実はこの回における内容は、アインツベルンを抜きにすれば世界の真相です。
オバマ政権まではあちら側に与していました。そこにNOを突き付けたのがトランプ大統領です。
クリントンまではまだマシでした。ですがオバマとヒラリーはあちら側の意向があったにせよ、中国を甘やかしすぎました。
だからトランプ大統領はオバマゲートをすっぱ抜いたんです。何もロシアゲートの恨みだけではありませんでした。
あちら側の弱体化が狙いだったのです。その前置きとしてのアメリカ・ファーストだったのです。
そして他の国も自分の国を優先しろ、自国内のあちら側が寄越したスパイを刈り取れと暗に言ったんですね。
バンクーバー国際空港はバンクーバー市の南、リッチモンドのシー島にある。目的地のサレーも全部ブリティッシュ・コロンビア州だけど、地図上は州の南端で、クルマでひょいとアメリカに行けてしまう。
大きなバンクーバー島があるので海は穏やか。冬は寒いらしいが、とても過ごしやすいという。また、エルヴァにに拠ると、カナダにはバイリンガリズムなんて言葉があるらしい。
『バイリンガルのこと?』
『スタイルというか。二言語併用って意味ですが、二つの言葉を大切にしようという気持ちの現われですね』
『なるほど。じゃ、英語の他にフランス語も皆んな話せるの?』
『学校の授業にはあるそうですが、ほとんどの州は英語で通じます。ですがバイリンガルは全土で17%だそうですから多いですよね』
『エルヴァさん、ケベック州でしたわね?』
『ええ。モントリオールのある州。あそこは人口の90%近くがフランス語です』
フランス領からイギリス領に。けれど英国はフランスからの移民のフランス語も認めていた。こういったところからアメリカと違い、ネイティヴの人々は同化政策などはあったにせよ、早くから居留地を与えられ人権も認められていた。
政府の保護下が嫌なら街に出て一般人として暮らすことも可能だった。その際は先祖代々のライフスタイルを棄てる事になるが、特典として公民権が得られた。
ただし寄宿学校は最悪で、虐待や差別は当たり前だったとか。白人って残酷ね?
『私を見ないで下さいまし』
『でも、ハイエナ?』
『エルヴァさん!』
現在は1万以上のファースト・ネーションズが経営する企業があり、土地開発や林業、鉱業に観光などなど多岐の分野に渡って活躍している。
だけど先祖代々のスタイルを棄てられない人も多く、多くの居留地の人は貧しい。とは言っても貧民街のような感じではなく、食べ物にありつけないという事はないらしい。
そんな風に街中で暮らす人も多いので自然と混血も多い。そちらはメティというらしいが、全然そんなのが気にならないところがバンクーバーとその周辺都市なのだとか。
と言うのはカナダは中国人が多いとよく聞くけれど、あまり目立たないというか気にならないそうだ。パッと目に飛び込むのは圧倒的にインド人だという。
『エルヴァさんみたいな?』
『ル~ヴィ~ア~!』
他にはフィリピンなどの東南アジア系と韓国や日本が多いそう。トロントのあるオンタリオ州はインド人だらけだそうだ。国政に不安のあるイラクやイランの人もそこそこ居るとか。
『サレーは知りませんが、バンクーバーには中華街(チャイナタウン)もインド街(リトル・インディア)もあります。また値段を気にしなければ、日本人の職人が経営するお寿司屋さんもあります。なのにアフタヌーンティーを楽しめるお店もありますから、案外と凛に向いていると思いますよ?』
『それで師匠は?』
『ええ。結構気に入った街だと話していましたね』
地図を広げて空港からホテルまでの移動手段を検討していたら、バンクーバー・スカイトレインという電車があるらしいが、その目的地に行くならタクシーの方が楽だとアドヴァイスを贈ってくれた。
少しだけ謎があったので、そこを訊いてみた。
『エルヴァ、サレーに居留地ってあるの?』
答えてくれたのはエルマだった。カナダの英文サイトで調べてくれたのだ。
『サウス・サリーの南、ホワイトロックの外れにセミアムーという居留地があるようです。地図でいうとここですね』
示されたところは河川敷?
だけどお会いする約束を取り付けた相手は、サウス・サリーの街中が住所になっている。きっと街中で職を持っている人なのだろう。
『あ、そうそう。カナダに行って朝食やブランチに困ったら『Tim Hortons』と『Harvey's』を探してみて下さい』
『なにそれ?』
『なんですの?』
『前者はドーナッツ屋ですが、コーヒーとサンドイッチが美味しいのです。後者はハンバーガー・ショップですが、価格は良心的で味も良いですよ。それと、カナダはカリッサクッとした倫敦以上のフィッシュ&チップスが楽しめますよ』
『あんた、ホントに何でも知ってるわね?』
そう言いながらも、私とルヴィアはエルヴァが教えてくれたお店の名をしっかりメモした。
接続されたボーディング・ブリッジを歩くのは、私とルヴィア、そしていつものハサンだ。
ランサーとランスロットはルヴィアの実家からの依頼で、今はオランダのアムステルダムやベルギーのブリュッセルなどに出向いている。
これとは別に、アーチャーも依頼を受けてカンボジアやミャンマーを、数人のアサシンとともに廻っている。例の世界的大事件を調べるためだ。
エルヴァから『エル』の意向を聞いていたルヴィアは、それで良いのかと本国に連絡を入れていた。ところがエーデルフェルトには、スイスのアインツベルンを通して神秘関連の調査に留めるよう連絡があったそうだ。
どうやら『エル』が先に手を打っていたらしく、アフガニスタンから中東にかけては彼女がとっくに入っているそうだ。そこでこちらの動きがそうなった。
『父の話ですが、メキシコやブラジル企業の株を買っておきなさいとアドヴァイスがあったそうですわ』
それも事件が起きる前だったとか。『エル』には不思議な能力がある。なのでこの先回りも理解できる範囲だ。だけど黒幕はないとエルヴァに否定された。
むしろこのドサクサに紛れて、首席とか将軍とかそんな人が行方不明になる可能性があると教えられた。
『私の知る限り、彼女には百貌が6人居ます。今はそれ以上かも知れません。つまり最大600人のハサンです。でもそれぞれ仕事がありますので、全員はこちらに連れて来れません。となると今回の事に備えて、新たに召喚している可能性は否めません。そこにセイバーやアルさんにお兄いちゃんです。まぁ、お兄ちゃんには別の仕事を任せるでしょうけど』
むむむむ……。
ともかく回想に浸るのを止めて、レーンを流れる荷物を受け取り、到着口から出た私達はタクシー乗り場を探した。するとそのタイミングで、サングラスにスーツ姿の男性がこちらに向かって歩いてきた。
「え、衛宮の小父様?」
「なぜこちらに?」
「やぁ、エーデルフェルトからの依頼さ。アサシンの彼も居るから、お察しの通りボディガードじゃない。今回の僕は情報屋だよ。現地情報は任せてくれ」
私とルヴィアは顔を見合わせた。簡単な仕事だと思ったし、行き先も明確だった。それに急な仕事でもあったので、今回はナタリアさんに頼まなかったのだ。なのに?
どうも、アインツベルンも動いているわね、これは。けれど、意図と言うか何かあるのだろうか?
「そう構えなくてもいいよ。君達の仕事に危険はないだろう。実を言えば、今回はついでのアルバイトみたいなものでね。君達をホテルまで届ける前に、相手の家の前を通ってそれで終わりだ。アポは明日の午前10時で、もう取ってある」
「もしかしましたら、別件でバンクーバーには既に入られていましたの?」
「その通り。今回は観光も楽しめない強行軍なんだろう? だと、アポなどで手間どっていたら、月曜からの学園に間に合わなくなるよ?」
ルヴィアのお父様の配慮だろうか? それとも小父様の? どちらにせよありがたかった。私達はお礼を言い、小父様のクルマに乗り込んだ。
空港のあるシー島から出て、リッチモンドの街に入った。窓越しに見える人々の人種は様々だ。エルヴァの言った通り、東洋人とか西洋人とか気にならなかった。
そのリッチモンドで高速道路に上った。99号線をひたすら走り、デルタを抜け、やがてクルマはサウス・サレーで一般道に降りた。
なんて言うんだろう? 大きくて広い街だと思うのに、通りに面したお店が少なく感じた。そうか、このサウス・サレーはバンクーバーのベッドタウンなのかも。
「そこだよ。そこの家だ」
え? っと思った。こう言うと失礼だが、私は共同住宅(アパート)を想像していたのだ。だけど小父様が指差した家は、周囲の家と変わらず普通の一軒家だった。
とはいえ、イリヤ達の家より遥かに大きい。たぶん建物だけで3~4倍はあるし、敷地(庭)まで含めるとルヴィアんちの向かいにある家々の4~5軒分はある。
勿論、日本の住宅事情は知っているつもりだった。それでも倫敦ではそんなに驚かなかった。倫敦はヨーロッパの都市の中でも、かなりゴチャゴチャしていると聞く。だから北米との違いに素直に驚いた。
「あら。私の家とよく似ていますわね」
「え? どういう意味?」
日本人の感覚でいえば十分大きな家なのだが、本国のエーデルフェルトの家がこの程度って事はないだろう。
「勘違いされていますわね? 実家の屋敷はヘルシンキの郊外、隣町のエスポー寄りにありますのよ。私の申しますのはフィンランド湾に浮かぶ島にある、私だけの家ですの」
フィンランド南部の海は、瀬戸内海のように島だらけだ。だからヘルシンキにも島が多いのは知っていた。だけどその島の一つにルヴィアの家があるとは知らなかった。
「あ、そういやアンタと言うか、あっちのルヴィアの事をエルヴァが島育ちだとかどうとか……」
「それですわ。ただ、あちらは小学生の頃から島で暮らしていたそうですわね」
「どういうとこ?」
「クロサーリ島と言いまして、元は別荘地だったのですわ。今はヘルシンキに組み込まれて、学校もありますし、ヘルシンキの中心部に土地を確保できなかった大使館などもあります。だからと言って家から一番近い大使館がイランとはどうですのとは思いますわね」
他にベトナムやセルビアにインドなどの大使館があるらしい。そんなところを縫って小学校に通っていたのがあちらのルヴィアだという。
こちらのルヴィアがその島の家(元は別荘)を譲り受けたのが、時計塔に渡る前(中学を卒業した頃)だったそうだから、あちらのルヴィアは随分と早い。
しかもオーギュストさんやメイドを付けさせるというご両親と大喧嘩して、別荘とはいえ一人で出ていったのだからある種の独立を果たしていた事になる。
ホテル前に止めて下さった小父様にお礼を言い、私達は走り去るクルマに手を振った。次はロサンゼルスに行くらしい。そこでようやく、もう一人のエルヴァやエルに会いに行くのだと気付いた。なので無理に引き止めなかったのだ。
取り敢えずホテルにチェックインした私達は、部屋に荷物を置くと表に出た。歩きながら先程の独立に関する話題を続けていた。
「彼女からそう多くの情報を得たわけではありませんが、想像できる部分はあります。まず、妹との関係、そして『エル』さんと幼馴染みという点ですわ」
「ああ……。『エル』を見習ったか、何かアドヴァイスを貰ったのか、敢えて出て行ったと?」
「ええ。身体の弱かった妹を両親の下に残し、家督を継がせたかったのかも……」
「それにあっちのルヴィアなら、独立しても家を起こせると『エル』が踏んだ?」
「そこでしょうね。私と彼女は同じ顔でも随分と異なります。かなり独立心の強い……誇り高い人なのですわ」
そんな感じがする。あのルヴィアなら、私は完全な敗北を認めて惨めな気持ちでいただろう。それくらい押しが強く、存在感がある。師匠だからウマく行っているのだ。
「そして……その後に、妹を治すクスリが開発されたのだと思われますわ」
「なるほど。もしかしたらあっちのルヴィアは、妹さんと並ぶ跡継ぎ候補というカタチに落ち着いた?」
「ええ、それもあってのロシアの礼装だと思いますの。だからあちらの私は霊脈に何も言えなかったのだと思われますわ。きっと彼女もわかっていますのよ。全部『エル』さんの思惑通りだと。それでも……ですわね」
これはわかる。私も桜に対してフェアでありたい。同じ様にあちらのルヴィアも、こちらのルヴィアも、妹さんが好きだからこそフェアでいたいと考えているはずだ。
と言うのは最近の私は、ルヴィアと精神的な双子かと思うくらい考え方が似ていると感じていたからだ。となると、師匠が何も言わないのも当然だった。だって姉妹仲が円満な師匠は、わかっていても掛ける言葉がないからだ。
だけど、師匠とあちらのルヴィアは私達よりもっと前から親友同士だ。その架け橋となっているのが『エル』の存在だ。師匠は『先輩』でルヴィアは『姉様』だものね。
「だからですのよ。色々『エル』さんの事はお聞きしていましたの。また、異なる並行世界の私どもの事も何度か」
「それはいつよ?」
「怒らないで下さいましね。最初は、あの初めて世界を渡る前、つまり第五次の世界に向かう前ですわ」
そんなに早くから……? 頻繁に師匠と教えに来てくれていた頃だ。確かにその頃はルヴイアの方が、私より精神的に大人だった。その差だろう。
「お二方、よろしいか?」
「ええ、ハサン。何?」
「キリツグ殿を疑う訳ではないが、私も少し調べたく」
「ああ、それならお願いしますわ」
「ええ」
「承知」
そう残してハサンは風のように消えた。私達の気配はハサンならわかる。なので私とルヴィアは近くにあったカフェに入ってお喋りを続けた。
お茶を頼んで待っていると耳に入る他の客の会話。基本は英語だけれど、ここまで多種多様な言語があるかというくらい、色んな国の言葉が飛び交う。
最近は倫敦でもその傾向はあったけれど、カナダって凄いわね。それと雰囲気というか視線。誰も私を東洋人だという目で見ていない。
思い返してみれば、時計塔という環境もあったと思うが、どこかしら英国人は私への視線が冷たかったように思う。人種差別とまでは行かないが、あなたと私達は違うのだという無言の差。そういうのを感じた。
「どういうオトボケですの、リン。あなた、空港からずっと英語で話していますのよ?」
「小父様とも?」
「ええ、ハサンとも。それで私も英語で話していますのよ」
自分の英語スキルがここまであるとは思わなかった。だけど本当に誰もが相手の人種を気にしていない。なんて言うんだろう? どこかホッとする街だと思えた。カナダってどこでもそうなのかしら?
ふと、いつもよりリラックスして見える我が友人。考えてみれば本気でケンカした……ケンカになるほど言い合えた相手が、倫敦ではルヴィアだけだった。
「リラックスしているわね?」
「ですわね。国も気候も風土も違いますのに、どこかヘルシンキを思い起こさせるのですわ」
「なるほど。フィンランドって差別があるの?」
「目立った差別はありませんが、心にも領地にもテリトリーはありますわよ。リン、何が言いたいんですの?」
「いや……倫敦時代より、ここが断然居心地よくてさ。あの頃は、正直言うとルヴィア以外からは、ちょっと見えない線を引かれていた気がしていてね」
「ああ……その距離感が英国人なのでしょうけれど、場所が時計塔です。街中よりあるでしょうね」
「スラーはスラーで、良いところだったんだけどね」
「まぁ、そんなものですわ。リン、きっとここは何もかもが、メイプル・シロップのように良い感じで溶け込んでいるのですわ」
「そうよね」
そのメイプル・シロップのほとんどが、フランス語が主となるケベック州で生産されているという。それとどっきりカメラのような番組がカナダにあって、その撮影もケベック州なのだとか。
『本当に楽しい国ですよ』
そうよね。時間があれば、もっとこの国のあちこちを訪れてみたいものだ。
彼女達の移動に使ったクルマはレンタルだった。なので空港でクルマを返した。この後、僕はもう一人のエルヴァ達に会うためにロサンゼルスに飛ぶ。
ノイント老から預かった、小型化された自動筆記礼装。言ってみれば魔術を使ったファックスなんだが、そいつの吐き出した文章はノイント老の予測通りだった。
この世界中が踊らされた『現象』は、目眩ましであり鉄槌だった。それは少人数による陰謀なのか、それとも特権階級の意思なのか。引き払う前のホテルで、チューリッヒと連絡をとった時に、電話越しにノイント老が言った。
『キリツグ。真の悪が、ただ幸せになりたいという人の欲から来ているのだと言ったらどうする?』
ギョッとした。どういう事だと尋ね返した。
『アラヤの守護者を思い浮かべろ。あやつらは人類の総体意志で動いとるという。しかし、本当にそうか?』
ノイント老が続けた。
『今の人類を支配したいというようなわかりやすい悪が居るなら、お前さんも楽じゃろうがな。しかし、人の世はそう単純でもない。ある金匠が今の貨幣システム、即ち銀行システムの基礎を考えた。これは単純に己の富のためじゃ。わかるじゃろう? ところが、この発明は人々に利便性と新しい世界を与えた。そんなもんなんじゃ。じゃが、準備預金制度は人々に金が行き渡るように考え出された制度じゃ。なのにそれは人を苦しめ、自らが更に儲かる方法でもあった。そして別の男は世の中の醜い争いを止めたくて、中央銀行というものを作った。それは国家の足枷とするためじゃ。なのにこれまた富を集中させる事にも繋がった。飢えを無くそうと大々的に農業改革をすれば、農薬が人体を痛め、生態系を破壊し、これまた富を集中させた』
石油やガスがあるから発電できる。それによって工業が栄え、経済が回る。輸出できるほど農作物が生産できるから、飢えずに済む輸入国がある。大量に薬を製造し、世界中に広めるから病気が減っていく。飲料もそうだ。生の水が飲めない国の方が多いのだ。
インターネットは今後も普及し、パラダイムシフトとなって人々の生活を大きく変えるだろう。既にPCと携帯電話を融合する試作品も出来上がっているという。
と同時に通信事業社は統合され生き残った側が、その国での覇権を握る。最初は遠くの人の声を届けたいという善意から始まった。
なのにそれは軍事に使われ盗聴などの弊害を産んだ。それはインターネットもそうだ。
『キリツグ、こんな風に最初は善意なんじゃ。世に貢献したいと思うんじゃ。しかしそれぞれバラバラじゃった動きが、いつしか絡み合う蛇のようになってな……』
絡み合う蛇とはギリシア神話にあるヘルメースの杖、ケーリュケイオン(カドゥケウス)の事だ。現在では商人の象徴ともなっている。医療のあちらは蛇が一匹だ。
『巨人(ジャイアンツ)』とでも言うのだろうか。世には一頭地も二頭地も飛び抜ける人が時々現れる。それは様々な分野でだ。
そんな中に優れた商才を持つ者が居た。社会の構造を自分が儲かるように変えていくのだ。要はマーケットの構築だ。そうしてパラダイムシフトが起き掛かり、世の中の変化に気付く者が出る。言ってみれば時流に乗った訳だ。
やがてその第一形態の変化が終わりを遂げると、世界は支配する者と支配される側とで分かれる。彼らは悪の秘密結社のように世界征服を目論んでいるのではない。
あくまでも儲かるマーケットを維持したいだけだ。だけどその存在はバラバラだ。蓋を開ければ賢いだけに、自分が儲けさせて貰った分、社会にも恩を返そうなんて事を考えている人が多いという。
ただ、その域へ新たに加わる者も長い年月の中では度々ある。そしてそれもまた人だ。時代が下れば利己主義で社会貢献を考えない者も現れる。そうして秩序が乱れ、いつしか絡み合う蛇となる。
『戦争は、その絡んだところを解す意味もある』、なんて事を言われると何とも遣る瀬ない。結局、若い頃の僕は物知らずで世間知らずなだけだった。
そんな気付きを与えてくれたノイント老は、スイスのバーゼルで世界的な製薬会社や銀行を経営する傍ら、国際決済銀行の役員も務めている。
イルミナティやら、ユダヤの陰謀やら、影の政府やら、はたまた新金融資本主義にグローバリズム……それらの陰謀論が囁かれる場合に必ず名が挙がるワイン屋に不動産屋に銀行屋……ああいう名の知られた家とも繋がりのある、完全にあちら側の人だ。
そしてノイント老はその誰よりも慈愛の精神を持つ人だった。
『特に二回の世界大戦を乗り越え経済が発達し、円熟した今世紀から顕著になったな。もう、動けんのじゃ。人が増え過ぎ、国が増え過ぎた。もはやその人口はコントロール不可能なところまで来ておる。民衆一人一人が学習してくれれば良いが、そこまで教育に期待できん国が増え過ぎた。しかも滅びの因子でも植え付けられているかのように、誰もが数ある選択の中から最悪の目を引こうとする。キリツグ、金があろうと無かろうと、戦争は誰もが嫌なんじゃ。そして儂らのように国を跨いで会社があるとな、親族や従業員と戦う羽目になる場合もある。今のお前さんならわかるじゃろう?』
ワイン屋の事だ。古くはハプスブルク家もそれを避けたいがための広がりだったと言えるだろう。その戦争でも儲けたろうとの一方的非難は難しいものがある。
能動的に戦争を起こしたのなら絶対的な悪だが、世界の流れがそうなっただけだ。常に決めるのは消費者である大衆だ。つまり大衆が戦争というイベントに突き進んだ。
ただあちら側の彼らは賢い。戦後に復活するだろう世界経済も正しく観ていた。それだけだ。
『しかしあやつらはアジアの盟主を見誤った。あのまま日本に任せておれば良いものを、毛沢東に肩入れした。キッシンジャーの小僧は使えんな』
こういう事を時々言う。アメリカ(と言うか、アメリカにいるあちら側の者達)が日本を切り捨てたのは、その覇道を恐れたからでもあるが、マーケットを見て人を見ていなかったからだという。
国土の狭さ、他国を侵略しなければやっていけない資源の無さ、そして嘘のような長い王朝の存在。そういう観点から切り捨てた。
マーケットとしても魅力を感じなかった。人口増加などこれ以上無理だと観ていたからだ。だから逃げ惑っていた毛沢東にチカラを貸した。
対するヨーロッパのあちら側の者達は、レーニンと手を組んだ。それも7~80年で滅びると予測した上でだ。世界史を紐解けば、ある王朝の平均寿命はそんなものになるらしい。
この件に関してアメリカのあちら側は、ロシア革命を数年前から読んでいて、ユダヤ系のレーニンを取り込もうと動いていた。それに反対したのがウィリアム・タフト大統領だった。
だから彼らは二期目の選挙でタフト大統領の共和党を割らせ、新しい進歩党から先代のセオドア・ルーズベルト元大統領を擁立した。
そして選挙結果は民主党のウッドロウ・ウィルソンに決まった。そのウィルソン大統領がFRB(アメリカに於ける中央銀行。ただしあちら側が株主の民間企業)の成立を可決したのだ。
もっと言えば、合衆国最高裁判所判事に息の掛かったルイス・ブランダイスを送り込む事にも成功した。彼はユダヤ教信者で典型的なシオニストだった。こうして合衆国は金融と司法をあちら側の者に握られたのだ。
また、ブランダイスはウィルソンに第一次世界大戦に参戦するよう促した。勿論、イスラエル建国の足掛かりにするためだった。
これが一つの転機だった。中心になって動く者にユダヤ系が多いので、あちら側をユダヤと決めつける論調も多いが、実態は経済システムを理解している者と言うべきだろう。
ヒトラーもスターリンもそこを勘違いしていた。確かにユダヤ系が多いし目立つ。だけど彼らの多くは人畜無害で善良な一般人だ。
ただ、社会の構造を逸早く気付き、紐解き、自分の儲けに繋げるシステムを作り上げる才覚に目覚める者が、他の民族より多かった。また誰よりずる賢かった。
そしてこの動きに呼応して英国のあちら側は、外務大臣アーサー・バルフォアにバルフォア宣言を表明させた。やがて後世、第二次世界大戦が勃発。大戦後数年でイスラエルが建国された。
この第二次世界大戦はほぼ完全にコントロールされた戦争だったという。枢機国とされた側はあの手この手で罠にハメられ、敗北に向かった。
それは情報戦であり、メディアを通したプロパガンダだった。旧ソ連は社会主義と言いつつ共産主義国家だった。それはそこまでしないとあの大地での発展が望めなかったからだ。
あちら側に居る者に、他国が自由経済国家か社会主義国家か共産主義国家かはあまり関係ない。マーケットとして成り立つかどうかなのだ。
『ヒトラーが独裁に走ったのは国民経済の疲弊だと思うか? 違うぞ。それは政権を取るための動機じゃ。独裁者になったのはメディアを取り戻すためだったんじゃ。ドイツもイタリアも日本の新聞も、もうとっくに息が掛かっとったんじゃ。この手法を真似て、今の日本のメディアは中国の手先になっとるの。おまけに他民族を大量に送り込んでな』
その他民族は言うまでもないだろう。ノイント老は彼らを何も生み出せないが、他者を恨み足を引っ張る事にのみ特化した造られた人間だと言った。
つまり代々の中国王朝が、まともな者を間引く事によって生み出された偶発的な民族だと。信じられないが、ウイグルやチベットを見ればわかってくる。同情はしないが、彼らもその覇道の被害者なのだ。
『首相が1年毎にコロコロ変わるようになったら危険信号じゃ。多少前後はするかも知れんが、旧財閥系の企業の不正や粉飾決済などが次々に明るみになるじゃろう。それはな、もう肉を食い終わって骨だけになったという意味なんじゃ。それは企業だけではない。政治家も全部引っ括めてじゃ。キリツグ、そうなる前に家を売って、スイスに来い』
カンボジアを無視してもベトナムにソ連とアメリカが固執した理由は、農業に適し水産にも向いた土地だったからだ。ポルポトの地雷は、強国(あちら側の者達)に踏み込ませない意味もあったそうだ。
半島の戦争もソ連と中国の支援を受けた北が38度線を越えたのではない。トルーマンの時代のアチソン国務長官が南はアメリカの防衛ラインの外だと大々的に発表したから起きたのだ。
そしてこの時に北を迎えるために立ち上がったのが国連軍だった。この国連の安保理には五ヶ国の常任理事国がある。アメリカ・イギリス・フランス・ソビエト・中華民国だ。
当時の国連軍を動かすには、その五ヶ国の一致が必要だった。そしてスターリンはその安保理に人を送らなかった。つまりあの戦争は仕組まれていたのだ。
その裏付けとなるのが、後の林彪の亡命騒ぎやマッカーサーの解任問題だ。マッカーサーも腹がたったのだろう。『日本が(大東亜)戦争に向かった動機は、安全保障の必要に迫られたからだ』と証言した。これも黙殺されたのだが。
ともあれあちら側が戦争を起こさせた理由は単純だ。何も生み出さない国土と領海。そして労働者としても不誠実な民族性。あちら側の明確な意思は、あからさまな口減らし(民族浄化)だった。
もっと言えば今後もこの手が使えるかどうかの実験台だった。だからマッカーサー元帥もリッジウェイ大将もクラーク元帥も北を支援する、林彪の人民解放軍の前では負け戦をしなければならなかった。
作戦は漏れている、武器弾薬が圧倒的に足りず、ワシントンへ送ってくれと連絡を入れても無視される。それがあちら側の意向だったのだ。
そんなあちら側の意向を汲んで動いていたのが、フリーメイソンのジョージ・マーシャル国防長官だった。蒋介石率いる国民党軍への援助を打ち切り、人民解放軍に肩入れしたのもこの男だ。
それやこれやと色々突っ込まれ、後にマッカーシズム(赤狩り)が起きた。更に後、このマッカーシズムの切っ掛けとなったジョセフ・マッカーシーが譴責決議に掛けられた際、ケネディなどは彼を擁護した。
ともあれベトナム戦争は、あちら側が朝鮮戦争と同じ手法で始めたものだ。だからアメリカの負け戦は始まる前から決まっていた。
猛烈に反対した人物は確かにいた。だが、その大統領は暗殺されたろう? それが世界の真実。本当の闇だ。
こういう流れを、当の北や南がわかっていないところが実に憐れだと思う。いや、北が息子の代になりミサイルを飛ばしたり核開発に走るのは、ある程度わかっているからだろうか。
またこの半島の戦争で、大量の難民がどさくさ紛れで日本になだれ込んだ。それもあちら側の計算であり実験だった。パチンコ業や焼肉屋を営む者も居たが、賢い二世三世はどんどんメディアに食い込んだ。
そんな影で暗躍する彼らが一番恐れているものは何だろうか? それはノイント老のような千年以上も続く家の者だった。例えばイスラエルの建国、この正当性を真っ向否定できる何かを持っているかも知れないからだ。
田舎大工の妻が寝取られ孕んだ。そこで夫を騙そうとしたほら話が、頭のおかしい者の耳に入った。始まりはそんなものだったんじゃ……なんて事をあの老人なら言いそうでもある。
彼らは皆んなマイノリティーで、何かに怯えているのが特徴だという。儲けやすいから暗躍するとも言えるが、マイノリティーで弱いから対立構造で周囲を不安定にさせるのだ。
またそれは適度な緊張感を産み出すとともに、あの時代ならではの大国に拠る東西冷戦を強く印象づける意味合いもあった。わかるかな? 中東も巻き込んで株価が操作しやすいのだ。
70年代のオイルショックもそうやって演出された。そしてその余波で日本は狂乱のバブルを迎えた。日本が今デフレ不況で喘いでいるのは、ロックフェラー・センター・ビルを買い取ろうとしたからだ。
このような話は、何度もノイント老から聞かされていた。僕がやってきた事が、どれだけちっぽけだったか思い知らされたものだ。
『事が起きてから現場でうろちょろしても、一度弾みのついた車輪は止められん。キリツグ、止めたいならこちらに来るしかない。それでも難しいじゃろう。何故なら大衆という大きな意志と動きはそう簡単に方向修正が効かんからだ。今までもお前のような者がいた。なのにいつしか己の欲に溺れるんじゃ。己の無力さに打ちのめされてな』
その言葉を最初に聞いたのは、この電話よりもっともっと前の事だった。僕も心底打ちのめされた。確かに心が折られたら酒の溺れるか、破滅の道を歩むか、相手に尻尾を振るかだろうか。
だけど心が折れていないなら、どうするべきか。それが今も僕がノイント老に仕える理由だ。
ノイント老にはユダヤ系に頼らずとも済む金脈と資本がある。また、魔術という通常の人間には感知も理解もできないチカラがあり、そういう一族を率いる頭首でもある。
そして僕のような者を正しく使う能力も器量もある。僕は彼に拾われたお陰で、家族を守る事を続けられている。そこにエルヴァが来てくれて、あの子は英霊を仲間にしてしまっている。
話を戻そう。一方、アジアで中国は台湾を併合できなかった。つまり国土がそこで確定されたのだ。となると……。
『アメリカは台湾解放宣言から数えて70数年後に、今の体制が滅びると見とるな』
電話先の老人は、そんな恐ろしい事を軽く言った。
『今回のこれは、一部の思惑で世の中が決められるという、そんなあり方を壊すために、誰かが『世界』のシステムに介入した結果なんじゃろう』
目眩ましと鉄槌だと最初に僕は言った。その意味がここにある。あの『現象』は麻薬渦を止めるために起きただけでは無かったのだ。あの騒ぎの影で幾人もの人間が、空白の時間を背負わされていた。
その人数は現段階では不明だが、おそらく千単位でなく万単位を越えているだろうとノイント老はいう。そしてその誰もが有名企業のCEOなどだった。
ノイント老もよく知っている、あちら側の者達がほとんどだ。いや、多分全員そうなのだろう。最初は仲のいい友人からの相談だった。その時はボケが始まったかと冗談で笑いあう程度だった。
やがて、もっと大勢の人が似たような体験をしていた事が、使い魔やスパイを通してわかってきた。そして彼らは皆んな、30分程度から1時間……記憶にない空白時間を共有していた。
それもあの『現象』が起きている期間中だ。いや、もしかしたら今もその期間中なのかも知れないけれど。
『それも魔術じゃろうな。この規模での、何らかの暗示……考えられんが』
僕はノイント老の言葉を頭の中で反芻しながら続きを促した。
『キリツグ、良かれと思う事が悪い方向へ進む……そういう事はままあるものじゃ。それは大勢の者達の思考や行動が一個人では把握も管理もできんからじゃ。プロパガンダが通用するのも一世代から二世代までじゃろう。三世代目や四世代目に世代交代する頃には、もう暗示は解けておるよ。むしろ別のものに変化しとるじゃろう。つまりな、人の心は変わるんじゃ。キリツグ、お前さんのように』
それが『進歩』だとノイント老は言ってくれる。だけど、多かれ少なかれ誰しもが何かに『気付き』、進歩していくものだ。問題は果たして、その進歩が人類全体が求める『幸福』に向かっているのかどうかだ。
結果は自分だけのエゴで終わる場合がほとんどなのだろう。でもそんな中にも間違いとは言い切れない場合もあったろうと思う。
前提として、他者を傷つけない限りは誰しもが、自分だけの『幸福』を願う権利がある。だけど……ノイント老はこうも言っている訳だ。
『その選択が、より最悪の目を引いてはいないか?』と。そんなのわかるはずがない。人は神じゃないんだから。
『だからじゃよ。そんなバラバラな深層意識をどう汲み取るんじゃ? もしかすれば、より声の大きい者の『願い』に強く反応する場合もあるのではないか? とな……そう考えたんじゃよ』
つまりそこが『システムの穴』だったと?
『そういう事じゃ。さて、金融に長けておっても神秘の事など知りもせん若造ばかりじゃ。そろそろ腰をあげるかの』
ノイント老は軽く笑いながら電話を切った。
僕はスイスを発ってから、欧州を数日巡り、その後にカナダに入った。次はアメリカでエルヴァ達に会う。そこで彼女達の意見を聞きたかった。
機内で頭を整理した。
あちら側の者達とは限らずとも、少人数が、その他の大多数を思惑通りに動かそうと思えばどうするのか?
それは既存のメディアを使ったプロパガンダだろう。新聞、ラジオ、テレビ、今ならインターネット、そういう媒体を利用して徐々に人々を洗脳する。
ある程度進めば、よりこちらの思惑にハマるよう、息の掛かった議員を使って法案を通す方法もある。事実今までがそうだった。
では、これを全部覆すとするならどうする? ゼロからメディア立ち上げ、正しい情報を発信する? それともそういう大衆を操作しようとする者達を、昔の僕のように殺めるか?
違う。操作する側を、より強い暗示で操作するのだ。これが最強だろう。そして僕は……いや、ノイント老も迷っていた。それは結果だけを見れば、今のところ悪には見えないからだ。
何より仮に悪だとしても、世界のシステムに介入する相手なんて、僕達では勝てない。弱気になる訳ではないが、この恐ろしさは聖杯戦争に臨んだあの時より強い。相手は一体何者なんだ?
いや……何となく思うところはある。それは娘のエルヴァ、あの子の並行世界存在である『エル君』だ。彼女がそうとは言わない。だけど彼女と似た存在なのだろうという、漠然としたイメージが頭に浮かぶ。
話は変わるが、ノイント老がエルヴァに対してイルクーツクの霊脈開発にGOサインを出したのは、何もルーマニアのユグドミレニアとの問題が片付いたからだけではない。
実は昨年(2003年)に、オリガルヒ(新興財閥)の一人であるミハイル・ホドルコフスキーが逮捕されたからだ。それまでのオリガルヒは、ソ連崩壊後の混乱期をエリツィンとともに支えてきた、ロシアにとっても重要な集団だった(ただし裏ではウォール街と繋がっているらしい。つまりあちら側だ)。
だが、彼は自らが興したユコス石油会社の株を、スーパーメジャーのエクソンモービルとシェブロンに売ろうとした。要は新自由主義やグローバリズムを掲げるあちら側に与す動きをしたのだ(ここで糸を操る者の姿がハッキリ見えた)。
自由経済なのに、株のやり取りなんて普通だろうと思うのは甘い。そうやって隙きあらば潜り込むのがあちら側の手だ。現大統領は元KGBだけあってオリガルヒの動きをつぶさに見ていた。
ホドルコフスキーというユダヤ系ロシア人は、数年前にロシア解放財団という組織を作った。これは先日の大統領選挙に備えてだ。彼は現大統領に代って大統領になるつもりだったのだ。
その財団の理事に、ヘンリー・キッシンジャーとジェイコブ・ロスチャイルドの名がある。ロシア国民は圧政のソ連時代を生きていた。だから西側の国民のようにプロパガンダには騙されない。
現大統領も西側のプロパガンダというヴェールを剥がせば、愛国心の確かな男なのだろう。だから驚異的な支持率を得ているのだ。ロシアの資源はロシアが決める。これはその強烈なメッセージだったのだ。
だからノイント老は掛け合った。綿密な事前調査で、KGBだった彼は霊脈という存在を知っていた事が判明した。だが、それの使い方は全然知らなかった。
なので各種希少金属鉱山の調査と表向きは銘打ち、霊脈をこちらのものにするというある種反則な手を使った。考えてもみてくれ。原油を真上で汲み上げるのでなく、領土外の油田に引き込もうという手なんだぞ?
しかも相手はその原油の使い途を知らないと来ている。そしてその中心で動くのが、まだ僅か11歳のエルヴァだ。僕がどれだけ動揺したかわかって貰えるだろうか。
だけど、幸いなことに『エル君』はエルとエルヴァという新たな分身を造り(それですら驚愕だ)、影から娘のエルヴァを支えてくれた。
『キリツグ、これを見ろ』
それは何百ページもあろうかという、そのロシアの霊脈に関する報告書だった。ノイント老にそれを寄越したのは、『エル君』だった。
あの子はあの時計塔の問題に目処がつくやいなや、そのリポートをノイント老に送っていたのだ。そして『エル君』はあちらの世界ではオリガルヒに成り代わり、またグローバリズムに飲まれぬようロシア経済を守ってもいた。
その一環としてアジアで覇道を突き進む中国で革命を起こし、新しい自由経済の政府を立てさせた。その際に香港や台湾を独立させ、チベットやウイグルを解放した。今のウイグルは半島とともにロシア政府に組み込まれているという。
これに黙っているようなあちら側ではないと思うのだが、彼らは軒並み強烈な暗示に掛かり、何ら動きがないそうだ。だから暗示の魔術=『エル君』と考えてしまったんだ。
『キリツグ、究極の独裁じゃな。良いのか悪いのか、儂にも判断できん』
バサリと寄越された付帯リポートには、驚愕の数字が打ち込まれていた。その革命以降のアジア各国のGDPとメディアが調査した国民の満足度だ。
GDPは最低でも2倍は上がっている。97%の国民が今の国家に満足している。その波及効果は大きく、東南アジア諸国にインドも経済の伸びが凄まじい。
また『エル君』は、カムチャッカ半島や北方領土の開発も政府に任されていた。それは彼女がヤルタ協定に於ける密約を書いた者が誰だか知っていたからだ。
もう、わかるだろう? アメリカのあちら側だ。だけど、ロシアの大統領も今更領土を返すなんて弱気な行動は取れない。日本のチャンスは、経済が疲弊していたエリツィン時代に買い戻す以外は無かった。
とは言え、そのままだと頭の痛い問題でもあった。そこで『エル君』が名乗りを上げたのだ。彼女はその巨大な漁場に船を次々と出し、基地となる誰も来ない島には、魔術装置を使った加工工場を幾つも作った。
一部の漁業船は幽霊とホムンクルスが操業しているそうだ。誰も居ないし誰も来ない領海内だからできる事だ。協会を誤魔化さずとも堂々と魔術で金儲けをしている訳だ。
そして流通路も整え、それを中国や日本に売りつけている。莫大な利益を上げているらしい。また千島列島には大きな霊脈があるらしいが、先に上げた水産業とは別に天然ガスの埋蔵量も凄いようだ。グラフの伸び率が異様だ。
あちらでのロシアは凍えた大地を抱える貧しい国では無かった。アメリカやEUと並ぶ経済大国となっていた。そしてアメリカとロシアは非常に醒めた、高い視点からの『冷戦』を今も続けているという指摘が、そのリポートの締め括りだった。
それはこちらでも当てはまる。ホドルコフスキーの逮捕は、明確なユダヤ系新興財閥への拒否だ。そしてそれは反グローバリズムを表し、アメリカや欧州に潜むあちら側へのメッセージでもあったのだ。
『あちらではソロスの動きを見張っておったようじゃ。バラ革命が起きとらん。う~む……戦争なぞ二度と起きんのじゃろうなぁ……』
そうだ、『イリヤ君』も話していた。『エル君』は僕の……『僕』のユメを本当に実現していたんだ。あちらの『僕』はどう感じているのだろう。一度会って話してみたいと思った。
『キリツグ。中東と北アフリカ、それと黒海に面する国は要注意じゃな。かつてはバルカン半島で名を売ったお前さんじゃ。今度の相手は明確。悔いのないようにな』
旧ユーゴスラビア崩壊に伴う各地で起こった紛争に、若い頃の僕は傭兵として参加した。そして現地でわかった。何が何だかわからない、疑心暗鬼と対立。
それはチトー元帥の死によって始まった。彼の圧政もあったと思う。だけど民族間の対立は上手く抑え込んでいた。それらが一気に噴出したのがあの紛争だった。
鬱血した血を抜き出すかのように大勢の人が死んだ。あれで自らの無力さに打ちのめされた僕は聖杯という奇跡を求めるようになったのだ。
その事を踏まえて、ノイント老は『指導者が死ねば一気に崩れる国家』の動きに注視せよと言ったのだ。思い浮かぶ指導者や大統領の数は一人や二人ではない。
そしてその誰もが(特に北アフリカの指導者達は)愛国心のある人物ばかりで、国民から慕われている。それらの国々があちら側に利用されるのではないかと危惧しているのだ。
その懸念は昨年の春から既にあった。奇しくもホドルコフスキー逮捕と同じ年に、イラクがアメリカのネオコン達(あちら側)の思惑に拠って陥落したからだ。
囚われたフセインは、西側の報道とは異なりイラクでは国民的英雄だった。どこのイスラム国家より自由があり、女性の地位も守られていた。
つまりあの湾岸戦争はあちら側の石油利権乗っ取りに他ならないのだった。ここに絡めて9.11の陰謀説があるのだ。その真相はともかく、今後の中東や北アフリカだ。
そしてその先だ。このようなキチンとした、国民が慕う指導者が居る国家の民はその後どうなるのか? 過激派になってテロを起こそうとするのか?
ノイント老はこう言った。
『平和に生きていた大衆が突如銃を持つと思うか? 決まっとる。祖国に絶望し、棄民・難民となるんじゃよ。それを受け入れるのがEU側のあいつらだ。それで格安の労働力をゲットじゃよ』
どこまでもトコトン汚い奴らだ。怒りで卒倒しそうだった。なのにここまで読めても、今の僕やノイント老にそれを止めるチカラはない。悔しい事に。
だけど、今回の『現象』、そこにヒントと答えが無いか? だからこそ僕は、ロサンゼルスで彼女達に会わなければならないと考えたのだった。
翌日、ホテルから出た私とルヴィアは、昨日小父様に教えられた家に時間通り伺った。迎えてくれたのはネイティブの中年男性だった。
「ようこそ。長老が待っています」
そうして案内された部屋に男性の老人が座っていた。ソファーでなく布を敷いた床に座っているのだ。日本人の私は驚かないが、ルヴィアは少しだけ困った顔をした。
「弓道部の見学や茶道部なんかと同じでしょ?」
「そうですわね」
そこで深くシワの刻まれた顔の老人がクシャリと笑った。
「内緒話は自国語で行う方が良いですぞ?」
これには私達も苦笑するしかなかった。
「あなたは日本人ですかな?」
「はい」
「そちらは?」
「フィンランドですわ」
「ほぅ。私どもも大昔から地面に直接座る文化を持っておりました。この方が血行が良くなり、エコノミー症候群を避けられます」
と言って、片目を瞑る。部族の中では偉い人だと思うのに、とても気さくでお茶目な人だった。お茶とともにピンク色のペーストが乗ったクラッカーが出て来た。
「それは燻製したサーモンの身から作ったものです。どうぞ」
意外にも美味しかった。北欧の味に近いのかルヴィアも感心していた。その後暫くお茶で歓談していた私達だ。
「さてと……こちらです」
そう言って長老が一辺40センチはありそうな木箱を出した。蓋を開けて見せて下さったのだが、中には大きなアンモライトの完全体があった。
ジェムグレードならトリプルA? 直径が30センチはありそうなのに、全部宝石化している。惜しいのはペンダントのように首から下げるのか、紐が取り付けられている点だ。その穴が本当に惜しい。
長老は都会に住むようになった一族を纏めていて、クワキウトル族やヌートカ族の血を引く代々のシャーマンでもあった。ただ年月が過ぎ、そのチカラは先代あたりからかなり落ちてきたそうだ。
この貴石は長老のご先祖が、山を超えた隣の部族から『智慧者』にと贈られたものなのだそうだ。きっとロッキーの山で偶然見つかり、偶々魔力も籠もっていたのだろう。
夜になると七色に光るという。そういう蓄光する石の部分はないにも関わらず。それが長老の権威から、少数部族の皆んなを纏める象徴に変化した。
今は誰もが仮に光ったからと何かが起こる訳ではない事を知っている。だけど迷信だったとしても、光っている事が皆んなの希望でもあったのだ。
エルヴァにも聞いていた。暴力がなくとも社会的に虐げられている場合はある。カナダの悲しい部分を代表する人達だと。街に住んでいるのは部族として認められていないからだと、長老は真摯に教えてくれた。
「今更、そういう土地が欲しい訳ではない。恨み言も言いたくない。それでもこの大地の総てが、私達のものだった。その事実だけは語り継がねばならない。この光とともに」
だから私とルヴィアは、真剣に真心と一緒に魔力を込めた。二人で行ったのであっという間に終わった。カーテンを閉め、起動の呪文を長老が唱えた。
するとアンモライトが七色に輝き、天井や壁にステンドグラスのような美しい光を投影した。
「あの緑が大地。あの青が空。そして海。そこから各者達の物語が始まります」
そうか。ご先祖様からの言い伝えなんかをこの光の中で伝えていくのか……。
私とルヴィアは感動し、その感動を抱いたままお暇した。報酬は僅か2千カナダ・ドル。日本円で14万ちょい。これに往復の飛行機代とホテル代だ。
だけど儲けがないとは言えなかった。どこまでも澄み切った優しい眼で、長老は私達にこう言ったのだ。
『お二方は必ず成功するでしょう。お二人に後ろに良き師が二人いる……おや? 日本のお方、その師はあなたの未来?』
これにはルヴィアも私も驚いた。嘘は吐きたくないけれど、同族だとだけ答えた。
『そうでしたか。その出会いと運を運んだ人も数奇な運を持っている。良き友人ですね』
その後、長老はロッキーの山の中にある小さな谷の事を聞かせて下さった。そこは造山運動で深い深い地中から、このアンモライトのような変成した宝石が時々出るという。
『ただし1~2個掘ったら、残りは次の人のためにとっておいて下さい』
この言葉に一番感動したのが私だったのだ。何事も見合った対価で過不足なく。それはマナにも言えるし、他の事でも言えると思う。
何だろう。そんな長老のあり方は、イルクーツクで露店を開いていた人達と同じような『話がわかる』タイプに私は感じた。
悪意も敵意もない、ただ事実だけを淡々と話す。そんな当たり前なのに、中々できない事をやっている人だと思えたのだ。だから皆んなを纏められるのだろう。
「師匠って、ここに癒やされに来ているのかもね」
「ええ。ミストレスが採算を度外視される意味がわかりましたわ。心の栄養は得難いものですもの」
「ね。ねぇ、ルヴィア、エルヴァが教えてくれたドーナッツ屋に行きましょうよ」
「ええ、良いですわね」
そうして私達のカナダへの旅が終わったのだった。
お寿司屋さんで多めにチップを払い、大満足で家に戻ると、玄関前でタバコを吸っている人が居た。
「ジ、ジイサン?」
お兄ちゃんの呟きに何だと見れば、それはお父さんだった。
「お父さん? どうしてここに?」
「君達に話があるんじゃないか?」
お父さんはコクンと頷いた。少し表情が暗い。これは日本のエルヴァとは違うってバレたなぁ。取り敢えずクルマを片付けた私達は、お父さんを家に招き入れた。
お兄ちゃんがコーヒーを出してくれた。リビングのテーブルで向かい合う私達。ミアータさんとモニカさんは、気を利かせてくれて別室だ。
「何から……いや、誰から話すべきか。ともかくまずは……士郎、20歳を過ぎると、随分と精悍な顔になるものなんだね?」
「お、親父……」
そうなのだ。ここにはシロウさんもリンさんも居て、フンボルト君にモードレッドも居た。お父さんは先生(魔導師)の旦那さんのシロウさんにも会っているのに、敢えてシロウさんから話し掛けた。
異世界に流されたとしても、弱った顔を見せるな、リンさんを不安がらせるなという意味だ。弟分の士郎クンならこういうのが直ぐにわかるのだけど、こちらはどうだろう?
顔を見れば大丈夫そうだ。力強く頷いていた。それを見てリンさんが微笑んだ。
「アーチャーも来てくれないか?」
お父さんがキッチンにいるお兄ちゃんを呼んだ。
「私もか? 先にエルヴァ達になにか言ってやるべきではないか?」
「男尊女卑ではないが、僕の家族は皆んな女性の方が強くてね。まずは気弱な息子から声を掛けてあげないと」
「あのな……」
お兄ちゃんが苦笑しながら尋ねた。
「私が2番目というのは?」
「理解しているよ。『エル君』と入れ違いだったかな?」
「そうだな。しかし私に問われても、あの『現象』の全貌はわからんよ」
「だろうと思う。君の戦場は中東だったんだよね?」
「ああ」
「僕は南米にも行ったが、主な戦場はバルカン半島の旧ユーゴスラビア領だった」
「ん?」
これはお兄ちゃんだけでなく皆んなが首を傾げた。何が言いたいんだろう?
「傭兵であろうと正規兵であろうと、戦場は一歩踏み出したら抜け出せない泥沼であり、光の届かない闇だった。僅かな携行食料を子供に与えたんだ。お腹を空かしていたのがわかったからね。喜び勇んで走っていく後ろ姿を追っていた。その姿が、次の瞬間にはマシンガンで蜂の巣だった……」
「く……」
「だけど、アーチャー。そんなのも戦場ではありふれた光景だよ。僕は考えた。誰がこんな無残な事を繰り返すんだ? 一体誰が戦争なんて最悪の事態にGOサインを出すんだ?」
「だから聖杯に……?」
「もあるけど、それは火事が起こった事後の消火活動だろう? それと並行して、何故火事が起きるのかも考えた。器具の取り扱いが悪いから? 不用意にも可燃性のものを周囲に置いていたから?」
「ジイサン……?」
「違う。戦争を起こせば利益を得る者が居るからだ。そういう存在を知っているかい?」
「ああ……あなたも知って……。私が知ったのは『エル』に教えられてからだ」
「そうか。なら、今回の『現象』はこの世界のそいつらを抑制するためだったと言えばわかるかい?」
「理解した。そこに繋がるのか……」
「うん。それで時間が稼げた。ノイント老の予測では、今後中東や北アフリカで動きがある。それを抑えるために僕は動く」
お兄ちゃんが何か言おうとしたら、シロウさんが立ち上がった。まるで膝小僧にハンマーを当てたような反応だった。
「爺さん、いや、衛宮さん! 手伝わせて下さい!」
お父さんは暫くシロウさんを睨んだ。だけど息を吐きながらこう返した。
「君達の事はノイント老から聞いていた。どの途、元の世界に戻るアテもないんだったね……死ぬかも知れないよ?」
『本望だ』『覚悟の上だ』と言えばお父さんが殴る。お兄ちゃんも拳を固めていた。それは私もエルも同じだ。だからお兄ちゃんと目が合って、お互い気不味かった。
「俺は遠坂……いや、凛のためにも死ねない。だけど、ここで生きて行くのなら、少しでも住み良い世界にしたい。それを手伝いたいだけなんだ」
フンボルト君以外の全員がホ~っと息を吐いた。お父さんが立ち上がった。
「頼むぞ、士郎」
そして握手をした。シロウさんは右手が塞がっているので、左腕で涙を拭った。
「おいおい。君は結構感激屋さん?」
「だって……だって……俺の爺さんはとっくに死んだんだ。別人だとわかっている、あなたに自分の思い出を重ねたりもしない。だけど……」
「ああ……立派になったね。本当に安心した」
お兄ちゃんがギョッとした。だけどこれは『解呪』だ。
「シロウ、今から君は僕の部下だ。ビシバシ鍛えるからそのつもりで居てくれ」
「わかった!」
だけどフンボルト君が困った顔をしていた。きっと今の仕事の件だろう。そんな彼がお父さんに向かった。
「お父さん! エルヴァと結婚させて下さい!」
「はぁ?!」
やりやがった! まさかここで!?
「僕は彼女を愛している。ロシアで出逢ってピピンと来たんです。彼女ほど素晴らしい女性は二人と居ない」
いや、居るよ? 隣にも座っているし、日本にも居る。
「ああ……安心した。エルヴァの貰い手が居て……」
横のエルの首を電光石火で締めようとしたら、閃光のような速さで躱された。いつしか私達は立ち上がって、手刀の応酬を繰り返していたらしい。
「英霊が止めらんねぇ、不気味な動きをすんな!」
モードレッドに頭をゴツンとやられた私とエルだった。謝って頭を擦っているとエルが肘を軽く当ててきた。
「ほら、返事は?」
ずっと悩んでいた。日本のエルヴァならしないであろう選択。慎ちゃんは『エル』と相思相愛だ。ここの慎ちゃんには彼女が居た。ある意味早いもの勝ちなのかな?
「わかりました。その真摯な求愛を受けます」
「やった~~!」
「ダ、ダメだ! そんなの父さん、許さないからな!」
お父さんはお兄ちゃんに引き摺られていった。
「ただし、フンボルト君。あなたが紳士なら正式な手順を踏みましょう。まずは周囲を説得して婚約から。そしてせめて私が大学を卒業するまで、結婚は待って下さい」
「それは了承するよ」
「その間のお手つきはなしですよ?」
「え? キスも?」
「はい、私は日本育ちなもので。ただ……」
「ただ?」
「性処理目的の遊びは許可します。ちなみに私はヴァージンです」
そこで思いっきり頭を叩かれた。音の割に痛くない、紙でできた古典的なハリセンだ。これが投影品とは思えない。というか金属以外も可能なの?
「たわけ! そこまで言わんでいいわ! 見ろ! ジイサンが泡を吹いて倒れただろうが!」
見ればシロウさんとリンさんがお父さんを介抱していた。収入はどうするとか、家族計画とか詰めなきゃならない話はまだまだあるのに。
「バカ人参」
「言うなら朴念仁だろうが!?」
「認めるんだ? さすが生涯童貞だった男」
「うっさいわ! それは100人の内の3人だけだ!」
「アーチャー! あなたの中にそんな寂しい士郎が居たの!?」
「君は参戦せんでいい。少し黙っていてくれ」
「お兄さん!」
「だ~っ! 君も黙れ、フンボルト!」
こうしてカリフォルニアのアインツベルン家は、ご近所に迷惑を掛けながら翌日を迎えたのだった。