※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第三部 霊脈篇   作:炭団

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116、熱砂の街 前編

「ねぇ、ここにはグリルがないの?」

「グリル? 何だそれ?」

「バーベキュー・グリルだよ。知らない?」

「いや、言ってることはわかるぜ? けど、どういう意味だ?」

 

 子供達と庭で遊んでいると、上のお兄ちゃんがいきなりモードレッドに尋ねたのだ。これはわからないだろうな。

 

「モードレッド。アメリカは週末に庭で友人を招いたり、家族でバーベキュー・パーテイを開く風習があります。きっとこの子達の家の庭にはそのような備え付けがあるのだと」

「ああ、そういう事か。ガレージにあったんじゃないか?」

 

 ある。確かに移動式のが置いてあった。『Weber』のガスと薪用の2種類で、どちらも四角く大きな重い蓋が付いていた(この重い蓋が重要。これの輻射熱と保温効果があるから、ガスでも美味しく料理ができる)。ガスの方は4バーナーで、サイドに通常のコンロまで付いている高級品だ。ほとんど使った形跡がなかったけれど、お祖父様だなぁ。

 だけどこの子達の庭には耐火レンガで組んだ薪タイプがあるという。マリーさんの旦那さん、エラく頑張っているね。

 ピンと来ないかも知れないけれど、こちらでは鍋奉行ならぬピットマスター(pitmaster)という言葉もある。あのガーバーですら、バーべキュー専用のナイフセットをラインナップに揃えていた時代もあったのだ(昔は刺股みたいな大きなフォーク(その名がロン)で肉を押さえ、ナイフで切り分けていた。今はどこもトングで押さえ、包丁で切るのが主流)。

 だからこそ驚いたのだ。日本人の方がアメリカの古い王道を今も守っている事に。

 

「そんなもんなんだろうな……。オレ、やっとランスロットの気持ちがわかった気がする。ブリテンに精一杯溶け込もうとして、無理をしていたんだな。それに早く気付いていたら、あんな風にはならなかったのかも知れないのに……」

「だけど、それを心から楽しんでいたかも知れませんよ?」

「だよな。色眼鏡で見ていたのはオレだ……。エルヴァ、今度焼き方を教えてくれ」

「喜んで」

 

 アメリカにも『チャコール(炭)』があると思う。もしできるなら大きな薪のグリルと、小さな炭のグリルで教えてあげたい。薪は遠火でガッツリと焼き、炭の遠赤外で芯に火を通し保温もする。

 それをメーカーもわかっているのか、最近のグリルは蓋を開けると網が二段式になっていて、下段が直火のメイン、上段が焼けた食材を置いたり保温したりする場所になっている。

 もし炭だけでバーベキューをするなら、十分に熾った炭の上に湿気ったリンゴかチェリーの木を置く。要はスモークウッドと同じで香り付けに使うのだ。

 だけど燻製ではないので、ヒッコリーやウイスキー・オーク(ウイスキー樽の廃材)は使わない。私の理想のバーベキューはそれだ。

 理由は安い炭でも上質な香りが楽しめるから。焼き鳥屋さんで炭火を謳っているのに味気ないなぁと思う場合は、使っている炭が安物か、香りを考えていないから。皮を注文すれば一発でわかる。

 

「寝かす? 酒みたいにか?」

「そう。パパが言ってたよ。寝かさないとお肉の美味しい汁が回らないからって」

「へぇ~」

 

 お父さんに教えられているんだろうね。お兄ちゃんの方がモードレッドより詳しい。

 

「やっぱり2ポンドはありそうな、リブアイとかトマホークやTボーンをお家で焼くの?」

「うん。ママはチキンの丸焼きのほうが好きっていうけど」

 

 アメリカだなぁ。けれど焼き鳥やサンマは炭焼が一番だというのは、元々食材が持った脂が回りやすく焼きやすいからだ。ステーキハウスに鉄板が多いのも、満遍なく火が回るから。焼肉屋さんの肉の厚さもその意味がある。

 だからこそ、一度は大きなグリルで、厚さ3センチはあるお肉を焼いて味わって欲しい。方法は原始的なのに、昔とは全然違うと気付くはずだから。

 あ、ただこれは言っておくね。サシが大量に入った高級和牛のブロックはバーベキュー合いません。肉汁を回すっていう事は、脂もそのまま中に溜まるから。

 和牛はお鍋か、目の細かい網を使った網焼きが一番だろうね。

 

「ママのお仕事の後のパーティに来るんでしょう?」

「ああ、誘われたからな」

「なら、パパが最高のお肉を焼いてくれるよ」

「そうか。期待するぞ」

 

 こういう時のモードレッドは本当にいい顔をする。女の子同士だけどドキッとさせられる顔だ。この顔はセイバーにも真似できないだろう。

 

 

 

 営業所の人の案内で、無菌工場の視察を終えた僕達は何重もの扉とエアカーテンを抜けて、指定されたロッカーでクリーンスーツを脱いだ。マスクとキャップを外したリンがホッとした顔をした。

 挨拶を終えてクルマで送ってくれたが、僕は途中で高速から下道に降りてもらった。そこで運転手にお礼を言い、予約してあったクルマに乗り換えた。

 

「どうして?」

「あれか? ホテルを特定されたくないとか?」

「まぁ、そういうところだね」

 

 だけど理由はそれだけじゃない。シロウとリンには悪いけど、僕と運転手とはグルだ。彼はガイドで、今からパライゾーポリス(パライソポリス)に向かうのだ。

 サンパウロにほど近いパライゾーポリスはファヴェーラという貧民街で、いわゆるスラムだ。ブラジルには大都市の傍に必ず広大なファヴェーラがある。

 目的地はサンパウロ近郊で2番めに大きなファヴェーラで、7万人以上が住んでいるという。今からそこを1時間だけガイドして貰うのだ。

 一応彼らにはブラジルに入る前に、ブラジルだけでなくラテンアメリカは全般的にスペインよりももっと危険度が高く、強盗や置き引きが多いと話してある。時には拳銃も使われるし、強姦や殺人もあると。

 だけど、人は目に入る危険以外は急激に忘れる。認識の外に追いやるのだ。だから、彼らの気を引き締めるため、彼らの警戒レベルを上げるため、効果的な呪文を唱えた。

 

「今から向かうところは……『どこからサーヴァントが襲ってくるかわからない』ようなところだ。十分、注意して欲しい」

 

 リンとシロウの顔つきが一瞬で変わった。それで良い。

 

 ブラジルは今景気が良い。だからなのか思ったよりファヴェーラは『整っている』ように見えた。だけど裏通りを通ったら、路地の先にバラックや掘っ立て小屋が見える。

 子供達の歓声がどこからも聞こえないし、通りを歩く人もまず居ない。壁の落書き(多分、縄張りを主張するグループ名だろう)が至るところにあった。

 ガイドの説明は英語だけれど、シロウは思った以上に真剣に聞いていた。街外れで僕達はクルマを降りた。隣町の高級高層マンションがファヴェーラを見下ろして立っている。

 それをシロウはジッと見詰めていた。短い時間だったけれど彼には何かを残せたようだ。視察先がサンパウロで良かった。これがリオデジャネイロだったら大変だ(あちらのファヴェーラはもっと危険)。

 この行程とガイドの存在を教えてくれたのはエルだ。きっと会長にも教えてあったのだろう。ただガイドの都合で今日しかなかった。だからブラジル行きを急いだのだ。

 無事サンパウロに戻った僕達は屋台でアサイーを買った。不思議なものでこの食べ物がハワイでは定番の朝食となっている。そしてサーファー達に広まり、今ではカリフォルニでもアサイーボウルが食べられるという。

 これもエルからのメールだけど、どうも彼女達は今アメリカに居るらしい。仕事の内容は知らないけれど、会長も女の子に危険な真似はさせないだろう。それでも昨日は大聖堂でエルヴァ達の無事を祈った。

 

「この後のスケジュールは?」

「次は3日後にメキシコ。あちらの都合があってね。だから明日はゆっくりしよう。それで良いかい、シロウ?」

「ん……? ああ……」

 

 少々上の空だな。やはり旅人の視点で見れず、自分をそこに置いたか。そうさ。焼け出された子供は普通どうなる? 両親を失い、親族の宛もない子供はどうなる?

 ああいうファヴェーラのようなところが出発点になるんだ。そこから這い上がって行かなきゃならないんだ。誰かに構う余裕なんてないんだ。犯罪を侵さず、真っ当に生活費を稼ごうと思えば学校なんて通ってられないんだ。

 だから幾ばくかの遺産を残し、彼に教育を与えた養父を慕う気持ちは良くわかる。だけど君は君である事を忘れちゃいけない。

 

 夕方、ホテルを出た僕達は食事場所を求めて街を歩いた。この国はポルトガル由来の料理とシュラスコ以外、これといったものがない。

 敢えて言うなら、フランゴアパルメジアーナというトマトソースの掛かったチキンカツがまぁまぁイケる。だけどこんなのどこでも食べられないか?

 

「やっぱりスペインだな」

「うん、私もあっちのが良かったな。現地の人には悪いけど」

「惜しいって感じなんだよな。もう少し工夫の余地があると言うか……」

「だよな」

 

 特定の料理しか出ないドイツとどっこいだ。僕は美食家という訳ではないけれど、それなりに色々食べてきている。そして少なからずドイツの料理、特に北部はイマイチだと思う。

 そのイマイチな料理とブラジルの料理は残念加減が同じだ。美味しいものが多いスペインでも、カタルーニャは特別だ。比べちゃ悪いんだけど、どうしてもなぁ。

 

「次のメキシコはどうなんだろう?」

「辛いのが多そうだけど、美味しいとは聞くね」

「なら、少しは期待できるな」

 

 そんな事を語らい、僕達は次のメキシコに思いを馳せた。

 

 

 

 その日の授業を終えて寮に帰ろうと教室を出たら、先生から声を掛けられた。

 

「ミス・ハーウェイ、ミス・ハーウェイ?」

「はい?」

「ああ、エルヴァ。君を訊ねてお客様がいらっしゃっている。お父上のエルンスト・ラインハルト・ハーウェイさんの紹介状をお持ちなんだ。名はエイミヤかエミーアとかいう東洋系の男性だよ。どうする? 断ることもできるけれど」

 

 父だ。お祖父様の紹介状を持ってわざわざ? どうしたんだろう?

 

「会います。どちらまで行けば?」

 

 そうして私は驚きと疑問と嬉しさをブレンドした不思議な気持ちで、普段は入らない部屋に案内された。先生がドアを開けると、スーツ姿の父が立ち上がって先生にお礼を言い、私に挨拶してくれた。とても他人行儀に。

 

「お嬢様、お元気でしたか。エルンスト様の代理として出張が入りました。それでご挨拶に伺いました」

「わざわざありがとうございます。それでどちらへ?」

 

 先生に視線を移すと、気を利かせて出ていってくれた。隙かさず防音結界を張ろうとしたら、一瞬前に結界を張られた。え? っと思ったら、父の横にエルお姉様でなく、『エルお姉様』が座っていた。

 その波動と魔力からも間違いない。後ろ髪の中に潜んでいるエメラルドが『ラインの黄金』に共鳴している。

 

「お姉様……? いつ、こちらに?」

「二日前です。その後すぐにバーゼルでお祖父様とお会いし、こちらのお父さんと連絡を取りました。今、代行でアサシンが現場をみています」

「現場って言っても、大したことはないよ。休暇が明けたばかりで、そんなに重要な仕事は廻って来ないからね」

 

 そこからお姉様は夢見の内容を話して下さった。内容は驚きだ。これから2週間ほどの間に、世界を駆け巡るニュースとなる大きな出来事が起きるという。

 

「ですが、そのニュースを耳にしても動かないで欲しいのです」

「と、言いますと?」

 

 その現象はこの世界だけでなく、座標の近い世界で一斉に起きるらしい。つまりトリガーは内部でなく外からだ。

 確か『エルヴァお姉様』が『エルお姉様』から分離したのは、この世界の付近で『座の風』という現象が起きているからだと聞いている。となると、それと関係する事象なのだろうか?

 

「そこがわからないので『観察』したいと思います」

「何かお手伝いできる事はありませんか?」

「いいえ。今回は大人しくいつも通りの生活を過ごして下さい。きっと大きなニュースが入って来ると思います。それでも我慢して動かない事。敢えて言うなら、それがお手伝いだと思って下さい」

 

 そう仰ってお姉様と父は帰った。夢見は私も時々するけれど、私だと『自分の世界の中』と『自分に関係する並行世界』だけだ。

 私とお姉様は、年齢こそ違うけれど同じ並行世界存在だ。つまり同一人物だ。なのにこの差があるのは『ラインの黄金』の存在が原因だろう。

 私は部屋に戻るとパソコンを起動し、日本にいらっしゃるエルヴァお姉様にメールを打った。

 

 

 

「あれで良かったの?」

「はい。ありがとうございました」

「まぁ、あの子は賢いから君の真意を理解してくれるだろうとは思う。だけど夢の話は本当に?」

「起きます。世界が大きく変わると思います」

 

 どうしてそうなるのか、何故それが起きるのか。そこは一切不明なまま、結果だけがわかってしまう。それが夢見という能力の問題点だった。

 そして僕はルーマニアで一緒だった彼女と、娘のエルヴァが別人だったと気付いていなかった。途中で何かいつもと違う、変だなと小さな疑問はあったけれど、クロエやイリヤが自然なので誤魔化されていた。

 いや、あの子達は誤魔化したのでなく、それが自然体だったのだと今ならわかる。特にクロエはエルヴァに思い入れが強いだけに、あれこれ考えた事だろうと思う。

 それでも日本に残ったエルヴァと変わらず親しんでいたのは、やはりルーマニアでの彼女もエルヴァだったからだ。そのもう一組の娘達と会って、今一度話をしたい。

 だけど、それは今じゃない。

 

「どうしてそんな魔術を?」

「エルヴァちゃんのためですよ。あの子は日本で暮らせません。また私と年齢が違っています。そこから来る差を当初はエルヴァが埋めてくれたらと期待していましたが、彼女は彼女で今の生活に馴染んでしまった。家族が居て友人も居る。ならばこそですよ」

 

 そこは納得の理由だけれど、それだともう一人のエルヴァが可哀想だ。そしてエルも。

 

「そこは多少手心を加えています。ただ、この手心はエルには有効でもエルヴァには少々厳しい面があります。なので自らの精神で抑え込むしかありません。そこもあって今回アメリカに渡って貰いました」

 

 現在はノイント老が持つロサンゼルス近郊の別荘だという。そこから彼女とノイント老とで考えた『仕事』を幾つかこなして行くのだそうだ。

 

「ですけど、あの子達なら早々に仕事を終えるでしょう。なのでロスで暫く待機させます。お父さんの次のお仕事はどちらで?」

「……北米だよ」

 

 やられた。この子と比べてしまうと、お姉ちゃんと慕われているエルヴァも形無しだ。ましてや僕なんかじゃ……。待てよ?

 

「仕事は明かせないけれど、バンクーバーには意味があるのかい?」

「あります。依頼者はエーデルフェルト理事です。つまりお父さんの護衛対象はルヴィアと凛ですよ。彼女達の仕事は簡単なので、手が空けばロスに寄ってあげて下さい」

「わかったよ。それでこの後、君はどうする?」

「時計塔に行っている凜と合流して、中近東からアフガニスタン、そしてカンボジアなどを回ります」

「そうか……。気を付けてね」

 

 彼女はニコリとして、自らの運転で空港に向かった。空港でわかれた僕は運転席に戻って屋敷に赴いた。

 報告後は暇だ。バンクーバーに行くまでは数日ある。だからそれまでに幾つか簡単な仕事をこなして日々を送ろう。今の僕にはそれ以外、何も出来ないのだから。

 

 

 

 先輩より先に倫敦に入っていた私は、時計塔本部に近い、とあるカフェでエルメロイⅡ世先生と話し合っていた。それは私と先輩の位階授与式の打ち合わせだった。

 

「揉めませんでしたか?」

「最初にほんの少しな。今までも外部の者に位階を授ける事は何度かあったそうだが、さすがに正体不明のままというのは難しかった。しかし、そこを宝石翁が声をあげずとも、ミスティール、バリュエが民主主義派、ユリフィス、アニムスフィアが貴族主義派を纏めてしまったからな。理事会もエーデルフェルト理事がしっかり押さえていた。私の出る幕なんてどこにもなかったよ」

 

 紅茶を一口啜ると先生は続けてこう仰った。

 

「だが……返す返すも惜しい。あの二人を手放してしまった……守りきれなかった……」

 

 ルヴィアと凛さんの事だ。

 

「だからあなたに頼む。彼女達を導いてあげて欲しい」

 

 そうして先生は私に深々と頭を下げられた。

 

「先生……」

「君までが私を『先生』などと。面映いばかりだ」

 

 先生がルヴィアや凛さんに嫉妬している事は知っていた。それでも教え子として二人を惜しんでくれた。この人はそういう人だ。

 だけど突き抜けて『魔法』に至った私は別らしく、先程から友好的に話している。その心理は何となくわかる。その気持ちが伝わっているのか、先生の後ろで控えるグレイも柔和な顔だ。

 午後の日差しが柔らかい。窓の外は一足早い秋が迫っていた。樹々が色付き始めるのもじきだろう。

 

「それで場所だが、本部でなくスラーで行う事となった」

「スラーで?」

「政治的な駆け引きよりも、安全面と情報隔離を優先しての事だよ」

「なるほど。日程は?」

「変わらずだ。明後日11時からだ。彼女の方は大丈夫かな?」

「はい、それは」

「それと二人への証書は君に預けるカタチで良いのか?」

「はい。それも二人から委任されています」

 

 そうして先生と別れた私は、趣味の倫敦散策を開始した。

 

 

 

 お買い物は、物資調達かトレジャーハントか。野菜・果物・お魚にお肉といった生鮮産品に、タマゴや牛乳にパンといった日配物(国を問わずどこのスーパーも、だいたいこの順で並んでいる)。

 食料であるなら物資調達と言えなくもないが、そこにより良くより安くといった付加価値を求めるのは人として当たり前だ。

 また家族構成や収入面で、この付加価値に求める内容が変動する。つまりはトレジャーハントの要素も多分にあるのがお買い物なのだ。

 そして今私達は、ローズボールの衣類のエリアでゴクリと唾を飲み込んでいた。目の前はお宝の山だった。

 

 ドドドドドッ!

 

「おい! お前ら走んな! チッ……しゃあねぇなぁ」

 

 一応、モードレッドの諌める声は耳に届いている。だけど、センスのいい人がセレクトした古着や新しい服、靴に帽子、バッグに小物……これらを目の前にして理性的に振る舞える女の子はいない。

 1500年前の価値観しか持っていなかった彼女でも、最近は衣類にこだわる。だからなのか段々と目の色が変わり、自分向きなのを素早く引っ掴んで私やエルに見せていた。

 違うお店からも掴んでくるので、返しにいったり支払いが大変だ。だけどそのお陰でトップはここのお店、アンダーはここのお店といった具合にコーディネートが決めやすかった。

 広い広い駐車場に、ひしめき合って色んなお店のブースが見渡す限り続いている。そろそろ手の荷物がどうしようもなくなってきた。

 エルの宝具に取り込ませたくとも、余りにも人の目が多過ぎた。なので一度クルマまで戻って荷物を置いた。今回はダコタだけでなくタコマも出している。

 それはミアータさんとモニカさんの『二人』にプラスして、昨夜電話して了承を得た、預かっているお子さん達も連れてきているからだった。

 今まではどちらかが、大型の礼装が設置されている家に残らなければならなかった。だけどタコマに設置された新型の礼装は、こうやって二人並んでショッピングを楽しむ事を可能にしていた。

 しかもオプションのエクステンションをバッグかポケットに忍ばせれば、その行動範囲がクルマを中心に半径2kmまで延伸された。お祖父様、やるね。

 霊脈を引き込んでいる家と礼装があれば半永久的に生きられる、別荘や別宅のハウスキーパーに特化したホムンクルスであるお二人。

 三大欲求はある程度抑えてあるとは思うけれど、日々の生活に『娯楽』は欲しい。読書や映画鑑賞などで満足できる内向的な性格であるならともかく、そうでない場合だと残される方は堪ったものじゃない。

 そしてその役目は常にモニカさんだった。お祖父様もこれはいかんと考えたのだろう。クルマという礼装運搬装置は必要だけど、タコマの礼装は見事だと言えた。

 

「ファッション(娯楽)とは魂の容(カタチ)ですよ。『似合う』か『似合わないか』の前に、そういう愉悦もあるのだと『識る』事。そこが女性として問われるべきところなんですよ」

「オレに言ってんのか!?」

 

 本日のモードレッドのTシャツには漢字でびっしりとこうあった。『力拔山兮氣蓋世 時不利兮騅不逝 騅不逝兮可奈何 虞兮虞兮奈若何』と。

 うん。エルがモードレッドに言いたい事がわかった。そのTシャツは何の自己主張なのだと。あなたは『項羽』なのかと。そもそもどこでそんなのを手に入れたのだと。

 色香でなく武力で国を傾けた、セイバー似の美人。本当だね。漢字だとどう表現していいのかわからない子だ。

 

 

 そうして会場に戻ったところで声が掛かった。

 

「ハ~イ!」

 

 マリーさんだった。ミアータさんも嬉しそうだが、それ以上にモニカさんが嬉しそうだった。残していけないので連れてきた子供達も嬉しそう。だってそのスタッフの中に、折角の休日なのにママを手伝っているパパさんも居るからだ。

 自己紹介で教えて頂いた名は『武志』といった。年の頃は30台半ばだろうか。こんな暑い日でも半パンでなくきちんとチノパンを穿き、Tシャツやポロシャツでなくボタンダウンと合わせている、オシャレで爽やかな人だった。

 美人のマリーさんにお似合いの旦那様だと思った。

 私達はマリーさんのところでもお買い物を楽しみ、その後アクセサリーのブースを廻ってから家に戻った。今日はお姉ちゃんも居るからか、男の子達もいい子にしている。

 ご褒美に好きな食べ物を聞いて、帰りに薦めてくれたお店に寄った。入ったお店はタコス屋だった。大手チェーンでなく地元の小さなお店。

 

「タコスも美味しいけれど、ここのファヒータがオススメです」

 

 ユリというお姉ちゃんが教えてくれた。リリィが愛称なので漢字だと『百合』なのだろうか。トーマスと呼ぶのも面白いかなと教えてあげたら驚いていた。

 ちなみに弟達の名は、上の子がケンで下の子が本当にレツだった。『健』と『烈』かなと思いつつも、もうひとつ謎だった。というのはこの二人は漢字が書けないからだ。

 

「どうしてトーマス? なんで男の子の名前なんですか?」

「漢字で書けば『十升』だからですよ」

「え?」

「『百合』をユリと読まず、日本の尺貫法に照らしてヒャクゴウと読み替えるんです。そして単位を置き換えると、十升になるんですね。そしてその漢字はジュッショウやジュウマスだけでなく、トマスとも読めるんですよ。ま、その場合の漢字は十枡でしょうけれど」

 

 サラサラとメモに描いて見せてあげた。興味が湧いたのか子供達が覗き込んでくる。

 

「この木の字がある方はどういう意味ですか?」

「木で作られた四角い器です。これでお米を量っていたんですね」

「ああ、パパが持っているお酒の?」

「の、大きい方です。一辺5.9インチはありますよ」

「あ、大きい」

「でしょう? 普通、祝い酒で配られる枡は一合枡ですからね。一辺約3.35インチですよ」

「ああ、そのくらいの大きさでした」

 

 弟達もお姉ちゃんをトーマス、トーマスとからかわず、尺貫法を珍しがっていた。ヤード・ポンド法に慣れ親しんだが故の珍事だ。そういうのでいいから、自分のルーツを忘れないで欲しいと思う私とエルだった。

 

「リリィはパパのお酒の100杯分なんだ?」

「一升瓶10本分ですからね。そりゃ、多いでしょう」

 

 この一升瓶はお家にあるのか、子供達は皆んな驚いていた。

 

「このファヒータってウマいけど量が少なぇなぁ」

「今夜のパーティでいっぱい食べてください」

「おう、アンガトな」

 

 子供とすぐに仲良くなるモードレッドだった。

 

 

 

 翌々日、僕達はブラジルを発ち、メキシコシティで乗り換えた。目指すはハリスコ州のグアダラハラ市だ。メキシコ第二の都市であり、スペイン統治時代の面影を残す歴史的建造物が残る街だった。

 到着したのはドン・ミゲル・イダルゴ・イ・コスティージャ国際空港。まず覚えられない空港名だった。グアダラハラ市からは南に6kmほど離れているが、視察地はこの空港に近い。なので事前に空港前のホテルを取ってあった。

 

「フンボルト、ホテルに入ってからでいいんだけど……」

「なんだい? シロウ?」

 

 サンパウロから少し思い詰めている時があった。とうとう飛行機ではリンとの会話も最小しかしていなかった。

 

「うん……相談がある」

「わかった」

 

 いよいよか……。彼は基本バカではない。物知らずなだけだ。一ヵ所に止めず、何ヶ所も回ればその内気付く。彼を襲った理不尽な出来事は、世界を見渡せばどこにでも起きる事だと。だけどこの時は僕がバカだった。

 

「リン!」

「遠坂!」

 

 重いケースを引きずって、リンが一人で道路を横断しているのだ。パパパパと軽いエンジン音。僕が動く前にシロウが走った。間に合うか!?

 リンに迫る二人乗りのバイク。銃は持っていなさそうだが、後ろに乗っている方は操縦者の影で手元が見えない。

 

「シロウ! ナイフだ! 後ろのヤツがナイフを握っている!」

 

 リンのショルダーバッグを切って盗むつもりなのか。ああ、リンは何で先にスタスタと……間に合わない……!

 するとシロウは何のためらいもなく、どでかい剣を魔術で出現させ、それをバイクに向かって投げた! 前輪が消し飛び、バイクが転倒した。

 そこでやっとリンが気付き、何かの詠唱を唱えた。

 

「シロウ! 破棄して! 投影するならもっと小さいの!」

「わかった!」

 

 だけどその判断は甘い。ズッコケて擦り傷だらけの二人は見ていると滑稽だが、ズボンの中から既に銃を抜いている。アドレナリンがガバガバ出ているのか目が血走っている。この状況は実にまずい。

 1つ、何事かと通行人の目線がこちらに集まっている。2つ、アイツラは本気だ。金をバラ撒いて、それに気を取らている間に逃げるか? そんな時間が残されているか?

 そして後ろに乗っていた男が引き金に指を掛けた。距離は10mもない。身構える僕達……。耳に届く銃声。目は固く閉じられ、筋肉は思いっきり縮こまる。

 彼らより年長な僕でも、リンに覆い被さるのが精一杯。実際は身体半分も隠せていない。なのにシロウは僕ごとリンを突き飛ばしてこう言った。

 

「遠坂! フンボルトを頼む!」

「シロウ!」

「士郎!」

 

 左腕から血を流しながら、シロウが相手に向かって行った! 撃たれているのか!?

 だというのに……痛くないのか? 怖くないのか? 彼は一人で銃を持った男に肉薄し、ナイフを握った拳で顎を殴り飛ばした。棒のように硬直して倒れる相手。

 受け身も何も出来ていない。男はアスファルトにしこたま顔面を打った。そして隙かさずもう一人の男に向いた……。

 けど、そいつはとっくに昏倒していた。覆い被さる僕の脇からリンの指先が伸びていた。

 

 

「リン、君が魔術師なのは知っていたけれど、ガンドを使えたのか……?」

「ええ。宣伝するものじゃないからね。今まで詳しく話さなかったけれど、こう見えても鉱石科を同率首位で卒業してんのよ」

 

 時計塔で学科首位だって? 同率の相手が居たにせよ、法政科以外の十二学科での首席って、エリート中のエリートじゃないか?

 

「君はそこまでの……」

「そりゃ、ロシアじゃ英霊がパカスカ居て、そいつらに引けを取らない化け物クラスの魔術師ばかりだったからね。これでも士郎の師匠なのよ?」

 

 そうだったのか。あまりズケズケ聞くのもどうかと質問を控えていたからなぁ。『聖杯戦争』という、よくわからない儀式の勝者であるらしき事と、シロウの生い立ちなどはリポートで見ていたけれど……。

 ともかく僕はシロウに声を掛け、3人でそそくさとその場を去った。後ろでサイレンが鳴っていたが無視を決め込んだ。厄介事は背負い込みたくなかったし、何よりシロウとリンの魔術を話せない。

 

「まぁ、大丈夫でしょう。勿体ないけど、結界に宝石一個使ったし」

 

 リンがシロウの傷を魔術で治療していた。歩きながらだから器用なもんだ。ぐるっと迂回して、誰も後を付けていないのを確認してから僕達はホテルに入った。

 

「アイツラ、何が目的だったんだ?」

「そりゃ、お金でしょうよ」

「リン、違うよ。シロウが聞きたかったのは、その金で何を買おうとしていたのかだよ。だろう、シロウ?」

「そう、そこなんだ。家族にメシを食わせたいって言うならまだわかる。だけどアイツラは……」

「そうだ、ヤク中だ。麻薬を買う金が欲しかったんだと思う」

「やっぱりか……」

 

 シロウはブラジルで気付いたらしい。貧乏のどん底で明日が見えない毎日。それを忘れようと思えば酒かクスリだ。スラムであれば……貧民であればあるほどクスリは蔓延(はびこ)る。

 

「さっき相談したかったってのはこれかい?」

「ああ。あのサンパウロに近いファヴェーラ……皆んなが通りに居なかったのは……」

「全員が全員とは言わないけれど、その要素は多分にあるね」

 

 それで僕は部屋の中で、南米と中南米が置かれた現状と麻薬禍の事、そして今いるメキシコの情勢と国家の位置関係などを説明した。

 

「お隣が貧乏で同じ境遇なら仲良くなれるチャンスはある。だけど、お隣の家は大金持ちの上に力持ちだった。羨ましい、恨めしい、妬ましい……子供の頃から盗みを働かないと生きていけない環境で育った者には、色んな感情が渦巻くだろう事は予想できるよね? ブラジルよりも周辺国の方が治安が悪いのはそのせいだ。そして富める国アメリカのお隣となったメキシコは言わすもがなだよ」

 

 シロウが僕をジッと見た。

 

「一時の感情に流されるなよ? 君が子供や若者になけなしのお金を恵んでも、その多くは親や年上の兄弟が巻き上げクスリ代に消える。では、現物支給だとばかり炊き出しなりをしても、それも一時の腹を満たし少々の自己満足を君に与えるだけで、根本的解決には至らない。そういう援助は難しいんだよ。中南米だけではない。南米もそうだし、アフリカもそうだ。ならばと簡単に教育とも言えないんだ」

「何故さ?」

「それは親や兄弟が居るからだ。悪いお手本が身近に居るからだ。極端な話しだけれど……親や6歳以上の兄弟を全員隔離して、5歳以下を再教育する以外にそういう途上国を再生させる道はない……とまで、僕は思っている」

「そんなの酷いだろ!?」

「酷いよ? けど親や兄弟の影響って、余りにも大きいんだ。それを……君が否定できるか?」

「う……」

「安心していいよ。僕だって本当にそんな事が出来るとは考えていない。でもね……農作を教えて、井戸を掘って、農業を教えても失敗するのがアフリカ諸国だ」

「それはどうしてだ?」

「我慢が持たないんだよ。作物の芽が出る前に何かを食べ、井戸を掘る時間があれば数十キロ歩いて水を汲みに行く。そうしないとその日が生きていけないからだ。そして国どころか民族、いや、部族か……。それが異なるだけで文法からして異なる言語の壁。それがアフリカでの教育を難しくしている。南米はその点でマシだと言えるだろう。ブラジルと幾つかの島を除けばほぼスペイン語なんだから。それでも牧場や農場を持つ者と小作で細々と生きる者とでは、受けられる教育の質や時間も異なってくる。貧困は貧困を生むという悪連鎖から抜け出せないんだ」

「だけど!」

「士郎? フンボルトはとってもわかりやすく話してくれている。日本だって士農工商という階層から零れ落ちていた人達が居た。それは幕府が倒れ明治になっても大正になっても残っていた。表向きは消えたようでも、100年過ぎた今もその風習は地方だと残ってんのよ?」

「そう。だから自立を促し助言を与え、内部からその人達の持つパワーで変えて行くしか無いんだよ。そして支援する側にも、そういうのに適しているかどうかという才能がまた必要なんだ」

「え?」

「だから、何年も海外で生活できる人間が居るのか? 学問以外に道徳などを説ける人間がどれだけ居るのかって話さ。仮にだよ? 仮にシロウがある国に残って、マシな労働環境の雇用を創生できたとしても、この国も周辺国もアフリカ諸国も国家そのものが貧相過ぎるんだ。その日の国民を守りきれない。つまりこのメキシコの場合だと、頭の回るヤツはあくせく働くよりクスリを売る方が儲かる。そしてそれが新たな雇用を産み、末端にまでお金を行き渡らせている部分もあるんだよ。皮肉な事にね」

 

 貧乏な国家の中にも貧富の差があり、カーストとも言える身分構造がある。それを取り払わないとどうにもならない。だけど取り去ると国は停滞する。飢えて死んでいくのは最下層からと決まっている。

 では富を集める最上層を追い払えば良いのか。まともな教育を受けていない者が、何千万もの人々が集う国家を経営できるはずがない。道徳心が未熟なら新たなるカーストが出来るだけだ。

 

「今のシロウがどこかで留まれば、その国はジンバブエのように破綻するかもな。大望を懐くも良し、それに向かって行動するのも良しだ。けれど、もっと勉強しろよ。今のままだと何も残せない。今のままだと単に自分の『ユメ(理想)』を押し売りするだけのイタイやつだ」

 

 悪いなと思いつつ言ってしまった。だけどシロウは一切反発的な目を見せなかった。ただ……『押し売り』という言葉に大きく目を開いていた。何かが変わりつつあるのかも知れない。

 

 

 

 私はバゼット達を後部座席に乗せ、シナロアのクリアカン目指しクルマを走らせていた。当然、道中で目に入る周囲の景色にも目を光らせていた。

 途中数回クルマを止められた。高速道路であるにも関わらずだ。ギャングなのかチンピラなのか、そこはどうでもいい。要はクルマを寄越せ、或いは金銭を置いていけだ。

 当然、私もバゼット達も手加減はしている。しかし彼らの後半生に欠かせぬものが、ベッドになるのか車椅子になるのかまでは考慮しなかった。

 

「これまでの悪事で年金分は十分稼げたでしょう? 今日限りリタイアなさい」

「他人を襲う限りは、反撃されるリスクもあるという事です」

 

 華麗なステップで亜音速の拳銃弾を躱し、ルーンの掛かった拳で相手の腕を殴り潰す。当然拳銃など持っていられない。運が良くても肘はひしゃげ、肋骨ごと粉砕だ。

 運の悪いヤツは自分の肘から飛び出た骨で内蔵が切り裂かれていた。

 そんな事が数回あり、最初の銃撃でメキシコシティで買った中古のツルがパンクした。なので襲われるごとに、アイツラが乗っていたクルマに乗り換えている。

 3組目を倒すとクルマはとうとうフ◯ードのF-150になった。どこの長者だ。とは言え、4ドアなので都合がいい。燃費は悪そうだがな。

 

 何故メヒコに、こうまで犯罪が多いのか。これは義妹と何度か話した。結論は諦観だった。現代のメキシコには南米に残るようなネイティブは居ない。ほぼ全員が、僅かなスペイン人と犯されたネイティブの娘の子孫だ。

 だから生への執着はあるのに、どこか醒めている。死を許容しているし、死を滑稽なものとして見下してもいる。つまりは矛盾だ。

 この歪(いびつ)な矛盾が、ラテンらしい陽気さと、苛烈な拷問などの残忍性となって現れている。他民族の……ごく少数の権力者に虐げられた記憶がある民族は、犯罪に手を染めた時、決まって残虐な行為を厭わない。

 それは誰よりも反逆を恐れているからだ。やり返される事、再び隷属させられる事を恐れている。その恐怖心が子々孫々の血に脈々と流れている。それがエルの見解だった。

 

『その証左がパエリアにある気がします』

 

 知っていると思うがパエリアはスペインのバレンシア地方、その北部の農村から広まった鍋料理だ。なので本来はピレネーの山で穫れる獣肉と山菜を、米と炊き合わせた料理だった。

 それが漁港のある村や街にも広まり、今の魚介を乗せたパエリアなどが広く知られるようになった。

 そしてその米はかつてバレンシアに進攻したアラブ人が、稲作とともに残したジャバニカ米を使う。ジャバニカ米は日本の米、ジャポニカ米と同じ短粒種だが、吸水性がよく味が滲みやすい。なのに粘つきが弱いという特徴を持っている。

 なのでこの米はイタリアでリゾットとなり、スペインではパエリアとなって今も人々に愛されている。欧州人が口に運ぶ米は決まってこのジャバニカ米だった。

 ちなみに『パエリア』とは『フライパン』という意味なのだとか。語源はラテン語で『開いている』ことを指す『パテオ』や、『浅い皿』を指す『パテーラ』が変化したものらしい。要は調理器具がその料理の総称となった。

 これは日本の『鍋』という概念に近いものだ。その思い入れも含めて。ところが南米や中南米に行けばわかるが、レストランのメニューにパエリアがとても少ない。

 仮にあったとしても、取り敢えずメニューに載せましたといった具合で思い入れがない。トウモロコシを主食用の原材料にしていた背景がネイティヴにあるので、ジャバニカ米が馴染まなかったのだ。

 いや、タコスやブリトーには使われているので、パエリアという料理法が馴染まなかっただけと言えるのか。ともあれそんな事を私は義妹に教えられた。

 私も中東に長く居たので、ビリヤニ(インドから渡ってきた炊き込みご飯)、カブサ(サウジアラビアの肉が乗った米料理)、マンディ(カブサのイエメン版)※)なども作っていた。

 

※)違いは調理法にあって、専用の調理用穴オーブンでご飯と肉を一緒に作るのがマンディでカブサは米とメインを別々に作った後乗せだ。海南鶏飯やカオマンガイも本来は後乗せだが、鍋や炊飯器で一緒に炊き込む方法がる。マンディはそれの専用オーブンを使うものと思えばいい。大きな穴オーブンだと羊を丸ごと一匹、米ごと調理できる)

 

 バレンシア地方でのパエリア鍋は、大阪のたこ焼き器以上の普及率でほぼ全家庭にあるという義妹の言葉に興味を惹かれ、手頃な大きさのパエリア鍋(本場バレンシアの Vaello Campos 製だ。El Cid も有名らしいが私は持っていない)を入手し色々試した。

 そしてわかった。こいつはやはり屋外調理で使うのが本来のあり方なのだ。El Cid と違い、Vaello Campos は柄も全部鉄だ。

 火の上に金属の井桁を組み、そこにパエリア鍋を置く。農作業中にじっくりと時間を掛けて作る。それが本来のパエリアだ。

 何でも鍋一つで作る中華と、どこか似ていて似ていない。野外での中華鍋は意外と使い勝手が悪い。ところがパエリア鍋だと鍋としても鉄板としても使え、大きさにも拠るがオーブン皿にも使える。

 特に大きなものならパーティにも向いているだろう。これは意外な発見だった。蓋が用意できるなら餃子も焼けるし、アクアパッツァも作れる。ピザやハンバーグは当たり前。野菜炒めも焼きそばやお好み焼きに回鍋肉も、グラタンもドリアも、なんでも作れる。

 しかし、よく油に馴染んだ(育てた)パエリア鍋での鍋物はお薦めしない。関西風のすき焼きならギリギリありだが、関東風だと厳しい。つまりおでんも無理だし、湯豆腐なんて最悪だ。

 やはり鍋は一つと言わず、料理に拠って使い分けられるよう幾つも用意すべきだろう。せめて焼き物は焼き物用、煮炊き物は煮炊き物用と使い分ける事をお薦めする。

 

「アーチャー、街が……?」

「ああ。始まったようだ」

 

 眼前の街のあちこちから黒煙が登っていた。

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