※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第三部 霊脈篇   作:炭団

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第三章 『ラインの黄金』篇
141、ひと月後


 あれから1ヶ月が過ぎた。リンさんやシロウさん達との視察の旅も既に4回出ている。主に西海岸と中東部だ。意外だけれど南部にはテキサスとフロリダ以外、お祖父様の会社がほとんどなかった。だから少し早めに廻って、クリスマスはスイスとドイツで過ごそうと話し合ったのだ。勿論、この件はエルやお祖父様にも知らせてある。

 また、旅の内2回はパミちゃんも一緒だった。パミちゃんが居ればトレーラーを飛行機でも持って行けるし、現地もトレーラーで宿泊できた。それに主寝室に鍵を掛けて、結界を張ってあの空間に行けた。

 通常空間ならパミちゃんも一緒に入り、フンボルトを交えバドミントンやチェスなどを楽しんだりした。本を読んであげたり、スイスからメールで送られて来る課題を一緒に解いたりもした。お祖父様の配慮で、メールの中に6年生向けの問題もあったのだ。そうして私達3人は通常空間なら家族のように過ごしていた。

 それとフンボルトと2人だけなら、心ゆくまで愛し合った。それは通常空間でも仮想空間でもだ。仮想空間だと私が増えるパターンが多かった。やはり男の人には堪らないのだろう。けれど、一度だけ私からお願いして彼を増やしてみた。これは失敗だった。2人のフンボルトが殴り合いを始めたのだ。

 

『僕のエルヴァに手を出すな!』

『どっちもフンボルトだよ?』

『それでも許せない!』

『ああ僕もだ。さっさとエルヴァから離れろ、偽者め!』

 

『私のために争わないで!』と、女の子ならキュンキュンなシーンだけど、暴力はダメでしょう。それで慌てて1人に戻した。

 

『顔が痛い……』

『殴ったのも、殴られたのもフンボルトだもの。我慢ならなかった?』

『ああ、僕には無理だ。あれで僕が何もできない状態で、君がもう1人の僕を迎えていたら……舌を噛んで死んでいたかも知れない……』

 

 嬉しさと悲しさと苦しさで泣いてしまった。そして彼が本当の本当に私を愛してくれている事がわかった。

『自分であっても譲れない』って、中々言えないセリフではないだろうか。少なからず私は王様以外にそういう事を言いそうな人を知らない。

 でだ。やはり彼は2人以上の私を度々リクエストした。『彼が歓んでくれるのなら』と承諾はしても、いざ行為になると、それも待っている側だと本当に辛い。彼の愛を疑いはしないが、何か寂しい。そこで私は溜めるのでなく開き直るのがベストだと、今までの経験で学んだ。ポイントは複数の時は奇数である事、そして恥を完全に捨てる事だ。

 偶数だと1人余って、メチャクチャ悲しい。フンボルトじゃないけれど、頭に血が上って干将で1人殺そうかと思ったくらいだ。かと言って多ければ良いというものでもない。3人が我慢できるギリギリだ。5人や7人以上だと、嬉しいのはフンボルトだけで、欲求不満がかなり溜まる。順番待ちも長いしね。後宮に醜い争いが絶えなかった理由が良くわかった。

 3人寄れば文殊の知恵。9人寄れば悪魔の所業だ。失神して交代したそいつの精神だけをフンボルトにした。そして抱かれている1人を除いた全員でアバターの一部を替え、壁になりながら交代で姦淫した。そしてトドメに次の交代でその子をフンボルトに差し出した。

 元の空間に戻ったら、彼はトレーラーの外に飛び出し、思いっ切り吐いていた。記憶が統合されて、何があったかを知ったのだ。だから謝りながら背中を擦った。やっぱりあの空間はタガが外れやすい。そして一度外れると際限がない。それで彼は、次の日の夜まで口を利いてくれなかった。初めてのケンカだった。結局、パミちゃんに心配は掛けられないし、リンさんやシロウさんに気取られてもマズイので、夜にはお互いに謝って仲直りした。あの時の反省点は多かった。

 きっぱり言われたのだ。

 

『君の姿を借りて君が相手なら、5人であろうが6人であろうが気にしない。だけど自分というのは断じてない』

 

 輪姦された方は問題じゃないんだ?!

 

『それは君もだろう? 殴り合いにならなければ5~6人の僕に囲まれたいと思うんだろう?』

 

 思わず頷いたら、『そういうヘンなところまで僕達は似た者同士だ』と言われた。似た者同士……確かに、自己分析するに、今回の暴走はフンボルトの殴り合いと同じで、嫉妬から来た行動だと理解できる。結局私も、それが自分であったとしてもフンボルトを誰かに渡したくないのだ。とは言え、あのハーレムが浮気防止になっているだろう点も否めない。私は私であって数は増やせても他の人にはなれない。だけど、それはフンボルトも同じで、私も彼でなければ嫌なように、彼も私以外は嫌なのだ。

 だから今後増やすのは、3人までと約束して貰った。この時に玩具をフンブルトに見せて使用も認めて貰った。彼でなく『自分』で使うところが何とも私らしい。

 またこのアバターの分裂は、2体までなら通常空間でも行える事を発見した。正確にはアバターでなく、家が出力してくれるエーテル体だ。要はフンボルトでも扱える全自動の魔術もあれば、魔術師が便利だと思う術式も、予めこの家には備わっていたのだ。それに対する説明書もなければ、パミちゃんも知らなかったらしく、一つ一つ探して解明していく以外ないのが面倒ではあるけれど。でも、エーテル体の出力が可能だという発見は画期的だった。

 エーテル体だから記憶の継続も可能なら破棄も可能。もっと言えば記憶の改竄もラクラクだった。おまけにどんな風にでも出力できる。だからパミちゃんのリクエストで12歳頃の私を出力してみた。ところが肌が白いと私っぽくないと叱られ、仕方なく褐色にした。そうなると中身が私で、少し背の伸びたクロエちゃんだった。いや、クロちゃんだな、これは。

 それ以来、パミちゃんとそこに入ると出力を頼まれた。同年輩の友人がやっぱり欲しかったらしい。だから記憶をこちらに戻さず、パミちゃん専用に取り置いた。だけど時々私を妬まし気な目で視る時があった。例えばフンボルトとキスしている時とかだ。これは立場変わればなのでわかる。彼のアイデンティティはドイツのそれだから、私とフンボルトはリンさんやシロウさんの前でも平気でキスしていた。なのでパミちゃんの前でもそうしていた。それがこの空間でしか存在できない彼女の嫉妬と恨みを買ったらしい。

 さすがにこれはマズイと思い、徐々に記憶と人格を弄り、本当にパミちゃん向けの子にした。パミちゃんはいつの間にやらその子に秘密の名を贈って親友同士になっていた。それでその名は教えてくれなかった。『その子』とか『あなた』としか呼ばなかった私が悪いのだろうけど。それ以降、彼女はパミちゃんの『家』で保管される事になった。時々、パミちゃん1人で空間に入り、色々と話し合っているらしい。そしてそれは悪い事ではなかった。パミちゃんが少しお姉さんになったと感じられたからだ。

 そんな訳でエーテル体は、残すところ1つになった。そちらは私とリンクしていて、私が認めたフンボルトの愛人に収まっている。これにも理由があって、どうしてもという彼のリクエストで出力したは良いが、彼女はヴァージンだったのだ。

 その時の私は玄関のサンルームで本を読んでいた。生理中だったのだ。だからこれは良い方法だと思っていた。ところがフンボルトは責任感のある人なので、それ以降私が無理な時や、もう1人の私がご所望の場合は彼女をリクエストした。そしてどういう心理からなのか、私も彼女には嫉妬しなかった。

 つい先日もエーテル体の彼女がフンボルトに抱かれていて、私は交代待ちだった。それを見ていて興奮もするし、早く順番が来ないかなと考えているのに嫉妬心は涌かなかった。それは彼女がこの空間から出られず、赤ちゃんを産めないと知っているからだ。それで赤ちゃんが産めて、外の世界で生きていける私を恨まないようにプロテクトも掛けた。やっぱり自分は魔術師だなと思ったものだ。それで『エルヴァ』から私を造った『エル』への恨みというか、わだかまりが完全に消えた。

 

 勿論、こんな色ボケた事が考えられ、実際に行動できるのはパミちゃんが居てこそだった。その感謝の意味もあってのバドミントンやゲームであり、子供の私なのだった。

 だけどパミちゃんが居ないとなると。私とフンボルトは、女の子の日以外はほとんど毎日身体を重ねていた。ではどうしたのか? 要はリンさん達と協定を結んでいたのである。とにかく眠る時は私達側からもリンさん側からも結界を張る。そしてお互いのパートナーと楽しむ。万一結界を張り忘れたりして、エロい声が少々聞こえてもお互いに干渉しないでいようと細々と取り決めもしていた。だけどあの『うっかり』は、ひと月の間に3回も張り漏らしていた。

 私達の声は聞こえないが、あちらのエロ声は強制鑑賞だ。何が干渉しないだ。それも朝方までパンパンパンパンと。そして終わる度にプスプスピ~ッだ。シロウさんがショートストロークなので、多分タマか下腹部がリンさんのお尻に当たるのだろう。それでパンパンだ。見たわけではないが、バックだろうなと想像は付く。それでもってロングな動きをすると、途中で抜けるんだろうね。その時に膣に空気が入って終わればピ~ッと。

 え? 『外からの音も遮断しろよ』だって? 万一の警報などが聞こえなかったらどうするの? だから普通の防音結界は一方通行で、自分たち側の音を外に出さないためのものなのだ。

 

『まぁ、刺激を貰えると思ってさ……』

 

 だけど私も長い事『遠坂凜』や『遠坂凛』を知っているし、数人は親友の間柄だったんですよ? そんな彼女達とまったく同じ声で……。

 

『それで君は濡れっぱなしなのか……』

 

 そっちこそ『チンボルト』がギンギンじゃないですか。しかも『今、シロウは何を言ったの?』とか聞いてくるし。シロウさんもシロウさんだ。イク時に『セイバ~~ッ』とか『サクラ~~』とか違う名を呼ぶなよ。失礼過ぎないか? だけど理由は直ぐに思い付いた。これも浮気防止のためなのだろう。そういう暗示だ。精神状態も高校生くらいに固定しているのか、『遠坂~~~!』とか叫んでいる。

 そんな事するから、シロウさんは大人になりきれないんじゃないか? でも聖杯戦争のあの期間はリンさんにも強烈な印象を残したのだろう。リンさんはリンさんで自分に暗示を掛けているのか『ア~~チャ~~~ッ』とか叫んでイッてるし。

 

『自分達を棚に上げて言うけれど、乱れているね?』

『ね?』

 

 何だかアホくさくなって、その後何もせず、抱き合って眠ったのが昨夜と言うか今朝方の事だった。

 今、私達はテキサス州ダラスに近いRVパークに滞在していた。ダコタが引っ張っているのは当然ながら、あの新たに買ったトレーラーだ。このひと月もそうだけど、ネバダの霊脈からこれをずっと使っている。仕事はずっと順調。何の問題もない。今朝は私とフンボルトが料理番だった。

 

「なんでアメリカに『Thomy Majonez』がないんだろう?」

 

 彼が言っているのはネスレの展開する『Thomy』から出ているマヨネーズの事だ。彼はマヨラーではないが『Thomy』が最高と常々話していた。そして同率かそこに近い2位が日本の『キ◯ーピー』だとも。ネスレはスイスの企業で、あの『エル』ですらカブる商品は避けていた世界的大企業だった。マギー◯イヨンにキッ◯カットにネ◯スルのコーヒー。あなたもどこかで口にしているはずだ。

 だけど頭をサッと切り替えられるなら、アメリカでのマヨネーズには、サウスカロライナ州の『Duke's Mayonnaise』をお勧めする。これぞ南部の味で、揚げ物やサンドイッチにバッチリ合うのだ。大手の『Hellmann's』や『Kraft』に飽き飽きしている人にも『キ◯ーピー』とともにお勧めしたい。ただし自分でタルタルソースを作れる人はこの限りではない。

 そしてフンボルトは、何故か朝っぱらからチキン南蛮にチャレンジしていた。

 

「う~ん……何か違うなぁ」

 

 答えは揚げたチキンに砂糖を入れ煮詰めた黒酢をブッ掛け、タルタルに米酢を少量足すだけだ。だけど彼は一所懸命に微塵切りのピクルスと茹で玉子を『Duke's Mayonnaise』と酢で和えて悩んでいた。朝食だから1人二切れくらいだけれど、チキンはカラッと良く揚がっている。下手に砂糖をブチ込む前に教えてあげよう。

 何故朝からこんなクドい物をと言うなかれ。フンボルトはリンさんへの奉仕で、日に日にやつれていくシロウさんを心配していたのだ。原因は遠坂家の調整にある。そろそろリンさんも生理が近い。きっと今が性欲のピークなのだ。それで夜な夜なああいう風になる。しかもあの人が元々なのか、かなり性欲の強い人だった。

 シロウさんへの朝食なら、鮭か鯖の塩焼きに、だし巻き卵と海苔、そして炊きたてご飯にお味噌汁とお漬物だと思うのだが、あいにくここはテキサスだ。チキン南蛮は美味しかった。

 幸い視察は昨日で終えていて、後は帰るだけだ。朝食後の片付けも、各種パイプの取り外しと清掃も私とフンボルトで行い、運転も私とフンボルトで交代しながら走った。お昼はバーべキューハウスに寄って、テキサス流のバーベキューを堪能した。

 

「済まない、2人とも。もう、昼からは大丈夫だから、運転を代わるよ」

 

 シロウさんとフンボルトは、私と交代できるようにトレーラーの牽引免許を取得していた。

 

「シロウ、もう少し休んだ方が良いぞ」

「いや、食いさえすればどうにかなるよ」

 

 その食べた分の栄養を全部リンさんに持っていかれているのに。昨夜もステーキハウスに行って、シロウさんはフンボルトとポーターハウスを食べていた。ポーターハウスって何だって? Lボーン、Tボーン、ポーターハウスと繋がっていて、フィレ部分(テンダーロイン)がシャトーブリヤンになっているTボーンの最高級なものを言う。それの36オンス(厚さ2インチ以上)をフンボルトと注文し、スープもパンもペロリと平らげていた。私とリンさんは32オンスのトマホークを2人でシェアし、パンとスープはパスしてサラダだけ追加した。

 支払いは4人分チップ込みで200ドルを軽く越えた。レシートを見ると、ポーターハウスのセットは80ドル近い。1人8千円越えのステーキだ。36オンスだと1キロちょいだ。しかも最高級の部位。高いか安いかと言えば安いと思う。あれだけの質が高い肉はダラス近郊か、シカゴでないと食べられない。それでもってロスやニューヨークで食べるより遙かに安い。言ってみれば銀座でなく、金沢や小樽でお寿司を食べたようなものだ。だから贅沢ではあるけれど、安いと言えるのだ。モードレッドに食べさせてあげたいと思った、そういう味だ。

 このお寿司に関して少し余談。最近のアメリカ人も余程の内陸でない限り、大抵1度はお寿司を口にした経験があるという人が増えた。そしてそのほとんどの人が、スシロール(巻き寿司)で握りの経験がない。これは彼らのニーズに職人さんが応えたからという側面もあるが、日本人でない出鱈目な人達のお店が多いからでもある。しかも普通のアメリカ人は魚介類をまず食べない。食べてもオイスターかロブスター(オマール海老)か、サーモンのマリネくらいだ。

 カツオとマグロの区別もつかない奴らが、缶詰(ツナ缶。断然日本製の方が美味しい)以外の使い途を知らないのに漁るなと言いたくなるだろうが、少し頭を冷やそう。彼らはお肉を最高に美味しく食べられる身体と脳に、長い年月でなっている。私も半分はそういう民族だから、そこは良く分かる。8千円のステーキと10貫8千円のお寿司はどちらも美味しい。そしてお腹が膨らむのは、間違いなくステーキの方だ。だけどバラエティに富むのはお寿司だ。どちらが上かでなく、どちらがその時食べたいかだ。

 

 帰りはエルパソからニューメキシコに入り、アリゾナのツーソンを経由してハンティントンに戻る。それだけで丸一日掛かるけれど、今回の旅も面白かった。何よりフンボルトが、本当に私にぴったりな人だと再確認できた事が大きい。さり気なく重い荷物を持ってくれたりするのも嬉しいのだけど、もっと嬉しいのは後片付けやお掃除にお料理を嫌がらないところだ。基本ドイツの学校では掃除の時間なんてない。では、誰から学んだのか? それが彼のご両親であり、お爺様からだった。

 

『お爺様やご両親?』

『うん。木材を扱う工房で一番怖いのは火事だから、火の始末は絶対だよ。次が整理整頓と後片付けだ。これができないと、次の日ウロウロと工具を探す羽目になる』

 

 これを聞いたのがギター作りの時だ。そして旅に出れば、彼は率先してお料理を手伝ったり、後片付けを手伝ってくれた。その理由が奮っている。『シロウに負けたくない』だった。元々RVパークでのトレーラー設置や撤退を手伝ってくれていたし、荷物運びもしてくれるのでお料理は別に手伝ってくれなくともよかったのだ。

 

『だけどさ、シロウは全部できるだろう? あれは素直に感心したんだ』

 

 旅好きでキャンプ好きだから、身の回りの事は自分でできるタイプだ。だから余計に感心したんだと思う。またシロウさんのレパートリーが和食に偏っているので、彼が手を出す余地があった。そこにリンさんも参戦して、2回目の旅から、お互いのパートナーとペアになって、交代で食事を作るようになった。それでこのひと月でフンボルトのレパートリーがグッと増えた。

 私に合わせてレトルトやインスタントを使わないところも偉い。エルならひと月の中の1~2回は、インスタントのラーメンとかカレーが入る。しかもライスでなくパンだ。フンボルトがヤル気になったのもここに理由があると思う。つまりシロウさんでも、お米のないお料理は難しかったのである。逆にフンボルトはパンと『何か』だ。スープでも良いし、サラダでも良い。目玉焼きも立派なお料理だ。それでその程度は元々作れていた。だから鉄鍋を使ったオーブン料理や、ホイル料理を教えたのだ。豚肉とキノコのホイル焼きを食べてシロウさんが悔しがっていた。

 

『方法は魚のホイル焼きと同じで、蒸し時間が違うだけか!』

 

 味付けはバターと塩と数滴の醤油だからね。しかもパンに合う。そんな簡単な一手間で、更に美味しくなるお料理を見繕って教えていた。そして3回目の旅で、とうとうフンボルトはシロウさんに勝ってしまった。

 

『クソッ、ウマい。負けを認めるよ、フンボルト』

『え? 何を言ってるの? 勝負なんてしてなかったろう?』

『いや、俺が一方的に……』

 

 内心は2人とも競っていた訳だ。あれでリンさんに火が着いたんだろうなぁ。普通にどう考えてもシロウさんの方がお料理上手だ。だけどリンさんが提示したメニューでも、無意識に和食縛りをしてしまう。それでパンに合わない味付けになってしまって……。『衛宮士郎』は手の掛かる人だとは思っていたけれど、違う意味でも手の掛かる人だった。

 ところがフンボルトとシロウさんは前からもそうだっけれど、この旅でどんどん仲が良くなっていた。

 

『エルヴァ、あの2人ってどこでウマが合うの?』

『あ~……。シロウさんもある意味、職人気質でしょう? フンボルトもそういうタイプなので』

『ああ、確かに。フンボルトも、そういうところがあるわよね』

『それとフンボルトは、お兄ちゃんにある種の憧憬を懐いています』

『アーチャーに? 目上の人だから丁寧だっただけじゃないんだ?』

『あれ? 気付いていませんでしたか?』

『いや、そういう、何かわかりやすい態度ってあったっけ?』

『ないでしょうね。お兄ちゃんが目指したものは100%否定でしょう。でもそこに至ろうとした熱意はリスペクトしています。だからシロウさんが心配で。深く知ろうとして気心が通じたと言うか』

『そっか。ありがたい友人だと私も思ってる。何より年上でしっかりしているし。これからもよろしくね?』

『彼に言ってあげて下さいよ』

『あなたに話した、イコール彼に話したも同然じゃない』

 

 なんて事を言われた。

 少し話は変わるが、フンボルトという人は、トイレやシャワーで無意識に鼻歌を歌う人だった。それがまた面白いメロディで、こちらの創作意欲がグッと湧くのだ。中でも心に残る良いメロディは、決まってシロウさんとリンさん、そして私とフンボルト、そこにパミちゃんやモニカさんにミアータさん……つまり私達の仲が上手く行っていると彼が感じている時に出る。私とケンカした時は、地獄への行進みたいなサッドソングを歌っていた。

 こういう何気なく出た鼻歌を採譜して、後で編曲すると実に良い。本人は気付いていないが、メロディーは自然にじゃんじゃん湧くタイプだった。なので、もう一つの大きな方のトレーラーに積んであった、お祖父様のアコースティックギターをこちらに乗せ(戦前の『D-28』だ)、乾電池で動く『Micro KORG』と『Melodymaker』。それと、とうとう手に入れたベースとともに積んでいった。

 ベースはアレだ。トントが使っていた『Jazz Bass』に『Precision Bass』のピックアップを追加したものを参考にして、ザグリのないボディを買ってまたまた作った。長細い2本のシングルコイルの間にプレシジョンのスプリットが埋め込まれている。回路は独自のもので、セレクターで『Jazz』か『Precision』かミックスかを選ぶ。ノブは3つでボリュームとバランサー、それとトーンだ。ただしボリュームとトーンは2連になっていて、ここで『Precision』の時の音を決めている。バランサーは『Jazz』の時の、フロントとリアのミックス具合を調整していた。

 またバランサー脇のミニスイッチはターボスイッチだ。これは結構有名な改造で、誰が最初に気付いたのか、『Jazz Bass』のピックアップはフロントとリアが逆巻きの逆磁性だった。普段はノイズキャンセルされたパラレル(並列)だが、これをスイッチ一つでシリーズ(直列)になるよう改造するのだ。するとピックアップがハムバッキングになって、ノイズのない太い音になる。スイッチでゴキゲンなサウンドになるから、ターボスイッチと呼ばれている。

 それとバイパススイッチを入れると2ヶ所のジャックから、『Jazz』と『Precision』の音を別々に出力できるようになってもいた。フロントピックアップを少しネック寄りにしているのと、木材の質量やボディ形状の違いから、どちらも本当の音から少しズレている。だけどそれが独特の音となって凄く良い。これを考え出したトントは偉い。

 追記として、これとは別にギターとベースも手に入れていた。どちらも『Rickenbacker』で、ギターは中古の黒い『325JL』。ショートスケール、3ピックアップの『John Lennon』再生産モデルだ。ベースは新品で『4003S』のメイプルだ。名器『4001S』の後継機種で、21フレットでなく20フレットなのは惜しいが音は独特でやっぱり良い。ただしこの2本は旅で使わない。

 今回ハンティントンに戻ったらそれらに歌詞をつけて、アレンジしようと思っている。実に楽しみなのだった。

 

 

 

 学園祭後のお別れパーティーからひと月が過ぎた。リューリィさんもフィオレさんも、巫女の姉さんもちぃ姉さんも、もう1人のちぃ姉さんも、それぞれのところへ帰っていった。火が消えたように何だか寂しい。

 また、最近の私は料理を作る機会がめっきり減った。マルガリータさんが監督して、エルマやトロンメル、たまに凛やルヴィアが作る事がやたら多くなった。だからと言って朝食でもとなると、アーチャーさんの仕事が失くなる。そして美遊ちゃんの士郎クンがどんどん上手くなっている。ニコさんやアーチャーさんの今までの手解きが、ここに来て花になったと言うか……。

 試験こそギリギリ首位をキープしたし、弓道部の新人戦でも女子は地区優勝した。コーちゃんとも数回デートして、私は順風満帆なはずなのだが、どうにも気分が晴れなかった。

 一つは引退が近い事。年明けにある大会まで残る3年生も居るのだけど、学園弓道部の場合、それは皆んなにもチャンスをという意味合いが強く、近的レギュラーと遠的レギュラーに入っていた者は『出場ご遠慮下さい』というのは毎年の恒例だった。だから薫も、美綴さんですら年明けの大会には出ない。なので籍は置いているが、今の私はたまに道場へ行き、後輩の指導をしてから帰るか、コーちゃんと2人で帰るかといった調子だ。

 そしてもう一つの晴れない理由が、両親の事にあった。あの伯父様がどうしても私の実の両親に会って挨拶したいというのだ。その件をなんとお父さんが仕事に戻った後でお母様に話されたのだ。

 

『あの……あの子の親はスイスでして……』

『ならば、私の方でご挨拶に伺います。何としてもエルヴァさんを嫁に迎えたい』

 

 とまぁ、ノリノリなのだそうだ。チューリッヒのお屋敷に行くの? 腰が抜けますよ? 困った私はお祖父様に電話した。するとマアエモ・ママとでどうにかしてやるから安心しろと言われた。つまりママが母親役だ。って事は、お祖父様が父親役となる。いや、おかしくはない。『エル』もエルヴァちゃんも私もそうやって育ったのだから。なので私も対外的な父親はと訊かれたら、お祖父様と答える事に何ら抵抗はない。だけどお母様とお父さんに、どこか後ろめたい。これは仕方ないのかな?

 それで伯父様は奥様と、11月にチューリッヒへ行くと決まっちゃったらしい。あの、私達はまだ高校生ですが……。そういうホンワリとした気分に、水を掛けられたような。自分達がローからセカンドに入れるかどうかという段階で、周囲はトップギアで最高速を競っているような。そういう熱の違いについて行けない私とコーちゃんだった。

 

「エルヴァ、どうだ? パーッと打ち込んで行くか?」

「そうですね」

 

 そうして私は剣道部に行った。顔は知っている体格の似た3年生の女子が、予備の道着を貸してくれた。どうやら事前に話は着いていたらしい。学園女子剣道部は、白の道着に白袴、そしてレギュラーは赤胴だった。それを丸々貸してくれた。

 

「吉川君が、アインツベルンさんは経験者だって話していたけれど本当?」

「一応です。私のは剣道でなく剣術ですね。それも本来は二刀流ですし」

「二刀流!?」

 

 これはちょっとした思い付きだった。もし小太刀の竹刀があれば使ってみたかったのだ。それに受けるのはコーちゃんだし、きちんとした剣道の範疇で、私を見て欲しいというのもあった。

 貸してくれた彼女の名は朝倉一美といい、F組の人だった。A組とは教室が離れているので接点がまるでない。だけど私の事は前から知っていたとか。

 

「それはそうよ。アインツベルンさんって、インハイに出る前から有名人だもの」

 

 まぁ、体育祭からだろうな。

 

「ううん。転入初日からよ?」

「え?」

「もう。自覚ないの? そんな健康的な褐色美人なのに?」

 

 ないのと言われれば、自覚はありますよ。でも、それって人に言うような事じゃない。可愛く産んでくれて親に感謝とも素直に言えない。母親要素は大きいけれど、父親要素は皆無だし、細々したところは調整の結果だ。言ってみれば胎児が羊水の中で、人の形になる段階から整形を受けていたようなものだ。言えないけれど。

 更衣室で道着と袴を着け終えると、剣道場に隣接している休憩室で胴を着けて面手拭いを頭に巻いた。道場から直で更衣室には入れず一旦休憩室を間に挟むのは、土間に下りたら男女の更衣室が並んでいる弓道部よりガードが固く好感が持てる。これは多分弓道男子より、剣道男子の方が野性的だからだ。そんな配慮もあって、朝倉さんは防具を休憩室に持って来てくれたのだった。

 

「だって男子のアインツベルンさんを見る目がヤバいって。美人コンテスト優勝の一角がフラリとさ。幾ら吉川君の彼女だと知っていても、あなたみたいな可憐な人が来るところじゃないわ」

 

 どうも彼女は私をやたらと持ち上げる傾向にある。過大評価だと思うのだが。私が疑念の視線を投げたら教えてくれた。

 

「剣道部の男子って、意外とモテないのよ。まぁ、それは女子もなんだけどね」

「どうしてですか?」

「同じ武道でも、弓道部と違って汗臭いわ、防具くさいわでさ。それに練習中は顔を隠していて『キエーッ』とかだから。だから部内での恋愛も滅多にないのよ。その点、弓道部は女の子が皆んなポニーテールで、真剣な表情がバッチリ見えるし。合気道部も柔道部も皆んな言ってるよ。武道系の彼女を選ぶなら弓道部からだって」

 

 確かに弓道部の女子には彼氏持ちが多い気はする。居ないのは薫、美綴部長……あれ? 役職持ちは居ない……?

 

「だから私、こう言うと失礼だけど、あの堅物で剣道一筋な吉川君に彼女が、しかも弓道部から見付けてくるなんて思わなかったわ。で、誰よとなって、A組のアインツベルンさんだって聞いてビックリしちゃった」

「そんなに?」

「またまた自覚のない発言を……。高嶺の花過ぎて、この武道館に集う男子が皆んな諦めていたのよ」

 

 朝倉さんは思った以上に事情通だった。それは同じ場所で練習するから、柔道部や合気道部ともある種の連帯感があるからだそうだ。それも男女関係なくだという。各部とも男女は練習が別だし、男子と女子が闘う事もない。ただ、空手の組手と同じで、柔道も合気道も剣道も、受け側に男子が入る程度だ。

 

「それにウチは昨年の春に、美綴さんにフラれたから余計にね」

「フラれた?」

「知らない? 美綴さん、1年生の春に2日だけ剣道部に来てくれていたのよ」

 

 部活見学でのエピソードだそうだ。スジが良いし、経験者だからって事で先輩方の期待が大きかったらしい。だけど当時の美綴さんは、なぎなたと空手が本業みたいなもので、剣道はついでのようなものだった。そこで幾つかの部活を見学したり体験したりして、今までしていない弓道を選んだ。藤村先生が誘ったという話もあったと聞いているが、剣道だけでなく、他の武道にも明るい方だから安心感もあったのだろうと思っている。

 かく言う私も藤村先生には感謝している。並行世界の先生は困ったものだが、こちらの先生は本当に面倒見が良い。実は全国の時、わざわざ駆け付けて下さって、会場が違う私達遠的組にも声を掛けて下さったのだ。先日の新人戦にも当然のように来られ、緊張している1年女子をの肩の力を抜いて下さった。それも私のせいだった。私が行って声を掛けたせいで、良いところを見せようと皆んな固くなってしまったのだ。そこをサッとフォローして下さったのだ。

 とにかく顧問の先生もコーチも男性なので、女の子の心理に少々疎い。そういうところを藤村先生はいつも目を配っている。美綴さんが弓道部を選んだのはそこもあったと思う。

 

「じゃ、行きましょうか、朝倉さん」

「ええ。頑張ってね、アインツベルンさん」

 

 そうして私は小太刀タイプの竹刀を2本と面を持って道場に入った。準備運動を終えているコーちゃんは面を脇において背筋を伸ばして正座していた。瞑っていた瞼を開けて口が『ホゥ』となって止まった。自分の彼女が白い道着と袴、そしてレギュラー用の赤い胴で現れた。そこに感嘆したのだろう。朝倉さんに頭を下げていたからね。

 だけど私が2本の竹刀を持っている事に気付いて訝しんだ。

 

「エルヴァ、二刀なんて使えるのか?」

 

 かなり怖い顔だ。『付け焼き刃なら容赦しない』。そう言っているのだ。

 

「我流ですが私の本気をあなたに見せます。ですから吉川クンも本気で来て下さい」

「わかった」

 

 私に剣道部主将の彼を貶めるつもりはまったく無い。彼は彼で『戦場の剣』を知っている。それを受け継いでいる。ただ学園の剣道部では見せないだけで。だから伯父様は道場を継がせたかった。2人向き合って面を着けた。

 

 審判は副将と紹介された、コーちゃんの友人が引き受けてくれた。礼の後、私は左右に小太刀を構え蹲踞の姿勢を取った。

 

「始め!」

「ちぇすと~~~~っ!!」

 

 周囲がギョッとしている。多分この掛け声は初めて披露したのだろう。だけど私は飛び込んで来る、彼の剣先だけを見ていた。そして読んでいた。私が誘いで作っていた左の隙きに飛び込む彼。それをギリギリで右に躱し、彼の体勢が整う前に右の小太刀を振り下ろした。それを既(すんで)のところで後ろに跳んで躱すと、着地の反動を利用して床を蹴った。彼の身体の大きさを考えると素晴らしい反射神経と身の軽さだ。

 

「ちぇすと~~~~っ!!」

 

 今度は躱さず頭上で小太刀をクロスして受け止めた。それは彼に足首を痛めて欲しくなかったからだ。

 

「どりゃ~~~ッ!」

 

 彼の腕にチカラが込められる。その瞬間に脱力しつつ身体を屈め、上段の太刀をいなした。彼が体勢を整える間も与えず、懐に入り小太刀を拳の延長とした突きのラッシュを入れる。面の向こうで彼が笑っていた。とうとう柄まで使って突きを躱し切った。だから私も笑った。そのスピードで目が慣れたなら、次は躱せないぞ?

 床を蹴って再び飛び込む私。さっきの数倍は早い。だけどまだ英霊のチカラは使っていない。さぁ、コーちゃん。躱して下さいね!

 そして彼は躱し切った。だけどそこは場外で、竹刀も落としていた。

 

「一本! 戻って」

 

 面の向こうの彼は獰猛な微笑を浮かべていた。そして誘っていた。『俺はまだ死んでいない。全部躱したぞ』と。『だから、もっと見せろ』と誘っていた。さすがはコーちゃん。カッコいいぞ。だから二本目は、竹刀でなく干将莫耶を握った積もりで、蹲踞後いきなり攻めた。カウンターの突きを跳んで躱し、彼の小手を足場にして、二刀同時に面を入れた。

 当然私の反則負け。だけど礼の後、コーちゃんは大笑いしながら面を外していた。だから私も所定の位置に戻って面を外した。結構距離が離れているのに真正面に彼が座っているような気分だった。顔を見ればニヤニヤと笑っていた。それは私も同じだった。傍まで行って握手した。

 

「お前は牛若丸かよ? けど俺は殺されてたな」

「ですが、反則技を使わないと勝てませんでした」

「ウソつけ。いや、訂正だ。幾ら相手がエルヴァでも、剣道で負けるわけにはいかん。……こうだろ?」

「はい!」

 

 そして無意識に彼に飛びついてしまった。そんな私をしっかり受け止めてくれる彼。視線が絡み合い……私は目を瞑った……。

 

「ちょっ!? 吉川! 道場だぞ、ここ!」

「アインツベルンさんも離れて! もうじき先生が来るから!」

 

 私は彼から離れ一目散に休憩室に逃げた。そして更衣室で一気に着替えた。道着や袴を折り畳み手拭いを外して髪を梳いた。胸のリボンを結び、何食わぬ顔で道場に入ると、学年主任で剣道部顧問の木谷先生がいらしていた。

 

「おお、アインツベルン。来てたのか?」

「はい、お邪魔しております」

 

 あざとい営業スマイルで返す。

 

「どうだ、防具や道着を貸してやるから稽古を付けて行かんか?」

 

 この時、女子部員全員が首を横に振った。

 

「ほぅ~。皆んな腕を上げたな。アインツベルンの強さがお前達にもわかるか……」

 

 それで暫く練習を見学させて頂き、その後、時間潰しに弓道部に顔を出した。そして夕方、コーちゃんと帰ったのだが。

 

「木谷先生にはバレてないが、神聖な道場でキスした男と散々だった……」

「え、ウソ!? 唇、触れてないですよね?」

「皆んなにはそう見えたんだろ。仕方ない。それと怪我の功名だな。俺達の剣筋に気付く者は居なかった。ハッタリで遊んでいたと思っている」

「良かった」

「けど、付け焼き刃じゃなかった。お前、本当に凄いな。あれは一体?」

「本当は投げ技も蹴り技もありのナイフ格闘術です。軍隊用の」

「ああ、軍か……。突きは空手の応用だな?」

「はい」

「そういう訓練を?」

「ええ。伯父さんがスイスに行けばわかると思います。余り大きな声では言えませんが、スイスはそういう国なので」

 

 思いっ切り出鱈目だが、どうして永世中立国でいられるのか? その真実の一端を見たという顔を、なぜか話した人全員がする。特に日本人なら。『戦場の剣』を知っているコーちゃんでもこうなのだから、日本は本当に平和な国だ。

 いつものカーブで自転車をガードレールの外に出した。数メートル歩くと少し下がったところに一辺3mくらいの小さなスペースがある。ここだと車道からまったく見えない。そしてカーブのところだから誰も来ないのだった。私はアルトリア姉さんに教えて貰っていたのでここを知っていた。だけど今の学園生は誰も知らなかった。

 それは、そもそも自転車通学の人が少ないからでもあるし、第一発見者が並行世界でも弘一お兄さんだったからだ。だから同じ自転車通学の姉さんも知っていた。だからここのコーちゃんも知っていた。ここから海を見ると西に大きく夕焼けが広がっている。逆の東側は夜が始まっていた。2人並んで枯れつつある短い草の上に座った。遠くの街の灯りが地上の星のように輝いているのが見えた。今日の私は『地上の星』を口ずさんでいた。

 

「あの番組が好きなのか?」

「割と。ためになる回もありますし。ですけどドラマは身近にもあります。例えば弓道部なら、大会に臨むのは5人だけではありません。レギュラーに入れなかった子の思いもそこにあって、それがあるから絶対に外せないというか……」

「だよな? 悔し涙を流していた奴の顔が浮かぶよな? だから負けられない。お前は本当にわかっている」

「コーちゃんこそ」

 

 彼の太い腕が私の肩を抱き、顎に指を添えた。その指に導かれるまま顔を彼に向け、目を瞑った。長い長いでも短いキスをした。お互いの舌が絡み合う。こうして並ぶと座っていても彼の方が座高が高い。なので唾液がどうしても私に流れてくる。だけど全然嫌じゃない。

 私の肩を抱く彼の腕にチカラが籠もる。すると自然に私はコーちゃんにもたれるような姿勢になる。そうなると姿勢が『くの字』になって余計に首が上を向く。そして辛くなって彼の胡座をかいた膝に、支えるための手が自然に行ってしまう。最初は何週間前だろう。その時にうっかりズボンの上から彼の物に触れてしまった。慌てて手を引っ込めたのだけれど、お互いに顔が真っ赤だった。

 それが今は私から、彼の膝に手を置いている。彼も私の肩に回す腕が前より自然になった。茶色のベスト越しに彼の手が私の胸に触れてしまう時もあるけれど、それも偶然の範囲だった。お互いに18歳。これ以上の関係を望んでいた。

 

「コーちゃん……」

「エルヴァ……」

 

 そういう『それ以上』を望む時は、ほんの少し声が上ずってしまう。呼吸が苦しくなるとわかっているのにキスしたい。コーちゃんもそれには同じで。お互いがお互いの気持ちに応えたいと思っているのがわかる。

 だから先週、きちんと避妊してくれるなら、次のデートでホテルに入っても良いと言った。だけど彼は首を横に振った。

 

『ダメだ。スイスのお前の本当の親から交際の許可を貰って、せめて婚約してからだ』

 

 これはご両親だけでなく、伯父様からもキツく言われているからでもあった。

 

『我慢できるの?』

『真剣だからな。真剣だから我慢するんだ。それとも、そういうのは気にしないでヤッちゃうのがそっちの文化?』

『人によりけりかな? だけど私は、コーちゃんのそういう姿勢が正しいと思うし、カッコ良いと思ます。だから告白しますね』

『何を?』

 

 そして彼にもたれて、耳元でこう囁いた。

 

『こういう日はコーちゃんを思って、ベッドで自分慰めています』

『エ、エルヴァ……。俺もだ……。俺もお前を思ってしている』

 

 ある種の駆け引きだ。淫乱と思われたくないという心理は私にもある。だけどここで『文化の違い』を利用しない手はない。そしてそれで彼が我慢できるのなら。少しでも心理的に助けてあげたい。だから本当は刺激を与えるべきではないのだろう。だけど私の声の余韻もコーちゃんの助けになるのなら。そう思ったのだ。

 そして私の胸に彼の手を導いた。唾をゴクリと飲む音が聞こえた。

 

『コーちゃんと居るだけでこんなにドキドキするのに』

 

 意図を察してお医者さんの触診のように鼓動を確認していた。

 

『俺もお前と居るだけでドキドキする。ほら』

 

 それで彼の胸に手を当てた。同じだった。ドクン、ドクンがドッドッドッと大きく早くなっていた。

 

 

 その日から制服の上からだけど、ここに来る度にお互いに胸に手を当てて確認しあうようになった。お互いにその鼓動の感触を、『忘れないで』『思い出して』と言わんばかりに。だから程なくして、ここに降りる前にブレザーを脱いで折り畳むようになっていた。ベストも邪魔だけどそこは仕方なかった。

 また、今日はここに来るかなと予感のある日は、下着を選んで登校していた。自分でもバカだと思うけれど、その先に行かないのを知りながらでも、準備だけはしておきたいという乙女の心理だ。ある意味酔っている。いや、私も健康な18歳だ。自分に酔わないとセーブが厳しい部分もあるのだ。だってこの後、自転車を漕いで帰るのだから。これが結構マズくて、下着を汚してしまう場合が多かった。

 とかく魔術師の女の子は濡れやすく感度が良い。子孫を残すためだけど、そこまでするのが魔術師だった。それでも2人は、キスと服の上からの鼓動確認のタッチ以上の先へ進む事はなかった。

 

 

 

 11月に入ってから、お姉様の帰りが私より遅い時がたまにあった。吉川先輩とどこかで寄り道しているのだとは察している。だけど私も魔術師の端くれだ。そして誰にも負けないお姉様ウォッチャーを自負している。なのでその帰りの遅い時は、決まって発情気味な事に気付いていた。サーモスコープなんて使わなくとも、どこに熱を帯びているか一発だ。

 私が溜息を吐くと、トロンメルも溜息を吐いていた。目が合うと頷きあった。それでトロンメルを私の部屋に誘った。

 

「姉さん、吉川先輩とまだだろうね」

「それはわかっているの。何か理由があるんだと思うけど、それが何なのかサッパリでさ。トロンメルは何か心当たりある?」

「本気で言ってるの?」

「本気って?」

「アサシンに調べさせていないの?」

 

 それはゾウケン君とルビーに止められたのだ。

 

「幾ら私がお姉様ラヴなフリークだとしても、そこまで堕ちてないよ」

 

 天井付近から冷たい視線を感じるが気にしない。

 

「じゃ、エルマ。本当にわかっていないんだ?」

 

 うんと頷いた。するとトロンメルが吉川先輩の家の事情、特に道場を開かれている伯父さんという人が、お姉様を大層気に入り、吉川先輩と結ばれて道場の跡を継いで欲しいと望まれている事などを教えてくれた。

 

「それで段階をちゃんと踏んで、正式に婚約するまではお互いに我慢しているんだって」

「何で、そんな事まで知っているの!?」

「部屋でちゃんと聞けば普通に教えてくれたよ?」

 

 天井辺りから押し殺した笑いが聞こえる。が、気にしない。

 

「そういうのはどうなのかって話したら、それも家の格に関わる問題だから、勝手な真似はお互いの家を貶める事になるからできないって言われたよ。それに私達へのお手本にならないとという意識もあるみたいだね。姉さんは偉いよ。私なら我慢できなくなるかもって話たら、相手が本当に好きで大切だと考えているなら、そのくらいの我慢はしないとって。まぁ、そこはわかる気がするけど。でもね、見ていて気の毒でね。だから言ったんだ。女の子同士ならノーカウントみたいなものだから、私で良ければお相手しますって」

 

 なぬ?!

 

「じゃ、その時は頼むって。それでオトナのキスを教えて貰ったよ」

 

 ああ!? そんな濃厚なキスを……? ルーマニアでもう1人のお姉様からして頂いたきりだぞ、こっちは。それをトロンメルと? というか、思えばこっちのお姉様は随分と堅い気がする……。

 

「どうしてあなただけ! こんなにお姉様を愛しているのに!」

「そこでしょう?」

「そこ?」

「うん、エルマは重いんだって。姉さんも普通の女の子だよ? ムラムラすればオ◯ニーもするって話していたし」

 

 な!? そんなエロトークまで……こいつは……。

 

「でさ、先日とうとうお相手を頼まれてね」

 

 へ?

 

「お風呂の後、姉さんの部屋でさ。最初はオ◯ニーの見せ合いっこだったのに、いつしかお互いのをね?」

「な、な、な、ナ(ンダ、オ)メ(ェ)!?」

「そう、『69』。良かったぁ~~」

 

 あ、あかん。血管がキレ……。

 

「ウソだってば」

「は?」

「だからウソだって。姉さんが妹にそんな事をすると思う?」

 

 大笑いが天井で反射している。

 

「ゾウケン君もルビーも居るのに。エルマ、真剣な話。一応、あなたは私とヴンダーの姉だよ? その妙なところを治さないと。それに私達が高3になったら、おチビちゃんやクロエちゃんが中1だから。それも弓道部に入るって言ってくれているんだよ? 最上級生がそんなので良いの?」

 

 そう言い残してトロンメルは部屋に帰った。無性に悔しかった。

 負けた。『妹』として負けた。愛想なしだからと心配が先立って油断していた。あそこまで変わるとは。正にお姉様マジック炸裂だ。

 

『エルマや。冷静になったか? 普通に考えればわかるじゃろう? エルヴァはお主を信頼しとる。何度も死線を一緒にくぐった仲じゃぞ? しかし今回のトロンメルは周りをよく見ておった。あれは『ばんど』とかで培われたんじゃろうなぁ』

『エルマちゃん。私もそこだと思いますよ? トロンメルちゃんは、元々周囲を観察する目に慣れていたようですし』

『じゃな。得手不得手がくっきり出たの』

 

 そういう事だろうけど、それでも悔しかった。だってトロンメルが正しいから。

 

 

 

 一週間ぶりにハンティントン・ビーチに戻ったら、パミちゃんが居ない。どこに行ったのかとモニカさんに聞けば、エルが来ていて、ミアータさんと3人でスケートボード・パークに行っという。そうか、エルが来ているのか。

 

「ええ。一昨日いらして、それから仲良くなられまして」

 

 ちょっとだけ悔しいと思った。だけどフンボルトに『もう1人の姉』を信じないのかいと言われハッとした。そうだ。エルはパミちゃんにとっての『もう1人の姉』になろうとしてくれているんだ。そう呟いたらモニカさんが頷いていた。どうやらエルもそう話していたらしい。

 

 

 パミちゃんの事情は、メールで事前に知っていた。パミちゃんにとっての『エル様』の事も、パミちゃんが『エル様』のクローンである事も。なのでさぞ寂しい思いをしているだろうと、もう1人の姉たらんと勇んでカリフォルニアに来てみれば、パミちゃんはすっかり元気で、おまけに何とも言えない愛くるしい良い子だった。

 また、モニカさんやミアータさんの貢献と、どれだけエルヴァが献身的に接していたかも話す内にわかった。日本に行かせて正解だった。フンボルトとの仲もそうだし、何かを見付けて帰ってきたらしく、モニカさんは見違えるほどエルヴァが素敵になったと話してくれた。

 当然だろう。エルヴァはエルヴァちゃんを人として導くために、『エル様』が日本の『エルヴァ』を元にして造ったコピーだ。そしてそれは『現象』となったあちらの『エル様』のクローンであるパミちゃんにとっても、好影響を与えるのは間違いない。

 私は『エル様』が、エルヴァを補佐するために『エル様』の記憶にある47番の型を使って造られたエルヴァもどきでしかない。精神性もエルヴァの方が人間らしく崇高だ。ただその分、彼女は情緒面に不安があった。だけどパミちゃんが日本の『エルヴァ』でなく、たまたま日本に行っていたエルヴァとフンボルトの前に現れた意味は大きい。

『現象』となった『エル様』は『エルヴァ』でなくエルヴァを選んだ。フフフ……早くエルヴァに会いたかった。どれだけ惚気(ノロ)けてくるか楽しみだ。

 

 それはさておき、ちょっと驚いたのがパミちゃんの運動神経と物覚えの早さだ。先程までスケボーパークに居たんだけれど、ミアータさんが基本を教え、私のトリックを見ただけで簡単なものならすぐできていた。さすがは『エル様』のクローンだ。ただ性格というかそういう風に育てられたからなのか、冒険心に少々欠ける嫌いがある。だからあり得ない話だけど、あの子は今日一度もコケていない。

 そしてミアータさんはキッズ達の間でも有名な、憧れの人でもあるので、皆んなが挨拶していく。さすがのパミちゃんもこれにはびっくりで、その後はミアータさんにべったりだった。

 

「こっちのお祖父様って凄いね。こんなに優れたメイドって知らないよ」

 

 パミちゃんは良い子だけれど、言葉の端々に『メイド=ホムンクルス=アインツベルンの所有物』という、少し昔の価値観が現れる時がある。別に蔑みも馬鹿にもしていないのだけど、ちょっと気になった。まぁ、厳密には間違いではないし、こういう微妙な部分があるのは、ここと『エル様』の世界くらいだと私も気付いている。なので、このような匙加減の難しいニュアンスは、私やエルヴァを見て成長とともに徐々に変わるだろう。

 

 パークから出てクルマで近くのバーガーショップに行った。ジャンクだからとできるだけ避けてあげていたらしいが、最近はパミちゃんも食べるようになったとか。ただバーガーでなく、ポテト目当てでこういうお店に来るのだという。その辺がドイツやスイスの人だ。

 

「ハ~イ、ケリィ」

 

 ミアータさんが声を掛けた、レジで並んでいたチョコレート色の女の子は、マリーさんとタケシさんのパーティで知り合った子だ。マリーさんとタケシさんの長女リリィの友人であるケティの義理の姉になる。ケティの一家は白人だが、ご夫妻はケティが産まれる前に、黒人のケリィを養子にしていた。愛のある家で育ったから、ケリィはとても家族思いな優しい女の子だった。

 

「オ~、ミアータ、パミ。もしかしてエル?」

「ハイ、ケリィ。お久しぶり。4日くらいだけど、またハンティントンに来ました」

 

 再会のハグをした後、一緒に居た女性を紹介して貰った。名はリョーコと言って、ケティの家でホームステイしている日本人だった。何でも先月の中旬に来ていて、カリフォルニアへは1年間の留学だという。

 

「リョーコは日本のどこから来たんですか?」

「ワ、ワタシは……西日本の◯◯県からです」

 

 ◯◯県って冬木市のある県だ。へぇ~。あ。この子さっきから私の顔とパミちゃんの顔を不思議そうに見ている。

 

「まさか冬木市だとか?」

「エル、リョーコは余り早い英語だと……」

 

 ああ、なるほど。

 

『リョーコさんは、もしかして冬木市からですか?』

『え!? 日本語?』

『フフ……ケリィから聞いていない? 私とエルヴァっていう子が日本語を話せますから』

 

 そこからパミちゃんも交え、英語と日本語を混ぜながらお喋りした。それでリョーコの正しい名前が『鈴木凉子』である事、『凉』がサンズイでなくニスイである事、やっぱりの穂群原学園からの留学生だとわかった。クラスは2年B組だから凛やルヴィアの隣だ。だから明かしてあげた。

 

『日本のエルヴァ・フォン・アインツベルンは従姉妹です。ウチは一族の女の子が皆んな同じような顔で有名なんですよ』

『あ~。エルヴァ先輩の……』

『それでそのエルヴァとそっくりなのが、さっき話したエルヴァです。同じ顔で同じ名前だけど別人です。多分、今日の夕方か夜に帰って来ると思うので、機会があったら話してみて』

 

 案の定、リョーコはホームシックになっていて日本語に飢えていた。そこでケリィがこうして連れ出して励ましていたのだ。午前中はマリーさんのお店で30分ほど話していたという。だけどあちらはお仕事があるので長居はできない。そこでまぁ取り敢えずお昼でもとなって偶然私達に会った訳だ。

 留学の動機が奮っている。元々英語が好きなところに来て、隣のクラスに凛とルヴィアが入って来た。それで物怖じせず日本語を話すルヴィアや英語がペラペラな2人に触発されて、この留学を決めたそうだ。ところが実際に来てみると、思った以上にヒアリングが難しく、少し自信を失っていた。そこからホームシックになっていた。

 

「リョーコに足りないのは、ライスとミソシルだろうね」

 

 ゆっくり話してあげるときちんと理解している。ちょっとクセのあるパミちゃんの英語でもわかっているようだから。

 

「エル、今のは日本の料理だよね?」

「そう。ただしケリィの思う表面的なものでなくね、リョーコに必要なのは『お母さんの味』なんだよ」

「オ~。ママの味?」

「そうそう。それと日本人はシャイでナイーヴな人が多いのと、日本のママはアメリカのママと違って料理をしっかり作る人が多いの。だから余計にママの味が励みになるのね」

 

 それで学園には弁当持参派だった事も判明した。だからケリィとリョーコに言ってあげた。ホストのママが気分を害さない程度に日本料理を食べろって。

 

「じゃ、エルヴァが戻ったらテンプラを作ってもらおうよ」

 

 パミちゃんの提案だけど天ぷらは良いね。ママの味とは少し違うけも知れないけれど、天ぷらやカツなら凝り過ぎない限り、アメリカで買える食材で作れる。それにエルヴァだけでなく私も居るしシロウさんも居る。ならそれなりのものは作れるだろう。なので明日か明後日に招待するからおいでと誘ってあげた。

 

 

 その後、ケリィとリョーコにお別れして家に戻った。するとシロウさんとフンボルトがクルマとトレーラーを洗っていた。声を掛けて2人とハグした。

 

「エル、いつこっちに?」

「2日前。エルヴァに会って近況を聞いたら帰ろうと思っていたけど、数日延期しますね」

 

 と、さっき会ったリョーコの話をした。案の定フンボルトはエルヴァの事で心配し、シロウさんはリンさんの事で心配した。シロウさんは高校時代より背が伸びて精悍な顔つきになってる。だから学園の士郎クンと混同される事はない。だけどリンさんはメイクを落とすと凛と余り変わらない。まぁメイクでどうにかなるだろうし、軽い認識阻害でもいけるだろう。となればエルヴァも認識阻害で大丈夫だ。2人にはそう話して、安心して貰った。

 私の気配を感じたと言うより、先に家に入ったパミちゃんの報告で知ったのだろう、エルヴァが飛び出てきた。久々にハグと挨拶のキスをした。挨拶程度なのに、キスが上手くなったと感じた。何がどうとかは上手く言えないが、相手を思う心が前より細かくなっている。それだけ自分にゆとりがある。日本に行かせて本当に正解だった。気持ちに踏ん切りが付いたのと、フンボルトのお陰だろうなぁ。

 洗車中の2人を労って屋内に入ると、リンさんは優雅にお茶を楽しんでいた。だけど私に気付くと立ち上がってハグをした。挨拶を交わしエルヴァとリンさんとの3人で近況を報告しあった。

 

 その後、洗車から戻ったフンボルトとエルヴァを誘ってガレージ裏の工房に行った。それはお互いの曲の進み具合の確認のためだった。視察の仕事の進行具合なんてどうでも良かった。律儀にリポートをメールで送って来るが、ハッキリ言ってあんなものはリンさんとシロウさんに働いているぞという満足感を与えるためで、一文の得にもなっていない。それに私とエルヴァはネバダの霊脈を得た事で、一生働かなくても食べて行けるだけの道ができた。さすがに私達では収入化が難しいので、チューリッヒの館に繋いで、お祖父様に後はお任せした。お祖父様はマナをパックして、魔術師に小売していた。

 このパックは、地下の巨大タンクから牛乳瓶にマナを詰めているイメージで良いと思う。古くは魂保管器の、今は小聖杯の技術の応用だ。

 元々エルヴァにはエルヴァちゃんを導く『姉』としての役割がある。私はそんなエルヴァの補佐だ。『エル様』のアイデアだったがお祖父様にはそれで十分だった。それでユグドミレニアとの問題を解決し、ロシアの霊脈を押さえ、ネバダの霊脈まで押さえた。そんな状態だったから、お祖父様にとってはボーナスも良いところで、エルヴァと私は何も悩む問題は無かったのだ。

 だと言うのにエルヴァは不安定になって行った。彼女は私以上に『ヒトそのもの』だから、その起源の通り、愛され満たされないといけなかった。一つはサヨナラした家族の代わりとなる、自分だけの家庭を築ける可能性のある相手、つまりフンボルトの存在。もう一つは、モチベーションに大きく関わる音楽の存在だった。嗜好も何が自分に元気を与えてくれるのかも人それぞれであるが、少なからずお祖父様に連なる私達には音楽は大きなファクターだった。

 

 いざ工房に入ると楽器がやたら増えていた。ドラムセットもあればベースが2本にギターが10本くらいある。白い『Strat』は私ので、2本の『Telecaster』はエルヴァとフンボルトが自分達で組み上げたものだ。その次の『Junior Special』までは覚えているが、『Rickenbacker 325』はべースの『4003S』や『Jazzbass』と同じく記憶にない。確かに歌いながらコードを弾くなら面白そうなギターではあるけれど。それに音の古さと軽さが、却って今と合う気もする。その横には2本の『Melodymaker』。完全にペアだな。『P-90』が2個乗った、珍しいタイプだ。次は『YAMAHA SG』だけど、杢目がやたら綺麗で限定モノっぽい。

 更にその横にはワインレッドの『Les Paul Deluxe(2004~2005年だけの限定生産)』と、同じくワインレッドの『Les Paul Studio(2004年のみ)』があった。『Studio』の方はゴールドパーツだ。

 

「この2本は?」

「あなた用です。好きに使って下さい」

 

 私用というより私も使って良いというニュアンスだ。音的にも見た目でもエルヴァの『Junior Special』の方が上だろう。つまり『Deluxe』と『Studio』はエルヴァが、自分の好みで手に入れた予備か何かだ。アンプの使い方で『Telecaster』っぽい音も出る『Les Paul』。特に『Deluxe』はそうだろう。私は『Deluxe』を手に取り、『Cyber Deluxe』に繋いだ。それからエルヴァが見せてくれた楽譜をもう一度眺めながら、ギターを弾いた。面白いメロディーだなぁ。

 弾いていて気になったので、一言断りを入れて彼女の『Telecaster』で弾いてみた。この曲には断然『Deluxe』の方が良い。次に『Studio』に持ち替えた。やっぱり『Deluxe』だ。その次の曲は『Studio』が良かった。

 

「エル、今の2曲をこれで試してみて下さい」

 

 そうして手渡されたのが『Melodymaker』だった。弾いて驚いた。ニュアンスが細かい。運指をしっかりしないとピッキングミスまでバッチリ再生されてしまう。

 

「あなたの記憶にありますか?」

「近藤クンの?」

「はい。その2本とも、お父様の巻き直しです」

「頼んだの?」

「いいえ。お店の限定品で売られていました。それを偶然会った『エル』から贈られまして」

 

 そうか。元の世界に戻られる前に会ったのか。エルヴァの事が心配だったんだろうな。メールにはパミちゃんの事しか書かれていなかったから、会っていたとは知らなかった。いや、ニューヨークでもそうだった。『エル様』はエルヴァにだけ会っていた。ほとんど直感で『何かがある』と気になったが、それが何であるかは何一つ思い浮かばなかった。

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