108、即売会
試合から戻ったお姉ちゃんは、一躍時の人だった。遠的個人で全国一、団体で二位(惜しい。今の主将か前主将が外したらしい)。
それで冬木に戻っても地方新聞やローカル・テレビ局の取材、知事に市長への報告を兼ねた表敬訪問などがあって中々お話ができなかった。
やっと手が隙いたと思えば機関誌に載った写真が話題となって、今度はキー局や全国的な雑誌までがひっきりなしに取材に来ていた。
だって銀髪ハーフのめっちゃ美人なんだもん。それに背があまり高くないところと、お料理好きで控えめな性格、炊事だけでなく家事全般が得意といったプロフィールが、世の男の人のハートを鷲掴みにしちゃった。
スズカやナナキの情報だと(二人には年の離れた姉がいる)、ネットの巨大掲示板では連日『すれ』というのが建って、『いた』とかいうのを独立させるとかどうとか、そういう動きがあるとかなんとか。
「なんなのよ!? その『すれ』とか『いた』って?!」
「スレはスレッドの事だ。板は文字通り、掲示板の板だよ。要は板ごとに話題をカテゴライズしてあって、その中に誰かがテーマを決めてスレッドを建てるんだ。お前たちのネ~チャン、今や芸能のローカルアイドル板を飛び越えてっからな」
「マニアなんてスポーツ一般の弓道板を掘ったり、既にこの辺をスネークしているよ」
「ナナキ、それはしょうがないだろ。学園が割れてるんだから。住所バレも時間の問題だった」
「だよな。ウチのネ~チャンも先輩が気の毒だって言ってたよ」
そうなのだ。とうとう家まで特定されちゃって、最近はご近所でサングラスにマスク姿の怪しい人が妙に多いのだ。
イリヤも私も『あれ、絶対に妹だぜ』『ハァハァハァ……』とか、『妹は妹で萌え~~』『ハァハァハァ……』なんて雑音が耳に入る場合があって困っているのだ。その『ハァハァハァ……』はなによ……?
「クロエはネ~チャンと同じで『小麦色に焼けた健康的な肌』だからな。そりゃ注目度は高いだろう」
お姉ちゃんに似ているのが私の自慢でありアドバンテージなのに、こういう弊害があったとは……。
「まぁ、『典型的な美人姉妹』だからな」
「従姉妹と知っているのは私たちくらいで、第三者の目だと姉妹だもんなぁ」
「そうそう。実は従姉妹と知る方が恐ろしいんだけどな」
「どうして?」
「エルマのネ~チャンとか、海の家でバイトしていたネ~チャンとか。家政婦さんもそうだろう? クロエんちの一族って皆んな美人じゃん? な?」
な? って同意を求められても困るわよ。
「それで、イリヤはどうしたんだ?」
「美遊のところ」
「以前話したろ? 姉ちゃんと美遊が即売を手伝ってくれるって。イリヤはそれの衣装合わせに走ってくれているんだ。本当はお願いする立場の私が動くべきなんだろうけど、急遽クロエの相談に乗って欲しいってイリヤから電話があってな。それでここ最近の情報も掴んでいるナナキも誘ったってわけだ」
「ああ、そういう事だったのか。ま、私からのアドヴァイスは一つだな」
「なに?」
「『嵐は過ぎ去るのを待て』、これしかない」
「そうだな、ナナキの言う通りだ。それに悪い噂は一切ないんだ。昔やった悪いことや恥ずかしいことが電子の海で永遠に残るって事はないんだから」
「そうね。ところでさ、イリヤが持って行った衣装ってなんなの?」
「あれ? クロエは知らないのか?」
「うん、知らない。その話があった頃って、私、日本に居なかったもの。まぁ、お兄ちゃんにあれこれ尋ねていたから、昔使っていた弓道着だとは思うけれど」
「それも良さげだが、甘いな……」
「なにが?」
「先にこれは話しておくぞ、クロエ?」
「え……?」
「それを言い出したのも決めたのも、お前の大好きな姉ちゃんであって、うちら姉妹じゃないからな」
「今思うと、サービス精神が旺盛な人だったんだなぁ」
「だな」
へ? なんなのよ?
こういうアインツベルン家が注目の的になっている今、おかしな行動は厳に慎むべきものだと5年生の私でもわかるけれど、一度した約束は必ず守るのがお姉ちゃんだった。
それは『魔術師』だから、『契約』と同じだからってお姉ちゃんなら言うだろう。と同時に『大切なお友達との約束を守ってこそ、お友達でいられる資格があるのですよ』とも、独特の言い回しで付け加えて話すと思う。
だから私もクロお姉ちゃんも、お姉ちゃんが大好きで素直に言葉が聞けるのだ。偏っていないんだよね。
あ、この『~なんだ』の『ん』。これをお姉ちゃんはめったに使わない。お姉ちゃん風に言い換えれば『偏っていないのですよ』みたいになる。
エルマお姉ちゃんもイリヤお姉ちゃんも『ん』をよく使う。そしてスイスに行ったエルお姉ちゃんとエルヴァお姉ちゃんも『ん』を使っていた。
あれが私とクロお姉ちゃんが気付いた、二人のエルヴァお姉ちゃんの違いだった。
今、私の前をお姉ちゃんの自転車が走っている。背中には衣装の入ったリュックだ。その後ろを私の自転車がついているんだけど、タイヤの大きさの違いでかなり遅れちゃう。
時々、待ってくれてもすぐに差が広がる。う~ん……。
「変速機は使っていますか?」
「使ってるよ。今、6速だもん」
「あ~。7段変速でもフロントが小さいのかな。16インチという小径で、チェーンステー長が短いからクランクのギアを上げたくとも限度がありますしね。エルも18インチにしてあげれば良かったものを」
「まぁ、私たちの背が低いからだよ。それより、美遊が待ってるよ。急ごう?」
「はい」
美遊の家の近くまで行くと、カメラを抱えた人たちがアサシンさんたちに引きずられて、どこかに連れて行かれっちゃった。
「おお、サンニッパにヨンニッパ。マニアックです。良いのを持っていますね?」
「知らないよ」
お姉ちゃんは『カメラやレンズを壊すな。家族を盗撮をしたり街の人に迷惑を掛けなければ、うろつくのは構わないから』と、少し説教したら帰してあげなさいとアサシンさんに話していた。
「良いの?」
「ええ。私の写真なんて価値がありません。それにあの人達が飲食店などでお金を落としてくれたら、多少は冬木に恩返しができます」
海の家でもそうだったらしいけれど、自分の写真が知らない人に見られたりするのを全然気にしないんだね?
お兄ちゃんがめっちゃ心配していたんだよ? 水着で誰とでも腕を組んでいたって。でもそれでタツコのところは大儲けしたらしいし、お兄ちゃんにお姉ちゃん、イリヤお姉ちゃんの給料も良かったらしい。
「ね、なにが正しいんだろ?」
「どこに立ってものを見ているかだろうね。お金儲けという立場ならエルヴァさんが正しいし、高校生だとか家族の気持ちから考えれば間違っているとも言える。けれどタツコの家はそれで助かった。そこは見逃したらダメだと思う」
「そこだよね~。お兄ちゃんも似たようなことを言ってたよ」
美遊の家でジュースを飲みながらおしゃべりをしていた。その間にお姉ちゃんは、美遊の衣装を裁縫道具で少し手直ししている。
衣装と言っても一つはお兄ちゃんが小学部の頃に着ていた制服だ。理想は詰め襟の冬服だけれど、会場の気温で半袖の夏服になるかもしれない。
もう一つの衣装は、お姉ちゃんのイラストを元にスズカが描いている『魔法少女』のコスチューム。これって私の転身姿がオリジナルなんだけど、そこにスズカなりのアイデアも入っていて、ルビーを唸らせたものだ。
実は仮縫いの時のモデルが私で、ルビーも何度か見ていた。そこで感心していたってわけ。
美遊とコスプレのペアを組むお姉ちゃんは、お兄ちゃんが中等部卒業間際から高等部の1年の途中まで着ていた学生服と、男の子用の弓道着を用意していた。
制服の時は制服で、魔法少女の時は弓道着だ。当然スズカにバレたと言うか指摘された。このイラストのモデルは私とお兄ちゃんだろうって。
けれど今のスズカは、その頃日本に居なかったクロお姉ちゃんじゃないかと思いっている。そしてこの季節。ただ赤くなるだけの私と違い、今の美遊はお姉ちゃん並みに焼けていた。こういうのも計算なのかなぁ。
「はい、出来ましたよ」
「ありがとうございます」
美遊も変わったなぁ。このアルバイト代がお兄さんの助けになると信じて、なんのためらいもなく『魔法少女』の衣装に着替えちゃった。
「どうですか? 腕を上げても突っ張りませんか?」
「はい。ちょうどです」
ちなみに、杖はサファイアだ。当日は本物と、エルマお姉ちゃんが作ったダミーを10本持って行く。1本2万円。これが美遊の商品だった。
そしてお姉ちゃんは直筆サイン入りイラスト色紙50枚とサファイア型のペンダント、それとサイン入りの傷んだ矢や、サイン入りの的紙などを用意してあった。これを売り切って弓道部の部費に充てるのだという。
「だから、さっきの人たちも帰してあげたの?」
「当たり前でしょう? サンニッパやヨンニッパが買えるオタクですよ? MR-Sもラッピングして、『マジカル☆キュードー マコト』の痛車にして売っぱらおうかな?」
「エルヴァさん、もったいないですよ。クルマはやりすぎです」
「そうですか。でも2ZZに負けちゃったからなぁ……。S2000はもったいないし。もう過給器を付けるか、FCかFDの中古をを引っ張って来て、手を入れるしかないのかも……」
お姉ちゃんは、時々わけのわからない記号を話す。
そてはともかく、『マジカル☆キュードーマコト』はスズカが付けたタイトルだ。私がマジカル☆ブシドームサシ好きなのを知っているから、そんな風にひねったらしい。
それと『マコト』って主人公の名前はお姉ちゃんが『男の子でも女の子でも共通して使える名前が良いよ』と、スズカにアドヴァイスしてそうなった。
候補はスズカのお姉さんが出してくれたらしい。それで『マコトに決めた』と電話があった。それを知らせにルヴィアさんちに行けば、お姉ちゃんはとても喜んでいた。
そして印刷所からあがった新刊は、5年生の女の子が描いたとは思えないほど、ストーリーがしっかりしていて、絵も上手だった。
スズカのお姉さんが『これは負けた』と敗北宣言を出したくらいだ。その新刊が座卓の上にある。スズカが届けた美遊の分だ。そして表紙裏には、スズカとお姉ちゃんのサインが入っている。
行け行けとお姉ちゃんが煽って、千冊も刷ったそうだ。普通は百冊どころか、初めての即売会参加だと10~30冊が限度だという。
だけど私も美遊もお姉ちゃん効果で売れると思っている。そしてそして、このテーマが気に入ったスズカの創作意欲は、現在続刊の5冊目に入っている。
つまりストックがそれだけあるので、次回や次々回の即売会も楽勝だ。ただし、その分の印刷代を今回稼ぎ出さないといけない。
400円と言っていたスズカに、お姉ちゃんは即売会後にプレミアが付くから700円か600円で行こうと話していた。なので600円で決まった。
お釣りも、もう用意してあるらしい。その即売会がいよいよ始まる。明日と明後日の二日間だ。
喫茶店に遅れてミミがやって来た。
「スズカちゃん、千冊って本当?」
「ああ、本当だ」
「無茶だよ。最初は10冊も出ないって」
「ミミ、それも結局は知名度だ。それと読者の期待に応える質があるかどうか。姉貴や姉貴の友人も話していたよ。これは最高のデビューだ、お前ならイケると。だからイケる。絶対にイケるさ」
まさかお姉ちゃんがここまで計算していたとは……。
『新時代を切り拓く期待の大型新人、栗原雀花が送る衝撃のデビュー作『マジカル☆キュードーマコト』。原案はあの高校弓道界の新星、エルヴァ・フォン・アインツベルンだ! 初回本はエルヴァさんのサイン入り。当日は本人が兄役などのコスプレをし売り子として立ちます。変身後のコスプレイヤーと内容に沿った寸劇などもあるかも? また、お買い上げの多い方にはペア撮影にも応じます』
大会前に発注したポスターには堂々とこう書かれてある。おまけにネットの掲示板にも今夜リークするという。お姉ちゃんが何事も本気でやる性格なのは知っていたけれど、ここまでするの?
From:elva@◯×-◯×◯.co.jp
To:m1919s5151@◯×◯×◯×◯.co.jp
Subject:アドレスをいい加減に変えなさい
本文:
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「はぁ~……。ダメだな、俺……」
「先パイ、気にしないで下さい。私は大丈夫ですから」
「ごめんな、桜……大切な初体験の思い出を……」
先パイは失敗してしまった。アインツベルン先輩に背中を押され、頂いた優待券で入ったホテル。
入ったお部屋は可愛らしくて、ムードがあった。ベッドの枕元には何だかわからないスイッチが並んでいて、トレイには避妊具。
先にシャワーを頂いて先パイを待つ私。出て来た先パイは、腰に巻いたバスタオルが……。だからキスが全然違う。いつもの物陰とは違うドキドキ感。きっとお互いを求め合う気持ちが強過ぎた。
はしたないと思ったけれど、キスをしながらバスタオルの上から先パイのを優しく撫でた。先パイも高い位置で巻いた私の胸をバスタオル越しに優しく……。
ああ……タオルの丈が足りないから、内ももに垂れたモノがばれちゃう。でも、もう良い。そんな事より、大好きな先パイ、愛するこの人と一つになりたい。
だけど先パイは避妊具を使う段で終わってしまった……。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
こんな事にならないように、しっかりとシミュレーションをしておきましょう。私が士郎クンをレクチャーする訳には行かないのですから、間桐さんが導くつもりで。
最初は痛いと思いますが、2回3回と経験を積めば後は快感だけです。
頑張れ! By.Elva
な、な、な、何というメールを! それも今まさにベッドの上で先パイを待っているこの瞬間に!? どこかから見ているんですか!
あ……魔術? 遠見とかそういうのがあるって、エルマに聞いた。でも、あのアインツベルン先輩がそういう事をするかな?
わかった。弟分の先パイが心配なんだ。上手く行きますようにって……。
いやいやいや、待って下さい?! この文面の最後、『最初は痛いと思いますが、2回3回と経験を積めば後は快感だけです』って……。
う、嘘!? アインツベルン先輩って経験者なんですか?!
び、美人で可愛くて素敵な人だから、彼氏の一人や二人いても驚きませんが、どこの誰といつ?
しかも誰だかわからないのに、相手は背の高いスポーツマンで、海外の名門大学生で、将来の年収がン千万円は固い人って何故か浮かんで来ます!
あ、シャワーが止まった。曇っていますがガラス越しに肌の色は見えるんですね。私のときは先パイが……。
「イリヤ、今まで言えなかった事がある。俺はずっとお前が……。けど、俺を暖かく迎えてくれた家族だから……兄と妹だから……我慢していた。でも最近のお前が眩しくて……好きだ、イリヤ……」
だから! お兄ちゃんの制服を着て、どうして美遊に迫るのっ!? それに美遊も! お姉ちゃんにトロンとしちゃダメだって!
「違うよ?! このシーンは敵の魔法で元の高校生に戻れなくなったマコトが、学校をどうしようって悩むシーンなんだよ? それでお姉ちゃんが心の声役なんだから!」
以前の私が夢見ていたシーン。今の私ならお姉ちゃんでもドキドキする。そしてクロお姉ちゃんなら美遊と代わってって叫ぶだろう。
そもそも、こんな寸劇なんて売り子に必要ない。だからお姉ちゃんのアイデアで上半身だけで行える、今回の本のクライマックス・シーンのセリフだけを再現する。
そんなのに意味があるの? それが販売促進になるの? 私もそう思った。だけどスズカも、スズカのお姉さんもお姉ちゃんと何回か会ってガラッと変わった。
『その喉はレインボーボイスか!? そこまで声質が変えられて、その演技力とは……滑舌もいいし聞き取りやすい。イケる、これならイケるぞ』
そんな風に今まで何回か打ち合わせていたのだ。
そしてハイライトは『高校生にはなれたけど、男の子に戻れない』シーンだ。これを早着替えのように衝立の奥で行う。
要は転身しちゃうのだ。学生服から美遊と同じ『魔法少女』になっちゃう。
『10時から夕方の4時。間延びさせずお客さんを楽しませ、次回の即売会にも繋げる……ここが大事ですよ』
もちろん衝立にはサファイアが魔法を掛けて、反対からも転身しているところを見えなくする。それと転身するには理由もあった。それは学生服のサイズだった。
お姉ちゃんはやっぱり高校生の女の子なので、中等部時代のだと胸がきつくて前が閉まらないのだ。だからと言って胸に合わせるとお兄ちゃんが今着ている学生服でないと無理だった。すると今度は袖が余る。そこもあったのだ。
ズボンもそうで、入らない事もないそうだけど、お兄ちゃんの今のサイズでないと少し動きが窮屈らしい。何よりその中等部3年から高等部1年の終わりまで穿いていたズボンだと、裾がちょっとだけ短いのだ。
身長153cmのお姉ちゃんは、高1時代のお兄ちゃんより足が長いという恐ろしい事実。人種の違いや男女の差もあるって言うけれど、お兄ちゃんはかなりショックを受けていた。
だいたいの流れが掴めて練習が終わったらお昼前だった。なので皆んなでご飯を作ろうとなって、お買い物に出た。ここがお姉ちゃんだ。食材を多めに買って美遊の家の冷蔵庫に押し込んじゃうのだ。
それにお兄さんも、もうじき帰って来るので食べきれないって心配もない。そのお買い物先のマウント深山で、お話が終わったらしいクロお姉ちゃんとぱったり会った。
なのでクロお姉ちゃんも誘って四人でお料理を作った。お魚はお姉ちゃんで、ご飯とお味噌汁とサラダは私達。
お姉ちゃんがエイのムニエルとカレー揚げを作っている間に、私とクロお姉ちゃんがレタスやキュウリを用意する。美遊がお米を浸けてお味噌汁の準備。
キュウリに塩を振って『板摺り』していたら、やっぱり美遊は知っていた。だんだんと追いついて来たよ? それでクロお姉ちゃんの千切りを見て美遊が驚いていた。
「刺し身包丁を投影するの?」
「そう。それでまな板に包丁を添えてこんな風に剥いていくのよ」
「それを重ねて千切り?」
こうすると斜めに輪切りにしたキュウリを、少しずらして並べる千切りより細く切れるのだ。お姉ちゃんに教えてもらったからと、クロお姉ちゃんはしょっちゅう練習していて、とうとう専用の包丁を投影するまでになった。
お姉ちゃんには負けるけれど、私の千切りじゃない細切れより上手だし、ママもセラもすごく褒めていた。そんなキュウリを使ったグリーンサラダの上に、皮を剥いて茹でたクルマエビとイカを乗せた頃にムニエルやカレー揚げが完成。
ご飯も炊けたし、お豆腐とミョウガのお味噌汁もできた。いただきま~す!
「エイって食べられるんだね?」
「お姉ちゃんのことだから大丈夫だとは思っていたけど、びっくりしちゃったよ」
「日本では煮付けが多いと思いますが、エイのムニエルはフランスでも普通にありますよ。カレー揚げも柔らかい鶏肉みたいで美味しいでしょう?」
「うん、美味しい」
「オイシイよね?」
「うん。お兄ちゃんにも教えてあげないと」
「士郎クンもニコさんを手伝って、何度かエイを使っています。きっと美遊ちゃんは食べないと思ったのかな?」
「う~ん……」
美遊がとても大切なお兄さんは、うちのお兄ちゃんよりちょっと過保護なところがある。見た目の気になる食材はあまり使わないらしい。
だけどオイシイし、思ったより安かった。こういうのも使うべきじゃないかな?
「お姉ちゃん、エイって何でも食べられるの?」
「一応そう言われていますね。ですが捌く時に話したように尾の付け根の針に猛毒がありますし、可食部位がヒレとキモしかありませんので漁師さんも釣り人も逃してあげる人が多いです。ですから本当に全種類食べられるのかどうかまでは知りません」
「今日のこれは何てエイ?」
「今日のはアカエイですよ。日本では一番多くとれる種類ですね。時々こうやってお魚屋さんで売られていますが、これも冬木が港町だからで、普通は扱わないお魚屋さんの方が多いです。スーパーの鮮魚コーナーには無かったでしょう?」
「あ、そっか」
「じゃ、自分で釣ったりする人なら他のも食べたりするのかな?」
「いえ、大抵逃すでしょう。たまに釣れるサカタザメ(エイ)やカスザメ(サメ)にウチワザメ(サメ)といった、エイなのかサメなのか意味不明な種類は、そこまで美味しくありません。小型のサメも尾の身をほぐして作る煮凝りかムニエル、それか唐揚げやフライのような揚げ物くらいしか料理法がありません。ではそれよりもっと大きな、漁師さんの網にかかるサメですとアンモニア臭い上に、まさに鮫肌なので包丁を痛めるだけです。ですから下魚と言えば下魚ですね」
注)下魚(げざかな)。値段のつかない、あまり美味しくない魚のこと。江戸時代の初期までは、足の早いマグロや、細くて身が少ないサンマも下魚だった。ただサンマの漁獲量は多かったので、庶民の食べ物ではあった。そんなエピソードが落語となったのが『目黒の秋刀魚』。ちなみに下魚を『げぎょ』と読んではいけない。『げぎょ』だと屋根の破風につける飾り、懸魚(かけざかな/げぎょ)になってしまう。
「じゃあ、どうしてもサメを捌かなきゃいけない時はどうするの?」
「初等部時代は包丁を次々と持ち替えていましたね。それで後から研ぎ直していました。今ならパパッと投影しますよ」
だろうなぁ。これ、さっきから質問しているのは全部クロお姉ちゃんだ。
「お姉ちゃんお薦めの調理方法は?」
「無難なのはフライですね。臭みを消すために揚げ油に少しゴマ油を足しても良いです。これはイワシの天ぷらや苔臭いイワナでも使える手です。関東の天ぷら屋さんみたいに、全部ゴマ油で揚げるのはお薦めしません」
「どうして?」
「コストが掛かるのと、人によってはちょっとくどいからです。それと中学生になればわかると思いますが、牛より豚、豚より鶏、鶏より魚。冷めても美味しいお弁当向けのおかずはこの順番です。揚げ物、焼き物、全部そうですから」
お姉ちゃんはクロお姉ちゃんだけでなく、美遊や私にも話していた。お弁当かぁ。中等部は基本、小学部と同じ給食だけれど、お弁当の日は小学部より多いと聞いている。そういう日に自分達で作れたらカッコいいよね?
それに高等部だとお弁当か食堂を自分の好みで選べるけれど、女の子はお弁当持参の人が多いと聞いている。毎日自分で作ろうとする、お兄ちゃんみたいな男の人はかなり珍しくて少数派らしい。
「任せて。高校生になったら、もっとお料理上手になっているから」
「うん、私も」
「私も」
「美遊はそのままでいてよ~」
「甘い、イリヤ。私とクロエの目標はエルヴァさんを越えることだから」
「え~?」
お姉ちゃんはとても楽しそうに笑っていた。
空港にはオーギュストの迎えがあったが、私と士郎にランサーとランスロットは公共機関を利用する。護衛はハサンが居るしな。士郎と離れることでルヴィアが少々寂しそうにしていたが、士郎にしてみれば一刻も早く美遊のもとに帰りたいだろう。だからルヴィアも声に出さなかった。
さて、そうして冬木駅にまで帰った私と士郎にランサーとランスロットだが、少々街の様子がおかしい。妙に似たような風体の男性が多いのだ。
「アーチャーさん?」
「うむ。チェックのシャツにジーンズ。背中にはリュックで両手には手提げの紙袋……何だ?」
「何かのイベントかな? 皆んな同じ方角から駅の方に歩いてくる」
「そうだな。士郎の言う通り、何かイベントでもあったのだろう」
警戒すべき類のものではないからか、ランサーとランスロットは無反応で、次回の仕事やそれまでの間にできる大口の仕事はないものかと話し合っていた。
深山街行きのバス停で並んでいると、彼らの声が耳に入った。
「今回の即売会は大当たりだな?」
「だよな、ローカルとは思えなかったよ。特にあの子。可愛かったよな~」
「エルヴァちゃんだろ? 俺、萌え萌えだよ~」
「握手にツーショット。バッチリだよ。ステッキを買った甲斐があった」
「な?」
ハァと思い、その二人を見ればリュックからサファイアが飛び出ていた。というか特に濃そうな奴は決まって手提げ袋が何かでぎっしり……紐が千切れんばかりだ。
よく見れば、リュックからサファイアが飛び出ている何人かは特に濃い。そして皆んな幸せそうな顔だ。
「な、何が起きている……?」
「……わ、わかりません。というかあれってサファイアですよね……?」
「偶然だろう? あんなモノがこうホイホイあってたまるか」
「で、ですよね?」
とはいっても、『一生手を洗わない』とか、『あの子、弓道で日本一だぞ』とか、『マジカル☆キュードーマコト』がどうとか、『変身姿やメイド姿も可愛いかった』とか、怪しげなワードが耳に届く。
そして脳裏に何かが浮上しては沈んでいく。いや、浮かぶものはあるのだ。しかしこの濃いが幸せそうな若者達との、接点が見えて来ない。
「アーチャーさん、あれ!」
「何だ?」
バス停横の公共掲示板にポスターがあった。道着姿で弓を引き矢を番えているエルヴァのアップだ。まさに私の脳裏に浮かんでいた人物だ。何だろうか?
どうやら何かの啓蒙ポスターのようだった。並んでいる人の間を縫って見ているので文言まではわからない。
「このポスター、欲しいよな」
「これ、絶対にプレミア付くぜ?」
「役所で貰えないかな?」
「行ってみようか」
「ああ、ダメ元で行ってみよう」
そういって先程とは少々毛色の違う若者二人は市役所の方角に歩いて行った。何かが起きている。なのにそれが何なのかが、さっぱりわからない私だった。
「士郎、場所取りはしておくので、ポスターの文字を見て来てくれんか?」
「わかった」
「待て、シロウ。市役所だろう? オレがひとっ走りして調べて来る。お前達は先に帰ってろ」
そうランサーが申し出てくれたので我々は到着したバスに乗り込んだのだった。
私の名は栗原火雀(ひばり)。朝から会場への資材搬入を手伝ったり、サークル・スペースの飾り付けなどをして、挙句の果てにこのようにナレーターまでやらされている。
この原因は、偏に私が原稿を落とした自業自得であって、決して妹雀花の見事なまでの化けっぷりに翻弄されたからではない。
「このナレーションの原稿を書いたのは誰だ~~!」
「うるさい、ヒバリ。黙って本を積み上げろ」
「スズカちゃん、マンガが上手になったね?」
「な? てっきり姉の後を追って貴腐人まっしぐらと思っていたのに」
「原案の子がBLもプチ801もユリも匂わす程度にして、設定の基本軸とストーリーをブラすなってアドヴァイスしていたらしいよ」
「それがあるから、日常生活の学園プチBLが光るというか。やっぱり追いかけ過ぎて沈んじゃダメだな?」
「そうそう。腐っちゃうと食べられないのと同じよ。熟成で留めるのが大事なのよ」
「だな、良いストーリーだと思う。けど、この生徒会長、絶対にモデルが居るだろう?」
「主人公もそうよ。けど弓道部のある学校で生徒会長も弓道部って学校は、県下にはないんだって」
「原案の子もスズカも同じ学校だって聞いたけれど? あそこの高等部は?」
「その原案の子が、そこの弓道部なのよ。けどあそこの高等部は進学校よ?」
「ああ、レベルが高いのか。じゃスズカは良いところに入ったんだな?」
「ヒバリがこんなだから、ご両親がスズカちゃんを受験させたんだってさ」
「運命を断ち切りたかったんだな。これが切っ掛けになって商業誌デビューがあると良いな?」
「うん。絵も安定しているし、背景をヒバリや私達が手伝ったこのレベルなら」
「ああ、この千部がサバけたら絶対の自信になると思うよ」
「な? 頑張って売り切ろうぜ」
私のサークル仲間は熱い奴が多い。時刻は9時を回った。外には開場を待つ人々が……えらく並んでいる!?
そこへスズカが原案のエルヴァと売り子を手伝ってくれるスズカの友人とともに現れた。スズカは着替えを手伝い、ここまで案内する係だったのだ。
し、しかし、見事な……この疑似BLとユリをミックスした新しい水平線が、三次元として目の前に存在している!
「ス、スズカちゃん!? この人が原案の?」
「そ、そう。友達の従姉妹の姉貴だよ」
「ええっ?!」
私も喫茶店で初めて紹介された時は驚いた。マジで人形みたいに可愛い外人さんだ。おまけによく日に焼けて健康的なので、深窓の令嬢のような線の細さはない。
声も綺麗で日本語はペラペラ。スズカの通う学園の編入試験に日本語出題で合格しているところも凄い。そんな賢さと器用さを併せ持った彼女が選んだ部活は弓道部。何でもこれまた上手いらしい。
「ウマイらしいじゃないぞ、ヒバリ! ニュースを観てないのか? 彼女は先日、弓道で全国一になっただろうが!」
ええ~~~っ!?
呆れた事に私だけでなくスズカや仲間の何人かが知らなかった。目指せ声優さんと思っていたのは間違いなのか? 皆んな家でずっと缶詰だったものなぁ……。
「美遊、本当か?」
「うん、本当。遠的っていう遠い的を狙う個人競技で優勝した。たぶん、表で並んでいる人の大半がエルヴァさん目当て」
そう言われれば、オタクはオタクでも同人目当てでなく、アイドルの追っかけみたいな雰囲気の野郎どもも多く感じる。それかぁ、いつもより人が多いな、雰囲気が違うなと感じたのは……。
そしていざ開場してみれば、何とサービス精神旺盛な子なんだ。買ってくれた人への握手にサイン、金額によってはツーショットにも応じている。
それ、おかずにされるぞ? けれど彼女は一向に気にしていないようだ。寸劇も交えてとにかく売り子に熱心だ。なので、本もグッズもじゃんじゃん売れていく。
釣られてサークル仲間の本も午前中には完売だ。他のサークルの人達も驚いていた。こんなの初めてだ。残るはスズカの本だけ。それも午後の3時には予備も含めた700冊を売り切った。
「売り切れました~。明日、300冊搬入致しますので~」
彼女はそれまでの学生服や魔法少女のコスプレからメイド服に衣装を換え、表で買ってくれた人や買えなかった人達と集合写真を撮っていた。この写真を次の販促会での新刊に挟むという。それでリピーター・ゲットか!
もう、ナレーションも意味がない。翌日も早々に完売したのは言うまでもないからだ。二日間の売上が100万を越えたのって、同人人生で初めてだった。
打ち上げの居酒屋はサークルから招待させて貰った。そこで次回の冬までは手伝えると言ってくれた。来年の春以降はドイツに帰るから無理らしい。
実に残念だが仕方ないだろう。スズカには2~4巻まで同時発売できるよう促すしかない。私も落とさないよう頑張ろう。でないと、マジで立場がない。サークルの面々も燃えていた。
居酒屋では私も美遊ちゃんもスズカちゃんもジュースだった。それでも楽しかったし、サークル活動の面白さが伝わった。実は皆さん同じ大学のマンガ・イラスト研究会だったのだ。
今も教師や研究家を目指さない大学進学には懐疑的だけれど、こういう仲間が得られるところが日本の良さかも知れない。二次会にカラオケを誘われたけれど、美遊ちゃんが遅くなると不味いので失礼させて頂いた。
緊張もあったし疲れたのだろう。バスでいつの間にか眠った美遊ちゃんが私にもたれていた。いつものバス停で起こしてあげて、家まで送ってあげた。すると煌々と明かりが灯っていた。
「お兄ちゃん、帰ってる」
「良かったね?」
「はい。エルヴァさん、上がっていって下さい」
そうだね。美遊ちゃんを借りる事は知らせてあったけれど、きちんと会って返してあげないと。それで私は士郎クンに迎えられ、昨日今日のアルバイトの内容を話してあげた。
「美遊、そんなのやっていたのか?」
「うん。お友達の手伝いでもあるし」
「それにこの子は写真に写っていません。サファイアにも認識阻害を掛けさせて、私にしか目が行かないようにしましたから」
士郎クンはそれで安心したようだ。サファイア・レプリカの売上20万円、その半額は既に美遊ちゃんに預けてある。残る10万円はこの後、制作してくれたエルマに渡す。私自身も矢や色紙が売れて、3万円ほど手にしていた。だからこれで十分だろう。
美遊ちゃんの家をお暇して、武家屋敷街から洋館街に向けて歩いていると、向こうからスーパーブラックのS15シルビアがやって来た。これ、いつぞやのスペックRだ。
ウィ~ンと窓が下ろされ、ドライバーが声を掛けてきた。
「なぁ、海の家の子だろう?」
「はい」
「突然、悪い。少し訊きたかったんだ。あの冬木山の赤いMR-Sは、アンタだろう?」
「そうです」
今更勧誘? 確かイリヤ姉さんが私を高校生だからと話していたはず……。その怪訝な空気を察知したのか、彼は慌てて手を振った。
「違う違う。チームの勧誘はアンタのお姉さんに聞いて諦めたよ。そうじゃなくて、ここの円蔵山の下りで赤いMR-S同士のバトルがあって1台がブッチギリだったと聞いたからさ。あれ、アンタ?」
あ~、そういう事か。
「その熱意を表して白状しますが、負けた方が私です」
「え? マジで?」
「はい。私のは1ZZのメカチューン。あちらは2ZZへのスワップでした」
「エンジン載せ替えか? そこまでする相手だったのか……」
「はい」
「ドライバーは?」
「若い女性でした。でもあれ以来、出会いません。他県からの遠征だったのかも」
もう一人の自分だなんて言えるはずがない。
「そうか、ありがとう。悪かったな、引き止めて」
「いいえ。もし会えばバトルを?」
「ああ……できればな」
言外に私に勝って欲しかったとの気持ちを感じた。案外と仲間意識を持たれていたみたい。ブロロロロッとターボ特有の排気音を残してS15は去って行った。
リアウィンドウには『Mnt.EnzO Night Heart』とステッカーが貼られてあった。紺地に白抜き文字で、Oにはスラッシュが入り、三つのtは全部色違い(赤黄青のルーマニア色)の剣で、最後のtは下に岩があしらってあった。
カリバーンかエクスカリバーって意味なのだろう。あのステッカー、デザインが良いよ。妙に欲しいぞ?
その時、二つ向こうの辻でVTECサウンドが響いた。一瞬目に入ったそのクルマのシルエットはEG6だった。気のせいだろうけど、あのEG6と似ていると思った。
屋敷に帰るとルヴィアと凛も帰っていた。食堂に集まっていた皆んなは、冬木市が作ったポスターを囲んで観ていた。バス停の掲示板にも貼られていたので、出回っている事は知っている。
撮影が先日なのに出来上がりが随分と早いのは、原案が先にあったからだ。校正のタイミングで優勝したものだから、モデルさんと私が差し替わったのだ。
薬物禁止の啓蒙ポスター。『そのクスリは止め矢』ってダジャレ? 『とめや』を関西風に『やめや』とルビを振って読ませているのだ。
「エルマが?」
お帰りなさいと挨拶を交わしあった後に尋ねれば、ランサーが市役所から頂いたものだと教えられた。そんな事をしなくても、エルマが5~6枚は持っているのに。
ランサーとランスロットさんは自分の小屋に戻った後らしい。セイバーと姉さんはポスターを指差しながら、厨房の中のアーチャーさんに自慢している。
平和な光景だ。疲れているだろうから、ロシアでのお話は明日聞こう。そう考えて、私は部屋に戻り着替えを持ってお風呂に向かった。
お風呂には食堂に居なかった巫女の姉さんと二人のちぃ姉さんが居た。一旦帰った凜か先生がいらっしゃらないと、ちぃイリヤを元の世界に帰してあげられない。
「予定は私の試合が終わった頃と仰っていましたよね?」
「う~ん……なんだけど、長引くかもよ。凜が不思議な事を言い残して行ったから」
「不思議な事?」
「うん。何があっても動くなって」
「動くな?」
それはどういう意味で発した言葉なのだろうか?
私にはわからなかった。やがて8月も下旬になり、2学期が始まっても凜は来なかった。