11月ともなれば北京は寒い。あんなショートスリーブのチャイナドレス1枚で昨夜出れたのは、長引く会議で熱くなっていたからだ。睡眠を取ってクールダウンした今朝はやたら寒く感じる。
ところで北京で朝食と言えば何を思い浮かべるだろうか? 包子(パオズ)かお粥か、人それぞれだろうし何も思い浮かばない人もいるだろう。北京は首都だけあって、地元の北京料理(山東料理)だけでなく四川料理(貴州料理や雲南料理が含まれる)や江蘇料理(上海料理などが含まれる)などのお店も集まっている。なので中華の味付け(八角など)が平気なら、大抵の事に困らないのだが、安く済ませたいなら海鮮は避けよう。
1に内陸の都市に海鮮はない。北京で食べるなら、海に近い天津の方が海鮮は美味しい。リゾート地で高級ホテルが建ち並ぶ北戴河に行けばもっと上等な料理が食べられる。高いけどね。2にいくら天津が海に近くとも、本当の海鮮は上海より南に行かないと食べられない。そして中国の流通なんて信じられるのか? という話だ。ちなみに天津にも北京にも天津飯は無い。カニ玉が美味しいのは上海だ。ただ『小宝栗子』という元祖天津甘栗はある。粒が揃っていてとても美味しいので機会がれば食べてみて欲しい。 3に作っているのも中国人だ。一流のホテルならともかく、そこらの店でそこまで良いものはない。だけど包子関連は北京と言わずどこでも美味しい。天津の『狗不理包子』は絶品だと思う。だけど北京で安く済ませられる無難な食べ物はワンタンと包子のセットだろうか。これはどこに入ってもまぁまぁ美味しい。平気なら豆汁も中々だし、砂肝入り(内陸なのでモツもある)のスープはニンニクが効いていてグッと来る。地元の人はその砂肝のスープをレンゲを使わずズルズル食べる。飲むのでなくこのスープに関しては、食べると表現するらしい。
「どれもこれも豚肉だらけではないか!?」
「朝から往来で煩い。大声を出さないで」
「私より地元民の方が声が大きいですぞ?」
「そこが中国人です。とは言え、麺屋に入っても豚肉を使っているだろうし、百貌は一番弛い人と人格を換えるのが正解ですよ」
「仕方ないですなぁ……」
「エル殿?」
「ん?」
呪腕のハサンの声で、誰かが近づいてきている事に気づいた。魏の誰か?
「待てい。護衛を置いて勝手に出歩くな」
「どなた?」
「張翼と申す」
ああ、趙雲さんの幕下だったかな。大将軍にまでなった一人で、最後まで蜀を守った人でもあったっけ。確か張良さんの子孫だとか。
「ご苦労さまです。でも、ホテル前に誰も居なかったのは?」
「はぁ。張飛殿が二日酔いで寝過ごしましてな……」
うん。実に蜀らしい。だけどこの護衛はわざとサボったと私は見ていた。張飛さんと関羽さんは父達と飛行機で新疆に本日飛ぶからだ。ロシアの方は話が付いている。形だけの顔合わせに近いもので、即座に和平交渉に入る手筈だ。問題はその時に上手く北を委譲できるかどうかだ。大義名分はいくらでも作れる。勝手にミサイルを撃った、勝手に核開発を行っている。何でも良いのだ。ともかくあそこをロシアへの生贄にしてロシアを黙らせる事が肝要だ。
その時に日本の拉致被害者をロシア側からでなく中国側を経由して『取り戻した』と日本に恩を売る。そうして日本の企業をどんどんここに誘致して、工場に行く人民を再教育させるのだ。そうして民度を上げつつ信頼関係を築き、最先端の技術も頂く。ともかく旧政権と繋がった日本やアメリカの『埋伏の毒』となった者達を最大限に利用して、時にはスパイと告発して売り飛ばし、こちらへの信用度を上げるのだ。今回のソフトランディングには、難民を出さない事も含まれているからだ。
しかしさすがは孔明さんだろう。現代の金融システムと貨幣論を何とか理解したのだから。これは『彼女』が幾ら『世界の知識』としてキープしてあっても、まず過去の英霊だと理解できない。と言うか国家を率いる大統領や首相はおろか、担当大臣や官僚ですらまともに理解できていないのだから。
そして彼は中国の『元』が、『ドル』や『ユーロ』に『ポンド』、果ては『スイス・フラン』や『円』にも劣るローカル通貨である事に愕然としていた。つまり『中華』は『世界の中心』では無く、GDPが世界2位になろうとも上っ面だけのハリボテ国家だという私の言葉を認めざるを得なかったからだ。
そこにプラスして現代貨幣のマジック。いや、彼の視点からいうなら、それは奇術でなく、魔術を飛び越え魔法だったろう。あれだけの人でも簡単には理解できなかったのだ。ところが自国の中央銀行を持ち、自国の通貨を発行できる権利を有するなら、おかしなインフレ率にならない限り貨幣を発行し続ける事ができるという点はすんなり理解していた。即ち銀行の役割と、政府の銀行と民間の銀行の役割の違いもだ。
そして国家が安定していないと、対外的な通貨の価値が下がる事も自分達で気付いていた。そこは本当に立派だと思う。だから複式簿記の付け方も教えてあげた。龐統さんや荀彧さんともども、文官の人は皆んなかなり食らいついていた。それで話し合いに時間が余計に掛かったのだ。
今より1800年も1900年も前の人達だ。アーサー王より4~500年は古い。なのに邪馬台国のような伝説でなく、歴史書にしっかり載っている人達だ。存在感というか、勢いというか、何か生きる上での貪欲さが根本的に違うと私は感心しきりだった。
私なんかはお祖父様にそういう風に育てられた。第三者から見れば英才教育、いわゆる『帝王学』を学んだのだ。だけどその最大の学びのキモは『貪欲さ』と『モチベーションの維持』にある。彼らはそれを持っていた。そこが中華なのだ。だから共産党のようになってしまうと歯止めが効かず、蝗害のイナゴかバッタのようになってしまう。これもまた内陸性民族の特質だった。
だからだ。だからこそ、この人達が例え英霊でも、現世のルールに則るのなら『闇のアイツラ』には勝てないような気がしてしまう。アレは何かそういう特定の団体でも組織でもない。カテゴライズも意味がない。時代の移り変わりの中で、今誰が勢いがあるのか。その者に乗って損はないかどうか。そういう奴らの集まりなのだ。
昔は金融システムと世界経済を逸早く把握したユダヤ人が中心に多かったけれど、今はそうでもない。第一次世界大戦の頃の者は皆んなお墓の下だ。跡を継いだからと、その『貪欲さ』があるからと、変遷する時代に着いていける『モチベーションの維持』が可能かどうかは別物だ。だからその領域に新しく入るのは、決まって何かのブレークスルーを起こして、足場を固めた(お金持ちになった)だけでなく、世界を動かすシステムを見た者だけとなる。
こんな風に中枢に居る者が入れ替わり、肩入れする者達もその都度入れ替わるとは誰も思わない。漠然と『ユダヤの陰謀』『イルミナティ』『ネオコン』と、その時その時の名を付けて周りが呼んでいるだけだ。
では何者だとなった時、こう考えるのがわかり良いだろうか? あなたがとんでもない大金持ちだとする。そのレベルも億兆でなく一族併せて京に届かんとする。だけどそれも表向きで、実体は『如何ほどドルを刷れ』『スイスの口座に◯◯ポンド振り込んでおけ』、電話一つで他国の中央銀行を動かせる程のレベルだ。
こうなると『飽きる』。世の中や世界全体に『厭きてしまう』。なので少しでも娯楽が欲しいから『ドラマ』を演出する。人様の『喜怒哀楽』を演出するのだ。この世全てを自分だけのテーマパークにしてしまう。戦争なんて最高だ。そこには必ずドラマがある。死に別れる家族や兄弟。場合によっては敵と味方に別れる親友。片方が死んだ時、どういう顔をするのだろう? そうしてその者は演者を愛するのだ。美醜は問わない。それもまた見せ場だ。わかるかな? 世界最初の『そういう者』は英雄王だったのだ。
時代は隔たり、その正体は『世界に厭いて』『新しいドラマを求めている者』がやろうとしている事に、お金が余って余って仕方のない者達が乗っかっているだけだ。これが実に厄介で、自分の人生にも厭いているから、アサシンを送って脅しても喜ぶのだ。多分、心臓を抉っても笑顔で死んでいくだろう。
お金に群がる間は小金持ち。お金で買えるモノで満足できる間は可愛いもの。10代20代先の子孫まで遊んで暮らせる程のお金を得たら見えて来る境地なのだろうと思う。この意味では魔術師より怖いのだ。何故ならそういう人は死を覚悟しているのでなく、それすらどうでも良いからだ。世界を動かすシステムを掴んでしまったから、黙っていてもお金が入って来る。それも誰かの一生分の収入が僅か数分で。
私達のご先祖もこういう人達と取り引きして今の地位を得るに至った。お祖父様だけなら、あちら側に居ると言っても良いだろう。そこまで行くと魔術協会も聖堂教会も社会を構成する一部でしか無い。政治とお金で転ぶ。何故なら死徒でもない限り、食べないと死ぬからだ。そして信仰も時間こそ必要だが消せてしまう。これはウソではない。レーニンを後押ししてソ連を作ったのも、毛沢東を後押ししたのも『あちら側』の者達だからだ。
だからこのソフトランディングは『そいつら』にバレないようにする意味もあるのだ。新疆で揉めた振りをするのもそこにある。
「となると調査目的の間諜が今後は増えますな?」
これはこちらがスパイ活動をするという意味だけでなく、相手のスパイが今後は増えるだろうとの意味だ。表面しか追えない西側のジャーナリストでも、ある程度わかっている人なら、中国(とパキスタン)とロシアと、イラン(とシリア)を『仮想敵国』として見ているだろう。特に湾岸戦争以降は。
だけどアラブには、諸国の宗教問題や部族問題、それにイスラエルとパレスチナの問題などが燻っていて、イラン(とシリア)が核保有の疑いがある点を忘れ気味になる。
ここでおさらいするとNPT(核拡散防止条約)を批准(俺ら以外持つのは禁止だぞという謎理論)している五ヶ国が、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中華人民共和国となっている。中共が核を持ったのはアメリカと正式な国交を樹立(回復)する前で、しかも東西冷戦の最中にソ連の技術供与に拠ってだった。つまり60年代だ。どれだけアメリカの『あいつら』がバカで、中共がしたたかなのかがわかると思う。
お祖父様がキッシンジャーのガキは、マジモンのバカと言い切るのはそこにある。こんな調子だから2人目の奥様(カールお兄様のお母様)を『あいつら』に殺されていた(1人目の奥様(アルトゥルお兄様やブルーノお兄様のお母様)は歳に拠るご病気で失くされていた)。そこからお金で買える女性と遍歴を重ねるようになってしまった。
勿論、実行に関わった『あいつら』は私の世界には居ない。その姓を持つ者さえ存在しない。だからこういう風に世界を渡って、政府高官などにその『姓』を見付けると『へぇ~、ここのお祖父様はお優しいのか、それとも存在しないのか』と考えるようになってしまった。
それはともかく、馬謖にイランは無いと言ったのは、あの国が元はペルシャでゾロアスター教の国だったからだ(本当の意味でのアンリマユの聖地)。今は宗派替えしてイスラム教になっているが、スンニ派でなくシーア派が多いのも、他のアラブ諸国と対抗している部分が大いにある。その後アラブ諸国はオスマン・トルコに飲まれていた時期もあった。つまり歴史的にも宗教的にもアラブ諸国とは相容れない国がイランなのだ。
そしてアラブ諸国も複雑だ。イギリスやアメリカはドイツをバックにしたオスマン・トルコから開放してくれた(アラビアのロレンスの頃)。だけどオイルで良いようにされてしまった。しかもイスラエルなんて『何だそれ?』と言うような国を強引に建国させた。でも『ザケンな!』と言えるチャンスで全部負けてしまった(中東戦争)。
近代兵器で勝てないなら、もうこれは西欧諸国と協調してオイルマネーを儲けさせて貰う他ないと半ば諦めているのが今のアラブ諸国だった。
そんな情勢下だから、元々馬謖が言うまでもなく、シリアやパキスタンと並んでイランは中共と協力関係がある。だけどそこを利用すると、今後の展望が望めない。だからアメリカにコテンパンにされていたイラクに、孔明さん達は白羽の矢を立てたのだった。彼らも結構調べていたのだ。
だけど……さっきからプ~ンと香る匂いは……。
「ニンニク臭いですよ、ハサン!」
「失礼。ですが?」
「そうです。願わくば殺さないで欲しいですが、あなた方の主(マスター)は私ではありません。ですが……」
「できる限り意に沿うよう致します」
そう言ってくれたので気持ち良く朝食を終えられた。その後ホテルに戻り、身嗜みを整えてから孔明さん達の待つオフィスに向かったのだった。
朝食の時、姉さんは食堂のいつものテーブルにギターバッグを立て掛けていた。朝の挨拶を交わし終えると、早速凛さんが訊ねていた。
「エルヴァ、それギター?」
「ええ。中は『615 Nashville』というエレクトリック・ギターですが、もう少しどうにかならないものかと思いましてね。本日は軽音楽部に顔を出す予定なので、相談に乗って貰おうと考えました」
「ふ~ん」
あんまり興味ないようだった。だけど私はソフトバッグにあの『Les Paul』が入っていないとわかって安心した。私も『Les Paul』は持っている。いつも練習に使っている青い『Studio Lite』だ。だけどあれは『Les Paul』の中でも廉価版で、新品当時でも20万しなかったと思う。だけど姉さんが頂いたというあれは、中古でも80万はしそうだ。高校生がホイホイ学校に持って行って良い代物ではない。おまけにやたら重い。カスタムより重いと思う。たぶんアレより重いスタンダードは無いんじゃないか。そして私の方のソフトバッグには姉さんのリクエスト通り、ディンキー・タイプのあれが入っている。朝食後、それらを担いで学園に向かった私と姉さんだった。
知っての通り、私と姉さんは自転車通学だ。それで今は11月。6段変速とは言ってもママチャリの私と違って、姉さんはハンドルの低いスポーツタイプの自転車だ。なので、ただでさえ制服のブレザーで背中が突っ張るだろうに、ギターまで担いでいるものだから(教科書やノートまでそこに押し込んでいる)、かなり漕ぎ難そうだった。私がゆうゆうと着いて行けてる時点で、姉さんの苦労がわかる。
「はぁ~。毎日これを担いで通うトロンメルに感心しますよ」
「重さでなく、ブレザーでしょう? 上はセーターだけで良いのではないですか?」
「それが、バッグがパンパンで」
「ですよね」
エルマも指摘していたけれど、2学期に入ってから魔術で荷物を軽くしたり、コンパクトに纏めたりしなかった。卒業が近い姉さんは通学時間も大切にしているのだ。冬のスカートは春先に2ヶ月も使っていなかったので、まだまだ新しい。先々月までの夏のスカートはお尻の辺りがテカテカだった。
先日、クロエちゃんのたっての希望で、姉さんにお願いの上でこの制服を借りた。ブカブカで合わないのはわかっていても、現役最後の『香り』を覚えておきたいというクロエちゃんの気持ちは痛いほどわかる。だから姉さんへ一緒になって頭を下げたのだ。
生理が始まってからクロエちゃんはお姉さんぽくなった。『子供』から『女のコ』になった。高校生になる頃は、今の私や姉さんの身長を追い越すだろう。おチビちゃんともども楽しみで仕方ない。
『でも、どうして私に? いつもならエルマでしょう?』
『エルお姉ちゃんに関わる事だからだよ。そこに関してはエルマお姉ちゃんも敵だから』
そっか……としか返しようがない。普段から勉強をみたりとか、エルマも良いお姉さんなんだけどね。とは言え、ブカブカだったけど姉さんの制服を着てクロエちゃんはとても嬉しそうだった。それを見て自然と顔が綻ぶ私と姉さん。安全ピンで袖を内側に折ったり、スカートのウエストを止めたり捲くったり、色々した甲斐はあったなぁ。
それでお約束のごとく『卒業後にエルお姉ちゃんの制服譲って欲しい』とクロエちゃんが言ったのだけど、それを姉さんはこんな風に返した。
『中等部に上がったら譲りますよ。ただし私の思い出が詰まっている事も忘れないで下さい。なので袖を通すのは家の中だけにして下さい』
その理由は『高等部になったらデザインが変更されているかも知れない』『思い出の品だから破いたりして欲しくない』『まず間違いなく、本当の高等部生になったら小さくて着られないだろう』との事だった。
クロエちゃんの理想は姉さんだから、身長を越えるというのがどうしても信じられないらしい。だけど夏休み頃と違って、クロエちゃんもおチビちゃんも少し背が伸びた。今の段階で5年生の頃の『エル様』の身長を越えているのだとか。もしかしたら6年生の半ばで制服を買い換えないといけなくなる可能性が高い。
そんなに親しくなかったけれど、あっちのクロちゃんとイリヤちゃんは、最後に見た時145センチはあったと思う。クロエちゃんが今、140センチくらいだろうか? 本当に楽しみでならない。
教室に入るとアルトリアが遅れてやって来た。遅刻でなく周りより遅いという意味だ。理由は弓道の自主練で、美綴部長とエルマと桜の3人でアルトリアに付き合っているという。本当なら姉さんが出るべきな気がしないでもないが、立場上姉さんは関係ない。まず皆んなにはイリヤさん(英霊のイリヤ/ここでは私達の姉にあたる)の友人のアルトリアさん(セイバーの事)、その従姉妹がアルトリアという事になっている。
なので引退間際の姉さんでなく、同じ1年生で次期部長か副部長の候補と見做されているエルマと桜が立ち会うのが正解となる。美綴部長は鍵係兼責任者だ。これも部長だから仕方ない。ただしこの自主練も2週間が限度だったように聞いている。冬用の戸板が必要になると僅か数名しか参加しない、自主的な朝練だと厳しいからだ。
教室では今まで私の机が最後尾だった。37番だったので6×6で1席だけ後ろに飛び出していたのだ。だけど今は私の隣にアルトリアが居る。お弁当も自分で作るか、アーチャーさんの差し入れを詰めて来ている。掃除はセイバーさんも手伝ってくれて、布団干しや庭の雑草刈りに炊飯器のスイッチを押すくらいはしてくれるらしい。だけど料理だけは壊滅的に酷いのだとか。
『そんなに酷い?』
『ええ。材料を予め切ってあっても野菜炒め一つ満足に作れません。王という立場に慣れきってしまって。そもそもあの人のケイ卿が、私の知るケイ卿と違い、妹を甘やかすタイプだったらしく……』
そういうアルトリアは、兄であるケイ卿から厳しく身の回りの事を教えられたそうだ。だから『エル様』の手解きがあったにせよ、料理を覚えるのに手間取らなかったという。本日の彼女のお弁当は『イカ大根』だ。何人の女の子がスルメイカを自分で捌いて煮物にできる? それを覚える彼女も彼女だが、教えた『エル様』も大概だ。
金髪碧眼の英国人留学生が、この1年E組では家庭科でトップを争う料理上手なのだ。勿論アーチャーさんの影の助力も大きい。そしてレシピをアーチャーさんに託すマルガリータさんや姉さんの協力もあってこそだろう。私もエルマも、実はお料理に関しては、お尻に火が着いた状態だったのだ。本当に意外な伏兵だ。
だけど姉さん曰く、『そんなアルトリアだからこそ、セイバーは自由に伸び伸びとして欲しいと考えたのでしょうね』だ。私もそうなのだろうと思う。そしてセイバーさんはアルトリアの手料理を褒めて褒めて褒めちぎる。それはきっとセイバーさんが誰かに言って欲しかった言葉でもあるのだろう。
またアルトリアも、王として女性の幸せを棄てざるを得なかったセイバーさんに思うところがたくさんあるらしく、お料理や裁縫などに研究熱心だ。最近は休み時間になれば毛糸でセーターを編んでいる。セイバーさんとお揃いにするのだと微笑んでいた。そんなだから私からはセイバーさんとアルトリアは、仲の良い姉妹にしか見えなかった。
「アルトリアはそれで吉川先輩のところの道場には?」
「正確には吉川先輩のご親戚の道場ですね。来週からです」
「バス?」
「ええ、隣の隣の市ですから。自転車では遠いですね」
彼女はすっかり日本に溶け込んでいた。馴染みの商店街に行けば魚屋さんで魚を買い、八百屋さんで野菜を買い、お肉屋さんでお肉を買う。そしてありきたりな会話をして時々おまけをして貰って。そんな風に日常を楽しんでいた。それこそセイバーさんが夢見ていた通りに。
『日本の中でも冬木が特に良いのではないでしょうか? 私も他の都市や街をあまり知りませんが、見聞きした限りではこの街は人の情が通う商店街がまだ残っている。そこが大きいと思いますし、外からのものを何でも取り入れ、自分達のものに変化させる独自性も大きいと思います。そうですね……それはあたかも鍋料理のような』
セイバーさんの言葉だが、元々聖杯は鍋の事だ。そして日本を沼文化でなく鍋文化と例えたところがなんとも良い。今もアルバイトだろうけど、たまに会うと本当に優しいお姉さんだ。横の席のアルトリアがメガネを上げて板書をノートに写している。目が悪いのでなく、気分を変えるための伊達メガネだそうだ。『エル様』の入れ知恵らしいが、気分だけでなく『モード』のようなものまで変わるという。
『ある種のお手軽な鎧ですよ。今となっては本物の鎧を着る機会などありませんが、学園へ勉学に赴く時は制服で、弓を引く場合は道衣でといった具合で、そういう衣類からの切り替えは重要ではないですか?』
それをお手軽に行えるのがメガネだと教えられたらしい。だから家でも勉強の時はこの伊達メガネを掛けるらしい。やはり昔の人だから現代に馴染むために様々工夫が必要で、それで『エル様』もあれこれ考えたらしい。と言っても、あの人は海外で勉強する時に持って行った制服に着替えるとか何とか聞いた覚えがある。どうやら形から入る事で、軽い自己暗示を掛けているらしかった。
それが姉さんにも通じる集中力に繋がるのだろう。『エル様』もそうだが、姉さんもよくよく思い返せば、自宅学習で制服の時が多い。最初私は、学園から帰ってそのままなのだろうと思っていた。或いは最高学年だから惜しんでいるのだろうと。だけど休日も、図書館に行くときも制服の場合が多い。形から入っていたのだと気付いたのはアルトリアの伊達メガネを知ってからだった。
人は他人を見ているようで全然見ていない。特に私のようなタイプは。だけどここに来て、姉さんと姉妹になってからの私は自分以外の人を良く見るようになった。それで自分という人間も見えて来た。そういうものなのかも知れない。
そうしてその日の授業を終えた私は、バッグを担いで音楽室に向かったのだった。
おはようございますと部室に入れば、姉さんが既に来ていて、吉川先輩やその他の先輩方とギター談義をしていた。どうやら手に持っているギターが件の話に出たもので、どなたかの自作らしかった。だけど何だ? あの姉さんがギターを抱えて『呆けている』……?
「あの……」
「ああ、ご苦労さん。エルヴァの奴、この通りだ。トロンメルはわかるか?」
姉さんの後ろに立つのは吉川先輩で、横に立っているのは吉川先輩の友人で我が部の大槻先輩だ。私のオーディションの日に、この先輩が吉川先輩を焚き付けた事から姉さん達のミニコンサートが決まった。そしてギターを抱いて心ここにあらずな姉さんの前に座って泣いているもう1人の人は……そうか、この先輩のギターだったのか。
横田先輩。目立たず大人しい先輩だ。やはりあの日、姉さんにエレキを貸してくれた先輩で3日間フォークを貸してくれた先輩でもある。そんな横田先輩を熱い視線で見ているのが、2年の近藤先輩だ。ちなみに近藤先輩と私以外は3年生だ。
では何に姉さんは呆けていたか。
「レスポール・カスタムの改造ギターだと思えば、まったくの自作でネックの裏がこうです」
裏から見ると5層のサンドイッチ構造なのがわかる。つまり塗装でなくオイル仕上げか何かだ。それでその木材は杉や桐に楓に欅といった白木に、薄い紫檀(?)を挟み込んだものだった。楓はメイプルだし、紫檀はローズウッドだからまだわかる。だけど杉や桐に欅ってギターに合うの?
そして横田先輩の家は材木の卸し商で、あちこちに材木を納めていた。だからこういう木が手に入るし、ある程度加工する機械もあるのだという。だけど自分で作りたくなって、高校生になってからアルバイトで貯めたお金で機械を買い込んだそうだ。それと同時に暇さえあればこのギターに使うパーツを作っていたという。
何がと言うと、インレイやポジションマークは螺鈿細工に使った端材を加工したもので、ヘッドのロゴは自分で研究した螺鈿細工と七宝焼を組み合わせたものだそうだ。ボディの表裏に入っているバインディングも貝殻を加工したもので高級感が凄い。指板も二種類の黒檀(らしき何か)を張り合わせたもので、これまた端材の再利用だという。
それでボディは、言葉にするのが難しい。まずかなりの銘木なのはわかる。だけどこれもその端材の流用だろう、三つくらいの板が真ん中で向き合い、その真ん中を透明なエポキシレジンが埋めていた。中に『おはじき』のようなのが漂っていて、それが魚のように見える。つまりレジンの部分は三つの岸壁に囲まれた小さな湖なのだ。そして三つの陸が銘木の端材だ。
一つの陸には螺鈿の模様があって、別の陸には引箔が敷かれ、その上にスイッチがある。第三の陸には見事な杢が浮かんでいて、そこに木を削って作られたコントロールノブがある。つまり下半分がそうなっていて、肘の当たる部分が螺鈿の陸だ。ピックガードはないが、ヘッドのトラスロッドカバーはタバコのパイプのような渋い杢目がある。
「こんな工芸品みたいなのを、もしかして横田先輩は3年掛かりで?」
姉さんが頷いた。これはそういう工芸品や伝統工芸に詳しい人ほど感動が大きいのだと思う。だから姉さんは呆けてしまったのだ。
「横田先輩はこういうのを前から?」
「ああ、コツコツとあれこれ作っていたらしい。その集大成が完成したんでな。で、大槻がエルヴァならわかってくれるかもと話した。それで今日のお披露目が決まったんだよ」
やっぱり。それで姉さんの感動ぶりに横田先輩は感激して泣いてしまったのか……。将来こういう仕事に就くのなら、それは堪らない歓びだろう。そうでなく家を継いだとしても誇りになると思う。そんな先輩の家にはここまでじゃないけど、こういうギターが数本あるらしい。また装飾や加工を施したのもあって、姉さんが以前弾いた『Fernandes FR-55S』にも七宝焼がヘッドに貼られていたという。そこで横田先輩には何かあるなと気になっていたそうだ。
一通り褒めたり、どう作ったのかとか聞いたりして会話が弾んだ。そこで姉さんが自分のギターを取り出した。あちらの姉さんから贈られた『aria proⅡ』の『615 Nashville』だ。
「何か不満があるのか?」
「ええ、音が軽く感じてしまって。それにこの手の音はもう1本ある『Telecaster』で間に合っています。なのでもっと太い音が欲しいなと」
それで吉川先輩がどういう音が良いんだと聞いて、姉さんは私のギターを指差した。そうなの? 気に入ってくれてたのはわかっていたけど、そこまで?
「なら、交換しますか?」
「交換……?」
「はい。そちらもこちらも元が戴き物だから思い浮かばなかったんじゃ?」
「あ」
それで私のアーム付きと姉さんの『615 Nashville』を交換する事にした。私としてはバンドの音に合うのでこっちの方が有り難い。そうなるとネックは色と、後はピックアップ?
「ピックアップはこのままで良いので、色ですねぇ。塗り替えたいな」
「塗り替えなら手伝うぞ?」
姉さんのためならと声を上げた吉川先輩だけど、大槻先輩がそれを遮った。
「ヤメとけ、吉川。その塗装を剥がすのは、塗装に合った剥離剤か、専用のサンダーがないと無理だ。皆んなそれで挫折するんだよ」
「そうなのか?」
「ああ。サンドペーパーでどうにかなるようなモノじゃない。倉庫に先輩方が残したギターもあったろう。そんな中に中途半端に塗装が剥がされたのがあったの見てないか?」
「いや、覚えてない」
「そうか。まぁ、あれが挫折した成れの果てさ」
ちらりと姉さんを見たら頷いて、『手直ししたら使えそうな結構良いのがある』だって。ハッキリ言って今日は練習日といっても音合わせ無しだから、このまま宝探ししても良いかな?
「トロンメル。言っとくが一応どんなにボロでも部の備品だからな?」
「わかっていますよ、大槻先輩」
それで私はそのまま倉庫に入り、プチ探検を楽しんでいた。元の世界のトントさんが大好きだったという楽器倉庫。こちらは軽音楽部であちらは軽音部。この名前に『楽』がないのは、『楽しむのは観客』という意味と『楽をするな』という二重の意味があると教えてくれたのは姉さんだ。だけどこちらは『軽音楽部』だ。トントさんもそうだったように、こういう『楽しみ』もとい、『愉しみ』があっても良いよね?
そう、トントさんは私にこう言ったのだ。『楽器弄りやアンプの改造は魂が求めた結果』だって。『それ即ち『愉悦』よ。あの者は深く傷付いたが故に自らの魂の咆哮をきちんと聞いていた。見習うが良かろう』と。あの王様は私のモデルがトントさんだって気付いていたんだなぁ。けど魂の方向でなく、叫びなんだね? そこはびっくりしたけど妙に納得だ。
『使えそうな良いもの』でなく、『ネック折れした』のや『経年変化でパーツが腐った』のとか、ほぼ残骸と言ってもいいのを合計5本くらい選んで宝具に取り込んだ。2年に上がった春か夏までに直して返せば良いだろう。ククク……私は自らのあり方と『愉悦』を知ったのだ。
そんな常人には理解し難い衝撃的な自己発見を倉庫で体験している間に、姉さんと吉川先輩は話しを終えて帰った後だった。きっちり私の方のギターバッグがなくなっていた。知らぬ間に交換完了だ。その他の部員も帰ったのか皆んな居ない。
「良いの、あったかい?」
え? 声の主は2年の近藤先輩だった。
「先輩、まだ?」
「俺が戸締まり担当なんだよ」
「あ。す、すみません」
「で、どうだった?」
「はい。手直ししたら使えそうなものが結構ありました。私は知識がないので何ともですが、そういう知識のある人なら、まだまだ使えると十分思えるのではないかと」
「そう、俺もそう思うんだ。けど、時間がなぁ。学生には厳しいよ」
「ん? 先輩が?」
「ああ、一応俺が次期部長だからさ。直せるものは直したいなって。多分この先、卒業までに横田先輩が5~6本、家から持ってくる筈だ。それも全部あの倉庫から掘り出して少しずつ直したものだ」
なるほど。そういう先輩が2代続き……私が3代目って事か。ますますこの部活に入って正解だと思った。
「もしかして大槻先輩は?」
「何となくわかるだろう? 吉川先輩の手前もあって言えないけど、横田先輩の憧れの人がトロンメルのお姉さん、つまりエルヴァ先輩だったのさ」
やっぱり。それでもって姉さんは真摯な感想を素直に口に出す人だ。だから横田先輩はあんなに感激していたのだ。そっか……先輩は姉さんが好きだったのか。それで大槻先輩が、せめて感想でも聞いてみようとお膳立てしたんだ。きっと姉さんも吉川先輩も気付いたはずだ。でも何も言わないだろう。
「さぁ、帰ろうか」
「はい。先輩、あのギターの名は?」
「ご想像通り。『エルヴァ』だ。それをエルヴァ先輩が認めてくれたのさ」
そうして私は、近藤先輩と自転車置き場で別れたのだった。
本日の会議は魏と蜀の文官だけでなく、香港などから呉の文官も数名来ていた。昨日の夜に飛び立ったのだろう。
「世界情勢の話に入る前に、掌握について聞かせて下さい」
「効果とかですか?」
「はい」
「そうですね……。始皇帝であろうと武帝であろうと、私に五拝三叩頭や三跪九叩頭をするレベル?」
「何をバカな……」
だけど孔明さんは私の前で跪き頭を床に擦り付けながら『何をバカな』と言っていた。それを見て曹操さんも劉備さんも腰を抜かしていた。
「王を抱く麒麟であろうと叩頭させて見せましょう」
「麒麟?」
「あ、いえ。ともかくやろうと思えば、王を刺す腹心でも何でも作れます」
「つまり、心許した武将が下手人になるというのか!?」
「そうです。そして私を捕まえられる者は誰もいません。顔も髪や目の色も、私の意思一つであなた方は忘却の彼方に置き去る事でしょう」
目を大きく瞠る面々。だけどこんなものではない。その掌握範囲を広げればどこにでも潜り込めるし、何があろうと自由だ。パスポート無しでどこの国にも行けるし、そこの王や大統領の顔に落書きもできる。そして現在、『彼女』はそんな掌握をこの世界全部に掛けられる程のチカラを蓄えている。
「ですから願う必要も無いのかも知れませんよ?」
それは確信だった。仮にも一国を率いた王だ。生前なら何としても私のような得体の知れない者を真っ先に殺そうとしただろう。だけど仙人を殺せなかったように、この人達程度だと私の相手にならない。それが英霊となった身であってもだ。人は目で見、鼻で嗅ぎ、肌で感じる。それらが全部私の意思で捻じ曲げられる。認識の外に追いやられる。私がハサンと相性が良いのは、この掌握のチカラがあり、彼らが私を気遣わずに済むからだ。
だけど私はとことん商売人で、人が好きだ。だから顧客となってくれる他人を害そうとは思わない。どうしても邪魔なら脳の一部を焼くだけだ。それも同じ寝たきりにするにしても、眠って夢を見続けるのか、見えもし聞こえもするのに、外部と疎通できない状態にするのかも意のままだ。独裁者が一番恐れるのはそれだろう。
そして『彼女』もこれができると思う。なのに前政権の幹部達は二度と輪廻に戻らぬよう『世界の外』で棄てられた。今の役人は魏・蜀・呉の誰かを、自分の前々からの上司だと信じ込んでいる。消えた幹部の家族も、その幹部はとっくの昔に死んだか存在しないものと思っている。だから誰も騒がない。細かな部分に矛盾はあるのに、そこに思い至らない。つまりとっくに掌握は発動しているのだ。だから掌握してくれと願わずとも、良い方向にしか行かないだろうと皆さんに話した。
またこの国も含めて人類は今、使えば国際的に『死ぬ』しかない『核』というお荷物に代わる兵器を模索し、完成しつつあるだろうとの事も話した。
「それは?」
「気象兵器、地震兵器、生物兵器。そして細菌兵器です」
「き、気象兵器とは……?」
「ある特定の場所に必要以上の雨を降らせ、河を氾濫させたり、逆に雨を降らせず農作物を壊滅に追いやったり」
「な!? 今の人間はそこまで……?」
「地震とは!? 地震も意のままに起こせるというのか!?」
「生物とは何だ?!」
「地震は文字通りです。生物は蝗害なども含まれますが、極端に漁獲できなくしたりして狙った国の一次産業を壊す事が目的ですね。細菌兵器はウイルスです。新しい病気を家畜に蔓延させたり人々に間に拡散したりです。人は最終手段です。通常は家畜や農作物に広めます。これも食料を断つ手段です。今の……いえ、これからの戦争は、何の布告もなしにこういう手で相手国を潰そうとします。武器を持った戦いだけが戦争ではありません。地球という宇宙船の中で、どこが覇権を握り舵を取るのか。どこが生き延びて食料を得られるのか。逆から考えてみて下さい。どこが今覇権を握っている国々にとって一番邪魔ですか? どこが一番食料や資源を浪費しますか? それ即ち人口が無駄に多く、それまでの文明と異なり、西欧人に理解されづらい独自の文化を持った国であり地域です」
「つまり……ここ……」
「であり、インドに中東、アフリカでしょう。極論すれば中東は石油がなければ、無駄飯食いの集まりだとなってしまいます。アフリカなんてあの環境ですから、自分達でどうする事もできません。だから捨て置かれるでしょう。ですがインドと中国は? どちらが今現在、西欧の財産を食い潰していますか?」
「警鐘の意味で極端に話されているだけだとは思うが、西欧の旨味に食い付き過ぎれば……」
「そういう事です。その歯止めを掛けられる政府。外需でなく内需を拡大できる政府。西欧と溶け込めるマナーやモラルといった民度を、国民に与える教育を施せる政府。これらが求められるのです」
「つまり前政権では詰んでいた訳だ」
「そうです。近い未来でこの国は確実に滅んでいたでしょう。そしてそんなこの国を宗主国としていた半島の二国。あそこもどことも溶け込めない異様な価値観を持った異端児です。北はソ連の傀儡(かいらい)で、南はアメリカの傀儡(くぐつ)。しかも自分で糸を切ってドブに逃げていく体たらく。こちらが引き取って、新しい教育を受けた者達へ世代交代するまで掌握するしかないでしょう。そして国土はロシアに」
「そこがわからん。何故ロシアに?」
「アメリカを牽制するためです。こちらの港は天津と上海があればそれで良いです。ロシアを半島に南下させ、防波堤にするのですよ。それでこちらは蚊帳の外、つまり意識外にし、兎にも角にも内需を拡大しインフレを整えます。そうして国民が世代交代する頃に外需を……そうですね。アメリカの5割くらい取れて、それが当たり前の状態に持っていければ御の字でしょうか。それでドル建ての借金を返し、アメリカに対抗できる起業家を育てる。今はそこまででしょうね。それ以上は睨まれるでしょうし。ちなみにその5割は15~20年後の目標値です。ハッキリ言いますね。真の敵はアメリカではありません。かつて日本に対し核の人体実験をアメリカに起こさせた勢力、東西冷戦を演出した勢力、ここまで中共を肥大化させてきた勢力こそが真の敵です」
この事は新疆に向かった、ここのお父さんもお祖父様に聞いて知っているだろう。ただ単に富を集めたいのではない。人心をコントロールし、世界政府を作ろうという者達だ。そこに英雄王は居ないのに。太陽に向かって飛ぶアポロンのような者達。何をどうすれば世界をゲーム盤のようにして遊べるのだ? そこには日々生きている人達が大勢居いるのに。
「もっと言えば歴史の裏で隙きあらば、国家を分断し対立構造を毎回創り出し、そこに住まう人々に戦争の恐ろしさや怖さを植え付けやがてはその国でなくもっと大きな枠組みの『世界政府』を望むように仕向ける勢力です。グローバリストでも国連を創った者達でも何でも良い。とにかくそういう、国家でなく世界全体を自分達の玩具のように思い込んでいる勢力。それが真の敵です。そして私の世界ではほぼ壊滅させたそいつらが、ここでは小蝿のように元気だという点。ここを見逃してはいけません」
中共が一番恐れたのは自国民だった。それと同じように『そいつら』もそいつら以外の全員から糾弾される事が最大の恐怖だろう。私も所詮西欧人だ。なので思うところもある。だけどやるからにはトコトンであるべきだ。とにかく私は知っている限りの世界情勢と、未来のあるべき姿を皆さんに語ったのだった。
最近思うんだが、フンボルトがパパさんにしか見えない。パミを見守る優しいお父さん。そんな風にしか見えないんだ。
ここんトコあまりにもやる事がなく日長一日暇な俺は、モニカさんに教えて貰った牛丼屋でアルバイトをしていた。日本のアレがカリフォルニアにもある事は知っていたけど、入った事は今まで無かった。だからアメリカ人向けにアレンジされたメニューや、凄まじいまでの雑な作り方に最初は思いっ切り戸惑っていた。
今はすっかり慣れたけれど、遠坂やエルヴァに随分愚痴を零したもんだ。で、ご多分に漏れず遠坂もフンボルトにエルヴァも、俺のように暇を持て余していると言いたいところだが、あの3人は根本的に俺のような貧乏性ではなかった。日々の雑用をこなしながら、別の何かをコツコツと続けられるんだ。わかるだろ? 優等生なんだよ。
それで遠坂はモニカさんやミアータさんに相談の上で空き部屋を借り、簡易的な工房にして例の薬やら、旅の間できなかった研究を再開していた。エルヴァは自分の勉強を続けながら、家事を手伝ったり(彼女が居るから俺があぶれるとも言える)、パミに勉強を教えたり、楽器の弾き方を教えていた。あの年下の子に対する面倒見の良さはちょっと感心する。元々そういう子なんだろうな。
並行世界的には『イリヤ』の妹であり、『俺』の義姉であり、『アーチャー』の義妹であり……考えれば考えるほど不思議で、複雑な気分になる。何よりスリップしたこの世界が、今は2004年だ。つまり俺や遠坂がロンドンに渡る1年前に経験した聖杯戦争のあった年なんだ。ここじゃ到底起きそうにないけれど。
それはさておき、フンボルトだ。エルヴァの恋人である彼は、ここんとこ工房にずっと籠もりっぱなしだった。勿論、魔術師の工房でなく木工の方の工房な。そこでエルヴァと曲を書いたりしているだけでなく、最近はギターを作っていたんだ。それも自分のやエルヴァのでなくパミのだった。身体の小さなあの子に合わせるためにスケールがどうとか話していたけど、俺にはサッパリだ。
それもいきなりでなく試作品を数本作って、エルヴァに試奏を頼んで感想を聞いて煮詰めているんだ。そんな事を数回繰り返して今作っているのに至るって訳だ。そういう改良の仕方っていうか、考え方を更新するっていうのは、心惹かれるものがある。だから俺にも手伝えるところはあると思うので、たまに手伝っている。何より見ていて勉強になるしな。
家電の修理ならなんとかなるけど、ああいう本格的な木材の加工は初めてだったので興味深いってのもあった。親が家具職人というだけあってフンボルトも大したもんだ。家の補修なんかも俺より上手い。そんなフンボルトが作るギターがもうじき出来上がる。作っている事は別に隠していないんでパミも知っている。だからパミは本当に楽しみにしている。ニコニコと記憶にある『イリヤ』のように、背の高いフンボルトに話しかける姿……その時の2人の姿がさ。仲の良い親子にしか見えないんだよな。まぁ、本当に親子だったら、フンボルトが高校生になる頃に作った子供になっちまうんだけどさ。
「シロー、お疲れ!」
「ああ、お疲れ。トム、またな」
バイトを上がった俺は家に向かって自転車を漕いでいた。自転車は家にあったのを借りたんだ。多分、会長さんのだろう。日本だともう長袖でジャンパーを出す頃だ。なのにここでは半袖のTシャツ1枚で歩いている人がまだまだ多い。これ、真冬になっても冬木より暖かいだろうな。
家に戻ってガレージに自転車を入れ、裏手に回った。そこにある小屋が工房で、この別荘の家主である会長の趣味なんだろう、材木加工の工房になっていた。こういう小屋を別に持つ人は珍しいらしいが、ガレージの片隅が材木加工や金属加工の機械で埋まっている家はアメリカだと結構あるそうだ。俺のガラクタ弄りレベルじゃななく、本格的に何かを作っちまう人も多いという。
何もないところで土地を開墾し、家を建て、畑を作り、危険な野生動物と戦って家族を守った。そういう人達の子孫が住んでいるのがアメリカだ。インディアンの事とか、黒人の事とか、銃の事とか、思う事はいっぱいあるけど、上辺で歴史を知っただけじゃ無理だ。住んでみてわかる事ってある。
滅多にないけど、日本より遥かに危ないコトが多い。怒鳴り合いどころか殴り合いも何度も見た。この銃規制の厳しいカリフォルニアで銃を持つヤツも見た。その時、周囲の人が危ないと咄嗟に判断して剣を投影してしまった。『アブナイ野郎』は俺だった。1メートルはある剣をいきなり握り締めているんだ。
銃を持った男は遠坂とエルヴァが捕まえてくれた。そして周囲に暗示を掛けてくれさえした。アーチャーが『アーチャー』に至る道しか歩めなかった理由がわかった気がした。そんなのブラジルやもっと前のロシアで気付けって話だが。エルヴァには『火事場の野次馬以下だ』と言われた。
理由はわかる。証拠を隠滅できない段階でそんな魔術を使っちゃダメだ。隠蔽しながら相手を制圧できるチカラがないと無理なんだ。だけど……って、今までの俺なら考えた。でも、俺の行動一つでエルヴァに迷惑が掛かり遠坂が不幸になる。それだけは絶対に避けないといけない。それに俺が動かなくても、エルヴァや遠坂が動いてくれる。警察なんかの手配はフンボルトがしてくれる。
なら俺がすべき事は? あの場合なら第三者が増えていないか、変に探っている者が居ないかの監視だ。つまり場を見て、助言するとか補助に回るしかないんだ。『お兄ちゃんも戦場を俯瞰するのが得意です』と聞いて納得した。剣を投影してセイバーと一緒になって戦おうなんて無茶だったんだ。俺には無理な事、俺にもできる事、俺にしかできない事。それらを感情に左右されず的確に判断して動く。それができないと『親父』とは仕事ができない。そう思った。
工房に入るとフンボルトが作業をしていて、それをパミがジッと見ていた。子供向けなので通常よりやや小さいそうだ。だけど大人向けにもそのサイズがあるとかいうからややこしい。
「ただいま」
「ああ、お帰り。シロウ」
「お帰り~」
この辺りの会話は、『ヘイ、フンボルト』『ヤァ、シロウ』で、『ハイ、シロウ』だ。本当は。『アイムホーム』と戻った事を律儀に報告するエルヴァは、あの年齢だと珍しい方の部類だ。パミは周りが心配するのを知っているので、遊びから帰って母屋に入る時は『アイムホーム』と言っている。不思議だろうけど、これはアメリカだけでなく欧州でもそうだ。挨拶が軽い。だけどそれは文化の違いで、ある意味では日本より厳しい部分もある。それがお店に入る場合の挨拶だ。
コンビニやスーパーで『おはよう』とか『こんにちは』という日本人はまず居ないが(地方で個人商店的なコンビニならあるかもだが)、こっちでは多い。欧州ならまず間違いなく言う。それは『怪しいものじゃない、客だよ』という意思表示だからだ。テーブルマナーのナイフと同じで、まず相手に疑いを持たせないところからマナーが始まるんだ。ノリで『ハ~イ』じゃないんだな。
「どうだ、フンボルト?」
「ああ、もうすぐ出来上がりだよ」
「シロウ。凄いんだよ、これ」
「みたいだな?」
それはなんて言ったら良いんだろう? 古臭い? 何かそういうイメージが第一印象として思い浮かぶ。だけどそれは俺がわかっていないからで、本当はもっと凄いものなのだというのが伝わる。
「これね、元は『Gibson ES-350T』なんだ。僕の部屋に1997年製の再生産モノがあってね。それを元に設計し直したんだよ」
その『350』だかが、ショートスケールとか言って、随分と弾きやすいらしい。それをパミが抱えやすいように更に小型化したという。
「試作品はメキシコ製の『Fender Jagmaster』。それで手応えを掴んで、ショートスケールの『Flying V』と『VOX』みたいなパイナップル型のを作ったんだ。それを見てエルヴァが、同じ作るならこのくらいしなさいと言ってきてね」
それで『350』となったらしい。と言っても丸々コピーでなく、かなりオリジナルな部分が多いらしい。
「ピックアップのコイルを巻いたのはエルヴァだよ。磁石は彼女の錬金術で調整してある」
ピックアップはわかる。だけどそこに『錬金術』だって? 何をするんだ?
「さぁ。マニアックな音がするんじゃないかい?」
俺にはサッパリわからなかった。
「ソーハン・イーガー、クォーテル・リャンガー」
昨日のような飲まず食わずは嫌だと、強引に食事に出た私達だ。
「お客さん、何言ってるアルか?」
お店の人には通じなかった。
「では、水餃子2人前と肉まん1個」
こちらはアイアイ~と、普通に注文が通った。
「あ~! ラー油の底から唐辛子を掬って熱々の餃子をハフハフ食べた~い!」
「そんな面白い事を言わんで下さい」
呪腕のハサンは冷静だった。一方百貌はいつの間にか凜の護衛担当で、凛とルヴィアの護衛でもあるフランクに代わっていた。百貌の中で豚肉を食べられる人は限られるからなぁ。
「お久しぶりですね、フランク?」
「は? わ、私ですか?」
「ユーリ、私を忘れたの?」
「え?」
私の知るアサシンの数は少ないが、百貌の中ならフランクとマクールが一番からかい甲斐がある。あの女性人格ではない。彼女は至って真面目だ。あのザイードなんて、お酒もタバコも女性もダメダメだったと思う。
「戒律に忠実故にダメなのは酒だけです。タバコは健康に悪いからと、本人の嗜好ですね。それで女がダメなのは、元からモテんのですわ。アイツは」
フランクはエラく赤い、唐辛子の浮かんだ刀削麺(トウショウメン)をハフハフと食べていた。1人で北京ダックを独占している呪腕も驚いていた。このお店は庶民的なお店なので皮だけでなく身もしっかりある、言ってみればアヒルのソテーだ。お腹が膨らむとかでなく、結構くどい味だと思うのに。
「それがこの饅頭を口に入れ、ダックに添えられたキュウリと一緒に頂きますとですな……ワインが欲しいです」
紹興酒でなくワインなの?
「ええ。ロゼのタンニンの風味とこの皮は良きマリアージュでしょう」
カオヤーピン(キュウリなどと包む北京ダック用の皮)で巻く高級路線タイプでなく本当に庶民向けなこのお店で? こんな風に思ったのは高級店はパリパリの皮しか食べず、身なんて出て来ないからだ。だけどちょっとおかしいと思い、彼に断って小皿で一切れ頂いた。箸で摘むと身のしっかりあるソテーにしか見えない。だけど甜麺醤ベースのソースと合わせるとこれが……。皮も結構パリッとしているし。当たりだ、このお店。
「美味しいのは認めます。ですがロゼとマリアージュ(結婚の意から組み合わせを指す)とは、中々出ない言葉ですよ?」
「スキルの関係で、召喚の際に知能が低い場合が多いのです」
「あ、徐々に知性が高まる……元々はインテリ……?」
「そうです。一応これでも教団を率いていた身ですから。ここ数日でも話し方がコロコロ変わっているでしょう?」
「それでだったんだ?」
「ええ」
その自己改造のスキルのせいで、人格でも入れ替わったのかと思うくらい知性と言うか、知能と教養が変化するようだ。これも『彼女』がマスターゆえの不思議な現象なのだろう。
「しかし……フランク? 辛くないのか?」
「ちょっ、呪腕の。それは『エル殿』が勝手に言っておる名であってだな……」
「ウソ? では、誰かに四川麻婆で鍛えられた記憶は?」
「何の話です?」
久々に来たか、これ。第四次に参加していないハサン。今のところ、私はこのタイプを3人までしか知らない。2人が私の百貌で、残る1人はエルヴァが召喚しエルマに預けている五次での百貌だ。そして聞けば呪腕も臓硯を知らなかった。ますます欲しいのだが。
それで話を打ち明けたら、彼らも私が気に入ってくれているようだった。そして奇跡が起きた。
「痛ッ……」
左手の甲に令呪が2セット浮かんだ。私は思わず天を仰いだ。魔力はそっち持ちで良いの!? 感謝するぞ、コノヤロー!
僕達はウルムチ地窩堡国際空港に降り立った。四方が陸でどの方角にも海から2千キロ以上離れた、ギネス認定の内陸都市。言わずもがな新疆自治区の首府だ。メンバーは僕とエドガー、そして関羽と張飛だ。この2人の髭面はどうしようもないな。
対する迎えにはノイント老が派遣したヘラクレスとランサー、そしてランスロット卿だった。先に入っているとは聞いていたが……。ランサーとランスロット卿にも驚いていたが、その後ろに立つヘラクレスには、さしもの関羽と張飛も驚きを隠せなかった。
「エドガー、震えているぞ?」
「言わんでくれ……」
そこへ皆んなと握手していたランサーが声を上げた。
「キリツグよぉ」
「なんだい?」
「このオッサン、アルさんより手が早ぇ」
「え?」
聞けばこちらの軍の統制を乱す武将を一瞬でノシたのだという。
「そっちの2人なら知ってるだろ? こっちに馬岱と馬超って強ぇヤツが居るんだが、その2人でもソイツを止められなかったんだ。それをオッサンが1秒掛からず……」
「おらんと思えば、こっちに馬岱と馬超が揃っていたのか」
関羽が声を上げた。
「ああ。そのバカの名は……」
「誰だ?」
これは張飛。
「呂布ってんだ。知ってるか?」