この娘は『重度』です。
ヘスティア様が介入しなければ、リリと春姫はこうなっていました。
個人的に好きになった相手にぶつかり続けるのがアマゾネスで、好きになった相手にドロ重くしがみつくのがエルフだと思っています。
*リューが酷いことになっています。そういうのが読みたくない方はどうか読まないであげてください。
──2か月前。
数日前、リューが倒れ、ミアハファミリアに入院した。
豊穣の女主人でリューの姿が見えないことに疑問を抱き訊ね、そう答えられたベルは取るものも取らずに走り出した。
人波をすり抜けるようにして走る。
傍から見れば掻き消えているような目に移らぬ速さ。だが、ベルにはそう思えない。
遅い。足には自信があった。
遅い。速さに自負があった。
遅い。だが、今、この場では遅い。
リューが大切な人が危ない時には遅すぎる。
風景を蹴り飛ばすようにただ真っすぐに走り、たどり着いた。
リューが入院しているミアハファミリアにたどり着いた。
息を切らすベルの姿をみたミアハとナアーザは、まず息を落ち着かせるように言い。リューに会せようとしなかった。
ベルが会うとどうなるか分からない。医師として到底許容できなかった。
「ここに、リューさんが」
そんな二人を、とある女神がリューの保護者としてベルを会わせることを望み説得した結果、ベルはここにいた。リューが居る部屋の前の扉に。
ゆっくりと、扉の音を立てないように開く
ミアハファミリアのホーム2階。心を刺激しないようにクリーム色に染められた部屋。食器も家具も全てクリーム色に染められた部屋の中にリューは居た。
金の髪を頭垂れ、ぼうっとした顔。手を組んだ己の手から視線を動かさずに微動だにしない。
(まるで抜け殻になったみたいだ)
あまりな自らの思考を殴りつけながら、ベルはリューの傍に近寄り優しい笑顔を浮かべ優しい声で呼びかけた。
「リューさん」
返事は無い。聞こえていない。世界から断絶したようにリューは動かない。
このままではリューがどこかへ行ってしまう。
悲痛な想いに駆られたベルは、もう一度強く呼びかける。
「リューさん」
リューの目に僅かに光が灯った。
ゆっくり、ゆっくりと、ベルの方に顔を向ける。
「あなたは誰ですか?」
赤子のような無垢な顔で何にも染まらない目でリューはベルに問いかけた。
自分が知って居たリューは何処にもいない。そう語りかけてくる眼差しに、ベルは奥歯を噛みしめながら思い出す。
「そうね。あなたと会せたら何かが変わるかもしれない」
会いたいというベルの願いに、穏やかに哀しげに笑いかけてくれたアストレアの笑みを思い出す。
意を決して、もう一度呼び掛ける。
「僕は、ベル、ベル・クラネルです」
「ベル……」
二度瞬きを繰り返したリューはベルを見て淡々と言った。
「あなたは誰ですか? 何で此処に入れたのです? 此処に入れる者は限られているのに」
覚えていない。自分のことをリューは覚えていない。フレイヤがオラリオ全体を魅了した時でさえ、自分のことを覚えていてくれて魅了を解こうと奮闘してくれたリューが覚えていない。ナァーザとアストレアとミアハからある程度リューの現状を聞いて覚悟していたとはいえ、ベルは悲痛な想いを抱く。
表情をわずかに歪めた動作をリューは敵対と受け取ったらしい。
「──そうか。侵入者」
戦闘態勢を取ろうとして立ち上がったリューの体がふらつく。
「ち、違います。僕は……っ!?」
慌てて助けようとした手。その手に絡むようにリューの体がぶつかり、重心がぶれて押し倒してしまう。
「あ……」
「ご、ごめんなさ「あぁ……」リューさん」
目を見開き体を震わせるリュー。その震えが嫌悪か恐怖に見え、絆を結んだ女性にそんな思いをさせたくない、そんな身勝手な思いを噛みしめてベルは呼びかけた。
呼びかけにリューは叫びで答えた。
「離しなさい。離せ、はなせぇぇぇっ」
叫びながら体を暴れさせる。
憔悴しきった体で暴れさせるわけにはいかない。
力ずくで抑えた。
あまりにもか細い体。
抑え込み押し倒した姿勢で目が合う。
リューの乳房をベルの手が押し潰すように押し倒した姿勢で目が合う。
潔癖なエルフには許容できない行為。
「っ……「リューさん!?」ぐむぅ」
自らの舌を噛もうとしたリューの口内にベルは手を突っ込む。噛まれる指。僅かに走る痛み。
僅かな痛み?
そう、二人の間にあるレベルの差は、リューが全力で噛んでもベルの指から血を流すことさえ出来ない程に開いていた。
何度歯噛もうとしても歯が立たない。
力付くで押し倒され乳房を押し潰されていても、リューには何も出来ない。
「……っ……っ……」
乱暴されるか弱い女性という立場に立ち、絶望に目を見開くリュー。
抜ける力。
顎からも力が抜けたことを確認してベルはリューの口から手を引き抜く。
荒い呼吸が響く。
「好きに……」
乱暴されかけている女性が他に何も出来ないと悟った荒い呼吸が。
「……好きになさい。もう、私は泣いて叫ぶことしか出来ないのだから」
「……っ」
胸の上ににベルの手が置かれていても全てを諦めて全身の力を抜く。自然とリューの股が開く。
「私の身体を好きにしたあなたは知るのですから。体を好きに出来ても、心は好きにできないと」
「リュー、さん」
瞳を潤ませて全てを委ねるかのようにベッドの上に寝るリュー。その姿に男を誘う女の色気を感じたベルは懸命に目を背けた。こんな状況で『女』を感じてしまった自分を、心の中で殴り飛ばしながら。
「あ、あぁ……」
目を背けたベルのうなじに息を吹きかけるようにしてリューは絶望の思いを紡ぎだす。
「アリーゼぇ、輝夜ぁ、ライラぁ、ノインっ、ネーゼっ……誰かぁ、誰かぁぁっ」
世界に自分が一人だけになったかのような悲しい声で紡ぐ。
「アスタぁ、リャーナっ、セルティぃ、イスカぁ、マリューぅ……お願い、お願いぃ、へんじをしてぇぇぇ」
「リューさん「ごめんなさい。少し、良い」ぁ……」
あまりに悲痛な泣き声に、一瞬だけ飲まれてもリューを抱きしめようとしたベルを押し分けてアストレアが近づく。
これまでだと背中で語りながらリューを抱きしめたアストレアの姿だけならベルは退かなかった。だが、アストレアに抱きしめられて救われた顔になったリューを見て退かざるを得なかった。
「リュー」
「あ……アストレア様、アストレアさまぁ……み「皆はいまダンジョンに行ってるのを忘れちゃったの」あ……」
優しい声に、ポカンとした表情をしたリューは顔をくしゃくしゃにした。
「あ……あぁ……よかった……よかったぁ……アストレア様、アストレア様ぁ」
「どうしたのリュー。何か怖い夢でも見たの」
「み、みんなが、居なくなって……わたしは復讐して……それで、す、好きになった人が、無理矢理されたのに、子を作られたのに受け入れて──」
行きなさいと後ろ手で指示するアストレアに従ってベルは無言で部屋を出た。
好きな人がレイプされ、それを受け入れるどころか子を成し結婚する。潔癖なエルフであるリューには、そんな現実は耐えられなかった。
だから、過去へ戻った。
最も幸せだった頃の過去に。
「幼児退行」
「──に近いものだね。今あの人は昔に戻っているの。自分が一番幸せだった頃、辛くて苦しくとも自分が何をするべきか分かっていたアストレアファミリアのころに。だから、当時会っていないベルのことを覚えてないんだよ……アストレア様がすぐ来てくれて良かった。そうでなきゃ……」
呆然としたベルに、ナァーザは穏やかに首を振って最後の言葉を言わなかった。そうでなきゃ自分の認識している現実との差異に押し潰れリューが完全に壊れていた、ナァーザの言わなかった言葉を正確に把握したベルは茫然と言葉を吐いた。
「治るんですか」
「分からない。心の病気は難しいから」
出来る限りするし決して見捨てないと、言いながらリューの元へ向かったナァーザと入れ違いになる様にアストレアが近づいてきた。
「ごめんなさい。あなたの顔を見たらと思ったんだけど……」
「はい」
「結果としてこうなった以上、今のリューには悪い影響しかあなたは与えないとしか言えないわ。ミアハもそう判断している」
「はい」
「……治療費を出してもらったのに申し訳ないのだけど、本当にありがたくて申し訳ないのだけど……もう少し時間を頂戴」
「っ……はい」
会わないでくれ。暗にそう言ったアストレアにベルは返す言葉がなかった。
失うのは嫌だった。
再会できたとはいえ、祖父を失った時に味わったあの喪失感を味わうのは嫌だった。誰かに味あわせるのが嫌だった。
だから大切な人を守りたい。失わない為に自分で守りたい。守ろうと思っていた。
大切な人でなくとも、目の前にいるならば助けてあげたいと思っていた。
子供じみた我儘だとはベルも分かっている。
どんな時も大切な人達を守れるような英雄になろうとするだなんて、子供の夢だと誰よりもベルは分かっていた。愚かな願いだと分かっていた。
それでも、貫くつもりだった。大切な人を守りたいという想いは何一つ間違っていないと信じていたから
「お願い。一つ、約束して」
「何……ですか?」
「リューに気を取られて、奥さんと子供を蔑ろにしないで。あなたの幸せを蔑ろにしないで」
だが、今、大切な人が危機にあって、何も出来ないどころか。
自分の存在こそが、大切な人の害になり、苦しめている。
その現実を前にして、様々な出会いを経て貫けるようになったと思っていた愚かな願いをベルは信じられなくなってしまった。
だから──
「元に戻った時に、治った時に、元気になった時に、自分のせいであなたが幸せになってなかったら一番傷付くのはリューだから」
──決して諦めなかった。
自らの無力さに唇を噛み締めるベルの目を見て、もう一度正義の女神に「お願い」と言われながらベルは決意した。
自分が害となっていても絶対にリューを助けて見せる。
己の無力を噛みしめて飲み込みベルはそう誓った。
「それで、これからなのだけど……」
「リューさんの事を忘れてくれというなら断ります」
「え……」
「それから、出してくれた医療費は後で返す、ここまでありがとう、なんてのも受け入れません。リューさんは僕の仲間で、家族ですから……家族が苦しんでいるのに、何もしないなんてあり得ません」
「そう……」
自分の言葉を先回りしたベルの言葉に、アストレアは何処までも優しい笑みを浮かべた。
そうだ。
顔を見合わせるのが駄目なら、会わなければいい。
毎日此処へきてリューの事を聞き、リューを想おう。家族を想おう。
自分は何だ。
冒険者だ。
ダンジョンから魔石やドロップアイテムを取ってくる者だ。
会わなくていい。ナァーザやミアハにドロップアイテムを届けて薬を作ってもらう。
先ずはそれからだ。
芳しい成果が出なくてもいい。
愚かな行為かもしれない。
自己満足かもしれない。
我が儘なだけだ。
それでも、リューを病室に入れただけの状態よりはずっといい。
今、自分が出来ること、それをしよう。
(これが……ベル・クラネル、か……みんなに会わせたかったわね)
会うなと言われても、己の存在が害になると言われても、気落ちする素振りなど欠片も見せることなく。
その瞳に透明な意志の輝きを宿して、今、できることを怠り無くやろうと己に課した少年を、己の想いを唯の我が儘と取られ誰かに非難されることも承知で愚直な意思を固めた愚者を見た正義の女神は思う。
例え誰に後ろ指を指されても合理的でなくとも、この少年の想いは正鵠を得ていると。
世の中で起きることをぱっと横目で見ただけで碌に調べることもなくわかったようなことを言う者には、表層だけで世の中を理解していると認識している者には、賢しらな者には、世界を変えることも何かを貫くことも誰かを救うこともできない。
世界を変え何かを貫き誰かを救える者とは──英雄とは、そういった世の中で起きることに愚かと呼ばれても嘲笑われても純粋なまでの真心でぶつかることができる者。
ある意味で子供のような愚者なのだから。
目の前の、様々な『出会い』を経たベルのように。アストレアファミリアの皆と共に居た時のアリーゼのように。
──こんな少年を騙している罪悪感に押し潰されそうになりながら正義の女神は思った。
正義の女神に「明日も来る」と告げ、笑顔で頷かれそのまま自分が帰るべき場所──アイズの元に戻るまでベルは何時も通りだった。
帰りを告げ、アイズを抱きしめるまで、ベルは何時も通りだった。誰もがいつも通りに返してくれた。だから、大丈夫だと思った。
「どうしたの? ベル」
──そのつもりだった。
だが、妻となったアイズだけは誤魔化せなかった。
「ううん。何でも「ベル、話して」え?」
心の中に溜まったモノを妊娠中の妻に影響させないよう咄嗟に離れようとしたベルを、全てを包みこむ笑みを浮かべたアイズはそっと胸に抱き締めた。
「ベル。私はベルの奥さんだよ。違う?」
「う、うん。そうだけど」
何も言わず優しく抱き締め返してくれたアイズの温もりが、内面が荒れ狂っていたベルに落ち着きを与えてくれた。
「だから、誰にも言えないことでも、悪いことでも、悩みも、何か決めたことでも話して欲しいな。私はベルのことが好きだから、ベルと一緒に受けとめたい」
「アイズ……」
「だから、何があったのか話して、今ベルが悩んで苦しんでいることを私に教えて……悩んでも苦しんでも何時も前に進もうとするベルのことが好きだから、誰よりも速く走っちゃうようになったベルの道に私が寄り添いたいから」
「……」
言葉を切り、無言でベルの頭を撫で続けてくれるアイズの温もりに押されるようにベルは口を開いた。
「リュー、さんが……」
「うん……」
優しく抱き締めてくれたアイズの胸の中で、ベルは静かにリューの事を話した。
皆と一緒にリューのことを悩むのは自分には許されていないような気がした。リューのことを仲間ではなく家族として想っているのは自分だけのような気がしたから。
アイズはそんな自分の感情を否定しなかった。同調しようともしなかった。否定はもちろん肯定しようともしなかった。
ただ寄り添ってベルの言葉を聞いてくれた。
それが、一番ありがたくて嬉しかった。今どんなにベルのせいじゃないと言われても、気休めにもならずに、逆に追い込まれてしまっただろうから。
ただ、愛する妻の温もりに包まれながら止めどなく口から漏れていく言葉を聞いてもらえることに救われた。
その後『ゆっくり寝て、たくさん食べないと助けられるものも助けられないよ』と妻に言われたベルはゆっくり休み英気を養った。
リューを治す。その誓いを胸に。
妻との絆をより深くして。
その日から、ベルの日課にミアハファミリアに役立つドロップアイテムを届け経過を聞き、建物の外からリューの病室を見上げることが追加された。
現在──
「ベルは、今日も来るでしょうか」
「来ると思うわ」
「そうですか。これで、毎日ですね……私が倒れる前とは違って、毎日」
「ええ……良かったわねリュー」
病室のベッドに腰掛けるリューの声には芯があった。とてつもない情熱の芯が。
自分を覚えているのか、とベルが聞けば驚愕する声を耳にするアストレアは、零れそうなため息を抑えながら相槌を打つ。
解決策を模索するのではなく、悩みに対して「辛かったね、分かるよ」と賛同して一緒に悩みながら今の在り様を受け止める。それが今のリューを一番刺激しないのだから。
「アストレア様」
「なにかしら」
「ようやくわかりました」
「そう、よかったわ……何がどう分かったの、リュー」
「私は考え過ぎていたようです」
「………………」
「もっと、思うままに生きるべきでした」
あれ、何か不味いわ。ヘスティアが居ない時にヘラの気配がするくらいに不味い気がするわ。
ここは相槌を打たない方が良い。そう判断したアストレアはリューを優しく窘める。
「あの、ね。リュー。もう、病んだふりをするのは止めるべきじゃないかしら。ベルくん本当に気に病んでいたわよ」
「そうですか」
「ええ、そうよ。こんなこと止めるべきよ。こんな行動には良識の欠片も無いわ」
「ありますよ」
「えっ」
「何としてもベルと情を交わし、ベルのモノにしてもらう。
それこそが今の私の良識。
私の義。
私の正義です。
何一つ間違っていません。
アリーゼ達も間違っていないと言っているのが聞こえるでしょう」
「……ええ、そうね。聞こえるわ」
今までで一番受け入れたくない正義の解釈に、アストレアは一瞬沈黙して受け入れた。受け入れたくなくとも、万人が持つ一つ一つの正義の解釈には違いない。ならば正義を司る女神として受け入れなければならない。
何より、アリーゼ達の声が本当に『聞こえている』そんな不安定なリューを刺激するわけにはいかない。だから、受け入れよう。
とてもとてもキツイけど受け入れよう。
「こうしなければ、ベルは幸せのあまり私のことを次第に脳裏の隅に追いやっていきました。いえ、実際そうしていました。ダンジョンで剣姫より先に裸で抱き合った私を。なのに、剣姫と違って指一本手を出さなかった私を思考の隅に追いやって、優先順位を下げて、そのまま忘れさろうと──」
自らの存在意義を悲壮な想いで曲げる主神を前に、目の中に瞋恚の炎を燃え盛らせるリュー。
「──決して許せません」
「………………」
「奥さんより優先はしないだろうけど、あの優しいベル君がリューを忘れることなんて無いわ……だからこんな取り返しがつかないことは止めましょう」そんな言葉を胸にしまい込んだアストレアは、にこやかな笑みを浮かべながらコクコクと頷くことで、リューを刺激しないようにする。
まあ──
「どうすればよかったのですか。好きな男の人が好きな相手と上手くいっていて、自分を忘れて貰わない以外の何ができるんですか。どうしようもないではないですか。剣姫と仲良くなって結婚していちゃつくベルを眺めていくうちに心の奥でキシキシ音がしていくんですよ。苦しいんです。心が摩耗していくんです。
それなのに、ベルが話しかけて優しくしてくれるたびに心が沸き立つんです。嬉しくて仕方ないんです。心が癒されていくんです。
そうやって足踏みしたまま何も変わらず日々が過ぎ去っていくだけなんです。お腹が大きくなっていく剣姫の横顔に母親の強さと慈しみと女の愛らしさが深まって、ベルが夫としても父親としても成長していくのを、何も変わらない私は見ているだけの日々なんです。
変わっていく二人を変わらない私は見ているだけの日々なんです。
どうすればいいんですか。こんなのどうすれば良いんですか。ここからどうすれば幸せに──ベルのモノにしてもらえるんですか?」
──刺激しなくともこうなるのだけど。
何時も通り延々と愚痴にもならない言葉を連ね始めたリュー、危険な空気を撒き散らす眷属をアストレアは優しい笑顔を浮かべて見守りながら今自分が何をすべきかを把握した。
一応自分に問いかけている形なのだから、答えなければ悪化する。と
ミアハとナァーザにそう教えられ経験で理解しているアストレアは、色々な意味で取り返しのつかない行動──それもベルとアイズ夫婦の絆を深めてしまったモノ──をノープランでしてしまったリューのポンコツっぷりに若干笑顔を引きつらせながら何とかアドバイスとなりえる言葉を捻り出す。
「………………新しい恋を探すか、一緒に旅に出るのはどうかしら」
「はっ」
「りゅ、リュー」
アドバイスになっていると自分では思う言葉を、荒み切った目付きで鼻で笑われたアストレアは思わずリューの名を呼ぶ。窘めるつもりは無い、ただあまりにも荒み切ったリューの姿が見ていられなかったのだ。
そんなアストレアに、リューは荒み切った眼差しのまま問いかける。
「アストレア様」
「何かしら」
「アストレア様は恋をしたことが無いでしょう?」
「………………そんなことは無いわよ」
神話において、夫どころか父親(ゼウス)を除いて男の影すらないという、深く考えると闇しかない女神は何とか言葉を振り絞った。
そんな女神を放置してリューは言葉を綴る。
あ、この反応ということはこの方恋愛経験無いな。分かっていたけど恋愛相談出来ない相手だと見切りながら。
「新しい恋を探すなど無理です……ベルが居ない場所に行くなど、もっと無理です。不可能です」
でも、他に聞いてくれる相手が居ないから相談する。
「……どうして、なの?」
「私がベルを諦めてないからです。そんな私が他の男に目移りするわけありません。ベルの姿を感じられも見ることも聞くことも匂うこともできない所になんて行けるわけがありません」
「そう、なのね……」
匂いって何、何なの? 離れてても匂えるの? という魂の叫びを押し殺しながらアストレアは笑顔で返す。
「はい。アストレア様は私が潔癖種族であるエルフだから諦められないのではないかと思っているかもしれませんが、エルフの種族特性としての潔癖さ貞淑さ云々による重さや面倒臭さはどうでも良いです」
「どうでも、良いのね(あと、エルフは恋愛すると重くて面倒臭いって分かっているのね)」
「ええ、種族を前面に出すなんて無様です。言い訳にもならない戯言です。自分をわかっていない愚か者の発言です。大事なのは一つなのですから……分かりますかアストレア様」
「ごめんなさい。分からないわ。よければ教えてもらえるかしら」
「私がベルを諦めていないことです。本気で諦めていないんです。大好きなんです。誰にも渡したくないんです。大好きなあまり、苦しくて嬉しくて、それらが混ざり合うと胸が痛くなって辛くなって幸せで仕方がないくらいに大好きなんです。
大好きだから、辛く苦しい想いをしていても、関係を断ち切った方が良いなんて全く思うことができないんです。関係を強固にしたいとしか考えられないんです。
病んだふりをすることで毎日此処に来させるほどにベルに私のことを想わせ、その心の片隅に何時も自分を置けている今、私が何を思っていると思いますか」
「……罪悪感、かしら」
「いいえ、欠片も思っていません」
「……え……っ、と」
そうであって欲しいという願望を、リューのあんまりな即答で否定されたアストレアは背筋に汗が流れるのを自覚した。
「ベルが私を気にやんでくれている。そこまで私のことを思ってくれている。そう思うと、感じているのは暗い悦びだけなんです。ベルが苦しみながらも心のある部分だけでも、私を一番に想ってくれていると思うと。
じわじわと胸の奥から焙られて全身に熱さが巡るくらい嬉しくて仕方ないのです」
「そう……」
人としての良識や常識を墓場に葬った腐れ外道なことを言いながら笑みを浮かべるリューに気付かれないようにして、アストレアは呼び鈴を視界に入れる。
どうしよう、鳴らしてミアハとナァーザ(医者)を呼ぶべきだろうか。
いや、二人も言っていたじゃないか、私が一番リューを刺激しないと、私と一緒の時が一番安定していると。
迷いは一瞬、微笑みを深くして現在のリュー、闇落ちしたリューのすべてを受け入れる決意を定めるアストレア。
「ええ……ですので、略奪愛も考えました。力尽くも考えました。でも、私ではベルにもう敵いません。熊にじゃれつく子猫のごとくあしらわれてしまいます。
そもそも、そんなことが出来るような積極性があったのなら、私はもっとベルにアプローチしてました。でも、していないんです。アプローチせずに指をくわえていただけなんです。異性で初めて手を触れ合えた人なのに、指をくわえてぼうっとしていただけなんです。
こんな私では、力尽くでベルを押し倒すことができたとしても、それからどうすればいいのか分からずベルの上で固まって「どうしたんですか」と言われる未来しか見えません。
──そもそも、そんなことをしたら嫌われるんじゃないかって不安で仕方ありません。
私には、どうやって異性との距離を詰めればいいのか。どうすればモノにしてもらえるのかが」
「……」
「さっっっぱり、分からないんです!!」
らんらんと目を輝かせて咆哮したリューは、ありとあらゆる意味で袋小路にある現状に脱力したように俯いた。
「前会った時に押し倒してもらえたのに、ベルは私に欲望の色一つ見せませんでした。私には魅力が無いんです。胸を揉んで貰えたから瞳を潤ませたのにどうとも思われないんです。はしたなくもベッドの上に寝転がって股を開いたのに目を背けたのです。意を決して、うなじに息を吹きかけても目を背けたままだったんです。見るに見かねたアストレア様が割って入ってくれなければずっと目を背けたままだったんです。
……本当に、どうすれば良いんですか。入院したことで何とかベルの関心を繋ぎ止めましたが、これからどうすれば良いんですか。大好きなんです。愛しているんですよ。ずっとそばに居て欲しいんです。だけど」
「……だけど?」
「だけど、実際には、ベルは、好きな男の人は、別の女の傍らに居て、とても幸せそうなんです。どんなに悪意的に見ても愛し合っているんです。お似合いなんです。お互いのことを知り合って分かり合っているんです。
見ているだけで、心が痛いんですっ!?
……私と違って分かり合っているんです。剣姫は自分を──強姦するほどに浅ましく醜い自分を曝け出しても受け入れてもらえたんです。
いえ、分かっています。私の時もベルは受け入れてくれたんです。なのに私が踏み込まなかったんです。無様です。間抜けです。臆病者です。生娘をこじらせています。
……裸で抱き合った時に、モノにしてもらっていれば……あの時、モノにしてもらっていれば」
「……それは残念、だったわね」
ぼそぼそと後悔の念を吐き出していくリュー。
精神的に病んでいる人間に対して、ベルが欲情するような人物か。そんな常識は今のリューの脳裏に掠めなかった。そんな余裕とか安定とかいうものを無くしているのだから。
「あ、アリーゼ、ええ、ええ……わかってます、逃がしちゃ駄目なのは……でも、これからどうすれば良いんでしょう……え? ライラ? 手を組めと言われても誰と手を組むんですか……しかし、シルは……いえ、嫌っていません。当たり前です。女神であったとしても、騙していたとしても、シルは私の友人で恩人だ……そうです、輝夜、甘ちゃんで構いません……え? シルが人間に? なら……」
(ヘスティア……ママ、わたし、どうすれば良いの)
自分の発言を無視した上で己の世界に籠ったリュー。これが常態と化した彼女を見ながら、天界で(ゼウスの前妻の娘であるが故に)ヘラに無視し続けられるか消去されかけている時に何時も──ヘスティアらしくするだけで意図せず──助けてくれていた眷属そっくりの優しい神友兼育ての親に救いを求めるアストレア。
変貌した愛する眷属、振りではなく本当に病んだ眷属を献身的に介護し続ける彼女には、誰かに救いを求めるほど疲労がたまっていた。
リューが倒れ伏して心を病み入院している。豊穣の女主人でそう教えられ泣き叫ぶシルが友人と共に駆け込んでくる1時間前の事だった。
階下──
「あのね。ダフネちゃん」
「何よ」
「一匹の兎に何枚も網が投げられるお告げの夢を「カサンドラ」へ?」
「忘れなさい」
カサンドラには、まだまだ別の恋を探せる余地がある。いや、探させて見せる。あんな奴らに巻き込まれるほどのこと──ベルに救われる大イベント──はカサンドラには無いんだから。絶対巻き込ませない。
そんな決意を込めてダフネは言い切った。
半月後のある拘束された翁「ベルよ……お前が生真面目で独占欲が強く我が儘── つまりは、一穴主義者だと承知の上で言おう。
悪い事は言わん。ハーレムを作るべきじゃ。そうしなければ収まりがつかん(真顔
いや、埒もないことを言ってしまった。男なら、雄ならば、そんな妥協のためにハーレムを作ってはならん。夢とロマンと下半身の衝動でハーレムを目指し作ってこそ男よ」
なお、アストレア様とヘラ様間の火種を含めた様々な火種をヘスティア様がヘスティア様らしくして消すことで狂乱の邪魔をするたびに、ディオニュソス様はヘイト溜めていました。
オリンポスの神々の諍いを「(ヘスティアの前で)争っていても毒気が抜けて仕方ねえわあ」で収められるのヘスティア様だけなので。