結局のところ、マナーと言うかモラルの問題だった。
一つ、ここは人様の家。しかもこの部屋はリビングであり、誰しもが集う場所なのだ。二つ、免許証にはウソの生年が書かれてあるが、実際の私とエルは未成年である。
とは言え、お二人の年齢と関係、更には異世界へ流された不安さを考えれば仕方ない面もある。なのでこれまでも自室での行為には目を瞑ってきた。
『ですので催したら、与えられた自室に防音結界を張って行って下さい。それこそ腰骨が砕けるまで』
『よ、腰骨が砕けるって何よ?』
『まったく。それも所詮は脳が受ける刺激の一種でしかありません。一度連続脳イキしてみますか?』
『そ、そんな魔術があるの?』
『ありますよ』
エルの話にリンさんが食らいついていた。その前にリンさんもシロウさんも私達に頭を下げたので、その後は魔術の話になっていった。
『リンさんのような五大属性持ちは、言ってみれば各属性へ対応できるポテンシャルがあるという事になりますよね?』
『まぁ、そうなるわね』
『けれどそれは出力に於いてだけですか? 長い期間の修練で、入力アンテナもそんな風に拡大しているとは思いませんか?』
『それは自覚しているわ』
『ならですよ? リンさんの持つプロテクトを外せば、真実に近い『夢』も見れます。もっと言えば、記録さえしっかりしていれば、他人の経験も自分のものとする事が可能です』
『脳に直接送るのね? それでもって、私のようなタイプほどリアルに近い追体験ができるってこと?』
『そういう事です。それと置換魔術はご存知ですか?』
『知っているわよ。けど、あれって必須の基礎ではあるけれど、効率の悪い失敗方でしょう?』
『それは確かに魔力の効率は悪いです。通りも悪いし、対応できる局面も限られるとされています』
『でしょう? 何か違う方法があるの?』
『対価ですよ。術の構築と術が終わるまでの時間、肉体の一部を対価にして封印するんです』
『は? 自分の身体のどこかを対価にするって意味?』
『ええ。コツは時間を区切るんですよ。さっきも言ったように術の構築時間だけ足の小指を動かなくするとか。あるいは発動してから2時間だけ耳を動かなくするとか。そんな程度でも行える術はあるんです』
『例えば?』
『シロウさんの精神とリンさんの精神を入れ替える。お楽しみの時間だけ』
その時のリンさんは興味津々な態度がありありとあった。ガレージからお兄ちゃんが戻ったので話は打ち切られたけれど、私とモードレッドは呆れていた。
『アイツはエルみたいな奴から見ればカモだな?』
『はい。こうやって誑かして、相手から許可を得るんです。それで術を掛ける際に精神にバックドアを作るんですよ。お二人みたいな、性的解放を無意識に望んでいるような、恋愛状態だと効果覿面です。そうやって子作りから何から全部に介入して、最後はその子供を眷属にしてお家乗っ取り完了です。魔女狩りなんて、そんな風に時の権力者を取り込んだ一部の魔術師が、その悪事を隠蔽するためにでっち上げたのが発端なんですから。それに他の地域の教会や為政者が乗ってブームになっただけです』
『ブームって言うな』
『ではムーブメント?』
『それも何か違う気がするぞ。けど、そういう事なのか?』
『はい。事の起こりはそういうものです。大抵小さな事から始まって、それに別の誰かが乗っかって大きな事件に発展するものなのですね。これは何にでも当て嵌まります。巷にある陰謀論や未解決事件なんて、ほとんど最初の者とは別の誰かが、その状況を利用して、よりややこしくなるものなのですよ。まして私達は魔術師です。ホワイトハウスでもクレムリンでも指紋も残さず侵入可能です。モードレッドの時代に私が居れば、相手の王や族長を誘拐していますね』
『それは幾ら何でも反則だ。そんな魔術師が居なくて良かったぜ』
『居なかったと言い切れますか? 強烈な暗示を掛けて送り帰したり、ホムンクルスと入れ替えたり……』
『バ、バカ言うな』
けれど、全部が全部とは言わないが、一部の歴史はそうやって動いてきた。ここ百数年は建国や革命に乗じてその国を裏で操り、世界を動かそうとする者が何人か出て来た。
だけどその誰もが、お祖父様やエーデルフェルトには手を出さない。これは時計塔などの魔術協会に対してもそうだった。倫敦のシティを牛耳っているある家というか一派は、絶対に時計塔に触れない。
万一触れてしまえば、彼らは一族郎党、歴史に居なかった者とされてしまう。時計塔のロードの中には堂々と、彼らの持つ企業や財産を奪うと豪語する者も居るのだから。
なので彼らは名の通った魔術師の家には絶対に敵対的な行動を取らない。そうやって世界の秩序は保たれていた。なのにその秩序を読まない(読めない)者が台頭してきた。それが中国だった。
それまでの西側は対ソ連であり、クレムリンの動きだけを追っていて中国は後進国と舐めていた。そして意のままに操れる世界の工場と思い込んでいた。
それがソビエトの崩壊から潮目が変わり、彼らはその野心を徐々に現し始めた。そこに付け込み『革命』を起こさせたのが『エル』であり、魔術で共産党幹部を籠絡していったのが時計塔などの魔術協会だった。
少なからず私の知る限りの並行世界ではそうだった。ただ協会にしても、そのパワーバランスは世界ごとに違う。お祖父様の息が掛かった者が多い世界もあれば(『エル』と言うより、今にして思えばエルヴァちゃんが居る可能性のある世界)、エーデルフェルト理事の息が掛かった者が多い世界もある。
これ以外のパターンもあると思うが、それらは結局時計塔内でのパワーバランスに尽きると言えるだろう。
ただし、時計塔のない世界の例は調べていない。そういうところはマナが弱く、押し並べて魔術が廃れた世界だ。つまり魔法使いが渡る理由がない世界なのだ(そんな世界の未来なんて考えたくもない)。
そしてここで起きた今回の事件だ。おそらくこれはその歴史に関係なく、範囲の及ぶ近い世界で同時に起きている筈だ。なぜならこれも『座の風』を利用して起こした事だと考えたからだ。私は『エル』を通じて、そろそろ本命と接触があるのではないかと見ていた。
そんな事があった翌日、私はダコタに乗って本屋を巡っていた。メールボックスに日本のエルヴァからのメールが届いたのだ。
そっか……凛とルヴィアのクラスはファースト・ネイションズを調べるのか。もう学園祭の時期なんだね……。メールには幾つかの画像も添付されていた。
エルヴァは私に気を遣ってか、時々こういうデジカメで撮った画像付きのメールを寄越す。おチビちゃんやクロエちゃんの近況を知れば嬉しいし、エルヴァの活躍を知れば嬉しい反面、悔しくもある。
だからお礼と皮肉を込め、こちらの近況は毎回旅先で撮った風景や食べ物が多かった。だけど私は羨ましく思う事はあっても彼女を憎んだりはしなかった。
むしろおチビちゃん達だけでなく、エルマやトロンメルにも目を配っている点を高く評価していたし、頑張って欲しいと応援すらしていた。だからそんな画像の中に『エル』が送ったという、トロンメルの楽器を見付けて面白く感じていた。
彼女は学園祭で何か演奏するのだろうか? 一見弓道一本槍に見えるだろうが、私と同じなら彼女も音楽好きで間違いない。でなければ選択授業で音楽を採ったりしない。これは『エル』も同じだった(姉のイリヤは書道を選択していた)。
だから本屋の並びにある楽器屋さんにについつい立ち寄ったのは、決して気紛れではない。
「君は音楽も好きなの?」
横に立つのは本屋で偶然会ったフンボルト君だった。お目当ての本は既に購入済みだ。それでお店を出ようとしたら、後ろから声を掛けられたのだ。彼はサンフランシスコ(正確にはシリコンバレー)から戻ってからこっち、このように本屋巡りをしているとは聞いていた。
それは彼なりに今行っている視察の意義や、起きた現象の意味を探っていたからだ。こういう探究心は私の知るフンボルト君と同じだった。
「好きですよ。ギターもキーボードもサックスも好きです」
「やっぱり。それは、君の元の世界での会長の影響かな?」
お祖父様の音楽好きはかなり有名だ。なのでフンボルト君も知っていたのだろう。
「そうですね。それが?」
「いや、ガレージの裏に小屋があるのは知っている?」
「ん? ああ……ありましたね。それが?」
「あそこが木工細工用の小屋らしくてね。ギターと言うよりヴァイオリンにも使えるような、見事な杢目の板が何枚も保管されていてさ。壁にはフィニッシュしてあるアコースティックギターやエレクトリックギターが掛かっていたんだよ」
知っていた? って顔で私の顔を覗き込むフンボルト君。
この情報にはちょっと驚いた。お祖父様から直接楽器の手解きを受けた記憶のある私でも、お祖父様がここの別荘でそんな事をしていたとは知らなかったからだ。
勿論世界の違いもあるだろう。けれど、ここのお祖父様だけとは到底思えなかった。あのお祖父様ならそうだろうなって妙に納得できる。となるとこれって、『エル』も知らないのでは?
そこから彼と楽器屋さんのウィンドウの前で話し込んでいた。それは私自身がギターを欲しかったのと、日本のエルヴァに贈ってあげたいと思ったからだ。その相談に乗って貰ったのだった。
「基本、君はエレクトリックならどんなのが好きなの?」
「何でも好きですが、敢えて言うならテレキャスターかな」
「なら、あれなんてどう?」
それはピカピカした完成品でなく、ボディとネックを組み合わせて、パーツを乗せて自分で作るキットだった。思わずお店に入ると、奥にそういう専用コーナーがあり、ボディの中には500ドルを越える銘木もあった。
「うわぁ。何、この杢目。マホガニーのテレ・タイプってカッコいいですね?」
「さすがはアメリカだね。ここまでD.I.Y.向けの素材が揃った店なんて、ヨーロッパじゃ考えられないよ」
本当にそうだと思った。しかもキチンとしたブランド物も多数展示してあるし、リーズナブルなスチューデント向きやセカンズ・ハンズも置いてある。
これがギターだけでなく、キーボードやドラムにサックスまで全部そうだった。その構えから大きなお店だとは思っていたが、ここまでとは考えていなかったので随分と驚いた。
後でわかったことだけれど、このお店は元々サンタモニカ・ブールバードにあったらしい(その州道2号線(旧ルート66)は、ビバリーヒルズ辺りまで楽器店が並んでいてミュージシャンがよく歩いている)。
それが数年前、ここに越して来たのだそうだ。だけどサンタモニカ・ブールバードだとギターならギターの、それでもって新品なら新品、中古なら中古といった専門店が多く、こういう総合店はまずない。
秋葉原や日本橋は電子部品や真空管といった専門店に老舗が多く、総合家電店は次々潰れて入れ替わる。それと同じでサンタモニカ・ブールバードもそうだ。
だけどここまでの規模になると、逆に街の便利な大型電気店になって生き残りやすい。少なからず私はまた来たいと思った。と同時にフンボルト君と頷きあった。『絶対にお祖父様の資本が入っているだろう』って。
「あ、これ良いな。ちょっと高いけど」
どれどれと見てみると、それは幾つもの木片を組み合わせてトップをモザイク模様にしてあるボディだった。マホガニーやブビンカやウォールナットにメイプル、アッシュにローズウッド……とにかく1インチ四方の木片がこれでもかと散りばめられている。塗装は薄いクリアラッカーのようだった。
そしてそのキットブランドは、クリアのピックガードかピックガードなしを想定しているのだろう。最初から表面に溝がなく、ピックアップの配線はトンネルを通すようになっていた。
持ち上げてみると思ったより軽い。説明の書かれた札には、内部の画像も添えられていて、ハニカム状に内部が彫られているらしかった。だけどピックアップの下はしっかりとアルダーのブロックが通っている。
「このブランドは全部こういう構造で、杢目の良い板をトップとバックに使っているのがウリのようだね。このボディは言ってみれば廃品の再利用?」
フンボルト君にはわからないだろうけど、それは回転寿司の『店長のオススメ』として時々回って来る、サクの端っこを使った軍艦巻きだと私には思えた。
表と裏が杢目ばっちりの銘木だったら、600ドルはするみたい。そしてこれは裏までモザイクで、400ドルだった。素のボディなら100ドル以下からあるのに、私は迷わずこのボディを選んだ。
それをカゴに突っ込んで、ネックを探そうとカートを押せばフンボルト君が居ない。どうしたのと振り返れば、彼は1枚のボディをジッと見ていた。
「エルヴァ、悪いけれどこれもカートに乗せておいて。そっちは後で精算するから」
それは簡単に言うと『Burnt Finish』のボディだった。元は3トーン・サンバーストのボディだったのだろう。その表面を良い塩梅になるよう燃やしてあるのだ。しかもストラトみたいなコンター加工がされてある。
配線用の溝がないので、それなりのランクのボディだったのだと思う。札には『放出品』とあった。軍の放出でなく、スタッフの放出品という意味らしい。
つまりはお店のスタッフが私物を焼いて、クリアラッカーを吹いて出してるのだ。プライスはたったの35ドル。表面の肘が当たる部分のコンターは一部炭化している。けれどネックポケットはそこまで焦げていない。
つまりそれは偶然得られる美が欲しくて燃やしたのでなく、計算尽くで燃やしたという事だった。これを見付けてくるフンボルト君には参った。私の『店長のオススメ』が霞むじゃないか。
カッタウェイの角に少し残ったサンバーストがロリー・ギャラガーのボロストっぽくて良い。こうなったらネックはメイプル指板で、指垢が擦り込まれたクラプトンのブラッキーみたいなのが良い。
やはり同じ事を考えたのか、彼は中古の汚いフェ◯ダー・ネックを選んでいた。私のは新品のカスタム・ネックでメイプルの柾目にエボニー指板だった。メーカーは知らないところだったが、裏側にトラ杢がブワッと浮き上がていた。
それが在庫処理のボーナス・プライスで400ドルだった。お得なのか微妙な金額だが、軽く小突くと響きが良い。意外と良いネックかも。
その後も中古のコーナーを彷徨えば、再びフンボルト君が面白いのを見付けていた。
それは、知らない人は知らないだろうが、知っている人は知っている『aria proⅡ』という日本のブランドの『615 Nashville』だった。現在はMk2に進化(退化)して、よりテレキャスっぽいシェイプになった。
だけどフンボルト君が見付けたそれは、Mk2でなく、もっとオリジナルティのあるスッキリしたデザインの80年代の半ばから90年代までのタイプだった。
これらはアメリカで作られている、スチューデント向きのテレキャスもどきで、確か日本には2ピックアップのスペシャルが入っていて、アメリカではそれと3ピックアップのスタンダードとデラックスの3本建てだったと思う。
「3ピックアップ?」
「だね。ストラトみたいにハーフトーンが出るのかな?」
おお、ハーフトーンを知っているんだ? この時代のは余りわからないが、Mk2の3ピックアップ版はトーンノブがセンター・ピックアップのオンオフ・スイッチになっていて、センターのみ以外の音は全部出たと思う。
価格も20ドルだし、ローズ指板で真っ赤な色も良い。不具合が無ければ、これをエルヴァに贈るのはどうだろうか?
そう決めてもう一台のカートにそっと乗せてお店の人に預かってもらい、その後ピックアップやブリッジにペグなどを決めていった。
フロント・ピックアップのザグリを、お店の人に広げて貰った。それはフロントに『DiMarzio』の『THE CHOPPER』を選んだからだ。リアは同じく『THE CHOPPER』のブリッジ・タイプだ。
タップを付けてシングルに切り替える事も考えたけれど、取り敢えずこれで組み立て試してみてからと思い留まった。最後にアンプだが、これは正直『Cyber Twin』と『Cyber Deluxe』とで迷った。
『エル』の中に居た頃の記憶で言うなら、真っ先に思い浮かべるアンプは『Fender Vibro King』だった。忘れもしない学園の初等部に編入した年、9歳の誕生日に買ったのだ。日本での定価は40万円だった。
4年生で出たばかりの『Marshall 1959 WSP』を手に入れ、5年生で『JCM2000(DSL)』、その年の暮れに『JCM2000 TSL100』を手に入れていた。
しかも『TSL100』と一緒に『TSL122』も手に入れていて、こいつに『Fender Japan』の『Mustang』や『Jagstang』を突っ込んで掻き鳴らしていた。
まだ新都に新築したビルに引っ越す前で、あの武家屋敷で暮らしていた頃の話だ。4~5年生の小さな女の子が100Wクラスのアンプを防音結界で包み、縁側でジャカジャカ弾いているのだ。
それは美遊がお母様のお腹に居た頃から産まれた頃までの話でもあった。当時は先生に引っ張られて、あちこちの世界に連れて行かれた。そんな出先で巫女の姉さんやお兄ちゃんにアルさんと出逢った。
今にして思えば、あの頃の『エル』は相当ストレスを溜めていたんだと思う。何度か現地で入れ替わってあげた記憶があるから。だから巫女の姉さんもお兄ちゃんも私の事を知っていた。
アルトリア姉さんと王様には、分割思考の事をいつ話したんだっけか。それは憶えていないけれど、会いに来てくれた事が本当に嬉しかった。
ともあれ『エル』という子はそういう子だ。じゃんじゃん儲け、好きなものを好きなだけ買っていた。だけど無駄なものは買わなかった。どれもこれもが、今も大切に使われているからだ。
そして中1の時に手に入れたのが、遅ればせながらの『Fender '65 Twin Reverb』と『Deluxe Reverb』だった。この頃から高1に掛けてグッと背が伸び、ショートスケールだけでなく、それまでに買って弾かなかったミディアムスケールやロングスケールのギターも弾くようになった。
いや……フラメンコ・ギターも弾いていたので、椅子に座ってなら前から弾けていた。だけどストラップで下げると、ストレッチなフレーズが辛かったのだ。
『エル』はそうでもないかも知れないが、この中学生頃の私のお気に入りは『Greco』の『PTシリーズ』だった。どれもテレキャス・シェイプの現代的なギターだった。
アーム付き2ハムの『PTR-700』に、フロントがハムでリアがシングルの『PT-600』はあっという間に消えた。最廉価でフロント・シングル、リアがハムの『PT-400』も99年頃には店頭から消えた。どれも渋る『エル』に強引に買わせたのだ。
そんな『PT-400』を引っ提げて、中等部文化祭(高等部の学園祭と同時開催)で体育館のステージに立った。『エル』が幾つものバンドを掛け持ちし、ジャンル違いの音楽をこなせる理由がこれだ。
私だけでなく、私以外の者も演奏していたのだ。『エル』はプログレッシブロックやトラッドなブルースやフォークが好きだった。私も似た傾向だけど、彼女よりカントリーやサザンロックが好きだった。
なので自ずとギターはアコギやテレキャスとなってしまう。そしてそんなテレキャスのために産まれたようなアンプが、2001年と2002年に続け様に出た。それが『Cyber Twin』と『Cyber Deluxe』だったのだ。
(勿論、通称『70s-80s』という、6L6を使った『Dumble-Amp』が最高峰なのだが。だけど『Dumble-Amp』はEL34を使った『Skyliner EQ』入り『OverDrive Special』ともども幻のアンプだった。3台もお持ちのお祖父様がどこか可怪しいのだ)
どちらもアンプ・シミュレーターとマルチエフェクターが入った超野心作で、専用のフットスイッチで音色を次々と変えられるという、とっても便利なアンプだった。
当時は私も感激したが、『エル』も驚いていた。とうとうアンプはここまで来たのかと。何故なら例えば『Cyber Twin』なら、それまでに出た『Twin Reverb』の音が、ほとんど全部再現できたからだ。
そんな画期的なアンプと私は再会した。フンボルト君も気に入ったようだった。思わずエルに電話を入れると2台とも買って来いと返事があった。ついでに何でも良いからストラトとワウペダルも買ってきて欲しいと頼まれた。
なのでそれらを適当に見繕い(それでも『Jim Dunlop』の『Cry Baby』を選んでおいた)、カードで支払って家に戻った。接客してくれたお兄さんはお釈迦様みたいな螺髪だと思ったら、スキンヘッドにびっしりとタトゥーを入れているだけだった。
腕には『仏契』なんて漢字を入れているし。面白い事をするな!
エルの希望は中古で良いから、白いストラトとワウペダルを買ってきて欲しいだった。そして家に買った機材を運び込むと、早速エルはストラトの弦を張り直していた。
1弦側に6弦を、6弦側に1弦といった具合に逆に張っているのだ。それを『Cyber Twin』に突っ込み、こいつは何とギターを左に構えた。
内臓のチューナーで音程を合わせると、チャチャカチャカポコチャカポコチャ、チャチャカチャカポコチャカポコチャと『Voodoo Child』を弾き始めた。
ストラップは付けずに椅子に座って弾いている。しかもピック無しの指弾きだ。おまけに微妙に椅子の位置をずらしてフィードバックを起こしている。
更にジミヘンのようにモコモコしない、ヌケの良い、けれどとても渋い、『Kim Carnes』張りのハスキーボイスで歌っているのだ。驚いた。どちらかと言えば私より甘く高い声の彼女がこんな声を出せるなんて。
何だ何だと皆んなが集まって来た。無理もない。私でも誰の声だと思うもの。
「サーフィンでもスケボーでも……お前ぇは一体何モンだ?」
彼女の疑問は当然だ。モードレッドでなくとも訊きたとい思う。私も謎だ。本当に元が私なのか? 『エル』は彼女に何をしたの?
ともかく私とエルとフンボルト君はミアータさんとモニカさんの許可を頂いて、ガレージ裏の木工工房に入った。フンボルト君の言う通りで、そこには木工用の機械装置や電気配線の工具がところ狭しと置かれてあり、棚には杢目の綺麗な木材がたくさん置かれたあった。
壁には数本のギターが掛かっている。それらはお祖父様が制作したのであろうフラメンコ・ギターと、レス・ポール・タイプのギターだった。
その出来栄えに惚れ惚れするが、まずは自分のギターの製作だ。ネックとペグを取り付け、動線塗料を塗ってピックアップやブリッジを取り付け、半田ゴテで配線して弦を張って……何だかんだと3時間も掛かってしまった。
その間に、エルは左向けにストラップピンを付け替えて、この小屋にあった『Marshall 1959SLP』でストラトを掻き鳴らしていた。90年代の再生産ものだけど、3段スタックがこんなところに置かれてあるとは。お祖父様だなぁ。
次に出来上がったのがフンボルト君だった。ピックアップは『VanZandt』の『TRUE VINTAGE』だ。南部っぽいザクザク感はフェ◯ダーの方が上だと思うが、このクリア感と、相反する厚みはさすがだ。
実は、テレキャスのリアの魅力は、あの綺羅びやかなサウンドだけではない。木の厚みと低音が逃げ難い構造のシングル・カッタウェイに重い3連ブラスのブリッジにもある。しっかりしたアンプを使えば、思った以上に低音が出るのだ。
だけど『Marshall』とは全然合わないと思った。やはりこの手の音に合うスタックは『Hiwatt』の『DR-103』だと思う。
そして出来上がったギターで、私は『B BLUE』を弾いた。
「それ、なんの曲?」
ふ、ドイツ人は『BOØWY』なんて知らないだろう。だけどエルが私のギターに合わせて即興の歌詞、それもドイツ語で歌っていた。
「Ich bete, dass ich diesmal glücklich bin~♪」
どんな歌だ。対応力の高い奴だ。そこでアルペジオから『THE BLUE HEARTS』の『青空』に行ってみた。すると伝説のイカれた公共放送並みのイカれた表情と仕草で歌い始めた。期待通り、歌詞は……ん?
「Ça ne devrait pas être comme ça~♪」
フランス語だった。こんな誰が話しても『モショモショムシャムシャ』にしかならない言語で、奇抜な動きをしながら息も途切れず快活に歌うエル。こいつの運転するバスには乗りたくない。怪しすぎる。
だけど、『産まれたところや皮膚や目の色で』というところで涙が出そうになった。なんて切実に歌うのだろう。
「彼女、頭が変なの?」
いつの間にか現れたリンさんに力強く頷く私だった。あの子は性格こそ私に近いが、その奇天烈さは『エル』以上だった。もし彼女がメイドで、鋳造者がアハトなら間違いなく即廃棄処分だ。
だけど彼女は私以上にエルヴァちゃんと仲が良く、お祖父様からの信任も厚かった。どうにも解せないが。
毒されたとまでは言わないが、どうも私はトロンメルのギターを見てから、自分の中でのギター熱が再燃している事を感じていた。
自己分析するに、それはきっとストレスだ。弓道部での全国大会。その後の顛末。日々の学生生活。自分で自覚する以上に溜めていたみたい。
悪い癖だと思うのだけど、どうも私はこの手のものを無意識に溜め込む。その自己解決が音楽への渇望なのだと思う。いつもの学園からの帰り道。私はトロンメルに無理を言って、新都の楽器屋さんに寄って貰った。
寄り道と言うには余りにも方向が違うけれど、商店街のアーケードから見て道路の向こうにあるビルの1階から4階まで占めるその楽器屋さんは、地方都市の冬木としてはかなり大きなお店だった。
『エル』はこのお店で2千万以上使ったと豪語していた。私はこれを聞いてびっくりした。逆の意味で、あれだけ買い揃えてもそんなものなのかと。1億以上使っていると思っていたのだ。
だけどよくよく考えれば、ヴィンテージ物のギターをガンガン買っても、2億……いや1億ちょいかも。それをヴィンテージに手を出さず、リイシューや再生産モデルばかりなら。
それにデジタル・シンセは中古だとバカみたいに安くなり、新品でも30万は滅多に行かなかった。そんなだから、あれだけ機材を揃えてもそうなってしまうのだろうと後になって理解できたものだ。
お店の前の駐輪場で自転車を並べて止めた。チェーンで2台を繋げるのだ。そうすると盗難防止効果が高くなる。
お店に入るとどこの高校も文化祭が近いからか、高校生のお客が多いように感じた。制服だと目立つからね。だから何人かは私の姿を見てギョッとしていた。
雀花ちゃんとの約束を果たすために、どうも私は張り切り過ぎたのかも知れない。
「エルヴァ先輩?」
「うん。新品でなく程度の良い中古があればなぁって。ああ、あそこのコーナーですね」
今は2004年。ギリギリだけど、探せばまだまだ90年代の作りが丁寧な国産ギターの中古が手に入った。いきなり見付けたのが『Greco D-800P』というリゾネーター・ギターだった。
90年頃のモデルでフロントにリップスティック・ピックアップが付いた、ブルージーなサウンドが出るアコギの一種だ。当時の定価は知らないけれど、スライドばかりで使っていたのかフレットが減っていないのに値札は4万円だった。
「まずはこれかなぁ」
「渋いところに目を付けますね?」
「ね? こういうのが好きそうに見えないでしょう?」
「はい」
そこからエレクトリックも見て行ったが、中々ピンと来るものがない。 諦めて『D-800P』だけ買って帰ろうかなと思った矢先にそれが目に入った。
使い込まれていてかなりボロボロだけど、フレットは打ち替えられノブなども新しかった。それは『Fender Japan』の『TL62-75』だった。
日本に来た頃に出回っていたモデルで、バスウッドのボディはチャコール・バースト・フィニッシュと言って、わざと焼いてあった。
バーストでなくバーントだろうとは突っ込まない。『◯◯スウェットって汗を飲むのか!?』と思ってしまった、妙ちくりんな和製英語にもすっかり慣れた。
少し持たせて貰えば、ネックは薄く運指が行いやすい。そこでお店の人に試奏できるかと尋ねた。普通なら数万円で置いている中古の試奏なんて断られそうなものだけど、すんなりと許可が出た。
そこで私は『Roy Buchanan』の『Hot Cha』を弾き、続いて『Garth Brooks』の『The Dance』に繋げた。前者のオリジナルはテレキャスだけのインストだ。ピックアップのセレクトとハーモニクスがきちんと出せれば、案外安物のアンプでもそれっぽくなる。
後者のオリジナルはアコギでの弾き語りに近い。なのでこちらはバッキングコードだけを爪弾いて、ほとんどアカペラで歌った。お店の人に『プロですか?』と訊かれたけれど、着ている制服を指差してただの学生ですと答えた。
「でも、普通の人は『Garth Brooks』なんて知りませんからね……」
お兄さんもカントリーやブルーグラスが好きなのだろう。実は『Garth Brooks』はアメリカで一番売れているミュージシャンと行っても過言ではない、あちらでは超の付く有名カントリー・ミュージシャンだ。
そのレコードやCDの販売枚数は、プレスリーやツェッペリンにビートルズを抜かんばかりの大物で、あのイーグルスやマイケル・ジャクソンが足元にも及ばない実績のあるミュージシャンだった。
残念なのは家庭との両立が難しいと2001年で引退してしまった事だ(その後、2007年に復帰してプレスリーとツェッペリンの販売枚数を抜いた。未だ来日していない幻の超大物ミュージシャンだ)。
このとても弾きやすいギターの出どころがわかってしまった。
「このギター、お兄さんがお店に売った?」
「あ、わかっちゃいましたか。62年製の良いのをアメリカで手に入れましてね。それで金欠になったので……」
「値札は3万か。この弾き込んでボディが馴染んだギターなら4万でも良いくらいなのに」
「ボディの馴染みがわかるんですね? それならタダでも譲りたいくらいですよ」
お兄さんと笑顔を交わし、結局私は『D-800P』と『TL62-75』の両方を買った。アンプはお兄さんと相談して『Hot Rod Deluxe』の中古にした。
5万円と7万円のがあったのだけど、お兄さんが財布に余裕があるなら7万のにしてと囁いたのだ。理由はチューブにあった。7万のは6L6のペア管が新品に換えてあったのだ。
それに海外製だろう、マスターボリュームのモジュールが付いていた。この『Hot Rod Deluxe』は僅か40ワットしかパワーが無いのに、出て来る音量は凄いものがあった。
それで自宅での練習に向かないと、様々な改造や追加モジュールが開発されたのだ。トントが『エル』の『Hot Rod Deluxe』に行ったモデファイもそんな幾つかの方法を取り入れたものだった。
最初が小音量で歪ませたり伸びやかなクリーンを作れるマスターボリュームの増設。これはプリアンプ・アウト(センド)とパワーアンプ・イン(リターン)のジャックに噛ます事で実現できる。
次がリバーブの前に入っているハイパス用抵抗の取り外し、或いは過変ボリューム増設。ノーマルだとピチャピチャと、とんでもない掛かりのリバーブになるのだ。そこを抑えるか、調整できるようにしようというモディファイだ。
次が、固定されたミドルが若干高域寄りになるように抵抗を入れ替える。トーンスタックのモデファイと言うらしいが、出る音の違いはわかっても、改造の仕方は全然わからない。アンプの回路を弄れるトントは凄いと思ったものだ。
そもそもトントはベースやドラムを得意としている。バンドでいうリズム隊に特化した才能のある子だ。だからギターを弾かせてもカッティングが多く、リードを余り弾かない。
だけどアンプを弄れるという、もう一つの特技があるので軽音楽部のギター担当から可愛がられていた。例えば『Marshall』の『VALVESTATE』。このランクでも学生が持っていると『オッ?』となる。
そのシリーズの90年代半ばのモデルに『VS30R』という2チャンネルのアンプがあるのだが、トントはこれのジャンクを買って来て箱を切断し、回路をモデファイしてヘッドアンプにしてしまった。
さすがは私学か、軽音楽部にはレンタル・スタジオみたいに『JC-120』が2台あって、トントはこれのリターンにそのヘッドアンプの出力を入れていたのだ。
トントが1年で『エル(私)』が2年の時の話だけれど、3年の先輩方はメチャクチャ感激していた。だってそのアンプのジャンクを買って来てくれるなら1万ポッキリで作ると言ったからだ。
それで5~6台作ったのかな? 今度はその余ったスピーカーを自作のキャビネット(10インチ4発)に収め、これまた自作のパワーアンプを上の乗せたのだ。
親亀(スピーカーキャビネット)の上に子亀(パワーアンプ)が乗って、その上に孫亀(ヘッドアンプ)だ。カタログにも乗っていない自作の Marshall もどき。だけどその音は Marshall という見事なアンプだった。
しかも後に、10インチ2発のキャビネットも作っていた。こんな子が『エル』の『Hot Rod Deluxe』をモデファイしたのだ。
そしてその7万のアンプには、それらのモデファイがトント並に全部行われていた。見た目のボロさとは裏腹にかなり良いアンプだ。こっそりお薦めするだけはある。
つまりお店としては良いものとわかっていても、改造品だとは大きくは言い難いのだ。なら、わかる人に買って欲しいと考えるのは当然だろう。リバーブの前の抵抗が断線しているとクレームを付けられても困るからだ。
お会計はカードで行った。新学期が始まる前にお母様からカードを持たされたのだ。家族カードだが、上限は30万で好きに使いなさいと申し送られていた。
先日も洋服を買った分をお母様にお返ししようとしたら、困った顔で受け取って貰えなかった。
『幾らでも使えとは言えないけれど、キリツグも私も、あなたにはもっと自由にして欲しいと思っているのよ? 遠慮せずもっと甘えてちょうだい。イリヤさんもエルヴァちゃんもエルマちゃんもトロンメルちゃんも、皆んな私達の娘なんだから』
そんな事を言われてしまうとどうしようもない。なので今回は甘えさせて頂いた。そして買い求めた楽器は、魔術でリュックに詰め込んだ。
「こんな人通りのあるところで……。大胆な結界ですね?」
「高度な結界が敷けるから、高度な魔術が行使できるのです。効果の面でも隠蔽の面でも利点は大きいですよ」
「ですよね」
そうして私とトロンメルは大橋の方向に向かって自転車を走らせたのだった。
家に戻るとエルマとマルガリータさんが晩ご飯の用意をしていた。
「お帰りさない、お姉様。どちらに行かれていたのですか?」
食堂のカウンターからエルマが声を掛けてくれた。
「後で話しますから、先に着替えさせて下さい」
「お姉様! お荷物!」
凛へ渡す本だろう。アメリカの私からの荷物が届いたようだ。
「後で」
そう言い残して私とトロンメルは2階に上がった。背負っている間は重力軽減の魔術が効くが、出す時は本来の質量がドドッと戻る。なのでリュックから引っ張り出すのを手伝って欲しかったのだ。
買った機材を床に並べ、トロンメルを自室に戻らせ急いで着替えた。廊下に出るとトロンメルも私服に着替え終えて、出て来るところだった。
二人して食堂に取って返した。
「もう、お姉様。本当にどちらへ?」
「トロンメルとデートですよ。ね?」
「はい。もう私にはエルヴァさんしか居ません。『エルヴァお姉様』……」
そう言って私にもたれ掛かるトロンメル。この子の精神に掛かっていたプロテクトもすっかり解けたようだ。面白いのでエルマの顔を見ながら、トロンメルを抱きしめた。
トロンメルまでもが、私を抱き返している。それも横目でエルマの顔をチラチラ見ながら。だからエルマは、ちょっと口では表現できない複雑な顔をしていた。
エルマは賢い。だからヤキモチを焼きながらも、トロンメルが『エル』の呪縛から完全に開放された事を見抜いていた。なので嬉しさと悔しさが同居した、そんな顔をしたのだ。
トロンメルにウィンクして、そっとエルマに近づきハグしてあげた。
「昨日、トロンメルのギターを見て、欲しくなりましてね。それで新都の楽器屋さんに二人で買い物に出たのです。それだけですよ?」
エルマの顔がパアッと明るくなった。現金な子だ。
「そうそう、お姉様。ご本は凛さんに預けたのですが、その……ギターも届いていたんです。それでお聞きしたかったんですよ。お心当たりはないかなって」
「リンクしてますねぇ。あっちも私って事ですね」
さすがに皆んなを待たせているので、先にご飯を頂いた。エルマの腕も上がったなぁ。少し山椒を効かせた里芋の煮物が良い。仕上げに擦った柚子の皮がまたなんとも。お味噌汁はナメコとお豆腐。そこに白菜の昆布漬け。
そしてメインはサンマの塩焼きだった。だけどこれはグリルで焼いていない。フライパンにペーパーを敷いて焼いている。こうすると余分な脂が抜けて旨味だけが残ると言われるけれど、味気ないという人も居る。
グリルどっちが良いのだろう? キッチンを汚さないという利点を優先すれば、フライパンにペーパーだろうね。それに大根おろしとスダチが添えられているなら甲乙付け難いものだ。七輪で焼かない限り差はほとんど感じない。
更にエルマは、サンマの下拵えに塩と少々の一味を混ぜて使っていた。こういう工夫の方が焼き方よりも味への影響が大きい。旬のサンマには勿体ない、冷凍サンマ向けの味付けだった。
「明日のお弁当のおかず用に、サンマの煮物も作ってありますから」
今は冷蔵庫で山椒の芽と浸けてあるそうだ。この子はやっぱり魔術師に向いている。どこかエルヴァちゃんにも似た細やかさがあるのだ。そしてそれは私や『エル』も同じだった。
食後、美味しかったとエルマをたっぷり褒め(マルガリータさんの指導があったにせよ、素晴らしい出来だった)、お茶を頂きながら、件のギターを見せて貰った。
エルマが取り出したそれは『aria proⅡ』の『615 Nashville』。Mk2になる前の3ピックアップ仕様だった。これはアメリカでしか販売されなかった珍しいモデルだ。
トロンメルの目が輝いた。
「お姉様!」
あなたまで私を『お姉様』と呼ぶのかい。
「冗談です、エルヴァ姉さん」
ん? 『姉さん』? 少し顔が赤いので突っ込まないでおこう。
「お姉様と呼ぶとエルマが面白い顔をするので」
仲が良いね、あなた達も。だけど私も今まで以上にトロンメルを妹と思えるようになった。なのでこの食堂に置かれているスタインウェイ・ピアノの横に、専用スタンドで立て掛けられていた白いアコギを手に取った。
まず解説しておこう。このギターはオーギュストさんがこの夏にあった門前前の掘り出し物市で見付けて買って来たものだ。その白いボディには黒字で『TV-Jockey』という知らないロゴが入っていた。
メーカーはリコーダーで知られる『ZEN ON(ゼンオン)』で、機種は『F-170』というらしい。たぶん30年近くも前のアコギだという。
『昔、日本の若者はこの白いギターと『EDWIN』のジーンズに憧れたそうですな』
嘘だぁ。皆んなそう思った。だけど本当にそうだったという証言が還暦近い、或いは還暦を過ぎた数人の人達から得られた。ちなみに皆さんオーギュストさんの将棋仲間である。
何でも70年代にあった番組の奇人変人コーナーというのに視聴者が参加すると、そのギターとジーンズが頂けたそうだ。そしてその白いギターはまさにその賞品(景品)だったのだ。
寅さんが好きだったり、将棋が強かったり、謎過ぎるぞオーギュストさん。だけどそんなオーギュストさんを美遊ちゃんのお兄さんである士郎クンは尊敬していると憚らず、アーチャーさんも一目置いていた。
そんなオーギュストさん提供のギターを爪弾いて、エルマとトロンメルに歌を贈った。『Kiroro』の『未来へ』だ。本来はピアノの弾き語りだけどギターも合うね。
少し歌詞を姉が妹へ贈るような感じにアレンジした。自分でも良い感じにできたと思う。だけど地雷だった。凛もルヴィアも姉だった。ボロボロと涙を流しているのだ。しまったなぁ……。
僕はアラビア半島のアラブ首長国連邦を構成する一つ、ドバイ首長国に滞在していた。アラビア一の金融都市として日の出の勢いのドバイは建設ラッシュを迎えていて、あちらでもこちらでもドッカンドッカンとやたら煩い。
だけど宿泊しているホテルの窓から見える、建設中のジュメイラ・アイランズやパーム・アイランドは圧巻と言えるだろう。あのどこかにノイント老の別荘も建造中だ。
名義は娘のエルヴァだという。いずれはあの子や姉のエルやエルヴァも、そのどこかで羽を伸ばす日が来るのだろう。人工島だなんて僕には縁のない話と思っていたが、こうして間接的に関わるとはね。
クロエやイリヤとともに遊びに来てくれなんて言われたらどうしよう? アイリとともに逃げたくなるだろうな。
コンコン。
「ミスター・エミア?」
来たか。ハンドガンを構えながらドアスコープを覗いた。予定通りの相手だと確認してからドアを開き、廊下をチェックした。確認後にドアを閉め、ハンドガンをテーブルに置いた。
「相変わらず用心深いな?」
「だから今も生き残っているんだ」
タバコに火を付け、ニコチンを肺に送り込んだ。
「フリュー、それで資料は?」
「揃っているが、どこも動きはないな。気になる兆候もない。本当に生産地が壊滅したのか疑いたくもなる」
「が、それは起きたし、『現象』はあった」
この男はフリューガー。占星術師(アストロロジャー)であり、僕と同じ魔術使いでもある傭兵だ。かれこれ知り合って6~7年になる、この中近東では名の通った仕事屋だった。
今回は情報屋として先に仕事を依頼してあった。だけど守備は宜しく無いようだ。
「エミア、ちょっと早かったんじゃないか? 追うならこっちだと思うぞ」
そう言って彼は、BPとロイヤル・ダッチ・シェルにトタルの株価や株主の近況などを調べた資料を僕に提示した。
「やはりそちらが先か……」
「ああ。ここにはアメリカのメジャーの資料がない。あんたは先にそっちを調べるべきだったんじゃないか?」
かも知れない。その予感も何も無かった。僕は……エルやエルヴァに会いに『アメリカに行った』。それがあの子達の持つ『運』なのだろう。そして遠回りして答えから遠のくのが僕の『運』だ。
ノイント老の『先読み』が過ぎたのもあるだろうが、僕では荷が重いのかも知れない。本当の意味でこれら一連の動き……その真実を見付けられるのは、あの子達なのだろう。
「わかった。ありがとう」
「いいや。また何時でも用があったら呼んでくれ」
「ああ、そうするよ。代金は振り込んでおく」
「ああ、それで頼む」
そうして僕はフリューガーを見送った。石油会社の株価が軒並み暴落している。きっとスーパーメジャー全部だろう。いや、そこにぶら下がる会社や国営の会社もそうだろう。この分だととても大きな買収が起きる可能性がある。麻薬の産地一掃が、何故かこのような形で世界に影響を及ぼした。正直、何が何だかわからなかった。
タバコを揉み消し、煙が出ていないのを目視しているにも関わらず、僕は吸い殻をサニタリーに置いてある水を少し張った紙コップに棄てた。
吸い過ぎだとはイリヤからよく言われていた。だけど火の始末をビシッと言ってきたのは、お姉さんのエルヴァだけだった。いや、今はクロエも言って来るし、旅の間は末のエルヴァまでが言っていた。
認めたくはないけれど、『世代交代』という言葉が頭に浮かんだ。スーツのポケットにタバコとライターを移し替え、ホルスターにハンドガンを収めた。
『街に出てコーヒーでも飲もう』
そう考えてホテルから出た。ドバイは狭いようで広い。フードコートのありそうな一番近いショッピングモールまで1.5kmは離れている。
いや、海辺の良いホテルをとってしまったからだ。高速の下を潜ってショッピングモールまで行けば、周囲は安ホテルも多い。
なのにあんな高級ホテルを手配する。こういうところがノイント老だな。
「はぁ……ドバイにもハンバーガー屋はあるのかな?」
「何を言っとるのだ、あなたは」
ギョッとして振り向けばアーチャーが立っていた。抱えた紙袋には食材がぎっしりだ。彼は今回エーデルフェルトの依頼で動いている。エルマのアサシンも居るはずだ。こんなところで会うのかと嬉しく思う反面、不味いなとも思った。
「その顔は肩透かしを食らったようだな?」
少し睨むと肩を窄めた。『こちらも肩透かしさ』と心の声が聞こえた気がした。
「君はどこで泊まっているんだい?」
「すぐそこのホテルだ。キッチン付きだしスーパーも近い。便利なところだ。あなたは?」
僕は高速道路の高架の先に見える、巨大なホテルを指差した。
「あんなところを指定されてさ。コーヒーを軽く飲むのさえ一苦労なんだよ」
「ああ……」
すると彼は付いて来いと言った。どうやら彼が利用しているホテルでコーヒーを出してくれるようだ。それで僕達はモールの中にあったコーヒースタンドや、ファストフード・ショップを通り越してモールの裏手に出た。
少し歩くと中東料理のレストランと並んでエジプト料理店やアフガニスタン料理店が並んでいた。
「この先をもっと進むとインド料理屋やインドネシアの料理店などもある」
そうだった。ドバイは出稼ぎのアジア人も結構多いのだった。
「ただ、あなたも知っているだろうが、この国はイスラム国家だからな。これといったハンバーガー・ショップはまだ無い。だが、チキンのショップは早くから出店している。スーパーにも良い鶏肉が並んでいるよ」
そろそろ民家がチラホラ見えて来た辺りで彼は『ここだ』と言った。ボロくも安っぽくもない。日本で言うならちょっとランクの高いビジネス・ホテルだ。
「このレベルで一泊2千円だ」
そう言って彼は片目を瞑った。だよね。僕もノイント老の部下になる前はこういうところを利用していた。ドバイは金融都市だが、砂漠のなにもないところに建てた街だけあって、庶民が利用する施設や食料品の物価は安い。
『譲り合い』とでも言うのか、そういうイスラムの良い面が意外と強く残っている。それはろくに石油が採れない国だからだ。
アラブ首長国連邦が連邦になったのは、小国がバラバラだと生き残れないと踏んだからだ。領土問題などが残っている、シャルージャやラアス・アル=ハイマが手を結べたのも環境が厳しいからだった。
例えばラアス・アル=ハイマの先にはムサンダム半島があるが、あの岩しかない場所はオマーンの飛び地だ。言ってみれば誰も欲しがらない土地だったのだ。
そんな場所がアラブには多い。そして広大な砂漠しかない土地だったから、どこの国も都市国家だった。つまりメソポタミアのシュメール時代から、オアシスのある街以外は砂漠だったのだ。
正確に言うなら、メソポタミアの頃のアラビア半島にはまだ緑が多く残っていたようだ。バーレーンを中心としたディルムンやオマーンのマガンなどはメソポタミア文明やインダス文明で興た国との交易で栄えたとされる(ディルムン文明)。
僕は2番目のアーチャーの物語をエルヴァから聞いていた。彼がこの地で身命を捧げ、哀しく散っていった事も。だからエレベーターでも廊下でも、僕の目は自然とこの5番目のアーチャーの背中を追っていた。
「君もここで……?」
聞けるはずが無かった。いつの間にか僕よりも背が高くなっていた彼。
「さぁ、入ってくれたまえ。エアコンも効いているぞ」
自分で言ったセリフが可笑しかったのか、苦笑する彼。
「何か飲み物を貰えるかな?」
「ああ、直ぐに用意しよう」
奥には男性のアサシンと女性のアサシンが寛いでいた。僕に気付いた彼らが立ち上がって礼をするのを手で制した。エルマのサーヴァントだけれど、女性の方は面識があった(と思う。二人いるらしいので判別ができない)。
アーチャーがアイスコーヒーをテーブルに置いてくれた。それを頂きながら尋ねた。
「エーデルフェルトは石油メジャーを買う気なのかい?」
「あ。そういう事か……」
わかっていなかったのか……。
「いや、麻薬の生産地壊滅は最初の一手だろう? 僕の予想は『新たな世界秩序の再編と構築』だ。エーデルフェルトもアインツベルンも、今回は駒の一つだ。そしてエーデルフェルトが角から龍馬に成って、アインツベルンが飛車から龍王に成る事が……」
「相手の狙い。つまり時計塔なども組み込まれた魔術師の世界?」
「と、解釈するのが近いか。表の経済だけでは真の秩序は得られないと思うんだ」
彼は顎に手を当てた。
「そうだな。ズバリ聞くが、あなたはその『相手』を何者だと考える?」
「並行世界で死んだ『エル』君だ」
彼は大きく目を瞠った。