イリノイでのパネルバンの事も警察に通報した私達は、デトロイトに行く前にシカゴに立ち寄った。そしてその夜はおとなしく眠った。明日と明後日に備えるためだ。
L88エンジンのC2型コルベット引き取りは、電話で明後日と決まった。なので明日は休みとし、シカゴを満喫する事とした。
「ウオォ~! 待たせたな、シカゴ! 今日こそ食い尽くしてやるぜ!」
「俺の歌を聞け~みたいなノリだ!?」
「『ピザ? 何だそれ。そんなのに興味はねぇ』ってモードレッドなら言わないと」
「何でだよ?」
「それっぽいけど、どんなツンデレキャラですか。それはモードレッドとは違う気がしますよ」
「だよな?」
「わかんない、エルヴァ? あなたの好きな80'sでしょうに。『素直になれなくて』ですよ?」
今度は80'sか! バンドの『シカゴ』のヒット曲だ。引き出しの広い子だなぁ。
「Eat now, It's hard for me to say I'm sorry.I just want Pizza to stay~♪」
「何歌ってんだ、お前ぇは! エルヴァもなんか言ってくれよ?」
「Bryan Adamsが好きですね。『(Everything I Do) I Do It For You』とか『Heaven』とか」
「何言ってんだ、お前ぇ……?」
「家にも拠ると思うけれど、聞いて育った歌が生まれた頃の歌って人が居るものでしてね。『エル様』も私達もそうなんですよ、モードレッド」
「ああ……なるほど。そういう事か?」
「ええ。それでエルヴァを引き戻して? この子、少し飛んでますから。『お前の天国はオレの腕の中だろ』って」
で、気付けば素敵な彼はセイバー似で…………。
「モ、モ、モ、モ、モ……「李も桃も桃の内」……ドレッド!」
ハァ……。
「コイツって結構……」
「思った以上に乙女でしょう?」
「眠っている間に、顔中ヘナで落書きしてやる」
最初に入ったのは『Lou Malnati's』。有名チェーン店だし、ある意味こここそが本場のはずだ。なのに、期待が大き過ぎたモードレッドには物足りなかったらしく、もう一軒行こうと言い出した。
どこが良いのか通行人に尋ねたりもした。それで次に入ったのが『Giordano's』だった。
「これだ! これが『Chicago-style pizza』だぜ!」
はいはい。こっちはお腹一杯だって。
「けれど、このパイ生地は使えますね?」
「シチューを入れたり?」
「いいえ。チーズグラタンやドリアにラザニアという感じに」
「それですと生地の縁が焦げるでしょう?」
「そこを魔術で火を通さない。どうですか?」
「へぇ、面白そうですね」
「カレー味も良いと思いませんか?」
「うん、うん」
「お前ら、違う食いもんの話をするな」
また先の通行人はシカゴに来たならチキンも食べて行けと『Chicken N Spice』という中心地から少し外れたお店を教えてくれた。
なのでピザを満喫してお店を出て、腹ごなしと観光を兼ねたドライブであちこち走った午後に、私達はその『Chicken N Spice』に行った。
「これを買って、どこかでホットドッグも買うの?」
「当然だろ? んで、夜はスペアリブだ」
本気か、この女!? こんな奴と付き合っていたらデブになる!
だけど結局『Portillo's Hot Dogs』というお店のドライブスルーでお持ち帰りした。パークに建てたトレーラー・ハウスで冷えたそれらをチンしてみたら、かなり美味しい事に驚いた。
「このチキン、衣がカリッとして美味しい! しかも骨なし?!」
「ドッグも良いよな? マスタードだけでも十分だ」
『Chicago-style Hot Dog』は、芥子の実が降り掛かっているパンに、牛肉100%のソーセージにギラギラした緑色の細かなピクルスとスティックに切ったキュウリのピクルス、タマネギのみじん切り、薄切りのトマトなどなどを挟み、マスタードと少々の粉末セロリの混じった塩のみをソースとして作るホットドッグだ。
ピクルスの比率が高いのと、タマネギと粉末セロリの混じった塩があるのでケチャップいらずな味となっている。というかケチャップをくれとお店で言うとシカゴの人に叩き出される。
そしてピクルスの酸味が本当に爽やかで、これがまた牛肉ソーセージと合うから、テイクアウェイでも酢やマヨネーズを足さない方が美味しい。
これが牛豚混合肉のソーセージだったら、コロラド州のデンバーのや、ペンシルベニア州のどこだっけ? そこのも美味しかった記憶がある。そちらはケチャップのある方が合うと思う。
それと、これまたどの州のどこで食べたのか記憶が定かでないのだが(おそらく東部の州)、カリカリに揚げたフランクフルトと、たっぷりのキャベツとニンジンが入った特性マスタードを掛けるホットドッグが結構イケた。
食べた事はないけれど、ワシントン州のシアトルも独自のスタイルのホットドッグがあるそうだ。聞いた話ではフィラデルフィアのチーズステーキ、あの肉をソーセージに替えたようなものだとか。本当のところは知らないけどね。
ニューヨークにはスタイルみたいものがない。けれどお店はたくさんある。そんな中でお薦めのお店は東86番通りにあるパパヤ・キングだ(日本語的に表すならパパイヤ・キング)。
ロサンゼルスならピンクス・ホットドッグが有名(デカくて種類が多くて美味しい上に、店内には訪れた有名人の写真が所狭しと飾られている)。
だけど、『エル(私)』は西海岸なら、ハンバーガーをついつい選んでしまう。それがスタイルというか、どんなに親子丼やうどんが美味しくとも、漁港の街なら海鮮丼やしらす丼を選んでしまうみたいな?
そして、その『Portillo's Hot Dogs』というお店はとにかくメニューが豊富で、バーガーやサンドイッチにパスタもあった。
モードレッドはジャンボ・ホットドッグを選び、私とエルはレギュラーのホットドッグとチーズ・チリ・ホットドッグを買って半分ずつシェアした。それでも余るのでモードレッドに押し付けたらペロリと平らげてくれた。
「オレ、あのビッグ・ビーフ・コンボとミートボール・サンドも食いたかったな」
何を言ってんだ、コイツ……?
まず、ビッグ・ビーフ・コンボは大きなサブウェイみたいなパンに、これでもかと炒めたビーフとジャンボなソーセージを挟み、野菜がブワッとハミ出ているサンドだ。
ミートボール・サンドは同じようなパンに、ソースがデロデロに掛かった直径4センチ位のミートボールが2個入っている。どちらもカロリー爆弾なのは言うまでもないだろう。
「フィッシュ&チップスでも喰らってろ! こんなのが国を治めていたから……」
「何を怒ってんだ、エルヴァは?」
「太るのが心配なんですよ。これだけマメに働く子が太るかな?」
「だよな?」
「あなたはまず! トイレの後、流しなさいっ!」
セイバーに会ったら、その無責任な子育て放棄に絶対文句を付けようと決意したのだけど……。
「カリカリすんなって。お前ぇの良いとこいっぱい知ってんだから」
「へ?」
「だって、お前ぇは『日本育ち』だろ? あっちのことはスイスの事より詳しいじゃん。けど、日本の食べ物でオレの嫌がりそうなものを、無理に食わせようとはしないだろ?」
いや……スイスだと、そういう癖のある和食の食材が手に入らないからだし……。だけど仮に手に入っても、梅干しや納豆を薦めようとは思わない。
彼女自身が興味を持って、アレが食べたいコレが食べたいと言うなら作ってあげたいとは思うけれど……。
するとエルがアコースティックギターを取り出した。流石はお祖父様のものだけあって、このトレーラー・ハウスには幾つかの楽器が最初から備わっていたのだ。
この特徴あるカッティングは『Doobie Brothers』の『Long Train Running』だ。それをエルと一緒に歌った。
「あなたも私も『南西の女』なんだって。サザン・ロックやウエストコースト・サウンドを聞いたり歌ったりしないと」
そうなのかも。北米に来てからそういうのを聞いていないものね。また『Doobie Brothers』は『The Eagles』と並ぶ、西海岸の二大バンドだった。そこでもう1曲何かやろうとなって……。
「あれ?」
うん? エルだ。何だろう?
それでエルが見ている方に目をやると、風が通るように開けていたトレーラー・ハウスの入口から、4歳くらいと2歳くらいの幼い姉妹が手を叩きながら興味深そうに覗いていた。
「この子達……?」
「な? どこから来たんだ?」
多分、このパークに止まっているトレーラー・ハウスのどれかに家族が居るのだと思うけれど、こういうがとてもデリケートなのがアメリカだ。
炎天下に置いておけないので、子供達を中に入れエルにジュースやお菓子を出して貰った。そして私は管理事務所に走った。
程なくご両親と管理事務所で合流できたので、自分達のトレーラーに案内し姉妹をお返しできた。大変感謝されたが、『冒険は程々にな』と姉妹にウィンクするパパさんがアメリカだ。
後で『あのお姉さん達がいい人達だったから良かったけれど、悪い人だったらどうする』って言い聞かせると思う。それが確信できるご両親だった。腕のタトゥーとスキンヘッドが凄いけれど。
両親に抱き上げられた子供達は『ありがとう』とお礼を言いながら手を振ってくれた。
「可愛い」
「可愛いですよね。子供が欲しいな」
「ね?」
「流石のオレもちょびっと思った」
ほっこりした私達は、少し早いけれどスペアリブを食べにレストランへ向かった。エルと私がそれぞれ1/4ポンドで、モードレッドは2ポンドを注文した。
大抵のお店はポンド売でなくレギュラーかハーフかを選び、付け合せのサラダやポテトを何にするかといった定食に近いものだ。
だけど私達の入ったレストランは、ステーキみたいにポンド売りが可能だった。シカゴ・スタイルのバーベキュー・スペアリブは美味しいけれど味が濃い。
「2ポンドって、相変わらず豪快ですね?」
「ウマそうじゃん」
「少し味が濃くない?」
「こんなのは初めてだからな。濃いか薄いかなんてわからないな」
そういうものかな?
「だってよ。自分好みがあったとしてもだ、味付けに文句を言えるトコじゃなかったからな。一番前で文句を言わずに黙々と食う人が居るんだから」
「そこも恨んだ?」
「ハハ、それはねぇ。食えるだけでもありがたかった。そういう国だったからな」
「追加が欲しかったら遠慮なく言って下さいね?」
エルも私もそう言うしかなかった。モードレッドは追加の1ポンドもペロリと胃袋に収めた。
こうしてシカゴの夜は更けていった。
次の日の午前10時。シカゴ西部の高級住宅街オークパーク地区の更に西。町名がメイウッド。ダンキン・ドーナッツの店舗を目印にして大通りから奥まったところに入ると、1ブロックまるまる専有している邸宅があった。
「うわぁ~。ジェイク・グージック(※1)は別にして、マレー・ハンフリーズ(※2)でもここまで大きな家に住んでいませんよ」
「うん……サム・ジアンカーナ(※3)でも無理だったろうね」
日が高いので私達はパーティ・ドレスに身を包み、トレーラーと切り離したエクスカージョンでお伺いした。
※1)シカゴのマフィア『アウトフィット』の顔役幹部。3代目ボスだったアル・カポネの部下だったが、カポネの死後も歴代ボスの下で悪事を働いた。
※2)カポネ時代に『アウトフィット』に入った。7代目ボスだったサム・ジアンカーナの政治的右腕。
※3)シカゴのマフィア『アウトフィット』の7代目ボス。駆け出しの頃はカポネの部下だったジャック・"マシンガン"・マクガーンの運転手だった。が、5代目のポール・リッカやキレ者だった先代のアンソニー・アッカルドの下でメキメキと頭角を現し、太鼓判を押されてボスになった。顔が広いのが特徴で、南部で君臨したカルロス・マルセロ(映画のゴッドファーザーをお伽噺と言い切った本物中の本物)とも取り引きがあったり、ニューヨーク五大ファミリーの一つガンビーノ一家のカルロ・ガンビーノ(ゴッドファーザーのモデルの一人)やジェノヴェーゼ一家(ルチアーノ一家)のフランク・コステロとも交友関係があった。禁酒法時代、コステロとジョセフ・P・ケネディの諍いを収めたのはサムだった。これを切っ掛けにサムはジョセフの息子ジョンの大統領選に暗躍したとされる(ケネディ大統領の父親はギャングと繋がりがあり密造酒売買で財を成した)。しかし大統領となったジョンがマフィアを締め出す政策を取るようになったので『裏切り者』と公言していた。ダラスの日を演出したのはサムとカルロスではないかとの憶測もある。最後は後頭部に1発、口の周りに6発の弾丸を受けて死んだ。『何も話すな』という意味らしい。誰がヒットマンを派遣したのか。
私達は銀髪赤眼のメイドに屋内プールのあるリビングに案内された。中には護衛だろう、戦闘用のホムンクルスが数人居た。
「アインツベルン?」
「わからないけど、関わりがあるんだろうね」
そこのソファーで暫く待ってると、件の人物が現れた。男前だ。見た目は40代だが、それは怪しい。顎が割れて、どこかの俳優さんに似ているところもお祖父様っぽい。ただしお祖父様が初代なら、この方は3代目だ。
「ようこそ、お嬢さん方。伯父のエルンストからプロフィールを聞いているよ。だから、そう緊張しないで寛いでくれ給え」
立ち上がって挨拶すればそう返って来た。お祖父様の甥……? 初耳だぞ?
「うん? もしかして聞いていない? あの伯父さんは……。私はアルトゥールやブルーノにカールの従兄弟、アードリアン・ハーウェイだ。魔術師名はアードリアン・フォン・アインツベルン。納得して貰えたかな?」
アードリアンさんは人懐こい笑顔で魔術回路を起動して下さった。そのオドの波動は間違いなくアインツベルンだった。
「葉巻を頂いても良いかな?」
「どうぞ。それで……」
「クルマはガレージで凍結してあるよ。後で引き渡そう。そうか……エルヴァとは何度も会っているが、君達は私を知らなかった。それが世界の違いかな?」
「いいえ。お名前だけは存じておりました」
エルだった。私にはその記憶がない。
「名前だけ?」
「はい。私は彼女より、私達の元だった人物の記憶を多く持っています。そしてその世界でのアードリアン様はマフィアの雇った魔術師に暗殺されていました。ただし実行犯は捕らえられ、依頼したマフィアはボス以下全員が行方不明です」
「行方不明? それは?」
「元だった人物が全メンバー数百人を誘拐し、南極に放り出したのです。テントや衣類に食料を与えて」
「食料も尽きるだろうし、テント程度で生き残れる筈がない」
「ですが、彼女は『不殺の誓い』を建てていますので。ですからあちらに『アウトフィット』はありません」
「そうか……。だが、他の者がシカゴに入るだけだろう?」
「入れません。そういう結界をシカゴとニューヨークには敷いてあるそうです」
「……その子の名もエルヴァなわけだね?」
「はい」
「ここのあの子も天才だよ。君達が存在するのはあちらの彼女が自分自身を畏れたからだろうね。エルヴァを導いてあげてくれ」
「はい。五大ファミリーの何人かはミャンマーで地雷掘りのボランティアを行っています」
葉巻から大きな灰がぽたりと落ちた。
「それ、マフィアだけでなく政治家もだろう?」
「はい。シベリアに送られた上院議員もいますね。逆にホワイトハウスのクローゼットで雁字搦めにされたアルカイダの指導者が発見されたり」
「世界を変革するつもりなのか……いや、変革されたのだろうね。そちらでは」
「はい」
その後私達は食事をよばれ、メキシコなどで最近起きている事を尋ねた。
「アインツベルンは動いていないよ。私も驚いているし、伯父も驚いているだろう。電話で掴まらないのは、そういう情勢で忙しいからだと思う。そうだ。時間があるならデトロイトの後、ニューヨークに行き給え。付き合いの長い情報屋が居るから紹介してあげよう」
そうしてその人の連絡先が書かれたメモを頂いた。食後には、アス◯ン・マーチンだらけのガレージに案内して頂き、件のC2を無事に回収した。
引取証にサインを終えて、私達はアードリアンさんのお宅をお暇した。去り際に、チャンスがあればまた来て欲しいと言われた。また来たいと私も思った。
翌朝。コーヒーだけの朝食を済ませた私達は、早速片付けに入り9時前にパークを出た。あの姉妹とご両親が見送ってくれて嬉しかった。
国道94号線を東に400kmほど走れば目的地のデトロイトだ。だけど94号線に合流する前にシカゴ市内を通る90号線から、私達は敢えて州道の12号線に入った。そこは既にインディアナ州だった。
右手のミシガン湖を眺めながら走るとチラホラとお店がある。朝食はそこで摂ろうとの算段だった。
だけど時間が少し早かった。開いているのは世界中にあるあのチェーン店だけだった。え~っと思ったので、これでも一つ飛ばして探したのだ。けれど無かった。
ホームだと軽快に動けないし燃費が悪いので、そちらはエルに頼んで既に仕舞ってある。それで今はアコードで走っている。これは万一の追跡者を撒くためでもあった。
「車内で食うのか?」
「店内ならソフト・ドリンクのお代わりが無料ですよ?」
実はメリットはそれだけではない。トイレもそうだが、サイドのサラダが安い(1ドル25セントくらい)し、少食な私達や日本人にも向いた、食べきりサイズのカップサンデー(アイス)があるのだ。
入った時は10時を回っていたので、ギリ朝メニューから逃れられた。それでも私とエルはフィッシュで、ポテトはSサイズをシェアだ。だってこれで日本のMサイズくらい入っているからね。
それとサラダと油で揚げていないアップルパイを半分こ。最後にアイスも二人でシェアして締め。
モードレッドはクォーターパウンドとビッグなアレと北米だけのチキンの何か、それとポテトのLサイズにナゲット20個入りを頼んでいた。
実のところアメリカのナゲットは、しっとりした衣でなくカリッとしていて意外とイケる。そしてこの頃から20個入りなんてのがあった。
そして注文してからそれなりに待たされるのもアメリカだった。また、『セット』という言葉は通じない。『ミール』か『コンボ』だ。
カリフォルニアみたいに言葉の通じないヒスパニッシュは居ないので、どちらか片方だけという事もない(店員に『コンボ』が通じないお店があったのだ)。
英語が難しいと思ったら『モーニン』とか『ハロー』と、にこやかに挨拶してセット番号を言えばいい。誰だってにこやかな相手には、ホンの少しだけ親切心を懐いてくれるものだ。そこが文明国と未開国の境目だと思う。
今回はお祖父様からのお仕事だったので、武器も魔術に頼っていた。『エル』ならシカゴでもバークレーでも発砲していたろう。
『襲ってくる相手=撃っていい的』としか考えていないと思う。何より誰に撃たれたのかすら記憶に残らず、目撃者もいなければ、それは自分で暴発させたと警察も被弾者を疑うしかないからだった。
遅い朝食とたっぷりの休憩を取った私達は、そこから94号線に乗り換えた。
向かうはデトロイト。自動車産業が盛んなモータータウン。そこからモータウンというレーベルが生まれ、数々のヒットを飛ばした。
デトロイト市は市の中央にミッドタウンとニューセンター、それとハイランドパークという古くからの建物が並ぶ細長い地区があり、そこを中心として、左右にきっぱりと別れている。
地図で見て西側がウェストサイド地区、東側がイーストサイド地区だ。
ウェストサイド地区の南にもサウス・ウェストサイドという、出っ張った地区があるが、それよりもちょっと驚くのは、イーストサイド地区の中にあるハムトラミック地区と先のハイランドパーク地区だ。
ハムトラミック地区はポーランドからの移民が移り住んで築いた街だそうで、別名ポールタウンとも言われ市の管轄とは別になっているらしい。行政的にどうなっているのかは知らないけれど、地図だとハイランドパーク地区と同じく色分けされている。
そのハイランドパークにはT型フォ◯ドの工場があったそうだが(その後はトラクター工場)、業績不振で大量リストラがあったりして急激にスラム化が進んでいるそうだ。
そんなハイランドパークにターゲットの一家が住んでいる。
94号線は主要な道路だが片道二車線とやや狭い。右端の車線はトレーラーや大型トラックがたくさん走っている。それを知っていたからのアコードでもあった。
トラックを追い抜きたいではない。こういう道路では飛ばしたがりが多いのだ。そういうのを緊急回避したいから少しでも運動性能を取りたかった。
案の定、トラックの後ろをゆっくり走っている私達の左後方の追い越し車線を、黄色いオープンカーが猛スピードで迫って来た。4代目のカマロだ。
正確にはオープンと言うより、屋根を外すTトップだ。操縦者は若い男性。横には彼女かな?
トラックの影となる横合いから、後方確認をしないクルマやバイクが出て来たりとか考えないのだろうか。それにFRでしょう? 緊急ブレーキだと前輪に荷重が乗り過ぎるし、その状態でロックすれば真っ直ぐドンだ。ブレーキペダルから足を離してサイドを引くとか、ブレーキから足を離しながら逆に少しアクセルを少し入れて後輪荷重に変えるとか、そういうテクニックがないと大事故になる。
追い抜いていったクルマを見ながらそんな事を考えていたら、思った通り大型トラックの影からピックアップ・トラックがふらりと出て来た。
「ピックアップの前のトラックの荷室扉が片方開いてる! だからだよ!」
ロックし忘れ、走っている途中で開いたのだろう。それを危ないと思ったピックアップが追い抜きざまに知らせようと考えたのか、単に避けたかったのか。そこに想定外の速度で現れるカマロだ。
幸い私は前のトラックとは車間距離を十分取っていた。お兄さんの腕さえ良ければ、タイヤをロックさせずに減速できれば、私達の前に逃げられる。
アクセルペダルからは既に足を離してハザードを点けながら、ポンピングブレーキをしていた。後方の車両に注意を促すためだ。
それに気付いて後ろのトラックもハザードを焚いてくれた。カマロは右斜めに滑りながらギリギリで私達の車線に入れた。だけどお釣りを貰ってアコードと『こんにちは』してしまった。180度回ったのだ。
ぶつかりはしないが、横のお姉さんは僅か数秒の間にとても面白い顔を見せてくれた。怖かったろうね。
「今の間に端に寄せて。怪我がないならもう暫く待って、落ち着いてからクルマを回しましょう」
降りていったエルがそんな事を話していた。私も端に寄せて、後ろのクルマを先に行かせた。
「すまない。逃げ場を作ってくれたんだろう?」
「まぁ。少し飛ばし過ぎましたね」
「面目ない……」
「この辺りは冬ですと霧がよく出て雪が多いのでしょう? それで晴れ渡る夏を楽しもうと?」
「ああ……そうだ。調子に乗り過ぎたよ」
今走っているミシガン州はスペリオル湖とミシガン湖に挟まれた、ウィスコンシン州北部の半島(アッパー半島)も州の一部だ。
注)アッパー半島はミシガン・パスティというパイが名物で、半島最北部のキャルメット・タウンシップという鉱山町では毎年パスティ祭りが開かれている。今やミシガン州全域で広まっているこのミシガン・パスティを開発したのは、英国のコンウォルから移住してきた炭鉱夫だったという。
冬に雪が多いのはそのアッパー半島の森林地帯だが、この南東部も湖水効果でよく降る。また春でも肌寒い日が多く、天候が安定しない。そんな独自の気候を作り出すのは、それだけ五大湖が大きく広いからだ。
最大のスペリオル湖の面積は北海道より広い。だから海運が発達し、灯台も多く国境でもあるから沿岸警備隊がきちんと存在する。
デトロイトの少し先は陸続きでカナダだ。そこからハミルトンを経由して、ニューヨーク州北部に向けて走ればナイアガラの滝がある。見応えがあるのはカナダ側だ。
お兄さん達に手付かずのペットボトルを渡して、私達は出発した。『Stevie Wonder』の曲をメドレーで歌いながらデトロイトに入ったのは夕方の6時だった。
「あのコニーアイランドって看板は何だ?」
「ホットドッグ屋さんですよ。本家はニューヨークのコニーアイランドで生まれたネイサンズですが、それに肖ってデトロイトのギリシア系移民がホットドッグの屋台にコニーアイランドって付けちゃって。それでデトロイトではホットドッグ=コニーアイランドになっちゃったんです」
「なるほど」
「日本でも都心部のオフィス街や港湾にお弁当屋さんが出ますが、それに『港湾』って付けたようなものですね」
「港湾が焼肉弁当で、オフィスが唐揚げ弁当なら笑えるのに」
「日本のはメニューがバラエティに飛んでいますし、お味噌汁付きでしょう? 5ドル以下であの真似はちょっと無理ですよ」
「ですよね~」
「お前ら、ホント食いもんには詳しいな?」
「その精神を日本で学びました。わかりますか? どうでもいいモノを食べている国は続きません。だからあの国の王室は2千6百年以上も続いていて、千年以上続く企業が存在するのです。健康を育み、細やかな幸せをもたらしてくれる食べ物、それを疎かにする国は必ず滅びます」
「う……。説得力あるな……」
「他にデトロイトにはスクエア・ピザ(※)というのがあるそうで、そちらがかなり美味しいそうです」
「ほぅ~」
「それとミシガン・パスティを試したいんですよね」
※)このパイはシカゴと似た深皿タイプだ。だけど四角い理由が凄かった。何と型に自動車のボルト類などを入れておくバット(トレー)を使ったのだ。この型に生地を貼り付けて焼くので、底がクリスピーで上に行くとふんわりした生地が楽しめる独特のピザになった。発祥のお店はデトロイトから北へ10マイルほど行ったウォーレンという街に今もある。お店の名は『バディーズ』。イタリア人が怒るかもしれないけど、ナポリのマルゲリータより美味しいと思う。
デトロイト市街を通りハイランドパークに入ると雰囲気が一気にスラムと化した。外壁が剥がれ、窓ガラスが割れている。打ち捨てられ、朽ちて行く住戸がやたら目立つ。
時折見掛ける住人は、とても自動車工場の工員には見えない。外部からやって来て、棄てられた家屋に住み着いた違法住人だろう。比較的アフリカン・アメリカンが目に付くが、平均的な人種はバラバラ。米国籍を持っているかも怪しい。
「怪しいトコだな?」
「ですね。お祖父様が引っ越しを望まれるのも当然です」
目的の家は直ぐに見付かった。前触れとして先に奥様と会い、全員揃った今夜にでも相談したいと話した。
やはりお祖父様の一方的な善意であって、先方は何も知らなかった。また、子供達のためにも引っ越したいが先立つものが無いので諦めていたという。
夜7時、ご主人が戻られているのを確認して、私達は再度訪れた。3人の子供達を2階に追いやってから話が始まった。
「俄(にわか)には信じられないと思いますが、私どもの雇い主がその昔にご主人のお祖父様に一方ならぬお世話になったそうです。そしていつかその時の御恩をお返ししたいと願っておりました。やがてそれが叶わぬまま時は経ち、こちらの事が耳に入りこれはさぞかしお困りだろうと。そうして私達が派遣された訳です。どうぞこの封筒を。中に2百万ドルの小切手が入っています。どうか額面に踊らされず、新たなる土地で幸せを勝ち取って下さい」
かなり訝しがられたが(誰だって見知らぬ足長おじさんなんて信じられない)、小切手を見るや表情が変わった。言葉に言霊を乗せて、どうにか受領書にサインを頂いた。
封筒の中にはお祖父様からの手紙も入っている。それを読んでご夫妻は今週中に仕事を辞めて、引っ越すと確約して下さった。
引越し先の希望を聞き、家屋購入は私達で行うものだと思っていたら、見せて頂いた手紙から察するに小切手を渡すだけで終わりらしい。
お金を渡して終わり? それが良い事なのか、悪い事なのか……。だけど、それを判断するのは私達ではない。結局は、お祖父様のスジであり自己満足だろう。でも、人の良さそうな家族だった。
「まぁ、大丈夫じゃねぇか? ああいう手合は、金を掴んだからとそんな馬鹿な真似はしないだろ」
「そう信じるしかありませんね」
振り返って明かりの灯った家を見た。いつか見た……おチビちゃんやクロエちゃんの居る、あの冬木の家に似ていると思った。キュッと胸が痛くなった。
そんな寂しい思いを振り切って敷地から出れば、路上駐車していたアコードを弄っている奴らが目に入った。気が付いたらモードレッドに羽交い締めにされていた。
「落ち着けエルヴァ。それ以上やったら死ぬぞ?」
え? と思い、足元を見れば黒人の男性が二人ノビていた。私が本当の意味で落ち着きを取り戻したのはクルマの被害状況を確認した後だ。
「割られたウィンドウ分、お金か体で弁済して貰う他はありません」
「ぜってー、金なんて持ってないぞ、コイツら。どうすんだ?」
「……ベーリング海のカニ漁船で働かせましょう。それで送金先をあなたの口座に。それで良いですか?」
エルの案だけど、カニはどうなのか。でも働き口なんて無さそうな二人だ。だからエルにお任せした。すると彼女は強力な暗示を掛け、カニ漁をやっている漁港までの足代を二人のポケットに捩じ込んだ。
その翌年の春からだった。二人からのお金が私の口座に振り込まれている。高いウィンドウ代だ。送金分の合計が2年目には85万ユーロになった。ドル換算で10万ドルを越えている。
どこに住んでいるのか連絡先も知らないから、送金をヤメロと言えないのが辛い。
「けど、本当にどうしよう?」
「魔術で直せないのか?」
「ここまで破片が飛び散ると難しいです」
「なら、このままにして、パークまで戻りましょう?」
パークはデトロイト川周辺にたくさんあった。
「それで明日修理に出すか、新しいクルマを購入するか決めましょう。ま、買う方が早いだろうけど」
仕方なくエルの提案に乗った。何故ならガラス取り寄せになるだろう修理なんて、デトロイトに逗(とど)まってまでやる時間はないからだ。それよりもニューヨークで情報屋と会う方が今の私達には先決だった。
なので明日の午前中、中古車を探す事にした。
朝食後、何軒かのお店をクソデカいエクスペディションで回った。流石はデトロイトで Secondhand car のお店が多い。小洒落たお店だとプレミアの付いた70年代のポニー・カーやフルサイズ・セダンが置いてある。
「お、アレにしようぜ。早そうだしカッコいいぞ」
ファイヤーバード・トランザムだ。さっきからマスタングとかああいうのばっかり指差している。こっちは4人乗りが必要だと言っても2人乗りを平気で薦めてくる。
「頭、オカシいんじゃ……」
「ブリテンは、食物の栄養価も低かったのだと」
「ああ……」
そんな私達の蔑みにも似た視線を物ともせず、モードレッドは次から次にクルマを見ていた。実はコレといった希望が私とエルには無かった。
だから、少し広いのが良いと希望を言ったモードレッドに合わせて、割合大きめなのを扱っているこのお店まで来たのだった。
「おい、二人とも来い。アレどうだ? エルヴァはああいうのも好きだろ?」
「あれはエルも好きでしょう?」
「ええ。でもデトロイトであんなのが……」
「な? アレ1台しか無いみたいだ」
そういう専門店に行けばあるのかも知れないが、エルも私も吸い寄せられるようにしてそのクルマの傍まで行った。フロントウィンドウのワイパーに挟まれた札にはこうある。
『'2002 Dodge Dakota Quad Cab/4.7L V8/5 speed manual transmission』
色は赤。グリルはメッキの後期型で、4年前に追加された4ドア・ピックアップだ。エンジンは4.7リットルのV8。ミッションは5速マニュアル。走行距離は3万マイルちょい。内装は至って綺麗。
だけどこの手の実用車らしくそこら中傷だらけで、アオリの一部が凹んでいる。値段は売れないのか思ったより安い。テキサス辺りより17~1800ドルは安いだろう。
この『中西部』────アメリカは歴史的に『北部』の大西洋沿岸部から始まった。なので地図の真ん中で東西に分けられない。思った以上に狭い『東部』と広大な『西部』に分けられているのだった。
そして、ミシガンやイリノイ、ミズーリなど今までクルマで走った地域を『中西部』と言った。ミズーリ州を『西部』の入り口というのもこの意味がある。また単に『北部』という場合、この『中西部』までが含まれる。
後ろに荷物と女子供を載せて、御者台には父親と息子。そして前にはバカラッバカラッと足並みを揃える馬。ピックアップトラックは、その開拓時代の幌馬車を彷彿とさせる。
だけど、その始まりはもっと小さなボンネット・トラックだった。実用的に使いたい農家や牧場だともっと大きな、本格的トラックを選んでいた。
では、何がどう作用してここまでピックアップトラックが広まったのか。それは税制と保険代に拠るところが大きい。実用道具と見做され、税が極端に安いのだ。州に拠っては無税という場合もある。
そして保険。若者ほど事故率が高いのはどこの国でも同じだ。だから一定の年齢以下は押しなべて保険代も高い。そこで税金の安いピックアップトラックがウケた。
荷台にはスケボー、サーフボード、BMX、オフロードバイク……ありとあらゆる遊び道具が積めて────。
欧州やアジアほど雨は降らないし『東部』より『西部』はもっと降らない。だから荷台に置いた荷物が濡れる心配もそんなにいらない。
運転席に自分が座り、助手席には彼女────。2シーターのクーペやオープン・トップには憧れるけれど、そいつだとゴツゴツした国立公園に行けないし、万一行けば彼女を家に送れない。
以上のような理由から、『西部』と『南部』、それと『中西部』の田舎では、ピックアップトラックが若者のステータスになっていった。
80年代半ばの某映画で、主人公のマーティが憧れたのは日本製のハイラックスだった────。貿易摩擦真っ盛りの頃の映画だったかからね。
まぁ、でも気持ちはわかる。雨ニモマケズ、風ニモマケズ────高温多湿な東南アジアであろうと、砂漠であろうと北極であろうと走るのだから。
中近東やアフリカ北部の若者達も憧れたと思う。ドイツの戦車みたいに躯を砂漠に曝さず、機関銃や大勢の仲間を乗せても動くんだもの。
だから私もハイラックスやダッツン・トラックは好きだ。だけどアメリカで乗るならラムだった。それは『姉』のアメリカでの愛車だったから。
そしてこのダコタのデザインは姉貴分のラムに似て、エラくカッコいい。エンジンも競合車のフォ◯ド・レンジャーやシ◯レー・S-10より排気量が大きく、ミドルサイズなのにV8だ。
V8が愛されるのは、その排気音が馬の脚音と似ているからだと『姉』に聞いた。ハーレーなんかのVツインもそうだ。ガラパゴスな日本製品より、もっとガラパゴスなクルマとバイク。
無駄にデカい。小回りが利かない。わかる、わかるよ。でも、一度軽トラックに乗ってみて。
もっとボンネットがあれば衝突安全性も高くなるだろうし、安心感も違うのに────。座席がリクライニングできれば良いのに────。軽規格でなくていいからもっとパワーを────。きっとそう思うはずだから。
それで、軽より一回り大きいのに、軽トラと共用できる幌や荷台シート。1000cc前後のエンジンがあれば。ビニール素材のシートで鉄板むき出しの内装で良いから車両価格も抑えてくれれば(どうせカバーやTシャツを掛けるし、むき出しだとマグネットでデコできる)。
利幅の小さな儲けかもしれないけど、十分採算が取れると思うけれどなぁ。
日本に来たばかりの頃、道路で見掛ける軽はワゴンRばかりだった。原付きも大きなバイクもアメリカ風のばかりだった。
このワゴンRが出る前まで、商用以外のワゴンが結構あったらしい。そしてワゴンRが出て以降、ファミリー向けのワンボックスが開き直ったかのように四角くなった。
乗り味は曖昧でハンドリングは商用車のそれ。それでも売れているのが謎だ。
(実はエルグランドの足はかなり良い。最悪なのはこの物語の4年後に出るヴェルファイア。車内の居住性を求めたのでサスが追いやられ乗り心地が非常に悪い。家族旅行に出たら子供が酔ってばかりという理由はこれもある。一方足を追い求め過ぎたオデッセイなどが徐々に売れなくなったのは、居住性に難があったから。人の嗜好はどんどん変わるものだ)
半分以上コレに決めて、3人で交代しながら試乗した。意見は一致。解析結果も良好。現金即決で購入した。手続きの間、私達はコニーアイランドのホットドッグを頂いて、食後にクルマを引き取った。
「頼む、エルヴァ」
「何です?」
「パークの片付けをやっておくから、スクエア・ピザを買って来てくれ!」
仕方なく私はダコタに給油して、慣らしがてらにウォーレンまで走った。エクスペディションはエルの運転でパークに戻った。
確かにこの方が時間のムダがない。ついでにミシガン・パスティも買って帰った。
パークの入口で近くへエルを呼び出した。ダコタを片付けて貰わないと困るからだ。
「モードレッドは?」
「片付けは明日の朝に皆んなでしましょうよ。そういうのが向かない人に頼んでもね」
そりゃそうだ。
「けれど、掃除と散らかったものは片付けてくれているから。少しずつね?」
そうだよね。ピザのためとは言っても、自分から言い出しただけで十分偉い。
それに本当だ。トレーラーの中は結構片付いていた。それでその日の夜は軽いパーティーを開いて、気分良く眠れた。
翌朝は皆んなで排水パイプなどを掃除した。今まで私一人だったものなぁ。
「クセェ……」
「一番食べて一番出していそうな人が」
「言うなって……いつも、すまなかった……」
わかってくれれば良いですよ。
「エルヴァ、オレにも運転させてくれ」
マニュアルだからだね。
「良いですよ」
「やりぃ」
「待ってエルヴァ。あなたの予定は90号線からクリーブランドを抜けて80号線?」
「ええ」
「なら悪いけれど、76号線を経由してピッツバーグに寄って下さい」
「少し遠回りになりますよ?」
「良いですよ。蝶ネクタイがカメラになっている人が居ないかなと」
エルのジョークだった。『Simon & Garfunkel』の『America』だ。
「ダコタはグレイハウンドですか?」
「ええ。逆順だけどウエストコーストからここまで……次はニューヨークですよ?」
「ですね。アメリカ探しの旅でした」
「主に食い物のな?」
「モードレッド!」
「ハハハハハ」
そして私達はグレイハウンドの中で笑い合いながら80号線をひた走った。
夢を観ていた。嫌な夢。悪夢だ。
命からがら工房から逃げ出した小さな女の子と、その子を助け出し手を引いて必死に逃げる女性。
『お願い、見逃して!』
『助けて、お姉ちゃん!』
だけど見逃せない────。
子供は実験用モルモットとして育てられた気の毒なクローンだ。でも、もう遅い────事態がここまでになってしまえば。
その子自身に何ら悪いところはない。科学と魔術で人工的に変質させられた被検体────被害者だ。
細胞の段階からウイルスで変質させたDNAを与えられ、優れた知能を持つ頭脳は異常な反射神経をその子に与えた────。
並外れたシナプス網に伝達速度────。宝具の矢を肉眼で追い、躱してのけるその運動神経────。
こんな子供を創り出した魔術師の狙いは────『人類の救済』だった。
すべての旧人類を、その子のDNA変質トリガーに利用した際のウイルスで滅ぼす────。
悪性に変質されたウイルスが満ち溢れた世界で生き残るのは、抗体となるDNAを受け継ぐその子の子孫だけ────。
優れた頭脳があるなら、人類はもう争わない。旧人類の魔術師はそう考えた。そして旧人類の代表として同じような出自を持つ私が派遣された。
そんな哀れな子を助けている女性は、この子に同情した工房で造られたホムンクルスだった────。
私はその────どこかママやお母様に似たその人を斬った。
耳に残る断末魔より、『あなたが何故?』という疑問の視線が痛かった────。
『ごめんなさい』
私は少女を斬り、骨も残さず焼いた────────────。
「おい、起きろ。おい、エルヴァ」
「え……?」
「すっげぇ、魘(うな)されてたぞ?」
「ここは?」
クルマの後部座席だ。横にはモードレッド。デトロイトで買ったダコタ……。ああ……夢でよかった……。だって、斬ったのはエルヴァちゃんの顔だったから。
どこかで細胞を盗まれ密かに育てられていた……。『お姉ちゃん』……あの声が何度も何度もリフレインする。これって予知夢……?
まさか……エルヴァちゃんじゃなくおチビ……いや、性能だけを求めるならクロエちゃん……。肌が白いのは英霊の能力がないから……?
「大丈夫か、マジで?」
「すみません。ここはどこら辺りですか?」
今、前で運転しているのはエルだった。
「ごめんね、寝ていたのに。もうじきニューヨークのはずなんだけど、道がうねうねしていて。あ、テターボロ空港って看板があります」
「もうそんなところまで?」
5~6時間は眠っていたようだ。きっと食事の小休憩も、何度かあっただろう二人の交代も、給油も気付かずに眠っていたのだ。
気を使わせて申し訳なく思う。と同時に、私は相当精神的に疲れていたのだと自覚した。
「なら95号線に入って下さい。ジョージ・ワシントン橋を渡ればワシントンハイツです」
「ああ、わかった。思ったより北なんだ?」
「そうです。ヤンキースタジアムの少し北です」
「エルヴァ?」
ルームミラーをエルが覗き込んだ。
「あなた、泣いていたの?」
ああ……知らずに泣いていたのだ。
「すみません。夢見が悪くて。起こして頂いて良かったです」
「そう……?」
「疲れてたんだろ? それで掃除を手伝ったんだ。お前ぇ、デトロイトでめっちゃ顔色悪かったからな」
そうだったのか……。
「トレーラーパークでなく、今夜はホテルを取りましょう」
エルの提案でホテルに泊まる事になった。どのみちこの近辺にトレーラーパークはない。確か自由の女神に近いリバティー州立公園、その近くの1ヶ所だけだった。そうなるとマンハッタンまでが遠い。
私達はブロードウェイを南に下って、セントラルパークの横でクルマを止めた。
「人通りが多過ぎますね。夜中までクルマを取り込めないかも」
「それまで待機でもドライブでも良いが、その情報屋に話を付けるだけだろ? エルヴァかエルが行って来いよ。その間、待ってから」
「そうですね。それでサッサとニューヨークから出た方が良いかもですね」
「ええ。それでケネディ空港からロスに帰って、トレーラーやクルマを返せば終わりです。調べたい謎はありますが、関わって良いのかどうかもわかりません」
「その通りです。その判断はスイスでお祖父様にお伺いを立てる他はないでしょう。情報屋のお話も報告に色が付けばとの、私の発想でしたから。ですからエルヴァとモードレッドは残って下さい。私1人で行って来ます」
それでエルは携帯電話で先方と連絡を取って雑踏の中に消えていった。自然史博物館の方へ歩いていったから、そこで落ち合うのだろう。
「なんか食うもんないか?」
「そういうのはエルが持っていますから……。お店が多いのもセントラルパークの反対側です」
「じゃ、反対側に行こうぜ。どうせエルも時間が掛かるだろ?」
それで私達は86thストリートを通ってセントラルパークを横切った。道なりに84thストリートを東に進み3rdアベニューを左折する。二つ先の辻がパパヤ・キングだ。
「お前ぇ、よくこんなややこしい場所にスッと来れるな? 何でも良いか?」
「ええ」
それでモードレッドはそそくさとホットドッグとドリンクを買いに走った。そこで彼女は予想外の人物と出逢っていた。
オレは勇んでそのホットドッグ屋に入った。おおっ?!
思ったより中は狭ぇ~。ちっこい店だ。おまけにメニューがあちこちに貼ってあってわかりづれぇ。ふむ……でもな、こういう時こそ落ち着いて様子を暫く観察だ。
ほら、上の方にコンボのメニューが貼ってある。うん? ここってコンボもあれば、トッピングも色々あるのか。なるほど、なるほど。けど、オレはアレとアレだな。エルヴァにはアレで良いだろ。良しっ、決めた!
「兄ちゃん! グランドスラム・コンボ1丁! ドッグはブルズアイとグリーンホットな! ドリンクはお薦めで良いぞ! それと単品でジャンボ・ソーセージ1つな!。それがオレの分だ! それから、もう1つコンボを頼む! そっちはオリジナルの2本コンボで、ドリンクはお薦め! あ? 持ち帰りに決まってんだろ!」
気持ち良く注文を言い切ったらゴスンと誰かに頭を叩かれた。
「誰でぇ!?」
今度は振り向きざまに顎を掴まれた。この野郎……。
「汚い言葉を吐くのは、この口ですか……。1500年も過ぎている現代で、ブリテンの恥を曝ないで頂きたい」
誰だと思えば父上だった。良く見りゃ窓際のカウンターには、あっちのエルが居た。手を振ってやがる。そしてエルの合図で父上が手を放し、オレの分を支払ってくれた。
それでまずは場所を変えようと、ドッグやドリンクを持ってクルマに戻った。エルヴァが突然現れたエルと父上にまず驚いていた。そりゃそうだろう。
「エ、エルにセイバー!? どうしてここに?」
「この世界で起きている件を調べるためですよ。ニューヨークは情報が集まりますからね」
「では、ここに暫く?」
「いいえ、幾つかの世界と比較します。それと……焦らずに。この流れそのものは一般人にはプラスに作用しています」
「ですが……」
「ですから、焦らず。もう1人の彼女にも伝えて下さい。日本の彼女には凜が話しています。今は動かず。ここだけではないのですから」
そこからエルはエルヴァと話し込んでいた。
「もう少し言葉遣いを柔らかくなさい。真面目に働いている人に威圧感を与えてどうします?」
「ぅ……。申し訳ありません……」
「次から気を付けて下されば良いですよ。ただ、あなたの主に恥を掻かさぬよう願います」
「そ、それは誓って……」
「まぁ、良いでしょう。モードレッド、壮健そうで何よりです」
「はい」
「今、大きな流れが起きています。ですが、このような流れは一人や二人でどうなるものでもありません。耐えて機会を待つのです。やがて、どう動くべきかも見えて来るでしょう」
「父上、一体何が?」
「父もエルと調査中でわかりません。ですが、わかった事や見えて来た事があるなら、日本のエルヴァに知らせますから」
「わかりました」
エルヴァ達も話が終わったのか、父上とエルはクルマから降りて人混みの中に消えていった。