「同調開始(トレース・オン)────! どうだ?」
「ほぅ。って、全部同じではないか!?」
「同じじゃないぞ?」
「ええ、同じではありませんね」
以前泊まったモスクワのホテル。その前にある公園での一幕だ。
車座になって座っているのは、衛宮君にアーチャー、そしてエルヴァと衛宮さんだ。それを横合いから見ているのが私と凛さんなのだけど。
「同じだろうが?」
「同じだよなぁ?」
「鋼材が違います。士郎クン、左からスウェーデンのINOX鋼、ZDP189、次が変化球でカウリX、そしてV金10号に銀紙1号ですね。どうだ!」
「クッ、エルヴァさんには見破られるか! けど、アーチャーさん意外だな?」
「わかるかこんなの。じっくり解析でも掛ければ別だが、カウリXなんて知らんぞ? ステンレスの鋼材違いだったのか?」
「そう。そこにエルヴァさん直伝の研ぎで刃を付けてみたんだ」
思わず私と凛さんもその環の真ん中を見た。敷いたタオルの上に投影されたばかりの包丁が並んでいる。衛宮君が新聞紙を出してスーッと刃を通した。すると何の引っ掛かりもなく紙が両断された。
次にエルヴァが同じ型の包丁を1本だけ投影した。そこに新聞紙の切れ端を落とした。すると紙の重みだけで真っ二つに切れた。
「凄ぇ……これもステンレス?」
「いいえ。白紙の2号です」
「青紙でなく白紙。それでここまで?」
「仕上げは研ぎでしょう? そこを完璧に再現し、なおかつ神秘を上乗せすれば」
「言ってみれば簡素な宝具か?」
「そうです」
「何だそれ……」
衛宮さんが物凄いショックを受けていた。
「か、干将莫耶を頼めるか……?」
「はい」
あっさりだった。それも包丁サイズの干将莫耶だ。新聞紙は文字通り触れただけで切れた。
「衛宮士郎、彼女との組み手は気を付けろよ? お前の干将や莫耶が飴みたいに切られるぞ?」
「そんな事は無いだろう? あんたは? アーチャーの干将莫耶なら」
「いや、真っ二つに切られるな。まず切れ味を求める上での刃付けが完璧。次に宝具の域に持って行く神秘の上乗せ。これが彼女は上手いのだ。おまけにそれは私やお前の魔術とは違う。本物のグラディエーション・エア、つまり本来の投影魔術なのだよ」
「そんな……もって数分の魔術だろ? 何でさ……」
それを衛宮さんが言っちゃお終いだろう。だけど世界は広い。上には上が本当にいる。そしてエルヴァは調理に於ける切れ味をとことん追い求める人なのだ。
しかも彼女は、刀剣類の刃付けと調理器具としての包丁の刃付けの違いを正しく理解していた。見様見真似の『投影』ではないし、複製でも模倣でもない。
元のものより扱いやすく、切れ味が良くなって刃持ちもする。そんな風に投影する。元々の発想が魔術師であり錬金術師であり、拘りのある女の子なのだ。
衛宮さんも料理はするだろう。鶏皮を数枚切ったら脂で滑る様な包丁は使わない筈だ。そして投影魔術の真の凄さは、魔力さえあれば瞬時に柄モノを代えられるところだ。
現にエルヴァは折られた訳でも、相手の武具が持つ神秘に負けて綻んだ訳でもないのに、投影を破棄して剣を持ち換える場合がある。
『鎧や盾を斬り付け、刃と刃がぶつかり合う戦闘時には、少々鈍くとも折れず曲がらぬ剣を────それを革鎧かプレートメイルかチェーンメイルかで使い分け、相手の防御が甘くなった瞬間に脂を弾くほどの刃付けがされた剣を用いる』
それが彼女の兄であるアーチャー(2番目)とシロウさん(大魔導師の夫)の方法だった。それを彼女も見習っているのだ。
そもそもその様な投影が『出来る』事と『魔術師』の道は重なる場合が多いと思うし、料理には便利だろう。またその発想方法が他にも活かせそうだと思える。けれど、それは『正義の味方』のツールにだけはなり得ない。
干将莫耶なんて大型の刃物は、どう見ても殺傷用の武器であって料理用の包丁ではない。つまりそれを振るってもたらされるのは平穏でなく殺戮の後の一時の静寂だ。
アーチャーの過去をユメに観たとかではない。これまでの経験と考察力でわかってしまうのだ。その矛盾を。私も考えた。『正義の味方』って何だろうって。
すると答えは『組織』だとすんなり出た。国家からも文句を言われない大金持ちになって、私設の警備隊や軍隊を持つしかない。それでも無理があるだろうけど。
だけど一人孤独に戦地や災害地を巡って……救急の医療器具や薬品に食料をもたらすならまだ良い。でも、手ぶらで投影するのは刃物ばかりって。それこそエルではないが、『向いていない』としか言えない。
だいたい普通の人は『正義の味方』に憧れはすれ、目指そうなんて思わない。何故なら答えは『組織』しかないからだ。つまり自分が属する国家や自治体に頼るしか無いのだ。
だけど、それが原始時代から長い年月を掛けて人類が学び取った真実なのではないか?
税金云々は言わなくとも他者に頼ること、それすらも衛宮さんは凛さんが初めてだったのではないか? ズケズケ言う藤村先生の存在は、その意味では良かったのかも。
でもそんな事より、私の横でエルヴァと衛宮君の投影方法と質の求め方に首を捻っている凛さんに、私は爆弾を投げなければならない。それは私にしか出来ない事だからだ。
これがあって、オストロフスキーさんの家に私は行かずに残ったのだ。
「凛さん?」
「何?」
「凛さんにも妹さんが居ますよね?」
「……あなたに隠しても仕方ないか。ええ、居るわよ。けれどあの子は養子に出ていてね。あなたのところはそうじゃないの?」
「同じです。間桐という家に養子に行きました。ですが、この世界の間桐臓硯は10年以上も前に死んでいます。そして間桐は次代が魔術師を廃業して、今は息子さんと倫敦で暮らしています。ちなみに妹の桜は間桐雁夜に引き取られ、日本で暮らしています」
「え? どういう事? 臓硯が死んでいる……? じゃ、あなたの妹は魔術師になれないの?」
「その、ならなければ生きていけない理由は私も知っています。ですが、その道を選ばなくても生きていける手段があるならどうされますか?」
凛さんは暫く目を瞑り、そして……。
「仲間か……。ルヴィアが居て、アインツベルンが身近に居て……」
桜の記憶の事と、別のホテルで休んでいる雁夜小父さんの事は言わなかった。それよりも魔術師だから一人でなければ駄目という以前の私と同じ発想、そこがこの人を停滞させている。そこから抜け出さないと桜は救えない。
「そこがわかって頂けたのなら、そちらの桜さんに起きているかも知れない惨状を話します」
「惨状……?」
そして私は桜がこれまで受けてきたであろう、魔術修練という名の虐待と、心臓に臓硯の本体が巣食っているかも知れない可能性を話した。
「う、嘘よ……嘘だわ! ねぇ、私をからかっているのよね? 嘘だと言って……」
「皆んなそうなんです。妹が幸せならと孤独に研鑽を積んで……でも、その妹が幸せだという幻想は、自分の弱さが生み出したものでしかありません。そう思い込まないとやって行けなかった。そこが弱さだと自覚してから、本当の先が見えて来るのだと思います。失礼ですけれど凛さんの桜さんは、もう20歳を越えていますよね? チャンスとして与えられた時間は残り少ないと考えて下さい。ここは受け売りですが、間桐慎二の態度も、彼なりのSOSです。彼も鶴野も桜にとっては加害者ですが、臓硯の被害者なのです。そこを切り分けて過不足なく采配を振るって下さい」
「ああ……! そんな大事なことに気付かず、浮かれて倫敦に行って……どうすれば帰れるの? 私は、私は桜を……」
残酷だけれど、私にはどうする事もできない。だって凛さんはアンカーを打っていないから、元の世界の座標が一切わからないのだ。
また、アンカーが無いから、あちらの時間もこちらと同じ様にリアルタイムに流れる。よしんばアンカーを打てても、そんな時間操作染みた方法は先生と師匠しかできないのだけれど。
あのアイリスフィールさんみたいに、誰かがルビーを起動していればチャンスはあると思う。けれど、それも難しいだろうな。帰れても何ヶ月後か何年後か。そもそも帰れるのか、それすらも不明だ。
そしてそれは考えたくもないけれど、桜さんの死、或いは全身蟲化を意味していた。私は静かに泣く凛さんの背中を撫でるしかできなかった。
リンさんがどうしても残らければならないからと、急遽私はルヴィアさんとともにオストロフスキーさんという人の家に同行することになった。
危険は無いらしいので、モードレッドには残ってもらった。お小遣いを渡したので、今頃はランサーさんやランスロットさん達とモスクワの街を楽しんでいるだろう。
ナタリアさんの運転するクルマには私とルヴィアさんとアサシンさんが乗っている。
「ルヴィアさん。ランサーさんはどうしてバゼットさんを避けるんでしょう?」
「ああ、気付きましたか……。並行世界での彼の元マスターだったからですのよ。ところが令呪のある腕を切り落とされ、マスター権を奪われ……」
「……そうでしたか。別人だと頭でわかっていても……」
「そういう事ですわ」
「それと、東洋人の情報屋はどういう人ですか? 全然姿を現しませんが?」
「名前はお知らせした通り、『カリヤ・マトウ』で、養子に出たリンの妹であるサクラの養父ですわね」
「あ、もしかしてリンさんを避けて?」
「リンはリンでも、避けているのはもう一人のリンですわ」
「ああ、あちらを……。それはどうしてですか?」
「こちらの世界では先代のマトウ当主が早くに亡くなりましたのでそうでもなかったのですが、凡その並行世界ではその当主が生きておりましてね。身体を使い魔の蟲に替えて延命している化けモノですのよ」
「となると、その家の魔術に身体を慣らすために蟲を巣食わせたり?」
「そういう事ですわ。それを今リンが知らせている筈ですの」
「つまり、あの大人のリンさんは知らなかったって事ですか?」
「そうですのよ。あの方もリンと同じくご両親を早くに亡くされ、天涯孤独でしたのね。ですので自分の事で精一杯だったと言いますか、周囲が発信している細やかな信号、その情報分析に鈍いと言いますか……」
「やっとわかりました。マトウの血縁であると、後々の刺激を与えないためだったんですね?」
「そういう事ですわ」
魔道の家に生まれると、何らかの事はある。それは誰にでもだ。私だってお姉ちゃん達の存在を知らず、お姉様方に会わなければ、両親と会おうなんて思わなかっただろう。それくらい自分の事しか見えていなかった。
がけど会って良かった。父の過去は許せないけれど、今の父は家族のために生きている。それが確認できただけで日本に行った価値があった。
それとクロエとイリヤの性格の違いが見ていて楽しかった。そうだなぁ……クロエが魔術師になりたいなら、私が後ろ盾になって家を興しても良いかな。
イリヤは日本で普通の一般人として生きるのかな? もし日本に拘らないなら、大人になってからで良いから仕事を手伝ってくれると嬉しいな。
「エルヴァ、着きましたわよ」
「はい」
門まで迎えに出てくれたお兄さんは、『イリヤ』というそうだ。へぇ~。
そして玄関の扉を開けて待っていてくれたお姉さんは『ポリーナ』。とても可愛らしい人でお人形さんの様な人だ。ルヴィアさんとハグしあっていたから、前回も友好的に話し合えたのだとわかる。
だけどおデコに特徴のある犬が私に纏わり付いて離れない。
「ゴルビー!」
「良いですよ。犬は大好きですから」
「まぁ……犬好きな人ってわかるから甘えているのね。ごめんなさい」
「いいえ」
そして私達は奥のリビングに案内された。そこには兄妹の祖父であるウラジーミル・オストロフスキーさんが待っていた。
「よく来てくれた。約束通り、取引相手になりそうな者達をリストアップしておいたよ」
そう言って握手とハグが終わったルヴィアさんにオストロフスキーさんは何枚かの紙を渡していた。
「ところで先日のもうお一方は? それとそちらのお嬢ちゃんはどなたかな?」
「先日の彼女はどうしても抜けられない私用がありまして。その代わりにこちらの方をお連れしました。第9代アインツベルン頭首、エーベルハルト・フォン・アインツベルン様のお嬢様、エルヴァ・フォン・アインルベルンさんですのよ」
エーベルハルトはお祖父様の魔術師名だ。お姉様がルヴィアさんに話したのかな?
綴りはこう。Eberhard Von Einzbern。本名というかお仕事での名は、Ernst Reinhard Harwey。エルンスト・ラインハルト・ハーウェイだ。
ノイン、ノイントで通っているから、お祖父様本人も自分の魔術師名をお忘れになる時がある。たぶん、エルンストで紹介して貰った方が本人も喜んだだろう。
だって、エーベルハルトなんて久しぶりに聞いたもの。それとエーベルハルトをイタリア読みするとエベラールになって、それはイタリアの高級時計ブランドと同じ名になる。
自転車やエキゾチックカーはイタリア物に限ると仰られても、スイスの職人技に誇りを持つお祖父様にしてみればそこがちょっと嫌みたい。
だけどルヴィアさんにこの名を教えたって事は、お姉様方のお祖父様は両方の名をきちんと使い分けていたのかも知れない。私とお姉様方が違うようにお祖父様も違うんだなぁ。
「おお! あの千年も続くという名門の……」
感激したオストロフスキーさんが私の手を取った。
「失礼ですが、東のこんな田舎ではあなた方の事を伝説とばかり……」
「いえ、気になさらず。ポリーナさんの件はお聞きしています。当家でもエーデルフェルトとともに留学の支援にあたらせて頂きますので」
「おお! おお……ありがたい……ありがたい事です……」
そして私は留学仕度金として3万ユーロの小切手をオストロフスキーさんに預けた。
そうやって友好的にオストロフスキーさんの家を出たのだけれど、帰りのクルマでルヴィアさんは押し黙ったままだった。どうしたんだろう?
ホテルに着いた時、ルヴィアさんがこう言った。
「エルさんとエルヴァさんにお聞きなさい。あの小切手を出した経緯も含めて」
え? 戸惑って思わずハサンさんとナタリアさんを見れば首を振っていた。二人にもルヴィアさんが急に不機嫌になった理由がわからないらしい。
私はただルヴィアさんを見送る事だけしかできなかった。
「ルヴィア殿の仰る通り、エル殿とエルヴァ殿にお尋ねなされませ。向かいの公園にいらっしゃるようですから」
「はい」
助言通り私は公園に向かった。すると大きい方のシロウさんがノビていて、相方のリンさんに介抱されていた。状況を見るにミユのお兄さんがやったらしい。
エルお姉様の姿は見えないが、エルヴァお姉様とアーチャーさんの姿があるので試合でもしたのだろう。ここまで差があるのは驚いたけれど、予想はしていた。
だってあのお兄さんは何度も実戦を戦い抜いて来た人だから。それにたくさんの人がお兄さんを鍛えてきた。だから当然といえば当然かな。
でも、そんな事より……。
「おかえりなさい。ん? どうしました? 浮かない顔をして」
エルヴァお姉様が私に気付いて声を掛けて下さった。なのでオストロフスキーさんのところであった事を全部話した。
「エルヴァちゃんは、ノブレス・オブリージュに則った行動を取ったつもりなのですね?」
「はい」
「ですが、魔術師がお金を他家に出す場合は『投資』という意味になります」
「はい。ですから期待と願いを込めて、ルヴィアさんのお手伝いができたらなと」
「なら、それはルヴィアに預け、ルヴィアに『このようにアインツベルンも協力を申し出てくれています』と言わせませんと。その期待と願いは、ルヴィアが先に抱いたものです。そして前回の訪問で、今後もエーデルフェルトがオストロフスキーを支援すると決心していたのでしょう。だから相手を安心させる意味でも、あなたの『アインツベルン』という名を借りたかった訳です。ところがエルヴァちゃんが直接小切手を渡してしまった。わかりますか?」
段々わかってきた……。
「これだとエーデルフェルトに代わって、アインツベルンがオストロフスキーを支援すると誤解釈を与えかねません。それにこれは、エーデルフェルトを信望し将来的には眷属や一門に加わるかも知れない家、つまり逆の意味での支援者獲得の一環でもあった訳です。エーデルフェルトが時計塔とプラハの理事を兼任する、北欧随一のファースト・オーナーである点をきちんと理解していればわかる事でしたね?」
「……はい。ルヴィアさんには、どうすれば……」
「自分がわかっていなかった事をちゃんと話して謝罪しましょう。そうすれば許してくれますから。何より、そのエーデルフェルトとしての期待と願いにはエルヴァちゃんも入っています。だから誘ってくれたのです。それにこの程度の失敗は彼女ならどうって事はないでしょう。こういう魔術師としてだけでなく、事業家としても知っておかなければならない事を知って欲しいから、私やエルに訊きなさいと話してくれたのですから。お詫びの後にお礼も忘れないで下さいね」
「は、はい。ありがとうございました」
「私でなく、ルヴィアに」
「はい」
それで私はルヴィアさんの部屋を訪ね、お姉様にお教え頂いた事をもとにルヴィアさんに謝罪し、お礼を言った。
「ホホホホ……私とて、10代目アインツベルンとは仲良くして頂きたいのですわ。ですが、あなたが間違っているのであれば、ここは年長者として示さねばなりません。こちらこそ差し出がましい真似を。お許し下さいませね」
前々から思っていたけれど、今回改めて確信した。ルヴィアさんは、本当に素晴らしい人だった。今まであまり他家の人と交流を持たなかった私だけれど、ルヴィアさんが居る限り私はエーデルフェルトとの絆を大切にしようと思った。
「それと、ルヴィアさん?」
「何でしょう?」
「ルーマニアで妹さんが……」
「あら、あの子と会われましたの?」
どうやらご存じなかったようなので、あちらでの事をお話しした。
「まぁ、あの子ったら……そうでしたの。それもあの子なりのノブレス・オブリージュなのですわ。その御親友の方をあなたに紹介したかったのと、その方を通じてアイスコルに温情をもってあたって欲しかったのでしょう」
そうか、そういう意味だったのか。そして結果的にその温情で私はお祖父様から褒められたのだった。それからお茶を喚ばれながらルヴィアさんと暫く話してお部屋をお暇した。
入れ替わりでカリヤさんとバゼットさん、そしてナタリアさんがルヴィアさんの部屋に入った。待たせちゃったかな?
「何をニヤニヤしてんだ?」
「あ~? エルヴァが新しい気付きを得たみたいでな。それが伝わってきたんだ」
「ほぅ~、あいつは将来大物になるだろうなぁ」
「当たり前だ。オレがついているんだぜ? オレがあいつを王にするんだからな」
「今どき王って。言いたい事はわかるけどよ」
モードレッドとランサーですが、この二人は気が合いますね。対するケイローン殿とヘラクレス殿も、元師弟だっただけにお二人でずっと話されています。
その中間に居て、少々浮いている私ですが、陽の高いうちからこんなに飲んだくれて良いものなのでしょうか?
しかしこの酒場は怪しい雰囲気がありますね。お客の層が何か違うようです。あの隅っこでジョッキに何かをスプレーしている人は何なのでしょう?
それ、飲むんですか? あ~、一気に行った。一体何を振り掛けていたのでしょうか? 戻りましたら、エルかエルヴァに訊いてみましょう。
「お、俺……?」
「あ、気付いた」
漸く起きたか。
「済みません、士郎さん。まさかあそこまで綺麗に入るとは思わなかったもので……」
「士郎、大丈夫?」
「あ、あぁ……遠坂……。大丈夫だ。見事にやられたな……」
「本当に済みません」
「いや、謝らないでくれ。俺が未熟だったんだ。そうか……ここまで差があるんだな。君は強いな?」
「いえ……」
敢えて言う必要が無いのかも知れんが、言っておくか。
「衛宮士郎?」
「何だ?」
「その差はどこから来るかわかるか?」
少し首を捻った衛宮士郎が答えた。
「潜って来た修羅場の数?」
「それも間違いではないが、決定的な差は師が居るかどうかだ」
「師匠か……」
「そうだ。貴様は私が眩しいか?」
「ああ。きっととんでもないくらい努力して、そこまでになったんだなって思うから」
「違う。私もどこかの英霊に至った『自分』と出会い、その闘い方を模倣したに過ぎん。どこまで行ってもループしている。私は『私』以上になれなかった。貴様も今のままではそこが限界だ。越えたければ、その頭の中にある『アーチャー』を忘れろ。『アルトリア』を忘れろ。そして善き師を得て、自分だけの『視点』に縛られぬ、新たなるモノの見方を学べ」
「新しい見方……?」
「そうだ。我々は凡才だ。そしてその才は闘いに向いていない。唯一持っているのがこの投影魔術だ。ならば、技量でなく勝てる柄モノを用意する以外に道はない…………と、聖杯戦争中のような短期間なら話したろう」
「え?」
「貴様もあの頃とは違い、少しは背が伸びたろう? それと同じで眠っている才能を叩き起こして、多角的に磨くしか無かろう? 既に死んでしまった私と違い、貴様はまだ生きている。もっと考えろ。そしてそこを見付け出すのだ。そのためにも自分ではない視点、師匠が必要なのだ」
噛み砕いて話した甲斐があったのか、奴は大きく頷いていた。口下手が口下手に贈るアドヴァイス程、ためにならんものはない。
私(衛宮士郎)もアイツ(アーチャー)から言われた言葉を、わかったようでいてわかっていなかった。今ならわかる。あの同族嫌悪にも似た嫌悪感も、言ってみれば過去の恥ずかしい日記を朗読されているようなものだからな。
だから嫌わて当然だった。頑固で頭が固く『正義の味方』という幻想に、思考も行動も縛られていた。振り返れば狂っていたとしか思えん。
だが、今ならわかる。『奴』の願いは唯一つ、『俺の轍を踏むな』……それだけだったのだ。『奴』は自分で気付いたのだろうか? 『自分殺し』の無意味さを。おそらくそうなのだろう。
そして、この衛宮士郎はアーチャーと戦っていた。まるであのシロウの昔話だ。若き日に4番目と戦って勝ったと聞いた。しかもその4番目は生前、2番目にアインツベルンの城で助けられていた。
これを聞いて笑わずにいられなかった。最初は驚きもあったが、どこまでループするのだと恐ろしくもあった。確実に『衛宮士郎』は魅入られ(呪われ)ている。
そしてその呪い(狂気)は、死んで初めて解けるのだろう。だから守護者から逃げたくなる。何もないロボットのような人間だったのだ。黙って働けば良いものを、それと良しと出来ないその感情……それはきっと死して得られたものなのだ。
また、病院に行ってカウンセリングでも受けろというエルヴァが、今回は言っていない。そこも気なる。年齢的なものか、或いは他の要因があるかのかは不明だ。
だが、当事者の立場から言わせて貰うと、私はあの災害で壊れたのでは無い。失ったのだ。人としての生命に根差した判断力を。自分の命が天秤の皿に、ハナから乗っていないのだ。
そしてその視点は奇しくも士郎が指摘した通りで『神』の視点だ。烏滸がましい事に。このままだとコイツはどこかで自分を棄て『世界』に祈るだろう。
それでは余りにも凛が不憫だ。彼女は彼女でこちらの凛から『桜』の実情を話されダメージを喰らっている。その話は必要な事だったが、凛のコイツへの監視が甘くなりはしないか?
「苦労性ですね?」
「む? あぁ、エルヴァの件は良いのか?」
「はい、そちらは終わりました」
「そうか」
「このまま、漂流させ続けた方が良いのかとさえ考えてしまいそうです」
「まったくだな。だが、帰らせてやりたいから『桜』の事を凛に話させたのだろう?」
「そうです。凛さんには申し訳なかったですが、これを知らないままですと」
「悲劇の先送りだからな。それに救えるチャンスはまだある」
「はい。それに妹分であるその『桜』さんを凛さんとともに救けられたなら、あの人も少しは変わるのではないかと考えています」
「少々期待は大きいような気もするがな。自分の事を棚に上げて話すが、あの年齢で視野狭窄が酷過ぎる。私もそうだったのかと思うと身震いがするよ」
「お兄ちゃんも同じ様な事を話していました。あのタイプの『衛宮士郎』は奇跡という名の地雷を踏み抜くと」
「『エル』だった頃に何度か?」
「はい、遭遇しています。それでも、話したり体験したり、病院に通ったりして徐々に良くなる場合がほとんどなのです。ですが、本当の稀にああいう士郎さんが居ました」
「どのくらいだ?」
「あの人を除いて過去に2人です。そしてその場合は3番目に統合されるか、新たに6番目となるかですね」
「『エル』はその2人をどうしたのだ?」
「ある意味、お父さんやお母様と同じです。『魂の改竄』を行いました。言ってみればプログラムの書き換えです」
「そうか……最悪はそれしか手が無かろうな」
「ですが、それも『衛宮士郎殺し』に他なりません。彼女もかなり迷っていましたよ」
「別人の様になるのか?」
「はい。むしろ別人格を植え付けるくらいでなければ」
「やはりそうなるか……」
確かにそれは『衛宮士郎の死』だろう。そしてその人物は平々凡々と生きていくのだろう。容姿も名も同じなのに別人……それが正しい答えだとは『エル』もエルヴァも考えてはいない。だが、一つの手である事は紛れもない事実だった。
目の前のエルヴァが突然消えた。空間転移か?
次の瞬間に現れたエルヴァはドラグノフ狙撃銃を抱え、気を失った見知らぬ男の襟首を掴んでいた。
「狙撃か!?」
「未遂ですが。エルが結界を張って、私が使い魔に見張らせている中で。大胆ですね」
「どこの手の者だ?」
「最悪は軍部かなぁ……」
「政府が霊脈の件を嗅ぎ付けたのか?」
「今の段階ではわかりません」
「エルヴァは?」
「エルヴァちゃんもエルもホテル内で無事です」
「そうか……」
そこに目敏く凛がやって来た。
「どうしたの、そのライフルと男は?」
「狙撃をエルヴァが阻止した。きな臭くなって来たぞ」
「認識阻害を張ってるのよね? このままホテルに戻って相談しましょう」
「そうだな」
そうして私達は狭いのを承知の上でエルヴァとエルの部屋に入った。生憎というか幸いというかエルは今朝から不在だ。
エルヴァは自分のベッドに腰掛け、凛と士郎を横に招いた。隣のエルのベッドには凛と衛宮士郎が座る。私は鏡の前にあった椅子を動かし、昏倒している男は床に寝転がっている。こいつをどうしたものか。
「そんな物騒なものを抱えて、何があったんだ? それにその気を失った男は?」
「見てわからんか? 狙撃されかかったのだ。それをエルヴァが阻止した」
「え? 一緒に公園に居たんだぞ? そんな近くでこの男は?」
「バカを言え。そのライフルの有効射程距離は知らんが、その大層なスコープから察するに5~600mは離れた場所から狙われていたろう。しかしエルが探査結界を事前に張っていて、エルヴァが使い魔で見張っていたのさ」
「あの魔術か……」
ああ、そうだった。空間転移は霊脈で見ていたか。
「その……狙撃を予測して?」
「違う、狙撃の可能性を考慮してだ」
話していて実感した。事態が起きてから動く者と、あらゆる事態に備えて行動する者の違い。
「憧れるのも自由なら目指すのも自由。だが……向いているか、その素養があるかどうかは別の話だ」
私はいつしかエルヴァが話していたような事を口走っていた。
「そ、それをアンタが言うのかっ!?」
当然そうなる。凛も同じ目で訴えている。さて、どうしたものか……。
「だから組織ですよ。個々の才能が平凡でもチームワークで立ち向かえば。マンやセブンに憧れるのは幼稚園まで。いい大人なのですから、科特隊や警備隊の重要性も知っておきましょう。ですから私なんてサ◯ダーバードばっかり見ていましたよ?」
「へ?」
上手い。なんてわかりやすいのだ。
「そもそも、アーチャーさんが出逢った時に話した言葉を覚えていますか?」
「な、何だ?」
「言い方がキツイですけれど、500人分の価値があなた一人にあるのかどうかです」
「そんなの比べるまでもない。1対500なんだぞ?」
「絶対値はそうですね? けれど凛さんの目から見た士郎さんの相対価値は500人以上です。愛情とはそういうものですから」
凛も凛も大きく頷いた。
「この絶対と相対という価値観を覚えておいて下さい」
ん?
「『衛宮切嗣』という、死ぬ間際のあなたを救った人物は、絶望しかなかったあなたにとって絶対的な『正義の味方』だった……ですね?」
「そうだ」
「ですがあの災害が起きた原因の黒い太陽、あれを出現させる儀式の参加者だった。ここまではご存知ですか?」
「……ああ。セイバーもそう話していた」
「では、あの人が過去に何をやってきたのかは?」
「……あまり知らない。知ってるのか?」
「ええ。その前にあなたの世界でのイリヤスフィールはバーサーカーのマスターだった?」
「……ああ。イリヤは親父の実の娘だったんだな?」
「そうです。彼女の実年齢はご存知ですか?」
「え? 小学生くらいだろ?」
「いいえ、あなたの一つ上。当時18歳ですよ」
「ええっ!?」
「聖杯の器となるために無理な調整をされていたのですよ。そもそも幼いあなたを引き取ったばかりなのに、どうやって小学生の子供を? 相手は誰です? そういう常識的なところから考えなかったのですか?」
あれだけテントで好き勝手していたのだから、今更雄しべと雌しべとは言えんだろう。
「この予備知識を頭に入れて聞いて下さい。『衛宮切嗣』の本業は民間の執行者代理、つまりハンターです。この意味は凛さんならわかりますよね?」
「な、何だ?」
「ほら、以前話したでしょう? 封印指定になった魔術師を捕らえるために執行者が居るって。要は逃亡して時計塔から姿を隠した奴を、その士郎のお父さんが捕まえて時計塔に売っていたのよ。そういう意味でしょう?」
「甘い。野に放たれた逃亡者はどこで神秘を漏洩するかわかりません。ですから確実に口を封じます。だから『衛宮切嗣』に付いた二つ名は『魔術師殺し』です」
「え?」
衛宮士郎と凛が呆けた顔をしている。本当に知らなかったのか? そういう事もあるのか……。
「彼はある礼装で、第四次聖杯戦争に参加するまでに37人もの魔術師を屠ったとされています。ところがそんな礼装を使わないで斃したケースもその数倍はあったとされています。また傭兵も行ってたそうです。衛宮さん、お父さんの享年は?」
「確か34歳だったと思う……」
「亡くなられたのはその災害が起きた聖杯戦争の5年後ですよね?」
「そ、そうだ」
「その腕を買われて、アインツベルンに招かれ聖杯戦争に備えたのがその9年前。その翌年にイリヤスフィールが生まれている訳です。わかりますか?」
「その頃の親父……幾つだ?」
「腕を買われてって……10代後半には『魔術師殺し』として有名だったってこと?」
「そうです。段々わかってきたでしょう? どういう人生を歩めばそんな人間になるのか?」
「親父は……」
「士郎以上に壊れている……」
凛……。私も私の遠坂に言われたな。『壊れている』と……。
「なぁ、教えてくれ。親父は何を求めて聖杯戦争なんかに?」
そこだ、衛宮士郎。そこを知らねば。
「あの人の願いは、この世から苦しみや悲しみを無くし『世界に恒久的平和』をもたらす、でした」
衛宮士郎の顔が少し晴れた。逆に士郎は難しい顔をしている。
「それが理想の実現に繋がると信じて、核ミサイルの発射ボタンを押した無知っぷり。それでも士郎さんは憧れますか?」
「ま、待ってくれ。でも願いは美しいだろう?」
「美しかろうが醜かろうが、その結果の末、人々に犠牲者を出せば間違っています。そもそもあの儀式は、英霊七騎を焚べて根源への道を拓く儀式だったのです。願いが叶うとか叶わないとか、それはどうでもいい訳です。薪となる英霊を召喚する魔術師を集めるための嘘っぱちなのですから。凛さん、あなたのお父様はこの事をご存知だった筈ですよ?」
「ええ……当事者だった頃は知らなかったけれど、時計塔に行って段々わかったと言うか……」
「じゃ、親父は騙されて……?」
「その英霊を焚べて根源云々だけでなく、最低六騎を沈めれば願望器として機能すると信じ込んでいたようですね。確かに膨大な魔力を一箇所に留めおけば、その様な現象が起きる場合がありますが、方向性も方法も指示しなければ、誤作動を起こすだけです。そもそも英霊六騎の魔力量でも、全世界を変革するには足りません。これは普通に考えればわかる事ですよ?」
「親父は……?」
「普通の人間は年に数回、神社仏閣で願い事をするでしょう? その中の何人が世界平和を願いますか? もし居たのなら、心の美しい人なのでしょう。ですが、そんな人でも自分から行動して世界を平和にするのだとは思わない訳です。何故ならそんな事を考えるより先に、家族の事や愛する人の事、日々の生活を送るための収入源である仕事や人間関係で手一杯なのですから。これは言っておきます。それでも『正義の味方』を目指すのなら、人生舐め腐った馬鹿です」
「バカって事は……」
「馬鹿ですよ。ひもじい思いをしている人にパンを分け与えたいなら、そのパン分を稼がなければなりません。ですが本当の救いは、その人にもパン代を稼ぐ方法を教える事です。魚を釣ったり、作物を育てる方法を教える事の方が重要なのです。何故ならその方法は、その人だけでなくその人の家族や周囲の人にも伝わるからです。また、未知の流行病があったり、作物の育ち難い土地へ赴き、救急医療を施す医師や土壌改良をしたり井戸を掘る方々の方が、その土地の人々にとっては正しく『正義の味方』なのですよ。どうしてそういう方向に道を選ばなかったのですか?」
……馬鹿だからだ。自分一人だけでどうにかなると思う時点で救いようのない馬鹿だ。
エルヴァの言う通り、道は幾つもある。そういう組織に入るのも良い。新しいアイデアを出してNPO法人を起ち上げるなり、スポンサーを募るのも良い。
何より今エルヴァが話した事は社会的に『善行』とされるものだ。『正義』のような相対的なものではない。そもそも立場が替われば入れ替わってしまう価値観を追い求めるのがオカシイのだ。
衛宮士郎よ、考えろ。ここまでわかりやすい言葉で答えを出してくれているのだぞ?
その後エルヴァはアハトのアインツベルンとエルヴァのアインツベルンの違いなどを話していたが、自らの事は本家に仕える従姉妹だとしていた。
確かに現段階で、剥離した意識が並行世界を漂流したとか、その分離した意識が元で、更にその複製であるとか話しても理解はできないだろう。
やがて男が意識を取り戻したとことで、エルヴァは男の頭に手を置き、思考をハックした。
「史上最強の漢を送り込んで、軍を壊滅させましょうか? その勢いで中国とアメリカも。世界平和待ったなしです」
「面白い事を言うな!」
一瞬、乗ってしまいそうな自分が怖かった。だが……それで神秘が漏洩したからと誰が私達を止められる? いかん、いかん。これは危険な考えだ。
「こら、エルヴァ! 指を指して笑うな!」
「ごめんなさい。『エル』のマネでした。彼女はそういう事ばかり言うもので……。お兄ちゃん、そっくりでしたよ?」
ああ……アイツの苦労がわかった気がする……。
「それはさておき、やはり軍部か?」
「そういう情報筋に探り当てられたようですね。いまのところ、動いているのはごく一部で政府の知るところではない様です」
「旧ソ連の?」
「でしょうね。当時のソビエト政府上層部の何人かは、例え社会主義国家であっても、神秘の存在を知っていたと思いますから」
「以前も言っていたな? どの国もある程度は神秘の事を知っていると」
「ええ。ですが、英霊や霊脈でなくダイヤモンドに釣られた可能性も否めません」
「ああ、なるほどな。その線はあるか」
「そうです。採掘申請を出していましたからね。本当に掘り当てたとなれば、動く者も出て来ますよ。ま、お祖父様の電話1本でお終いでしょうけれど」
「そうであって欲しいものだな」
そしてエルヴァは記憶操作をして、ドラグノフを渡し、そのまま男を帰した。
「おい、帰しちゃって良いのか?」
「人一人をこんなホテルで隠す方が手間も掛かって大変ですよ。安心して下さい。今後は彼からあちらの動きが定期的に連絡されますので」
これだ。こういう魔術を、私は何故使えないのか? だが、同時に思う。それこそが魔術ではないか、と。
「剣を創ったり宝石を弄るより有用で役に立つな……」
………………………………………………………………何だ? どうして皆んな私を見る? あ……! 思わず声に……。
「あんですって!?」
訛っているぞ?
「アーチャー?!」
「き、君のアーチャーでは無いのだがな……」
しかし願いも虚しく、私はダブル・ガンドを喰らい、夕方まで放置されていた。だからこの後、どのような会話があったかは知らない。実に惨めだ……。
嗅ぎ付ける相手が居るだろうと想定し、ターゲットをエルヴァちゃんから逸らすためにこうして街をあてどもなく歩いているのだけれど、一向に誰からも狙われる事も襲われる事もなかった。
となると狙いはエルヴァの方だろうけれど、彼女ならどうにかするだろう。なので無駄足をこれ以上続けても意味はない。それでは帰ろうかとホテルに向かって踵を返したところ、目の前の信号機のない横断歩道で、若い女性がクルマに撥ねられそうになっていた。
悪いのはクルマだ。歩行者が渡りたそうに待機し、交通が途切れた時点で左右を確認してから渡っていた。なのに横道から勢いよく出て来たクルマが右折して、目の前の歩行者が横断中の横断歩道に突っ込んだのだ。
隙かさず私はそのクルマの四輪を同爆して、信号機にぶち当たって停まったところで持っていた買ったばかりのヘアスプレーの中身を空間転移でその運転手の腸に送った。
飲酒運転で免許証を失え、バカ。随分と驚いていたけれど、幸い女性に怪我はなかった。良かった。
「お前ぇ、何やった?」
「え? ランサー? お、お酒臭~……」
「そこは見逃せ。で、何をやったんだ?」
「女の人が横断歩道を横断中なのに……」
「悪ぃ、言い方が悪かった。そこは良いんだ。その手に持っているスプレーだ。それで何をやった?」
「ああ、これ? 主成分にアルコールが入っていますので、飲酒運転で罪が重くなれと腸に送ってやりました」
「それだ! ランス!」
「ええ、それですね」
「何が?」
「酒場でジョッキにスプレーを振り掛けている人が居たのです。それが何かわからず」
「ああ、アルコールの増量ですね? そんな90年代みたいな事をしている人が居たの?」
「どういう意味だ?」
「この国は91年の年末にそれまでのソビエト連邦が崩壊して、暫く混乱期を迎えたのですね。その時にお酒が手に入りづらくなって、このような化粧品などを代替アルコールにしたり、工業用アルコールを飲酒したり、洗濯機で撹拌しながら密造酒を作ったりしていた時期があったのです」
「洗濯機で撹拌……ブリテンよりマシなのでしょうか?」
「知らねぇよ。つまりは、その名残りなのか?」
「わかりませんけれど。そうなのかも」
そこに遅れてモードレッドとケイローン先生に、アルさんことヘラクレスがやって来た。3人とも手に瓶を持ち、ちびちびやりながら歩いていた。
「何を飲んで?」
「いや、酒場を出る時にウォッカっていうのか? あれを一杯奢ってやったオッサンがくれたんだ。独特の香りがあるけど癖になる美味さだ」
コ、コイツ……アフターシェーブローションを飲んでるよ! しかも美味いって……。
「ええ、匂いが少々キツイが喉越しは良いですね」
「うむ。このような酒は初めてだな」
な、何を言ってるの!?
「アルさん! 先生! 飲んじゃ駄目! それ、男性が髭剃り後に塗るローションで、お酒じゃないから!」
間を置かず、ランサーとランスロットさんが尻ポケットから瓶を取り出してマジマジと見ていた。安モノの香水とヘアトニックだった。しかも半分は失くなっている……。
「まぁ……英霊だから。最悪メチルアルコールでも死なないでしょう……」
「うるせーよ! 手前ぇ、モードレッド!」
「し、知らねぇ! オレのせいなのか?!」
「酒だと言ったのはお前だろうが!」
「だ、だって、あのオッサンも飲んでたんだぜ!?」
「そこに直れ! モードレッド!」
「うわぁ、ヘラクレスのオッサン、マジでキレてる? わ、悪気はないんだ! 勘弁してくれ~~~」
「戻りましょう、エル……戻って口を洗ぎたい」
「はい……当然です」
ダメだ、この国……。