたは第一級冒険者って立派な人外でしょうがぁ!?
人が見てないと思って、二人きりだからって、部屋でなく外でっ!? ベル様に胸押し付けて大きくなったアピールするだけじゃなく、しおらしくか弱い猫かぶるなんてぇっ!? 羞恥心って言葉を知らないのですかっ!?」
「そうだね。本当にそうだよ」
とくとくと、ヘスティアに水を入れて貰いながらリリはヒートアップする。
「助けられておきながらレイプして妊娠するなんてっ!? 人倫にもとることしておきながら、今更良い子ぶってんじゃ無いですよっ!? あのぶりっ子ぉぉぉっ!!??」
「そうだよねえ。そう思うよねえ」
ドンッドンッとテーブルを叩きながら酒気を飛ばして吼えるリリ。そんな少女を優しく包むように、ヘスティアは相槌を打つ。
「ええ!? そうですよっ!!?? 助けてくれた相手をレイプして妊娠しておきながら結婚なんてふっざけんじゃないです。どれだけ甘えてるんですか!!?? ベル様じゃなきゃ絶対許さないですっ。ベル様の優しさに漬け込んだあの阿婆擦れぇぇぇっ!!!??? ベル様が許しても、他の皆が許しても──リリだけは、ぜったぁぃにっ許せませんっ!!!!???? ……あっ」
ヘスティアに飲まれたままのリリは、心の奥底にしまい込んでいた本音を吐き出してしまった。
してやったりという顔をしたヘスティアをリリは睨みつけ、睨みつけ
──笑った。
声に出して大きな声で笑った。涙が出るくらいに笑った。
取り繕った笑みではなく、ずっとずっと忘れていた腹の底からの笑いを思い出しながら笑った。
「ふぅ、笑い死にするかと思いました」
「そっか」
「ええ、でもすっきりしました」
「そっか」
何処までも優しく相槌を打ってくれるたびに、リリの心は軽くなっていった。
リリは知っている。ヘスティアが、自分や春姫が居るときはそれとなくベル達がイチャイチャするのを止めていることを。だから、ふとした時にしか見かけないのだ。
仲の良い二人を、ヘスティアが孤児院の子供たちと囃し立てる光景を自分たちは見てないのが証拠だ。
目の前の女神は、自分と同じく未だ女としてベルを愛する女神は、ずっとずっとそうしてくれたのだ。愛しい男が妻と仲良くやれるように手助けしながら、自分たちも助けてくれていたのだ。
リリは目元を拭って目の前の女神の目を見詰める。
「ヘスティア様」
「うん」
「私、諦めません」
「うん」
「みっともなくともあがいてみせます」
「誰もがみっともないって言っても、ボクは言わないよ。悪い事をしたら叱るけど、悪い事をしていないんだから、まず庇うさ。やりすぎって、諌めることはあるかもしれないけどね」
「はい」
ああ、迷いが晴れた。レイプされていようが、妊娠させようが、結婚してようが、アイズと同じくベルの優しさに甘えていても。自分は、リリルカ・アーデはベルのことが好きなのだ。それだけは絶対に変わらないのだから、停滞するのではなく進んでぶつからなければならない。
そうでなければ目の前の女神の眷属ではない。
自分たちの幸せのために、恋愛感情を持ったまま、引くのではなく全て包みこんでくれた女神の眷属ではない。
「そうだ、ひとつ約束してもらうよ」
「何です?」
いたずらっぽい笑みを浮かべたヘスティアに、リリは警戒というより虚を突かれた声で返した。
「君が何をしようと、僕は見守るし庇う。略奪愛をしても争っても何をしても止めはしない。ひとつ約束してくれれば、全部OKさ。やりたまえ」
「約束……ですか……あっ」
「暴力には走らないこと。それだけは約束しなさい」
「ヘスティア……さ、ま」
「血は絶対に流してはいけない。ベルくんやアイズくんを傷つけて血を流せば、誰よりも君が不幸になる。自分を許せなくなる。
──それだけは許さない。ボクはそれを絶対に許さない」
豊満な胸に包まれながら抱擁されたたリリは、言葉さえ無くしてヘスティアの言葉に聞き入った。
「だから、約束しなさい。リリルカ・アーデ。ボクの可愛い眷属。他の誰よりも君自身の為に。一度しかない君の人生の為に。約束しなさい」
言葉が出せなかった。どうやって自分が誓ったのか思い出せない。でも誓ったのは間違いない。
最後の責任は取るし泥も被る、だから頑張りなさいと言ってくれた女神に、リリは頑張ると誓ったのだ。
その手を握って約束して「よーし、頑張れ」と微笑まれた時、初めてリリは母親とはどういうものか理解できたのだから。
「さて、あとは春姫くんか」
リリを見送ったヘスティアは、静かに最近籠り気味の春姫の所へ向かった。
何か懐かしいなあこの感じ天界でよくあったなあ、と何処までも慈愛を込めた笑顔を浮かべながら──
懐かしいで思い出した。ヘラの所にも行かないとなあ。他の子の面倒みると、あの娘すぐ拗ねるんだよなあ。本当に、姉離れしない娘だなあ。下界に来てもそういう所が変わらないなんて、ボクの教育が悪かったのかなあ。
にしても、略奪愛とかハーレムOKとかボクも変わったなあ。不純な異性交遊は認めない派だったのになあ。……ベルくんがゼウスに育てられたと知ったんだから仕方ないかぁ。ベルくんがいろんな女の子引っ掛けるのは呼吸同然の事だとしか思えなくなったし。本当に、あの愚弟はボクの胃をいつも痛めつけてくれるなあ。可愛い弟なんだけど、やんちゃ過ぎるよなあ。
あと、アイズ君に土下座して許しを請わないとなあ。新婚の彼女の旦那さんをアテにするんだからなあ。こうしないとリリくんと春姫くんが壊れていたとはいえ、二人を壊したくないっていうのはボクの我が儘だしなあ。
──ゆっくりと歩を進めた。
「ふふっ」
「リリルカ、どうした?」
思い出し笑いをしたリリに、心配気な目を向けてくれたソーマに「何でもない」と応えて、ノックの音に前を向いた。
「ソーマ様、ギルドからエイナ・チュール女史が来られました」
「ああ、入れてくれ……リリルカも会っていくか?」
「良いんですか」
「ああ、構わない。この酒を監査して貰うのだ。依頼者が居ても問題ないだろう」
「では、お言葉に甘えます」
主神と約束した通り、血を流さず略奪愛を遂げるための同士を迎え入れるために。
こんな風に、リリは前を向いています。
以下余談。
ヘスティア様は、ベルをレイプして子を宿したことに関しては、ベルが許していることもあり、アイズを怒りませんでした。
でも、産まれてくる子をベルとの繋がりに利用したこと、意図しないことにしろ『物』として使ったことにはしっかり怒っています。
自らの愚かさに後悔して泣き叫ぶアイズを抱擁しながら「ベル君が許しても、ボクは絶対許さない。ボクは絶対に忘れない。ボクは絶対に誰にも言わない。だから、君も産まれてくる子供を含めた誰にも言ってはいけない。それが耐え切れなくなったらボクに叱られに来るんだ。わかったね」と叱って上げました。
アイズにベルをアテにしたことを別件にした上で。
……ヘスティア様が姉で、妹や弟がシスコンにならないはずがない(確信)