それから、出るわ。出るわ。
初手でリヴェリアの覚悟を粉砕しかけるレベルのが出てくるわ。
「……怪我をして意識のないクラネルに口付けして回復薬を飲ませたのか?」
「うん」
私は当たり前のことをしましたとばかりに頷くアイズ。そんなアイズを見ながら「これは人命救助。人命救助の範囲」と己に言い聞かせる。
自分さえ騙せない嘘をつくのは苦痛だ。だが、ここから先の話を聞くためだ仕方ない。無理やりにでも自分を騙す。
「……口付けしたのはともかくとして」
「ともかく?」
「そんなに回復薬は要らないはずだが」
「必要だったん「アイズ」ベルと口付けしていると幸せになって、その……追加を」
「追加だけか」
「ベルの口の隅々まで……舌を、入れて、その……届くところは全部」
誤魔化そうとするアイズを許さず追撃すると、意識の無いベルの唇を奪い存分に貪ったと返されてしまった。
リヴェリアは胃に重いものを感じながら言葉を紡ぐ。
「……そうか、クラネルにはその事を」
「言ったよ。そうしたら、キスしてくれてたんだ。それから、この時のキスを、意識がある時のキスを初めてのキスにしようって言ってくれたんだ」
「そうか」
クラネルが許しているなら良いか。二人だけの問題だ。
よし、これは解決。
悪いのは、意識のない少年に対して唇を奪い思う存分貪るような教育をした己だ。その認識さえあれば解決できる。
幸せそうに微笑むアイズに微笑みながら「良かったな」と返す。言葉が震えているのを自覚しながら。
三桁近く生きた経験が無ければ危うかった。
「……オッパイをしゃぶらせたのか、意識の無いクラネルに」
「うん」
私は今幸せですという顔で頷くアイズ。そんなアイズを見ていると、喉が焼けるように痛い。まるで、ストレスの余りに胃液が逆流しているかのように。
だが、そんなことはある筈が無い。
そうだ。
まだ何故そんなことをしたか聞いていないのだから、胃液が逆流するほどのストレスを感じているはずがあるわけ無いではないか。
「どうして、そんなことをしたんだ」
「膝枕じゃ足りないって思ったから」
「足りない、とは?」
「意識の無いベルの心を癒すのに足りないって思ったんだ」
「……効果はあったのか」
「うん。ベル、とても、安らいでくれた。抱き締めながらオッパイあげてた私もすごく幸せだった」
「クラネルは、そのことを知っているのか? 怒っていなかったか?」
「知ってるよ。この事は怒ってなかった」
「そうか」
「私の教育方針が間違っていました。全責任は私にあります。誠に申し訳ありません」とベルと神ヘスティアに謝ろうと決意しながらリヴェリアはアイズの髪を優しく撫でる。
ハイエルフとして、王族として育てられていなければ危うかった。
口の中が酸っぱくても、まだまだ覚悟は揺るぎはしない。
「それに」
「それに?」
「これなら、あの寝取り白エルフも出来ないことなんだ。気付くのが遅かったくらい」
あ、今揺らいだ。
「……アイズ」
「何?」
誰に教わったかわからない──分かっているよ。どうせロキだろうが逃避する弱さを許してくれ──悪口を口にしつつ嫉妬の炎に燃える眼差しを細めて優越感を顔に浮かばせるアイズ。
普段あまり変わらない顔つきでそんなことをすれば、整った顔立ちをしているだけに大半の者を怯えさせるほどに恐い。
そんな顔をする少女を前にしても、恐怖は勿論怒りすら湧かない。ただ濃厚な疲労を感じながらリヴェリアは注意する。
「セルランドの名前を呼べとは(もう)言わない。だが、せめて二つ名で呼びなさい。それが、年長者にして冒険者の先達に対するせめてもの礼儀だ」
もう数えることさえできなくなったほどに重ねた注意をリヴェリアはさらに重ねる。
ベルがヘディンを師匠と呼びはじめてから頑なに名を呼ばなくなったアイズへの注意を。
「だれが、あんな奴をっ」
尤も、注意してもリヴェリアは止めない
正確には止めることができない。
止めるということは、ベルとヘディンの師弟関係をアイズに認めさせなければならないからだ。
ひいては、ベルとの師弟関係の相性において、ヘディンに完敗したことをアイズに認めさせることになるからだ。
だから、注意でとどめる。
「いや、せめて、二つ名で──」
「必要ない、よ」
「……あ、まあ、取り合えず落ち着きなさい」
「私は、落ち着いて、るよ」
「…………そう、だな」
(何故こうなったんだ)
歯軋りするアイズを物理的に落ち着かせるために、抱きしめながら軽く黙考する。
こうなった原因を突き詰めれば、ベルとヘディンの師弟相性が極めて良かったことに尽きる。
爆発的な成長に惑わされがちだが、ベルの才能、センスと呼ぶべきものは高くない。真面目で貪欲だから、教えられたことを愚直に血肉に換えることが上手く、強固な意志で限界を超えているだけだ。
だから、ベルの美点を踏まえてから筋道立てて論理的にかつスパルタで叩き込んでくれる上に、本当に不味いときは止めてくれる──ローリエにお持ち帰りされそうになった時とか──ヘディンは師として最高の相性を誇る。
まるで、天がベルの師として遣わしたかのように錯覚するほどの相性を誇る。
それに対して
「あんな奴は寝取り白エルフでも十分過ぎるよ」
と噛みつきそうな顔で吐き捨てるアイズは。
抜群のセンスを恵まれた環境で磨き抜いたアイズは。
教え方がスパルタ天然な上に初めて師をやったアイズは。
(クラネルの師としては正直あまり向いてない、としか)
戦闘技術はともかく、心構えとか思考法の方面ではそう判断せざるを得ない。
あまりに酷い例えだが、鍛錬中に眠くなり「今から昼寝の訓練をしよう、何処でも眠れる訓練をしよう」とか言いかねないのだアイズは。
天然100%で。
真面目で愚直なベルに。
疑問を浮かべながらも「師の言う事だから」と最後には頷いてしまうベルに。
(流石に無いと思いたいが)
もし、アイズがそんな事を教えてしまったら。と考えるとリヴェリアの心に焦燥が浮かぶ。
いや、教えるだけなら良い。まだ良いのだ。
もし、本当に何処でも眠る必要があった時が不味い。
ベルは、この時の為だったんだとアイズに感謝さえしてしまう。
はっきり言って事故なのに。ベルでなければ激昂して然るべき事なのに。
運が悪ければ命が危うくなる悲惨なことになりかねないのに。
なのに感謝して敬愛してしまうのだ。ベルは。
(つまりは)
そういった可能性を想定すると、やはりこう結論せざるを得ない。
(相性が悪いんだ)
男女の関係としてはともかく、師弟関係ではそう結論せざるをえない。
戦闘技術うんぬんではなく、男女関係における性格の相性の良さが師弟関係では裏目に出てしまう。
師がいないどころか、ソロでダンジョンに潜るという自殺行為をしているよりは遥かに良いが、かなり不味い状況だ。
事故になっていないのは、ベルの周りに戦いを教えてくれる人材が居なかったことと、ベルの貪欲さが並大抵ではないことと、(リヴェリアは知らないが)アイズが絡むとベルが爆発的に成長するからだ。
(クラネルも感じることがあったのだろうな)
ヘディンに教えられ始めて直ぐに「師匠」と読んだのはそんな所だろう。
この人に教えて貰いたいと心が反応したのだろう。
それがフレイヤ・ファミリアへの仮入団──誘拐+洗脳の卑劣極まりない事件なのにベルが馴染みすぎてそうとしか例えようがない──でヘディンと過ごして確信に至ったのだ。
この人こそが自分の師だとハッキリと魂で感じたのだ。
つまりは、フレイヤファミリアの一件が片付いた時には、既に手遅れだった。
──ベルはアイズよりヘディンを(師匠として)選んだのだ。
「あいつっ、あの寝取り野郎」
「アイズ」
「なにっ」
「…………私の前以外では、セルランドのことをそんな風に呼んでいないよな」
「約束した通り、リヴェリアとヘスティア様以外の前では呼んでないよ」
「…………そうか、そうかぁ」
いつも通り、ヘディン関連の話になると、激情に全身を小刻みに震わせるアイズを抱きしめながらリヴェリアは遠い目になる。
「師匠、師匠」と慕いながら教えを請うベルと、それに対してスパルタ式で誠実かつ的確に応えるヘディンの関係は、リヴェリアをして感嘆するほどに見事だ。師弟関係の理想像だと断言できる。
さらに加速度を上げて成長していくベルの姿は瞠目に値する。
「ベルをっ……よくもっ」
「そうだな、そうだなあ」
その度に、アイズの心の一番柔らかいところを抉ることについては、止めてほしいと心の底から願うが。
ウチのアイズは腕っ節が強いだけで、心は本当に脆くて大切な者を失うことに耐えられない女の子なんだ。だから加減して。と懇願したくなるが。
(クラネルには、悪気は一切無いのだろうが。その、だ、なあ……)
アイズには到底出来ない巧みな指導で(アイズに追い付きたいが故に)爆発的に成長するベルを見続けることは。
(アイズに追いついた姿を見せたいという男心により)アイズよりもヘディンに教えを請う姿を目の当たりにするのは。
アイズからして見れば、己と過ごすべき時間を奪われているのは。
ベルがアイズよりもヘディンを(師匠として)選んだことは。
「あの盗っ人っ……ベル泥棒っ」
「ああ…………ああ」
ベルと一緒に時間を過ごしたいアイズに、許容できるはずがない。
ベルが爆発的に成長しようが、いやするからこそ許容できるはずがない。アイズにとって、ヘディンはベルと自分の関係を狂わせた極悪人となった。
全身を小刻みに嫉妬で震わせ、爛々と目を輝かせながら悪口を重ねる姿を見る。
その姿を見ていると、何か出会った頃の幼いアイズがガルガルと唸っている姿さえ見える。
復讐に目を澱ませているのではなく、嫉妬に目を輝かせながら「月夜ばかりと思うなよぉっ。ベルと一緒に居た時に襲ってきたのは、お前たちが先なんだっ」とか吠えている姿が見える。
そんな、今のアイズの姿を例えるのなら──
まるで、夫に浮気された妻のようだろう。
まるで、意に沿わぬ結婚を息子がして駆け落ちされた母のようだろう。
「なんで、なんで……ベルっ、憧れて、良かったって……出会いは、間違いなんかじゃないって……どうしてっ」
「そうだなぁ。どうしてかな」
「なんで、あんな……あの流れで、あいつに愚兎なんて酷い呼び名で呼ばれて、尊敬してますって顔で、嬉しそうに、分かり合ってるみたいに、師匠って、あんな奴を師匠って、なんでっ」
「そうだなぁ。本当になんでだろうなあ」
そして、こういう場合。
いわば、夫が別の女に浮気された妻の場合とか。
いわば、意にそわぬ結婚を息子がして駆け落ちされた母の場合とか。
いわば、愛弟子が別の師に師事するようになった師匠の場合とか。
そんな場合。
そんな場合に、少しでも相手が目を覚ますだろうと何らかの行動に──
そう、夫と別居したり
そう、息子を勘当したり
そう、新しい師に教えてもらえばと
して、それが裏目に──
まぁ、離婚されたり
まぁ、離れた場所に引っ越されたり
まぁ、奮起して新たな師匠に四六時中鍛えてもらっていたり
──した場合。
「可哀そうに……誑かされて……」
「…………そうか」
全ての諸悪の根源は夫や息子や愛弟子ではなく、その相手となる。
浮気相手の女や義理の娘や他の師匠こそが諸悪の根源となってしまう。
「あの……白悪魔っ」
「ああ、そう、か」
見事に、ヘディンはアイズの内面において『怨敵』カテゴリーを射止めてしまった。
いつも通り、妬みと悲しみと嘆きに身を震わせるアイズをできる限り優しく抱きしめながら、ベルがしたことを回想する。
アイズと色々あって仲良くなり、アイズの女の子らしさを引き出してくれたのは良い。
異端児の件の際に、アイズと闘って苦悩させたのも良い。苦悩するアイズは好ましかったし、その後に直ぐフォローしてくれたのだから。
二人きりの鍛錬を約束して、怪人と戦うアイズを助けてくれたのだから。
でも、その後が良くなかった。
シルとデートしたことは、まあ許容範囲だろう。多分、きっと、おそらくは。
その際のヘディンとの交流が、アイズにとって良くなかった。
女神フレイヤが魅了をかけた後ではなく、その前に師匠と呼んで慕い始めたのが良くなかった。
アイズと約束していたはずの鍛錬を後回しにして、ヘディンに師事して鍛えてもらったのが良くなかった。
(良くなかったんだ。つまり、その、きわめて、そう、きわめて、悪意的にというか、女の情念と呼ぶべき想いで考えれば)
情念だけで考えたのなら、ベルは(意図せず)上げて落としてさらに上げてキープした挙げ句に突き落としたのだ。
寝取られたのだ。
「あのエルフの面汚しっ…………ゆるさない」
「あ、ああ、そう、か」
これで納得したり許せるのならば、考えなしか、ベルのことがどうでもいいか、真正の博愛主義者かだろう。
そして、アイズはそのどれでもない。
自分の胸の中で、怨敵ヘディンに対する罵詈雑言を唸り続ける。
(クラネルのことだ。ワザとやっているなど考えられないが、そんなことは関係ないんだ。クラネルとの関係が遠のくことに、アイズは、耐えられないんだ。だから、その、もう少し、加減をしてくれれば、なあ)
剣姫や戦姫などと呼ばれているが、アイズの根っこの感性が純粋すぎるほど女の子だとリヴェリアはよく知っている。
「あの下種っ」
「…………ああ」
知っているからこそ、ヘディンを目の敵にすることがよく分かる。
この嫉妬の感情こそ、普通の年頃の少女が抱くものなのだから
──ちょっと、直截的というか、激しいところがあるのが問題なだけで。
(これも良い経験、フォローすれば問題ない、と見守っていたのは失策だったかもしれないな。初手でフォロー出来る範囲を越えようとしたし)
初手で、激憤に身を任せてベルに問い質すためにヘスティアファミリアに乗り込むくらいには、アイズには激しいところがある。
応対した神ヘスティアが許してくれたから良かったものの、大変なことになる所だった。
ヘスティアファミリアにアイズが乗り込んだと聞いて、(短い悲鳴を上げながら)即座に向かったリヴェリアは回顧する。
泣き腫らした目で寝ているアイズを膝枕しながら優しく撫でてくれていた神ヘスティアからのアドバイスを。
「何でもないよ。年頃の女の子にはよくあることさ。だから頭ごなしに正論を押し付けないほうがいいよ。反発して酷いことになるだけだからね」というアドバイスを回顧する。
その後、誘われてヘスティアファミリア一同と共に食卓を囲んでから、頭を下げて教えてもらった子育てのアドバイスに従い、賛同せずに相槌を打つだけにして激情を受け止め続けるリヴェリアは思う。
(アイズも分かっているんだ。分かってはいるんだよ……第一級冒険者《剣姫》アイズ・ヴァレンシュタインは、な)
第一級冒険者にまでなったアイズだ。ベルにとってはアイズよりもヘディンの方が師として優れていることが分かってはいるのだ。
第一級冒険者のアイズ・ヴァレンシュタインは理解している。
納得も受容も出来ないだけで、理解だけはしている。
『納得や受容』に比べると黄金と石ころくらいの差がある『理解』だが。
『理解』だけはしてくれている。
そして、一人の少女としてのアイズは、その『理解』さえしてない。
いや、認識することさえ拒絶している。
──で、ベルの事に関する限り、アイズは少女の方に振り切った判断をするだけなのだ。
ヘディンに関する状況は、ただそれだけのことだ。
何一つとして驚くことも慌てるようなことも起きていない。
溜まりすぎたフラストレーションによって、ヘディンとの違いを武器にしただけのことだ。
自分が女であることを武器にして、意識がないベルに乳房をしゃぶらせただけのことだ。
本当にただそれだけなのだ。
ベルが怒っていないのだから、外野が口を出すのは野暮だろう。
だから、口の中が酸っぱいだけでなく血の味もするのは気のせいだろう。きっと。
(アイズに良い傾向をもたらしているのだが、なあ。ちょっと、勢いがつきすぎているというべきか)
『復讐』『ロキファミリア』『ジャガ丸くん』で完結してしまっていたアイズの世界に『ベル』という要素が増えるのは間違いなく素晴らしいことだ。
ヘディンに嫉妬するアイズは一人の少女として成長していると断言できる。リヴェリアにとって好ましすぎる変化だ。
だから、こうやって受け止めるのは苦ではない。
以前よりもベルとの関係を少しでも失う事に耐えられないアイズのことを愛おしいと思う。
神の魅力を受けても覚えていた約束の関係を守りたい、そんなアイズを可愛らしいと思う。
『ヘディンの名を呼べば、自分よりヘディンの方がベルの師として優れていることを。ベルが自分よりもヘディンを選んだと認めてしまう。そんなの嫌だ』
そんな風に考え、ヘディンの名を呼べず、意識がないベルに乳房をしゃぶらせた。そんなアイズのことを思うと感涙さえにじむ。
それに比べれば、最近になって毎晩飲むようになった胃薬が、これからは常時手放せなくなるに違いないことなど、何ほどのものだろうか。
「……まあ、クラネルがおっぱいをしゃぶらせたことを怒ってなければそれでいい」
「いいの、かな」
「ああ、クラネルが許してくれているんだからな。いいんだ」
「うん」
アイズの激憤が少しおさまったところに、穏やかな言葉で水を差し、話を戻すことで激憤を鎮める。いつも通りだ。
王族として育てられた経験と、子育て経験豊富な神ヘスティアのアドバイスに従い、いつも通り注意だけで止めた。次は、母親になるんだから丁寧な口調を心掛けなさい、と注意すればいいのだと心に決めながら。
ひょっとして、アイズの復讐に傾いていた心の重点がベルに傾いていることに安堵していた自分は間違っていたのか。
追い詰められるとどんな爆発をするか分からないところのある。そんなアイズの心の火薬庫を放置していたのではないか。
そんな苦悩を覆い隠しながら、揺らぎに揺らいだ覚悟を補強した。
ベルがアイズに、あなたの英雄になると誓った世界線なので、師匠関連が酷いことに。
これからコロナ関係で予定が詰まります。後編は予定が開いてから書き上げるのでしばらくお待ちください。