※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第三部 霊脈篇   作:炭団

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104、ハルビンにて

 お盆に私とルヴィアは買ったばかりの自転車で、試合会場や宿舎の下見から戻ったエルヴァやエルマと、一泊二日のサイクリング・キャンプを楽しんだ。

 お盆明けは、いよいよインターハイに挑むエルヴァと衛宮君を日本に居る皆んなで見送った。その後、私とルヴィア、そしてハサンの3人は、関空からウラジオストクへソウル経由で飛び立ったのだった。

 

 ウラジオストクからエルヴァや美遊の衛宮君と合流できるイルクーツクへそのまま飛び立つ便もあるのだが、私達はその前に仕事があった。

 今回は極東から攻めようと、まず手始めにハバロフスクに近いユダヤ自治州の州都ビロビジャンでの取り引きが決まっていたのだ。

 だからといってそうホイホイとウラジオストクからハバロフスクに飛べるものではない。まだまだ西側に見せたくない場所があるからか、ビザがなかなか下りないのだ。

 そこで一任していたナタリアさんが、細々した手続きをすべて終えてくれる段取りだった。その彼女が、ウラジオストク空港で待っていてくれている。

 ルーマニアでもエルヴァ達をサポートしていたそうだから、この人の活動範囲は広い。無事再会できた私達は、すぐ様荷物を受け取って、別便に乗り換えてハバロフスクへ飛んだ。

 ウラジオストクでは気付かなかったけれど、空港から外に出ると肌寒い。勿論薄手の上着は持って来ていた。

 

「本日はこの街で一泊だ。明日の朝に出発して、午後からビロビジャンで取り引きがある。その後一旦中国に入ってハルビンだ」

「中国に?」

「ああ、以前のリストから抽出したものがこれなんだが」

 

 手渡してくれた新しいコピー用紙には、5~6点の礼装や呪体があった。

 

「これ等が現在、ハルビンのとある人物の手元にある。私のミスと言うか、私の名に釣られたと言うか……ともかく、こちらの動きを読んでいた奴が居てな。取り引きでは足元を見て来ると思うが、こちらにはハサンも居る。今後の事を思えば、ガツンとやるのが正解だろう」

 

 中華人民共和国の最北端、黒竜江省の哈尔滨市(ハルビン市)。古くは清や高句麗とも縁があった満洲人の故地であり、伊藤博文が暗殺され、傀儡国家満洲国や、あの731部隊が存在していた土地だ。

 

「どういった相手ですの?」

「取り引き相手は小物だが……ハルビン市に呼蘭区というところがあってな。そこの役人が、言ってみればギャングと組んで農作物に食肉、それと市場そのものを牛耳っているんだ。そういう中央の手がまだ届かない事を良いことに悪事を働く奴等……そいつらを後ろ盾にした腐れ魔術使いが潜伏していてな。その取り引き相手がそいつを匿っているんだよ」

 

 ナタリアさんの説明が続く。普通は香港やマカオなんかが隠れ蓑の都市として浮かぶが、そこは元々南方系の人達が多かったし、九龍城砦が取り壊されてからは当局の目も厳しく、散り散りになったらしい。

 だけど同じ極東系でも、北方のギャングや情報屋、魔術使いなどはハルビンやウラジオストクに固まっているのだそうだ。

 

「例えばニューヨークに行っても、今のブルックリンやブロンクスが危険だとは言い切れないだろう? 貧困層が多いからガラは悪いが、夜でもない限りまず大丈夫だ。そんな風に今の香港やマカオも結構安全なんだよ。時代が変わったのさ。ところがハルビンのその地区はマジでヤバい。おまけにロシアとの国境が近い。富める国日本から甘い汁を吸おうとヤバいのがどんどん流れ込んでいるんだ。そんな奴らの中に魔術使いが潜り込んで手を組んだのさ。どうやら私の調査を追っていたらしいんだ」

 

 それで儲けになるからと、そのリストにある呪体の幾つかを横合いから脅し取ったり、盗んだりしたらしい。元の持ち主の何人かは極東のギャングでもあったそうで、そこで死人も出たという。

 

「もしやロシアのギャングと中国のギャングが抗争していますの?」

「今までは表面化しなかったが、これで一気に吹き出すかもな。だから今回は、前回のオストロフスキーのような安全な取り引きは望めないと思ってくれ。それが中央(モスクワ)と極東の違いなんだよ」

 

 これはハサンどころかセイバーやイリヤさんも借りて来るべきだった? そう思わせるほどキナ臭い。

 

「だけどヤバいのはそのハルビンだけだ。それとその横合いから奪った魔術使いを捕らえてロシアに売ればいい金になるし、そちらの名が売れる。また、中国側のギャングを壊滅できれば、あちらの中央に恩を売れる。私のミスが発端だったが、ある意味チャンスだ。時計塔と縁が切れた今だからこそやってみないか? 助っ人も手配してあるんだ」

 

 助っ人?

 

「ああ。情報屋と用心棒だ」

 

 そこでムッとしたのがハサンだ。

 

「私が居るのにか?」

「そちらの能力を疑ってはいない。勘違いさせて申し訳ないが、会えばなるほどと納得して貰える相手だ」

 

 ナタリアさんの操縦するクルマが、アムール川に近いホテルの駐車場で停まった。荷物を持った私達はロビーに向かって歩いた。するとラウンジのところで手を振る人物がいた。

 

「だ、誰?」

「どなたですの?」

「あれ? 面識がなかったのか?」

 

 私とルヴィアは首を振った。

 

「そうか、意外だな。女性の方の名は有名だ。かつては最強の封印指定執行者だった、バゼット・フラガ・マクレミッツだ。今はフリーで活動している。坊やからの推薦もあったが、あの蒼崎橙子からの紹介状も持っているぞ」

 

 名前を聞いてピンと来た。あのカードのランサーとアーチャーを封印した、私達の前任者だ。その後、ロンドンでエルに負けて時計塔を退職して……そうかこんな人だったんだ?

 だけど、衛宮の小父様の推薦に人形師の紹介状って。やっぱりビッグネームは違うわね。

 

「ギャラが高いんじゃ?」

「仕事がきちんとなされるなら、そこは構いませんわ。確かに彼女ならハサンの邪魔にならず、良い用心棒になるでしょう。当家と致しましても渡りをつけたい相手でもありますわね。ですが情報屋とは?」

 

 バゼットに近づくと、その向かいに座っていた男性が立ち上がって笑顔を向けてきた。しかも挨拶と握手の時、ルヴィア以上に私を見ていた。東洋人だけれど誰だ?

 

 英語の挨拶の後、その男性は日本語でこう言った。

 

「凛ちゃん、忘れちゃったかな? 僕の名は間桐、間桐雁夜だよ」

「か、雁夜小父さん?」

 

 あの第四次の世界でも会っていた。けれど目の前の小父さんはあんな白髪じゃないし、顔も普通だ。おまけにスーツが似合い、髪型もピシッとしたダンディなミドルだ。

 清潔感があるし、スーツの質もいい。柔和な顔は相手に警戒感を抱かせず、人の良さだけが滲み出ている。この人が桜を引き取った雁夜小父さん……。

 だからわからなかった。何より小さな頃の私や桜が小父さんに遊んで貰ったのは、両親も生きていた10年以上も前の事だった。

 

「小父さんが助っ人? 一体何を……?」

「僕も切嗣さんの紹介状を持っていてね」

「え?」

「魔術関連の情報屋なんだよ」

 

 雁夜小父さんが情報屋……?

 

「知らなかったのか? その筋では有名だぞ。今回のハルビンの件も彼が調べてくれたんだ。ついでに言うと、雁夜はエーデルフェルトにも何度か情報を売っている実績がある」

 

 情報はいつか流れていくものだ。だから価値が出るのは速度と多面性に尽きる。そしてその多面的・多角的情報の組み合わせから真実を浮かび上がらせる能力────それが顧客にあれば良いが、ない場合はどうするのか?

 小父さんはそこを察して、リポートの末尾なんかにさり気なく書き記す名人なのだとか。だから信頼できる情報屋として人気があるそうだ。

 

 訊きたい事は山ほどある。主に桜のこと。だけどそれは私のプライベートな事であって今は関係ない。それで今後の事を少しでも決めていきましょうとルヴィアを促した。

 桜の事情をある程度知っているルヴィアは少し難しい顔をしただけで、フロントで小さな会議室かミーティングルームを貸して欲しいと申し出ていた。

 

 そこで取り交わされた契約や会話などの内容は割愛するが、概ねの行動指針は決まった。明日は私達二人とナタリアさんだけでビロビジャンに向かう。

 その間に小父さんとバゼットさんがハルビンに向けての準備を進めておく事となった。部屋から出ようとしたら、その小父さんに呼び止められた。

 

「凛ちゃん、アインツベルンから聞いている? 桜の記憶のこと」

「はい、それは。また、そうでもしないと桜の精神が持たなかった事も、肉体の損傷を治す事も出来なかった……それも理解しています。ですから、小父さん。私に負い目を感じないで下さい。私も魔道を歩む者です。覚悟はしています」

 

 ここで小父さんの目を見た。

 

「と、同時に諦めの悪さも魔術師の特徴です。いつか必ず、桜の負担とならない方法であの子の記憶を……」

「僕は君の師匠の凜さんや、切嗣さんの娘となったエルヴァさんの『元』であるエルヴァさんにも会って話をしている。だから凛ちゃんの味方となってくれる人達がたくさんいる事も知っている。時間は掛かるだろうけど、きっと上手くいくよ」

「小父さん……」

「5代目遠坂(時臣)は、良い後継者に恵まれたね」

 

 そう言い残して雁夜小父さんはバゼットさんの後を追った。

 

「複雑な事情があるのは察するが、あちらもプロだ。だからそちらもな?」

「はい」

「では、食事は残念ながらホテル内だが、時間になったら喚ぶからそれまで部屋で休んでくれ」

 

 そうしてナタリアさんも自室に入った。私達もハサンとわかれ、自分達の部屋に入った。

 

「リン?」

「大丈夫。だけどルヴィア、あなた知ってたの?」

「いいえ。オーギュストにしてやられましたわね。おそらくはあのカリヤがオーギュストに頼み込んだのだと思われますわ」

 

 そういう事なのだろう。だけどあの小父さんが情報屋だったなんて。それも結構名の通った……。

 

「ルヴィア、ビロビジャンにそう危険は無いらしいけれど、念のため衣服の中では転身しておくべきね」

「ええ、そこは重要ですわね」

 

 旅の衣装から食事向きなフォーマルに着替えルビーを出した。

 

「今回は頼むわよ?」

『今回も、でしょう? ですけれどリンさん。このカードの使用はあまりお薦めできません』

「まぁね」

 

 そのカードとは、今までのイリヤや美遊の活躍だけでなく、エルマを見て思い付いた事だった。最初は漠然とした小さな閃きだった。

 美遊の兄の衛宮君を例にあげるまでもなく、エインズワース型カードだけの使用だと、使用者の肉体的負担だけでなく、精神的な負担がかなり大きい。だけど杖を併用するなら悪影響がない。

 例外はクロやクロエにエルヴァだ。クロとクロエは小聖杯があの子達を護っていて、エルヴァの場合はカードに飲まれないよう、自分でプロテクトの術を掛けていたという。それも霊脈のバックアップを借りてだ。

 その後、エルヴァもクロエもクロのように、エルの手によって受肉と調整を済ませている。この時のデータや今まで溜めていたアイデアを素にエルマやトロンメルが造られた。

 そしてその問題のエルマは杖こそ使うが、とんでもないオリジナル・カードばかり使っている。そんな一連の話を間近で見たり聞いたりして、何か私達にもできないかと思ったのだ。英霊のチカラのような、あんな大掛かりな憑依魔術でなく、もっと簡素な何かを。

 それをこのところ共同で研究しているマルガリータさんに話し、当のエルマやゾウケンまでもがその新しいカードの作成に参加してくれたのだった。

 

 カードに拠って英霊の能力を下ろす術は、ある意味の憑依魔術だ。そこをもっと簡素に……つまり夢幻召喚(インストール)でなく限定展開(インクルード)のような。

 例えばルビーで盾を展開したとしよう。通常でも銃の弾丸を弾く盾にできる。だけど宝具クラスの攻撃だと厳しいのが今までだった。そこに限定展開(インクルード)的な何かを足して能力の底上げができないか?

 簡潔に言えば概念の強化をしたい訳だ。

 そんな折り、エルマがルビーに最初から備わっているスロット? の存在を教えてくれた。そこにデータカードのようなものを挿せば、私が考えていたような事が可能だという。

 そのスロットがあるから、元のカードの拡張も可能となり、ワルキューレのようなあんなトンデモな事ができたのだ。七人に分裂して、それぞれが空を飛ぶ馬を出して、個別に動けるって……。

 まぁ、そういう事をさせるためにエルはエルマやトロンメルを造り、彼女専用のカードを作った訳だけれど。

 それはともかく、その私達が合作したデータカードが、今のルビーとサファイアには挿さっている。中には宝具に近い概念のみがギッシリだ。

 ただし、正直に言えば私とルヴィアには概要と効果以外はほとんど理解できなかった。何よりまだ練習中で、ちゃんと使いこなせていない。ルビーはそこを危惧しているのだ。

 

「私もルヴィアも実験台になるつもりはないけれど、効果が高い上に、妙なフィードバックが無いのも事実なのよ。万一の時は使うしかないわ。それとも何? あなたの方に何かあるの?」

『それは別段ありませんが。見た目があれだけ変わるのに、妙なフィードバックが無いと言い切るところがリンさんですねぇ』

「けれど防御なら身体が小さい方が便利だわ」

 

 要はそのスロットに挿したカードを使うと、肉体年齢が10歳くらいに固定されてしまうのだった。つまりカードはルビーに最初から備わっている能力を横取りし、統合して新しい能力を引き出しているのだ。

 だから転身能力が子供の姿で固定されてしまう。どうあっても『魔法少女』に転身能力が振られるのは、ルビーの好みでなく、そういう設計だからだ。というのはサファイアでもそうだからだ。

 今の私とルヴィアは相互契約をしてパスを繋いでいるので、私はサファイアの準マスターでもある。これはルヴィアも同じ。それでお互いの杖を交換してこのカードを使ってみると、サファイアでも私は子供になってしまった。

 こうなるとこの杖はそういうものだとしか言えない。とは言え杖のできること……剣や盾に槍なんかには変形できるので、それらが以前より格段に能力が上がるところは素晴らしい。

 特に防御力だ。攻撃力は筋力が落ちる分デメリットが目立つが、そこは強化や固定といったこちらの工夫で何とかなる。何よりそのカードを使うようになってから、カードを使わない場合の杖の使い方が上手くなったと自分でも思う。

 

「立場代わればですわね。今までのミユやイリヤの工夫が良くわかりますわ」

 

 そういう事なのよね。レストランではサーモンなどが載った前菜のプレートとペリメニ(ロシア風餃子)、それと器がパンのボルシチを頂いた。

 ハサンがボルシチを気に入ったみたい。前回は違っていたものね。小父さんとバゼットさんは少し離れた席で、こちらに気を遣ってくれたようだけど、二人だけの話もあるのだろう。

 ロシア料理は本当に美味しい。ハズレがない。小父さんも楽しんでくれていると良いけれど。

 

 

 

 どうしてここに凛ちゃんが…………って、予め聞いていたのに、やっぱり会うと驚くし戸惑いを隠せない。ある程度、桜に関するこちらの事情を知っていたようで助かった。

 やましい気持ちはないけれど、後ろめたさがあるのは事実だ。元々はエーデルフェルトと縁ができる良い機会だと引き受けた仕事だった。

 それがまさかエーデルフェルトのお嬢さんの仕事に、凛ちゃんも関わっていたとは。打ち合わせで段々わかって気不味かった。だけど少しでも、あの子の助けになるならと請け負ったんだ。

 

「カリヤ、不安ですか?」

「まぁ、色々と」

「大丈夫ですよ、あなたは私が護る。それに基本あなたは調査以外で表に出る必要がないのでしょう?」

「そうですけど……」

 

 そりゃ、害意を持った相手はバゼットさんに任せますよ。俺なんて屁の突っ張りにもならないんだし。でも、心配しているのはそこじゃない。

 

「実は今回の相手とは別件で、ハルビンには『幻想使い』が潜伏しているらしいんですよ」

「それでしたか」

 

『幻想使い』。『幻術使い』とも言われる都市伝説レベルの魔術師らしき何かだ。『何か』というのも変な言い方だが、証拠も何も残さないんだ。居たかどうかの痕跡すらも。

 もし、何者だと問われるなら、窃盗犯とカテゴライズするのが正しいのだろう。だけど客観的には、紛失、或いは勘違いと判じるしかないケースが余りにも多いんだ。

 だから可怪しな話しなのさ。証拠もなければ痕跡も残さない奴だぞ? それでも何らかの事に関わり、何らかの事をしでかしている。そういう噂だけは山ほどある。皆んながそれを信じているんだ。

 なのに誰も名前も顔も知らない。何をやっているかも謎なのでハンターにも追われないし、封印指定にもならない。記憶操作なのか、文字通り幻術でも使って幻想を見せるのか。どこまでも謎な奴だ。

 そんな奴がハルビンに入ったとの、か細い情報が入った。正確には情報の断片を組み合わせ、俺の分析でそう判断したに過ぎない。

 何だお前もそんなあやふやな、居るか居ないかもわからないモノを信じているのかって?

 そういうのと関わる仕事をしているからなぁ。それに俺はそいつと会いたい。会って話したいんだ。もしかしたら桜の記憶を取り戻す手立てというかヒントが掴めないかって。

 馬鹿らしい事かも知れない。だけど俺は賭けようと思った。切嗣さんのところのエルヴァさんや、彼女の『元』であるエルヴァさんがあれこれ腐心してくれている事は知っている。

 本当にありがたい事だ。それには、ただただ感謝しかない。でも、俺も桜のために何かしてあげたかったんだ。だってそれが親だろ?

 記憶を取り戻せばあの子は間桐でなく遠坂だ。凛ちゃんと姉妹で仲良く幸せに暮らして……。それがこの仕事を請け負った本当の理由だったんだ。

 勿論、『幻想使い』の件は、雇い主のエーデルフェルトには報告してある。オーギュストさんは神妙な顔でこう言ったよ。

 

『真相はわかりませんが、そう判断せざるを得ない結果だけは残っています。あなた様もそれをご存知なのでしょう? そして、その噂は私ども神秘に関わる者だけで回っております。つまり、その『現象』は…………』

 

 ほとんど俺の読みと同じだった。さすがは名門の執事さんだ。

 

「カリヤ、ルーンも通りませんか?」

「うん?」

「結界を張っても抜かれるから、数分前まで目の前にあった礼装などが盗まれるのでしょう? そしてその盗まれた品があったという記憶も改竄され、最初からなかった事にされてしまう」

 

 そうなんだ。世の中には手書きで帳簿を付けるだけでなく、パソコンで打ち込む魔術師も居るんだ。そういう奴がハードディスクに残ったデータと出入帳が合わないと声を上げ始め、『幻想使い』の噂に信憑性が出て来たんだ。

 つまりその徹底した記憶の改竄は、自ら帳簿を書き換えさせるほどのものだったんだ。だからバゼットはルーンならどうだと訊いてきたんだ。

 

「それが、今までの体系に入らない新たな体系ではないかとの話もあってね。当然ルーンも破られている」

「そうでしたか……。カリヤ、本当に体系?」

「さすがだね? 俺も基盤からして違うんじゃないかと思ってる」

「それは戦闘にならないかも知れませんね?」

「好戦的なのもどうかなって思うけれど、そこだよ。会えても『回れ右』じゃなぁ」

「しかもその一回目がラストチャンスだ」

「そういう事さ」

 

 

 

 ビロビジャンでの取り引きは上手くいった。

 売り手の人はユダヤの人で、ここロシアでもソ連時代はひどい差別があった事を教えてくれた。美しい土地がある、そこであなた達少数民族の国を作りなさい。

 そんな嘘っぱちで、強制的に民族隔離したのだ。だからここは自治州であって国ではない。だけど西に逃げても当時の欧州はナチスがユダヤ人を狩って、次々とゲットーに送り込んでいた。

 

『クリミアに行った叔父さん達は、従姉妹もろともポグロム(破壊。転じて虐殺)に遭って皆んな死んでしまった』

 

 取引相手の老婦人がポツポツと話す。

 

『私も騙されてこんなところまで来た。だけど老い先は短い。それでこれをお金に換えて、イスラエルに行った娘や孫に残したいんだよ』

 

 それはロマノフ朝時代初期の小さな木箱だった。元は宝石箱だったそうだが、長い年月で装飾や内張りが剥がれ落ち、見窄らしい木箱となっていた。きっとそこらの骨董品屋に持ち込んでもゴミとして買い取ってはくれないだろう。

 だけど内張りの剥がれ落ちた中には、びっしりと魔方陣や術式が描き込まれていた。失われたロシアの古い魔術。それも時間に纏わる。

 この木箱に食べ物を収めれば、時間凍結されそのまま保存される。実際に使うとなれば、こんな宝石箱でなくもっと大きな箱が必要だが、お婆さんの家の台所にはその大きな木箱があった。

 なんとこの宝石箱に描かれてあった魔方陣や術式をまるまる写してあったのだ。しかもこの婦人も婦人の親世代も魔術師ではない。

 

『父が好き者でね。若い頃に手に入れたガラクタから、こんなあり得ない奇跡を発見しちまった。だけど母はそれは危険だとずっと隠していたんだ。まぁ、大きい方の木箱は便利なんで私が見様見真似で描いたんだけれど』

 

 それでも術は発動して、こんな何もない土地の作物を一家のために新鮮なまま保存していた。

 

『娘にも話していない。私だけしか知らない魔法の木箱さ』

 

 ルヴィアはその大きい方の木箱ごと譲って貰えれば、最新の冷蔵庫と調理器具を老婦人とイスラエルの娘さんに送ると約束した。

 買取価格は大小合わせて30万ルーブル。つまり日本円で40万円ほどだ。ここに冷蔵庫や調理器具を2セットだ。高いのか安いのか。少々悩むところだ。

 だけど並行世界のルヴィアのメモには、『西側にない術式。貴重』とあった。そこで私はピンと来た。エルが倫敦のホテルで使った時間操作の魔術。あれと何か関係がありそうだ。

 そうでなくとも彼女は封印された『衛宮』の時間操作魔術を、イリヤさんともども受け継いでいる。刻印はイリヤさんが受け継いでいると聞いているが、黙っているタマではない。

 こういう事を独自のルートで調べ上げていた可能性が高いのだ。だって彼女はロシアで幾つものビジネスを展開している。今、幼いエルヴァがやろうとしている霊脈開発にしても、エルは何年も前に終えているのだから。

 

 ルヴィアが買い取り、その支払いをエーデルフェルトの代理人がイスラエルの娘さんに行う。神秘の秘匿を優先しつつ、老婦人に心の平穏も与える。

 エルヴァが聞いたらルヴィアを思いっ切り抱きしめるだろう。私もそんな気持ちだった。クルマで待機していたナタリアさんは話を聞いて呆れていたが、『それがエーデルフェルトが今も続く理由だな』と呟いたのを聞き漏らさなかった。

 そうだ、そういう縁を大切にするから家が続くのだ。そして師匠は言っていた。第二魔法は縁が大切だと。

 

 

 

 ハバロフスクに戻った私達は早速ホテルでミーティングを行った。明日は空港からハルビンへ飛ぶ。

 

「どうだった?」

「手筈通りさ。アポも取れた。明後日の昼に会えるそうだ」

 

 ナタリアさんと雁夜小父さんの会話だけれど、やはり小父さんは腕が良いみたい。ナタリアさんが随分と信用している。それとハサンがバゼットさんへ妙な対抗心を持たなくなった。

 それはカード回収の前任者だと話した事や、最強とも言われた封印指定執行者だったと話した事もあるが、もう一点は『そこまでの腕であるなら、生きている人であり女性だからこそ可能な護衛方法もある』と彼が理解していたからだった。

 

 翌日、予定通り私達はハルビンに向けて飛んだ。陸路は鉄道がなく、バスも国境で乗り換えとなり時間も不透明だった。そこで飛行機な訳だが、夏なのに窓から見える機外の景色はとても寒々としていた。

 

 

 降り立ったのは哈尔滨太平国际机场(哈爾浜太平国際機場/ハルビン太平国際空港)だ。空港から出ると小父さんは手配してあったクルマのキーを業者から受け取っていた。

 白塗りと銀の小型自動車だけれど、その2台が妙に日本車っぽい。

 

「ハルビンには哈飛汽車(ハーフェイ自動車)という日本車をライセンス生産しているメーカーがあってな。そこのクルマだろう。後ろに賽馬とあるな」

「ミ◯ビシのミラージュディンゴだよ。それのライセンスだ」

 

 指摘したのは小父さんだった。

 

「ほぅ、手配しただけあって詳しいな?」

「俺、ミ◯ビシが好きでさ。愛車も前はギャランのVR-4で、今はディアマンテなんだよ」

「へぇ、それはまたどうして?」

「その昔、死んだジジイが兄貴を運転手にしてプレジデントでふんぞり返っていたんだ。それで俺も兄貴もニ◯サン嫌いになってさ。その後、海外を回ってたら日本車がラリーで活躍していたろう? あれで気に入って。まぁ、助手席はいつも娘なんだけど……」

「ラリーならランサーを選ばんのか?」

「だから、子供が酔うだろう? それで大切に乗っていたVR-4を売っぱらって、少しでもサスが良いディアマンテに乗り換えたんだよ」

 

 最初のは中古で、今の2台目はカタログを見て中学生頃の桜が選んだそうだ。ディアマンテ、スペイン語でダイヤモンドの意。とても優しい顔でさり気なく昔話を話す小父さん。きっと私に聞かせるためだ。

 小父さんにとっても桜は大切な……宝石のような存在なのだと思えた。

 

 分乗した私達はホテルに入って荷物を預けた。そして調べ物があるという小父さんを残して、中央大街に向かった。

 中央大街はロシアの統治時代から残る石畳の歴史ある目抜き通りだそうだ。両側にびっしりと西洋風の建物が並んでいる。近くの駐車場でクルマを止めた私達は、その建物の一つに入った。

 いかつい顔の頭を剃り上げた中国人が威嚇しているが、ハサンの一睨みで尻尾を丸めた。実はハサンも表を歩く都合上、そこまで恐ろしげな格好をしている訳ではない。

 ごく普通のスーツ姿(と言ってもルヴィアが用意しているので、それなりのものだろう)で、おまけに素顔がアラブ系のめっちゃハンサムだからやたら似合うのだ。

 足も長いし細面だし、どこぞの大富豪かという雰囲気がある。彼もまた教主だったから、理知的だし仕草も優雅だった。惜しむらくは顎髭だけれど、それはアイデンティティー的に剃れないのだそうだ。

 

 身体を検査されたが、銃などの武器をナタリアさんはクルマに置いてきていた。バゼットさんは元々銃器に頼らない人だ。そして私達は衣類の中で転身していて、ルビーとサファイヤはブローチのふりをして貰い、胸に付けていた。

 すんなりとチェックが終わり、3階にある部屋に通された私達は、そこで目的の小狡そうな相手に会った。握手を求められても正直嬉しくないが、それでも笑顔を絶やさず握手に応じた。

 

『さて、商談だ』

 

 ロシア語だった。テーブルにズラリと礼装や呪体が並ぶ。記憶にある限りリスト通りだ。

 

『いかほどがご希望ですの?』

 

 ルヴィアが好戦的に言い放った。

 

『7億ルーブルでどうだ?』

 

 日本円で10億近い。私の見立てではその半額以下、3億ルーブルが良いところだ。出して4億だろうか。

 

『まぁ。3億ルーブルが良いところですわよ?』

『おいおい。こいつを集めるのにこちらも元手が掛かっている。舐めてもらっちゃ困るぜ、お嬢さん?』

『3億ですわ。残り4億はあなたの命より重いんですの?』

 

 この瞬間ハサンがその男の後ろから首を締め、ダガーを喉に突きつけた。後ろのドアから雪崩込む用心棒達を、革の手袋をはめたバゼットさんがぶん殴った。

 すると入って来たドアをぶち破って3人の用心棒は廊下の壁にぶち当たってノビた。そのままドアの前に陣取ったバゼットさんが次々と屈強そうな男達を殴り倒していった。

 横のドアからも入って来たが私がガンドで先頭を沈め、二人目をルヴィアがフライング・ラリアットで倒した。

 

『エーデルフェルトを舐めたのはそちらでしたわね? あなたの命を全財産で贖えとまでは申しませんわ。取り引きは適正価格で行わせて頂きます。3億ルーブルで宜しいですわね? もし断るなら、ロシアにあなたを連行しますわ』

 

 この時だ。ナタリアさんが英語で叫んだ。

 

「来たぞ!」

 

 壁をぶち破って、中華刀を握った奇怪な人形が入って来た。だけどルヴィアは臆さずローキックで人形の足を粉砕した。だから私も呪いでなく威力優先のガンドを頭にぶち当てた。

 するとそのまま人形は沈黙した。バゼットさんがこの人形(ゴーレム?)を扱っていた術者を引きずって戻って来た。

 

『残念ですわ。あなたをロシアに連れていきます』

『ま、待ってくれ!』

『あなた、エーデルフェルトを何だとお思いですの? 次期当主である、この私が許すとでも?』

 

 親友の横顔はとても冷酷だった。けれど凛として美しかった。

 

 

 

 凛ちゃん達を送り出した俺は目標の人物を誘い出す事に成功した。決め手は1枚の写真だった。

 

「あなたの望みは何ですか?」

 

 場所はホテルに近いカフェだ。

 

「あなたをどうこうとは考えていません。その存在を公にするつもりもありません。まずは話を聞いて頂けますか?」

 

 そして俺は彼女に、桜のことと彼女の記憶について嘘偽りなく詳しく話した。

 

「幻想を見せる事はできても、失われた記憶を、それも都合よく良い部分だけ取り戻すなんて私には不可能です。お役に立てず申し訳ありませんが」

「そうでしたか……」

「はい、ですが気落ちせず。道はきっと開けます」

「ありがとうございます」

「時に、マルガリータは元気ですか?」

「ええ。友人に囲まれ幸せそうですよ」

「良かった……」

 

 そうして俺は彼女と別れた。その正体は『ミラビリス』。マルガリータさんの5人いる姉妹の内の1人だった。元々俺は彼女を怪盗とは考えていなかった。そこには何か理由がある。

 メモやノートまで本人に改竄させる記憶操作は見事だが、それって人を害さずに済む最良の方法でもある。何より金銭や貴重な礼装だけで動いていない。たまたまそういうので知られただけだ。

 ルヴィアさんがマルガリータさんから手に入れたという魔力炉心も、出どころはそういう事なのだろう。決して口外はしないが。

 そしてマルガリータさんを除く4人の動きが重なっている。要はロシアに集まりつつあるようなんだ。それで今まで誰も気付かなかったのに、気づく者が出て来たのだろう。

 そのロシアでは今、エルヴァちゃんが霊脈探査に乗り出している。多分、ここに絡むんだろうな。真相は今のところ不明だけれど。

 

 

 

 その日の午後、私達はホテルから荷物を受け取りチェックインした。例の男はハサンとナタリアさんが、先に出て陸路で運んでいる。

 だから私達も明朝にはハバロフスクへ戻る。そこからイルクーツクへ寄って衛宮君と合流した後は、再びモスクワでウラジーミル・オストロフスキーさんと会う約束がある。

 またあのアパートの老人を訪ねても良い。そこで得られる情報で、次の取り引きという名の冒険が決まるだろう。私とルヴィアはとても充実していた。

 

「ナタリアさんやハサンが居ないと寂しいわね?」

「ですわね。重要な任務だとは申しましても……」

 

 ルヴィアとホテルのレストランで中華料理をつついている間の会話だ。しっかし、中国の東北料理って味が濃いわね。量も多いし。醤骨頭っていう骨付きの豚肉なんて、全然減らないじゃないの。

 私はやっぱり広東か江蘇料理だわ。雲南や貴州を含む四川料理が好きだというエルヴァなら、こういう東北料理もイケるのかしら?

 これで北京料理と同じ系統の山東料理だとはとても思えない。それくらい味付けが違う。やっぱり国土の広さは大きいなぁ。

 けれどロシアの料理は東でもモスクワでもそう変わらないのよね。そこが人種や民族の違いなのかしら? ああ、案の定ルヴィアの箸が進まない。まぁ、これは仕方ないだろうな。

 

 

 

 ピチャ……ピチャ。フーフー……。ハァハァ……。

 

「カリヤ……熱い」

「……そりゃ、熱いだろうさ。何だって真夏にこんな砂鍋(土鍋)を頼むんだよ?」

「いえ……美味しいかと思いまして」

「確かに美味いけどな。けど、よりによって豆腐と魚のアラって……。しかも唐辛子たっぷりで。ほとんどチゲ鍋じゃないか。いや、こっちが元祖か?」

「フゥオグゥオ(火鍋)というのがあるそうですが、これがそうなのですか?」

「四川のあれとは違うだろうけど、どうなのかなぁ? 内陸の山間部で気温が低いってのはあるだろうけど、元来辛さを求めるのはもっと北だと考えるのが自然だ。土壌が唐辛子栽培に向いているか、向いていなかったかもあるだろうし……やっぱりこっちが元祖だと俺は思うけどなぁ」

 

 凛ちゃん達との打ち合わせも終わり、やっとこさ晩飯にありついた俺とバゼットさんだ。エーデルフェルトに出す報告書を作成するのに手間取ってしまい、彼女を少々待たせてしまった。

 

「バゼットさんは西安に行ったことがあるかい?」

「いえ」

「そう。あそこもbiang biang麺(ビアンビアンミエン)っていう辛いひも川うどんみたいなのがあってさ。やっぱり辛さ(唐辛子)って南から北に行って料理を生み出し、南に帰るものなのかなって思ってさ」

「そのひも川うどんが既にわかりませんが、香辛料も唐辛子も温暖な地域の作物ですから、あなたの意見は信憑性がある」

 

 今夜ハルビンで一泊したら、明日はハバロフスクだ。そこで凛ちゃん達を見送って、俺とバゼットさんでナタリアさんの指示の下、後処理や後始末を付ける。

 報告書は前倒しで書き上げたから、捕らえた奴らをロシアのスジ者に渡せば終わりだ。その後はモスクワに先回りして、再び前調べ。

 ナタリアさんの下調べがしっかりしているので、残りは比較的楽な仕事だ。今回のスポットはこれで終わりだろう。次回があるとすれば、余程の謎が絡む場合だ。

 だけど、全部のリストを見ていない(見せて貰っていない)ので何とも言えないなぁ。ま、他の仕事もあるし、バッティングしない事を祈るばかりだな。

 

 

 

 ハバロフスクに戻ったら、ナタリアさんが既に待っていた。

 

「あの者達はどうされましたの?」

 

捕らえたハルビンの者達だ。中には人形を使う魔術使いもいる。

 

「ああ、こちらの顔役に引き渡したよ。残党狩りの人員も既に出た。ここから先はノータッチだ」

「よもや父が中国と組んで?」

「裏で糸を引いていると? 考え過ぎだよ。ミスター・エーデルフェルトはそこまで危ない橋は渡らないさ。ただ、あなた方を心配してのバゼットとカリヤだ。そこは恩に感じるべきだろう」

「あの二人は父の采配だったんですの?」

「そうさ。口利きはアインツベルンというか坊や(切嗣)だったらしいけどな」

 

 驚いた。衛宮の小父様がそこまで私達を思ってくれていたとは。けれどエルヴァとの今までの事や、小さなエルヴァの事、そしてルーマニアであった決闘などなど、何かが裏で繋がっているような気がした。

 

 翌日、私とルヴィアはイルクーツクへ飛び立った。ナタリアさん達とはモスクワで合流だ。

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