『エル』と『セイバー』がクルマから出て行った後、私とモードレッドはセントラルパークの西側に戻った。
「ホットドッグは?」
「これだ」
「あそこは2本セットでしたよね?」
「スマン……気付いたら食われてた……」
「セイバーに?」
パパヤ・キングのコンボは2本1組+ドリンクが基本だ。コイルみたいなポテトは単品でも買えるし、そういうコンボもある。
モードレッドは気を効かせて、私の分はポテトを選ばなかったのだ。ここのは美味しいだけではない。カロリーが多いのでポテトを頼まずに済むコンボがあり、余所のより小振りなところも女性にウケている理由だ。
それでも1本だと少々物足りない。名物のトロピカル・ドリンクも半分は飲まれているし。
「あの人は説教モードに入ったら、そこらにあるものを無意識で摘むんですよ。後で召喚したセイバーにはそれがなかったので驚きました」
「やっぱり、今のが父上かな……?」
「エルのセイバーが?」
「うん。違うかも知んねぇけど、オレの父上も怒る時は何か食ってたよ……」
彼女にしては珍しい落ち込んだ顔……。
「モードレッド。良いところは見習って、悪いところは反面教師にして。割り切りましょう、自分は自分だって」
「……だな」
「そうそう、割り切らないと。私が両親を見習っていたら大変です」
それで彼女は少し笑った。
「あ。それだ」
「え?」
「今、起こっている事」
「直感?」
「いや、何となくだ。こう、並行世界の奴らと会うとな?」
「なるほど」
モードレッドの考えは、あの悪夢を思い出させた。気が滅入りそうなので、気分転換に外に出て伸びをした。モードレッドも出て来て伸びをしている。
「あれ? 右のフェンダー、こんな凹みってあったっけ?」
「あ、悪ぃ。言うのを忘れていた」
「ぶつけた?」
「いや、蹴られた」
「蹴られた?」
粗野な部分が目立つ彼女だが、その実、内面はとても繊細で道具を大切にする子だった。また、極限状態での操縦に馴れていないだけで、通常の運転はとても上手で周囲を良く観ていた。
合流地点でも入ろうとする車両の速度と距離をきちんと見て、減速や加速をしている。タイミングが合わなさそうなら、ミラーで確認してから、滑らかに追い越し車線に出たりもしていた。
日本の場合だと振り向いて目視もしろと言われるだろうが、そこまで厳しい国は滅多に無い。と言うか、ミラーも見ずに車線変更やUターンをする人が結構多い。それもEUに。
EUは総じて飛ばし屋が多く、急発進・急加速・急ブレーキが日常茶飯事だ。無理な追い越しも多い。信号のない横断歩道で歩行者を先に渡らせるのはドイツの一部とスイスだけ。
チェコやポーランドなど旧ソ連の衛星国だった中欧圏だと、歩行者を渡らせようと横断歩道で停まっているクルマに追突したり、追い越して歩行者を撥ねてしまう信じられない光景に出くわす。
ランナバウトに入る前に確認しないわ、右回り(逆時計回り)なのに左に行こうとする者はいるわ、スピードの出し過ぎで停まれずに真ん中を突っ切ってしまう者もいる。
スイスがEUに加盟しないのは経済問題だけではない。モラルやマナーのなっていない者と交わりたくない心理も大きいのだ。特にフランスがと思うのは、私がドイツ語圏出身で英国の肩を持つからだろうか。
私見だけれど、平均的に見て北米の人の方が運転上手だと思う。勿論、狭いところの走行やバックの車庫入れは下手だけれど、それは必要ないからだ。
また、都市部の人は縦列駐車がやたら上手い。一見、道路の狭いEUの方が上手だと思うだろうが、想像以上に下手が多い。ロスなどで良く見掛けるが、6メートルもありそうなクルマをスパッと入れるのは毎回感心する。
当然田舎の広いところで育った人は下手っぴが多い。けれどそれは必要ないからだし、ヘタな人がとことんなのはどこの国でも同じだろう。
そんな北米でも彼女なら事故を起こさないと思っていたので、蹴られたという理由が妙に納得できた。
「だいたい想像つきます。乱暴な割り込みか急停止?」
後ろからの煽り行為だと前フェンダーというのが考えられない。
「割り込みは良いんだ。それだけの車間は空けているから」
「でしょうね。となると、何でそこまで空けるんだと、追い越した後に急停止?」
「それ。で、降りてきてクルマを蹴りやがった」
「相手は生きてますよね?」
「殺しちゃいない。怪我はしただろうけど」
身長190くらいの頭の悪そうな二人組だったそうだ。彼女が二人をノシている間にエルは相手のクルマからキーを奪い、30マイルほど走った頃に窓から棄てたという。約50キロ先だ。酷いなぁ……。
だけどエルの事だ。怪我は記憶を奪う際に治癒魔術で治したろう。その対価がキーだった。懲らしめるとなると、そうなるか。それは取りも直さず二度と運転するなという意味だからだ。
「けどさ、トレーラーのあの話は本当だったな」
「ん? 何が?」
「ああ、エルが教えてくれたんだ。ミラーで自分のクルマの長さが見えていない奴が多いって」
深視力の事だ。大型免許では絶対に必要な距離感覚。日本ではこれが厳しく測られている。けれどトレーラー大国のアメリカではかなり緩く、測らない州ばかりだ。
測ると大型だけでなく、モービル・トレーラーも引けない人だらけになるからだった。だから今回のエクスカージョンで牽引したような、長い長いモービル・ハウスを引くにはかなりの馴れが必要となる。
特にバックは難しい。ハウスが30フィートで約9メートル。エクスカージョンが約5.8メートル。つまり車両全体の長さが約15メートルだ。
これは日本規格の大型トラックより長く、港湾などでコンテナを引っ張る標準的なセミ・トレーラーに匹敵する長さだ。オートマがどうとか言っていたが、モードレッドにしても内心無理だと悟っていたと思う。
だけど、私もエルも『エル』のお陰でトレーラーが楽々操縦できた。そして国際免許でこれが乗れてしまうところがアメリカだった。
ただし、ビザは3ヶ月以上前から滞在している事になっているし、発行された国際免許のクラスには特記で『B(牽引を含む大型)』となり、年齢も21歳となっている。そこがお祖父様のチカラだろう。
やがてエルが戻って来た。
「どうでした?」
「アードリアンの小父様が連絡を入れていてくれたから、きちんとファイリングされた資料を頂けました。ですが小父様を通してお祖父様からのメッセージもありました」
「どのような?」
「カリフォルニアに戻って、1週間ほど遊んでこいと……」
「へ?」
想像し得るに……お祖父様は相応の手を打たれ、手配も済んだという事だろうか?
「静観かも知れませんよ?」
そこで『エル』と会い、同じような事を言われたのを報告した。謎は深まるばかりだが、何かが繋がっている気がした。
結局ホテルは取っていないので、ハンティントン・ビーチに連絡を入れ、私達はその日のうちにケネディ空港から飛び立った。
ニューヨークからロサンゼルスまでのフライト時間は約6時間だ。最終便に何とか乗れたが、ハンティントン・ビーチに入ったら夜の11時だった。
お祖父様の別宅では二人のメイドが起きて待っていてくれた。大きなガレージを開けて貰い、エクスカージョンとモービル・ハウスを出し所定の位置に収めた。
次にエルがチューリッヒでお預かりしていた、ポ◯シェとフェ◯ーリをどうするのか訊ねた。GSの事は話さなかった。
「お館様の言伝ですと、こちらでお預かるする事になっています」
「わかりました」
結界を張った庭で出されたポ◯シェとフェ◯ーリをガレージに入れた。煌々と灯りが点るガレージは、工具やリフトなどが備えられ、一通りの整備ができるようになっている。
流石はお祖父様と言うべきか、こういう街中にある別宅や別荘のガレージは、大体どこもこんな感じだ。バイクリフト奥の隅っこに、戦前のスポーツスカウトやフラットヘッドにナックルヘッドが置かれてある。
そうかと思えば水冷のVRSCAやXB9RFireboltなどが入口付近に無造作にあった。スイスでは絶対に乗らないだろう車種だ。
壁には60年代か70年代か不明だけど、ラグ(継ぎ手)がめちゃめちゃ凝ったトマジーニと、デ・ローザのクロモリ・ロードバイクが掛かっていた。どちらもパイプはコロンバス。
フォークの曲げやショルダーが美しい。間違いなく創業者であるトマジーニ本人とデ・ローザ本人の制作だ。『エル』も先代(創業者)が制作したデ・ローザのクロモリを持っているんだよね。良いなぁ。
「それで修理をお願いしたいクルマがあるのですが」
「と、申されますと?」
ポ◯シェかフェ◯ーリと思われたのか、視線をそちらにやり少し怪訝な顔をされた。
「あ、お祖父様のクルマではありません。途中で買い求めたクルマです」
それでアコードをエルに出して貰った。
「デトロイトで窃盗犯に窓を割られてしまって」
「ああ、これでしたらすぐに直ると思います。ですがスイスにお持ち帰りに?」
「駄目ですか?」
「余りお薦めしません。あちらの屋敷の敷地内だけでお使いになられるなら良いですが、登録は難しいですよ。こちらに置いていかれて下さい。お嬢様方がこちらにいらっしゃった時のためにも」
じゃあと、私がアコードと空港からここまで乗ってきたダコタを、エルがストームとトラッカーを預けた。少々呆れ気味だったけど、この人もクルマ好きなのはわかっていた。
だってお祖父様が名付けた名が、『ミアータ』だったから。そしてご姉妹の方の名は『モニカ』。こちらはクルマと関係ないが、同じロサンゼルスにあるサンタモニカから名付けらたのは間違いない。
何故ならサンタモニカからビバリーヒルズを抜けて伸びる州道2号線(サンタモニカ・ブルバード)こそが、旧ルート66の西の果てだったからだ。
「あら? このダコタは……?」
彼女は照明で満たされたガレージの中で、凹みの目立つダコタをまじまじと見つめた。
「失礼します」
そう言って運転席に乗り込んだ。そしてハンドルを握って驚いていた。
「どうされました?」
「このダコタはどちらで?」
「え? え~と、デトロイトの中古屋さんで。見た目の割に調子が良さそうだったので……」
降りてきた彼女は荷台の凹みを撫でながらこう言った。
「これ、私達のでした」
「ええ~っ!?」
3人で飛び上がって驚いた。
何とあの赤いダコタは、お二人にとお祖父様が用意されたクルマで、後席に礼装を積めばお二人でどこにでも行けたそうである。
と言ってもカリフォルニアからは出なかったし、お買い物と近場のドライブにしか使っていなかった。だから走行距離が短かったのだ。
そして今というか先々月の7月にクルマを買い換えた。理由は礼装が小型化されたからだ。今年中には一人で外に出られる礼装が完成するという。
先月末、母屋の地下と新車に礼装を仕込んだそうだ。その新車がト◯タ・タコマだった。日本名はハイラックス。それの北米版だ。
それも出たばかりの新型でなく、旧型の最終バージョンだ。このエクストラ・キャブのタコマを選んだのは、ダコタより取り回しやすく壊れにくいだろうと考えての事だと話して下さった。
ダコタや新型のタコマはミドルサイズ・ピックアップだけれど、この旧型のタコマはコンパクト・ピックアップにカテゴライズされ、中身は南米や南アで売られているものとほぼ同じで、屋根ありのサーフ(4ランナー)とも同じだった。
つまり砂漠で機関銃を積んで走り、英国の某番組で北極へいったアレと同じだ。タフさが違う。
「つまり、このダコタって先々月に売ったばかり?」
「ええ。まさかこんなカタチで帰って来るとは。あの頃は運転が下手であちこちぶつけていました」
この家の『すべて』を任されているお二人は、家事や炊事だけでなく、庭の手入れに家の補修やクルマのメンテまで何でもこなす。
ボストンのお二人もこちらのお二人も、マアエモ・ママとほぼ同型で細かなバージョンが異なるだけだった。それだけに運転が下手というミアータさんのお言葉に少々驚いた。
微妙な違いがあるのだろう。私達はこれからも遠慮なく乗って欲しいとお願いした。するとガレージから中々戻らない私達を心配してモニカさんまでがやって来た。そこで再び事情を話すと、モニカさんはエルのストームに興味を持たれていた。当然好きに乗って下さいと話した。
ガレージを閉め母屋に戻った私達は、ブランデーを少し垂らしたコーヒーを頂きながらクルマ談義を楽しんだ。それぞれの寝室に入ったのは日付が変わって2時間過ぎた頃だった。
この時に新型ならスイスでも登録できるかも知れないと教えられ、入手を頼んだのが後に私の愛車となるアキュラRSX(インテグラ)タイプSだ。
翌朝、シャワーを浴びてブランチと呼ぶ方が正しい朝食を頂いた。メイドのお二人も起きるのが遅かったようだが、それは私達のせいだからお詫びとお礼を言った。
「お嬢様方、もしよろしければビーチに行かれてはいかがでしょう?」
お盆が過ぎればクラゲが湧く日本と違い、ロスの海は9月でも十分泳げる。ただし水温が低いのと、場所によっては底流れが強いのでそこは注意だ。
それとハンティントンビーチは一部排水が流されているので(看板がある)、そちらを避けること。馴れない旅行者は浜辺での日光浴が無難かも知れない。とは言え、紫外線が日本の比ではないのでUV対策はしっかりと。
「海か。良いなぁ」
「今日からの出費は経費でなく、自分のお小遣いからになりますが、ウエットとボードを買っても良いと思いますよ」
少しエルの本音が出た言葉だ。ルーマニアから始まった一連の霊脈問題で、私とエルはかなりの成功報酬が約束されていた。何よりエルヴァちゃんがまだ幼いので、今後の開発や運用も私達が中心となって動かなければならない。
勿論、その都度お祖父様とは相談の上だけれど、概ねの筋書きが既に出来上がっている。そこでだ。そこでエルは私以上に『エル』に近いからか、別口でも事業を立ち上げたいという欲求が強かった。
今のお小遣い云々はそれが出ていたのだ。この先は日本に居る『私』やルヴィアのためにも、時計塔と揉めるような真似はできない。
そこで欧州では隙間的な事業に留め、この北米で新たな事業を立ち上げようというのが、私とエルの考えだった。その第一歩としてエルは霊脈開発を行うと話していた。
『どこの? こんな新大陸に使える霊脈ってありましたっけ?』
『あります。政府が認めていないネイティヴ・アメリカンの土地で、カジノも何もないところです』
『政府がネイティヴだと認めていない?』
『ええ。少数過ぎるのと、昔から他の部族との交流もなかったので、誰もそんな部族が居たとは知らないのです。ですから彼らの土地は『リザベーション(居留区)』ではありません。二束三文で不動産屋を通して買えるのです』
『そこはどこです?』
『地図にも名前がありません。ですが地元の人は『スノーフィールド』と呼んでいます。そこを何とか折り合いを付けて買い取ろうと思います』
『西欧とは別の流れのシャーマンや魔術師が絡みそうですね?』
『そこも織り込み済みです。その上で彼らにも永続的な恩恵があり、かつ私どもとその部族で独占できれば』
その後も詰めれば、何とか行けそうな気がした。今回のアメリカはその意味でも渡りに船だった。まず空気感を肌身で感じたし、ネイティヴ・アメリカンの歴史や各部族の居留区なども調べられた。
そして次に繋げるための情報屋でもあった。小父様の紹介がなくとも、信用のおける情報屋を探そうとしていたのだ。メキシコの件だけではない。エルなら間違いなく、その部族の中心人物を探って欲しいと依頼している筈だ。
『南米にも霊脈ってあったっけ?』
『あったと過去形です。メソポタミアと同じで枯れたから文明が滅んだのです』
枯れるというより、正確には流れが変わったのだ。地震などの表層的天変地異や深い部分でのマントル対流が変化して。霊脈が表層にあった土地は惨めなものだ。
メソポタミアもそうだし、ナイルの流域、インドや中国もそうだ。河の反乱程度で霊脈が失われ文明が衰退した。表層だったから文明が早く発達し、大きな河が側にあるから衰退も早かった。
またそういう土地は決まって後年、平均気温が暑いか寒いかに偏る。億年単位で今という時期、大陸がそういう場所にあるからだ。そして現代の人に適した活動温度から極端に外れている。
なので、暑い地方の人はおおらかである反面、洞察力や想像力に欠ける人が多く、寒い地方の人は短気で集中力に欠ける人が多い。日頃から交通事故の多い国は、決まってそうだ。
普通の人はバス停前のトローリーバスや、駅に入ろうとする路面電車の前を横切ろうとは思わない。まずは相手が停車するのを待つはずだ。
だけどロシアやかつてソ連の衛星国だった人達は横切って、自分のクルマの何倍もある質量に挑む。あのさ。300人の船が200人の船がとかの話じゃないの。
50人以上の乗客を乗せていて、急ブレーキも効かないトローリーバスや路面電車の運転手さんがどちらを選ぶと思う?
明日までに届けないと何百人も困る食料を積んだトレーラーが、ジャックナイフで積荷が崩れるかも知れない急ブレーキを踏むと思う?
決まっている。最悪の場合はバカ1人の命を速やかに犠牲にするだろう。
戸惑いや葛藤なんて一瞬だ。大勢のために少数を切り捨てるという、お父さんの懐いた苦悩や後悔なんて、屁の突っ張りにもならないリアルが日常茶飯事にあるのがロシアだよ。
блядь(ブリャーチ/クソッタレ。元は売春婦の意)やбля(ブリャー/クソッ)という言葉はхороший(ハラショー/素晴らしい、素敵などの意)より使う頻度が多くなる。
実際現地に行けば、ドイツ語のScheiße(シャイセ/クソッタレ)やDumm(ドゥム/バカ)にDepp(デップ/間抜け。知的障害という意味が強い)より、よく使うようになる。
女の子としてはしたないと自分でも思う。けれど、そこで自分からブツかるの? という事例が余りにも多過ぎる。寒さに脳細胞が凍結しているのか、ウオッカで脳が常時酔っているのか、そこの判断は難しい。
また、タイヤのバーストと車輪のボルト折れが多過ぎる。何度あれでクルマを凹まされたか。今回のロシア行きでも数回遭遇した。信じられない品質と整備の酷さだ。
逆にアメリカは碌な霊脈がないのにここまで発達した。それは移民がそれまで培った叡智を持ち寄ったからだ。ここもかなり特異な国だった。
まぁ、幾ら巨大な霊脈があろうと、その恩恵を人々へ正のネルギーとして還元できる、魔術師かシャーマンが居なければ霊脈を活かすなんて土台無理なのだけど。
そんなエルの提案に乗って、私達は食後ダコタでサーフショップに向かった。州道1号のTKバーガー前に駐車場がある。そこにクルマを入れて、桟橋(pier)から伸びるメイン・ストリートの交差点に行けば、横断歩道を渡ったところにショップがある。
「無難なのはファンボードですね。ロングの方が初心者向けと言われますが、長いから持ち運びに不便です。並寸の和弓より長いですから。お薦めはローロッカー(反りが少ない)でレール(縁)の厚みがあるタイプかな?」
「お前はどういうのを?」
「ロッカーがしっかりあって、ローレール(縁が薄いのでキレがある)で、フィッシュテールですね(後端の形状。ここが合う合わないで、立ち上がる切っ掛けが掴みやすくなったり、波の大小に左右されにくくなる)。それと最初は中古で十分ですよ。オーダーメイドは自分の乗り方がわかってからです」
「それはわかる。剣も自分の型ができてからって言うしな。弓もそうだろ?」
「勿論そうです」
その後、ああでもないこうでもないと、それぞれリップカールとビブラン、サンタクルズなどの中古を選んだ。ウエットも各自好みだ。
モードレッドがリップカールのボードで、肩が黄色のウェット。私がビブランに赤、エルがサンタクルズでピンクだ。エルは本当に個性が強い。おまけに何だ、そのキレキレのボードは。テイクオフできるのか?
ともかく3人揃ってガバっと買ったので、ワックスやら何やら色々サービスしてくれた。ボードを抱えてクルマに戻り、着替えてから海に行った。
砂の上に絵を描いてモードレッドに、リップやカール、ショルダーやボトムといったサーフィン用語と乗り方を教える。お手本だと言ってエルがボードを持って海に入った。
「乗り方だけですよ? テイクオフのタイミングは後でお教えしますから」
そんな事を海から叫んで、絶対にあり得ないところでボードに立った。そしてさざ波とともに、スーッと浜に帰ってきた。腰は屈めず、腕でバランスも取っていない。ほぼ直立不動だ。
周りのサーファーも呆れている。どういうバランス感覚だ? そもそもその浮力は重力軽減か? こんな大勢の人が居る中で?
私がモードレッドを連れて、パドリングでポイントまで行けば、エルは親身に教えていた。何本やったろう? 最後のテイクオフは十数秒あった。モードレッドは本当に飲み込みが早い。
「面白れぇ~。あっちの父上がハマったって意味がわかったぜ」
やっぱりね。彼女ならハマると思っていた。その分、こちらは彼女がワイプアウトする度に飛んで来るボードを必死で避けていたのだけれど。モードレッドも私達じゃない誰かのボード攻撃を喰らっていた。
「直感が働かないってどういうこった?」
「セイバーと同じで、決闘とか戦場限定なのでは?」
「それか……痛ぇぞ」
腕に刺さったとか、頭から血が出たとか、前歯が折れたとか、サーフィンは結構危険な遊びなのだ。
下が珊瑚礁であろうと、波が15メートルはあろうと、ショートボードで落ちず怪我もしないあのアルトリア姉さんでさえ、オーストラリアではジャンプしてきたイルカの直撃を喰らって気を失い掛かった。
『エル(私)』はサバか何かの群れの上でテイクオフしようとして、口の中に魚が突っ込んで来た事がある。ちなみに山育ちのクセに、『エル』は泳ぎも上手い。それは小さな頃から湖で泳いでいたからだ。
そしてカヌーやヨットをお祖父様から、ウィンドサーフィンをママ達から教わっていた。そういう体験があるから初めてのサーフィンも、モードレッド並みにすんなり覚えた。
それでも他の人が飛ばしたボードは、常時防壁を張らない限り避けられない。地の娘に足先からマナを掴めない海の上は鬼門だった。だけど楽しい。それがサーフィンだ。
また足が固定されていないところが良い。実は『エル』は、ウェイクボードや水上スキー、冬のスノーボードが大の苦手だった(スキーやスケートはできる)。
理由は意味不明で、同じ方向ばかり向いているのが耐えられないからだった。サッと体制と前足を入れ替えられない状況が、空手家として嫌なのだという。私も以前はそうだった。自分でも思ったものだ。一体、何と戦っているのだろうかと。
だから兄の『成分』を得たとは言え、弓道を選んだ私という存在は、彼女にとって謎だったろう。だけど弦を引くと妙に馴染む。この感覚は言葉で言い表せない。
最初はライフル射撃の延長かと思ったが、どうもそうではなくクルマに乗る感覚に近いと最近気づいた。
私達は日が傾きかかった頃に、おやつ代わりにTKバーガーを軽く摘んでから家に戻った。
エルは戻ってから、この家にあったPower Mac G4で報告書を作成していた。お祖父様へメールで送るのだろう。その間、モードレッドはモニカさんと晩ご飯の下拵えをし、私とミアータさんは自家製のトルティーヤを作っていた。今夜はテックスメックス(メキシコ料理の北米版)で、手巻き寿司ならぬ手巻きブリトーだった。
本来のトルティーヤはトウモロコシ粉で作るのだけど、ミアータさんは小麦粉で作っていた。それをそのままのトルティーヤだけでなく、Uの字に曲げて揚げたものも用意する。要はタコス用のハード・トルティーヤだ。それを揚げるのが私の係だった。
モードレッドはレタスやトマトを切っていて、モニカさんはサルサやワカモレなどを用意していた。この後に牛肉や鶏肉などでメインの具を作るのだろう。
この手巻きブリトーはトルティーヤさえ作ってしまえば、後は楽なもので何を挟んでも自由だ。本場のメキシコ風に凝ってもいいし、中華風の具材でも良い。
例えばパイナップル入り酢豚にパクチーも合うし、少し甘めの麻婆茄子などを作ってチリソースでも合う。面倒に思わず、自由な発想で具材を用意すればとても楽しく美味しい。餃子より楽だし、ホームパーティだと絶対にウケる。
魚を食べる習慣に乏しい人々に、手巻き寿司をゴリ押しで振る舞う人は後で陰口を叩かれる。自分がウマいと思うなら他人もウマい筈だ……この幻想はアメリカで絶対に通用しない。だからアメリカ人の賢い人は運転もウマいし、ビジネスもウマい。
他人を思いやり、相手の思惑を想像する。それが多民族国家で生き残る秘訣なのだ。モニカさんは茹でたジャガイモやチーズを用意していたし、ミアータさんは卸金で卸したジャガイモの生地も用意していた。
余った部分でテイタートッツまで(※1)。その他の具にはモードレッドが好きそうなスモークサーモンもあった。更にはライス・スタイルのモンゴリアン・バーベキュー(※2)まであった。勿論、私達を喜ばすためだ。
こんなお二人を好きにならない筈がない。私達はとても仲良くなれたのだった。
※1)すり潰したジャガイモを揚げたもの。ハッシュド(・ブラウン)・ポテトのミニミニサイズ。元の世界である日、これをオツマミとして振る舞った間桐鶴野小父様は、一緒に飲んでいた父である衛宮切嗣に『まるで東京コロッケのようだ』と謎の感想を漏らした。当然『エル(私)』はそれを調べた。ところが冬木市の図書館に行っても検索に掛からず司書さんも知らなかった。これまた別の日にひょんな事から藤村雷画の小父様が知っている事が判明しお尋ねした。そしてそれが昭和の時代に夜店であったビー玉大の串に刺したコロッケであるとわかった。規定の料金を支払いパチンコ玉を受け取る。そして備えられたパチンコ台で玉を弾く。アタリの穴に入れば8~9個のコロッケが串に刺して貰え、ハズレだと7個だったという。そしてカレー皿になみなみと注がれたソースにチャプンと浸けてから食べ歩くのだという。当時の子供が大人しか出来ないパチンコでミニマムな射幸心を擽(くすぐ)られつつ、これまた大人にしか行けない『二度漬け禁止』の串カツ屋気分を味わえるのだ。鶴野小父様の憧憬がわかろうというものだ。なお、鶴野小父様より7~8歳は年下の雁夜さんはB級グルメ・リポーターでもあるので『東京コロッケ』の存在は知っていたが、食べた事は無かったそうだ。後に振る舞うと感想こそ違えど両者にウケた。それで調子に乗ってこれまたB級グルメ研究家の巫女の姉さんに教わった『◯◯焼き(丸々焼き、もしくは真ん丸焼きと読む。関東で言う大阪焼きの事)』も出してウケた思い出がある。この時はリングでなく、大きめのクッキーの型で焼いたのだ。卵焼き器で作るハシマキも教わったなぁ。
私個人としても自家製の揚げたて『東京コロッケ』が好きだ。テイタートッツもそうだが余った材料で作れるのが素晴らしい。
補足)元の世界の間桐兄弟は兄の鶴野小父様が昭和オタクで、父の欠落した日本文化の師でもある。トイガン(モデルガン)を含む玩具や遊具、夜店の屋台などなどに詳しく、フィッシュ&チップスの『Long John Silver's』や、ハンバーガー・バンズにローストビーフやハムを挟む『Arby's』が日本にあったとか濃い情報まできっちりご存知だ。父がアメリカで本物の銃をレクチャーした時は感激のあまり泣いていた。
そして弟の雁夜さんは元ルポ・ライターだったが、バブルが弾ける前にグルメ・ライターに転身し、駅弁や駅の立ち食い、路麺店に屋台もので活路を見出した人だった。現在は巫女の姉と同じ冬木振興委員を務め、出した旅行記やB級グルメ本は本屋で平積みされるほどの人なのだ。
※2)カリフォルニアでもチラホラ見られるが、元々は台北から始まった料理の提供スタイル。オリジナルは巨大な鉄板で材料を麺を炒める鉄板焼きそばだ。まず間違いなくそのインスピレーションは、日本の屋台で提供されるソース焼きそばから来ている。だけどソースは使わず味は中華そのもの。そのパフォーマンスがウケたのだろう。それがアメリカでビュッフェとドッキングし、規定の料金を支払い、お皿を受け取り、好きな材料を盛れるだけ盛り、店員に炒めて貰うというスタイルに変化した。アメリカでは持ち帰る人が多い。7~8ドルで2日分くらいの食事量を盛り付け次第で取れるので、ホテルでチンできる人だとお得だ。なおライス・スタイルは麺でなく焼き飯タイプのこと。勿論、エルヴァ達に提供されたものは、電気グリルパンに盛られているだけで、材料を選んだわけではない。
似たようなものに、ダラーチャイニーズというお持ち帰りのチャイニーズ・コンボがある。そういうお店だと12インチ角の弁当箱に8ドルくらいでてんこ盛りにしてくれる。最初にチャーハンとチャーメン(焼きそば)どちらにすると聞かれるので、恐れずハーフ&ハーフと言おう。そしてショーケースを指差しておかずを2~3品ほど選ぶ(当然だけど2アイテムか3アイテムで金額が変わる)。お薦めはオレンジチキンだ。すると悪魔のようにおかずを入れてくれる。多分、3日分の食事量はあるだろう。何かの大食い大会に出たような気分に浸れること請け合いだ。有名なパンダ・エキスプレスより、ローカルなお店の方が量が多くホンの少し美味しい。ただしアメリカ人の肥満化が叫ばれるようになったのは、チャイニーズ・フードが受け入れられてからだ。間違いなく。
「明日はどうする?」
「ジョシュア・ツリー国立公園へキャンプにでも」
「今更だぞ。オレはサーフィンがしたい」
この西海岸は延々とサーフポイントが続き南カリフォルニアに限っても、サンディエゴから数え切れないくらいある。カーディフに有名なトラッセルズ、現在地であり毎年『US Open of Surfing』が開催されるハンティントン・ビーチ、パタゴニア本社のあるヴェンチュラ、サンタバーバラ近郊のリンコン、セントラル・コーストのピズモ・ビーチにシェル・ビーチ……半径200km圏内でもこれだけある。
101号をピズモ・ビーチの次のサンルイスオビスポ(BBQバーガーが中々イケる街だが、変な条例が多い)で降りて、ロス・オソスの街に行けば『Go Westy』というヴァナゴン専門店がある。この先のモロベイ(モロロックという巨岩で波が割れる)までが南カリフォルニアのサーファーが向かう範囲だと思う。
「なら、サンクレメンテのトラッセルズに行って、帰りに『The Riders Club Cafe』にでも寄る?」
「何だ、そのライダーズ何とかって?」
「ローカルのハンバーガーショップで、サンクレメンテでは有名なんですよ」
「そりゃ良いな。そうしようぜ」
そうして明日の予定が決まった。絶対的にカリフォルニアで一番美味しいハンバーガー・チェーンは『In-N-Out Burger』と『The Habit Burger Grill』だ(※)。
そしてそれとは別に、ローカルなハンバーガー・ショップもたくさんある。激戦地の中で評判が良かったり長く続いているショップは、やはりそれなりに美味しい。
エルが紹介した『The Riders Club Cafe』はトラッセルズに通うサーファーの間では有名なショップだった。昔、姉に連れていって貰った記憶がある。だからエルは薦めたのだろう。
このハンティントン・ビーチのあるオレンジ・カウンティなら『Grinderz』も美味しいと評判だ。特にここのフレンチフライ・ポテトはちょっと違う。
※)ハビットはサンタバーバラから広がったハンバーガー・チェーン。ここにはここならではのメニューやサイドがある。基本はイン・アンド・アウトと似ていて、オーソドックスなチーズバーガー推しだ。そして豊富なサイド・メニュー。フレンチフライだけでなくスイートフライ、オニオン・リング・フライなど三種の揚げ物が選べる。テリヤキやチキンのバーガーもあるし、サラダメニューが豊富で6~7種類ある。ペッパーのピクルスも三種類あってカップに取り放題だ。そしてトドメがランチ・ソース。ドレッシングの一種だが、このカリフォルニアはサンタバーバラ発祥のドレッシングで、今やどこのスーパーでも売られている。そんな中でハビットのソースは地元がサンタバーバラだけあって、後味を引く美味しさだ。ただしイン・アンド・アウトより少々高くつく。
余談だが、この2004年当時、『Shake Shack』はニューヨークの小さな屋台からマディソン・スクエア・パークに常設店を出すかどうかの頃で、『Five Guys Burgers and Fries』もバージニアとワシントンDCに数店舗あるだけで、フランチャイズを開始したばかりだった。
またハンティントン・ビーチに限っても、『Wendy's(サンデーなどアイスがイケる)』『Carl's Jr.(ワカモレがイケる)』『SONIC America’s Drive-In(ローラ-スケートで運んでくれるところ。味は普通だけどバーガーが大きい)』『Jack in the Box』などがあった。
『Jack in the Box』はO-157で大問題を起こしたので避けているし、『Burger King』もあったと思うが、あれはマイアミの味でフロリダに行けばもっと美味しいお店があるのを知っているので入った事はない。
当然ながらテキサス州のローカルだけど、あちらで有名な『Whataburger』はカリフォルニアに進出していない。そんな美味しいけれど他の州では知られていないローカル・チェーン店もアメリカには多い。
今回シカゴシカゴと誰かさんが煩さかったので、ウィスコンシン州ローカルの『Culver's』に行けなかったのが残念だった。酪農の州なので何とも言えないご当地メニューがあるのだ。
『ButterBurger』や『Wisconsin Cheese Curds』を試せなかったのが本当に心残りだ。
そんな私とエルが使わせて頂いているチューリッヒの部屋には『Rivella(スイスの国民的飲料)』がケースで置いてある。烏龍茶よりアレの方が脂を分解してくれる気がするのは依怙贔屓だろうか。
「サンタモニカに行こうか?」
「それ、絶対にモードレッドには言わないで下さいね?」
何の話かと言うと、ビバリーヒルズの『Fatburger』の事だ。あれは凶暴だ。
翌日、私達はガレージでダコタにボードや乾かしたウェットを放り込んだ。その時、昨日は目に入らなかったスケボーが立てかけられている事に気付いた。
「誰の? お祖父様はなさらないだろうし」
「ミアータさんかモニカさんの?」
「かな?」
出かける前に帰りの時間を母屋で話した。その時に訊ねたら、スケボーはミアータさんのだとわかった。
この人はサーフィンこそしないが、スケボーは結構されているようで、街の至るところにあるスケート・パークに通い詰めるほどのスケボー好きだった。そういや着ているTシャツのロゴもスケボー・ブランドが入っている。
あのトロンメルの元となったトントがスケボー少女だった。だけど、どうやらミアータさんの方が一枚も二枚もウワテのように感じた。だって幾つかトロフィーをモニカさんが見せてくれたからだ。
そのトロフィーにはストリートとフリースタイルがあった。トントは人見知りするのでこういう大会には出ない。『エル(私)』は初等部時代にBMXをやっていたので、その頃のトロフィーは今もあるだろう。だけどこのトロフィーはそんなジュニアのローカル大会でなく、相当大きな大会のものだ。
それで無理を言ってミアータさんに見せて頂いた。すると……バックサイド360オーリーにフロントサイド360オーリー、キックフリップにヒールフリップも180に360と思いのままだった。
クロスフットインポッシブルを目の前で見た時は口をあんぐり開けた。バコンとか音を立てない。踊るように軽快にボードを回すのだ。
ガレージ前のコンクリなのでグラインドやスライドは無理だけど、ストリートの妙技をたくさん見せて下さった。
「プ、プロ?」
「だ、だよな?」
「で、ですよね?」
きちんとお礼は言った積もりだけれど、私達は魂が抜かれたようにダコタで出発した。
「おい、どこまで歩くんだ?」
「30分ほどですから、もうじき着きますよ。ほら、線路が見えた。あれを越えたら海が見えます」
トラッセルズは駐車場とビーチが遠いのが難点だ。けれどここの波はかなり楽しめる。ポイントも多く、下(南)からチャーチ、ミドルズ、ローワー、アッパー、コットンと5つもポイントがあった。
それはどこも砂浜や岩場から沖へ100メートルほど行けば、良い感じの波が逆巻いているからだ。その辺りは海底が岩なのだ。だから波が逆巻く。
私達は本日良い感じのローワーで海に入った。あれだけ文句を言っていたモードレッドが真っ先にテイクオフ(波に乗る)して、真っ先にワイプアウト(落ちる)した。エルと私が波の最後まで乗っていたのが悔しいらしく、何度も何度もチャレンジしている。
それでもアルトリア姉さんがいつも使っていた、もっと北側のサンクレメンテの街に近い岩場には行かなかった。あそこはプロが練習に使う穴場らしい。
「まだエルヴァはわかるぜ? 半分英霊だからな。けど、お前はオカシイだろ?」
エルの事だ。私も彼女は可怪しいと思う。そのバランス感覚は『エル』を越えているようにさえ思う。戻ったらスケボーに乗せてみたい。案外上手そうだ。
だけどそれを発奮材料にしたのかモードレッドはどんどん上手くなって、地元のサーファーからも褒められていた。
まぁ、ほとんど初心者だった彼女が、午後までにあれだけ乗れるようになれば誰だって感心するだろう。この人は英霊にならずとも、元から運動神経や反射神経が鋭く、バランス感覚も優れていたのだ。
「ここまで集中できるのなら、一度ニュルブリクリンクに行きますか?」
「何だそれ?」
「ドイツのサーキット場です。フリーデーなら一般人でも走れます。色々なコーナーがあるので良い練習になりますよ」
「時速200kmでブリュンヒェンのコーナーを全部抜けたら尊敬しますね」
「え?」
「ああ、そういう名のコーナーがあって。そこに観客席やカメラ席があるから事故映像がほぼそのコーナーばかりなんですよ」
「下りでキツい右コーナーになって、その後少し上って更に右になるんですね。ところがここのアスファルトが左に傾斜していて」
「そう、最初の下りと右コーナーへのブレーキで極端に前荷重になるでしょう? で、次の上りで一気に後荷重。トラクションが効くからイケると錯覚するんです。ですがサスのダンパーやバネはまだ安定していない。で、大抵はアンダーが出て左のガードに激突。それはヤバいとアクセルを踏めば、今度はオーバーになってスピンか右のガードに激突ですよ」
「トラクションが効く分、傾斜に沿ってお尻を振りやすいんですね。大概事故るのはFRかMRにRRです。FFなら中級者でも抜けられますけれど」
「面白ぇ。帰ったら絶対に連れてけよな」
「わかりました」
その後3回ほど楽しんでから、かなり遅いお昼を摂るためサーフィンを切り上げた。クルマに戻って着替え、『The Riders Club Cafe』を目指して走った。
フリーウェイの5号線に乗らず下道を走る。その下道が5号線の高架下とクロスするところにあるシェブロンでガソリンを給油した。
このシェブロンの並び160ヤードほど先に『Pipes Cafe』というのがあって、そちらは朝食のプレートがお得だ。
それとは反対、シェブロンから道なりで約1.2マイル(約2km)ほど海側に向かって進めば、右手に目的の『The Riders Club Cafe』がある。駐車スペースは10台ほどだけどギリギリ2台分空いていた。
かなり止めにくく出づらい一番奥を選んで、バックでスコーンと入れた。日本のお父さん方なら当たり前にできることだ。ましてここはアメリカ。1台1台の幅が広い。車の大きさを考慮せずとも楽勝だろう。
だけどカフェの中に居た先客達に奇異の目で見られた。
「どんなアメイジングなナイスガイが入って来るのかと思えば、可愛いネエちゃん3人だぞ?」
殴りに行きそうなモードレッドを軽く制したら、エルがにこやかにウィンクをしていた。私もウィンクして唇に人差し指を当てた。
「ほら、声がデカイんだってお前は」
「ス、スマねぇ」
声をあげた男性は仲間に窘められていた。まぁ、こんなものだ。
「ここはミール(セット)だけなのか?」
「基本はそう。アラカルト(単品)だとドッグがありますね。足りなければ戻ってから、別のところに寄りましょう」
「そうだな」
「私もバーガーにするので半分回しますよ」
「そうか、アンガト」
そしてモードレッドと私はハンバーガー・ミールを、エルはホットドッグ・ミールを美人の店員さんに頼んだ。バーガー・ミールが9ドルくらいでドッグは6ドルちょいだ。チリドッグで7ドル。単品だと3ドルと4ドル。
また、バーガーの方にはトッピングもあって、どれも各1ドルだ。私はチェダーチーズをトッピングした。ドリンクは3人ともアイスティー。ちなみにドリンクはミールに入らない。別売りで2ドルちょいだ。
やがて赤白チェックのペーパーを敷いたカゴに、それぞれが注文したミールが入ってくる。ここのポテトはフレンチフライでなく、薄いチップス。それのギザギザタイプだ。そしてビーツのピクルスが付け合せで付いてくる。
私とエルは敢えてお兄さん方の横のテーブルに座った。ニコリとして『声がデカイ』と窘めた人に『クールガイ』と言った。それを聞いて照れている。
エルはそんな彼にナプキンを渡した。ペンで漢字を書いたのだ。
「これって?」
「私達、日本の漢字が少々わかるので。その文字はクールガイって意味ですよ?」
ナプキンには『冷奴』と書いてある。勿論食品の名であると種明かしもした上で、『剛毅』や『不撓不屈』『勇猛果敢』などを意味とともに教えてあげた。
「凄ぇぜ」
「俺、これ彫ろう」
めっちゃ喜んでいた。それを見てモードレッドは私とエルにだけわかる仕草で小さく頭を下げた。
「どうです? ここのパティは肉々しいでしょう?」
「ホントだ。ウマいな、これ」
齧り付くと肉汁がボタボタと垂れる。そして100%ビーフの旨味だけが口中に広がる。チェーン店より高いけれど、価格以上に美味しい。
お店を出た後は直ぐの交差点を右に曲がり5号線に乗る。そこから30kmくらい走ってから、州道73号線を経由して、405号線でハンティントン・ビーチに戻った。そして州道39号線に入った。
メインストリートは別にあるけれど、この39号線がハンティントン・ビーチで一番賑わう通りだ。その39号を南に行かず北に2ブロックほど進む。
そこで右に曲がり、また2ブロックほど進むと左手に『Lo Banh Mi Cho Cu Bakery』というバインミーのお店がある。このウェストミンスター地区はベトナム系の人が多く、ベトナム料理のお店が並んでいた。
10種類くらいあるバインミーはどれも4ドルしない。なのにバゲットが大きい。エルはモードレッドにポークハムを注文していた。パクチーはともかく中に挟まれた紅白なますに驚くだろう。そしてパンと意外と合うから二度驚くのだ。
それと決してゲテモノではなく、パンの内側に塗られたレバーペーストやなますの上の炒り卵はやっぱりフランス料理の趣が残っている。
何より『Lo Banh Mi Cho Cu Bakery』は食料品店でもあって、惣菜というかスイーツもあるし、このバゲットだけも売っている。
お得なのはサンドイッチ用に切り落とされたバゲットの端っこ。テーブルロール代わりに買って帰る人も多い。だけどお客に白人は滅多に来ない。だってこのお店はベトナム人街に住むベトナム系の人のためのお店なのだから。
ドリンクはベトナムコーヒーを選んだ。これは3人分。以上をテイクアウェイして家に戻った。
戻ってウェットを干して、庭の木陰でベトナムコーヒーを頂いた。その後、スケートボードを買いに行かないかと話し合った。
そこへタコマが入って来た。ミアータさんだ。お買い物に出ていたらしい。
「お帰りなさい」
「お嬢様方も、お帰りなさいませ。昨日よりも陽に焼けましたね」
そこでスケボーの事を相談した。
「ブランドですか? 私のは『Real』ですが、部屋には『Girl』もあります。けれどどこのもそう変わりませんよ」
試行錯誤のあった黎明期と違って、熟成されたこの2000年代だと、もうボードの柄などの好みでしかないという。そこでもし良ければ、ボードを買いたいので付いてきて欲しいとお願いした。
するとミアータさんは了承してくれ、買ってきた食材をモニカさんに預けてからダコタに乗り込んだ。
「お借りしますね。こちらの方が広いので」
そしてショップまで運転して下さった。随分と大きなショップで、ボード(デッキ)がズラッと並んでいた。奥に進むと店員さんもお客さんもミアータさんに声を掛けていった。『チャンプ』とか言ってるぞ?!
ミアータさんは最初にタイプを教えてくれた。それでストリートと決め、長さ29インチ、幅7.5インチのデッキの中から好みの柄で選んだ。ホイールやベアリングのチョイスはミアータさんの言うがままだ。
「お嬢様方、練習は絶対に道路でなさらないで下さい。庭のガレージ前か専用のパークで行いましょう」
トロフィーがストリート(Street)とフリースタイル(Freestyle)だった意味がよくわかる。前者はパーク(Park)で後者はフラットランド(Flatland)で競われるのだ。
『物を壊さない』『他者に迷惑を掛けない』『主人と自分を守るためならこの限りではない』。初期のメイド(ホムンクルス)に必ず条件付けたと言われる『アインツベルン三原則』が体現されているかのような注意事項だった。
「トリックが失敗してもボードに当たらないで下さい」とも言われたし、「パークではパッドやヘルメットを付けましょう」とも言われた。
それでガレージのシャッター棒を飛び越えるフリップから練習した。何故か3人とも一発だった。特に私とエルは1フィートは浮いていたそうだ。
なのでミアータさんの指定した高さまで跳んでみせた。少々コツがいったが3~4回目にできた。それはパイロンの高さだった。
次にエルは逆立ちでフリップした。高さはないが面白い。やるなと思って私も逆立ちした。筋力が私の方が強いせいか、2フィートはあったらしい。
「どうしてそんなのがすんなりできるんだ?」
「元々、BMXをやったりオフロード・バイクに乗っているので、抜重のタイミングがわかるんです」
ミアータさんに火が着き、熱心にコーチしてくれた。お陰でモードレッドもある程度フリップできるようになった。それで明日はパークで教えると約束して下さった。
お手伝いを断ったモニカさんのその夜の料理は、ジャンバラヤとチキンフライドステーキだった。どちらも南部料理で、ジャンバラヤは、ルイジアナがスペイン領だった頃に伝わったパエリアのローカライズ版だと言われている。だからルイジアナで発展したクレオール料理やケイジャン料理の両方にジャンバラヤがある。
ちなみに牛肉が東部や西部にどんどん出荷されるので、南部にはチキンやポークにモツしか残らなかった。なのでフライドチキンは広義だと南部料理になる。あのスコーンっぽいメイプルシロップやハチミツで頂くビスケットも南部料理だ。
またチキンフライドステーキはチキンでなく牛肉を使った揚げ焼き料理で、シュニッツェルに近い食べ物だ。元は傷み掛かった肉を美味しく頂くために生まれた料理法だという説もある。
現に元はソウルフード(食材の乏しい奴隷達の中で広がった料理)の一種で、カントリーフライドステーキが本来の名だった。今は学校などでも出されるありふれた料理となっている。
「このジャンバラヤ、美味しいですね?」
「モニカの得意料理ですよ」
ミアータさんの言葉でモニカさんは照れていた。チキンフライドステーキもシュニッツェルに馴れた私達に食べやすい味付けだ。グレイビーソースは別添え。香辛料やハーブが効いているので、カットレモンで十分美味しい。
ポテトもマッシュでなく、色とりどりの野菜が入ったポテトサラダだ。しかもしっかり日本のキ◯ーピー・マヨネーズが使われている。
この卵黄タイプのマヨネーズは世界各国にコアなファンが居るにも関わらず、かつては知る人ぞ知る存在だった。それがどこでも手に入るようになったのは新世紀を迎えた辺りからだ。
『世界最高のマヨネーズはこれしかない』とは『エル』の言葉で、あの王様の『蔵』にも原典は無い(今は特売日に買い漁る主婦のように大量にストックされている。それでも分離しないのが、あの『蔵』だ)。
なお、お話してわかったのだが、モニカさんは『yoshinoya』の『beef bowl』の大ファンだった。このサウス・カリフォルニアには1970年代から進出していて、あちこちにあのオレンジ色の看板がある。当然ハンティントン・ビーチにもあって、週に1回はミアータさんが持ち帰るそうだ。
お好みは『not so fried rice(混ぜご飯? 他にbrown riceとwhite riceが選べる)』に、『original beef』でサイドにコールスローだとか。
どういう事かというと、カリフォルニアではまずボウルのサイズを決め、ライスを決め、上に乗せるお肉を決め、サイドを選ぶというコンボ・スタイルなのだった。
お肉はBBQリブ、エビスイートチリ、ハバネロチキン、グリルステーキ、白身魚フライ、テリヤキチキン、オレンジチキン、野菜牛、アジアンバーベキューウイング、スプリングロールなどなど数年で入れ替わったりレギュラー化するものと、絶対的な王道のオリジナル・ビーフから選べる。価格はレギュラーで5~6ドルちょい、ラージで7ドルちょいだ。
お新香に卵、お味噌汁は当然無い。だけど七味と紅生姜はあるし、ツユダクにできるそうだ。
「本場日本のビーフ・ボウルが食べたいです」
時は2004年だ。狂牛病で豚丼にメニューが代わり、『吉野家』に限らず『すき家』も『なか卯』もメニューが未熟だった頃だ。『松屋』に至っては豚焼き肉が成型肉にしか見えなかった時代だ。
当然温泉卵など置いていないので、生卵をぶっ込んでかき込む。それが嫌で友人に誘われてもカレーばかりだった。ちなみにカレーだけはどこのお店もまぁまぁだった。
それと朝定食。朝は必ず家で摂っていた私でも、たま~にああいうのが食べたくなったものだ。一番ハマったのは駅の立ち食いうどんと、かやくご飯だけどね(私はコシのある讃岐でなく、シメない博多のうどんが好きだった。トッピングも博多のものが好き。だから天カスとネギを入れ放題の冬木駅の立ち食いが好きだった)。
日本ではレギュラーで3ドル以下だとか、生卵がどうとかクサす気持ちはない。だからといってちゃんとしたのを作りましょうとは行かない。
調味料が手に入っても、牛コマが存在しないのだ。これはEUもそうだが、そういう『みみっちいお肉の食べ方』が想像つかない。文化の違いは流通も関係するという一例だ。
翌日、私達はパークでミアータさんから特訓を受けた。パークは本当にどこにでもあるが、どこも基本無料なのが素晴らしい。裏返せば場所は提供するから、ボードで街を破壊してくれるなという意味でもある。
あの『ジ・アウトレッツ・アット・オレンジ』には、『Vans』の作った屋内パークがあってそこも無料だ。それだけにどこのパークもキッズがやたら多い。
自分達より背の高い小学生が多いのもアメリカだ。中学生くらいの男の子だと、もう大人と変わらない。話す時、首が痛くなる。そう考えれば士郎クンも大概背が低かったんだなって改めて思う。
「アイツ、本当に中学生なのか?」
「ね? レイカーズの選手かと錯覚します。スケボーじゃなくバスケでもしてろよって感じです」
「な? ガタイがデカイ割に運動神経が良さそうだ。ボードがやたらウマい」
「ですよね~。上手い子はトコトンです」
だけど、そこから一頭地抜けているのがエルだった。彼女だけはプール程度のアールでジャンプして、最初からクルクル回ってすんなり着地して滑って行くのだ。
コケずに滑れたとかのレベルではない。こんなスピードの乗らない緩いアールの勢いで、どうして反対側で後方2回宙返りを捻ってできるのだ?
「お見事ですけど、可怪しいでしょうに?」
「魔術でも使ってやがるのか?」
「その反応が無いから可怪しいんですよ。見て下さい、ミアータさんまで呆れてます」
「そりゃ、呆れるだろうさ。ホント、変な奴だ」
キッズもやんやと拍手喝采だ。それはそうだろう。本日の彼女コーデは赤いTシャツの上に、白いロサンゼルス・エンゼルスのユニフォームにデニムのホットパンツなのだから。頭には当然エンゼルスの赤いキャップだ。
私はドジャースの青いキャップで、Tシャツの上はタンクトップだ。モードレッドはチャージャーズのロゴが入ったTシャツでホットパンツは3人とも同じ。
「ミアータさんに褒められました。向いているのかなぁ?」
戻ったエルの感想を聞くに、彼女はどうも真面目にやってああいうトリックができたようだった。
『エル』も身の軽いタイプだったから、私もその恩恵は多大に受けている訳だけど、本人がこういうスケートボードなんて全然しないタイプだったので、今までそのポテンシャルに全然気付かなかった。
ちょっと信じられないが、エルは本当に向いているようだ。という事は『エル』も上手いのだろう。すると……私もやろうと思えばできる?
だけど私は細々したトリックを覚える方が楽しかったし、そちらの方が向いているように思った。モードレッドはああいう派手なトリックが気になるようだったけど、私と一緒にベンチを使ったオーリーなどを黙々と練習していた。
割合近いところにネズミー・リゾートがあるのに、誰も行きたいとは言わない。LAのチャイニーズ・シアターやサンタモニカのサードストリート・プロムナードを歩きたいとも言わない。ハンティントンにすっかり溶け込んでいる私達だった。
お昼を摂るために私達はパークを出た。
「タコスが良いかな?」
「あれを食べるとキャベツ焼きやネギ焼き(一銭洋食)を思い出して虚しくなるんですよ」
エルの提案を却下したのは私だ。タコスは2個でだいたい2~3ドルだ。対するキャベツ焼きは都市部だと1枚100円で、下町だと50円のところもある。
高いか安いか。他のファストフードと比べれば、トントンというかタコスは安い部類だ。けれど、日本は余りにもリーズナブルにお腹を満たすものが多過ぎる。特に粉モノは。
とは言っても無いものを求めても仕方ない。ああでもないこうでもないと相談しながら、結局クルマに乗り込みロングビーチに近いこのパークから、州道1号線をハンティントン・ビーチに戻るカタチで走った。
途中カンボジア料理のお店があった。とても興味を惹かれたが、そちらはエルに却下されてしまった。
「どうでも良いから、さっさとどこかに入ろうぜ? 腹が減ったぞ」
そこでミアータさんのナビで私はハンドルを右に回し、ローカルかチェーンなのかは知らないが、パンダエクスプレスのような中華料理店に入った。
ちなみにカリフォルニアでは正面が赤信号でも、一旦停止して安全確認すれば、右折に限って進行して良い事になっている(郡や市で変わる場合もあるので標識を確認のこと)。
中に入るとおかずが並ぶショーケースがあった。システムとしてはパンダと同じだろう。だけどテーブルや椅子が並んでいて、ここで食べていけるようだった。
おっと結構色合いの良い本格的な酢豚があるぞ? それにうずらの卵はないけれど、ヤングコーンとブロッコリーにセロリが大量に入った八宝菜も。
私とエルはオレンジチキンや唐揚げなんか見向きもしないで、その2アイテムに焼きそばと焼き飯をハーフ&ハーフで注文した。
ミアータさんは焼き飯に唐揚げと春巻きを頼まれ、モードレッドはオレンジチキンとモンゴリアンビーフ、そこに焼きそばを頼んでいた。
当然余った分はモードレッドにと思ったが、運動後でお腹が空いていたのもあるし、私とエルはシェアしていたので綺麗になくなった。
だけど前もってミアータさんが、半分以上モードレッドに取らせていたので、皆んな残さず食べ切れた。何よりここのは八角などを使った本格中華でなく、日本の中華料理店に味が近い。
焼きそばはゴマ油の風味が良いし、焼き飯もパラパラとまでは言わないけれど、ちゃんと最初に中華鍋へ卵を落としてご飯と絡めている。八宝菜も酢豚も、第一印象通り悪くない。
「ここ、アタリですよ」
「ですよね?」
「相変わらず唐揚げは胸肉だけど、日本で食べたのと変わんないくらいイケたぜ」
ミアータさんの目利きに感謝だ。
「ここは以前も?」
「いいえ。友人に教えて貰って。それが頭に残っていただけですよ」
大満足で私達はミアータさんのお買い物に付き合った。行く先は大手スーパーの『Trader Joe's』だ。
ロング・ビーチからの途中、サンセット・ビーチ辺りにもあるそうだが、いつもミアータさんが利用しているハンティントン・ビーチの店舗に入った。
駐車場にT2のワーゲンバスが停まっていた。ちらりと見た私はギョッとした。前4席のピックアップなのだ。あるのは知っていた。だけど現物を見たのは初めてだった。
T1の時代はドイツ本国にも、前2席のピックアップやサイドの窓がない箱バンに救急車などがあったという。そして北米向けに造られたと言われるT2は、ブラジル産のT2と並んでバリエーションが多いのだった。
「これも良いですが、T3に憧れます」
「あれ? ミアータさんも、ヴァナゴンですか?」
「ウエスト・コーストに住んでいればヴァナゴンですよ」
大きく頷く私とエルだった。その間にモードレッドがカートに何かを放り込んでいた。
「お菓子を勝手に入れる子供みたいに……一体何を入れたんですか?」
「見ろよ、それ」
それは冷凍の餃子と炒飯だった。『ポット・スティッカー』に『ジャパニーズ・フライド・ライス』……チャイニーズと違うのか!? よくこんなのを見つけるものだ。
「いや、お前らが喜ぶかなって。それにこの国に来てからあちこち行ったけど、こういう大きなスーパーは初めてだろ? 何があるかなって気になってたんだ」
う~ん……目が良いなぁ。エルは卵が12個(1ダース)で1ドル30セントなのに驚いていた。私は私で2ドルしない瓶のワインを見付けて驚いた。
「『Trader Joe's』とくれば、この『Charles Shaw』のワインですよ」
やはり有名らしく、噂に拠るとぶどう畑の収穫漏れなどを利用したワインらしく、ミアータさんが言うには中級ワイン用や高中級ワイン用もブレンドされていて、価格の割りに美味しいのだそうだ。
そこで私達もワインを6本買った。ミアータさんは床ワックスの入れ物かというような牛乳と、ベーコンの塊を巨大なカートに収めた。
野菜の単品は基本量り売りで1パウンド幾らだ。袋売りはカット野菜よりパックされたクレソンだけといったモノが多く感じる。
醤油や味醂が棚に並んでいる事に感動していると(スイスより品揃えが豊富で、お米も何種かある)、モードレッドはインスタントの味噌ラーメンに唸っていた。わかる、それ。日本人街や専門店に行かずともここまで揃うとは。正直驚きだ。
だけど、やっぱりお魚が無いなぁ。ぼちぼちお魚が食べたいぞ。
するとミアータさんがサンペドロの港に土曜の早朝のみ一般にも開放される卸売市場があると教えて下さった。朝というか夜中の2時から7時の営業だという。絶対に行こうと決めた。
「その翌日の日曜がローズボールでのフリーマーケット開催日ですよ。少し遠いですが、楽しめると思います」
ロザンゼルスの北郊外にローズボール・スタジアムという競技場があって、月に一回とても大きなフリーマーケットが周囲の駐車場などに出るのだそうだ。
どうも骨董市やがらくた市と違うようで、日本からも業者が買い付けに来るくらい、センスの良いものが多いらしい。古着だけでなく家具やアクセサリーも多いという。それは是非行ってみたいものだ。
幸い明後日が土曜日だ。私とエルとモードレッドは、その両方に必ず行こうと決めた。