メヒカル-ティファナ間のハイウェイはフェデラル・ハイウェイというらしい。観光客価格なのか、料金はペソでなくドルで105ドルもした。
「高いなぁ」
「内陸に入る唯一の道だからな。これがバハのエンセナダ方面へ向かう1Dだと無料になる。エンセナダから3号を通って、メヒカリに迂回する手もあるが、その時間が馬鹿らしい。意外だろうがティファナからメキシコシティまでの距離は、ロスから、ミズーリのカンザスシティまでの距離と変わらん。つまりアメリカ横断の2/3を移動したのと変わらんのだよ」
本当に意外だ。
「メキシコもそれなりに広いぞ? ブラジルなんてアメリカの次に広くてな。実はオーストラリアよりも広いのだ」
国別面積の広さの順は1位がロシア、2位がカナダ、3位が中国、4位がアメリカ、5位がブラジル、6位がオーストラリアで7位がインドだという。海外領土を含めると3位と4位が入れ替わるらしい。
ではメキシコはというとこれが13位で、12位のサウジアラビアよりやや狭く、14位のインドネシアより少しだけ広い。インドネシアって島だけだろうと思ったら、その総面積はこれまた意外にも広かった。
ただ、あれだね。メキシコはスペインに翻弄され、インディアンに悩まされ、アメリカとの戦争で領土を奪われ……トコトンついていない。
カリフォルニアからテキサスの一部までが元は領土だったから、その頃の国土面積はもっともっと広かったろう。
なお、ヒスパニッシュとはスペイン語を話す者という意味で、不法移民を指すのではない。元々戦争で取ったアメリカ南西部にはメキシコ系の人がそれなりに居たというだけだ。だからテクス・メクス料理などが浸透している訳だし。
次にアーチャーは国別の人口を教えてくれた。
1位は中国、2位がインドで、この二国は一国で10億以上の人が居る。3位はアメリカ。そして4位がインドネシア。3億越えと3億弱だ。
5位がパキスタンで6位がブラジル、7位がナイジェリア。この三国はどこも2億以上の人が居る。メキシコは10位で11位が日本らしい。どちらも1億2千万人くらいだそうだ。
日本の人口密度がヤバくないかと思いきや、この上を行く国家がもっとあって、ヨーロッパじゃベルギーとオランダの密度が高く、オランダはインドより過密なのだそうだ。
それよりも過密なのが韓国で、一応経済的に名の通った国でこれ以上過密なところはないそうだ。ではメキシコはと言うと、これがアラブ首長国連邦やリトアニアと変わらない密度で、アメリカはと言えばマダガスカルやジンバブエと変わらない密度で、むしろ過疎だろうとの話だった。
「テキーラの原料となる竜舌蘭とトウモロコシくらいしか作物も思い浮かばん。国土が広くとも砂漠ばかりではな」
アメリカにも砂漠はある。だけど山や森があって緑も多い。メキシコなんて砂漠というより禿山だらけだ。しかも国土のほとんどが高地になっていて、首都のメキシコシティは標高2300mと世界一高い首都だったりする。
聞けば日本も山と森林だらけだという。その分、人の生息域が狭く、住宅が密集している。その密度はこういう数値では現れ難いという。
「日本の住宅がウサギ小屋とは本当の事だ。広い武家屋敷で一人住んでいた身が言ってはならんのだがな」
ブケヤシキ?
「ブケヤシキって何だろうか?」
「わからんか……。昔サムライが住んでいた家だ」
「ナガヤ? カサハリしてたのか?」
アーチャーが苦笑した。
「ククク……頼めるか、衛宮士郎?」
「あ~……なんて言えばいいんだ……」
そこからシロウとリンの説明で何とか理解した僕だった。クルマはいつの間にかティファナの市街に入り、とある交差点の端で止まった。
「ここでお別れかな?」
「いや、だいたい掴めた。この後は私もマスターとアメリカで合流せねばならん。何ならこのまま目的地まで送ろう」
少し怪訝な顔をしたのはシロウだけで、リンも僕も反対はない。次の目的地がカリフォルニアのサンフランシスコ近郊だったし、何よりエルヴァに会いたかった。
そしてアーチャー達の目的地もサンフランシスコだった。
ただ時間が時間だし、長時間の移動で皆んな疲れていた。なのでティアファナで一人一泊550ペソのキッチン付きモーテルを二つ取った。バゼット達とリンが一部屋、僕とシロウとアーチャーとで一部屋だ。
歓楽街に繰り出すようなメンバーでもなかったし、それっぽい食べ物とビールがあれば十分だった。だから食事だけは皆んなで楽しもうと決めた。
それで自分達の部屋にそれぞれが向かう時、残ったリンがリクエストを出した。
「私、軽いサラダが良いわ。動いていないから何かダルくて」
「わかった。衛宮士郎、買い物に付き合え」
「なんで先に返事をするんだ?」
「む? ああ、リンはお前に言ったのか……。ついな。いよいよ、私も呪われてきたな。お前も気を付けろよ?」
「アーチャー! ムカつく~~~~!」
シロウはアーチャーと出て行った。このやり取りの意味がわからない。ただ、ここに来て随分と疲れた顔をしていたリンがシャッキリした。
「どういう元気付け方よ」
「どういう事だい?」
「ま、まぁ……こういうのはプロフィールに載らないか。ある種のクセというか……要は代々の遠坂家当主は、ここぞという時に『うっかり』ミスをやらかすというのがあってね……。アーチャーはそれを皮肉っていったのよ」
これは驚いた。彼女の家にはそんな呪いがあるのか。
「魔術師は特殊な人間の集まりだから、多かれ少なかれこういうのはあるんだけどね」
「それは聞くね。けれど、君を元気付けるためとはいえ、少々酷いね?」
「元々……いや、そうとも言えないのか。私の知っているアーチャーとは違うんだし。敢えてそういう言い方をしたのかな?」
「さぁ、どうだろうね。だけど君の意識を逸らす意図があった気がするな」
「あ、シロウだけを誘った意味ね?」
「うん。これはカンだけど、彼はどこかの『君』と、その聖杯戦争に出た経験があるんだと思う」
「あ……。生前でなくサーヴァントとしてって意味ね? そっか、だからどこの私も変わらないって言ったんだ?」
「そう、並行世界のお嬢さんに召喚される前にかなって、そう考えたんだ。それで多分だけど、聖杯戦争中にあっただろう細やかな事情というのかな? 心情とか思い遣りとか、そういう交流があったと思うんだ」
「まぁ、それはあったけど? 何が言いたいの?」
「つまり、そういうのを知らない僕は彼の対象外だった。だからシロウを連れ出すにあたって君に気取られない事が重要だった。この推理はどう?」
「ど、どういう事? まさかシロウを殺そうと?」
「ないない。逆だと思うよ?」
「逆?」
「今のシロウに教えたい事があるんじゃないかって意味さ。僕の予測だと……」
街の東部に多いスラム街だと思ったのだ。きっと小さな変化、シロウの中で芽生えた新たな感情を感じ取っての事だと思った。クルマの中でファベーラの事も話していたからね。
だけどアーチャーが向かった先はテント村だったそうだ。
メキシコに限らず中南米各国からアメリカに渡ろうとする人達。アメリカ側の入国審査に通らず、テントで暮らしている人達だ。
諦めてティファナで定住する人も居ると聞く。その場合は職を得ると同時にマフィアと関わりを持つ場合がほとんどだ。そこでアーチャーは何をシロウに見せ、何を語ったのだろうか。
そこはわからないけれど、買い物を終えて戻った二人はごく自然に会話をするようになっていた。
夜、出て来た料理はリクエスト通りのサラダと、フライドチキンだった。ドレッシングは当然シーザー・ドレッシングだ。チキンの下にはロメインレタスが敷いてある。と言うか、こちらはシーザー・サラダのアレンジだった。
このティファナには、シーザーズ・プレイスというホテル兼レストランがある。禁酒法時代にそこで生み出されたサラダとドレッシングがシーザー・サラダとシーザー・ドレッシングだった。
アメリカ国内は禁酒でも、ここティファナでは自由に酒が飲めた。当時はハリウッドの俳優や制作陣のスタッフがこぞって飲みに来ていたという。
「アーチャー、この野菜は何?」
「メキシコではアスパレーション、アメリカではブロッコリーニ、日本ではスティックセニョールという、ブロッコリーとカイランをかけ合わせて作った日本発の新種の野菜だ。日本以外ではメキシコとカリフォルニアで作られていてな。カイランはチャイニーズ・ケールだからわかるだろう? 滅多に見んのでついつい買ってしまった」
たしかにこれは欧州では見ない。サラダには他に茹でたブロッコリーやマッシュポテトにトマト、茹で卵も入っていた。そこに粉チーズ(本来はパルメザンでなくロマーノを削って振り掛けるらしい)が掛かっていた。
それで食欲が増したのか、リンはシロウが用意したタコス(作ったのでなくお店で買ったもの)にも手を出していた。だけどチキンは重いのか手を出さなかった。
逆に僕はチキンから逃げられなかった。旨過ぎる。何だこの味は? 初めての食感、鼻孔をくすぐるガーリックの香り。イタリアンではないし、アメリカンでもないな……何だろうか?
「フンボルトは唐揚げが初めてか?」
「え?」
「ニンニク醤油と少々の香辛料とで浸け置きし、衣を付けて揚げただけだ。つまり日本風の味付けなのだよ」
「この風味って、ソイ・ソース?」
それをテキーラみたいにライムとソルトで食べさせるのか。
「俺は鶏肉が安いんで驚いたよ。ブラジルは牛肉が安かったし」
「カリフォルニアに行けば、また牛肉が安くなる。鶏ならモモ肉がムネ肉より安い。日本とは逆転していてな。特売かと、つい買い込みそうになるぞ」
「そうなのか? へぇ~。あ、そうだ。アメリカの朝食ってパンケーキばかりなのか?」
「あのな? 日本でも米以外にパンの家もあるだろうが? 当然シリアルの家もあれば、普通にパンの家もあるし、日によって変わる場合もあるだろう」
「そっか、そりゃそうだよな」
「そうだな。カリフォルニアに行けば、アイホップに入るのも面白いかもな」
「アイホップ?」
「うむ。パンケーキのチェーン店だ。一度、あの死にそうになる甘さを試さん手はないぞ?」
「死にそうになるって……」
「砂糖の上に砂糖で、隠し味も砂糖だ」
「なんだそれ?」
「そうとしか表現できんのだ」
そのチェーン店は知らないけど、アメリカが砂糖漬けなのは有名だ。さぞかし甘いんだろう。
その翌日、僕達はアメリカに向けて出発した。アメリカへの入国審査で1時間強の渋滞を耐えなきゃいけなかった。その審査の列、これのメキシコ側が辛いんだ。
この渋滞の長い列の中でメキシカンの子供が花や人形やらを押し付けたり、つまらない手品を見せて小銭を稼ごうとしている。それらを窓を一切開けず、エアコンの効いた快適な室内でやり過ごす僕達だったからね。
「胸が痛くなるわね」
「同情は禁物だ。どの途、親かグループを纏めている者の懐を暖めるだけで、子供には一切残らん」
「そうだろうとわかっていてもね」
「私のマスターなぞ、撥ねろと言うぞ?」
「あんたのマスターはどういう人間よ?」
「後ろでふんぞり返って、私の頭を蹴ってくる。『守護者の仕事だ。さっさとゴミを処分しろ』とな」
それ、お嬢さんなのか!? 僕もシロウもリンも呆れた。
「それで撥ねるのか?」
「出来る訳がなかろう? 要は私をからかっているのだよ。裏返せば、そうやって心痛を緩和しているのだ」
そういう事か……。
「私も蹴って良い?」
「あのな……? そうだ、君向きな良い鬱憤ばらしがあるぞ?」
「どんな?」
「ラスベガスで魔術を使って勝ちまくる」
「ちょ!?」
「そしてギャングが出てきたところで、全員ノす。更にそのノシた相手をスチールやビデオに撮影し、裏の世界でバラ撒くぞと脅す。ついでにギャングが呼んだ不正警官をもノす」
おいおい。
「それ、あんたのマスターが?」
「まぁな。でだ、そうやって得た金で食料を買い込み、人を雇い始めた。最初は数ヶ所だったな。やがてそれが世界中に点在する、スラムで行われる大規模な炊き出し運動に変化した」
う……それは。リンもシロウも困った顔をしている。
「アサシンを使い、魔術を使い、カジノや公設賭博に高額ロット(宝くじ)で荒稼ぎだ。本人は正々堂々と偽善と言い切っとるよ。何故なら、そこで買い付けられる食品は、全部彼女が経営する会社の商品だからだ。またその第三者を使った企画に会社側からもタイアップしており、炊き出しなどの記録映像をCMなどで流している」
「やらない善よりやる偽善と言うけど……それって……」
「またそのCMの効果が高くてな。新商品が次々ヒットするのだ。だが善行の部分が光るので、マッチポンプとも言えん。今や、彼女はグループ内他社を参画させ学校を建てたりもしている。それで救われた人達の人数は累計で……私やジイサンが救った人々の人数も、殺めてきた人の人数をも軽く凌駕している」
隣りにいるシロウの目から涙が流れていた。僕も感動しているが、同時にどうにもこうにも煮え切らない感情が奥底で渦巻いてもいた。
自己分析するにそれが一見無謬に見えるからだ。冷静に考えればやはり偽善であり商業主義だ。なのにその効果は……。
「それだけに今回の現象が気になるのだよ」
どうやら、彼のお嬢さんは『私以外の何者が?』と気になったらしい。とは言え、この規模は人間だと無理だ。やはりアーチャーが推測していたように『世界のシステムに介入した』としか思えない。
やがてクルマはサンジェゴに近づき、カーラジオからは英語の放送が入って来た。そして僕達は腰を抜かした。何とドイツを発ってから1ヶ月も経っていたのだ。
なので一度市内のセ◯ンイレブンに入り、新聞を買った。確認のためだったが間違いなかった。8月の終わりに出たから、9月の第一週末にはブラジルを出ていた。つまりメキシコに入ってからの時間が可怪しいのだと言える。
「あのモヤのような中に入ってからだろうか?」
「知覚できる範囲はな。おそらくは、国境を越えた段階で緩やかに時間が狂っていたのだろう」
「そうね。相手に気付かれないようにするなら、そういう二重三重構造の結界にするでしょうね」
二人のバゼットも頷いた。彼女達はルーンの達人だという。なのに違和感はリンほど感じなかったらしい。きっとこの中で一番感じていたのがシロウとアーチャーだろう。アーチャーが公衆電話を掛けていた。
「どこへ?」
「マスターの携帯電話にな。やはりだ」
「やはりって?」
「とっくに幾つかの仕事を終えて、今、ロスに居るらしい。ロスに行くぞ」
僕達は慌ててクルマに飛び乗った。
マリーさんの家は隣街のアーバインだけど、街外れにあって、ハンティントンビーチから子供の脚でも十分歩いていける距離だった。お祖父様の家は別格としても、この辺りとしてはそこそこ大きな家だった。成功してるなぁ。
私達はご夫妻にご挨拶して、モニカさんがお土産のお肉とソーセージを渡した。
案内された裏庭には組み立て式のプールが出ているが、それでも既に集まっている20数名のバーベキュー・パーティが開ける広さは十分にあった。
共働きとは聞いてるけれど、マリーさんの旦那様は大したものだ。ベンチもテーブルも全部手作りっぽい。話に聞いた石造りのバーベキュー・グリルはその流れなのだと思えた。
壁に立て掛けられている4台のキックスケーターがいい味を出している。
挨拶を交わす先客は、ほとんどの人が大人だ。しかも人種がまちまちで、ネイティブかメキシカンか判別のつかない人や、アフリカン・アメリカンも居る。
キッズも数人いて、その中の高校生くらいのアフリカン・アメリカンの血を引く女の子がご夫妻を手伝っていた。その褐色の肌は私よりも濃く、クリクリしたアーモンド型の大きな目、そして後ろで纏めたコーンロウズ(ドレッドヘアの一種)が印象的だった。
身長は170cmくらいだろうか? 唇がそこまで厚くなく、顎は細い。鼻は高くスッと真っ直ぐで、小鼻は広がっていない。相当混血しているようだ。だけどおでこが広いなぁ。
私やエルも混血だけど、おでこが狭く鼻がやや低い。それと髪質で前髪が勝手に浮くのが困ったところだ。
姉の『イリヤ』以外の『イリヤ(巫女の姉や小さい方の姉)』は、髪の色が母親と同じなのが密かな自慢なのだけれど、姉の『イリヤ』自身は私と同じように前髪が寝グセのように立つのが嫌だと言っていた。
無いものねだりは人の常だけど、私はそのエキゾチックな美人に目を奪われた。誰だろうと思っていたら、モニカさんが教えてくれた。
「リリィの友人のケティのお姉さんで、名をケリィといいます」
父の愛称と同じなのも面白いが、妹のケティは純然たる白人でご両親も白人だった。アメリカはアダプション(養子縁組)が多いと聞く。ケリィもそんな中の一人だったのだ。
「なるほど。白人にアブダクションされたと」
エルが耳元で囁いた言葉を、私は最初数学用語と思った。ディデュケーション(演繹)、インデュケーション(帰納)、アブダクション(仮説形成)のあれだ。何かと単語を勘違いしたのだと、そう思っていた。
だけどエルはUFOのそれで使っていた。白人夫妻が黒人を引き取る……その難しさや、これまでケリィにあったであろう困難を想像しての発言だったのだ。
私達はその量こそ異なれ、それぞれが『エル』の記憶を持っている。『エル』も養子だ。そして私達は再度、この世界のお祖父様の養子となった。
エルヴァちゃんの事もあるし、日本にはエルヴァが居る。その事で思い悩んだ時期もあったし、日本の家族やかつての家族を思い起こせば今も胸が痛くなる。だけどその痛みが和らぎつつある事を感じてもいた。
エルのそれはそこからの発言だったようだ。だけどそれは杞憂だった。ケリィはとても明るくお手伝いをし、親しげにモニカさんやミアータさん、それに私達に挨拶してくれた。マリーさん夫妻とも仲が良さそうだし、周囲の列席者からも親しまれていた。
カリフォルニアだなと思った。彼女のそれも、幸せなケースだったのだ。
「あ、パークで上手だった人達だ?」
ケリィもスケートボードをやっていて、あの日パークに居たらしい。そこから親しく話すようになった。彼女は現在、地元のハイスクールに通う16歳だった。
妹のケティだけでなく、リリィやケンにレツの姉弟の面倒も長年みていたそうだ。その関係でモニカさんやミアータさんとも仲良くなり、時々庭のお手入れなどのアルバイトを頼んだりもしているそうだ。
アインツベルンのメイドが他者にアルバイトを頼むって驚きだが、アメリカン型(敢えてそう言おう)は現地に即している。それも高度に。そこがお祖父様なのだろう。
今回モニカさんがケンとレツを預かったのは、いつもなら子守のアルバイトを頼むケリィに、このパーティの下準備を既にお願いしてあったかららしい。
だけど、この夏はケリィが新しいアルバイトを始めていて、子守を全然頼めなかったという。それでモニカさんが度々預かっていたそうだ。
ちなみにアメリカの中産階級以上は、子供だけで留守番させる事はない。また州によってはローティーンの子を一人で置いていくと法律違反になる。
つまりケンとレツの面倒を誰かがみないと、リリィは習い事にも遊びにも行けないのだ。そんな背景を知れば、確かにメイド向きの仕事ではあるけれど、モニカさんがという前にアインツベルンがと考えてしまうと、これも首を捻るところだ。
ケリィにアルバイトの内容を聞いてみた。
「ホットドッグを売っています」
「ホットドッグを?」
夏のアイスクリーム売りとベビーシッターは、ミドルティーンやハイティーンが選ぶアルバイトの定番だけれど、この2000年代のカリフォルニアでは珍しいのではないだろうか。
「はい、珍しいですよね。それにハンティントンだとバーガーが普通でしょう? なので『敢えての』ホットドッグ売りですよ」
なるほど。狙ったのか。
「レシピはタケシに教えてもらったのよね?」
「はい、ジャパニーズ式です」
マリーさんの助け舟だが、ジャパニーズ式ホットドッグとは何だ? ちゃんと聞くと、正確には関西式ホットドッグ、それのアレンジ版だった。今、彼女は鉄板の上で刻んだレタスを炒め、カレー粉をまぶしていた。
本当はキャベツらしいが、それをナイフで開き、減塩バターと味の薄いマヨネーズを混ぜたソースを塗ったパンに敷き、焼いたソーセージを乗せて完成。
お好みでケチャップかチリソース、そしてマスタードを掛ける。皆んながそれを1本ずつ頂戴していた。
「No PHOsですから」
トランス脂肪酸でなく、製造工程で出る部分水素添加油脂の多い食材を避けている事を謳っているのだ。この後、飽和脂肪酸の事も彼女は話していたので、かなり勉強しているようだ。
どれだけ三度の食事に気を使っても、アメリカの甘いお菓子パクパクだと、昨今問題となっている中高年の心臓疾患は避けられない。
ケリィはそれを何とかしたいと考える女の子なのだった。
開始の合図などない。いつの間にやら、とっくにパーテイは始まっていた。グリルにはタケシさんが下味を付けた肉が既にセットされていた。地元のビール(805とか)を片手に皆んな何かしら摘んでいる。
そして揃って皆んなケリィのドッグを褒めていた。納得だ。この夏は、さぞ儲かった事だろうと思う。ソーセージにカレー粉と来れば、私とエルはカリーブルストを真っ先に思い浮かべる。
そこにシャキっとしたレタス……何と炒めたレタスとは別に生のレタスも挟んである。経費削減のためだろう。これは見事だ。モードレッドは両手で1本ずつ掴み交互に食べていた。
「モードレッド、はしたない」
「言うなって。片方は違うものだぜ?」
何だと思えば、片方はソーセージでなくハムだった。
「僕は学生時代、大阪のとある男子校に通っていてね。その近所に老夫妻が営んでいるパン屋があってさ。そこの定番メニューがホットドッグとジャーマンドッグだったんだ」
マリーさんの旦那様のタケシさんが教えてくれた。
「それが変わった名付け方でね。そのジャーマンドッグがいわゆるソーセージ入りのホットドッグで、ホットドッグはこんな風にハムだったんだ。それもさ。知っていると思うけれど、成形されたスライス・ハムだったしね(※)」
※)ハムという言葉は、ハムストリングスのハムと同じで、本来は太もも肉を指す。なのでオリジナルは豚の後ろ足を骨付きのまま乾燥加工したタイプ(生ハム。プロシュットやハモン・セラーノなど)だ。その生ハムを燻製したものをラックス・ハム(シュヴァルツヴェルダー・シンケンなど)と言い、加熱したハムとは明確に区別されている(スペインでは加熱ハムの中でも、煮たものを更に区別する)。つまり西欧でのハムは、ボンレス・ハム(ボーンレス、骨なし)であっても、先になると細くなる。それが普通なのだ。
ところが日本に来ると、巨大なソーセージをスライスしたかのような形の揃ったハムがほとんどだ(とうとう近年は小分けのパック商品が主流になってしまった)。この巨大なソーセージ・タイプはドイツやアメリカにもあって、ショルダーやロースなど部位で分かれている。だけど日本のもののようにそこまで丸くない。どうしてここまで丸くするのか、それも各社直径を揃えるのか。かまぼこの文化が先にあったからだろうか。そしてその味のなさ、風味のなさに呆れた。
それはきっと戦前からの事で、お肉の流通が厳しかったからなのだろう。大きなメーカーのものは魚肉ソーセージやプレス・ハムの時代とそう変わっていないのではないかと思う(魚肉ソーセージの普及促進にはとても悲しい裏話がある。日本人は原爆だけでなく水爆の被害者でもあったのだ。過ちを繰り返しそうなのは、決して日本ではない)。そして進化したのは発色剤や保存料だろう。小さな工房などの手作りハムやソーセージはまぁまぁ美味しいものもある。しかし、Schweinemett という生の豚ひき肉を食べる習慣のある私達からすればまだまだだ。
裏返せば、日本でこそお魚を食べるべきだとも言える。なにせ生で内蔵まで食べたりするし、ナマコにホヤどころか、フグの可食部分を解明した先人達の努力と執念には畏敬の念すら覚える。西欧ではハーブや薬草、キノコなど、それは薬師や魔術師の役だったからね。
二つに折られた2枚の安っぽいスライスハム。付け合せはパンチの効いたカレー味のキャベツ炒め。そのシンプルな旨さに学生達の間では評判のお店だったという。
「このハムは何ですか?」
モードレッドの食べていたハムの方の事だ。縁が黒く少し高級そうだった。
「怒らないでね? 製品名は『Black Forest Ham』だよ」
黒い森のハム。ドイツ語読みすれば『Schwarzwälder Schinken』だ。アインツベルンの故郷とも言える『Schwarzwäld』の特産品だ。
そもそも、その名を冠するには、きちんと昔ながらの製法で、しかもシュヴァルツヴァルトで作られていなければならない。なのにあっさりとその名を騙るとは……。だから『怒らないでね』か。
まぁそこは、お国変わればだ。それで気を取り直して、そのパン屋さんの事を詳しく聞いた。置いてあるパンも、そこのお店で焼いている自家製コッペパンで、基本はそのコッペパンを使った惣菜パンが並び、他にジャムパンやアンパンがあったそうだ。
「コロッケ・パンのコロッケは自家製のクリームコロッケだったし、焼きそばでなくナポリタン・パンがあったなぁ」
随分と凝った職人さんだ。それも基本はコッペパンでパンそのもののバリーエーションは少ない。なのに聞いていてワクワクした。
だって『エル(私)』がある意味日本に於いて一番驚いたのは、和食でなくその惣菜パンの豊富さと中身だったのだから。それも『エル』でなく私の方が。
(彼女は姉ほどではないが、私以上に和食へ拘りがある)
「ジャムパンの中身も苺ジャムでなく……?」
「その通り。マーマレードだったと記憶しているよ」
そしてタケシさんはモードレッドのハム・ドッグに、追いマヨネーズをした。
「キ◯ーピー?」
「残念。日本から持ち込んだケ◯コーの業務用だよ。こっちの方がマイルドで、ソースにアレンジしやすくてね」
なるほど。バターと混ぜていたのもこれか。そしてこのマヨネーズは、キ◯ーピーともどもMSGが使われていないから、こちらの人にもウケが良いそうだ。
MSGはあれだ、グルタミン酸ナトリウムの事。いわゆる『うま味調味料』だ。決してフライング・アローをかき鳴らす神ではない。
何てことは無いと思うのだが、このMSG。健康志向の強い人からはトコトン嫌われている。確かに昔は石油から作られていたそうだから、ケミカルを避けたい人には問題だったろう。
だけど私は昆布や海藻を食べるどころか、魚介類を食べないその生活習慣が、稀なアレルギーを引き起こしているのではないかと疑っている。要は長い歴史で培われた身体が合わないのだ。
だけど防腐剤や、得体の知れない、身体に残留しそうな添加物は避けるべきだろう。私もコンビニのお弁当やオニギリは避けていた。だからMSGを避ける人の気持ちもわかる。
やがてお肉が焼き上がりタケシさんが切り分けた。そして自家製ソースを小皿に移して、皆んなの前に置いた。
「自家製?」
「そこまでいかないよ。日本育ちの二人ならわかるよ」
それはやや辛口のウスターソースと、アメリカンなハインツの甘口ケチャップに、ケ◯コーのマヨネーズを混ぜたものだった。隠し味として生醤油を数滴垂らしてあるという。
ウスターソースは、おそらくオタフク。ヘルメスやリーペリンならもっと甘いと思う。パンチを効かせるならオリバーだろうけど、今日は子供も居るからね。良い選択だ。逆に言うとこの方がハインツと合う。
日本にはカゴメとデルモンテという二大ケチャップメーカーがあるが、総じて酸味が強い。特に業務用の缶は。だけどこの味がナポリタンやオムライスを創ったのだ。
酸味が強いからバターを混ぜたり、ミルクやウスターソースで割ったり、創意工夫の果てにナポリタンがある。
イタリアにはナポリタンなんてない。それは知っている。だけど世界にトマトが8千種類もあって、その大半がイタリアで品種改良された種であるというを知っている人は少ない。
トマト祭りと言えばスペインのバレンシアはブニョールだが、イタリア南部のトマト農家では収穫後のトマトソース作りこそが季節の節目だ。
その作業にはお爺ちゃんもお婆あちゃんも、パパもママも子供達も、親戚も集まって皆んなで一年分のソースを作るのだ。だから南部では、各種パスタもそういうソースを使う。あれがケチャップの原典だ。
確かにナポリにナポリタンはない。だけど南部の農家にはそれっぽいのがある。そこは知っておくべきだろう。ちなみに日本で栽培されているトマトの品種は約120種だとか。
そんなソースに切り分けられたお肉をピチャリと浸けて食べると、何とも懐かしい美味しさだ。添えられたカットレモンを絞ると尚の事だった。
これとは別にタケシさんは、醤油3に甘口のとんかつソース2を混ぜたものにワサビを入れたソースも用意してくれた。もしかしたら熊本あたりの醤油の可能性もある。
「これも良いよ? ワサビでなく練りカラシでもイケるから」
イケた。本当に美味しかった。市販のものを組み合わせるという手法。こういうアレンジはどこの国でも昔からある。だけど日本の調味料ほどバラエティ豊かではない。やはり皆さんからウケていた。
だけど味噌リブは私達以外にウケなかった。どんまい。
「味噌リブ、ウマいのになぁ?」
「タケシ、美味しいって消費してくれるエルヴァ達に感謝ね?」
マリーさんが笑っていた。主に活躍したのはモードレッドだけど、豚のアバラ丸々一頭分を食べきった私達だった。
だけど子供達は、味噌味が苦手なようだった。お味噌汁も古びた苔やカビみたいな匂いがして嫌だという。そうそう。馴れない子供の頃は、地下室のような匂いが嫌だった。
ところが不思議な事に煮干しでとったダシで作るとそう感じなかった。確か具は油揚げと『しろ菜』だった。『しろ菜』はチンゲン菜の白いものを指すのでなく、本来は関西の地野菜を指す。
旬が冬の小松菜が、夏だとエグみが出るのでマアエモ・ママが探してきてくれたのだ。いや、シロウさんだったかな? ともあれチンゲン菜より高かったらしいが、そのあっさりとした味は好みだった。
そこからお味噌汁も平気になったんだっけか。もっと前から馴れていた気もするけれど、この記憶も曖昧だ。
子供達にそんな母国の味を忘れないで欲しいというご両親の気持ちがよく分かる。だけどお味噌どころかお刺身もハードルが高かった。
そこで第一歩として思い出されたのが、このホットドッグだったのだ。その効果は覿面で、子供達はパパのホットドッグが大好きだった。それを今、ケリィが受け継いだわけだ。
どこぞのケリィとその息子に言ってやりたい。こういうのを伝えろよと。あのジャンク好きな父はどこまでも受動的で、こういう文化面で能動的に動けなかった。その狭く偏った思考で、自らの行動範囲を狭めていたのだ。
「子育て中の日本の保護者が聞けば驚くだろうね。マリーが作るカレーライスやハンバーグを美味しいと言ってくれて、ご飯をお代わりしただけでも嬉しかったんだから」
うわぁ……。それはそれで大変だ。
だけど思いつく事もある。このパーティの顔ぶれ。この御家族は不思議だけれど、同じ日本人とのコミュニティに参加されていないようだ。その分、御家族の皆さんは子供まで英語が堪能だった。
ケティはリリィのキンダガーテン(直訳はこどもの国で幼稚園の意。キンダガートンはドイツ語読み)からの友人で、彼女とともに言葉(英語)を学んだようなものだという。
また、ケリィの見えない貢献もあったと思う。エルはタケシさんの許可を得てそんなケリィに、あるレシピを教えていた。それは日本の◯ス・バーガーのオリジナルソースを自分で解析したレシピだった。
あれは細かく刻んたタマネギに少量の挽き肉を炒め合わせ、これまた細かく刻んだトマトと味醂や日本酒を合わせて煮詰めて作るんだったと思う。ロスに近いここなら調味料は揃うだろうけど、ソーセージに合うのかな?
同じトマトベースなら、今使っているチリソースがあるでしょうに。
「そこに味醂と清酒を合わせてコクを出すんですよ。この辛さ控えめなチリソースが気にいったからアドヴァイスをしたのであって」
なるほど、そういう理由で。なら、チキンの竜田揚げをドッグに。
「あれが好きだったのは『エル様』だけだと思いきや。それにアメリカ人にはあのジンジャー『風味』はウケないでしょう。もっとガツンと効かせないと。それに醤油よりテリヤキです。甘い甘~い、テリヤキ味かバーベキュー・ソース味でないとアメリカ人にはウケません」
そうだろうなぁ……。添加物やトランス脂肪酸を避け、健康に気を使い、鶏ならばモモ肉よりムネ肉というアメリカ人が、砂糖だけは厭わない。
そして焼鳥より串焼き、串焼きより鉄板焼、それもガッツリとした牛肉の塊で。これもまた先祖代々で培われてしまったものなのだ。
ガッツリ食べないと荒野を開墾できなかった。こういうのも郊外に出ればわかる。北海道よりもっと真っ直ぐ伸びる道の左右は、どこまでも荒れ地ばっかリだから。
「お嬢様、お口直しにお茶を」
ミアータさんだった。横合いから出された紅茶はミスティ・リーフだ。探せばトワイニングの缶もあるそうだが、ミアータさん御用達の『Trader Joe's』には置かれていない。
「最近は通販で『Fortnum & Mason』も手に入るそうですが、私はまだ発見できていません」
アメリカは紅茶でなくコーヒーのイメージを持つ人が多いと思う。だけど潜在的な紅茶好きは多いのではないかと私は考えている。
その裏付けとなるのが英国からの独立前にあった『紅茶税』と『ボストン・ティ-・パ-ティ事件』だと思う。英国が当初のオランダと代わって植民地化を進める上で、紅茶を普及させたのだ。
それがあったから『紅茶税』なんてものを思い付いたのだし、嗜好品として普及しつつあったから海へ投げ捨てるという『ボストン・ティ-・パ-ティ事件』の効果が絶大だったのだ。
そしてこのような諸々から独立戦争が始まった。こんな歴史を知るとアメリカのいう『自由』は、正にネイティブの人や黒人が望んだ『自由』と同じ意味だったのだと気付く。
『自由』とは『平等』であり『対等』であるという事だ。だから個々の自由を最大限に認めつつも、助け合う事を厭わず、お互いが尊重できる。
決して他者や弱者を切り捨てる『自己責任』でなく、助け合った先にある『自己責任』なのだ。でなければ未開の西部なんて切り拓けない。だから保険制度も『自由』なら、銃器の所持も届けや登録があっても『自由』なのだ。
悲しい発砲事件がある度に禁止すれば良いと軽く言う『外国人』は、その発言をもっと考えた方がいい。バッファローにピューマ、ガラガラヘビに毒ガエル。家族を守るために、そういうのと戦わなければならなかった。
そのためのツールが銃だったのだ。確かにそれは侵略の道具でもあった。ネイティヴの人達への問題は今後も残るだろう。だけど建国300年や400年になると消えると思う。それが歴史の常だからだ。
特に私は、軽く銃を捨てろという日本人に言いたい。それ、金玉を握られた水呑み百姓の発想だから。武器という前にツールだ、あれは。包丁を持たずに料理しろというのと同じなのだ。
ただ、使い方を間違えれば無関係な人に怪我をさせてしまう。そこを大人が子供にきちんと教えられるかどうかなのだ。そして家族を守る最終防衛ラインに欠かせないツールが銃なのだ。魔術師でない一般の人なら、当然の発想だと思う。
徳川や明治政府の廃刀令があってから、『全体意志』は『隷属』と同義になった。そして無知蒙昧から来る『同調圧力』と、自分の理想のために他者を窮地に貶める一部の憲法九条至上主義者の存在。
まぁ、ほとんどが日本を貶めたい他国のスパイか、或いは他国の協力者なのだろう。日本は大好きな国だけれど、そういう『同調圧力』や『和を尊びすぎてまとまらない話し合い』が長いところや、それと『スパイ天国』なところ、そういうのだけは馴染まなかったな。
ミアータさんが手渡してくれたカップは、オールド・パイレックスのカップだった。ファイアーキングと並んで古き良きアメリカの、ミルクガラスを代表する二大ブランド、その一つであるパイレックスの茶器だ。
パイレックスはキャセロールや、ボウルといった日常的に使用される食器を扱っていた。『エル』はグラスベイクというブランドのアドバタイジング・マグを集めていたっけ。
いわゆるスーベニア商品で、ダン◯ンドーナッツのロゴ入りマグなどだ。女の子ならヘーゼルアトラスのポップな食器を集めても面白いと思う。
私は先日マリーさんのお店で、そのヘーゼルのキャンディストライプのカップ&ソーサーを二組買った。モードレッドは何だそれと訝しんでいたけれど、知っている人は知っている世界だ。
エルはヴィンテージなオレンジタブのリーヴァイス515、それのホットパンツを買っていた。今日の彼女は90年代の501だった。トップはキャミソールだ。
対する私はと言えば、リーのヒッコリー柄ダンガリー(オーバーオール)をTシャツと合わせていた。モードレッドはお揃いでブルーデニムのダンガリーだった。
こういうのも知っている人だけが知っている世界だけれど、ロス界隈ではこういうのに拘る人がやたら多い。そういう人が自ずと集まるんだろうね。
「ご馳走様でした。お茶、美味しかったですよ」
「お口にあって良かったです」
それからも楽しいパーティが続き、皆さんと仲良くなれて幸せな気分に浸れた。お開きとなり夜道を戻ったのは、子供達がすっかり眠っただろう12時過ぎだった。
そして家の前まで行くと1台のクルマが門の前で路上駐車していた。それは月明かりに蒼く映えるシェビーのC5型コーベットだった。
ボンネットからルーフにかけて赤い縁取りのある白いストライプが、それがスペシャルモデルのZ06の最新版Z16であるという証だ。
降りてきたのは『エル』と『セイバー』だった。いいクルマを持っているなとか、カッコいいなとか言わない。
『エル』ならヘネシー・ヴァイパー・ヴェノム800TTで現れようと、レストアしたダッツン・ジーカー(フェアレディ240Z)で現れようと、FXSTSソフテイル・スプリンガーやスポーツスター883Rのカスタム車で現れようと、いや……こんな民家が建ち並ぶ道路に、煙突が2本突き出たピータービルトの377や378で現れようとも、『ああ、そうだろうな』と納得してしまう。
それだけに、ショーウィンドウで見て適当に決めましたという感が著しいシェビーに面食らった。きっとこれ、フル・ノーマルだ。
「どうしました? 何か……?」
「いえ。段々とこの不可解な現象が見えて来ました。そこで私は取り敢えずスイスに向かいます。なので取り込んでいるレオンをこちらに。報告方々、責任を持って連れて行きますから」
どうしようか迷ったが、エルがあっさりと『エル』に時間が止まったままのレオンを引き渡した。
「どうせ、今スイスに帰っても大学受験の勉強だけで、これといった仕事は無いのでしょう? なら、今月いっぱいアメリカに居なさいな」
「それを決めるのはお祖父様ですよ」
「いえ、必ずそうなりますから」
「え?」
411psを叩き出す5.7リットルのV8エンジン(LS6)が、白煙とともに後輪を空転させて走り去った。
私は思わずモードレッドを見た。だけど彼女は首を横に振った。彼女もどうやら、セイバーにはぐらかされて詳しく聞けなかったらしい。
「一体何が……」
「わかんねぇ」
「待つしかないでしょうね。決して悪い方には行かないでしょう」
エルの言葉を信じるしか無かった。
翌日の朝食後、昨夜の件もあってお祖父様への定期報告(メール)があるエルを家に残して、私とモードレッドはハンティントンの街を歩いていた。クルマを出さなかったのは、少しでもパーティ分のカロリーを消費したかったからだ。
「どこでも走っているのに、お前ってヤツは」
「ですけど」
「そこはわかるぜ? けどな、サンフランシスコでもセントルイスでも一人で走ってたろう? お前だからこっちも安心できるところがあんのは事実だけどな。エルがかなり心配していたんだぞ?」
「そこは理解していますよ」
エルも心配していたと思うが、きっと一番心配していたのは彼女なんだろうね。だから感謝を込めて言った。
「あなたが王国を築いたら、国民第一号に立候補しますね?」
「うるせ……」
横顔が真っ赤だった。けれど、とても嬉しそうだった。
指定されたバーガー・ショップに入ると義妹とセイバーが居た。声を掛けると、笑顔で財布を投げつけられ、好きに注文しろと言う。投げて寄越すのも甚だしいのだが、ブツけんばかりに豪速球で投げるな。
なのでそれぞれが好みの品を注文し、トレーを抱えてエル達の傍に座った。
フンボルトもエルと出逢って、何かに気付いたのだと思う。エルヴァに思いを馳せているのか顔付きが神妙だった。リンは驚愕の顔を隠しもしないし、衛宮士郎にしてもそれは同じだった。
エルは二人のバゼットに向き直り、こちらのバゼットにはギャラを振り込む口座を尋ねていた。私達の方のバゼットはエルの部下なので、来月の給料が増えるだけだ。
「あなた、何者?」
やはりそう来たか。
「どこかから飛ばされて来た遠坂凛さんですね?」
「ええ。あなたは?」
「魔術師名はエルヴァ・フォン・アインツベルン。本名はエルヴァ・ハーウェイ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの双子の妹です」
おそらく話がややこしくなるだろうと、フンボルトやリンの口から上るエルヴァ達は話していないのだろう。
「私は並列思考や分割思考ができます。アトラス院のそれとはまた違う方法ですが、その分割した思考に別人格とエーテルで編んだ身体を与え、独立させる術も持っています」
「あ、じゃ、あのエルやエルヴァは?」
「ほぼそういう事ですが、元々は47番と番号を振っていた思考のみが、事故でこの世界に漂流してしまって。それで発見するまでに姉や家族の並行世界存在と出逢い、こちらでの生活を望んだ……といったところです」
「それがあの二人?」
「いいえ。その47番は今日本に居ます。この世界のあなたやルヴィアとも親友で同じ学園に通っています」
「じゃ、彼女達は?」
「ここの私……つまりエルヴァちゃんのために、私が造った47番のコピーと、その47番をオリジナルである私に近づけたタイプです」
そういう事っだったのか。リンもアインツベルンならさもありなんと考えているのか、その反応は思ったより淡白だった。が、フンボルトは気の毒にかなりショックを受けていた。
衛宮士郎は、そうだな……イリヤの名が出たところに驚いていた。双子の妹、それも成長した姿だ。コイツもシロウと同じパターンでイリヤを目の前で殺されていた。だから私は私のイリヤを引き取って、最期を看取った事を話さなかった。
5番目のアイツは、引き取ったイリヤが中東に渡った矢先に死んでいた。それがあって歯車が狂ったらしい。なのでエルが私の記憶を使って一部改竄したのは聞いている。
三者三様だ。街のために桜を殺さざるを得なかった5番目のアイツも悲しいが、目の前の衛宮士郎も悲しいものだ。なんだかんだと言いながらシロウがイリヤやエルを可愛がるのは、自分の姉の死がトラウマになっているからだ。
その事を理解しているのか、エルの視線も優しかった。
「何とかお二人で元の世界に帰れると良いですね?」
「ええ。でも座標が……」
「ああ、全くわからないらしい」
「そうでしたか。私自身も元の世界ではまだ高校3年生です。ですのでこの後スイスに行って報告を済ませれば、一度元の世界に帰ります。ですが、第二魔法に詳しい知人も居ますので、こちらも何か調べておきます。次にお会いできるとしたら、早くともクリスマス頃となりますが」
「いいえ。お願いします」
「よろしく」
口調が丁寧で物腰も柔らかなので、リンや衛宮士郎も素直に頭を下げていた。そして食事を終えた、ここのバゼットが店を出て行った。エルも私もただ彼女を見送るだけだ。
「で、あの『現象』は何なの?」
「ズバリ、『抑止』です。これまでの長い年月、魔術師などの神秘を識る者だけが知っていた『現象』ですよ。それが世界中のニュースが報道する規模で起きてしまった」
「その割には何だか落ち着いている人が多いと思う。可怪しいと思わないか?」
「そこです。これもまた『抑止』のなせる奇跡でしょう。軍の諜報機関などは起きた事を客観的に分析し、事故、或いは麻薬製造に関わる者達の内乱と自然火災が重なった結果だと見ています。遅れて情報が入る宗教機関もそれで纏まるでしょう。そうでも判断しないと、余りにも規模が大き過ぎてパニックを引き起こしかねません」
ここでエルは世界地図を広げ、この『現象』、即ち『黄金の三角地帯』『黄金の三日月地帯』をペンで囲み、メキシコやコロンビアにブラジルなどで起きている火災箇所にも赤い丸を描いた。
「また人は、こういう『正義の奇跡』を心のどこかで願っています。軍部もその政府があってこそ動けるものです。明らかな悪党の一部が吊るされるか失踪するかして、そのほとんどが各地で起きている火災で亡くなった事でしょう。ですが、それは一次報道以外は正しく報道されないと思われます。何故なら誰しもが思ったはずですから。『願ってもない事だ』『ざまぁみろ』と。そして各国の政府と行政が水面下で、この機を逃すものかと動き始めています。ですので二次報道がほとんど無かったのです。おそらくこの動きは、麻薬禍に悩まされている国家ほどそうなるであろうと」
「つまり報道管制が既に敷かれていると?」
「そう考えて間違いありません。当然この動きに時計塔など各地の魔術協会も同調するでしょう」
「協会側からすれば神秘の秘匿に繋がるから渡りに船よね?」
「そういう事です。当然聖堂教会もバチカンや正教もです。言ってみれば……」
この時、エルは衛宮士郎を見詰めた。
「そのヒーローは悪党だけを踏んづけていくゴジ◯だったのですから」
「怪獣って事か……?」
「人類の味方と見える動きをしているから、余計に秘匿されるって事ね?」
「そうです。まぁ、こちら側からも、そういう工作をしていたのですが」
「ハァ……賢明ね。で、どう? 起きている『現象』はわかった。では、世界のシステムをハッキングした者が居て……『抑止』を操作しているだろうと仮定してよ? その『現象』を引き起こした者をあなたは一体誰だと考える?」
今度は私をちらりと見た。
「お兄ちゃん? ヒントを与え過ぎ」
「スマン」
いきなりの『お兄ちゃん』発言で、リンと衛宮士郎が顔を見合わせた。フンボルトもちょっと驚いた顔をしている。何故ならこの時エルはブラザーでなく、そこだけ『お兄ちゃん』と日本語で発音したからだ。
「わかりますか?」
「何が?」
「『誰が』でなく、この先『何が』起きるのかを?」
「どういう意味?」
「ですから、引き起こしたのが並行世界の『私』かもという仮定や、『私達』が無意識に持っているネットワークが、ある事象で世界のシステムを動かしたのかもという仮想も後で良いのです」
「ちょっ!?」
「今は『動かず』、軍部や政府に『英霊』という『現象』を隠さないといけないのです。つまりサーヴァントの動きや能力を見せてはいけないのです。それを軍部や政府の次なる兵器と認識させてはいけないのです」
「あ! そういう事か!」
「そうです。麻薬に携わるギャングやマフィアも抗戦した筈です。ですが近代兵器がサーヴァントに通用しない事はご存知でしょう? となれば? 次はどうやって手に入れて、どう使役するのかを考えます。そして政府というか国家機関には、必ず魔術師の血を引く者が飼われているか、スパイとして入り込んでいます。その先が怖いのですよ」
「意味がわかった。ここの冬木が調べられたりする可能性があるものね。そっか、あなたはそうならないための工作をしていたのね?」
「そういう事です。それでお兄ちゃんには、残って頂きます」
「む?」
「ここのエルやお祖父様と連絡を取り合って、協力して神秘の秘匿に努めて下さい。協会もこちらの味方ですので」
「わかった。それでフンボルト達は?」
「今まで通りの視察旅行で結構ですが、今月いっぱいはカリフォルニアから出ない方が良いでしょう」
「理由は?」
「公衆の面前で投影魔術を使いそうな人を連れて行く意味を考えて下さい」
「あぁ……士郎が抑止と勘違いされる……?」
「そういう事です。協会や教会がどうとかでなく、メリットのある間は利用され、デメリットが増え、匿う価値がなくなれば処分でしょうね。お兄ちゃんもそのクチだったでしょう?」
「言うな……」
これでリンが本当の意味を理解した。衛宮士郎の胸ぐらを掴んだのだ。
「わかった? あんたの理想も願いも、そのチカラを欲する者の前では無意味なのよ!」
「おい、遠坂。無意味って事は……」
「無価値とは言わない。それで聖杯戦争で生き残れたんだから。でもね? 利用する側は、あんたの気持ちを満足させる言葉を次々と並べ立てるわ。だって、あんたは便利な『兵器』なんだもの。そして最後の最後に処分されるのよ。その、自由意志があるから……。やっとわかった……あの夢で見たアイツの死因……処刑された理由……。裏切りとかそういうのもあったろうけど、本当の理由は意志を持った『兵器』だったからなんだ……」
正にその通りなのだった。そしてその前に死後を預けると世界に祈っとるのだ。まったく救いようがない。
「なぁ……? 俺が間違っているのか……?」
「テロリストが雨の中で子犬を拾いました。そのテロリストは良い人?」
「え?」
「その救いが嬉しかったから憧れた。そのあり方を美しく感じたから、自分もそうなりたいと思った。でしょう?」
「そ……そうだ」
「今、お幾つですか?」
「え? 23だけど?」
「精神年齢は13歳くらいかなぁ……。旅を続けて学びなさいな。ただし、魔術禁止で。それをリンさん、あなたが責任をもって監視して下さい。それが近道でしょう」
「そうね」
子犬が番犬になるのか、闘犬になるのか。或いは私のような狂犬になるのか。しかもその狂犬は世界の番犬になってしまった。そうなるのかならないのか。これもリン次第なのだろう。
そしてエルはもう一度フンボルトに向き直った。
「あのエルヴァをお願いします。あなたなら適任でしょう。ただし、日本云々は忘れてあげて下さい。彼女は彼女できちんと実在しています。それがアインツベルンの秘技です」
「わ、わかったよ……」
そう言い残してエルはセイバーと店を出ていった。彼女達が乗ったクルマの窓越しに、バゼットが何かを話しているのが、店の大きなウィンドウの向こうに見えた。彼女も戻るとなれば、居残りは私だけだな。
やがてコルベットが出ていき、バゼットは携帯電話を掛けながら歩いて敷地から去った。タクシーの配車でも頼んだのだろう。
ソフトドリンクならお代わり自由だが、私はカウンターの女性に向かってコーヒーを注文した。
「カフェ、プリーズ」
「ヤァ」
気分はアイスコーヒーだったが、欧米でのコーヒーはホットしかない。義妹から預かったままの財布から代金を支払った。
『守護者にするのは現世からの隔離に他なりません。それがアンリ・マユに呪われた『人』に対する世界の慈悲でした。『彼』はこれからも迷うでしょう。全体を見れない視野狭窄から。せめて何故中東に行くのかを……それは『聖地巡礼』に等しいのだと、そこで血を流せば供物を捧げる事になるのだと伝えて下さい。それを話す事で、お兄ちゃんの気が少しでも楽になる事を祈っています。エルヴァ』
こんなメッセージを財布に残すな、バカ妹……。まったく……ヤレヤレだ……。
コーヒーを片手に席へ戻ると、皆んなに不思議そうな顔をされた。
「なんて顔をしてんのよ?」
ああ……。
「いや、なに……ガラでもない事を頼まれてな」
「何を?」
「うむ……。その前にリン。認識阻害と防音の結界を張ってくれるか?」
「え、ええ」